アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「オール沖縄」高良氏、なぜ自衛隊・安保反対を訴えないのか

2025年04月08日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
  紆余曲折の末、参院選挙の「オール沖縄」候補者として高良沙哉・沖縄大教授が決定し、6日記者会見して出馬表明しました。

 女性で、しかもこれまで専門の憲法学の立場から折に触れ県紙などに適切なコメントを発表してきた同氏が候補者に決まったことは喜ばしいことです。

 しかし、6日の記者会見の琉球新報、沖縄タイムスの報道を見る限り、その出馬表明はたいへん残念なものと言わざるをえません。

 なぜなら、沖縄(日本)の現下の最大問題である日米軍事同盟(安保条約)深化・自衛隊増強・沖縄ミサイル基地化についてまったく語られていないからです。

 琉球新報(7日付3面)に同氏の「一問一答」が掲載されています。

 「主な政策は」の質問に対し、「暮らしの問題」を第1にあげ、続いて「戦後80年なので平和の問題は重要な位置づけになる」と答えています。しかし具体的な課題はあげていません。「他の候補との違いは」の質問でも「平和の問題」には触れていません。「辺野古新基地については」と水を向けられると、こう答えています。

「一貫して反対している。非常に理不尽な政策で、現実的でない。止めていかなければならない。ただ、辺野古の問題だけではなく、さまざまな軍事基地の問題があり、そこにも目配りしたい」

 きわめて抽象的・一般的です。「さまざまな軍事基地の問題」とは何なのか、「目配り(する)」とはどういうことなのか。

 沖縄(日本)が直面している最大の「軍事基地の問題」が米軍と自衛隊の一体化(先の統合司令部設置はその表れ)、与那国、石垣、宮古など沖縄諸島の自衛隊ミサイル基地化であることは周知の事実です。その元凶が日米軍事同盟(安保条約)であることは明白です。

 高良氏はなぜこうした具体的な「軍事基地の問題」を指摘しないのでしょうか。なぜ「目配り」ではなく「断固反対・阻止」と言わないのでしょうか。

 この日の出馬表明は、これまでの高良氏のさまざまなコメント・論稿とくらべても大きく後退していると言わざるをえません。

 それが「保守層」も含む「オール沖縄」の性格に配慮した結果だとすれば、その後退姿勢は「オール沖縄」のマイナス面を上塗りするものにほかなりません。

 高良氏は憲法学者として、「自衛隊増強・ミサイル基地化、日米軍事同盟強化に断固として反対し、阻止する」と明言すべきです。

 今後、具体的な政策が発表されるでしょうが、こうした政策が明確に、優先的に盛り込まれることを期待します。

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韓国日記⑤憲法裁判所の地に息づく独立運動の歴史

2025年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
       


 4日に尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の罷免を決めた憲法裁判所に6日、行ってみた。地下鉄光化門駅から2つ目、ソウル市庁駅からも3つ目(いずれも鐘路3街で乗り換え)の安国(アングク)駅のすぐ近くにある。

 判決から2日たっているし、集会も予定されていないようなのに、ものものしい警戒だ。機動隊の車両が取り囲み、近づくこともできない。車列越しに写真を撮るのが精いっぱいだ(写真1、2)。ここまで警戒する必要があるのだろうか。

 裁判所から歩いて数分の所に北村韓国屋村(プッチョンハノンマウル)というエリアがある。観光の定番の1つだそうだ。数々のドラマのロケ地になり、韓ドラファンには必見の場所らしい。この日も若者の観光客が詰めかけていた。カップルで韓服を着て歩いている外国人も多かった。京都を思い出す。

 そんな若い観光客たちは目もくれない、そもそもあることすら知らない、関心もないかもしれないが、実はこのエリアは韓国の独立運動と深いかかわりがあり、それを示す史跡がいくつかある。

 1つは、「朝鮮語学会址」だ(写真3、4)。

 日本植民地支配下の1942年、「朝鮮語学会事件」がでっち上げられ、33人の朝鮮人学者・研究者らが逮捕され、数人が虐殺された。「皇民化政策」によって韓国・朝鮮語の使用が禁じられる中、民族の言語を守るため、学者らの朝鮮語学会が韓国・朝鮮語の収集・保存を図った。それを日本が弾圧した。

 その朝鮮語学会があった場所がここだ。建物が保存されている。中に入ることができず、資料館などもないが、その前に立って当時をしのぶことはできる。いや、日本人はこの前に立つ必要がある。

 「朝鮮語学会事件」は韓国映画「マルモイ」(2019年制作、オム・ユナ監督・脚本)で史実に忠実に描かれた(2020年9月8日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200908)

 もう1つは、「独立運動家の道」(写真5)とそれに続く「女性独立家の道」(写真7)。

 北村のメーン通りから少し入った所、道沿いの塀に11人の人物が色鮮やかに描かれている。植民地支配に抗って独立運動の先頭に立ち、弾圧された人々。一番左は安重根(アン・ジュングン)だ(写真6)。

 その「独立運動家の道」から駅方向に延びているのが「女性独立家の道」。今は土産物店や飲食店が軒を並べているが、かつてここには「婦人夜学講習所」があり、韓国における女性教育の発祥の地となった。独立運動も展開されたという。

 こうした史跡は一般のガイドブックには載っていないことが多いが、北村の中心部には「案内所」があり、交差点には赤いジャケット男女の案内人が立っている(平日もおられるかどうかはわかりません)。尋ねれば教えてもらえる。

 今回、大統領の罷免判決ということで日本でも憲法裁判所が注目されたが、同裁判所は2011年に、日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)の被害者救済に韓国政府が努力していないことを憲法違反と断じたこともある。

 今回の尹大統領罷免判決は、憲法を守る砦としての同裁判所の存在を改めて示したが、その背景には、この地に息づいている独立運動の歴史がある。日本人としてそのこと知らねばならないと痛感する。


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韓国日記④尹大統領罷免から一夜・雨中の集会に胸熱く

2025年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
         

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の罷免を決めた歴史的な憲法裁判決から一夜明けた5日。午後4時からソウルの中心、光化門(カンファムン)前で民主派の集会があると聞いたので向かった。

 少し早めに着いたら、思いがけず尹支持派の集会も光化門の南のソウル市庁舎付近で行われていたのに出くわした。

 偶然、両陣営(と同列に形容することは正しくないが)の集会を見ることになり、その違いを痛感した(尹支持派の集会は短時間見ただけだが)。

 尹支持派の集会(写真7~9)は人数の多さに圧倒された。巨大スクリーンを3つも使い、道路幅いっぱいに100㍍以上続いていただろう(このうちどのくらいが自発的な参加なのだろうか)。

 一見した雑駁な感想だが、参加者の特徴は高齢者が多いこと。スクリーンに映し出される舞台上の演説は、諸団体の幹部と思われる男性が多く、力強くはあるが、絶叫調であること。そして、太極旗(韓国国旗)とともに星条旗が目立ったこと。なぜかイスラエル国旗まであった。

 民主派の集会は様相が一変した。

 若者が多い。女性が多い。司会も若い男女だ。家族連れが多い。家族連れといっても小さな子を連れた家族だけではない。若い(10代と思われる)娘と母親、中年の娘・息子と高齢の母親。そんな家族連れを方々で見た。まるで週末の遊園地のようだ。

 歌と音楽が絶えない。これが日本でニュースや雑誌で見た、読んだ「まるでコンサート」と言われる集会か。実際にその場にいて感じたのは、歌や音楽(バンド演奏)が政治集会にマッチしていることだ。演奏者は参加者と一体となり、歌・音楽が参加者を励ました。

 各界代表のスピーチ(内容は分からないが)も、若い人がほとんどだ。団体の幹部と思われる高齢男性はいなかったと思う。スピーチの合間に、バンド演奏や歌、参加者との合唱が入る。歌・音楽の力を改めて感じた。

 この日は朝から雨だったが、集会が始まって1 時間(5時)ごろには雨脚が強くなってきた。座っていられないくらい。立ち上がって避難する人もいたが、それでも座り続けている人たちも少なくなかった(写真4)。カッパを着て傘をさして寄り添って声援を送っている目の前の母娘(おそらく)の姿に胸が熱くなった(写真5)。

 4月といってもソウルの雨の夕暮れは肌寒い。それでも6時半に散会するまで集会の熱気は冷めなかった。いや、かえって熱くなった。最後は全員でスローガンの合唱だ。
 スローガンやスピーチの内容は分からなかったが、「ミンチュチュギ」(民主主義)と「ウリ」(私たち)が多用されていることは聞き取れた。

 会場で配られたプラカード(写真6)には、「民主主義が勝利した」「内乱勢力 清算しよう」と書かれている、と帰って辞書で調べて分かった。

 こんな政治集会、初めて目の当たりにした。このパワー、エネルギーはどこから生まれるのだろう。

 この日のハンギョレ新聞の社説がこう書いている。

「2017年の朴槿恵(パク・クネ)元大統領に続き、8年後に2回目の大統領罷免となったことは、国家的な不幸だ。しかし、2回の大統領弾劾は、市民の常識と憲法的熱望の勝利という点で、われわれの誇りであり希望でもある。反動を勝ち抜いた源泉は、主権者である国民だ。尹錫悦や極右勢力、与党政治家たちが詭弁と扇動で惑わしても、国民は揺らぐことなく、「憲法守護」の声を上げた。民主主義が危機に直面するたびに、これを救ったのは、いつも市民だった」(日本語電子版)

 この言葉の意味の一端が、分かったような気がした雨の中の集会だった。

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韓国日記③尹大統領罷免の憲法裁判断・傍聴倍率は4818倍

2025年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
  

 憲法裁判所が4日午前11時、予想通り「大統領尹錫悦を罷免する」決定を、全会一致で言い渡した。12・3非常戒厳宣布から123日を経ての結論だった。尹大統領は午前11時22分、その地位を剥奪された。大統領選は6月3日投開票が有力だ。

 判決言い渡しの時間には現場に行かれなかったので、授業が終わった午後から行こうと思ったら、最寄りの地下鉄・安国(アングク)駅、光化門(クァンファムン)駅、鐘路3街(チョンノ3ガ)駅が封鎖されていた。大規模な集会による雑踏の危険を避けるためだそうだ。

 友人の話では、この日の裁判傍聴がインターネットで申請できたが、その倍率は4818倍だったそうだ。市民の関心の強さがうかがえる。

 4月4日は77年前の「済州4・3事件」(1948年)の翌日の日に当たる。今回の「尹大統領罷免」が「済州4・3事件」や「光州事件」(1980年5月18日~)など民主化闘争の歴史の流れの中にあることは間違い。

 かつて残虐な武力弾圧によって多大な犠牲を伴った政治変革が、市民の広範な声を背景に憲法の民主的手続きによって遂行された。韓国の政治的民主主義は確実に前進していると言えるのではないだろうか。

 それはきわめて雑駁な印象だが、実際に韓国の民主主義はどうなのか。可能な限り見ていきたい。

 3日からカナタ韓国語学院弘大校で1カ月の集中講座が始まった。授業は週4日(計16回)、午前中に50分授業が3コマだ。

 私は初級の、全くの初心者より1つ上のクラス。クラスメートは私を入れて6人。日本人3、中国人2、タイ人1。女性と男性が同数の3。最年少は17歳。最高齢は71歳(私)だ。

 授業は基本的に韓国語で行われる、女性の先生によって丁寧かつ迅速に進められる。予想以上に難しい。毎回ワークブックの宿題が出る。予習をしていかねば到底ついていけない。宿題と予習で4時間以上かかる。

 わずか1カ月だが、できればクラスメートと友人になり韓国語で会話ができるようになりたい。大変だが、面白い。

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韓国日記②注目の憲法裁判、裁判官の半数は女性

2025年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム
   

☆ 今日4日午前11時からソウルの憲法裁判所で尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の弾劾審判の決定が言い渡される。
 8人の裁判官のうち6人以上の裁判官が弾劾訴追案を認容すれば、尹大統領は直ちに罷免される。そうなった場合は6月3日が大統領選の投票日と有力視されている。

 韓国にとっては大きな節目だ。すでに数日前から憲法裁判所や近くの光化門付近では賛成派、反対派双方の集会が続けられているという。

 11時には裁判所前に行きたいのだが、その時間は授業中だ。限られた日数の授業なので休むわけにはいかない。

 コシウォン(宿舎)にはテレビもないので、ソウル市内に居ながら情報から遮断されている。食堂で昼食をとっていたら、テレビでやはりこの問題を特集していた。言葉は分からないが、映像で分かる。

 その映像で注目したことがある。それは8人の裁判官の半数が女性だということだ(写真左)。ちなみに日本の最高裁の場合、15人の裁判官のうち女性はわずか3人。違いは歴然だ。

 韓国も儒教などの影響で男尊女卑の風習が根強いという。女性嫌悪の犯罪も多発している。
 世界経済フォーラム(スイス)が発表したジェンダー・ギャップ指数(2024年)は、韓国は146カ国中94位。中間以下だが、日本の118位よりはいい。日本が比較にならないくらいケタ外れに遅れているということだ。

 憲法裁判所の男女半々という進んだ構成は例外なのか。それとも韓国が男女格差(差別)解消へ向かう先駆けなのか。韓国政治の動向とともに、韓国社会のジェンダーギャップの行方にも注目していきたい。

 食堂でテレビを見た、という食堂とは実は弘益大学の学食だ。
 弘益大学(写真中)は美術で有名な大学らしい。弘大入口(ホンデイック)という地下鉄駅の名前はこの大学からきている。このコシウォンから歩いて5分のところにある。

 2日、弘益大学へ行って、学食を利用させてもらえないか頼んだ。と言っても言葉は通じないし、この時はスマホの翻訳アプリも使えなかったので困っていたら、以前千葉県のデパートで働いたことがあるという女性職員の方が通訳してくださった。それだけでなく食堂まで案内して利用の仕方まで教えてくださった。感謝にたえない。

 これ(写真右)が弘益大学の昼食だ。バイキング形式で自分で好きなだけ盛る。この内容、ボリュームで7500㌆(約810円)。韓国では格安だ(ちなみに黒い巨大なお椀はわかめスープ)。夜も6時半までやっているので行った。滞在中の食生活に光明が差してきた。

 テンプレートがまだ「ツバキ」なのに気づきました。例年4月には「若草」に変えるのですが、ことしはこのまま4月を「ツバキ」で通します。ツバキは「済州4・3事件」の民衆の抵抗を象徴する花だからです。

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