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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

韓国日記⑬街角雑感・多彩な顔を持つソウル

2025年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
     

 〇地下鉄 ソウルでは地下鉄が便利だ。1号線~9号線、そのほか11本の各名称をもつ線が乗り入れている。

 ・乗り換え 乗り換えには時間がかかる場合が多い。同じ乗り換え駅でも進行方向によってホームかかなり離れているところもあるから要注意だ(一度間違えて時間をロスした)

 ・ピンクのシート 全線・全車両(おそらく)の中央にピンクの席が4つ設けられている(高齢者や障がい者の優先席とは別に)(写真1)。妊婦さんのための席だ。母体と胎児が大事にされている。

 ・車内掃除 時々清掃の方がほうきとチリ取りを持って車内を回っている。人件費もかかるだろうが、こういうところの費用は惜しまないようだ。

 〇コンビニ よく見かけるのは韓国の「CU」と日本の「セブン」。以前来た時は「ファミマ」もあったが、今は見かけない。

 ・レジ袋 日本ではレジ袋が有料になり、会計の際はまず袋を使うかどうか確かめるが、韓国では聞くまでもなくレジ袋は置いていない。環境保護の点で日本より進んでいる。

 ・レシート 一方、日本ではレシートを渡すのが原則だが、韓国では渡さない(のが一般的なようだ)。要求すれば渡してくれる。レシート用紙は有害だとしてフランスはスーパーなどでも廃止されていると聞いたことがあるが、韓国のコンビニが基本的にレシートを渡さない理由は分からない。

 〇公園 ネットで検索すると著名な公園がいくつも出てくるが、それだけでなく、生活の身近に小さな公園が多い印象だ。

 ・運動器具 その公園に運動器具が置かれている場合が少なくない。近所の公園にもある(写真2)。子供用の遊具ではない。大人用のスポーツジムにあるような運動器具だ。公園を憩いの場であるとともに健康づくりの場と考えているからだろう。

 〇街角案内人 赤い服とハッとの2人組をよく見かける。観光案内人だ(写真3)。平日の朝にも。腕には「英語」「中国語」など担当の言語が表示されている。

 〇ストリートミュージシャン 街頭でピアノや弦楽器を演奏しているミュージシャンをこの間3人見た。ソウル市庁近くの徳寿宮外の石垣歩道では行くたびに見かける(写真4))。素晴らしい演奏で、立ち止まって聴いている人は少なくない。

 〇エスカレーター 地下鉄の乗り換えなどでエスカレーターを使うことが多い。右側に乗るのが原則なようだが、左側を歩いて上る人が結構多い。旅行者かどうかは分からないが、安全のためエスカレーターは上らないようにという注意は日本ほど強調されていないような気がする。街中で数々の大事故が起きているソウルとしては意外だ。

 〇トイレの紙 私のコシウォン(一人部屋)では使用後のトイレの紙は流さないように言われている。袋に入れてゴミとして出す。下水が詰まらないためだ。友人に聞けばソウルでは珍しいことではないという。あるコーヒーショップのトイレにも使用後の紙を入れる袋があった。

 〇「6・25(韓国・朝鮮)戦争」 ソウル市庁の近く、世宗通りに面した中心地の一角で、パネルを20枚ほど並べた臨時の街頭展示に出会った(16日昼、写真5・6)。「6・25」の文字があるから「韓国・朝鮮戦争」のパネルだと分かる。アピールの内容は分からないが、この戦争が実態的にも市民の意識の上でもまだ終わっていなことを改めて感じる。

 以上はもちろん、極めて限定されたソウルの一角の、きわめて個人的な観察・感想だ。観光客を含め人への思いやりと、目には見えにくい問題を抱えた街。そんなソウルの一面を見た気がする。

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韓国日記⑫「戦争と女性の人権博物館」・「少女像」は日本に何体?

2025年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
     

 「戦争と女性の人権博物館」(写真1)は弘大入口駅(地下鉄2号線、空港鉄道)から徒歩約15分の住宅地の一角にある。日本で「オンライン訪問」を見たことがあるが、実際に訪れたのは初めてだ。日本語リーフレットのほか音声案内(無料)もあって、日本人がたいへん鑑賞しやすい博物館だ。

 「日本軍「慰安婦」被害生存者が強いられた歴史を記憶・教育し、日本軍性奴隷制問題の解決のために活動」(リーフ)する博物館だ。「正義記憶連帯」が2012年に開館し運営している。

 右側にハルモニ(被害女性)たちのレリーフ、左側に少女の絵が描かれている細い砂利道(写真2)を通って地下の展示館へ。暗い冷気がただよう密室に、ハルモニたちが実際に履いていた靴が置かれ映像が流れる(写真3)。「訴えの壁」を通って1・2階の歴史館、生涯館、運動館へ。追悼館ではハルモニたちが並んでいる石壁に参観者が捧げることができるように生花が用意されている。

 たいへん工夫された博物館だ。展示内容の充実もさることながら、この博物館の最大の特徴は、体感にあると思う。もちろんハルモニたちの苦痛・苦悩は想像を絶するものだが、それでも少しでもハルモニたちに近づきたい、近づこうという思いが表れている。そして全館がハルモニたちへの敬意にあふれている。

 この博物館(正義記憶連帯)は日本軍性奴隷問題をけっして狭くは捉えていない。日本の責任を追及するだけの博物館ではない。1階の「世界の紛争と女性への暴力」の展示がそれを証明している。紛争・戦争がある限り、女性への性暴力はなくならない。紛争・戦争と性暴力は表裏一体。だから戦時性暴力を、日本軍性奴隷制度を追及し続けているのだ。

 その思想は「ベトナム展示館」にも表れている(写真4)。ベトナム戦争における性暴力。その加害者には、アメリカ軍とともに戦った韓国兵も含まれている。音声ガイドで説明されている。自国が加害国となった戦時性暴力も、1つのコーナーとして展示・告発しているのだ。

 同館はまさに、「現在も犯されている戦時性暴力の問題に関心を持ち、戦争と女性への暴力のない世界に向けて連帯し行動する博物館」(リーフ)なのだ。

 そんな博物館を、そして正義記憶連帯を象徴するのが「平和の少女像」だ。ソウルの日本大使館前で16日も行われた「水曜集会」を始め、続けているのも正義記憶連帯だ。博物館には水曜集会の歴史の紹介とともに、大使館前と同じ「少女像」(写真5)もある。

 その一角にある世界地図(写真6)が目を引いた。「平和の少女像」がある地域が黄色の丸で、その他の「様々な形の平和碑」がある所が紫の丸で示されている。
 「平和の少女像」はいま世界に何体あるか? 韓国に77体、韓国以外に14体だそうだ。そのうち日本には何体あるか? 答えはゼロだ。「様々な形の平和碑」がかろうじて4個(沖縄、大阪、千葉)と記されている(ここでの「平和碑」とは戦時性暴力を告発したものだと推測されます)。

 日本に「平和の少女像」は一体もない。それは知っていたが、改めてその事実が意味することを突きつけられた気がした。
 ないどころか、日本政府、右翼政治家、右翼団体は、アメリカやヨーロッパの市民が「少女像」を設置しようとするのを妨害してきた。今もベルリンでは妨害が続いている。

 「平和の少女像」への攻撃は、日本軍戦時性奴隷制度の加害の歴史の抹消を図るものであると同時に、世界の紛争・戦争で続いている性暴力の告発・批判を妨害するものだ。それはすなわち、世界の平和を希求する市民への敵対にほかならない。

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「オール沖縄」に代わる闘い示唆する注目論考―那覇・内海氏

2025年04月16日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
  

 12日付沖縄タイムス・オピニオンページの「論壇」に、<「オール沖縄」と自衛隊 改める必要ある安保容認>と題した那覇市在住の内海正三氏(75歳・会社代表)の論考が掲載されました。参院選を前に、「オール沖縄」の存在の意味が改めて問われている中、極めて注目される論考です。要点を抜粋します。

<オール沖縄会議は…2015年12月に結成された。その後、一翼を担った経済界、保守政治家グループが離れ、翁長氏(翁長雄志前知事)と共に自民党を離れた保守議員はほぼ自民党に回帰した。

 結果としてオール沖縄会議は、日本復帰時点の革新共闘会議とほぼ重なる陣容となった。一番異なる点は、革新共闘会議は安保条約と沖縄への自衛隊配備に反対していたが、オール沖縄会議は容認していることである。

 近年状況は大きく変化している。琉球弧の島々は自衛隊基地の新増設で、さながら軍事要塞化している。…空港、港湾、公道での軍事行動が常態化し、まさに戦争前夜の様相である。

 世界一の軍事大国である米国は、戦争を経済の起爆剤として利用しつつ、また覇権の維持を行っている。(略)

 このような事態の中で、オール沖縄陣営が自衛隊基地建設反対と、日米軍の統合化に反対することは命と暮らしを守る上から当然の使命であろう。現在の大政翼賛会の一翼を担う自衛隊基地容認、安保容認の立場をすぐに改める必要があるが、逆に自衛隊基地建設反対のれいわ新選組を排除しているのが実情である。>

 内海氏とは直接面識はありませんが、沖縄タイムス、琉球新報、季刊「けーし風」(現在休刊)などに、基地・平和や環境問題でたびたび貴重な論考を寄稿している論客です。沖縄の平和・民主勢力の理論的リーダーの1人と言って過言でないでしょう。

 その内海氏が、「現在の大政翼賛会の一翼を担う自衛隊基地容認、安保容認の立場をすぐに改める必要がある」と断言していることは極めて重要です。

 ただ、内海氏は「オール沖縄会議」に対してその主張の転換を求めていますが、それは無理です。なぜなら、昨年の総選挙前に「オール沖縄会議」は自衛隊・安保政策の転換を論議しましたが、「オール沖縄」として存在するためには従来の立場(自衛隊・安保条約容認)は変えないと決めたからです(2024年11月2日のブログ参照)。

 内海氏の主張を実行できるのは「オール沖縄」ではなく、新たな運動体です。すなわち内海氏の論考は、「オール沖縄」に代わって「自衛隊・安保条約反対」を掲る新たな運動体の結成を呼び掛けているに等しいと言えるでしょう。

 来る参院選では高良沙哉氏(写真右の左から4人目)が、「オール沖縄」の候補とされていますが、高良氏は憲法学者として、「自衛隊基地・日米安保条約反対」を主張すべきです。それは「オール沖縄」の枠を超えた主張であり、事実上「オール沖縄」の終焉を意味します。そしてそのことが、内海氏の主張に呼応して沖縄に新たな運動体をつくる出発点になるでしょう。

 なにより重要なのは、そうした沖縄の新たな動きに呼応して、「本土」(日本)でこそ、「自衛隊基地反対・日米安保条約反対」の世論を広げていかねばならないということです。再び戦場になろうとしている沖縄(琉球)を見殺しにしないためにも。

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韓国日記⑪植民地支配の歴史を刻む「基地の街」龍山(ヨンサン)

2025年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
      

 ソウルの観光施設として著名な国立中央博物館を13日訪れた(これについては後日)。博物館は地下鉄(4号線・京義中央線)二村(イチョン)駅の目の前にある。その隣(京義中央線)の駅が龍山(ヨンサン)駅だ。

 日本人にはあまり知られていないかもしれないが(私が知りませんでした)、大変重要な都市・地域だ。

 龍山駅は韓国でソウルに次いで2番目に大きい駅だという(写真3)。その中央階段を降りてすぐの所に、1体の銅像と4本の石柱が建っている(写真1、2)。日本の植民地支配による強制労働(「徴用工」)犠牲者の像だ。石柱には、強制労働や戦時性奴隷(「慰安婦」)の説明があり、その中の1つにはこう書かれている。「記憶の中の人々…決して忘れません 行動していきます」

 韓国第2の駅の真ん前に、こうした像があること自体驚いた。「徴用工像」は釜山(プサン)にもあるが、駅前ではない。

 その「徴用工像」から徒歩5分くらいの所に「龍山歴史博物館」がある(写真4)。3年前に建てられたそうなので、韓国でもまだあまり知られていないかもしれない。

 龍山は、日本の植民地支配に重要な役割を果たした鉄道敷設の拠点となった所だ。龍山駅はそのために1899年に建てられた。ちなみにこの植民地政策としての鉄道敷設に深く関与したのが渋沢栄一だ。
 かつて駅の近くには鉄道病院があった。その跡地に建てられたのが「龍山歴史博物館」だ。

 展示は1~3階。1階が1960年代くらいまでの歴史を示す。展示規模は大きくないが、日本軍司令部の写真や、植民地化で差別されていた地元住民が大洪水(1925年)でたいへんな被害を被ったことなどが映像で示されている。安重根(アン・ジュングン)の「史記」の実物(と思う)も展示されている(写真5)。日本語のリーフレットはないが、日本語の音声ガイドが無料で借りられる。入場料も無料。

 さらにこの博物館の特徴は、日本の敗戦(韓国の光復)後、この地に米軍が駐留したことが展示されていることだ。軍隊と性暴力は表裏一体だが、ここでも米軍基地の周辺に女性が「性売買」の犠牲になった場所があったことを示す写真もある(写真6)。今も、中央博物館の東には米軍将校の宿舎がある。

 龍山は100年以上「軍事基地の街」だ。
 朝鮮王朝時代は商業活動が活発だったが、1904年、日本が日露戦争開始直後に「日韓議定書」を強要し、大陸侵略の拠点として龍山地域の土地を強制収用して軍事基地化した。日本軍司令部もここに置かれた。その周辺にはやはり「遊郭」が、住民の反対を押し切って設けられた。

 龍山駅の東側、中央博物館の北側に広がる広大な地が日本軍の基地だった。中央博物館の北(最寄駅は三角地駅)には戦争記念館があって多くの観光客が訪れるが、ここはかつて日本軍歩兵第79連隊の宿舎があった所だ。

 ところで、「戦争記念館」の「戦争」とはアジア・太平洋戦争のことではない。韓国で「戦争」といえば、1950年6月25日に勃発した戦争のことだ。日本では「朝鮮戦争」というのが一般的だが、それは政治的に公正ではなく韓国では教科書など公式には「6・25戦争」と呼称されている、と友人から指摘された。私も今後、「6・25戦争(韓国・朝鮮戦争)」という呼称を使いたいと思う。

 龍山がこうした歴史を持つ街だということを知らなかった。いまさらながら不明を恥じる。しかし、加害国の日本人は知らなくても、被害国の韓国の人々は日本の侵略・植民地支配の歴史を決して忘れていない、忘れない。
 「龍山歴史博物館」が3年前に、区立として開館したことも、そのことを示しているのではないだろうか。


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韓国日記⑩イ・ビョンホンの舞台挨拶に韓国映画の力を見た

2025年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム
   

 12日、弘大(ホンデ)の映画館でイ・ビョンホン主演の「勝負」を観た(写真左)。韓国の映画俳優の名前はなかなか覚えられないが、イ・ビョンホンは知っている。以前、キムタク(木村拓哉)と「HERO」で共演したのも観た。

 「勝負」は、今も現役で活躍している著名な囲碁の棋士の師弟愛を描いた実話に基づく映画だ。約2時間、はっきり聞き取れたのは「ソンセンニム(先生)」くらいだったが、まったく飽きることなく画面に引き付けられた。イ・ビョンホンはアクションスターのイメージがあったが、感情の機微を見事に表現する演技派だと再認識した。

 嬉しい驚きだったのは、終了後、他の3人の共演者とともに舞台挨拶があり、イ・ビョンホンを間近で見ることができたことだ(写真中)。韓国の映画館自体が初めてだったから、舞台挨拶はもちろん初めてだ。日本(の多くの場合)と比べて、いくつかの違いがあると思った。

 頻繁に行われる…日本の舞台挨拶は通常公開初日の1日だけが多いが、韓国は違う。「勝負」は公開3週目だという。何度も舞台挨拶があるわけだ。この日も別の劇場へも駆け付けていた。

 フラットな立ち位置…舞台挨拶というが、イ・ビョンホンらが立っていたのは文字通りの「舞台」ではない。最前列の客席と同じフロア―だ。上から見下ろすのではなく同じ地平で立っていた(これは劇場にもよるのだろう。でも、私が行った劇場もそんなに小さくはなかった)。服装もラフな格好で親近感が持てた。

 観客席へ出向いて握手…挨拶は1人ずつ短いスピーチで、それが終わると全員が観客席に行って握手に応じた。

 観客との自撮りも…握手だけでなく、スマホを渡せばツーショットの自撮りをスターたちがしてくれる。もちろん時間が限られているので、その幸運に恵まれる人は多くない(私もスマホを渡そうとしたがハズレた)。

 各主演者がプレゼント…極めつけは観客へのプレゼント(サイン付きのグッズだと思う)があることだ。挨拶に登場した出演者全員が1人1個(だったと思う)のプレゼントを持参して渡してくれる(写真右で出演者が手に持っているのがそれ)。

 ソウル在住の友人の話では、こうした舞台挨拶の情景はけっしてこの映画に限ったことではないという。総じて言えることは、サービス精神が旺盛で観客を非常に大切にしてるということだ。

 韓国映画の質の高さは国際的に定評がある。娯楽性、芸術性のみならず社会性、政治性においても素晴らしい映画が多い。
 その背景には、製作者の養成などに公的資金が投入され、国を挙げて映画の振興を図っている政策がある。日本と違う点だ。

 そうした制度的な違いに加え、この舞台挨拶に表れた観客(消費者)へのサービス精神が日本との大きな違いではないだろうか。

 韓国映画界も、ネットに押されて観客は減少傾向だという。そんな中で映画の灯を守り広げていく大きな力は、製作者・主演者と観客・映画を愛する者たちとの一体感・連帯感だと思う。韓国映画にはその力があると感じた。

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