アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

韓国日記④尹大統領罷免から一夜・雨中の集会に胸熱く

2025年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
         

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の罷免を決めた歴史的な憲法裁判決から一夜明けた5日。午後4時からソウルの中心、光化門(カンファムン)前で民主派の集会があると聞いたので向かった。

 少し早めに着いたら、思いがけず尹支持派の集会も光化門の南のソウル市庁舎付近で行われていたのに出くわした。

 偶然、両陣営(と同列に形容することは正しくないが)の集会を見ることになり、その違いを痛感した(尹支持派の集会は短時間見ただけだが)。

 尹支持派の集会(写真7~9)は人数の多さに圧倒された。巨大スクリーンを3つも使い、道路幅いっぱいに100㍍以上続いていただろう(このうちどのくらいが自発的な参加なのだろうか)。

 一見した雑駁な感想だが、参加者の特徴は高齢者が多いこと。スクリーンに映し出される舞台上の演説は、諸団体の幹部と思われる男性が多く、力強くはあるが、絶叫調であること。そして、太極旗(韓国国旗)とともに星条旗が目立ったこと。なぜかイスラエル国旗まであった。

 民主派の集会は様相が一変した。

 若者が多い。女性が多い。司会も若い男女だ。家族連れが多い。家族連れといっても小さな子を連れた家族だけではない。若い(10代と思われる)娘と母親、中年の娘・息子と高齢の母親。そんな家族連れを方々で見た。まるで週末の遊園地のようだ。

 歌と音楽が絶えない。これが日本でニュースや雑誌で見た、読んだ「まるでコンサート」と言われる集会か。実際にその場にいて感じたのは、歌や音楽(バンド演奏)が政治集会にマッチしていることだ。演奏者は参加者と一体となり、歌・音楽が参加者を励ました。

 各界代表のスピーチ(内容は分からないが)も、若い人がほとんどだ。団体の幹部と思われる高齢男性はいなかったと思う。スピーチの合間に、バンド演奏や歌、参加者との合唱が入る。歌・音楽の力を改めて感じた。

 この日は朝から雨だったが、集会が始まって1 時間(5時)ごろには雨脚が強くなってきた。座っていられないくらい。立ち上がって避難する人もいたが、それでも座り続けている人たちも少なくなかった(写真4)。カッパを着て傘をさして寄り添って声援を送っている目の前の母娘(おそらく)の姿に胸が熱くなった(写真5)。

 4月といってもソウルの雨の夕暮れは肌寒い。それでも6時半に散会するまで集会の熱気は冷めなかった。いや、かえって熱くなった。最後は全員でスローガンの合唱だ。
 スローガンやスピーチの内容は分からなかったが、「ミンチュチュギ」(民主主義)と「ウリ」(私たち)が多用されていることは聞き取れた。

 会場で配られたプラカード(写真6)には、「民主主義が勝利した」「内乱勢力 清算しよう」と書かれている、と帰って辞書で調べて分かった。

 こんな政治集会、初めて目の当たりにした。このパワー、エネルギーはどこから生まれるのだろう。

 この日のハンギョレ新聞の社説がこう書いている。

「2017年の朴槿恵(パク・クネ)元大統領に続き、8年後に2回目の大統領罷免となったことは、国家的な不幸だ。しかし、2回の大統領弾劾は、市民の常識と憲法的熱望の勝利という点で、われわれの誇りであり希望でもある。反動を勝ち抜いた源泉は、主権者である国民だ。尹錫悦や極右勢力、与党政治家たちが詭弁と扇動で惑わしても、国民は揺らぐことなく、「憲法守護」の声を上げた。民主主義が危機に直面するたびに、これを救ったのは、いつも市民だった」(日本語電子版)

 この言葉の意味の一端が、分かったような気がした雨の中の集会だった。

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韓国日記③尹大統領罷免の憲法裁判断・傍聴倍率は4818倍

2025年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
  

 憲法裁判所が4日午前11時、予想通り「大統領尹錫悦を罷免する」決定を、全会一致で言い渡した。12・3非常戒厳宣布から123日を経ての結論だった。尹大統領は午前11時22分、その地位を剥奪された。大統領選は6月3日投開票が有力だ。

 判決言い渡しの時間には現場に行かれなかったので、授業が終わった午後から行こうと思ったら、最寄りの地下鉄・安国(アングク)駅、光化門(クァンファムン)駅、鐘路3街(チョンノ3ガ)駅が封鎖されていた。大規模な集会による雑踏の危険を避けるためだそうだ。

 友人の話では、この日の裁判傍聴がインターネットで申請できたが、その倍率は4818倍だったそうだ。市民の関心の強さがうかがえる。

 4月4日は77年前の「済州4・3事件」(1948年)の翌日の日に当たる。今回の「尹大統領罷免」が「済州4・3事件」や「光州事件」(1980年5月18日~)など民主化闘争の歴史の流れの中にあることは間違い。

 かつて残虐な武力弾圧によって多大な犠牲を伴った政治変革が、市民の広範な声を背景に憲法の民主的手続きによって遂行された。韓国の政治的民主主義は確実に前進していると言えるのではないだろうか。

 それはきわめて雑駁な印象だが、実際に韓国の民主主義はどうなのか。可能な限り見ていきたい。

 3日からカナタ韓国語学院弘大校で1カ月の集中講座が始まった。授業は週4日(計16回)、午前中に50分授業が3コマだ。

 私は初級の、全くの初心者より1つ上のクラス。クラスメートは私を入れて6人。日本人3、中国人2、タイ人1。女性と男性が同数の3。最年少は17歳。最高齢は71歳(私)だ。

 授業は基本的に韓国語で行われる、女性の先生によって丁寧かつ迅速に進められる。予想以上に難しい。毎回ワークブックの宿題が出る。予習をしていかねば到底ついていけない。宿題と予習で4時間以上かかる。

 わずか1カ月だが、できればクラスメートと友人になり韓国語で会話ができるようになりたい。大変だが、面白い。

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韓国日記②注目の憲法裁判、裁判官の半数は女性

2025年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム
   

☆ 今日4日午前11時からソウルの憲法裁判所で尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の弾劾審判の決定が言い渡される。
 8人の裁判官のうち6人以上の裁判官が弾劾訴追案を認容すれば、尹大統領は直ちに罷免される。そうなった場合は6月3日が大統領選の投票日と有力視されている。

 韓国にとっては大きな節目だ。すでに数日前から憲法裁判所や近くの光化門付近では賛成派、反対派双方の集会が続けられているという。

 11時には裁判所前に行きたいのだが、その時間は授業中だ。限られた日数の授業なので休むわけにはいかない。

 コシウォン(宿舎)にはテレビもないので、ソウル市内に居ながら情報から遮断されている。食堂で昼食をとっていたら、テレビでやはりこの問題を特集していた。言葉は分からないが、映像で分かる。

 その映像で注目したことがある。それは8人の裁判官の半数が女性だということだ(写真左)。ちなみに日本の最高裁の場合、15人の裁判官のうち女性はわずか3人。違いは歴然だ。

 韓国も儒教などの影響で男尊女卑の風習が根強いという。女性嫌悪の犯罪も多発している。
 世界経済フォーラム(スイス)が発表したジェンダー・ギャップ指数(2024年)は、韓国は146カ国中94位。中間以下だが、日本の118位よりはいい。日本が比較にならないくらいケタ外れに遅れているということだ。

 憲法裁判所の男女半々という進んだ構成は例外なのか。それとも韓国が男女格差(差別)解消へ向かう先駆けなのか。韓国政治の動向とともに、韓国社会のジェンダーギャップの行方にも注目していきたい。

 食堂でテレビを見た、という食堂とは実は弘益大学の学食だ。
 弘益大学(写真中)は美術で有名な大学らしい。弘大入口(ホンデイック)という地下鉄駅の名前はこの大学からきている。このコシウォンから歩いて5分のところにある。

 2日、弘益大学へ行って、学食を利用させてもらえないか頼んだ。と言っても言葉は通じないし、この時はスマホの翻訳アプリも使えなかったので困っていたら、以前千葉県のデパートで働いたことがあるという女性職員の方が通訳してくださった。それだけでなく食堂まで案内して利用の仕方まで教えてくださった。感謝にたえない。

 これ(写真右)が弘益大学の昼食だ。バイキング形式で自分で好きなだけ盛る。この内容、ボリュームで7500㌆(約810円)。韓国では格安だ(ちなみに黒い巨大なお椀はわかめスープ)。夜も6時半までやっているので行った。滞在中の食生活に光明が差してきた。

 テンプレートがまだ「ツバキ」なのに気づきました。例年4月には「若草」に変えるのですが、ことしはこのまま4月を「ツバキ」で通します。ツバキは「済州4・3事件」の民衆の抵抗を象徴する花だからです。

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韓国日記①・初日は想定外の連続―コシウォン・物価

2025年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム
   


 4月1日14時30分、LCC・ピーチがインチョン(仁川)空港に着陸し、1カ月の「留学生活」が始まった。寒いかと厚手の上着を持っていったが、気温13度で、それほどでもなかった。

 到着前の機内放送で「上空からの撮影、空港内での撮影は禁止されております」。軍事セキュリティー管理はやはり日本より厳しいと再認識。朝鮮戦争(1950・6・25~)は終わっていないのだ。

 初日は、想定外の連続だった。

○狭く不便なコシウォン 宿舎のコシウォン(考試院)は、空港から空港鉄道で約1時間の弘大入口が最寄りの駅だ。勉強を目的とした一人部屋。留学生が多いという。狭くて机くらいしかないと聞いていたが、まさにその通り。四畳半ほどの広さで、一角がシャワー・トイレ室。あとはベッドと机のみ(写真中)。机の下に小型冷蔵庫。寝具はないので、敷パットと毛布を持って行った。

 ここまでは想定内だが、事前の写真ではテレビがあったのに、ない。建物は古びたビルの2階で、ここに十数部屋が密集している。狭いのでみんな旅行かばんをドアの外(廊下)に置いている(写真左)。階上の部屋が流すトイレの音が大きく響く。

 ここが1カ月550,000㌆(諸費込、敷・礼ナシ)。今のレートは、1000㌆=約108円だから、家賃は59,400円になる。高いのか安いのか。

○壊れた電気製品 テレビはなくても持って行ったCDプレーヤーで好きな音楽を聴けばいいや、と思ってスイッチを入れた瞬間、焼け焦げる臭いとともにショートした。プレーヤーは音楽とともに語学用でもあったのに。読書の手元用に卓上ライトも持っていった。これもスイッチの瞬間ショートした。愚行を繰り返してしまった。海外では電気製品が使えないことが頭から消えていた。

○高い物価 日本の物価高は困ったものだが、韓国(ソウル)はもっと高い。コンビニで菓子パン1個とブラックサンダー小3個で4000㌆(約430円)。夕食は近くの商業ビルでスパゲティーを食べたが、普通のナポリタンが15000㌆(約1600円)。これからの食費が思いやられる。

 友人の話では、コロナ以降、物価がうなぎ上りだそうだ。「日本もそうだよ。けさ(1日)も4月からの値上げがトップニュースだった」と言うと、「なぜそれがニュースになるのか分からない。韓国ではそんなことはニュースではない」とあきれていた。
「物の値上がりはニューにはならない」。この韓国の状況はどう考えればいいのだろう?

 諸物価が高い中、例外は外で飲むコーヒーだ。弘大入口駅に着いて近くのショップでコーヒー(ホットブレンド)を注文したが、出てきたのがこれ(写真右)だ。ゆうに3杯分はありそうだ。これで1500㌆(約160円)。コーヒー好きには嬉しい限りだ。
 世の中、悪いことばかりではない。


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久米島出身者が語る日本軍による朝鮮人虐殺の実態

2025年04月02日 | 沖縄と戦争
  

 沖縄戦から80年。その実態はいまだに解明されていません。日本軍(皇軍)による住民虐殺はその1つです。

 久米島では鹿山(かやま)隊(隊長・鹿山正・兵曹長)による住民虐殺が残忍をきわめたことが知られています。なかでも朝鮮半島出身者の谷川昇(具仲会)さん一家7人の惨殺は悪名をはせています(写真左は久米島の野原に建つ虐殺犠牲者追悼碑)。

 3月30日付沖縄タイムスは、シリーズ「語れども語れども うまんちゅの戦争体験 506」で、谷川さんの近所に住んでいた名嘉山吉子さん(87)の目撃証言を掲載しました(以下、抜粋)。

<久米島では米軍より友軍(日本軍)の犠牲が多かった。日本が降伏した後も、友軍が久米島住民をスパイ容疑で次々と殺していった。朝鮮人の谷川さん一家は家が近く、縄跳びで遊んだこともある。行商で生計を立てていたらしいけど、スパイ容疑をかけられた。

 近所の人の忠告を受け、妻ウタさんが夜、子どもをおぶって逃げる後ろから、農民の格好をした友軍が追いかけて斬りつけた。家に残っていた子どもも殺して火を付けた。鳥島に逃げた夫も殺された。助けることも何もできなかった。本当につらく、ウタさんが殺害された大きなガジュマルの前は、今も通れない。

 その後、私がいた久間地と西銘の全員にスパイ容疑がかけられたと聞いた。もしかしたら私も殺されていたかもしれない。あの戦争を生き延びたのに、どうして日本軍に殺されないといけないのか。…なぜ戦犯として罰せられないのか。小さな久米島から訴えても声は届かなかった。…兵隊は国民を守らない。>(3月30日付沖縄タイムス)

 鹿山正隊長は戦後、「悪いことをしたとは考えていない」「日本軍人として当然のこと」と居直っています(「サンデー毎日」1972年3月、『続・沖縄戦を知る事典』吉川弘文館2024年より)。

 また、別の証言者は、谷川さん一家虐殺の背景について、「朝鮮人への偏見や差別も要因だった」と指摘しています(『続・沖縄戦を知る事典』)。

 名嘉山吉子さんが今も「友軍」という言葉を使っているのは、当時の皇民化教育がいかに強力だったかをうかがわせます。

 名嘉山さんの「なぜ戦犯として罰せられないのか」という訴えはきわめて正当です。それは鹿山元隊長だけに向けられたものではありません。

 日本政府はいまだに、日本軍による住民惨殺の事実を認めず謝罪もしていません。鹿山隊長の居直りは〝正直に”本音を吐露したものにすぎず、日本政府の姿勢も鹿山と本質的に変わるものではありません。

 「兵隊は国民を守らない」、どころか住民を惨殺するのです。
 沖縄戦における日本軍の住民虐殺(「集団強制死」を含め)の実態を徹底究明し、政府に事実を認めさせ謝罪させることは、沖縄戦の教訓を活かして軍事国家化への道にストップをかけるうえで不可欠の課題です。

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