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相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件から8年の26日、「事件が私たちに問いかけていることは何か」を考える講演会が京都市東九条でありました。講師は藤井渉・日本福祉大准教授(障害者福祉、東九条在住)。
藤井氏の話でとくに印象的だったのは、事件と優生思想と戦争の関係です。
裁判で植松聖死刑囚は「意思疎通がとれない障害者は不幸を生む」と述べました。事件後SNSにも「先天的障害者は社会のお荷物」などの書き込みがありました。
藤井氏は「障害を、後天性と先天性で区別し、役立つかどうかで差別化するという認識は、まさに戦時期に強く見られたもの」と指摘し、以下のように論述しました。
役立つかどうかによる差別化を制度化したものが「徴兵検査」である。それによって「甲乙丙丁」の4種に序列化され、「最下位」の「丁種」とされたのが障害者だった。
障害者でも戦力になりえる者(例えばマッサージ師として空母に乗船させられた視覚障害者)は保護し、そうでない者は「自宅監置」などで隔離・排除された。「監置」された障害者が空襲でどのくらい犠牲になったのかの調査・研究はすすんでいない。
1940年に「国民優生法」が制定された。それが「国民体力法」とセットだったことが重要だ。「国民体力法」によって学校では「林間学校」や「知能検査」が制度化された。
同じ40年、ナチス・ドイツでは「T 4作戦」が実施され、1年余で障害者20万人以上が精神病院などで殺害された(T4とは実施本部があった地名)。ナチスはその蛮行を正当化するために優生学を利用した。
優生思想はもともと約100年前に(ドイツではなく)イギリスとアメリカを拠点に世界的にまん延した。「社会的価値・コスト」という視点から「優秀ならざる者の剪除(せんじょ=切って取り除く)」が主張された。
「徴兵検査」はまさにその優生思想にもとづくものだったが、優生学を日本にもたらしたのは福祉の研究者だった。海野幸徳著『社会事業とは何ぞ』はその代表である。
戦後、「優生保護法」が議員立法で制定され(1948年)、入所施設では不妊手術が強制された。それが憲法違反と断定されたのは先日(7月3日)のことである。
藤井氏はこう問題提起しました。
「戦争で人が序列化され、障害者が差別化されてきたこと。ナチスが障害者を「慈悲」などとして殺害したこと。戦後は福祉現場で障害者に優生手術が行われてきたこと。そして、福祉の元職員が「善いこと」だとして19人を殺害したこと。これらに重なるものは何だろうか?」
あらためて振り返ってみれば、事件が起きたのは、安倍晋三政権が集団的自衛権を容認する戦争法(安保関連法)を強行成立(15年9月19日)させた10カ月後でした。
障害者の序列化・差別化・排除と戦争を推進する政治(国家)の政策、そしてそれを容認する社会(市民)の空気―その関連性・親和性にあらためて目を向けなければならないと痛感します。