アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

自民の裏金と小池百合子氏と都知事選

2024年02月27日 | 日本の政治と政党
   

 自民党の裏金が大きな政治問題になっています。パーティー券などで裏金をつくる脱法的手法も問題ですが、さらに注視すべきは、その裏金が誰に何のために使われたかです。

 その点で特に注目されるのは幹事長だった二階俊博氏(写真中)の裏金です。

 自民党が13日公表した「82人の裏金」で金額が最も多かったのは二階氏の3526万円です。二階事務所は、「3年間で書籍代3472万円を支出…購入したのは17種類、計2万7700冊」と説明しています(15日付朝日新聞デジタル)。常識では考えられない額と冊数です。

 その多くは、二階氏自身をPRする本ですが、異彩を放っているのが、二階氏の本でないにもかかわらず購入金額が3番目に多かった『小池百合子の大義と共感』(大下英治著、発行・エムディエヌコーポレーション、2020年=写真右)です。3千冊、396万円が裏金から支出されました。

 16日の記者会見でこの問題を追及された小池氏は、「それは把握しておりませんでした」「著者は大下さん。(私の)直接の本ではない」(16日付朝日新聞デジタル、写真左)と述べ、“無関係”を装いました。しかしそうはいきません。

 同書は文字通り、小池百合子PR本です。たとえばこうです。

「小池知事は、政治家としてメッセージを打ち出す際、「大義」と「共感」の二つを強く意識している」「果たして、小池は、今回の知事選の勝利に限らず、さらに、女性初の総理大臣になる野望を秘めているのだろうか…」

 そして同書が繰り返し言及しているのが、「小池百合子東京都知事と自民党の二階俊博幹事長との付き合いは長い」「二階と小池は、たびたび面会をし、意見交換をする仲でもある」という両氏の親密な関係です。

 小池氏が「二階先生には、折にふれ、政治の本質について色々教わり、今もご指導いただいています」と言えば、二階氏も「小池さんは、衆院議員の頃から、非常に先見性があり、勇気と度胸もあり、政治家としての高い資質を持っていました」と応えています。
 強調されているのは、「二階は一貫して自民党内で小池の都知事選再選を訴え続けている」ことです。

 注目すべきは、この本が出版されたのが2020年7月、都知事選(7月5日)の真最中だったことです。1カ月前の6月12日、小池氏は知事選に出馬して再選を目指すと発表しました。

 自民党内、とりわけ東京都連の中には、自民党から飛び出して新党を結成した小池氏に対する根深い不信・批判があります。知事選でも自民党は当初の独自候補を模索していました。それを抑えて候補者を断念させたのも二階氏でした。

 その二階氏が小池氏を都知事にふさわしいと絶賛する同書は、事実上、小池氏の知事選PR本であり、自民党都連を小池支持でまとめる政治的狙いがあったことは明白です。
 小池氏の都知事再選のための事実上の広告費が、二階氏の裏金から396万円流用されたと言って過言ではありません。

 裏金問題は、それを作って政治戦略に使った自民党が責められるのは当然ですが、それによって利益を得た側の責任も厳しく問われなければなりません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Nスぺ「戦場のジーニャ」―「政治家」は戦場に行かない

2024年02月26日 | 国家と戦争
   

 25日夜のNHK スペシャル「壮絶・戦場のジーニャ ウクライナ戦争の現実」は直視が苦しい映像でした(写真は同番組から)。

 元TVカメラマンのジーニャはじめ、元フィットネストレーナー、元映像技術者らがスマホや小型カメラで撮影した戦場の映像です。市民兵士たちは「遺書代わりに撮影した」といいます。

 「地雷」「塹壕」「ドローン」の3部構成で、戦場とキーウ(キウイ)などの家族の姿が織り交ぜて映し出されました。

 劇映画では何度も見て来た光景が、現実のものとして、遠く離れた日本の家庭に、時間をおかず入ってくる。SNS時代の映像の力と怖さを思います。「これから負傷者の映像が流れます」「小学生以下の子どもには見せないことをおすすめします」というもテロップが何度も出ました。

 ジーニャら映像に登場した市民兵はみな、好き好んで兵士になったわけではありません。戦場で「人を殺す」ことにも当初たいへん抵抗がありました。

 しかしそれが、「初めて人を殺した」「殺さなければ殺される」「私たちの価値観は劇的に変わった」と言います。「極限状態の連続が、市民を兵士に変えていった」(ナレーション)のです。

 父親(元映像技術者)があす戦地へ戻るという日、幼い娘が言いました。「大きくなったらロシア人を棒でたたき殺してやる」(写真中)。

 息子を戦場に送り出す母親の「1日も早くすべてが終わってほしい」という願いは、見る者すべての思いでしょう。

 しかし、映像は「更なる勢力の拡大を目指すプーチン」を映し出したあと、「それでも戦場に戻る」市民兵たちと見送る家族の姿で終わりました。

 戦争は悲惨だ。早く終わらせたい。しかしロシアが侵攻を続ける限り、戦うしかない―それが番組の構成であり、制作意図でしょう。

 ここでとどまっている限り、「1日も早い停戦」は望めません。

 戦場の悲惨さ、家族の苦悩を知ることは必要です。しかしそれを、「それでも戦わなければ」という負の動機にしてはいけない。「だからなによりもまず停戦を」の世論にしていかねばなりません。

 残酷な戦場の映像を見るにつけあらためて思うのは、「政治家」(権力者)は戦場には行かない、ということです。戦場で殺し合いをするのは常に市民です。それはもちろんロシアも同じです。

 戦場に行かない「政治家」たちが、政治的思惑から机上で戦争を始め、政略を練る。だから戦争は終わらない。

 そんな「政治家」を停戦に向かわせるのは、犠牲になる、なっている市民の声しかありません。「戦争は人間性を破壊する。何よりも大切なのは命。だからまず戦闘をやめよ。領土・主権などもろもろの問題は武器を置いて話し合いを」―。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記290・「人を殺せない」の素晴らしさ

2024年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 <「人を殺せない」 日本に来たウクライナの19歳 逃げたと言われても>と題した記事が朝日新聞デジタル(23日付)に載った(以下抜粋、写真も)。

< 2年前にウクライナを出国した時、ロベルトさんはまだ17歳だった。

 徴兵や総動員令による出国禁止の対象となる18歳に満たない。だが、国外避難を「逃げた」と見る人は、少なくなかった。「国に残って戦え」と責めてくる大人がたくさんいた。避難先のポーランドやリトアニアでも、何度も「戦いたくなくて、逃げたな」と言われた。

「僕は17歳です。なんで戦争に行かなければいけないんですか」
 反論すると、殴られたり、ナイフや銃を向けられたりしたこともあった。

 身寄りの無い日本に来て1年半がたち、19歳になった。

「ウクライナにいま、僕の居場所はない。友人はただの『知り合い』に変わってしまいました。帰国しても、自分のことを外国人のように感じると思います」

 選択に後悔は無い。けれど、独り暮らす都営住宅で、どうしようもなく寂しくなる時がある。

「ただ一緒にいるだけでいい。誰かがここにいてくれればよいのにと、思ってしまいます」

 侵攻の前後で、ロベルトさんの周囲の人間関係はすっかり変わってしまった。

 SNSで「死ね」「裏切り者」と送ってきたのは、習い事で仲良くなった幼なじみだった。

 今は戦争中で、非常時だということは理解している。兵士として戦っている親戚もいるし、戦死した知人もいる。

 「だけど、自分は人を殺すことはできない。出国時、たとえ大人だったとしても、やっぱり戦争には行けなかったと思います。戦争のない国に避難するという決断が、なぜこんなに責められるのでしょう?」>

 「人を殺したくない、戦いたくない、だから逃げた」。なんと素晴らしいことだろう。

 ロベルトさんの孤独と寂寥が悲しいけれど、その叡智と勇気に心から拍手をおくりたい。

 人類は第2次世界大戦の教訓から、「世界人権宣言」を採択した(1948年12月10日)。その前文の冒頭はこううたっている。

「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」

 人間の「固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」、その筆頭は「命を守る」ことではないだろうか。「殺されたくない」だから「人を殺したくない」。それは人間のもっとも根源的で崇高な不可侵の権利ではないだろうか。

 にもかかわらず、その権利を守ろうとする人間が迫害される。ロベルトさんのように。迫害の論理は、「国を守るため」だ。

 いま、我々はあらためて突き付けられている。「命を守る」ことと「国を守る」こととどちらが大切なのか。「国」とは何なのか。人の命より大切な「国家」なるものがあっていいのか―。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ戦争は「専制か民主主義かの戦争」の誤謬と危険

2024年02月24日 | 国家と戦争
   

 ロシアのウクライナ侵攻から2年。ここにきてこの戦争の性格が変わってきた、あるいはより明確になってきたと言えそうです。

 侵攻当初からバイデン米大統領や岸田首相は、「(侵攻は)法の支配への挑戦だ」「力による現状変更は認められない」とし、これはロシアの「国際法違反の侵略」に対する“正義の戦争”だと言ってきました。上川外相はG20外相会議(22日)でも同様の発言をしました。

 ところが、「日ウクライナ経済復興推進会議」で来日したウクライナのシュミハリ首相(写真左)は朝日新聞のインタビュー(19日)に答えてこう述べています。

この戦争は、専制か民主主義かという、世界の価値観をめぐる戦争だ。ウクライナが勝利しなければ、戦争は欧州大陸の「次の国」に波及する。さらに、別の専制国家がこれを先例ととらえ、世界中で多くの戦争が継続されることになるだろう」(20日付朝日新聞デジタル)

 同氏は20日の日本外国特派員協会での記者会見でも同様の発言を繰り返しました。

「この戦争は専制か民主主義かの価値観をめぐる戦争」だとはすなわち、政治体制の価値観をめぐる戦争だということです。
 侵攻当初から、これはロシアとアメリカ・NATOの代理戦争だという見方がありましたが、日本政府などはそれを否定していました。しかし、シュミハリ氏の発言はまさに代理戦争であることを認めたものにほかなりません。

 「専制か民主主義かの戦争」という言説は誤っていると同時にきわめて危険です。

 第1に、ウクライナやそれを支援する国々が「民主主義」の国だというのは事実に反するプロパガンダです。

 アメリカや日本の反民主性を挙げれば枚挙にいとまがありませんが、現在のもう1つの焦点であるイスラエルによるガザ攻撃の問題に限っても、パレスチナ市民に対してジェノサイドを繰り返しているイスラエルを一貫して支持・擁護しているのはアメリカであり、日本もそれに追随してきたことは周知の事実です。

 忘れてならないのは、イスラエルのガザ攻撃をいち早く支持したのがウクライナのゼレンスキー大統領だということです。
 ゼレンスキー氏はガザ空爆が始まった10月7日に「イスラエルの自衛権は疑う余地がない」という声明を出し、翌8日にもネタニヤフ首相と電話協議し「連帯」を表明しました(10月28日のブログ参照)。

 第2に、「専制か民主主義かの戦争」論は、停戦を遠ざける危険性をもっています。

 シュミハリ氏は先の朝日新聞のインタビューで、「停戦交渉の席に着く条件は何か」と聞かれ、「唯一の道が、ゼレンスキー大統領が提唱する10項目の和平計画「平和フォーミュラ」の実現だ」と答えています。

 ゼレンスキー氏が提唱している「10項目」(写真右)には、「ロシア軍の撤退」だけでなく、「正義の回復」「世界秩序の回復」などが含まれています。松田邦紀駐ウクライナ特命全権大使は、これは「停戦を超えて新しい国際秩序まで視野に入れた提案」だと解説しています(22日のNHK国際報道2024)。ロシアがこれを飲むわけがありません・

 ゼレンスキー「10項目」の「実現」が停戦交渉の席に着く条件だというのは、「この戦争は、専制か民主主義かという、世界の価値観をめぐる戦争だ」という論理の帰結です。その立場に立つ限り停戦交渉が始まる余地はありません。

 この戦争は「専制か民主主義か」の戦争ではなく、ロシアと、ウクライナの後ろ盾のアメリカ・NATOの2つの軍事大国・軍事ブロックの戦争です。その犠牲になっているのがウクライナとロシアの市民です。日本は日米安保条約(軍事同盟)によって後者の陣営の一員として戦争に加わっているのです。

 この戦争を終わらせる(停戦)ためには、対立する両陣営のいずれでもない中立の第3極、すなわちグローバルサウスの国々による和平案を、国連総会などの場で国際世論が支持し後押しする以外にないのではないでしょうか。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「家族を取り戻す」ロシアで政権と闘う妻たち

2024年02月23日 | 国家と戦争
   

 ロシアでプーチン政権の弾圧に抗し、家族(夫)を戦場から取り戻そうとする妻たちのグループが運動を続けています。21日のNHK「国際報道2024」(BS、22日総合で再放送)が報じました。以下、番組から。

 運動している妻たちの会は、「プーチ・ダモイ(わが家への道)」。昨年8月から活動を始め、SNSの登録者は7万2000人にのぼります。デモのプラカードには「動員兵たちは家に戻るべきだ」と書かれています。

 会はマニフェストを発表しています。①部分動員の期限は招集から1年以内とする②国の指導部は問題を無視すべきではない―など。

 代表のマリア・アンドレエワさんは、「夫たちはすでに十分に責務を果たしたと思う。政権もそれを認めるべきだ」とプーチン政権を批判します。

 メンバーのひとりは、「子どもは1歳6カ月になるが、父親の顔を知らない。とても悲しい」と訴えます。

 ロシア政治の専門家は、「動員兵の妻たちはナワリヌイ氏の支持者でも、昔から体制を批判してきた人たちでもない。この運動はクレムリンにとって危険なだけでなく、この社会の機運がどこへ行くかを示す重要な指標でもある」と指摘します。

 「プーチ・ダモイ」を支持するジャーナリストは、「動員兵の妻たちはあらゆる手段で(社会の)変化をもたらそうとしている。戦争はすべての家族の生活に関わる問題。私たちの目的は、兵士たちを戦線から離脱させ戦争をやめさせること。できるだけ多くの人々を戦争に巻き込まれないようにすることだ」と強調します。

 当局が警戒を強める中、アンドレエワさんはこう言います。

「祖国のために喜んで死ねるほど国を愛せという。私はこの極悪非道の愛国主義に反対です」「(当局の弾圧は)正直に言えば怖い。でも、自分の良心と向き合い、いつか自分が何もしなかったと自覚することの方が怖い。娘から「お母さんは何をしたの?」と一生問われ続けることの方がもっと怖い」(写真右)

 以上が番組が報じた「プーチ・ダモイ」運動の概要です。

 ウクライナで広がっている「徴兵拒否」、兵士の人権擁護を求める運動(22日のブログ)も、ロシアの「動員兵の妻たち」の運動も、夫たちを戦場から家族の元に取り戻したい、という願いで一致しています。それが以前からの活動家たちの反戦運動ではなく、市井の妻たちが停戦を求めて声を上げている点も共通です。

 そこにあるのは、ロシアでもウクライナでも、「国・領土を守る」ためには兵士の犠牲はいとわないという「国家の論理」に対して、「人の命が第一。夫を1日も早く家族のもとへ」という「庶民の論理」の抵抗です。どちらの論理に立つのか。最も大切なものは何なのか。それが私たち一人ひとりに問われています。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする