アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「北朝鮮問題」に対するガルトゥング氏の「緊急提言」

2017年07月31日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

 北朝鮮の弾道ミサイル反射(28日)に対し、米空軍と航空自衛隊が30日、朝鮮半島沖で共同訓練を行いました。米軍はそのあと韓国軍とも共同訓練を行っており、アメリカを中心に米日韓が北朝鮮と軍事的に対峙する構図が鮮明になっています。

 この事態をどう見るべきか、日本は北朝鮮に対しどう臨むべきか、これまで以上に冷静な判断が私たちに求められているのではないでしょうか。

 その点で重要なヒントを与えてくれる本が「緊急出版」されました。「積極的平和主義」を提唱し(安倍首相のそれは名前だけ横領したまったくのまがいもの)、「平和学の父」といわれるヨハン・ガルトゥング氏(ノルウェイ)の『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社、2017年6月)です。

 「集団的自衛権」「構造的暴力」「平和運動への提言」など14の章からなる同著で、第6章が「北朝鮮ー理解不可能な国なのか?」です。

 ガルトゥング氏は「ピョンヤンで北朝鮮外務省の官僚たちと会談(2000年)」し、「日本との関係をどうすれば改善できるか、そもそも両国の関係はなぜこんなにこじれてしまったのか」と尋ねたところ、彼らは「問題と考える日本の行為」として6項目のリストを示しました。6項目とはーー。

 ●韓国・朝鮮人100万人の殺害または拷問(被爆者を含む)
 ●韓国・朝鮮人600万人の戦時徴用(20万人の「慰安婦」を含む)
 ●経済的略奪
 ●文化的宝物の押収または破壊
 ●在日韓国・朝鮮人が日本で置かれている状況
 ●米ソによる朝鮮半島分割に日本の植民地政策が及ぼした影響

 「リストされた問題は日韓併合の1910年までさかのぼり、彼らの抗議は日本が同化政策を行った全期間に及んだ」(ガルトゥング氏)

 さらにガルトゥング氏は、北朝鮮の核兵器保有について、「私は北朝鮮の核保有には5つの理由があると思う」として、こう述べています。

 「第1に、抑止力のため。第2に、攻撃されたときの反撃のため。(中略)
 第3、第4、第5の理由はもっと興味深い。第3に、彼らは核のない朝鮮半島を望んでいる。そのための交渉材料として核兵器を保有している。彼らは韓国に送り込んだ多数のスパイを通じて、米軍が韓国に核兵器を配備していることを知っており、場所も特定している。米国はそのような事実はないと否定し、韓国も米国の言いつけ通りに否定している。しかし私は、世界でーたとえばオーストリアでー米国が行っている核政策から推して、米国の発表を信じない。北朝鮮が交渉材料としての核を必要とする理由がそこにある。(中略)
 第4に、…北朝鮮は、自分たちには十分な国力があること、孤立無援ではないことを示すために核を保有しているとも考えられる。
 第5に、北朝鮮に対する外からの制裁や脅威が限度を超えたときに使用するために保有している」

 最後にガルトゥング氏は、「北朝鮮とどうつきあうか」として、次のように述べてこの章を結んでいます。

 「日本は北朝鮮に対する経済制裁に加わっているが、この制裁はまったく逆効果である。私は日本のどこかの非政府機関(NGO)に、北朝鮮と直接コンタクトを取って対話し、将来の関係のあり方を探り、制裁に代わる方法を模索してほしいと願っている。制裁を完全に無意味化するような物資やサービスを送ってほしいということではなく、可能なところから平和構築に向けた取り組みを始めてほしいということである」

 こうした氏の「分析・提言」をどう受け止めるか。私はほかの問題では氏に賛同できないところがあります(たとえば「安保(条約)は廃棄せず寝かせておく」という主張)が、「6項目のリスト」はなるほどと思います。それらはいずれも、日本が朝鮮に対して行った植民地政策の結果であり、日本(人)はその植民地政策について歴史的事実を明確にしたうえで謝罪し補償し教訓化するという義務・責任を果たしていないことは事実だからです。

 さらに、北朝鮮の核兵器保有(関連するミサイル発射)が、アメリカの朝鮮半島(東アジア)における核戦略に対する対抗(防衛)措置であるとの指摘にも同意します。

 そして、「(経済)制裁」は逆効果であり、(氏は直接触れていませんが)米日韓合同の軍事行動(「訓練」という名の圧力)が事態を悪化させることは確かです。
 ガルトゥング氏はNGOに期待していますが、私たち1人ひとりが「平和構築に向けた取り組み(世論形成を含め)」を始める必要があるのではないでしょうか。


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「朝鮮学校排除」に対する画期的判決と「ミサイル発射」

2017年07月29日 | 朝鮮・韓国差別とメディア

     

 朝鮮学校を高校無償化法の対象から排除している国(安倍政権)の措置は違法であるとする画期的な判決が28日、大阪地裁でありましたが、その半日後の同日深夜、北朝鮮が「弾道ミサイル」を発射し、メディアは「ミサイル」一色になりました。

 くしくも同じ日に起こったこの2つの出来事に、私たちはどう向き合うべきでしょうか。

 大阪地裁判決(西田隆裕裁判長)は、こう断じました(判決要旨より)。

 「下村博文文科相は、後期中等教育段階の教育の機会均等とは無関係な、朝鮮学校に無償化を適用することは北朝鮮との間の拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られないという外交的・政治的意見に基づき、朝鮮高級学校を無償化の対象から排除するため、高校無償化法施行規則の規定を削除したものと認められる。従って、規定の削除は…違法・無効と解すべきである」

 「国は、朝鮮高級学校が北朝鮮または朝鮮総連と一定の関係を有する旨の報道などを指摘して…朝鮮総連から「不当な支配」を受けているとの疑念が生ずると主張している。しかし、国の指摘する報道などの存在及びこれに沿う事実をもって、適合性に疑念を生じさせる特段の事情があるということはできない

 判決はまさに、「政権の思惑で教育行政をゆがめてはならないことを明確に指摘し、司法の独立性を示した」ものであり、「朝鮮学校が学校教育法に照らし…適法な学校であるとの認識を示しており、ヘイトスピーチなどへの一定の歯止めにもなるだろう」(新藤宗幸・千葉大名誉教授、29日付朝日新聞)と思われる画期的なものです。

 こうした判決内容は、裁判の民主的な進め方によってもたらされたものでした。
 「訴訟の進め方も異なっていた(国の言い分を追認した今月19日の広島地裁判決とはー引用者)。大阪地裁では原告である学校法人の理事長のほか、卒業生や元教員を証人として採用、当事者の訴えに耳を傾けた。広島地裁が、原告が求めた証人尋問を実施しなかったのとは対照的だった」(29日付「朝日」)

 判決後の報告集会で大阪朝鮮高級学校2年の女子生徒が「声を詰まらせながら語った」言葉を、私たちは正面から受け止める必要があります。
 「判決を聞き、自分たちの存在が認められ、この社会で生きていていいと言われた気がした」(29日付「朝日」)

 そんな喜びの中、朝鮮学校元教員の複雑な思いがありました。
 「元教員は北朝鮮のミサイル発射のニュースが流れる度に『また学校が批判される。もう撃たないでほしい』」と願う」(29日付毎日新聞)

 元教員の悲痛な声です。しかし、「北朝鮮のミサイル発射のニュースが流れる度に」、なんの関係もない朝鮮学校とその生徒たちを攻撃しているのはわれわれ日本人(日本社会)であり、それをたきつけているのが安倍政権です(写真右は29日未明)。

 さらに、北朝鮮の「ミサイル発射」の背景には朝鮮戦争休戦協定を無視したアメリカの武力挑発、米日韓合同の軍事行動があります。それを棚上げして北朝鮮を批判するのは道理に合いません。そして、「北朝鮮のミサイル」を口実に在日朝鮮人を攻撃するのは民族差別以外の何ものでもありません。

 大阪地裁判決が直接断罪したのは高校無償化をめぐる安倍政権の違法性ですが、それは北朝鮮に関する偏向報道をはじめ、日本社会の根深い差別性に対する警告ともとらえるべきではないでしょうか。


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相模原事件1年ー差別の背景・根源問い直そう

2017年07月27日 | 差別・人権・沖縄・在日

     

 相模原市「津久井やまゆり園事件」から26日で1年。事件の真相・背景はまだ何も明らかにされていません。ただ言えることは、この事件を「異常者」による特殊な事件と片づけることはできないということです。

 27日の地方紙各紙に載った「全国の知的障害者家族」への共同通信のアンケート結果(6月下旬~7月上旬実施、304家族回答)は衝撃的です。
 ●「事件後、障害者を取り巻く環境が悪化したと感じた経験があるか」との質問に「ある」と答えた家族は68%
 ●その具体的な経験は(複数回答)、「ネットなど匿名の世界での中傷」31%、「利用している施設・職員への不安」28%、「被告の措置入院歴から精神障害者への偏見」23%

 これを見る限り、事件を契機に障がい者・家族への理解が進むどころか、逆に差別・偏見は拡大しています。家族がいまだに被害者の実名を公表できない(写真中)のはこうした実態があるからです。

 何がこういう状況をつくりだしているのでしょうか。

 私たち1人ひとりが「内なる差別を問い直す」(27日付朝日新聞社説)ことの必要性は否定しません。しかしそれだけで状況は変わるでしょうか。
 「ネットなどでの中傷」やヘイトスピーチのように「外」に表象された差別も、「内なる差別」も、およそ差別がどうして生まれ、なぜなくならないのか。その背景・根源を問い直すことが今求められているのではないでしょうか。

 植松聖被告はメディアに宛てた手紙の中で、障がい者への偏見を強め殺害にまで至った動機(きっかけ)の1つに、「トランプ大統領の演説」への共感があったとしています(写真右)。障がい者には「金がかかる」とも言っています。
 もちろん単純な話ではありませんが、彼の凶行の背景に現代の弱肉強食の政治経済(新自由主義)があることは否定できないでしょう。

 問い直さねばならない「差別」はもちろん「障がい者差別」だけではありません。

 今月19日に広島地裁が不当判決で追認した高校無償化からの朝鮮学校の排除。まったくなんの責任もない生徒たちが平等権・基本的人権を蹂躙されている典型的な差別ですが、その背景には安倍政権・自民党の北朝鮮敵視政策があります。そしてその政策・判決が朝鮮人差別を助長します。

 沖縄に対する構造的差別が、歴代自民党政府によってつくられ、安倍政権によって拡大されているのは、辺野古新基地建設の強行をみても明らかです。

 市民の差別意識は差別的な政治・政策と一体不可分です。もちろん政治・政策だけが原因ではありませんが、それを問い直すことなしには、差別とたたかい(自らの「内なる差別」も含め)、差別のない社会をつくることはできないでしょう。

 地下鉄サリン事件から22年。「オウム事件」の真相・背景・深層はいまだに明らかにされていません。相模原事件で同じ轍を踏むことは許されません。


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「岩礁破砕差し止め訴訟」は有害無益。その4つの理由

2017年07月25日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 翁長雄志沖縄県知事は24日、安倍政権が強行する辺野古埋立工事に対し、「岩礁破砕差し止め訴訟」を那覇地裁に提訴しました。これは辺野古新基地阻止のたたかいの的から外れているばかりか、かえって有害となるものです。その主な理由は次の4点です。

 ① 新基地の是非を問い、埋立工事の差し止めを求める訴訟ではない

 翁長氏は提訴後の記者会見で、「手続き」「拙速」という言葉を何度も使い、「岩礁破砕許可はじめさまざまな行政手続きが必要」「政府の進め方の拙速さを訴えていきたい」(25日付琉球新報)と述べました。翁長氏が問題にしようとしているのは、「岩礁破砕」に対する政府の「手続き」の不備であり、「拙速さ」にすぎません。
 翁長氏自身記者会見でこう明言しています。
 「この訴訟は辺野古新基地建設の是非そのものを問うものではない」(25日付琉球新報)

 県紙もこう指摘しています。
 「今回、県が申し立てた訴訟は直接的に工事の差し止めを求めるものではない」(25日付琉球新報社説)
 「裁判の争点ははっきりしているが、本来問われるべき点は別のところにある。他府県では起こり得ないことがなぜ、沖縄で繰り返されるのか」(25日付沖縄タイムス社説)

 辺野古の現場でたたかいが精鋭化しているいま、新基地建設の是非を問わず、埋め立て工事の差し止めを求めないとは…。それは安倍政権と正面からたたう意思のない翁長氏の姿勢を象徴しています。

 ② 「勝訴」すれば工事を許可せざるを得ない

 翁長氏は記者会見で、「裁判で県が勝った場合、国が岩礁破砕申請を出せば許可するのか」と聞かれ、こう答えました。
 「行政手続きは厳正な審査をする。不法に止められる話ではない」(25日付琉球新報)

 「県は岩礁破砕許可は前回も認めた経緯があるため、今回も「審査に時間をかけることはできても、認めないという結論にはならない。最終的には認めざるを得ない」との見解が大勢だ」(25日付琉球新報「透視鏡」)

 岩礁破砕許可を認めることは、埋立工事にお墨付きを与えるようなものです。それが「撤回」の大きな障害になるのは必至です。「岩礁破砕許可」と「埋立承認撤回」が矛盾することは明らかだからです。「勝訴」の結果がこれです。こんな訴訟が有害でなくてなんでしょうか。

 ③ 工事が中断しないまま時間が経過し、工事が進行する恐れが大

 そもそも今回の訴訟は、「法律上の訴訟に当たらないとの最高裁判決(宝塚パチンコ事件)が出ており、県の請求が門前払いされる恐れも指摘される」(25日付琉球新報)ものです。
 県は工事を一時的に止める「仮処分命令」を同時に申し立てています。この点について記者会見で「仮に仮処分が認められなかった場合、工事は進むが対処策は」と聞かれ、県弁護団の宮國英男弁護士はこう答えました。
 「仮に通らなかい場合は通らない理由や決定が出る。それをみながら県と連携しながら考えたい」(25日付琉球新報「一問一答」)。打つ手はない、ということです。

 ④ 「撤回」棚上げのアリバイづくり

 記者会見で「仮処分が認められなかった場合、判決まで工事が進む。埋め立て承認撤回など工事を止める戦略は」と聞かれた翁長氏はこう答えました。
 「どういう結果になるかを前提に話はできない。撤回は行政法学者や弁護士と相談し、視野に入れながら議論している」(25日付琉球新報「一問一答」)

 何度(何年前から)同じセリフを聞かされていることでしょうか。翁長氏の「視野に入れながら議論」とは、「棚上げ」のことです。翁長氏は少なくとも今回の訴訟の判決が出るまでは「撤回」はしないと言っているのです。つまりこの訴訟は「撤回」棚上げのためのアリバイづくりにほかなりません。ここにこの訴訟の有害性が端的に表れています。

 繰り返し主張してきたように、埋立工事を直ちに止め、新基地建設を阻止するために安倍政権と正面からのたたかう手段は、直ちに「承認撤回」し、全国の世論を高める以外にありません。

 「仮に県が勝訴しても、埋め立て承認がなされている以上、国が岩礁破砕許可を申請すれば法的には最終的に許可せざるを得ず、新基地建設を阻止することは困難だろう。…新基地建設を止める決め手になるのは、むしろ知事による埋め立て承認の撤回である」(武田真一郎成蹊大教授、25日付沖縄タイムス)

 武田氏は「撤回が必要であることを明らかにするためには、沖縄県民が県民投票によって民意を示すことが不可欠」(同)としていますが、それは違います。

 翁長氏は知事選の政策発表記者会見で「撤回は…その(承認)後の新たな事象で撤回するということですが、知事の埋め立て承認に対して、県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になると思います」(2014年10月22日付しんぶん「赤旗」)と明言し「撤回」を公約しました。

 さらに当選直後の県議会でも、「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になると思う」(2014年12月18日付琉球新報)と答弁しました。

 知事選とその後の各種選挙で示された民意で「撤回」はできる、というのは撤回問題法的検討会(新垣勉弁護士、仲地博沖縄大学長ら)が翁長氏に提出した「意見書」(2015年5月1日)でも強調されています。

 時間と手間のかかる(その間も工事は進行!)県民投票など必要ありません。「撤回」は今すぐできます。すべきです。安倍政権の支持率が急落し、政権が剣が峰に立っている今こそ「撤回」の好機です。

 なお、琉球新報と沖縄タイムスの25日の社説が、「撤回」についてともに一言も触れていないのは、両紙の見識を疑わせます。
 


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「共謀罪」を先取りする安倍政権(沖縄防衛局)の報道圧力

2017年07月24日 | 政権とメディア

     

 「本土」ではまったく報道されていませんが、安倍政権(防衛省)による言語道断の報道干渉・圧力が、沖縄で起こっています。「共謀罪」法適用の危険もあり、ことは重大です。

 経過はこうです(琉球新報=以下新報、沖縄タイムス=以下タイムスの報道から)。

 7月14日 新報とタイムスが、安倍政権が進めている辺野古新基地建設の護岸工事現場付近でサンゴが破壊される恐れがあるとの記事を、市民団体提供の写真とともに掲載(写真左は新報)。

 7月19日 新報とタイムスが、米軍北部訓練場(東村、国頭村)に新設されたヘリパッドで、オスプレイの離着陸によって芝生が焦げている実態を、「読者提供」の写真とともに掲載(写真中は新報)。

 7月20日 沖縄防衛局が上記の報道(2枚の写真)について、「臨時制限区域内、提供施設区域内で不法に撮影されたもので大変遺憾」「報じるにあたっては情報が不法行為で得られたものではないかを精査し、適切な措置をとることを要望する」とする文書を、県政記者クラブ加盟各社に送付

 7月21日 タイムスが「読者の知る権利にかなうものと判断し報道した」とする自社のコメントを掲載。

 7月22日 新報が普久原均編集局長名で「指摘の写真はいずれも…読者・県民に伝えるべき重要な情報だと判断した。…危険性には十分配慮しつつ、今後も報道していく」との談話を掲載。

 沖縄防衛局の行為には多くの問題があります。

 ① 防衛局がクレームをつけた2枚の写真は、新報、タイムス両紙が反論している通り、辺野古新基地建設やヘリパッドの現状を伝える貴重な情報であり、報道は当然。それを防衛局が「遺憾」とするのは、「報道の自由」「国民の知る権利」に対する国家権力(安倍政権・防衛省)の露骨な攻撃である。

 ② 防衛局「文書」が「報じるにあたっては…」などというのは、今度の報道にまで口をはさむものであり、報道・メディアに対するあからさまな干渉・圧力である。

 ③ そもそも沖縄の米軍基地は米軍が「銃剣とブルドーザー」で暴力的に奪ったものである。そのうえさらに日米両政府は県民の反対を無視して新基地を造ろうとしている。その安倍政権が沖縄の市民活動(写真撮影)、報道にクレームをつけ圧力をかけるなど盗人猛々しいにもほどがある。

 ④ 防衛局「文書」が「不法に撮影された」というのは、日米安保条約・日米地位協定に基づく基地内立ち入り禁止のことと思われるが(写真右はキャンプ・シュワブのフェンスの「立ち入り禁止」掲示)、「報道の自由」「国民の知る権利」は日本国憲法に基づく基本的権利である。どちらが優先されるべきかは言うまでもない。防衛局「文書」は憲法よりも日米安保・地位協定を上におく安倍政権の反憲法・対米従属姿勢を露わにしたものである。

 ⑤ 「共謀罪」法は「277の罪」が対象とされるが、その中には「刑事特別法―軍用物の損壊等」が含まれている。安倍政権が今回の写真撮影・報道に「共謀罪」を適用し(あるいは適用の脅しをかけ)、市民の活動と報道を抑圧する(あるいは自粛させる)危険性がある。

 新報、タイムスが防衛局に反論し、今後も読者・県民の立場に立った報道を続けると言明していることはきわめて正当であり、断固支持します。(ただ、普久原編集局長の談話にある「危険性には十分配慮しつつ」がどういう意味なのか、注視したいと思います)

 同時に、これは言うまでもなく両紙だけの問題ではありません。防衛局が「文書」を県政クラブ加盟各社に送付したことに端的に示されているように、両紙をやり玉に挙げることによって沖縄のメディア全体に脅し・圧力をかけるのが防衛局の狙いです。
 県政記者クラブは自らの問題として、共同して、防衛局の不当な干渉・圧力に抗議し、「抗議声明」を発表すべきです。

 さらに言うまでもなく、これは沖縄だけの問題ではありません。全国紙はじめ「本土」メディアはこの問題を報道すべきです。そして、「本土」の私たちも安倍政権(防衛省)に対し抗議・批判の声を挙げねばなりません。


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問題は稲田防衛相より「自衛隊の暴走」

2017年07月22日 | 自衛隊・軍隊

     

 自衛隊の「南スーダン日報隠ぺい」をめぐるメディアの報道・論調は焦点がズレていると言わざるをえません。

 稲田朋美防衛相がとっくに罷免されていなければならない人物で、隠ぺい問題でも責任が問われることは言うまでもありません。しかし、稲田氏が隠ぺいの報告を受け了承していたかどうかはことの本質ではありません。稲田氏のクビが飛ぶかどうかなどたいした問題ではありません。一連の経過の中でポイントは次の点です。

 2016年12月2日 情報公開請求に対し防衛省が「日報は陸自で廃棄済み」として不開示を決定
    12月26日 統合幕僚監部に電子データで保管されていることが確認
 2017年1月17日 岡部俊哉陸上幕僚長陸自内でデータが保管されていると報告
      2月15日 黒江哲郎事務次官岡部陸幕長の協議で隠ぺいを決定。稲田氏が了承(稲田氏は否定)

 以上から明らかなのは、日報の隠ぺいは一貫して自衛隊(統幕、陸自の制服組と次官=背広組)の独断専行によって行われてきたということです。
 「報告を受けていない。了承していない」という稲田氏の言い分が事実でも、「報告したが稲田氏は何も言わなかったので了承されたものと思った」という自衛隊幹部の言い分が事実でも、防衛大臣は据えものであって実質決定は自衛隊によって行われたことに変わりはありません。

 自衛隊法(第2条第1項)によれば、事務次官はじめいわゆる背広組も「自衛隊」の一員です。
 水島朝穂早稲田大教授は今回の経過を「『シビリアンの暴走』ではないか」(20日付中国新聞=共同)と指摘していますが、文官(背広組)も自衛隊の一部であることから制服組と背広組をあえて分けるより「自衛隊の暴走」ととらえるべきでしょう。

 今回の「自衛隊の暴走」は、防衛相が稲田氏だったから起きたことでしょうか。いくら稲田氏が無能だといっても、けっしてそうとは言えないでしょう。今回は陸自にデータが残っていることが報道されたために問題が表面化しましたが、そうでなければ当初発表の「廃棄済み」で、日報も「戦闘」の事実も隠ぺいされたままになっていたでしょう。

 自衛隊が派遣先(PKOであろうと米軍との共同行動であろうと)で何をやり、何を隠ぺいしたかを、国会(政治家)が確認することは不可能です。自衛隊の「シビリアンコントロール」など絵空事にすぎません。自衛隊が海外派兵されるようになった今日、それはますます明らかです。
 自衛隊(軍隊)は暴走・独断専行するものであり、それはきわめて重大な結果をもたらす。それが明らかになったことが、今回の「日報隠ぺい問題」の焦点ではないでしょうか。

 安倍政権は憲法第9条に「自衛隊」を明記する改憲を目論んでいますが、万一そうなれば自衛隊の暴走・独断専行に拍車がかかるのは目に見えています。
 憲法違反の対米追従軍隊である自衛隊は解散(災害救助の別組織に改組)するしかありません。
  


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差別助長する「朝鮮学校無償化除外」の不当判決

2017年07月20日 | 朝鮮・韓国差別とメディア

     

 朝鮮学校(高級部は全国11校、約1400人)が高校授業料無償化(2010年施行)から除外されているのは憲法違反の不当な差別だとして、広島朝鮮学園の在校生・卒業生ら109人が国を訴えた裁判の判決が、19日広島地裁でありました。
 判決(小西洋裁判長)は国の言い分に追随し朝鮮学校の無償化除外を追認するきわめて不当な判決でした。同様の裁判は大阪、愛知、福岡、東京でも行われていますが、判決が出たのは広島が初めてです。

 このニュースをNHKは「全国ニュース」ではまったく扱いませんでした。広島で販売されている全国紙では朝日新聞が社会面で大きく扱っていますが、中国新聞も第2社会面3段の地味な扱いです。全国の新聞はどうでしょうか(沖縄の県紙が2紙ともまったく報じていないのは重大です)。
 メディアのこの問題に対する過小評価・軽視自体が、日本社会の病理を映し出しているようです。

 憲法は「法の下の平等」(第14条)を明確に規定しており、この裁判は「法的にはまったく負ける要素のない裁判」(足立修一弁護団長)でした。それが敗訴になったのは、裁判所が憲法判断を避け、政府に追随し、「朝鮮総連との関係」から無償化に伴う支援金が適正に使われるかどうか懸念がある、というきわめて政治的な判断を行ったからです。

 「支援金の適正な使用」については、広島朝鮮学園の金英雄理事長兼校長が裁判の中で、「適正に学校運営に務めている。今からでも朝鮮学園を訪問してください」と訴えましたが、裁判長は聞く耳を持ちませんでした(在日本朝鮮人人権協会「人権と生活」第44号)。

 判決がいかに政府・安倍政権に追随した政治的判決であったかは、経過を見れば明らかです。
 
 2010年4月 高校無償化法施行
  同 11月 北朝鮮の韓国・大延坪島砲撃を理由に菅直人(民主党)首相が朝鮮学校の指定凍結を指示
 2012年12月 第2次安倍政権が発足し、下村博文文科相が拉致問題や朝鮮総連との関係を口実に朝鮮学校を無償化の対象としない方針を表明
 2013年2月 安倍政権が「北朝鮮の核実験」を理由に朝鮮学校の適用を想定した高校無償化法の文科省令の規定を削除

 朝鮮学校は一貫して日本政府(安倍政権)の「朝鮮敵視」政策の犠牲になってきたのです。
 
 朝鮮学校に対する差別は、安倍政権の偏狭ナショナリズムと一体です。

 <二〇〇六年(第1次安倍政権ー引用者)には「教育基本法」が全面改訂され、「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心」の育成を教育行政の基本の一つとすることが盛り込まれた。その後も、リーマンショックや政権交代、東日本大震災、中国・韓国との領土をめぐる確執や北朝鮮の核実験など、政治・経済・外交の混迷がつづくなかで、人びとはますます内向きとなり、一部には狭隘なナショナリズムを振りかざした他者排撃の気分も立ちこめている。そうした機運は、自治体が独自に与えてきた朝鮮学校に対する補助金の削減や、朝鮮高校などに対する政府の就学支援金対象からの除外など、自治体や中央政府の在日朝鮮人政策にも少なからず影を落としている。>(水野直樹・文京洙著『在日朝鮮人ー歴史と現在』岩波新書)

 さらに、わたしたち日本人は、そもそも朝鮮学校とは何かを考える(知る)必要があります。

 <植民地支配の結果として、日本には二〇〇万人を超える朝鮮人が住み、その子どもたちは、朝鮮語を受け継ぎ朝鮮人としての民族意識を保持することも困難な状況に置かれていた。解放された(1945年8月15日ー引用者)朝鮮人は人間としての尊厳を取り戻し、奪われた言語、文化、歴史を取り戻すために、「金のあるものは金を、力のあるものは力を、知恵のあるものは知恵を」というスローガンの下、日本各地に「国語(朝鮮語)講習所」を設けた。それが今日の朝鮮学校の「原点」である。

 日本の社会、特に教育界の中では「民族教育」という用語は、在日朝鮮人の民族教育だけを指す意味で用いられてきた。その背景には、日本の学校で行われている教育も日本人を育てる日本の「民族教育」であることを意識せず、日本のみが価値があるという植民地時代から継続する帝国意識がある。植民地支配の歴史の清算が必要である。>(佐野通夫こども教育宝仙大学教授、「人権と生活」第42号)

 日本の政治・社会に根深く残る清算されざる植民地主義・帝国意識。それが朝鮮学校はじめ在日朝鮮人に対する差別、北朝鮮に対する予断と偏見の根源であることを、わたしたち日本人は自分のこととして考える必要があります。


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「海の日」になぜ天皇は横浜に帆船を見に行ったのか

2017年07月18日 | 沖縄と天皇

     

 きのう17日は「海の日」。この日天皇・皇后は帆船「日本丸」を視察(というより眺める)ために横浜へ行きました(写真中)。
 それほどメジャーでもない「祝日」のために、なぜわざわざ横浜まで行ったのでしょうか。そこには、「海の日」と天皇制の密接な関係があります。

 「海の日」は、「海洋国家として広く国民に海への理解と関心を求めるという趣旨で1996年に制定された国民の祝日。当初は7月20日だったが、2003年から7月第3月曜日に変更された」(『記念日・祝日の事典』)と説明されますが、その起源は、帝国日本が太平洋戦争に突入した1941年に制定した「海の記念日」です。

 なぜ7月20日が「海の記念日」になったのか。その理由はさらに半世紀以上さかのぼります。
 1876年(明治9年)、明治新政府下で天皇制の浸透を図るため、明治天皇は北海道・東北を「巡幸」しました。そして横浜に無事帰ってきたのが、7月20日でした。

 このとき、明治天皇が乗った船は当時灯台巡視船だった帆船「明治丸」です(ちなみに「明治丸」という命名は伊藤博文が行ったといわれています)。天皇が軍艦以外の船で「巡幸」したのはこれが初めて。以後、「海洋国家」は富国強兵の旗印になりました。

 こうして「明治」の天皇制政府・富国強兵にとって重要な意味をもつ日となった「7月20日」を、「昭和」の天皇制帝国日本が太平洋戦争に突入する1941年に「海の記念日」に制定したのはけっして偶然ではありません。

 そして「平成」のいま、天皇明仁は現役を退いた「明治丸」の代わりに、同じく戦前から半世紀以上練習帆船として1万人以上の船員を養成した「日本丸」を、明治天皇が帰還した横浜港まで見に行ったというわけです。

 ところが、「明治丸」と天皇制国家をめぐる歴史はこれだけでは終わりません。

 明治天皇の「東北巡幸」から3年後の1879年3月27日、明治政府は軍隊400人、警官160人とともに松田道之を琉球に派遣し、琉球王尚泰を暴力的に東京に連行しました(写真右)。明治政府の最初の海外侵略、いわゆる「琉球処分」です。

 このとき、松田と軍隊・警察を琉球へ運び、尚泰王を東京へ連れ去った船が「明治丸」だったのです。

 「海の日」(「海の記念日」)にこんないきさつ・歴史があることを知る人は多くないでしょう。天皇・皇后が「海の日」に横浜に「日本丸」を見に行ったことに、ほとんどの人は関心すら払わないでしょう。それは健全なことです。
 ただ、日本の「祝日」はほとんどが天皇制・神道とかかわっています。そのことを知っていても知らなくても、意識してもしなくても、それが天皇制を浸透させる明治以降の国家権力の戦略であることは銘記される必要があるでしょう。


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辺野古の現場から③ 「本土の日本人」にとって「辺野古」とは何か

2017年07月17日 | 沖縄・安倍政権・翁長知事

     

 「本土の日本人」は「辺野古」にどう向き合うべきなのか。今回の「辺野古」行きであらためて考えさせられました。

 キャンプ・シュワブゲート前の「休憩テント」で待機中に行われた参加者のスピーチから、お二人の発言(概略)を紹介します。いずれも「本土」からこられた方です。

 Aさん(男性)「私の父は戦時中、兵士として沖縄へ派遣される予定でしたが、幸い船が故障して沖縄に行かずにすみました。私の出身地・北海道から沖縄へ送られ戦死した人の割合は他府県に比べ大きいです。これは明らかに差別です」

 Bさん(女性)「夫婦で沖縄の旅を楽しみましたが、最後の2日は沖縄の人のためにがんばりたいと思って(辺野古に)来ました」

 いずれも大きな拍手を受けました。しかし、私はドキッとしました。
 お二人とも「沖縄」に対する熱い連帯の気持ちがあり、実際にそれを行動で示されています。多くの「本土の日本人」が「辺野古」に見向きもせず、まして現地へ行こうとなどとはしない中で。だから沖縄の人々に歓迎されたのでしょう。

 しかし、そんな意識の高い人たちから、こうした言葉がふつうに出てくることに、厳しい現実を目の当たりにする思いでした。

 沖縄に派遣されず沖縄戦で犠牲にならずにすんだのは確かに「幸運」だったかもしれません。では逃げることもできなかった沖縄の住民は?沖縄に多く派遣されたのが「差別」なら、沖縄とは何?そもそも沖縄戦とは?

 辺野古の埋め立て・新基地建設に反対するのは「沖縄の人のため」?
 
 もちろん、私にお二人の言葉(まして短いスピーチ)をとやかく言う資格はありません。ただ、辺野古新基地はじめ沖縄の基地に反対することが、「沖縄の人のため」だと考える(つい口に出る)ことは、大きな誤りであることは言わねばなりません。

 面積0・6%の沖縄に70%の米軍専用施設(基地)が集中しているのは、敗戦確実な中、天皇制(国体)護持のために沖縄が「捨て石」にされた結果であり、さらに「天皇メッセージ」(1947年)によって日米安保条約と引き換えに沖縄が米軍に差し出された結果です。さらに言うなら、明治天皇制政府の武力による「琉球処分」(1879年)以来の「構造的差別」の結果です。
 この「沖縄差別」が存続・強化されている責任は、私も含め、すべての「本土の日本人」にあります。
 辺野古新基地に反対することは「本土の日本人」自身の責任です。日常的な差別の犠牲の上さらに反対運動で多大な犠牲を被っている沖縄の人々に対し、私たち「本土の日本人」は申し訳ないと頭を下げねばなりません。

 では、「本土の日本人」は何をすべきなのか。

 普天間の代替基地は県外(本土)に移すべきだという「県外移設」論、これに呼応して「本土」の側からは「基地は本土に引き取るべきだ」という意見と運動があります。私は「県外移設」論にも「引き取る」論にも賛成ではありません(理由は別の機会に)。以前そのことを琉球新報に投稿したところ、「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」代表の里村和歌子さんから厳しい反論が投稿されました。

 「沖縄の人たちの身を切り刻ませているのは誰か。それは…すべての日本人だ。私たちは責任主体として県外移設の提言に真摯に向き合うべきだし、自らおぞましい加害者としての姿を目をかっぴらいて見つめるべきだ。そしてこの議論は「本土」でしていかなければならない

 私は今でも「県外移設」「引き取る」論には賛成ではありません。しかし、里村さんのこの指摘には全面的に同意します。「辺野古」を含め沖縄の基地をどうすべきなのか。それは「本土」でこそ議論しなければならない、「本土の日本人」自身の問題です。

 


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辺野古の現場から② たたかいが生きるのは翁長知事が「撤回」してこそ

2017年07月15日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 前回の「辺野古から①」に補足します。
 「島ぐるみ会議」などが毎朝運行している辺野古行きのバスは、だれでも利用できます。そしてもちろん、現地へ行ったからといってみんなが「座り込み」などの反対行動に参加しなければならないわけではありません。

 行きのバスの中で行われた現状報告(学習)で強調されたのは、「工事はまったく順調には進んでいない」ということでした。
 K9といわれる現場での護岸工事は100㍍伸びたところでストップしています。消波ブロック(テトラポット)は全部で約56000個必要だとされていますが、現在約100個投入されたところです。「工事が進行しているように言われるのは、反対しても無駄だと思わせるため。本土では工事の実態がまったく報道されていない

 だからこそ、まだ間に合う、今が重要なのだと痛感しました。

 「初めて参加した本土の人」として、私にもマイクが回ってきました。考えていることを率直に述べましたが、その瞬間、バスの中の空気が変わりました。「翁長知事はどうして埋立承認を撤回しないのか理解できない。撤回は選挙公約だったはず。撤回すれば工事は止まるのに」と言ったからです。

 それまでの和気あいあいの雰囲気から一転張り詰めた空気に。そして私に対して質問がされました。「撤回すればどうして工事が止まると言えるのですか」。さらに、帰りのバスでは、別の人から、「知事はなぜ撤回しないのかと言われたが、翁長さんはまったくぶれていない」と私への反論がなされました。

 バスを主催した「島ぐるみ会議」は明確な翁長支持。そのバスに乗った「本土」の人間が翁長氏を公然と批判したのですから、異論・反論は当然でしょう。
 しかし、私は今回辺野古の現場に行って、「座り込み」と「引き抜き」を間近に見て、あらためて確信しました。現場のたたかいだけで新基地建設を止めることはできない。知事権限の行使と一体となってこそ現場のたたかいが生きてくる。今行使すべき知事権限とは、いうまでもなく「埋立承認撤回」を直ちに行うこと。

 翁長氏はこの日(12日)、東京に出張し、大型MICE施設の財源支援を鶴保沖縄担当相に要請しました(写真右。13日付沖縄タイムスより)。翁長氏は、自民党の二階幹事長や西銘恒三郎衆院議員ら政権与党にも協力を依頼しました。記者団に「頑張りなさいなどと前向きな回答だった」(13日付沖縄タイムス)と語っています。

 知事だから経済問題で政府に陳情することはもちろんあるでしょう。しかし、自民党にまで頭を下げる必要はありません。まして、この政府・自民党との面会の中で、辺野古の埋め立て(違法工事)については一言も触れていません。現場との”温度差”は歴然としています。

 辺野古の現場でたたかっている人びとの多くは60代以上の高齢者です。文字通りの命がけのたたかいにはただ尊敬と感謝しかありません。繰り返しますが、そのたたかいが生かされるのは、県知事・翁長氏の「承認撤回」があってこそです。

 毎日辺野古の現場に投入されている労力の10分の1でも県庁と県議会へ向け、翁長氏と県政与党に対し、直ちに「承認撤回」を行うよう働きかけるべきです。


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