アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「コロナ後社会」に「リニア」はいらない

2020年06月30日 | 感染症と社会・生き方

    
 リニア中央新幹線の建設をめぐる静岡県・川勝平太知事とJR東海・金子慎社長の会談(6月26日、写真右)は不調に終わりました。「リニアよりも(大井川の)水」という川勝知事の主張はきわめて当然です。ただ、川勝氏も「リニアそのものには反対ではない」と言っていますが、リニア自体、不要であるばかりか弊害物以外の何物でもありません。それは「コロナ後」の社会においていっそう明確です。

 そもそも膨大な経費がかかるリニアは、安倍政権の特別の優遇措置があって動きだした計画です。
 「安倍政権は、JR東海が低金利で資金調達できる環境を整えるなどしてリニアの早期整備をサポートしてきた。…財政投融資で調達した3兆円を融資している」(6月27日付共同配信)

 この優遇の背景には、JR東海のドン・葛西敬之名誉会長と安倍首相の特別の関係があります。産経新聞「正論」の常連執筆者でもある葛西氏は、思想的にも安倍氏と近く、たびたび会食するなど、安倍氏を支える財界人の1人です。リニアはいわば安倍人脈事業の1つです。

 「コロナ」との関係では、2つの視点からリニアを見直す必要があります。

 1つは、「東京一極集中」の是正です。

 「新型コロナウイルスはこの社会のシステムの欠陥を明らかにした。被害の特徴は公害と似ている。公害は年少者・高齢者・障碍者等の生物的弱者と社会的弱者に集中するので、自主責任に任せず社会的救済が必要である。…(コロナ対策も―引用者)まずは公衆衛生を軸とする医療体制の改革であるが、根底は被害を深刻にした東京一極集中の国土と文明の変革である。(中略)
 大東京圏をこのままにすれば、国土の社会経済の破綻は避けがたいことが今回はっきりした。…国土の環境を破壊し大東京圏集積を進めるリニア新幹線建設をまず、中止するべきではないか」(宮本憲一大阪市立大名誉教授・環境経済学、「図書」6月号岩波書店)

 「私は『都市集中から地方分散へ』という方向こそが、アフターコロナの日本社会を考える上で最も重要な軸になると考える。
 しかもこの場合、分散型という方向性は、東京一極集中の是正といった、国土の空間的構造のみに関わるものではない。…いわば、個人の生き方や人生デザイン全体を含む、包括的な意味での『分散型』社会だ」(広井良典京都大こころの未来研究センター教授、6月20日付中国新聞=共同配信)

 「東京一極集中」の弊害は、日々発表される東京の「新規感染者数」を見るだけで明白でしょう。

 もう1つの視点は、自然環境破壊からの脱却です。

 「パンデミックの根本的な原因は人間の環境破壊だ。その結果、逃げ場を失って人里に出て来た野生動物や人間が野生動物の聖域に入り込み、捕まえた野生動物を食べることによって未知のウイルスに感染した。…人間が短期的な利益目的でその多様な生態系を破壊した結果、新型コロナウイルスのような人間に都合の悪いウイルス誕生した。(中略)
 農耕革命以来、自然を操作して便利で、快適で、物質的に豊かな暮らしを続けてきた人間にとって大きな試練だ。この試練を有効に使い、どのように自然と付き合っていくかを真剣に考え、生き方を変えていかなければいけない」(関野吉晴武蔵野美大名誉教授・人類学・探検家・医師、『新型コロナ19氏の意見』農文協編)

 東京と名古屋を「40分」で結ぶ必要が、大企業の経済効率性以外に、どこにあるのでしょうか。全長の9割をトンネルにするほど人間の身勝手な自然環境破壊があるでしょうか。リニアの環境破壊が、大井川の水だけでなく、中部日本の生態系に重大な変化をもたらすことは必至です。
 リニアはきっぱり中止すべきです。問われているのは、私たちの「生き方」の転換です。


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「コロナ禍」の都知事選・民族差別に対する姿勢を争点に

2020年06月29日 | 都知事選

    
 「コロナ禍」の中で行われる首都・東京の知事選には、特別の争点があるのではないでしょうか。「コロナ対策」の是非だけではありません。あらゆる差別のない社会をめざす、とりわけ民族差別に対する姿勢・思想が問われるべきではないでしょうか。

 関東大震災(1923年)に乗じた朝鮮人大虐殺の犠牲者を追悼する9月1日の集会(写真中)に対し、小池百合子知事が主催団体に「管理上支障になる行為は行わない」などとする「誓約書」を要求している問題(5月25日のブログ参照)は、その後、山田朗明治大教授ら学者・文化人117名が抗議声明(6月11日)を出すなど、小池知事に対する批判の声が広がっています。
 しかし小池氏はいまだに方針を撤回しようとしていません。

 歴代都知事は、9月1日の追悼集会に「追悼文」を送ってきましたが、小池氏が知事に就任して2017年からそれを取りやめていることは周知の事実です。

 そもそも小池氏は、都知事就任後初の定例記者会見で、「都有地を韓国人学校の用地として有償貸与する計画について『白紙に戻す』と明言」(2016年8月6日付毎日新聞)しました。

 小池氏のこうした一貫した韓国・朝鮮人敵視は、たんなる個別問題ではなく、根っからの右翼・レイシズム思想に根源があります。

 小池氏は自民党代議士時代、右翼・改憲団体「日本会議」の思想の実現を目指す「日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)」の副会長を務めました。

 また、日本の侵略戦争・植民地支配の歴史的責任を隠ぺいする「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーでもありました。

 歴史修正主義者で韓国・朝鮮への敵視をむき出しにしている安倍晋三首相には思想的・政策的に親近感を持っています。2017年5月11日、小池氏は都知事として安倍氏と会談しています(写真右)が、「小池氏周辺によると、会談の申し入れは約10日前。憲法改正を巡る首相の一連の発言に賛意を示した小池氏が『直接会って、支持を伝えたい』と要望したものだったという」(2017年5月12日付日経新聞)と報じられています。

 一方、宇都宮健児氏(写真左)は弁護士・日弁連会長として、一貫して差別の根絶に尽力してきました。

 安倍首相が棚上げを図る植民地支配時代の強制動員(「徴用工」)問題でも、宇都宮氏は昨年9月、ソウルで行われた「日帝強制動員問題の争点と正しい解決の模索に向けた共同シンポジウム」に出席し、特別演説を行いました。
 この中で宇都宮氏は、「報復的な輸出規制を直ちに撤回し、韓国政府と協力して強制動員被害者の救済を図るべきだ」と強調しました(2019年9月6日付ハンギョレ新聞電子版)

 ハンギョレ新聞は、「宇都宮元会長は2010年、大韓弁護士協会と共同宣言を発表し、日本軍『慰安婦』と強制徴用被害者の救済及び被害の回復に向けた措置に乗り出すことを両国政府に求めるなど、日帝強制占領期(日本の植民地時代)の被害者賠償問題に長年取り組んできた」(同)と紹介しています。

 小池氏と宇都宮氏の対照性は際立っています。あらゆる差別のない社会の実現がとりわけ求められているとき、どちらが首都・東京の知事にふさわしいかはあまりにも明白ではないでしょうか。


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日曜日記103・「専門家」の矜持と使い捨て・外国人就学と可児市

2020年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「専門家」を使い捨てする安倍政権

 24日、西村経済再生担当相は会見で、突然「専門家会議の廃止」をぶち上げた。自民党幹部の中でさえ寝耳に水と戸惑いが出ている。またしても官邸(安倍と側近グループ)の独断専行だ。

 これは、「専門家会議」の使い捨てに他ならない。あれほど「専門家」「専門家」と言って矢面に立たせ、首相記者会見にまで同席させておきながら、用済みになったら切り捨てる。いかにも安倍晋三のやりそうなことだ。

 今回の場合は、用済みというより、「専門家会議」が政権にとって都合の悪い存在になりかけているからだ。
 「専門家会議」のメンバーは24日記者会見し、こう述べた。「(これまで)専門家会議が政策を決定しているような印象を与えた」「政府との関係性を明確にする必要がある」(27日付共同配信)

 これまで安倍政権のいいなりになってきたが、やはりそれはまずい、といういわば「専門家会議」の自立宣言だ。安倍はそれが気に食わない。だから切り捨てる。国家権力とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、安倍の狡猾さ、醜悪さをあらためて見せつけられ、唾棄したい気分だ。

☆「専門家」の責任感・矜持はあったのか

 だが、「専門家会議」のメンバーにも言いたい。これまで(24日の記者会見まで)あなたたちに「専門家」としての責任感や矜持はあったのか?

 別の報道では、これまで「専門家会議」の名前で出してきた意見書には、安倍政権の意向(指示)で、削除したり表現を変えた個所があったという。とんでもないことだ。
 「専門家会議」が議事録をつくっていない問題もそうだ。不都合な真実は隠すという安倍の常とう手段の一つだが、「専門家」たちはそれを不承不承(?)でも受け入れてきた。

 政権の意向で自らの見解と異なることを意見書に書いて発表する。議論の過程を記録に残さない。いずれも学者・研究者、いわゆる「専門家」として、ありえない、絶対にやってはいけないことだ。それを半年近く続けてきたのが、あなたたち「専門家会議」ではなかったいのか。そこに学者・研究者としての責任感・矜持はあったのか。

 24日の記者会見はそうした「反省」を踏まえたものだろうが、もっと明確に自己批判すべきだ。そして安倍政権の圧力・横暴を詳細に明らかにして告発すべきだ。それが「専門家」の責任ではないか。

☆外国人生徒就学に取り組む可児市の教訓

 27日夜のNHK・ETV特集「すべての子どもに学ぶ場を」。外国人生徒の不就学問題に先進的に取り組んでいる岐阜県・可児市の蘇南中学校が紹介された。そこには多くの問題と貴重な教訓がある。ここでは1つだけ書く。

 それは可児市、蘇南中が外国人生徒に寄り添う取り込みを始めたきっかけが、2003年に小島祥美さん(当時大阪大院生、現愛知淑徳大教授)と各務真弓さん(当時日本語教室、現可児市職員)が行った実態調査だということだ。
 市内の外国人世帯を1軒1軒回り、実態を調べ要望を聴き取った。日本語が分からず「非行」に走っていた男子は、「初めて話を聴いてくれた」と涙ぐんだ。小島さんは調査結果をもって中学校、市に要望した。
 小島さん、各務さんの熱意と、調査結果が、中学校と市を動かした。子どもたちと親たちを地獄から救った。

 これが科学的調査の力だ。これが本物の専門家の姿だ。


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「朝鮮戦争終戦宣言」を妨害した安倍晋三首相

2020年06月27日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 1950年6月25日に開戦した朝鮮戦争(「6・25戦争」)は、53年7月27日に休戦協定が調印されましたが、いまだに終結していません。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)とアメリカ(「国連軍」の実体)は戦争中なのです。この戦争を文字通り終わらせることは、コリア半島、さらには東アジアの平和・民主化にとって焦眉の課題です。

 2018年6月12日に行われた史上初の朝米首脳会談(写真右)では、「朝鮮戦争終結宣言」が焦点の1つでした。結果は、トランプ大統領が会談後の記者会見で「朝鮮戦争は間もなく終結するとの期待を持っている」(2018年6月13日付共同配信)と述べたものの、「シンガポール共同声明」には盛り込まれませんでした。

 この背景に、朝米会談の直前に行われた日米首脳会談(写真中)における安倍晋三首相の「朝鮮戦争終結宣言」反対・妨害があったと、トランプ氏の元側近が明らかにしています。

 ボルトン前大統領補佐官の話題の回顧録『それが起きた部屋 ホワイトハウス回顧録』(今月発売、写真左)がそれです。韓国のハンギョレ新聞(6月23日付)がこう報じています。

 「『回顧録』93~94ページを確認すると、シンガポール首脳会談を1週間後に控えた2018年6月5~6日のトランプ大統領と日本の安倍晋三首相、ボルトン前補佐官らの会談…トランプ大統領は、北朝鮮の金正恩国務委員長と会談し終戦宣言を行おうとしたが、ボルトン前補佐官はこれを阻止するため心を砕いていた。安倍首相は、北朝鮮にあまり大きな譲歩をしてはならないとトランプ大統領を説得した

 「トランプ大統領の終戦宣言構想に安倍首相も反対意見を出したとみられる。ボルトン氏は…(6月)6日午後に安倍首相がワシントンDCを訪問し、『あまり多くの譲歩はするな』とトランプ大統領を説得したと主張する。安倍首相はトランプ大統領に『北朝鮮人は生き残った者たちで、彼らは自分たちの体制に命をかけている。彼らは非常に荒っぽくて如才ない政治家たちだ。それがまた繰り返される日常だと考えれば、彼らは昔のやり方に戻るだろう』と語ったという。ボルトン前補佐官はその日、トランプ大統領と安倍首相が北朝鮮をテーマに『良い対話』をしたと評価する」

 対朝鮮強硬派のボルトンは朝鮮戦争終結宣言に反対で、その阻止に心を砕いた。安倍も同じく反対で、それをトランプに(差別的な言葉を交えて)進言した。だから「良い対話」だった、というのが『回顧録』の内容だというのです。
 ボルトンの『回顧録』がどこまで真実なのかは分かりませんが、このくだりには信ぴょう性があると思われます。なぜなら、安倍首相が朝鮮とアメリカの関係改善に逆行する言動を行った事実はほかにもあるからです。

 ボルトンの『回顧録』にある日米首脳会談で、安倍首相はトランプ大統領に朝鮮との会談で「拉致問題」を取り上げ、「拉致被害者全員の帰国」という日本側の主張を伝えるよう要望しました。安倍氏自身が誇示した事実です。朝鮮側が到底受け入れられない主張をあえて伝えることを要求するのは、会談の妨害に等しいと言えるでしょう。

 さらに、朝米会談(拡大会談、6月12日)で、金正恩委員長の提起を受け、トランプ大統領は「協議が続けられている間は米韓合同軍事演習は中止する」と述べ、会談後の記者会見でも、「費用のかかるWAR GAME(軍事演習)は中止する」と繰り返しました。経済的観点からとはいえ、画期的なことです。

 ところがこれに異を唱えたのが安倍政権です。小野寺防衛相(当時)は3日後(6月15日)の記者会見で、「米韓の合同演習、日米韓の共同訓練を含む日米韓3か国の安全保障・防衛協力が地域の平和と安定を確保する上で重要な柱となるという認識に変わりはない」と述べ、「米韓の合同演習、日米韓の合同訓練」の中止に反対しました。(2018年6月16日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20180616

 朝鮮戦争(「6・25戦争」)の終結はコリア民族の悲願であり、東アジアの平和・民主化にとって決定的に重要です。ところが、安倍首相は逆に、朝鮮戦争終結へ向かおうとする朝米会談の足を引っ張ったのです。その狙いは、「北朝鮮の挑発・脅威」を喧伝することによって、政権の浮揚を図り、軍事力(自衛隊)を増強しようとすることです。
 
 安倍政権のこのようなもう言・もう動は絶対に許すことができません。朝鮮戦争、南北分断の元凶が日本の植民地支配であった歴史的事実を踏まえれば、その終結へ向けて協力・努力することこそ、日本・日本人の責任です。

 


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朝鮮戦争・天皇裕仁・日米安保

2020年06月25日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

    
 朝鮮戦争勃発(1950・6・25)から今日で70年。コリア半島情勢は新たな困難を抱えていますが、この節目に私たち日本人があらためて確認する必要があるのは、朝鮮戦争(休戦中)はけっして他人事ではないということです。

 そもそも、日本がコリア半島を植民地支配しなければ、南北分断も朝鮮戦争(「6・25戦争」)もありえませんでした。戦闘中、日本は国連軍(実質アメリカ軍)の出撃・後方支援基地となりました。また、敗戦後の日本経済が朝鮮戦争特需で復興したのは周知の事実です(開戦後1年で日本の工業生産は46%上昇)。こうしたことはけっして忘れてならない重要な事実ですが、ここでは別の問題を考えます。

 天皇裕仁(昭和天皇)は敗戦後、連合軍(GHQ)最高司令官マッカーサーと計11回会談しています。第9回会談(1949・11・26)の焦点は「講和問題」でした。

 「会見の冒頭でマッカーサーは『なるべく速やかに講和条約の締結を見ることが望ましいと思います』と問いかけたが、天皇は『ソ連による共産主義思想の浸透と朝鮮に対する侵略等がありますと国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを懼(おそ)れます…』と答えた。あたかも、七カ月後の朝鮮戦争の勃発を予見していたかのような昭和天皇の発言には驚く外はない」(豊下楢彦氏『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年)

 第10回会談(1950・4・18)は朝鮮戦争の約2カ月前でした。ここで裕仁は、「日本の安全保障の問題ですが、米国は極東に対する重点の置き方が欧州に比し軽いのではないでしょうか」と懸念を表明しました。この会談では「実は重要な“すれ違い”が生じていた。…前回の会見で“約束”した米軍の駐留については、(マッカーサーが―引用者)最後まで明言を避け続けた」(豊下前掲書)からです。

 そして朝鮮戦争勃発。2日後の6月27日に米トルーマン大統領は米軍に出動を命じるとともに、国連安保理に働きかけ、「国連軍」の形式で参戦を決議させました。アメリカの素早い対応は、朝鮮の動向が「マッカーサーの極東軍によって一年前からことごとくつかまてい(た)」(萩原遼氏『朝鮮戦争』文春文庫1997年)からだといわれています。

 天皇裕仁は戦争勃発の当日と翌日に侍従長から説明を受けています。「朝鮮戦争は昭和天皇をして、米軍の存在の重要性に関する認識を決定づけるものであった」(豊下前掲書)のです。

 裕仁は直ちに行動に移しました。開戦翌日の6月26日、「天皇は自らダレス(講和問題のために来日していた国務長官特別顧問―引用者)を通じてワシントンに(米軍駐留を―引用者)働きかける道に踏み出した。それが、『口頭メッセージ』である」(豊下前掲書)。
 「口頭」だけでは足らず、裕仁は米軍駐留、アメリカの重点関与の要望を文書にしてダレスに送りました。「文書メッセージ」(8月19日)です。

 「昭和天皇は右のメッセージで、マッカーサーを“バイパスする”ばかりではなく、講和問題や日本の安全保障の問題を、首相である吉田茂に任せておくことはできないという立場を鮮明に打ち出した」(豊下前掲書)

 翌1951年9月8日、日本は「サンフランシスコ講和条約」(単独講和)とともに日米安全保障条約を締結。裕仁が望んだ通り、米軍の基地が日本全土に張り巡らされることになりました(全土基地方式)。

 同時に日本は、警察予備隊(50年8月)から保安隊(52年10月)へ、そして自衛隊(54年6月)へと、再軍備を本格的に進めていきました。

 以上から明らかなことは、日米軍事同盟(安保体制)、日本の再軍備という憲法の平和原則違反は、「共産主義から国体(天皇制)を守る」ため自らアメリカに懇願した天皇裕仁よって推進されたということです。その決定的な契機になったのが朝鮮(6・25)戦争でした。こうした裕仁の一連の言動が、天皇の政治的関与を禁じた現行憲法下で行われたことも忘れてはなりません。

 その日米安保=軍事同盟は集団的自衛権行使にまで深化し、自衛隊は年間軍事費5兆円超まで膨張し、レールを敷いた裕仁の戦後責任(戦争・植民地支配責任は言うに及ばず)は全く追及されることもなく、「天皇制」は連綿と続き、天皇キャンペーンが政権やメディアによって繰り返されている。それが今日の日本であることを私たちは肝に銘じる必要があります。


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「平和の礎」を考える<下>「人類愛」と日米軍事同盟

2020年06月24日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

    

 「敵・味方や軍人・民間人、加害者・被害者、人種、国籍を区別することなく、すべての戦没者を追悼する記念碑」である「平和の礎」は、画期的であると同時に、戦争・植民地支配の加害責任があいまいになる弱点があると前回書きましたが、その弱点に付け込んで「礎」を大田昌秀知事(当時)らが意図した趣旨とは逆方向に利用しようとする勢力がいます。

 「礎」の除幕式(1995年6月23日)には日本の「三権の長」とともに、アメリカのモンデール駐日大使(当時)も招かれました。モンデール大使は記者会見で、「戦争記念碑に、米側の犠牲者も刻名した沖縄のみなさんに米国を代表して感謝したい」と述べました(新崎盛暉著『新版・沖縄現代史』岩波新書)。

 さらに、クリントン米大統領(当時)は2000年7月21日、「九州・沖縄サミット」で沖縄を訪れた際、「礎」の前で次のように演説しました。

 「この記念碑は最も強い人類愛を示しています。『平和の礎』は単にひとつの戦争の慰霊碑という以上に、あらゆる戦争の慰霊碑であり、そのような破壊が二度と人類に降りかかることを防ぐためのわたしたち共通の責任を想起させてくれるものです。
 過去五〇年間、日米両国はこの礎の心を持って、そうした責任を果たすべく協力してきました。だからこそ日米同盟関係は維持されていかなければならないのです」(大田昌秀著『死者たちは、いまだ眠れず』より)

 クリントン演説に対し大田氏は、「美しい言葉が並べ立てられていますが、その真意は、日米同盟関係の維持、そのための…基地の受け入れを求めるものにほかなりません」(大田氏同著)と述べています。

 また、大田氏の下で「礎」建立の中心になった石原昌家沖縄国際大名誉教授も当時、「(実質的軍事―ママ)同盟によって平和が守られていると断言していることは…『平和の礎』に込めている…意思をねじまげるものであり…そのような内容の演説を『平和の礎』の前ですることは、結局、沖縄県民に引き続き米軍基地との共生を強いるもの」(大田氏同著)と批判しました。

 日米安保条約=日米軍事同盟は、軍事超大国・覇権主義のアメリカに日本が追随して軍事行動を行う同盟です。それは日本がふたたび戦争の加害者になることを意味します。

 クリントン演説は、たしかに大田氏らが意図した「礎」の「意思をねじまげるもの」ですが、同時に、日本の加害責任があまいになっている「礎」の弱点を突いたものと言えるのではないでしょうか。

 この「礎」の弱点と日米軍事同盟の関係は、けっして過去のことではありません。

 辺野古新基地反対はじめ沖縄における米軍基地反対闘争は、必ずしも日米安保=軍事同盟反対と結びついているとは言えません。むしろ日米軍事同盟を積極的に賛美する立場と一体になっています。それは、「日米が世界の人権と民主主義を守ろうというのが日米安保条約だ」(2017年11月21日付沖縄タイムス)と安保条約を絶賛した翁長雄志前知事を「オール沖縄」が支持・擁立してきたことに端的に表れています。

 また、宮古島や石垣島などですすむ自衛隊基地建設・増強に対しても、沖縄全体で反対運動が広がっているとはいえません。それどころか、「オール沖縄」はこの問題でも、知事就任直前まで沖縄防衛協会(自衛隊)の顧問だった玉城デニー氏を知事に擁立しています。

 安保条約=日米軍事同盟・自衛隊に対する沖縄のこうした姿勢が、「礎」の弱点と無関係といえるでしょうか。
 奇しくも「礎」の除幕式が行われた6月23日は、60年前(1960年)に安倍晋三首相の祖父・岸信介首相が強行した新安保条約発効の日です(写真右)。

 歴史的記念碑はその弱点・負の側面も含めて教材になります。「礎」に込められた「命どぅ宝」「共生」の「沖縄のこころ」は、私たち日本人が過去の戦争・植民地支配責任の自覚に立ってふたたび加害者にならないために、安保条約=日米軍事同盟を廃棄する方向へ進んでこそ実現するのではないでしょうか。


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「平和の礎」を考える<上>「平和のこころ」と加害責任

2020年06月23日 | 沖縄と戦争

    

 きょう6月23日は沖縄「慰霊の日」です。県主催の「追悼式」は例年、平和祈念公園の式典広場で行われてきましたが、玉城デニー知事は5月15日、「コロナ対策」を名目に「国立沖縄戦没者墓苑」で行う方針を示しました。これに対し、県内から強い反発・批判が起こりました。

 沖縄県内の学者・研究者・市民でつくる「沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会」(共同代表・石原昌家沖縄国際大名誉教授ら)は6月1日、玉城知事に対し「追悼式を平和祈念公園、『平和の礎』近くの式典広場で行うこと」を求める「要請書」を提出しました(写真中。2日付琉球新報)。
 「国家の施設である国立墓苑で追悼式をすることは、国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは相容れない…個人の名前を敵味方なく刻んだ『平和の礎』のそばの、内外に開かれた空間である平和祈念公園広場が適切と考えます

 こうした県内の声に押され、玉城知事は12日、「国立墓苑」で行う方針を撤回し「従来の場所で開催」すると表明しました。「県民の会」などが玉城知事をただし、敗戦から75年目の「追悼式」の変質を食い止めた意義は大きいと言えます。
 ただし玉城氏は、方針撤回の理由は「コロナの拡大も抑えられ」たことだとし、「どこでお祈りをしても思いは届くと思う」(13日付琉球新報)と言い続けていますから、ことの本質が理解されているとはいえません。

 今回のことで同時に考える必要があるのは、「平和の礎」のある空間(写真左)は「追悼式」の場として無条件に好ましいのか、ということです。なぜなら、「礎」には優れた面と共に重大な弱点もあるからです。

 「礎」は確かに、「敵・味方や軍人・民間人、加害者・被害者、人種、国籍を区別することなく、すべての戦没者を追悼する画期的な記念碑」(吉浜忍、林博史、吉川由紀編『沖縄戦を知る事典』吉川弘文館)です。刻銘者は、沖縄県出身者14万9502名、本土出身者7万7436名、朝鮮半島出身者462名(韓国380名、朝鮮民主主義人民共和国82名)、台湾人34名、米軍人1万4009名、英軍人82名となっています(2018年6月現在、前掲『事典』より)。

 「礎」の除幕式が行われたのは、25年前のきょう、1995年6月23日です。「礎」を建立した大田昌秀知事(当時。写真右)はその趣旨を、「沖縄の『平和のこころ』を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和の確立に寄与すること」(『死者たちは、いまだ眠れず―「慰霊」の意味を問う』新泉社2006年)と述べています。

 こうした「礎」の画期的な特徴は、負の側面と裏腹でもあります。「礎」には次のような問題点があります。

  1. 沖縄戦で多くの住民を死に追いやった第32軍の牛島満司令官や長勇参謀長ら帝国陸軍の将校、兵士らの名前が市民の名とともに刻まれている。
  2. 牛島や長は沖縄戦で住民を犠牲にしただけでなく、南京大虐殺はじめ中国侵略の中心的人物でもあった。
  3. 刻銘されている沖縄出身者は、沖縄戦の犠牲者だけでなく、アジア侵略の十五年戦争に従軍して死亡した元兵士らも含まれている。
  4. コリア半島出身者の犠牲者には、「慰安婦」や軍夫もいたが、そうした人は刻銘されていない。また、そもそも日本軍と同じ場所に刻銘されること自体に在日コリアンから反発・批判がある。

 総じて言えることは、「礎」は沖縄出身者を含む日本軍・日本人の戦争・植民地支配の加害責任があいまいにされていることです。

 この弱点は、過去の歴史の評価にとどまらず、現在の中心課題である別の問題に通じています。(明日の<下>に続く)

 


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植民地責任棚上げの原点・日韓条約から55年

2020年06月22日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 韓国政府は18日、安倍政権の半導体材料輸出規制の不当性をWHO(世界貿易機関)に改めて訴えました。この問題の発端は、帝国日本に強制動員された元徴用工の訴えを韓国大法院が認め、日本製鉄、三菱重工に損害賠償を命じた(2018年10月、11月、写真左)のに対し、安倍首相が「この問題は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み」などとして反発し、韓国に対する輸出規制の報復に出たことにあります。

 「解決済み」という言い分については、「請求権協定」で「解決」とされた「請求権」は「財産請求権」に対する「外交保護権」にすぎず、「慰謝料等の個人請求権は消滅していない」(2018年11月14日衆院外務委員会、三上外務省国際局長答弁)ことは政府自身が認めています。

 安倍首相の言は国際的に通用しない居直りですが、ここでは安倍氏が金科玉条のように持ち出す「日韓請求権協定」の本質は何だったのかを確認します。「請求権協定」は「日韓基本条約」と一体で、1965年6月22日に調印されました。

 「日韓条約」は第2条で、韓国併合条約(1910年)以前に結ばれた条約・協定だけを「もはや無効である」としました。「日本側は併合条約そのものは有効であって、第二次世界大戦後の大韓民国建国によって無効となったと解釈した」(文京沫立命館大教授『新・韓国現代史』岩波新書)のです。そして、「請求権協定」による「8億ドルの経済協力」で賠償問題を封じました。

 「日韓条約」「請求権協定」の眼目・本質は、日本の植民地支配責任の棚上げ・責任放棄だったのです。当時の首相は佐藤栄作。安倍晋三氏の祖父・岸信介の実弟です(写真右)。

 植民地支配責任棚上げの意図は、条約へ向けた数次にわたる日韓会談の中での日本側代表の発言にも表れていました。たとえば、第3次会談(1953年10月)において日本側首席代表の久保田貫一郎はこう言いました。

 「(韓国が)賠償を要求するなら日本は、その間(植民支配の間―引用者)、韓人に与えた恩恵、すなわち治山、治水、電気、鉄道、港湾施設に対してまで、その返還を要求するだろう。…当時を外交史的に見たとき日本が進出しなかったらロシア、さもなくば中国に占領され現在の北韓のように、もっと悲惨だったろう」(第三次韓日会談請求権委員会会議録。文氏前掲書より)
 安倍晋三氏や麻生太郎氏ら今日の歴史修正主義者に通じる暴言・妄言です。

 「日韓条約」はアメリカの東アジア戦略に沿ったものだったことも銘記される必要があります。

 「日韓条約はアメリカからすればインドシナ戦争(ベトナム戦争―引用者)の後方支援体制づくりとして結ばれた条約であった。すなわち、韓国がインドシナ戦争に軍事的に貢献し、この韓国を日本が経済的に支える仕組みがこの条約によってつくりだされた。…つまり、日韓条約は、六〇年代の軍事や経済をめぐる米日韓の利害の一致を反映するものであった」(文氏前掲書)

 この屈辱的な「条約」「協定」を受け入れた韓国の政権は、軍事クーデターで成立した朴正熙政権でした。当然、韓国内では「条約」に対する激しい反対運動がおこりました。

 「朴正熙はわずか八億ドルと引き換えで、植民地帝国だった日本の責任をウヤムヤにし後に日本が戦後補償は解決済みであると主張する口実を与えた。韓国でこれを屈辱外交であり、売国的取引であるとして、大規模な反対運動があったのはそのためである」(鈴木道彦独協大名誉教授『越境の時 一九六〇年代と在日』集英社新書)

 日本でも反対運動は起こりました。しかし、それは韓国の比ではありませんでした。
 「日本でも反対運動があったが、それが韓国に比べて弱々しいものだったのは、過去の歴史への反省の欠如と比例するものだった」(鈴木氏前掲書)

 「日韓条約」「請求権協定」調印から今日で55年。棚上げされたままの植民地支配責任を棚卸しするのは、今に生きる私たち日本人の責任です。


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日曜日記102・「コロナ禍」で生き方を考える<2>「信頼」と「共感」

2020年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 20日夜のNHK・ETV特集。新型コロナの第1波封じ込めに成功した(感染者443人、死亡者7人)台湾で、その指揮をとった陳建仁・前台湾副総統のインタビューが放送された。
 数々の貴重な教訓は、17年前のSARS感染の苦い教訓(大量の院内感染)から導かれたものだった。

 たとえば、「情報の透明性、共有」。政府の責任者が毎日テレビで状況を説明し、時間無制限で、市民からの疑問・質問に答えた。
 「感染者の早期発見と徹底した隔離」。PCR検査体制を抜本的に強化した。SARS以後、伝染病防止法を改正し、違反者に罰則を設けた。
 「デジタルフェンス」という独特の感染者感知システムで、14日間、感染者を徹底的に管理・隔離した。

 こうした政府の強力な措置は、個人のプライバシーと抵触する側面がある。民主主義を重視する台湾政府でその点の躊躇はなかったのか。その点も含め、陳氏は強調した。
 「最も重要なのは、市民の信頼です」

 SARSの時は、いま日本でも起きているような感染者・医療従事者に対する差別があった。しかし、今回それは問題にならなかったという。
 「市民は患者への共感と思いやり、医療従事者への感謝を学びました。感染症で市民は心理的に成長しました。共感は感染症対策に不可欠です。共感とは連帯の心です」

 「政府に対する市民の信頼」。日本に足りないものは数々あるが、絶望的に欠けているものが、これだろう。

 19日のNHKニュースで、イギリスの映画監督・ケン・ローチ氏(84)が「コロナ禍」の社会について語った。「わたしは、ダニエル・ブレイク」などの作品で、社会的弱者にまなざしを向け続けている監督だ。

 ローチ監督は、自粛生活をしている自分と比べ、「貧しい人には自粛生活を維持する経済的な余裕はない。防護具もないリスクの中で低賃金で働かなければならない。感染は貧しい人に速く広がる。差別しているのはウイルスではない。社会だ」。

 「私たちの世代は無秩序で崩壊しかけた社会をつくってしまった。不平等、搾取、圧制、暴力がはびこる社会だ。私たちの世代がすべきは謝罪だ。代表して若い人たちに謝ります」

 ローチ監督は、社会に芽生え始めている変化に注目する。

 「これまですれ違っても忙しくて会話もしなかったのに、いまは『何か必要なものは?』『手伝いましょうか?』と声を掛け合うようになった」
 「この困難を切り抜けるためには、信頼できるものを見つけ出すことが大切だ。ドアをノックして『大丈夫?』と声をかけてくれる人。そんな人を私たちは信頼できる。その信頼の輪を広げていけばいい。隣人から地域のコミュニティへ、そして国へと広げて、連帯を築くのだ」

 ローチ監督の言う「ドア」は、物理的ドアだけではないだろう。
 私はどれだけの「ドア」をノックして、声をかけることができるだろうか。


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岐路に立つ日本を暗示した安倍会見

2020年06月20日 | 政権とメディア

    

 河井克行前法相・愛里参院議員の逮捕、イージス・アショアの挫折、先の見えないコロナ対策、「モリ・カケ・桜・黒川」問題、「支持率」急落など、満身創痍の安倍晋三首相が苦境に立つはずだった記者会見(18日)。
 しかし会見は、安倍氏の言いたい放題、独演会の場となりました。あきれるやら、腹が立つやら。しかしやがて、それは戦慄に代わりました。この日の会見は無内容な居直り会見と片付けることができない重大な意味を持っていると思うようになったからです。それは、日本がいま重大な地点・岐路に立っていることを暗示する会見でした。

 18日の安倍会見の特徴を、会見の順に沿って挙げてみましょう。

 政権の腐敗への居直り… 安倍氏は河井夫婦の逮捕について、「遺憾」「責任がある」と言いながら何ら責任をとろうとせず、「すべての国会議員は襟を正す必要がある」と責任転嫁しました。どんな違法・腐敗が発覚しようと、まったく責任を取ろうとしない。それが日本の国家権力であることをあらためて見せつけました。

 翼賛野党への「感謝」… 立憲民主、国民民主などは今国会(17日閉会)で安倍政権の緊急事態宣言の根拠となった特措法「改正」案、第1次、第2に補正予算案にことごとく賛成しました(日本共産党は第2次補正のみ反対)。そのことについて安倍氏は会見冒頭で、「協力いただいたすべての野党に心から感謝する」と述べました。

 「新しい国家像」 新型コロナウイルスに関連して安倍氏は、「ポストコロナ」の「新しい国家像」を打ち出す必要がある強調しました。

 憲法「改正」への異常な意欲… 「新しい国家像」の流れで安倍氏が強調したのが「憲法改正」。「任期中(来年9月)に改正する決意はまったく変わらない」「国会議員の力量が試されている」と文字通り拳を握りしめました。

 新たな軍事体制方針… 抽象的でつかみどころのない「コロナ対策」とは対照的に、安倍氏が具体的に示したのが、「新たな安全保障体制のあり方をこの夏に打ち出す」こと。イージス・アショア停止問題で対米従属の軍備拡張に反省が求められている中、それとは真逆に、新たな軍事体制方針を打ち出すと断言しました。何度も口にしたのは「抑止力とは何か」。米軍と一体となってさらに攻撃的な体制へ向かう危険性が濃厚です。

 メディアの迎合… 質問した記者は10人。「幹事社」(フジテレビと産経新聞)の質問項目は、「河井問題」「東京五輪」「解散・総選挙」「憲法改正」(この産経記者は質問というより督促)。その他の記者から、「拉致問題」「宇宙防衛」「海外との通商」「総裁任期」「ポスト安倍」「防衛新方針」「財政不安」「海外邦人救出」。「河井問題」「財政不安」を除けば、すべて安倍首相にとって痛くもかゆくもない、いやむしろ持論を吹聴したいテーマばかり。会見が安倍独演会となったのは、こうしたメディアの“助力”があったればこそです。
 重要な局面で市民が聞きたいことは聞かず、政権に迎合する質問ばかり。メディアの退廃・腐敗も来るところまで来た感があります。

 以上の安倍会見の全体から見えてくる日本の立脚点は―。

 「コロナ禍」を逆手にとって「新しい国家像」を打ち出して国家主義を強める。そのために「憲法改正」は必須(自民改憲草案の第1条は「天皇元首」化)。その柱は「安全保障体制」=軍事体制の新たな方針・強化。そうした政権の暴走に歯止めをかける責務がある国会は、すでに主要な法案に賛成する翼賛国会と化している。市民に代わって国家権力を監視すべきメディアは退廃・腐敗を極め、政権に迎合し国家権力と一体化―。

 まるで戦前の日本の再現ではないでしょうか。

 戦前と違うのは、いま私たちの手にあるのが「天皇主権」の帝国憲法ではなく、「主権在民」の憲法だということ。しかし、その憲法も主権者が行使しなければ絵に描いた餅です。


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