アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「オール沖縄」で参院選をたたかうのは正しいか<上>

2016年04月30日 | 沖縄・選挙

  

 「新沖縄フォーラム」(代表・新崎盛暉沖縄大名誉教授)が発行している季刊誌「けーし風」(「返し風」の意)の最新号(2016年4月号)に、「宜野湾市長選挙をふり返ってー『オール沖縄』再構築の課題」と題する座談会が掲載されています(出席は新崎氏のほか宜野湾市長選をたたかった人びと)。
 この中で、「オール沖縄」で敗北した宜野湾市長選挙(1月24日)を分析した上で、きたる参院選(場合によっては衆参同日選)を引き続き「オール沖縄」でたたかうため、態勢の立て直しが急務だと強調されています。

 しかし、参院選(同日選を含む。以下同じ)を「オール沖縄」でたたかうことは、はたして正しいでしょうか。
 私は参院選を「オール沖縄」でたたかうのは無理だし、またすべきではないと考えます。その理由は以下の通りです。

 そもそも「オール沖縄」とは何でしょうか。前記の「座談会」で新崎氏はこう指摘しています。

 「『オール沖縄』とは、小異を残して大同についているということ。この場合の『大同』とは、辺野古新基地建設阻止であり、普天間の即時返還、そういうことを通じて現在の社会を変えて行こう、その一点だけが『大同』なんですよね」

 より正確に言えば、「大同」とは沖縄41全市町村長が署名して安倍首相に手渡した「建白書」(2013年1月28日)の内容にほかなりません。この点に異論はないでしょう。その「建白書」の具体的な内容は2点です。全文転記します。

 <1、オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
 2、米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。>

 これが「オール沖縄」の一致点であり「大同」です。

 ところが「オール沖縄」で当選した翁長知事やその周辺は、今やなんのためらいもなく普天間基地の「県外移設」を繰り返し主張しています。
 これまでも再三指摘してきたように、「県内移設を断念すること」と「県外移設」は違います。政治的には極めて大きな違いです。「オール沖縄」の中にも「県外移設」(「日本本土への移設」)に反対の人は少なくありません。

 「県内移設断念(反対)」の中には「県外移設」も含まれます。したがって「オール沖縄」を支持する人が個人的見解として「県外移設」を主張することは当然ありうることで、問題はありません。
 しかし、「建白書」を一致点とする「オール沖縄」で当選した翁長氏が、公式な知事見解(方針)として「県外移設」を主張することは、「オール沖縄」の「大同」からの逸脱であり、けっして許されません。

 「オール沖縄」で参院選をたたかうというなら、少なくとも、翁長氏にこの逸脱行為の誤りを認めさせ、以後公的な場(記者会見などを含む)で「県外移設」を口にしないよう確認する必要があります。
 しかし、「オール沖縄」内にその動きは見られません。おそらく今後もないでしょう。それだけ「翁長翼賛体制」が広がっているからです。翁長氏が「県外移設」を主張したままの「オール沖縄」選挙など幻想にすぎません。

 仮に翁長氏が「県外移設」を封印したとしても、はやり「オール沖縄」で参院選をたたかうことは妥当とはいえません。なぜなら、「オスプレイ、普天間・辺野古」以外の重要諸課題が、ことごとく「小異」として捨象されるからです。

 例えば、「戦争(安保)法制廃止」「集団的自衛権行使反対」「高江ヘリパッド反対」「八重山諸島はじめ自衛隊配備強化反対」「嘉手納基地はじめ沖縄の全基地撤去」「浦添軍港反対」「泡瀬干潟埋め立て反対」。
 どれをとっても喫緊の重要課題ですが、「オール沖縄」の候補がこれらを政策に掲げることは考えられません。「建白書」に入っていないように。なぜなら一致点にならないからです。翁長氏やその周辺(旧自民党や経済界)はこれらにことごとく「反対」ではないからです。

 先の座談会でも、「(浦添軍港問題で)翁長さんの曖昧さは残っているので、まさに『オール沖縄』ではどういうスタンスで解決策へ導いていくのかとか、知事の判断をみんなで議論したことがあるのか、と問われなければならない部分はあります」(渡瀬夏彦氏)、「自衛隊の問題は具体的にこう思うと言って、『オール沖縄』の中でどこが違うかということをもっと風通しのいい議論を始めなければいけないと思う」(新崎盛暉氏)という意見が出されています。

 もっともな意見です。しかし、「風通しのいい議論」が必要なのは当然で、そういう指摘が今の段階でなされねばならないこと自体に「オール沖縄」の問題が表れています。
 そして、上記の諸課題は、すでに「議論」の段階ではありません。参院選の中では具体的に問われる課題ばかりです。これらはいずれも「小異」として切り捨てていい問題ではありません。こうした重要諸課題で明確な政策・主張が打ち出せない参院選とはいったい何でしょうか。

 以上が「オール沖縄」で参院選をたたかうべきではないと考える理由です。

 これに対しては、直ちに「『オール沖縄』で一本化しない限り、自民党(島尻氏)には勝てない」という反論が出るでしょう。
 その点をどう考えるか。どうたたかうか。次回(あさって)書きます。


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「屈辱の日」と「春の褒章」

2016年04月28日 | 沖縄と天皇

   

 きょう4月28日は「サンフランシスコ講和条約・日米安保条約」発効から64年目です。日本政府はこの日を「主権回復の日」と称していますが、沖縄にとっては「屈辱の日」です。

 しかし、本土の新聞各紙、テレビで、「屈辱の日」に触れたものは見当たりません。「サ条約・安保条約発効」すら見えません。
 一方、映画監督・周防正行氏の紫綬褒章はじめ、各県の市民が受賞する「春の褒章」は、例外なく大きく報じられています。

 「屈辱の日」と「春の褒章」。一見なんの関係もないようですが、実は深いところで結びついています。2つを結ぶキーワードは、「天皇(制)」です。

 沖縄にとって「4・28」が「屈辱の日」なのは、サ条約(第3条)によって本土から切り離されて「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度下におく」とされ、アメリカの軍事占領=植民地化が固定化されたからです。沖縄戦に続く〝捨て石”です。沖縄の基地問題の根源がここにあります。

 忘れてならないのは、このサ条約・安保条約のレールを敷いたのが、昭和天皇だったということです。天皇裕仁は、天皇制維持のため、側近の寺崎英成を通じて米政府にメッセージを送りました。

 「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』中の1947年9月19日付)

 有名な(悪名高い)「天皇の沖縄メッセージ」です。これが「講和条約」へ向けた日米交渉の基調となりました。

 「政府や外交当局を〝バイパス”して米側に送られたこの方針(「天皇の沖縄メッセージ」-引用者)は、第一次交渉が開始されて早々の51年1月30日に米側に提出された『わが方見解』に…〝具体化”された」(豊下楢彦氏『安保条約の成立』)

 天皇裕仁こそ沖縄に「屈辱」をもたらした張本人なのです。

 これを過去の話として済ますことはできません。安倍政権は3年前のこの日、政府主催で「『主権回復の日』式典」を開催し、天皇・皇后を招きました。そして最後に安倍首相が、「天皇陛下万歳」と叫んだのです(写真右)。国家権力にとっては、「サ条約・安保条約」と「天皇制」はいまも深く結び付いています。

 一方、「褒章」は、天皇が国民に与える褒美にほかなりません。憲法7条(7項「栄典を授与すること」)による「天皇の国事行為」の1つですが、「天皇を守る人々をつくるためのもの」(栗原俊雄氏『勲章ー知られざる素顔』)だった戦前の勲章制度を引き継いだものです。

 「勲章等の栄典を授与する機能が天皇に認められ、天皇を栄誉の源泉としていることは、天皇の権威を高めるために大きく寄与している。…1964年に生存者叙位叙勲が復活したことは、天皇に対する畏敬心をかきたてる役割を果たしてきた。そして、革新的立場を日頃唱える者や天皇・天皇制度に批判的言動を行ってきた者の多くも、いざ栄典を受ける機会に遭遇すると、嬉々として栄典を受け取ってきた」(横田耕一氏『憲法と天皇制』)

 「春の褒章」は例年4月29日の「昭和の日」前後に発表されます。「昭和の日」とは言うまでもなく、天皇裕仁の誕生日です。
 「4・28」と「4・29」が1日違いなのは偶然でしょうか。サ条約・安保条約が調印されたのは1951年9月8日で、発効が4月28日というのはいかにも不自然です。サンフランシスコの4月28日は日本時間では4月29日です。日本政府はサ条約・安保条約の発効日を、昭和天皇の誕生日に合わせようとした、というのが私の推測です。

 ところで、例年やはりこの時期に行われるのが、天皇・皇后主催の「春の園遊会」です。今年も27日に行われ、スポーツ選手や学者らが招待されました(写真中)。これは憲法にはない「公的行為」とされるものですが、天皇を権威づけ、「親近感」を演出するものの1つです。「日頃革新的」とみられる人の顔もありました。

 サ条約・安保条約によって、沖縄の「屈辱」、日本全土の米軍基地化の危険は強まるばかりです。しかし、その元凶である天皇・天皇制の問題は問われることがありません。それどころか逆に、「褒章」や「園遊会」など天皇の「権威」を高め「親近感」を演出する行事は無批判に賛美されています。このことの意味、危険性を凝視する必要があります。

 琉球新報、沖縄タイムスは、さすがに「屈辱の日」は大きく取り上げています。しかし、「社説」も含め、天皇の責任(「天皇メッセージ」)には一言も触れていません。そして「褒章」をなんのためらいもなく大きく載せています。「屈辱の日」と「春の褒章」が共存する紙面に、大きな違和感を禁じえません。


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北海道補選ー民進党の驚くべき「選挙総括」

2016年04月26日 | 日本の政治と政党

   

 24日投開票された衆院北海道5区補選。池田真紀氏(民進、共産、社民、生活推薦)が自民党の和田義明氏に12,325票差で敗れた結果に対し、25日、民進党の枝野幹事長は「戦術レベルでブラッシュアップできるところはないか検証したい」、蓮舫代表代行は「知名度を浸透させる手段としては無党派はやはり限界がある」、安住国対委員長は「無所属で共闘したときの限界がはっきりした」とそれぞれ述べました。

 つまりは、今後「野党共闘」によって候補者を1本化した場合、候補者は「無党派」にするべきではない、「政党公認」を明確にするべきだ、というのです。

 これはきわめて奇異な、そして重大な「選挙総括」だと言わねばなりません。

 第1に、今回池田氏が善戦したのは、「シールズ」などの若者をはじめ、無党派市民が大きな力になったことは、民進党幹部も含めだれも否定できない事実です。「政党が前面に出ない」選挙戦術にこだわったのは民進党自身ではありませんか。にもかかわらず、「無党派・無所属では限界がある」とはいったいどういうことでしょうか。

 第2に、蓮舫氏らは具体的な政党名は挙げていませんが、「民進党公認」を念頭においていることは明白です。民進党が「共産党公認候補」を推薦・支持することは考えられません。
 ということは、「共闘」する他の野党に対し、「民進党公認候補」を推薦・支持せよ、ということにほかなりません。そして、無党派の若者たち・市民にも「民進党候補」を応援させようという考えです。これが「野党第1党」の横暴でなくてなんでしょうか。
 民進党の横暴は今回の選挙でも見られました。投票日の前日(23日)にはじめて札幌駅前で野党幹部が顔をそろえましたが、それは民進党衆院議員の垂れ幕が並ぶ選挙カーの上に他の野党幹部を乗せて行われたものでした(写真右=24日付しんぶん「赤旗」より)。次の「共闘選挙」ではこうした光景をはじめからつくろうというわけです。

 第3に、民進党のやり方は政党間の共闘原則に真っ向から反するということです。異なる理念・政策を持つ政党同士が「共闘」して候補者を1本化する場合、政策の一致点を協議し、合意内容を「政策協定」として確認することは、政党政治のイロハです。
 ところが、民進党はその「共通政策」「政策協定」の作成に一貫してそっぽを向いているのです。

 「今後の共闘には懸念も多い。…4党(民進、共産、社民、生活ー引用者)による共通政策策定も民進党が難色を示し『共闘で何をやろうとしているのかが全く見えない』(社民党幹部)と不満もくすぶる」(24日付中国新聞=共同配信)

 民進党自身が理念・政策の一致しない烏合の衆だということは、言い訳にはなりません。

 政策の一致・政策協定を棚上げし、ただ数合わせのために他の野党と組み、「公認候補」を無党派の市民たちに応援させ、党所属議員の数を増やそうする民進党の考えは、公党として決して許されることではありません。
 それは同時に、安倍政権打倒、戦争法廃止の世論と運動に冷水をかけるにほかならないことを、民進党幹部は肝に銘じるべきです。


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オバマ大統領「広島訪問」なら「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」へ

2016年04月23日 | 核兵器廃絶と日米安保

  

 23日の中国新聞はオバマ大統領が広島訪問を内定したと1面トップで大きく報じました(共同配信)。
 退任直前の「広島訪問」は、「『核なき世界』を訴えて2009年のノーベル平和賞を受賞したオバマ氏の政治的遺産(レガシー)とする狙い」(23日付中国新聞)、すなわち政治的パフォーマンスであることは明白です。

 広島では先のケリー米国務長官の訪問以来、「米首脳の被爆地訪問」についてさまざまな論評があります。その中で目を引いたのが、元原爆資料館長・原田浩氏の「評論」です。原田氏はケリー長官にこう注文をつけました。

 「原爆死没者名簿が収められた慰霊碑に加え、誰の遺骨かも分からず、引き取り手もない約7万人の無縁仏が眠る原爆死没者供養塔に行ってほしかった。七十数年たった今も供養塔で眠り、将来も無縁仏であり続けるしかない事実が人間的な惨状そのものではないか。被爆地の深い思いがより伝えられるはずだ」(14日付中国新聞)

 ケリー氏らが献花した原爆死没者慰霊碑とともに、無縁仏の供養塔へ行ってほしかったというのです。確かに一つの視点です。しかし、私が注目したのはそれに共感したからではありません。
 注目したのは、元原爆資料館長が「人間の惨状そのもの」として米政府首脳に「行ってほしかった」という文章の中に、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」(写真右)の話がまったく出てこなかったことです。

 広島で被爆した韓国・朝鮮人は約5万人といわれています(長崎は約2万人)。その犠牲者をまつったのが「韓国人犠牲者慰霊碑」(1970年建立)です。はじめは太田川をはさんで平和公園の対岸に建てざるをえませんでしたが、韓国・朝鮮人被爆者団体の粘り強い要求で1999年に平和公園内に移されました。原爆死没者慰霊碑のすぐ近くにあります。

 韓国・朝鮮人が広島、長崎で被爆したのは、大日本帝国の植民地政策によって、強制的に日本へ連行された結果です。「慰霊碑」にはこう記されています。

 「韓民族はこの太平洋戦争を通じ、国家のない悲しみを骨身にしみるほど感じ、その絶頂が原爆投下の悲劇であった。…名分のない戦争で、名分もなく死ななければならなかった同胞軍人、クワとカマをとって牛馬のように働かされた同胞徴用者たち…」(『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』、田中利幸氏ブログ「吹禅」より)

 これこそ「人間的な惨状そのもの」ではないでしょうか。韓国・朝鮮人被爆者は日本の植民地政策の被害者であり、「慰霊碑」はその日本の加害責任を厳しく告発しているのです。

 原田氏の論稿が韓国・朝鮮人被爆者について一言も触れていないのは、もちろん原田氏だけの問題ではありません。それは、被爆といえば日本人の被害の側面だけを強調し、日本(人)のために被爆させられた人たちが何万人といたこと、その加害責任にほうかむりしてきた、今もしている日本人全体の問題にほかなりません。いったいどのくらいの日本人が「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の存在を知っているでしょうか。

 冒頭述べたように、政治的パフォーマンスであるオバマ氏の「広島訪問」には何の価値も認めません。むしろ彼の8年間の責任放棄を隠蔽するだけです。
 しかし、もしもオバマ氏が広島へ来るなら、「原爆死没者慰霊碑」はさておいても「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」へ行くべきです。日本(人)への原爆投下は「戦争の早期終結のため」と言い訳し「合理化」しても、けっして「合理化」できない被爆の犠牲者たちがそこには眠っているのです。

 


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人を救う「災害救助」になぜ軍隊(自衛隊)なのか

2016年04月21日 | 九州・熊本大地震

   

 熊本・大分大地震は14日の震度7から1週間経ちました。不明者2名の捜索のほか、被災者支援がますます重要になっています。
 自衛隊は14日午後10時40分ごろ、蒲島熊本県知事から「災害派遣要請」を受けて以降、救援活動の前面に立っています。それが当たり前ように受け止められ、疑問の声は聞こえてきません。それでいいのでしょうか。

 20日現在、熊本、大分における自衛隊の災害派遣は、人員約2万2000人(延べ約10万3700人)、航空機114機(延べ515機)、艦艇12隻(延べ81隻)にのぼっています(防衛省HPより)。
 5年前の東日本大震災における自衛隊の派遣人数は、174日間で延べ1058万人(1日平均約6万人)でした。被災地域の面積、被災状況を考えると、今回の熊本・大分への派遣はきわめて大規模なものです。

 活動内容も、捜索、復旧など現場での作業だけでなく、「給食・給水」、「入浴」、「医療」など、「避難所」で直接被災者と接する活動が多くなっています。今回は、「避難所で何が不足しているか自衛隊が支援物資の聞き取り調査を行った」(19日のNHKニュース)ところさえあります。

 こうして政府は、「災害派遣」によって大量の自衛隊を派遣し、より被災者に近いところで、「国民を助ける自衛隊」を印象付けているのです。

 これはけっして黙認できることではありません。その理由は2つあります。

 1つは、自衛隊はあくまでも軍隊、憲法違反の軍隊だということです。
 軍隊の本分は戦争すなわち殺し合いです。敵を欺くための迷彩服が子どもたちも多い避難所を闊歩している姿は異常です。今回自衛隊のヘリが南阿蘇村で孤立した人たちを救助しましたが、そのヘリの両サイドに備えつけてあったのはミサイル状の武器ではなかったのでしょうか(写真右)。
 兵士である自衛隊員が兵器である自衛隊の装備を使って災害救助を行う。それは異常だという感覚を麻痺させてはならないでしょう。

 防衛省はホームページで災害派遣の模様を写真を多用して細かく広報しています。「小学生から寄せられた感謝の手紙」なども載せて。その狙いが、軍隊としての自衛隊の本質を隠蔽して「国民を助け、親しまれる自衛隊」をPRすることにあるのは明白です。
 しかも今回は3月に戦争法(安保法)が施行したばかり。集団的自衛権行使によって自衛隊の活動範囲が拡大し、いっそう危険になります。防衛大学校からの任官が激減するなど、自衛隊員の不足は安倍政権にとって深刻です。災害派遣は、政府・防衛省にとっては「求人活動」の側面もあるのではないでしょうか。

 そうは言っても、藁にもすがる思いの被災者にとっては、憲法違反の軍隊であろうと、助けてくれる自衛隊に「感謝」するのは当然でしょう。そこに2つ目の問題があります。

 本来、自然災害に対しては、救助・捜索・復旧活動を担当する非軍事の専門組織を創設し、そこが警察や消防などと協力して対処すべきです。ところが日本は自衛隊を出動させることによって、その専門組織の創設を棚上げしているのです。

 熊本、大分の被災地ではいま、避難所や避難地をめぐり多くの問題に直面していますが、これらのほとんどは、阪神大震災や東日本大震災でも経験済みのはず。その教訓が生かされ対策が制度化されていればこれほど困惑することはないでしょう。災害のたびに被災者が同じ問題に苦しみ、相変わらず末端の行政職員やボランティアに多大な負担がかかるのは、過去の災害の教訓を生かしていない政治・行政の責任です。それは災害対策の専門組織を創っていないことと表裏一体でしょう。

 日本の軍事費は年間5兆円を超えています。その何分の1かの予算で、充実した災害対策の専門組織が創れるはずです。災害救助を志す有意の青年は今は心ならずも自衛隊に入って兵士になるしかありませんが、災害救助の専門組織があれば喜んでそこに集まることができます。

 人の命と生活を守る災害救助は、軍隊ではなく非軍事の平和的組織で。そのために自衛隊を縮小・解散し、災害救助の専門組織の創設を。その世論を大きくしていきたいものです。


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オスプレイ投入ー震災の政治利用は絶対に許せない

2016年04月19日 | 九州・熊本大地震

   

 大地震の支援物資輸送を口実に、普天間基地所属の米軍輸送機MV22オスプレイ4機が18日、熊本県に投入されました。「災害支援」名目のオスプレイ出動は日本では初めて。震災を政治利用する安倍政権と米政府のやり方は言語道断です。

 ★フィリピンから7時間半かけて

 投入されたオスプレイは普天間基地所属ですが、沖縄から来たわけではありません。

 「オスプレイ4機が17日夕、米海兵隊岩国基地(岩国市)に到着した。救援物資を積み込み、被災地へ向かうとみられる。フィリピンで演習中だった4機は、給油を含め約7時間半かけて移動した」(18日付中国新聞)

 それほど無理をしてまでオスプレイを被災地へ送る必要性があったでしょうか。

 ★オスプレイは必要ないばかりか危険・邪魔

 「スピードが速く航続距離が長いという(オスプレイの)特長を生かす場面はなく必要性に疑問だ。物資が途切れているのも、仕分けや荷下ろしの問題で、オスプレイを投入したから末端の避難民が潤うということにはならない」(軍事ジャーナリストの前田哲男氏、19日付琉球新報)

 「陸自だけでも輸送ヘリは220機余ある。24人乗りのオスプレイよりも積載量が大きい55人乗りのCH47ヘリが56機あり、オスプレイが不可欠というわけではない」(軍事評論家の田岡俊次氏、同)

 オスプレイ投入の必要性はまったくないのです。それどころか、故障・墜落の危険性が高いうえ、災害支援には不向き・邪魔なのがオスプレイです。

 「オスプレイは着陸時に巻き上げる風が強いため、2015年のネパール大地震で住宅の屋根が破損したとの報道もあった。この日は白水運動公園にオスプレイが着陸する前、砂が巻き上がるのを防ぐためか自衛隊車両が散水していた」(19日付毎日新聞)

 ★投入の経過ー米政府が要求し、安倍首相が乗る

 「米軍の活動参加に対する政府内の認識が、当初から統一されていたとは言い難い。『申し出があるが、今直ちに支援が必要だという状況ではない』。安倍晋三首相は17日朝、官邸で記者団に米軍支援受け入れの可能性を聞かれるとこう強調した。変化が生じたのは、その直後だ。首相は官邸で中谷氏(防衛相)らから情勢報告を受けた。受け入れ指示は、この場で伝えた可能性がある。背景に米側から受け入れを日本側に強く求める申し入れがあったとの推測も出ている」(19日付共同配信)

 米政府の要求に乗った安倍首相の思惑はー。
 「防衛省関係者は『米軍オスプレイの支援は必ずしも必要ではないが、政治的な効果が期待できるからだ』と説明する」(19日付朝日新聞)

 ★オスプレイ投入で狙う2つの「政治的な効果」

 ①日米軍事同盟強化をアピール

 「昨年改定した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)では、日米が災害で協力することも盛り込まれた。今回のオスプレイの活動は『日米同盟が深まっている』(防衛省関係者)ことを示す場でもある」(朝日新聞、同)

 「『日米同盟のアピールにちょうど良いと思ったのではないか』。そう話すのは防衛省幹部の一人。集団的自衛権行使を可能にし、日米同盟強化を目指した安全保障関連法は3月に施行されたが、国民の間で理解が進んでいるとは言えない状況だ」(共同配信、同)

 ②沖縄(辺野古、高江)、佐賀への世論対策

 「オスプレイを巡っては、陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀空港配備計画の協議や、本土への訓練移転による沖縄の負担軽減など地元との懸案を抱えている。防衛省関係者は『オスプレイ投入は災害で使えることを示して安全性の懸念を取り除こうとする取り組み。災害の政治利用という批判はあるだろう』と指摘する」(毎日新聞、同)

  ★「政治利用」に被災現場の自衛隊員からも批判の声

 「オスプレイの佐賀空港配備に反対している佐賀市の主婦、石丸初美さん(64)は『被災者の方々はおにぎり一つでもありがたいと思う状況。政府は(オスプレイの国内配備のためにー原文)どんな状況でも利用するのか』と憤った」(毎日新聞、同)

 「ある自衛隊員は…『オスプレイ使用が政治的パフォーマンスと捉えられ、『こんな時に防衛省・自衛隊は何を考えているのか』という批判につながらないだろうか』と率直な疑問を口にする。『災害を政治の道具にしてはいけない。一番大事なのは被災者の救助、支援なのだから』。隊員はそうつぶやいた」(共同配信、同)

 地震発生から5日経っても、被災者に水や食料など最小限の生活物資さえ届かない状況は、政治・行政の無策・不手際、つまりは安倍政権の責任にほかなりません。
 自分の責任にはほうかむりし、逆に被災者の窮状を利用してオスプレイ配備・日米同盟強化の世論対策を図る。非人間的なこのやり方こそ、軍隊・軍事同盟の本性だと言わねばなりません。


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「本震」急襲、安倍政権・気象庁の「誤報」責任を問う

2016年04月17日 | 九州・熊本大地震

   

 熊本、大分を襲った16日未明の大地震。大きな犠牲を生んだ1つの原因は、安倍政権・気象庁の「誤報」にあったのではないでしょうか。

  「おととい(14日夜の地震)の片づけをしていたところで、もっと大きな地震がくるとは思わなかった」
 熊本県・御船町の被災者の1人は、16日未明の地震についてこう述べました(16日夕のNHKテレビ)。同じような声はほかにも聞かれました。M7・3の未明の大地震は多くの人たちにとっては不意打ちだったのです。

 気象庁は16日午前3時40分、未明の地震が「本震」であり、14日夜の地震は「前震」だったと淡々と発表しました(写真中)。そこには、「本震」の到来をまったく予想できず、したがって必要な警鐘を鳴らすこともしなかったことへの自責の念は微塵も感じられませんでした。

 気象庁は15日10時30分の会見で、14日の地震を「平成28年熊本地震」と命名し、さらに15時30分の会見で、「今後3日間に震度6弱以上の余震が発生する可能性は20%」と発表しました。「余震」には注意を喚起したものの、余震とはまったく別の(したがって規模もけたはずれに大きい)「本震」はまったく予測できなかったのです。
 こうした誤ったアナウンス(誤報)によって、被災者らが地震は収束に向かっていると思い、「本震」に不意打ちをくったことは否定できないでしょう。

 これを不可抗力だったと片づけられるでしょうか。
 たとえば専門家からは、「火山や地熱地域では、このような地震活動(「本震」-引用者)がしばしば発生する」(山岡耕春名古屋大地震火山研究センター、17日付沖縄タイムス)という指摘が出ています。ある程度予測可能だった、ということではないのでしょうか。
 15日の気象庁の判断・発表が妥当だったのかどうか。専門家による第三者機関で検証される必要があるのではないでしょうか。

 誤った判断で被災者や市民をミスリードした点では、安倍政権自身の責任も問われなければなりません。
 安倍首相は15日16時5分(気象庁の「余震可能性」発表の直後)、非常災害対策本部の第3回会合で、「16日に熊本県の被災地を視察する」と表明しました(16日未明の「本震」直後に取り消し)。
 また河野太郎防災担当相は15日記者団に、「(今後の政府の対応は)被災者の生活再建の局面に入っている」(16日付中国新聞=共同)と述べました。

 こうした安倍氏や河野氏の発言(対応)は、安倍政権として〝地震は14日でやまを越した”と判断したからではないでしょうか。その原因が気象庁の誤った見通しにあったにせよ、首相や担当相の政治責任は免れません。

 実は気象庁の重大な「誤報」は、今回が初めてではありません。2011年3月11日、東日本大地震で気象庁が発表した「津波警報」は数メートル規模のものでした。ところが実際はそれをはるかに超える巨大な津波。はじめからもっと正確な警報を出していれば、犠牲はあそこまで大きくならなかったのではないでしょうか。
 この気象庁(政府)の重大な「誤報」の原因や過失責任は、いまだに明らかにされていません。

 地震や津波という自然現象だからといって、あるいは現在の科学の限界だからといって、気象庁(政府)の「誤報」が見過ごされていいはずがありません。第三者機関による検証を含め、市民(主権者)のチェックがなされるべきです。
 「自然災害」だからといって政府(行政)の対応責任が問われないわけではないのですから。


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地震続発、川内原発は今すぐ停止を

2016年04月16日 | スポーツと政治

    

 「ピュ、ピュ、ピュ、緊急地震速報・・・」
 16日午前1時25分。携帯からの警報音で起こされました。広島県にまで「緊急速報」が届いた地震は、震度6強、マグニチュード7・3(当初発表は7・1)。阪神・淡路大地震(1995年)と同規模の大地震で、間もなく気象庁は14日の「熊本地震」は前震で、こちらが本震だと発表しました。

 その後、1:44=震度6、2:49=震度4、3:03=震度5、3:10=震度4・・・数分おきに震度3以上の地震(余震)が長時間にわたって続きました。

 未明に記者会見した菅官房長官は、「地震による閉じ込めは53件、生き埋めが23件」と発表しました。これを書いている16日午前の段階で、死者は13人。どこまで被害が広がるか、たいへん懸念されます。

 家屋の倒壊、道路の破損、土砂崩れ・・・なかでも気掛かりなのが、原発です。
 住民の反対を押し切って再稼働を強行した川内原発(鹿児島県)は震源の近く。玄海原発(佐賀県・停止中)も伊方原発(愛媛県・停止中)も地震の範囲内です。いったいこれらの原発はどうなっているのか。

 「原子力規制庁によれば、川内原発は今のところ異常なく、運転を続けている」(午前2時13分のNHKニュース)
 この大地震、続発する地震の中で、「運転を続けている」だって?!

 異常が発覚するまで運転を止めないつもりなのか。異常が出たらもう遅い、おしまいです。
 1:44の地震で、川内原発がある地域(薩摩地方)は「震度4」。それから1時間もしないうちに「異常なし」の発表。いったい何を調べてそう言えるのか。
 「自動停止装置」がある?故障していたらどうするのか。
 だいいち、政府と電力会社の「今のところ異常なし」がいかにウソ・デタラメかは、福島・東京電力でいやというほど証明されています。

 ところが、NHKも民放各局も、家屋・道路の倒壊や避難所の取材は繰り返すものの、川内、玄海、伊方の原発がどうなっているのかを自ら取材して報道するところは1つもありません。政府(原子力規制庁)の「発表」を垂れ流すだけです。それでメディアの責任が果たせるのか。

 川内原発はいますぐ停止しなければなりません。停止させなければなりません。

 日本がいかに「地震列島」であるかがあらためて浮き彫りになりました。この「地震列島」に原発を置くことは絶対に許されません。
 原発は再稼働させず、廃止する。それが「フクシマ」の最大の教訓だったはずです。それなのに、のど元過ぎれば忘れようとしている日本人に、自然があらため警告を突きつけた。それが今回の大地震ではないでしょうか。
 

 


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「本土と沖縄」・「中南部と北部」そして「辺野古と高江・離島」

2016年04月14日 | 沖縄・平和・基地

  

 辺野古の海で新基地反対行動をしていて米軍に8時間拘束されたうえ逮捕された作家の目取真俊氏(写真左)が、13日付の琉球新報(「季刊 目取真俊」)で、興味深い指摘をしています。

 目取真氏は、安倍政権が普天間基地を沖縄本島北部の辺野古に「移設」し、嘉手納以南(本島中南部)の米軍基地を「返還」することを「負担軽減」だとしていることを批判したうえで、こう述べています。

 「それだけではない。基地が『返還』されて再開発が行われる中南部と基地が集中する北部との間の経済格差はさらに拡大し、北部から中南部への人口流出が加速することも容易に推測できる。北部では過疎化と基地経済への依存が進み、沖縄島が南北に分断されることで、県民全体の基地問題への関心も低下するだろう。
 それこそが日本政府の狙いだと言っていい。米軍専用施設の74%を沖縄に集中させることで、基地負担免れているヤマトゥの大多数の人々は、基地問題を自らの問題として考えなくてすまされている。それと同じ構造を沖縄内部で作り出し、ヤンバルに海兵隊基地を集中させることで、人口が多い中南部の人たちの関心の低下を狙っている」

 辺野古に新基地を造る狙いの1つは、「本土(ヤマトゥ)と沖縄」と「同じ構造」を「中南部と北部」の間につくり、基地問題に対する中南部の「関心の低下」を図ることだというのです。

 そして目取真氏はこう続けています。
 「しかし、日本政府のそういう姑息な思惑に乗せられるほど沖縄県民は愚かではない。…かつて『県内移設』を進めていた保守陣営や経済界からも辺野古新基地建設反対の声が上がっている。そして、県民の大きな支持に支えられて、翁長雄志知事が国と対峙している」

 目取真氏は翁長氏や翁長支持陣営・沖縄県民は政府による差別と分断の「姑息な思惑」には乗せられていないというのです。果たしてそう言い切れるでしょうか。

 ここで考えてみる必要があるのは、目取真氏が指摘する「本土と沖縄」「中南部と北部」と「同じ構造」(あるいは類似の構造)は、「沖縄内部」にほかにもあるのではないかということです。
 すなわち、同じ北部内の「辺野古(名護市)と高江(東村ー写真中)」の関係、そして「沖縄本島と八重山諸島(離島ー写真右)」の関係です。

 翁長氏は「辺野古新基地」には「反対」といいながら、高江のヘリパッド建設には反対しません。それどころか、反対住民の取り締まり(弾圧)強化を求めた菅官房長官に対し「口頭の指導」だけでなく「文書指導をしていきたい」(3月23日の「県・政府協議会」。同24日付琉球新報)と安倍政権に協力する姿勢を示しています。

 また、与那国、宮古、石垣の八重山諸島への自衛隊配備・強化についても、中谷防衛相に「地元住民の安全管理に万全を期していただきたい」「情報をしっかりと提供していただきたい」(3月27日の会談。同29日付琉球新報)というだけで、容認する姿勢を示しています。

 辺野古の新基地建設には「反対」するが、高江のヘリパッド建設は容認し、逆に反対運動を抑える。本島でなければ離島が自衛隊基地の配備・増強で環境汚染、「前線基地」化が進行しても容認する。これは「本土と沖縄」「中南部と北部」の「差別と分断」と「同じ構造」ではないでしょうか。

 辺野古新基地建設阻止と、高江ヘリパッド阻止、与那国・宮古・石垣諸島への自衛隊配備・強化阻止をむすびつけてたたかってこそ、安倍政権の「姑息な思惑」を打ち破ることができるのではないでしょうか。


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「被爆証言の空席」は何を意味するか

2016年04月12日 | 核兵器廃絶と日米安保

  

 10、11両日広島で行われたG7外相会合をメディアは「核軍縮には大きな一歩」(12日付中国新聞)などと評価しています。特にケリー米国務長官の平和公園や原爆資料館での発言が賛美されています。

 しかし、発表された「広島宣言」は、「核兵器の非人道性」の文言があえて排除されたように、「被爆者の声や思いが全く入っていない。到底納得できない」(被団協・藤森俊希事務局次長、12日付沖縄タイムス)ものです。

 さらにオバマ大統領の広島訪問について、「米大統領が被爆地で核廃絶のメッセージを発すれば、影響力は計り知れない。世界の未来のために決断を望みたい」(12日付朝日新聞社説)などと、手放しの「待望」論がふりまかれています。

 しかし、オバマ氏は間もなく辞めていく大統領です。就任直後「核廃絶」を宣言しノーベル平和賞までもらいながら、この8年間、彼は何をしてきたでしょうか。何もしてこなかった大統領が、退任間近に仮に広島を訪れた何か言ったとしても、それは帳尻合わせのパフォーマンスにすぎません。

 それどころか、もしも「オバマ広島訪問」となれば、安倍首相がこれを参院選(ダブル選)に最大限利用するのは明らかです。そんな見え見えの政治的思惑を先導するメディアは見識が問われます。

 ケリー氏の広島での言動が、中身のない政治的パフォーマンスでしかなかったことは、被爆者と会って直接声を聴くことを拒んだことに典型的に表れています。それは、安倍首相が日本軍性奴隷(慰安婦)問題で当事者の女性たちにはあくまで会おうとしないまま「日韓合意」なるものを発表したのと同じ権力者の姿と言えるでしょう。

 ところで、外相会合の期間中、「被爆者の証言」をめぐって注目される光景がありました。
 この機会に海外メディアに被爆の実態を直接示そうと、記者たちが詰めるメディアセンターにパネルが展示されたほか、11日には被爆者が英語で証言する催しが企画されたのです。ところがこの企画に参加した海外記者はなんとゼロ。かろうじて日本の記者が数人いただけでした(写真右。NHKニュースから)。

 これはどういうことでしょうか。海外メディアの記者にとっておそらく貴重な機会であっただろう英語による被爆者の生の証言という機会を、だれひとり利用(取材)しようとしなかったとは。記者の「被爆」に対する関心・意識の低さ、不勉強は否めないでしょう。

 しかし、被爆伝承者として母の体験を語った山岡美知子さん(広島市内)は、この光景に落胆しながらも、その意味を記者たちの問題とは捉えませんでした。
 「被害ばかり強調する内容では、海外で関心は高まらないかもしれない」(12日付中国新聞)
 「証言の場の空席」(中国新聞)は、「被害ばかり強調する」証言の欠点を露呈した象徴的な場面だったのかもしれないと、山岡さんは考えたのです。

 被爆詩人・栗原貞子が44年前につくった「ヒロシマというとき」が思い起こされます。

  <ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>
  <ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
  ・・・・
  <ヒロシマ>といえば
  血と炎のこだまが 返って来るのだ
  ・・・・
  <ヒロシマ>といえば
  <ああ ヒロシマ>と
  やさしくかえってくるためには
  捨てた筈の武器を ほんとうに
  捨てねばならない
  異国の基地を撤去させねばならない
  ・・・・

 被爆の伝承における「被害」と「加害」。私たちにとって重要なのは、無内容な政治パフォーマンスではなく、この問題です。


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