アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

18歳選挙権を考える② 同時進行する安倍流「教育再興」と「改憲」

2016年02月29日 | 安倍政権と民主主義

  

 新聞やテレビで「18歳選挙権」をめぐるさまざまな企画記事・番組が増えている中、あまり目立たない新聞記事がありました。

 「倫理・政経を選択科目に 文科省 次期指導要領の改定案」(2月17日付中国新聞=共同)

 「文部科学省は16日、次期高校学習指導要領の地理歴史・公民の在り方を議論している中教審の特別チーム会合で、現在は公民の選択必修科目となっている『倫理』『政治・経済』を選択科目とするとの改定案を示した」

 この問題の重要さは、次の点にあります。

 「現在の高校公民は『現代社会』または『倫理』『政治・経済』が必修だが、次期指導要領では主体的に社会に参画する姿勢を養う『公共』のみを必修科目とし、ほかは選択科目という構成になる方向だ」

 「現代社会」を「公共」に変えてそれだけを必修科目とし、「政治・経済」は選択科目にするというわけです。「18歳選挙権」で「主権者教育」が模索されている中、まったく逆行する動きと言わざるをえません。

 「公共」なる新科目で政府・文科省は何を「教育」しようとしているのか。それが本当に「社会に出るために必要な力を育てる」「地球市民を育てる」(尾木直樹氏、21日放送民法テレビ)授業になるなら評価すべきでしょう。しかし、私はそんな楽観はできません。
 なぜなら、「公」の名による「国民の権利」の制限・抑圧こそ、安倍首相が目論んでいる「憲法改変」の柱だからです。

 現行憲法の中でもとりわけ重要な項目である第13条はこう規定しています。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」

 これを自民党の「改憲草案」は次のように変えようとしています。
 「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」

 自民党の「改憲草案Q&A」は、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変える理由をこう説明しています。
 「従来の『公共の福祉』という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくい・・・憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」

 「公益及び公の秩序」の名による「基本的人権の制約」は、新たに導入しようとしている「緊急事態」なるものにつながり、「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、・・・国その他公の機関の指示に従わなければならない」(自民党改憲草案第99条)と、国家への絶対的権力の付与へと続いていくのです。

 一方、安倍首相は自著で、「自国に誇りをもっている若者が半分しかいない」ことに「衝撃を受けた」としてこう言い切っています。「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興国家の任である」(『新しい国へ』)

 自民党が改憲で導入しようとしている「公益および公の秩序」と、「自国に誇り」をもつ「志ある国民」を育てる安倍流「教育の再興」はまさに表裏一体です。それは、「公」の名による新たな国家主義の導入にほかなりません。

 「18歳選挙権」と安倍流「教育再興」と「改憲」。3者の同時進行で、安倍・自民党はどんな「有権者」「主権者」をつくろうとしているのか。その危険性から目を離すことはできません。


「戦争(安保)法廃止」に賛成しない翁長知事

2016年02月27日 | 沖縄・翁長知事

  

 25日の沖縄県議会代表質問で、日本共産党の西銘純恵議員は、きわめて重要ないくつかの問題で翁長雄志知事の見解をただしました。
 ところが翁長氏はそれにまともに答えず、町田優知事公室長らに代わって答えさせました。こうした翁長氏の姿勢、そして町田氏らの答弁の内容は、けっして見過ごすことはできません。

 最も注目されたのは、目下の国政の最大課題といえる「戦争法(安保法制)」廃止についてです。「戦争法は廃止すべき」として「知事の見解をうかがう」とした西銘議員に対し、翁長氏は自ら答弁することを避けました。町田公室長の答弁はこうです。

 「十分な理解がえられていない法案を強引におしすすめる政府の姿勢は容認しがたい。沖縄の基地負担の強化につながることがあってはならない」

 これは半年前とまったく同じ答弁です。戦争法案採決のやり方には異議を唱え、沖縄の基地負担の強化には反対していますが、戦争法制自体には反対せず、もちろん「廃止」には賛成せず、結局戦争法を容認しているのです。これが翁長氏の立場です。

 戦争法を容認・賛成する翁長氏の立場は、「集団的自衛権を容認」する翁長氏の当然の帰結です。翁長氏は新聞のインタビューでこう明言しています。

 「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める」(2012年11月24日付朝日新聞)

 集団的自衛権を容認し、戦争(安保)法を容認する翁長氏が、本気で「辺野古新基地」に反対できるでしょうか。

 西銘議員の質問に対する重大な答弁はこれだけではありません。主なものを挙げます。

★ 西銘議員「宮古、石垣、与那国への自衛隊配備強化に反対すべきだ」
  翁長知事(答えず)
  町田室長「自衛隊は島しょに大きく貢献している」「情報収集に努める」「政府は地元の理解を得られるよう丁寧に説明すべきだ」

★ 西銘議員「高江ヘリパッド建設は中止すべきだ」
  翁長知事(答えず)
  町田室長「さまざまな意見があり、情報収集に努めている。建白書に基づいてオスプレイ配備に反対する」

★ 西銘議員「嘉手納基地への外来機飛来を禁止すべきだ」
  翁長知事(答えず)
  町田室長「負担の増大にならなういよう日米両政府に粘り強く働きかけていく」

★ 西銘議員「消費税の10%増税は中止すべきだ」
  翁長知事(答えず)
  平敷昭人総務部長「消費税は安定財源確保のうえで重要な役割を果たしている」

★ 西銘議員「TPPの批准に反対すべきだ」
  翁長知事(答えず。だれも答えず)

 西銘議員が求めた重要課題での「反対・禁止」は、ことごとくかわされてしまったのです。
 この質疑であらためて分かるのは、「辺野古」以外で翁長氏と安倍政権・自民党との間に政策の違いはないということです。

 さらに、こうした翁長氏の政治姿勢は、解釈改憲や消費税増税、TPPへの反対を明記した翁長氏と革新会派との「知事選にのぞむ基本姿勢および組織協定」(2014年9月13日)に明確に反しているということです。

 こんな翁長氏を、共産党はなぜ「全面的に支える」ことができるのでしょう。
 戦争法はじめ重要な質問でことごとく答弁を回避され、公室長らの重大答弁を聞きながら、西銘議員はなぜ再質問で翁長氏自身の見解をたださなかったのでしょう。

 重要問題での不一致は見て見ぬふりをし、「辺野古反対」(翁長氏のそれははじめから疑問だらけですが)の1点だけで「翁長氏を全面的に支持」することがいかに重大な事態をもたらすか。「思考停止」はもう許されません。

 ※沖縄県議会の中継ビデオは、県議会のHPから見ることができます。関心と時間がある方は、翁長氏の実像をぜひご覧ください。


議場で「天皇陛下万歳」の異常、それを問題にしない「翁長与党」の異常

2016年02月25日 | 沖縄・翁長知事

  

 23日の沖縄県議会(写真左)で、異常な光景が見られました。代表質問に立った新垣哲司議員(自民)が、「天皇陛下万歳」と叫んだのです(写真中。県議会中継ビデオより)。

 新垣氏は質問の最後約4分を「天皇・皇室」に充て、天皇がいかに「国民に寄り添っている」かを「東日本大震災の慰問」などを例にあげて強調したうえで、こう述べました。「日本は第1代の神武天皇から今上天皇まで125代続いている世界最古の王朝である」。その締めくくりが「天皇陛下、万歳」です。

 新垣哲司氏が県議会の議場で「天皇陛下万歳」と叫んだのは実はこれが初めてではありません。1999年7月6日、同じく代表質問でも同じことをやりました。これだけなら、時代錯誤の自民党議員の愚行、で片づけられるかもしれませんが、そうはいかない問題があります。それは、17年前の前回と今回とで、新垣氏の愚行に対する議会の対応が変わったことです。

 「当時(1999年)の野党は『議会の秩序が保てない』と反発し、丸1日議会が空転した。当時の議長が『このような行為は円滑な議会運営の面から慎んで』と注意したが、新垣氏は『万歳を唱えることが不適切とは思えず違反でもない』と反論。議長判断で議事が再開された」(24日付沖縄タイムス)

 今回はどうだったでしょうか。

 「今回の発言を受け、与党は代表者で対応を話し合ったが結論は出なかった。ベテラン議員の1人は『規則の想定外の行動なので扱いが微妙だ』と本音を明かした」(同)

 17年前の「野党」とは、稲嶺恵一県政野党の「革新」党派です。そして今回の「与党」とは翁長雄志県政与党の同じく「革新」党派と保守の一部です。つまり、日本共産党、社民党、社大党、県民ネットなど「革新」党派は、同じ新垣氏の異常な行動に対し、前回は「反発」して「丸1日議会が空転」したけれど、今回は問題にしなかった、というわけです。

 この違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。

 新垣氏の「天皇陛下万歳」を、「規則の想定外」として見逃すことはできません。なぜなら、「日本は神武天皇から今上天皇まで125代続いている世界最古の王朝」という発言は「天皇統治」の考えであり、明らかに日本国憲法の前文(国民主権)、第1条(象徴天皇制)に反しており、それを議場で公言することは第99条(公務員の憲法尊重擁護義務)違反だからです。

 まして質問内容とはなんの関係もない「万歳」パフォーマンスなどもってのほかです。それは「復帰後、新生沖縄県議会は、日本国憲法及び地方自治法に基づく議事機関として新たな一歩を踏み出し(た)」という「沖縄県議会基本条例」(2012年施行)の精神にも反すると言わねばなりません。

 「革新」会派にとって前回と今回の違いは何か。自民党県政の野党から「翁長県政」の与党になったことです。

 前回(17年前)の新垣氏の「万歳」は、「国歌・国旗法」の成立を前にして、同法成立時には、「(県議会の)議場に日の丸を掲揚すべきだ」という質問の中で、「その前祝として」(新垣氏)行ったものです。
 当時、翁長氏は新垣氏と同じ自民党の県会議員(稲嶺与党)でした。そして翁長氏は翌年(2000年)那覇市長に転身します。那覇市長となった翁長氏が早々にやったことは何だったか。市役所の庁舎に初めて「日の丸」を掲揚したことです。

 「翁長那覇市長は、国旗掲揚について『国歌国旗法の成立を受け、国はじめ県内でも掲揚が進められている。那覇市においてもできるだけ早い時期に設置すべく、条件整備したい』と述べ、1972年の復帰後初となる市庁舎への国旗掲揚を表明した」(2000年12月12日付琉球新報)

 前回新垣氏の「天皇陛下万歳」を問題にした「革新」党派が、「翁長県政」与党となった今回は問題にしなかったのは、「日の丸」、「国歌国旗」、「天皇制」に対する翁長氏のこうした基本的立場と、はたして無関係だと言い切れるでしょうか。関係ないというなら、なぜ今回は問題にしなかったのでしょうか。

 「翁長県政」の与党となったために、「議場の天皇陛下万歳」という異常を見逃すことになったとするなら、「オール沖縄」とはいったい何なのでしょうか。


<番外>人としての尊厳をもって死ねる社会に

2016年02月24日 | 介護・認知症

 24日未明のNHKラジオのニュースで第1報を聞いたとき、思わず声を出してしまいました。

 「認知症の妻の介護に疲れ、無理心中を図った國誠一容疑者(83)が、入院先の病院で食事をとろうとせず、死亡した」

 妻の後を追った自殺だと、私は思います。

 どんなに介護が大変であろうと、「無理心中」という名の「殺人」は許されるものではない、許してはいけない、という声が聞こえてきます。それは「正しい」でしょう。でも、それだけで片づけられることではありません。

 詳しい実情、背景は分かりませんから、半ば想像、一般論ですが、妻は生前、おそらく、「死」を望んでいたのではないでしょうか。あるいは、それさえ口にできないほど、苦しんでいたのではないでしょうか。

 國さんはけっして自分が介護から逃れたくて「無理心中」を図ったのではないでしょう。妻のことを思い、悩みに悩んだ末に行きついた結論だったと思います。國さん自身、体に数カ所切り傷があったといいます。でも死にきれなかった。

 毎日毎日、辛そうな妻の顔を見ながら、声を聞きながら、介護を続けたときの思いはどんなだったでしょう。

 悩みに悩んだ末、「無理心中」を決意した時の思いはどうだったでしょう。

 実際に妻を手にかけた時はどんな思いだったでしょう。

 死にきれずに、自分だけが生き残ったことが分かったときの思いはどうだったでしょう。

 病院で食事を拒み続けた時の思いはどんなだったでしょう。

 そんな國さんを、メディア(「世間」)は「容疑者」と呼び、その「死」さえ多くの人に知られないまま、「社会」は動いていきます。

 私の母(89)は、まだ自分でトイレに行けるし、着替えも自分でできます。「認知症傾向」はあっても、ほかの認知症あるいは寝たきりのかたがたに比べれば、うんと楽です。

 それでも、毎日、「早う死にたい」と言います。私は通り一遍の「なぐさめ」「元気づけ」をしますが、その言葉に力はありません。
 「世間一般」から見れば母は恵まれている方でしょう。それでも「死にたい」と言う。すべての面で人としての「能力」が衰えていくことが自分で分かる。分かりながら生きていかねばならないことは、辛く、苦しいことでしょう。

 この国には問題が山積しています。「子どもの貧困」、「基地・平和」、「憲法」・・・。
 そんな中で、人が人生を終えるとき、どんな思いで終える社会なのか。生きている間いろんなことがあっても、一生を終えるときは、やすらかな思いで終えたい、終えさせてあげたい。
 そんな社会にしなければいけない。そのことが、もっともっと重視されていいのではないでしょうか。

 そうでなければ、辛く悲しい思いをしながら人生を終える人たちが、この国では、間違いなく増えていきます。


「沖縄の基地を受け入れる」自治体の“真意”

2016年02月23日 | 沖縄・平和・基地

   

 19日夜のNHK総合テレビ(「フェイス」=中国地方ローカル)で、「“基地のまち”は問いかける」という報道番組がありました。岩国基地で米軍基地機能の移転(計画)が進行している背景を追ったものです。
 この中で、桑原敏幸岩国市議会議長(写真中)が中心となってすすめている「沖縄の負担軽減を協議する全国組織」が取り上げられました。

 暮れも押し詰まった昨年12月22日、首相官邸の菅官房長官を、桑原氏はじめ全国6市町議会の議長たちが訪ねました。
 桑原氏らは、「沖縄の基地負担軽減を協議する地方議会の全国組織を立ち上げたいとの意向を示し、政府に協力を求めた」(12月23日付沖縄タイムス)のです。

 「桑原氏は『沖縄の基地負担軽減は全国で考えないと前に進まない。全国組織の協議会を立ち上げたい。米軍や自衛隊の基地がある自治体だけでなく、民間空港がある自治体なども参加してもらいたい』と趣旨を説明した。
 菅氏は『沖縄の基地負担軽減を図るには負担をできる限り全国で分かち合う必要がある。政府としてできることは全てやる』と支援する考えを示した」(同、沖縄タイムス)

 官邸を訪れたのは桑原氏のほか、宜野湾市議会、広島県・大竹市議会、北海道・恵庭市議会、千葉県・木更津市議会、宮崎県・新富町議会の各議長です。

 桑原氏はさらに、先月12日、市長選告示目前の宜野湾市を訪れて記者会見し、「普天間飛行場の基地負担を全国の自治体に分散させるよう働き掛ける組織を立ち上げることを発表」(1月13日付琉球新報)しました。

 桑原氏らだけではありません。
 全国知事会(会長・山田啓二京都府知事)は、昨年12月17日の知事会議で、「沖縄の基地負担軽減など基地問題に対応する協議体を設置することを決めた」(12月18日付琉球新報)といいます。
 山田会長は記者会見で「辺野古問題の話をする可能性はあるか」との質問に、こう答えています。
 「具体的な問題を知事会で話すことが、なじむのかということは難しい点がある。沖縄からぜひとも他の府県も協力してもらいたいとの話を受けて、政府と協力関係ができるかが中心になると思う。移設の是非を受けることは難しい」(同琉球新報)

 この知事会の動きに対し、島尻安伊子沖縄担当相は、「大変歓迎したい。自民党にも沖縄の基地負担軽減を考える有志の会が立ち上がっている。国内全体の世論喚起の面でも」(12月19日付沖縄タイムス)と述べ、石破茂元防衛相も「沖縄にある機能が本当に沖縄になければならないかは、日本全体で議論されるべきだと思う」とし、知事会に「賛同する意見」(同)を述べました。

 桑原氏らが沖縄の基地を受け入れようとしているのはなぜでしょうか。
 NHKの番組で桑原氏はこう述べました。「基地を受け入れるからには、国から手当があってしかるべき」「沖縄も負担軽減になるし、受け入れるところもそれなりの手当が国から入ればね・・・

 宮崎県新富町の長濱博議長(写真右)も番組で言いました。「(基地)交付金はわれわれにとって住民サービスを厚いものにする唯一の手立てです。そのために(基地の)誘致に動くのはあってしかるべきかと思います

 翁長知事は、「日本本土が覚悟を決めて、米軍基地を全国で受け入れて、しっかりとした日米同盟をつくってもらいたい」(『戦う民意』)といいます。
 その言葉に呼応する動きが、保守系の自治体から出始めています。
 この背景には、自民党政権下で財政が圧迫され、基地交付金に頼らざるをえない地方自治体の過酷な実情があります。

 政府に「協力」を求め、政府が「歓迎」するこうした「沖縄の基地を受け入れる」自治体の動きが、どういう意味を持ち、何をもたらすのか。私たちは真剣に考えねばなりません。


「外国籍県民」を排除した翁長知事の責任を問う

2016年02月22日 | 天皇制と人権・民主主義

  

 「外国籍児100人就学不明 県内5市、調査せず」--21日の琉球新報1面トップです。
 「住民票がある外国籍の子どものうち義務教育年齢であるにもかかわらず自治体が就学の有無を把握していない児童生徒が、県内10市のうち5市で100人に上ることが琉球新報などの調べで20日までに分かった」

 さらに琉球新報は社説(22日付)で、調査していない5市の責任を厳しく指摘しています。
 「子どもの学ぶ権利を保障する上でも由々しき状態だ。・・・外国籍の子どもにも『育つ権利』を保障するためには、まず全ての自治体が就学の有無を調査し、把握すべきだ

 調査していない5市とは、那覇市、沖縄市、うるま市、宜野湾市、石垣市

 那覇市の場合、就任1年目の城間現市長よりも、昨年まで4期16年市長を務めた翁長雄志氏に重い責任があることは言うまでもありません。

 しかも、翁長氏が「外国籍県民」の排除で責任が問われなければならないのは、この問題だけではありません。

 2月1日の沖縄タイムス「論壇」欄に、「外国人の参加制限疑問 県民体育大会 国体より厳格」と題した土井智義氏(宜野湾市、大学非常勤講師)の投稿が掲載されました。沖縄県は昨年11月開催の第67回県民体育大会で、これまでの「参加資格」を変更し、日本国籍をもたない県民の参加を排除したのです。

 この問題は昨年12月6日付の同紙同欄の嘉手納良博氏(那覇市、テニス愛好家)の投稿で明るみにでました。
 嘉手納氏は「外国籍の課題は、単なる選手選考ではなく、大会趣旨、本県の目指すべき姿なども視野に入れ捉えるべき」だとして排除に抗議し、沖縄県体育協会に対し、①今回外国籍を認めなかったのはなぜか②その判断はどのような手続きで決定されたのか③今後はどうするのか、の3点を公開質問しました。

 これに対し、12月14日付の同紙投書欄で、安次富均・沖縄県体育協会事務局長がこう「回答」しました。
 「昨年(2014年-引用者)10月に競技団体と市郡体育協会宛て意向調査を行い・・・日本国籍を有し、かつ、本県で住民登録を行っている者を対象とするべきであるとの意見が多くを占めたため、ことし2月にその旨を周知し徹底するようお願いした」

 この経過を踏まえて、土井氏はこう主張します。
 
 「この解釈変更の結果、日本国籍をもたない人や国籍にかかわらず住民登録自体のない人が、県民体育大会の参加資格を失うことになった。これらの条件は、『日本国籍』を基本としつつも、『特別永住者』『永住者』の参加を認める国体の参加資格よりも厳しいものである。

 本件は、『沖縄県民であること』が、ある人びとの外部化によって成立していることを示すとともに、国からの上意下達だけでなく、地方レベルの『意向』でも既得権の制限がなされるという意味において、近年の朝鮮学校への補助金停止問題に通底する事例である

 特定の人々の参加を拒む解釈変更を、当事者に確認もせず、このように関係機関の『意向』で一方的に行ったことには疑問を持たざるを得ない。だが、問題は、手続き上の面にとどまらず、『外国人』と社会との関係そのものにかかわっている。すでにさまざまな権利が制限されている『外国人』が、大会に参加する家族や友人を横目に見ながら、また一つ社会参加を断念せざるを得ないとすれば、その気持ちはどのようなものだろうか。

 主催者の行政や協会は、スポーツを通じて全ての人が排除されない社会の創出を目指すべきではないか。『誰もが楽しく』という要望に照らし、参加資格の制限が廃止されるべきだと考える

 土井氏の主張に賛成です。さらに言えば、外国籍県民の排除はたんに「気持ち」や「要望」だけの問題ではなく、「スポーツは、世界共通の人類の文化である」(前文)、「国際社会の調和ある発展に寄与することを目的とする」(第1条)という「スポーツ基本法」(2011年施行)に反する行為です。

 同時にそれは、「万国津梁」というウチナーの精神にも反するでしょう。ちなみに、私が住んでいる広島県の体育協会事務局に問い合わせたところ、広島県では「外国籍の方でも問題なく参加できます」とのことでした。

 この問題で最も責任が問われるのは翁長氏です。
 それは翁長氏が県知事だからというだけではありません。当事者である沖縄県体育協会の会長が翁長雄志知事にほかならないからです。
 しかも翁長氏は、同協会が「排除通達」を出した2015年2月には、すでに会長に就任していたのです。

 翁長氏はこの問題についてどう考えているのか。見解と責任を明確にし、ただちに「外国籍県民排除」の「参加資格」を撤廃すべきです。


18歳選挙権を考える① 「高市発言」との危険な連関

2016年02月20日 | 安倍政権と民主主義

  

 参院選からいよいよ日本でも「18歳選挙権」が実施されます。それ自体はもちろん評価すべきことですが、同時に、見過ごせない事態が進行していることも事実です。「18歳選挙権」を本当に生かすには、何が必要なのか。いくつかの点で(断続的に)考えていきます。

 1回目は、「18歳選挙権」と「高市早苗総務相発言」の危険な連関です。

 高市氏が「電波停止」まで持ち出して放送メディアに圧力をかけた「根拠」は、放送法第4条第2項の「政治的に公平であること」です。
 しかし、「放送法の規定は倫理規定」であり、それは「研究者だけでなく、かつての政府も長く認めてきた正当な解釈」(山田健太・専修大教授、11日付共同配信)です。

 「政治的公平・中立性」を歪曲し、それを口実に報道機関に圧力をかけるのは安倍・自民党の常套手段であり、それはますます強まっています。

 これと同様の動きが、「18歳選挙権」にからんで学校現場で進行しています。

 文科省は昨年10月29日、全国の教育委員会などに「高校生の政治活動、選挙運動に関する通知」を出しました。その中で、「教員に対しては、個人的な主義主張を述べることを避け、公正中立な立場で指導するよう指示」(10月30日付共同)しました。

 これは「公正中立」の名による、学校現場・教師への新たな圧力・統制にほかなりません。

 その危険性を示す前兆が、安倍首相の地元・山口県で昨年起こりました。

 戦争(安保)法案が大きな焦点になっていた6月、山口県の柳井高校(柳井市)の2年生「現代社会」で、同法案について、複数の新聞記事を読み比べ与野党の主張を学んだ上で、模擬投票を行うという授業が行われました。
 これに自民党がかみついたのです。同党県議は県議会(7月3日)でこれを取り上げ、「政治的な中立性があるのか疑問だ」と攻撃。答弁に立った浅原司教育長は「指導が不十分だった」と陳謝し、村岡嗣政山口県知事も記者会見で教育長の陳謝を追認しました。山口県高教組の高見英夫委員長は、「現場への介入に教育長が屈すれば、現場は委縮し、政治的なテーマに尻込みをしてしまうのでは」(10月12日付中国新聞)と憂慮しました。

 こうした「現場の委縮」が、安倍政権のもとで全国へ広がる危険性はきわめて高いと言わざるをえません。

 一方、すでに70年代から「18歳選挙権」を実施しているスウェーデンでは、その成果が定着し、総選挙の投票率は80%台にのぼっていることが、NHKニュース(2月17日=写真右)で紹介されました。日本にはないスウェーデンの「3つのこと」が印象的でした。
 1つは、集会やデモ、新聞の重要性が、中学校の教科書で強調されていること。
 2つは、スポーツもできて若者が集える施設が各地にあること。
 そして3つ目は、「教師も自らの政治的立場を表明することが認められている」ことです。

 広島市内のある高校教師は昨年11月、「主権者教育」として、「安保法制」などで各党の政策を客観的に紹介する授業を行いました。「個人的な考えは述べない方針」で臨んだ教師は、授業後こう述懐しています。
 「生徒へのごまかしだったのでは・・・生徒を一人の人間として信頼し、一意見として教員の考えも述べる。そこまで踏み込んでこそ、教育の効果が高まるのではないか」(1月28日付中国新聞)

 「18歳選挙権」がほんとうに実のあるものになるには、現場の教師、生徒の教育・学問の自由を確保することが不可欠です。
 そしてそれは、「政治的公正中立」を口実にした国家権力の報道規制、「国民の知る権利」の侵害を許さないたたかいと一体不可分です。


辺野古裁判重大局面 ④ 「移設」論から離れられない翁長氏の致命的欠陥

2016年02月19日 | 沖縄・翁長知事

 15日の「代執行訴訟第4回口頭弁論」(福岡高裁那覇支部)。翁長知事に対する国の「反対尋問」で、つぎのやりとりがありました。

 国側 現在、普天間飛行場の危険性除去について、現実的で実現可能な方法について、あなた自身の具体的な考えはあるか。

 知事 10年前に硫黄島にP3Cに乗って行った。向こうは住民がいない。自衛隊のタッチアンドゴーをやっている。沖縄の負担を受けてもらえないかと言ったことがある。努力はしたが、今の考えということは申し上げることはできない。

 国側 考えがあるけれども言えない。

 知事 県外移設という考えは持っている。具体的にはどこかと言われると、ないという話だ。

 軍用機に乗って普天間の移設先を探しに行った、というのも驚いた話ですが、この問答で国側が裁判官に印象づけようとしたのは、“翁長知事は「県外移設」といいながら、具体的な考えは持っていない”ということです。

 しかし翁長氏はこう答えるしかないでしょう。「具体的にはない」のは事実ですから。

 ここには翁長氏の致命的な弱点・欠陥が表れています。それは、日米政府と同じ「普天間移設」論の土俵に上っていることです。「県外移設」論は「普天間移設」論の一案にほかなりません。 

  日米政府の言い分は一貫して、普天間返還には代替の移設先が必要だ、本土でも探しているが見つからない、ということです。

 これに対して翁長氏の「県外移設」論は、「日本の安全保障は日本国民全体で考え、負担を分かち合う」(「代執行訴訟陳述書」)べきだとして、普天間基地の機能を本土へ移設すべきだというものです。

 日米政府と同じ「移設」論に立つ限り、「移設先」はどこにする?代案は?・・・という議論が繰り返されます。
 そもそも基地を本土へ移す「県外移設」論では基地被害を含め日米安保体制問題の抜本的な解決にはなりません。各種世論調査の結果が示しているように、それは沖縄県民多数の意見でもありません。

 普天間は「移設」ではなく、「無条件・閉鎖・撤去」です。日米政府と同じ「移設」論の土俵に乗ってはなりません。

 そもそも県民の願いが結実した「建白書」(2013年1月28日)は、「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」としており、「県外移設」論は排しているのです。

 翁長氏は「建白書の精神」に基づくと言いながら、「建白書」に反する「県外移設」論を繰り返しています。
 「反対尋問」の翌日に県議会で表明した「2016年度県政運営方針(所信表明)」(2月16日)でも、「県外移設を求めてまいります」と3回も繰り返しています。
 これは明らかな「建白書」違反であり、県政与党「オール沖縄」陣営の一致点でもありません。

 例えば「県外移設」に反対の日本共産党は、今回の口頭弁論後も機関紙「赤旗」の「主張(社説)」(17日付)で、「『移設』の不当性いよいよ明白」のタイトルのもと、「普天間基地は、『移設』条件なしのへ閉鎖・撤去こそ必要です」と、「建白書」に沿った主張を強調しています。

 そうであるなら、共産党はなぜ翁長氏の「建白書」違反の「県外移設」論に対して抗議しないのでしょうか。なぜ見て見ぬふりをしているのでしょうか。それは公党として、県政与党としての責任放棄ではありませんか。

 日米安保体制の必要性を繰り返し強調する翁長氏が自発的に「移設」論から脱却することはまず考えられません。そうである以上、「建白書」にもとづいて、翁長氏を「県外移設」ではなく「無条件閉鎖・撤去」の立場に立たせることが、県政与党の役割ではないでしょうか。

 23日から県議会で翁長氏の「県政方針」に対する代表質問が始まります。共産党はじめ県政与党の質疑が注目されます。


辺野古裁判重大局面③ 「埋立承認撤回」の放棄は許されない

2016年02月18日 | 沖縄・翁長知事

  

 前回みたように、翁長知事は「反対尋問」(15日)で、「代執行訴訟」敗訴の場合、「埋立承認の取り消し」を自ら「取り消す」と言明しました。
 この発言を受けて、次のような問答がありました。(16日付琉球新報より)

 国側 これまで、あなたはたびたび記者会見で辺野古に基地は造らせないとか、今後ともあらゆる手法を用いて辺野古に代替施設を造らせないとの公約実現に向け不退転の決意で取り組むということも言っている。この発言との関係(「取り消し」を取り消すこととの関係-引用者)はどうなるのか。

 知事 私があらゆる手法を用いるというのはそれこそいろいろあると思う。私が去年行動した中で、仮にワシントンDC向こうのアメリカ政府が分かったと言えば、それもありとあらゆる手段になる。その意味からするといろんなやり方がある。

 さらに、「取り消し」を自ら取り消すと、仲井真前知事の「埋め立て承認」に「法的瑕疵」はなかったことになる、という個所での問答です。

 国側 仲井真さんの承認には瑕疵がないということがその場合、司法的に確定することになる。それが確定した場合はその判断を尊重してその後の行政判断をするということになるか

 知事 判決は大変重要なことなので、行政の長としては従う。だが、先ほど申し上げた一つの例、ワシントンDC、アメリカ政府が分かったとなる例などは考えている

 国側が繰り返し聞いているのは、今回の裁判で「敗訴」した場合、自ら「取り消し」を取り消す翁長氏は、そのあとどういう手段で「造らせない」つもりなのか、「あらゆる手法」として何を想定しているのか、ということです。
 それに対して翁長氏が答えていることはただ1つ、「アメリカ政府が分かったとなる」ことです。「いろいろある」とか「一つの例」などと言いながら、自ら答えているのは「アメリカ政府」以外にありません。国側がわざわざ「その後の行政判断」を聞いているのに、その答えも「アメリカ政府」です。
 これが翁長氏の「あらゆる手法」でしょうか。

 翁長氏の念頭からは肝心な「手法」が完全に欠落しています(意図的に欠落させている)。「あらゆる手法」の中でも最も重要な「手法」、それは「埋立承認の撤回」です。

 現在係争中の3つの訴訟は、いずれも翁長氏の「埋立承認の取り消し」に基づくものであり、その根拠となった「埋立承認の法的瑕疵」の有無が最大の争点となっています。

 しかし、もともと辺野古新基地を阻止する手段は、埋立承認の「取り消し」と「撤回」の2つあったのです。そして、翁長氏は知事選の出馬にあたって、こう公約していました。

 「取り消しは法的な瑕疵があればできると考えられます。・・・法的な瑕疵は十二分にあると思います。知事になれば、この過程を検証していきたい。
 撤回は、法的な瑕疵がなくても、その後の新たな事象で撤回するということですが、知事の埋め立て承認に対して、県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になると思います」(2014年10月21日の政策発表記者会見。同22日付「しんぶん赤旗」)

 さらに、就任後の県議会(2014年12月17日)でも、翁長氏はこう答弁しました。

 「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になると思う」(2014年12月18日付琉球新報)

 「取り消し」と「撤回」は違うのです。

 県内の専門家らで構成される「撤回問題法的検討会」(新垣勉弁護士、仲地博沖縄大学長ら)も、翁長氏に提出した「意見書」(2015年5月1日)で次のように指摘していました。

 「新知事は、埋立承認が撤回により生じる国の不利益を考慮しても、撤回により生じる沖縄県の公益が高いと認められるときには、新たな公益判断に基づき、埋立承認を撤回することができる
 よって、新知事において、憲法で保障された地方自治の本旨及び公有水面埋立法が埋立承認の権限を知事に授権した趣旨を踏まえて、新たな公益判断を行い、前知事がなした埋立承認の撤回を行うよう、要請する

  仲井真前知事の埋立承認に対して「県民がノーという意思を強く示」したことによって知事になった翁長氏は、本来、就任後直ちに埋立承認を「撤回」すべきだったのです。

 「埋立承認取り消し」をめぐって争われている裁判で仮に裁判所が「国勝訴」の不当判決を行ったとしたら、翁長氏は直ちに「埋立承認撤回」を表明すべきです。しなければなりません。それこそが「あらゆる手法」の行使です。

 「選挙公約」にも「議会答弁」にも反して「埋立承認撤回」を暗黙のうちに放棄することは、絶対に許されません。

 


辺野古裁判重大局面② 「自ら取り消す」は利敵背信行為

2016年02月17日 | 沖縄・翁長知事

 15日の「代執行訴訟第4回口頭弁論」(福岡高裁那覇支部)における翁長知事に対する国側の「反対尋問」で、次のような問答がありました(16日付琉球新報より)

 国側 代執行訴訟、今、国が起こしているが、それであなた、被告が敗訴した場合、その判決にはあなた、従うか。
 知事 従う。
 国側 求めているのはあなたが出した(埋め立て承認―引用者)取り消し処分を取り消せという主文になるわけで、例えば取り消しを取り消せという判決が下された場合、それに従ってあなたは自ら取り消せということなんですが。
 知事 はい。
 国側 これは代執行訴訟なので、取り消しを取り消せということに従わなければ代執行ができるという国の地方自治法の仕組みになっていますけれども、代執行がなくても自ら判断が出れば取り消すということか
 知事 私が考えているのと、別なことを言っているのか。(私が考えているのと)同じ話だったら、そうだ。
 国側 取り消しを取り消せという裁判所からの判決が出た場合に、それに従ってあなたが取り消すということもあれば、もしそれをしない場合は国が代執行できるという規定になっている。ここはいかがかということだ。
 知事 判決通り、(承認取り消しを)取り消す

 しつこいと思われるほど国側が何度も同じことを聞いているのは、翁長氏の答えが国側の弁護士にとっても意外だったのでしょう。

 事実、この翁長氏の言明はきわめて重大な意味をもっています。
 仮に「国側勝訴」の判決が確定した場合、翁長氏は「埋め立て承認取り消し」を自分の手で取り消すと言明したのです。国側が、代執行する道もありますよとわざわざ念を押しても、それには及ばない、自分で取り消すと何度も繰り返したのです。

 これは、裁判所が不当判決を下した場合、あくまでも主張を貫いてたたかい続けるのではなく、その時点で主張(承認取り消し)は取り下げる、つまり「不当判決」に屈服するということにほかなりません。
 それが何を意味するかは、この問答に続く国側の次の主張に表れています。

 国側 そうすると、あなたが出した取り消し処分が違法で取り消されるということは、基本的には前知事の仲井真さんが出した、あなたは瑕疵があるというけれども、瑕疵があるといっていた仲井真さんの承認には瑕疵がないということがその場合、司法的に確定することになる

 これはきわめて重大なことです。
 現在の日本の司法状況からすれば、「不当判決」が下される可能性は十分あります。しかしその場合も、あくまでも主張は堅持し、それこそあらゆる手段を駆使して徹底的にたたかい抜くことが肝心です。それが辺野古で連日奮闘している人びとはじめ、新基地阻止の県民・国民の思いであり、決意でしょう。

 ところが翁長氏は、「不当判決」が出たらそれに「従う」。そればかりか、「自ら取り消しを取り消し」、仲井真前知事の承認は瑕疵がなかったことにしようというのです。
 これは辺野古阻止のたたかいに冷水をかけるものであり、新基地に反対する県民・国民への重大な背信行為だと言わねばなりません。

 ここで、20年前を振り返ってみましょう。
 1995年、大田昌秀知事(当時)は米軍用地強制使用の「代理署名」を拒否しました。それを国が訴え、福岡高裁那覇支部は1996年3月25日、大田知事に対し代理署名を命じる不当判決を下しました。
 しかし大田知事がこれに従わなかったため、橋本龍太郎首相(当時)が代理署名を執行。県は4月1日、最高裁に上告しました。
 国はさらに軍用地の「公告・縦覧」など職務執行委命令訴訟を起こし、国と県の訴訟は奇しくも今と同じ3件になりました。
 
 最高裁は8月28日、異例のスピードで、「上告棄却・県側全面敗訴」の判決を下しました。
 すると大田氏は9月13日、橋本首相との会談後、「従来の立場を一転させて公告・縦覧代行の受け入れを表明」(櫻澤誠氏『沖縄現代史』中公新書)したのです。

 それは政府・自民党の思うツボでした。

 「沖縄問題を選挙(10月20日投票の総選挙-引用者)の争点から外すことに躍起になっていたのは、いうまでもなく日本政府であった。大田知事の代行応諾の意思表示を受けて、橋本首相は『最大課題だった沖縄問題の打開も成果に掲げて衆院の解散、総選挙に向けた動きを本格化させ』た(朝日新聞、1946年9月14日)」(新崎盛暉氏『沖縄現代史・新版』岩波新書)。

 失望したのは沖縄県民でした。

 「知事の方針転換に戸惑いが広がるなか、沖縄県の投票率(総選挙-引用者)は56・84%となり、復帰後初めて全国平均も下回って過去最低となった」(櫻澤氏、同)

 地方自治法改正以前の20年前は今よりさらに困難な状況で、単純な比較はできません。しかし、たとえ「不当判決」が確定しても、主義・主張を曲げずたたかい続けることがいかに大切か、それがいかに県民・市民を勇気づけることかを、この歴史の教訓は物語っているのではないでしょうか。

 衆院選と参院選の違いはあっても、奇しくも今回も同じく国政選挙前です。
 「自ら取り消しを取り消す」ことは安倍政権の思うツボであり、もってのほかです。
 仮に「不当判決」が下されても、断固とした姿勢を貫き、国に代執行せざるをえなくさせる。その安倍政権の強権ぶり、民主主義蹂躙の姿を白日の下にさらし、それを参院選の大きな争点にする。
 それが「辺野古訴訟」の重要な意味ではないでしょうか。

 ※次回は「あらゆる手法」について検証します。