アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

徳仁天皇即位1年・天皇制の不要性を証明

2020年04月30日 | 天皇・天皇制

    
 徳仁天皇が即位して5月1日で1年になります。安倍政権は数々の憲法違反を犯して一連の「代替わり儀式」を繰り広げ(写真)、懸命に天皇制の維持を図ろうとしてきました。
 しかし、そうした政府(国家権力)の思惑とは裏腹に、この1年は天皇制がこの社会に必要ない、いや、あってはならないものであることがあらためて証明された1年ではなかったでしょうか。

 徳仁天皇は即位以来、何をしたでしょうか。ほとんど記憶に残ることはしていません。それは批判すべきことではなく、逆に歓迎すべきことです。

 天皇の影が薄くなった理由の1つは、新型コロナウイルスによって諸行事が中止・延期になったことです。ざっと挙げても、天皇誕生日の一般祝賀、英国訪問、園遊会、全国植樹祭、春の褒章の親授式、そして秋篠宮の「立皇嗣の礼」などが軒並み中止・延期になりました。

 これらの行事が中止・延期になって市民生活に何か影響が生じたでしょうか。何もありません。すなわち、天皇の「公務」といわれているものは、市民にとってはなくても困らない、まさに「不要不急」のものだということです。

 天皇制が不要であることをよりはっきり示しているのは、コロナ禍に対する徳仁天皇の姿勢です。
 4月9日の当ブログで、「徳仁天皇は『ビデオメッセージ』を発してはならない」と書きましたが(https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200409)、幸い今現在それは発せられていません。

 天皇制維持勢力にとってこれは忸怩たるものがあるようです。例えば、「天皇退位有識者会議」(2017年)で座長を務めた御厨貴氏(元東大教授)は、「気掛かりなのは、新型コロナで皇室の存在が希薄になっていることだ」と危機感をあらわにしたうえで、「東日本大震災の時に上皇さま(明仁―引用者)はビデオメッセージを出した。陛下(徳仁―同)も国民に向けて何らかのパフォーマンスを見せてほしい」(4月14日付中国新聞=共同)と切望しています。

 しかし、天皇の「ビデオメッセージ」は憲法上多くの問題があり、行われてはならないものです。コロナ禍に対しは、天皇として何もしないことが正解です。それが憲法の象徴天皇制の趣旨であることを改めて銘記する必要があります。

 もう1つこの間の注目すべきことは、天皇制に対する「国民」の支持が減退していることです。

 徳仁即位1年を前に、共同通信は皇室に関する世論調査を行いました。その結果、天皇に「親しみを感じる」という回答は58%にすぎませんでした(4月26日付地方各紙)。しかもこの数字さえ額面通りにとることはできません。
 なぜなら、有効回答が63・3%(3000人に調査票を郵送し有効回答は1899)だったからです。調査票に対し「親しみを感じる」と答えて返送した人(選挙の絶対得票率に相当)はわずか36・7%ということになります。「尊くて恐れ多い」「すてきだと思う」など天皇に対する好意的回答をすべて合わせても、調査票に対するその比率は50・6%にすぎません。すなわち、天皇に対する好意的感情を積極的に回答した人は「国民」の約半分にすぎないということです。

 憲法第1条は、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しています。世論調査の流動性を考慮しても、今回の共同通信の調査結果は、現在の天皇制がおよそ「国民の総意」に基づいているものではないことを示しているのではないでしょうか。憲法第1条に従えば、徳仁天皇は天皇の地位にとどまることはできないのです。

 コロナ禍は、様々な面で、日本が格差と差別の国であることをあらためて私たちに突き付けています。天皇制こそ日本の差別の「象徴」であり元凶です。コロナ感染によって社会の変容が不可避になっているいまこそ、天皇制廃止へ向かう好機ではないでしょうか。


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コロナ対策で自衛隊に出動要請する危険

2020年04月28日 | 沖縄・米軍・自衛隊

    
 新型コロナウイルス感染が広がっている中、「感染対策」や「感染者搬送」で自衛隊に出動を要請する動きが出ています。きわめて危険な兆候です。

 首都圏のあるバス会社は、緊急事態宣言で通常の営業が困難になり、新たに成田空港と都心を結ぶ路線の開拓に着手。そのため車内の消毒や乗務員の感染防止ノウハウの教示を陸上自衛隊に依頼しました。陸自幹部は「こうした官(自衛隊)と民の連携した活動が広がれば」と歓迎しています(27日朝のNHKニュース。写真中・右)。

 感染防止対策を自衛隊に頼る必要性がどこにあるのでしょうか。それは本来、保健所・自治体・厚労省の仕事です。

 自衛隊は軍隊です。軍隊の本来任務は戦闘(戦争)です。自然災害に乗じてその活動を広げ、社会への浸透を図るのは政府(国家権力)基本戦略ですが、市民の側から自衛隊に接近し「協力」を求めることは、その国家戦略に自ら手を貸すものと言わねばなりません

 その危険性がもっとも顕著に表れているのが、沖縄です。

 沖縄の玉城デニー知事は23日、コロナに感染した「軽症者」を病院からホテルなどの療養施設に搬送するためとして、那覇市の陸上自衛隊第15旅団に「災害派遣」を要請しました(期間は23日~30日)。
 その理由を玉城氏は、「患者の急速な増加で、重症化した人や重症の恐れが高い人への入院治療の提供に支障を来たしかねない」からだと説明しました(24日付沖縄タイムス)。

 まったく理由になっていません。感染者を搬送する体制が不十分なら職員を増員して体制強化を図るのが知事の責任でしょう。それを自衛隊に依存する必要がどこにあるのでしょうか。

 玉城氏は知事選に出馬する直前まで沖縄防衛協会の顧問を務めるなど、以前から自衛隊との親和性がきわめて強い人物です(2018年9月11日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20180911)。今回あえて自衛隊に出動要請した背景にもそうした玉城氏と自衛隊の関係がうかがえます。

 現在の沖縄で知事が自衛隊に対して親密な姿勢を見せ、出動を要請することには二重三重の危険性があります。

 第1に、安倍政権が沖縄の離島をミサイル基地化するために宮古島、与那国島に陸自部隊を配置し、さらに石垣島にも配備を強行しようとしていることに対し、島民・県民が反対してたたかっている今、知事が自衛隊に頭を下げて出動を頼むことがどういう政治的意味を持つかは明らかでしょう。

 第2に、沖縄にもコロナ感染が広がっている今、自衛隊はクラスター(集団感染)の危険がきわめて大きいにもかかわらず、知事が出動要請することはその危険性を隠ぺいすることになります。
 しかも、安倍政権が住民の反対を押し切って宮古島で陸自の式典を強行し、そこに感染の疑いがある隊員が複数参加していたことが問題になっている最中です(4月20日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200420)。

 軍隊は「3密」そのもので、感染の危険に満ちています。現に米軍は、24日現在、「感染者の総数が8186人で、初めて死者が確認された3月23日から1カ月で約33倍に急増」(27日付沖縄タイムス・平安名純代特約記者)という実態が分かっています。

 ところが、日本の軍隊である自衛隊は、現在感染者が何人で、どういう増加傾向にあるかなど、実態がまったく明らかにされていません。

 自衛隊に対していま必要なことは、「出動要請」とは逆に、隊内の感染状況を包み隠さず明らかにさせ、その活動を文字通り(少なくとも市民並みに)“自粛”させることです。


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「板門店宣言」から2年、いま何をすべきか

2020年04月27日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 2018年4月27日、韓国の文寅在大統領と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩委員長が板門店で会談し、「朝鮮半島の非核化」「朝鮮戦争終結」などを柱とする歴史的な「板門店宣言」を発表しました。南北首脳会談は10年半ぶり、朝鮮の最高指導者が韓国の地を踏んだのは史上初でした。

 あれから2年。アメリカ・トランプ政権の対朝鮮強硬政策などにより、「宣言」で表明された内容は必ずしも順調に進展しているとは言えません。しかし、「宣言」の歴史的な意義が失われることはありません。ある意味で現在の情勢は、「宣言」の内容を前進させる好機ではないでしょうか。「宣言」は最後でこう締めくくられています。

 「両首脳は…民族の重大事を随時、真摯に議論し、信頼を強固にし、南北関係の持続的な発展と朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた良い流れをさらに拡大しいていくために共に努力することにした」(共同通信「宣言」全文より)

 「民族の重大事」。現下の新型コロナウイルス感染はまさにそうではないでしょうか。もちろん、朝鮮民族だけの重大事ではありませんが、アメリカを中心とする経済制裁で医療面も大きな打撃を受けている朝鮮にとって、コロナ対策はまさに「国家存亡にかかわる問題」(朝鮮労働党機関紙・労働新聞)です。朝鮮政府は現在のところ「感染者はいない」としていますが、いったん感染が発生するとその重大性は計り知れません。

 朝鮮はコロナ対策として、厳しい経済事情の中でも、1月下旬から観光をはじめ外国との交渉を遮断しています。それはすでに3カ月に及んでおり、きわめて深刻な経済的危機を迎えていると推測されます。

 これに対し韓国政府は、「(4月)23日、韓国の民間団体が新型コロナウイルス防疫用防護服2万着を北朝鮮に支援するとして出した搬出申請を承認したと明らかにした」(23日付ハンギョレ新聞日本語電子版)と報じられています。
 民間団体の朝鮮支援を許可したことはもちろん評価されますが、韓国政府は自ら積極的にコロナ対策で朝鮮を支援すべきではないでしょうか。その決め手は経済制裁の解除です。

 韓国では3月31日、「市民社会の87団体が連名で、『COVID19対策の障害となる、対朝鮮制裁の緩和か解除を求める』共同声明を出した」(20日付琉球新報「乗松聡子の眼」)という動きが出ています。

 文大統領はいまこそ朝鮮に対する経済制裁を解除し、アメリカなどにもその働きかけをすべきです。それが「板門店宣言」で表明した「民族の重大事」に対する「共同努力」の実践ではないでしょうか。

 私たち日本人にとって「板門店宣言」はけっして他人事ではありません。朝鮮半島侵略・植民地支配によってもたらされた朝鮮半島の分断に、私たち日本人は直接責任があります。「宣言」の実行は私たち自身の課題でもあります。

 私たちもコロナ対策で窮地の朝鮮を支援すべきです。そのためにも、安倍政権に対し、歴史的責任に逆行し非人道的な対朝鮮経済制裁を直ちに解除せよ、との声をいまこそ突き付ける必要があります。

 


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NHK・Eテレ「バリバラ桜を見る会」再放送中止の怪

2020年04月26日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

     
 「日曜日記95」を書く予定でしたが、急きょ内容を差し替えます。

 26日午前0時からNHK・Eテレで放送される予定だった「バリバラ桜を見る会~バリアフリーと多様性の宴~第一部」の再放送が急きょ中止され、別のバリバラ(4月2日放送の「新型コロナ“自粛”検討会議」)の再放送(再々放送)に切り替えられました。その理由の説明はテロップではありませんでした。

 番組内容の突然の変更はきわめて不可解であり、安倍政権による圧力の疑いを禁じえません。

 再放送される予定だった「バリバラ桜を見る会・第一部」には、性暴力とたたかう伊藤詩織さん(伊藤さんが被害を受けた性暴力の加害者は安倍首相と近い元TBS記者)、ヘイトスピーチ・民族差別に抗う崔江以子さん、風刺コメディアンの松崎菊也さんらがゲストで出演。本放送は23日午後8時からでした(写真)。

 番組は、「2019年度に起こった多様性・バリアフリーをめぐる大事な出来事をコントや漫才と共にふり返るお花見形式トークショー」(番組HP)で、「桜を見る会」を舞台設定にしていることからも分かるように、安倍政権(安倍晋三首相や麻生太郎副首相)への風刺満載。松崎氏らのコント、「三拍子」の漫才などの笑いの中で、伊藤さんや崔さんらの鋭い指摘が印象的な好番組でした。それだけに、安倍政権にとってはきわめて目障りな内容だったでしょう。

 「バリバラ」(バリアフリーバラエティの略)は毎週木曜午後8時から30分のレギュラー番組。再放送も毎週日曜午前0時からと決まっています。これまで再放送の内容が急きょ変更された例は見たことがありません。切り替えて放送された「新型コロナ“自粛”検討会議」も貴重な内容ですが、すでに5日に再放送されており、3週間後に再々放送をしなければならない理由はないはずです。

 安倍政権が陰に陽にメディア、とりわけNHKに圧力をかけているのは周知の事実です。Eテレに対してもかつて、市民が戦時性暴力を裁いた「女性戦犯国際法廷」を報じたETV特集(2001年1月放送)に対し、安倍氏(当時内閣官房副長官)らが圧力をかけて内容を変更させたことが発覚しています(2005年)。

 今回の突然の変更の裏にも安倍政権による圧力があったのではないか。なぜ急きょ番組内容が変更されたのか。NHK・Eテレは明らかにすべきです。そして、予定されていた「第一部」はいつ再放送するのか、明確にしなければなりません。

 また、30日午後8時からは「第二部」の放送が第一部と同じ出演者で予定されています。その再放送は5月3日午前0時と告知されています(26日午前2時現在)。本放送、再放送が予定通り行われるか注視する必要があります。

 「バリバラ」はたいへん貴重な番組で、これからも応援したいと思っています。「バリバラ」HPには、「桜を見る会」の企画は「マイノリティーや障害者の声に耳を傾け、これから『バリバラ』が取り組む課題について考える巻頭言スペシャル!」だとされています。まさに今回の番組変更は、「これから取り組む課題」に直結する問題です。
 それは「バリバラ」、Eテレだけの問題ではありません。国家権力とメディアの関係、「表現・報道の自由」全体に通じる問題です。


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「3・11原発事故」と「新型コロナウイルス」

2020年04月25日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

    
 一変する日常、目に見えぬ恐怖、天災が人災に転化する政府の無為無策…新型コロナウイルス感染は、いろいろな意味で「3・11」東日本大震災時の東電福島原発事故と通じるものがあります。

 「3・11」当時、内閣の原子力委員会委員長代理として事態に直面した鈴木達治郎氏(長崎大教授)が、「あの時の教訓が生かされているのか」と「3・11」を振り返り、コロナウイルスに対する安倍政権の対応を批判しています(19日付中国新聞、写真左)。鈴木氏が指摘する「5つの教訓」を紹介(要約)します。

教訓1 「命を守る」を最優先に

 命を守る対策のコスト負担をためらってはならない。今回のように事業者や住民に自粛要請をするのであれば、その影響に対する「補償」はセットで考えなければいけない。「経済対策」ではなく、命を守るためのコストとして考えるべきだ。

教訓2 「代替案」を検討せよ

 安倍首相は緊急事態宣言を出したが、これがあたかも「最後の切り札」かのような印象を与えた。しかし、宣言はあくまでも「手段」であって「解決策」そのものではない。果たして宣言で示された施策について、同じ目的を達成することのできる代替案は十分検討されたのだろうか。2月末に首相が突然表明した一斉休校要請も代替案を検討した気配がない。
 緊急事態宣言までに時間的猶予は十分あった。原発事故の際も代替案の検討がおろそかになることがあったが、その反省が生きていないというのが実感だ。

教訓3 「世界の英知」を活用せよ

 新型コロナ対策は一国だけで解決しようとしても無理だ。感染症対策には世界の英知、国際協力が必須だからだ。
 原発事故の対応で私が最も重要と感じたのが、世界の英知を集めることだ。実際、世界の専門家や産業界から日本に対し多くの助言や援助の申し出があった。ところが、廃炉の措置も真に世界の英知を活用できる体制が構築できたとは思えない。

 新型コロナ対策も同様だ。PCR検査が日本では海外に比べ極端に少ない。本来なら検査数を増やすことが原則であり、WHOもそう勧告していた。世界で検査をかなりのスピードで実施していた国々(例えば韓国―引用者)の知見から学ぶこともできたはずだ。PCR検査の数を抑制すれば、結果的に守るべき命が守られなくなる

教訓4 「科学顧問組織」設置を

 危機に際してはなおのこと、政策には科学的根拠が不可欠だ。科学的知見が欠けていると、政策の実効性は保証されない。
 そのためには、専門知を政策に有効に反映させる体制が鍵となる。コロナ対策で政府が設置した専門家会議は、その独立性と権限が担保されていないように見える
 英国の「緊急時科学顧問会議」のように、日本も独立した権限を持つ科学顧問組織を早急に設置すべきだ

教訓5 「透明性と信頼性」の確保を

 最も大切なのが、政策決定の透明性とその信頼性だ。国民の信頼が得られなければ、どんな良い政策でも実効性は乏しい。
 だからこそ、意思決定プロセスの透明化、そのための徹底した情報公開、市民やマスコミの質問に丁寧に答える双方向の「リスクコミュニケーション」が絶対的に重要なのだ。

 政府の施策に対し、客観的に検証する「第三者機関」の設置も欠かせない。危機終息後に政策の検証ができるよう、全ての記録を保存する必要があることは言うまでもない。
 会議の議事録や提出資料、データなどを保存しておかなければ、政策の検証は不可能だ。今回の対応で、この点がおろそかになっているのではないかと不安を覚える。

 今こそ原発事故の教訓を生かしてもらいたい。そして、1954年のビキニ水爆実験後に核兵器と戦争の根絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」の有名な一節を想起してもらいたい。「人間性を忘れるな、他のすべてを忘れても

 鈴木氏が指摘する「5つの教訓」は、安倍政権が背を向け放棄しているものばかりです。政権が自らこれらの教訓を生かすことはあり得ません。それを実行させる力は、政府(国家)の支配から自律した市民の声以外にありません。

※前回<「自粛」という名の「自己責任」論>の補足

 市民の自主的な外出・接触の自粛や休業を否定するものではありません。むしろ必要だと考えています。警戒すべきは、「自粛」要請の名で市民に責任を転嫁する安倍政権の政治戦略です。必要なのは「無意識の自己統制」ではなく<意識的な自己統制>、「官製自主規制」ではなく<自律的自己規制>だと考えます。


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「自粛」という名の「自己責任」論

2020年04月23日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

    

 安倍政権による「緊急事態宣言」は、外出も休業も「自粛」を「要請」するもので、諸外国と違って強制力を持ちません。それは一見「民主的」であるかのように見えますが、果たしてそうでしょうか。

 仲正昌樹金沢大教授は、公衆衛生と権力の関係を論じたフランスの哲学者ミシェル・フーコーが「誰に監視されているのか、そもそも監視されているのか否かも分からない管理システム」を「規律権力」と名付けたことを引き、こう指摘します。

 「政治権力は通常、立法や何らかの指導でノーム(フーコーのいう「規範」-引用者)を作りますが、そのノームが定着すれば、人々はいつの間にか『これが普通だ』と思い始める。人間は誰しも『普通』から逸脱し異常扱いされるのは嫌です。こうして、権力から強く促されなくても、自分で自分を無意識に統制するようになります」(4月2日付朝日新聞)

 山田健太専修大教授もこう指摘します。

 「一連の自粛要請は、今や社会の中で当たり前のこととして受け入れられ、さらに緊急事態宣言の発動によって事実上の強制力をもって広がりつつある。…これまで、あれだけ忖度を問題視していた社会も、さらにステップアップさせた忖度の命令ともいうべき自粛の要請をすんなりと受け入れてしまっている。…今回の法に基づく自粛の要請は、自主規制を政府が命じるものであって、官製自主規制といえよう」(11日付琉球新報)

 「無意識の自己統制」(仲正氏)、「官製自主規制」(山田氏)という指摘に同感です。換言すれば、政府(国家権力)が「要請」する「自粛」とは、「自己責任」論の別名ではないでしょうか。

 周知のように、「自己責任」論は、イラクにおける「日本人人質事件」(2004年4月)で小泉純一郎政権が流布して以降、日本社会に充満しているものです。端的に言えば、政府(国家)の責任を放棄し、それを市民(国民)に転嫁することによって、市民間に相互監視と分断をもたらすものです。

 「自粛」という名の「自己責任」論。安倍政権の主な狙いは2つあるでしょう。

 1つは、「休業」も「自粛」であり政府が強制するものではないとして十分な補償をしないことです。これはすでに現実になっています。
 そもそも安倍政権(その傘下の自治体)は、休業に対する財政支出を「補償」と言いません。「協力支援金」と言います。これは単なる呼称の問題ではありません。「補償」は責任をとることを意味しますが、「協力支援」に責任の概念はありません。日本軍性奴隷(「慰安婦」)に対する日本政府の態度と同じです。
 「自粛」の形をとることによって、休業に対する補償を怠るうえ、わずかな財政支出も政府が責任を負う「補償」ではなく、上から恩恵として与える「支援・援助」にしようとしているのです。

 もう1つは、これから顕在化してきますが、緊急事態宣言の期限である来月6日になっても、感染が収まりそうにない場合(それは必至ですが)、安倍政権は「7割・8割」という「外出自粛」が守られなかったからだというでしょう。すなわち責任を「国民」の「自粛」不足に転嫁し、緊急事態宣言の延長を図るのです。

 今日の日本の深刻な事態は、年来の自民党政権の医療・福祉切り捨て政策は置くとしても、「東京五輪」に執着した安倍政権の初動の不十分さ、誤りに起因していることは世界周知の事実です。PCR検査の軽視がその端的な表れです。
 感染が収束しないのは、初動の遅れから一貫した安倍政権の失策の結果にほかなりません。責任があげて安倍首相にあることは明白です。

 「自粛」の名による「自己責任」論で政権(国家)の責任を市民に転嫁することは絶対に許すことはできません。
 私たちは、「無意識の自己統制」「官製自主規制」の罠から脱出しなければなりません。


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(改訂版)基地<自衛隊・米軍>が広げる感染の恐怖

2020年04月21日 | 日米安保・沖縄

    

 本日午前5時すぎから午前11時まで掲載したブログは、石垣島へ陸上自衛隊がすでに配備されていると事実誤認したものでした。深くお詫びいたします。以下、改訂版を掲載します。

 陸上自衛隊宮古島駐屯地に派遣されていた隊員が新型コロナウイルスに感染し、複数の隊員が濃密な接触をしていた問題(20日のブログ参照)は、事実経過の徹底した公表が急務ですが、沖縄における自衛隊、米軍の基地の存在は、感染拡大の恐怖を広げています。

 自衛隊員に感染者が出れば基地がクラスター化(集団感染)するのは必至です。なぜなら、自衛隊という軍隊組織は、まさに「3密」を絵に描いたような場所であり、また、感染者が各地に頻繁に移動する(今回感染隊員が熊本から宮古島へ派遣されていたように)組織だからです。

 しかも自衛隊は、たとえ発熱や体調不良が起きても上官に申告しづらい上意下達の文字通り軍隊組織です。そして、基地内に感染者が出ても「軍事秘密」を口実に公表しようとしない隠蔽体質も軍隊(自衛隊)の特徴です。

 沖縄の離島には現在、宮古島に約700人、与那国島に約160人配備されているほか、石垣島に約500~600人配備されることが計画(19年3月駐屯地着工)されています。感染症の恐怖から住民を守るためにも、自衛隊の配備・計画は阻止しなければなりません。(写真左は宮古島)

 軍隊・戦争が感染症を拡大することは、歴史が証明している事実です。

 「第一次世界大戦末期の一九一八年から一九年にかけて流行したスペイン風邪は、世界全体で五〇〇〇万人とも一億人ともいわれる被害をもたらした。…流行をもたらした要因として…第一次世界大戦下で戦時体制に組み込まれた軍隊と労働者の移動があった」(山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授『感染症と文明』岩波新書2011年)

 沖縄タイムス(20日付、平安名純代特約記者)によれば、米国防総省は17日時点で、米軍関係者のコロナ感染者が5927人(うち死亡19人)にのぼることを発表。しかし国防総省は、「米軍内における基地別や部隊別の感染者数や詳細を全て非公開」(同)としています。 「(沖縄)県内では、3月下旬に嘉手納基地で2人の兵士と、家族1人の計3人の感染が確認された。県によると、その後、米側から新たな感染者についての情報提供はないという」(同)

 在日米軍基地所属や、艦船などで日本に寄港する米兵に感染者がいる可能性は否定できない、否、きわめて高いと言わざるをえません。(写真中は、600人以上の感染者が判明した米原子力空母ルーズベルト)

 沖縄は構造的差別によって米軍基地、さらに自衛隊基地が集中することにより、戦争の前線基地にされる危険とともに、感染症の大きな恐怖にさらされているのです。

 安倍政権は沖縄はじめ全国の自衛隊基地・隊員・関係者の新型コロナウイルス感染状況を包み隠さず公表しなければなりません。

 私たちは、感染症(新型コロナだけでなく)の拡大を食い止めるためにも、世界から軍隊・戦争を一掃することが急務であることを銘記する必要があります。

  


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陸上自衛隊宮古島式典で感染拡大の疑い

2020年04月20日 | 自衛隊・軍隊

    
 
 心配していたことが現実になってしまいました。

 3月25日~28日に陸上自衛隊宮古島駐屯地に熊本駐屯地から出張していた50代の男性隊員が、新型コロナウイルスに感染していたことが18日までに分かりました(写真左は19日付琉球新報)。
 同隊員は3月28日に宮古島から熊本に帰任し、29日発熱。6日に入院し、7日に陽性が判明しました。

 宮古島滞在中、「会話するなど接触があった」(陸自西部方面総監部)宮古島駐屯地の隊員が少なくとも4人おり、「7日から11日まで自室に隔離した」ものの、「発熱などの症状がないため、12日から業務に戻った」(19日付沖縄タイムス)といいます。

 報道では、4人がPCR検査を受けたとはされていません。陰性を確認しないまま、「発熱など体調に異変がなかった」から職務に復帰させたといいます。驚くべきことです。

 宮古島駐屯地では今月5日、地元住民・医師会の強い反対・抗議を押し切って、200人規模の式典(集会)を強行しました(写真右)。感染者と接触があった4人の隊員が隔離されたのは式典から2日後の7日からですから、感染の疑いが濃い4人の隊員は式典に参加していたことになります。

 また、「(陸自は)隊員4人以外に接触者はいないとしている」(同沖縄タイムス)といいますが、4人以外にまったく接触がなかった(例えば2㍍の距離以内にいた隊員はいなかった)とはとうてい考えられません。接触者・感染の疑いが濃い隊員はもっと大勢いることが推測されます。

 さらに、「(陸自は)男性(感染隊員)の島内での訪問先は明らかにしていない」(同沖縄タイムス)といいます。駐屯地以外(例えば飲食店など)で島民と接触した可能性は否定できません。

 こうした事態に対し、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」は18日、宮古島駐屯地を訪れて抗議し、要請書と質問状を手渡しました(写真中、琉球新報より)。
 この中で、「(感染した)男性隊員の宮古島での行動歴、同隊員に接触した4人の健康状態など詳細について、22日までに文書で回答」(19日付琉球新報)するよう強く要求しました。
 同連絡会の仲里成繁代表は、隊員の感染について「防衛相が会見で触れただけで、いまだ詳細が市民に伝えられていない」(琉球新報)、「1人でも感染者が出たら、島中がパニックになる」(沖縄タイムス)と怒りをあらわにしています。

 感染の事実・経過を市民に知らせようとしないのは、軍隊としての自衛隊の本質、そして安倍政権の反民主性をはっきり示すものです。

 5日の陸自式典は、安倍政権が全国の市民には「外出自粛」を要求する一方、自衛隊は200人規模の集会を、地元の強い反対を押し切って強行したものです。地元医師会は事前に、「宮古島は医療資源に乏しく、新型コロナ感染の不安が島内に広がっている。万が一、感染者が出たら大変なことになる」(宮古地区医師会・岸本邦弘副会長、4日付琉球新報)と強く中止を要求していました。

 安倍政権はそうした地元の声を無視して式典を強行。それが、住民や医師会などが危惧した通り、感染の疑いが濃い隊員が複数参加し、クラスター(集団感染)の場になった可能性が判明したわけで、自衛隊の最高責任者でもある安倍首相の責任はきわめて重大です。


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日曜日記94・大林宣彦監督の遺言・「日米安保維持」68%

2020年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

☆大林宣彦監督の遺言

 大林宣彦監督が10日、亡くなった。尾道市出身で、終生尾道を愛した。尾道は私も中学、高校時代、思い出深い場所だ(私は隣の三原市生まれ)。それだけでも大林監督の死去は感慨深い。

 2018年の西日本豪雨で尾道などが断水したとき、監督は水100ケースを尾道の知人に託した。名前は出さないよう言われたという。  

 監督は、晩年の黒澤明監督から夢を託されていた。「映画で世界を平和にする」

 がん闘病中の昨年11月、広島国際映画祭に車いすで登壇し、開幕式でこう語った。「良い映画とは未来を平和にする映画」「戦争は明日にでもできるが、平和をつくるには400年はかかる。やり遂げましょうね」(以上まで、12日、14日付中国新聞より)

 「この空の花 長岡花火物語」(2012年公開)を福山で見た(2014年7月)。太平洋戦争下の長岡空襲と東日本大震災をモチーフにしたドキュメンタリータッチの作品だった。

 冒頭、大林監督の言葉がテロップで映された。「未来に生きる子どもたちに、過去を生きた大人から、この映画を贈る」

 映画の中で、長岡の花火を切り絵にした山下清の言葉が出てきた。「世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる」

 作品は、地元の高校生が長岡空襲を再現する演劇が重要な役割を果たす。主人公の女子高校生がその演劇につけたタイトルは、「まだ戦争には間に合う」。言うまでもなく、監督自身の思い・願いだった。

 <秘密法を廃止し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させ、安倍政権を退陣させるなら、まだ、「戦争をする国」にならずにすむ。「まだ戦争には間に合う」。まさに現在の私たちに突き付けられている言葉です>と、ブログに感動を記した(14年7月15日のブログ参照 https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20140715)。

 それから6年。「まだ戦争には間に合う」という確信が、私の中では揺らぎつつある。政治はもちろん、日本社会・日本人の劣化はこの間ますます深まった。しかし、あきらめるわけにはいかない。「未来に生きる子どもたち」に対して、「過去を生きた大人」としての責任がある。

☆「日米安保維持」は68

 記録しておこうと思いながら延び延びになっている数字がある。ここで書き留めておこう。
 日本を「戦争をする国」にしている元凶は日米安保条約(日米軍事同盟)だ。その「改定60年」にあたり、朝日新聞が世論調査を行った(3月17日付)。「日米安保条約をこれからも維持していくことに賛成ですか」という質問に対する回答はこうだった。「賛成68%、反対13%」

 「世論調査」の数字は質問の仕方で変動する。そもそも「世論」の一端にすぎない。「世論調査」の数字に一喜一憂するのは妥当ではない。それを前提にしたうえで、「安保条約維持68%」という数字は記憶にとどめておく価値があるだろう。

 5,6年前までの「世論調査」では「安保条約支持」は約80%だった。それが「沖縄の米軍基地を本土へ持ち帰るべきだ」論の根拠の1つにもなった。最新の世論調査では「80%」ではなく「68%」だ。

 圧倒的と思われる「世論」も変わる。ある場合、劇的に変わる。「日米安保支持」「天皇制支持」はいずれも「約80%」といわれる(両者の近似はけっして偶然ではないだろう)。しかし、鉄壁とみられる壁も、崩れる。崩すことができる。
 「日米安保条約廃棄」「天皇制廃止」を正面に掲げ続けることの必要性・重要性をあらためて思う。


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緊急事態宣言全国拡大・安倍会見が強調した2つのこと

2020年04月18日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

    
 安倍晋三首相は17日夕、緊急事態宣言を全国に拡大(16日)したことについて記者会見しました。「7割・8割」の接触制限、「大型連休中の外出自粛」を要求したほか、この日の会見で2つのことを強調したとは見過ごすことができません。

 1つは、「国民」です。

 「一律10万円支給」のくだりで安倍氏は、「国民」という言葉を9回口にしました。「国民に支給する」という言葉には、在日朝鮮・韓国人や外国実習生などは排除するという危険性を含んでいます(17日のブログ参照)。その点をただす必要がありますが、記者会見では質問が11あったにもかかわらず、この点を追及した記者は1人もいませんでした。

 安倍氏には「国民に支給」という言葉が何を意味するか念頭にあったはずです。なぜなら、自民党若手参院議員・小野田紀美氏がツイッターで、「一律現金給付等は当然国民に限るよう徹底する旨も要望」(3月30日)した、「生活保障の責任を負うべきは国籍を持つ国だ」(3月31日)と述べるなど、自民党内右翼・差別主義者らが「日本国籍」を持たない人たちを経済支援から排除すべきだと主張していることは、同類の思想を持つ安倍氏は当然知っているはずだからです。

 「現金支給」の制度設計はこれからですが、「一律支給」を「日本人」に限定して外国籍の人々を排除する差別を絶対に許してはなりません。

 安倍氏が会見で強調したもう1つのものは、「自衛隊」です。

 安倍氏は、「のべ1万3千人の自衛隊員を動員している」と言いました。「自衛隊」を口にしたのはこの1回ですが、それはいかにも唐突で、あえて持ち出したことは明らかです。今回の「コロナ危機」に乗じて自衛隊(日本軍)の活動をアピールしようとする思惑がはっきり表れています。

 市民には「7割・8割」の外出自粛を強要しながら、安倍氏が最高責任者である陸上自衛隊は、地元住民や医師会の反対を押し切って、沖縄・宮古島で200人規模の集会を強行しました(4月5日、写真右。7日のブログ参照)。

 6日の記者会見でも17日の記者会見でも、この点を追及する記者は皆無でしたが、これは安倍政権による明らかな自衛隊の特別扱い(ダブルスタンダード)であり、感染拡大防止の上からもけっして黙過することができない重大問題です。

 「国民」を強調して「一律現金支給」から日本で暮らし働く外国籍の人々を排除・差別する。そして、ことさら自衛隊(軍隊)の存在をアピールする。17日の記者会見に表れた2つの特徴は、安倍政権が緊急事態宣言下の「コロナ危機」に乗じて、どんな日本をつくろうとしているかを示しているのではないでしょうか。


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