「この大災害についての天皇陛下のお気持ちは、三月十六日に放映されたお言葉に尽きて(いる)」(「文芸春秋」2011年5月号)。
川島裕侍従長(当時)がそう言うように、同日の「ビデオメッセージ」(写真左)はきわめて大きな意味を持っています。
「災害に際し、天皇陛下が映像で国民にメッセージを発したのは今回が初めて」(2011年3月17日付朝日新聞)。いいえ、災害に限らず、「天皇のビデオメッセージ」は前代未聞です。それだけにたんに「3・11」との関係にとどまらず、天皇制そのものにかかわる歴史的な出来事だったと言えるでしょう。
日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と、天皇がなし得る行為を厳格に定めています。
そしてその「国事行為」は、第6条の「内閣総理大臣の任命」「最高裁長官の任命」と、第7条の10項目を合わせた12項目に限定されています。
しかし天皇は実際にはそれ以外の公的な活動を頻繁に行っています。国会開会式での「おことば」や、国体・植樹祭などへの出席、先のフィリピン訪問などの皇室外交はその一例です。それらは「国事行為」ではなく、憲法にはない「公的行為」として容認(黙認)され慣習化しています。
今回の「ビデオメッセージ」はその「公的行為」の一種だと考える以外にありません。
また、東北3県はじめ各地への訪問(「巡幸」)、さらに「3・11」以後頻繁に行われた専門家からの意見聴取(「内奏」)も「公的行為」の範ちゅうです。
「公的行為」には「違憲」「合憲」(第7条第10項の「儀式」の一環とみなす)の両説あります。私は「違憲」だと考えていますが、それはひとまず置くとしても、重要なのは次の指摘です。
「いまここで大事なことは、学説がどのようなものであれ、また、どの説が有力であれ、政府の承認の下に、現に天皇は・・・これら公的な行為を行っているという事実である。この結果、天皇が国民の前に公的資格で登場する場面は、きわめて広汎なものとなっている。そしてそれらはそれぞれに天皇の権威を高めることに役立っている」(横田耕一氏、『憲法と天皇制』)
ここで見落としてならないのは、たとえ「合憲説」をとるとしても、「もちろん、こうした行為(「公的行為」―引用者)も・・・内閣の直接または間接の(宮内庁を通じて)補佐の下に、内閣が責任を負うかたちで行われる必要がある」(佐藤幸治氏、『日本国憲法論』)ことです。「公的行為」といえども、「内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」(憲法第3条)ことから逸脱することは許されないということです。
「3・11ビデオメッセージ」は、「内閣の助言と承認」を得ていたでしょうか。
とてもそうは考えられません。川島前侍従長によれば、「ビデオメッセージ」発表に至る経過はこうです(「文芸春秋」2011年5月号より)。
2011年3月15日。天皇は、「このような未曾有な時にあたり、御自身のお気持ちを国民に伝えたいとお考えになり・・・ビデオ収録による放映を行われることをお決めになった」。「陛下は・・・お言葉の作成を進められた」。翌16日。「お言葉の草稿も午前中には完成した。午後二時頃、ビデオ収録の時間を午後三時にセット。・・・午後三時、ビデオ収録開始。・・・ビデオは午後四時半テレビ各局で一斉に放映された」
この経過を見る限り、「内閣の助言と承認」を得ているとは考えられません。たしかに「放映の決定」は宮内庁長官と川島氏に「相談の上」なされたとしていますが、宮内庁がかかわったのもこの時だけです。
「3・11ビデオメッセージ」は、発案から原稿作成・収録・放映まで、一貫して天皇明仁の“自発的”意思と行動によって行われたものだったのです。
これはこれまでの「公的行為」にもない、そして(「公的行為合憲説」も含め)憲法が規定している「内閣の助言とい承認」を逸脱した、天皇の独断専行と言わざるをえません。
仮に「内閣の助言と承認」に基づくものだったとしたら、それはそれで新たな問題を生じます。大災害という「未曾有な時」(緊急事態)に際し、政権が天皇の「権威」によって「国民」を鎮静化し統制しようとする新たな「天皇の政治利用」だからです。
しかも「メッセージ」は手続きだけでなく内容にも多くの問題があります。「自衛隊」と「原発」については先に見てきたとおりですが、それ以外に、「メッセージ」の問題個所を2つ挙げます。
「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています」
「海外の論調」を紹介する形をとりながら「日本人」の“美徳”を誇示しているのです。ここには同じ「3・11」の被災者でありながら外国人は視野に入っていません。
「今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き・・・これを被災地の人々のお伝えします」
「各国の元首」から天皇に電報が届き、それを天皇が「被災地の人々」に伝える。これは天皇こそが日本の「元首」であると言っていることにほかなりません。
以上、「3・11」の「天皇ビデオメッセージ」は、これまでの「公的行為」の枠をも超え、「元首」としての天皇の「権威」を高め、「国民統合」のいっそうの機能強化を図る重大な転機だったのです。
その後も、憲法に反する「公的行為」によって天皇の「権威」を高めようとする動きは強まっています。
それは、戦争法制による自衛隊の増強・暴走、日米軍事同盟の強化と一体不可分です。
※このシリーズはいったん終わりますが、「天皇・天皇制」の動向はさらに注視していきます。
天皇・皇后は「3・11」以降、今日16日からの「福島・宮城訪問」を含め、宮城県に6回、岩手県に2回、福島県に4回行っています。
このうち宿泊は、宮城県に5回(8日)、岩手県に1回(1日)、そして福島県は0です。
今日からの2泊3日の訪問でも、宮城県には2泊しますが、福島県には1泊もしません。
天皇・皇后はなぜ福島には泊まらないのでしょうか。
初回の福島訪問(2011年5月11日)で宿泊しなかったことについて、川島裕侍従長(当時)はこう“釈明”しています。
「福島県については、風評被害に苦しむ同県のため、あえて一泊の旅も辞さないお気持ちでおられ、内々検討を進めた。しかし、やはり御一泊としてお迎えする態勢を整えるのは、今の段階では難しそうであり、この度も日帰りの日程を組むこととした」(「文芸春秋」2011年8月号)
説得力の乏しい「理由」ですが、その後の3回の訪問でなぜ1泊もしないのかは、分かりません。
一方、「天皇のビデオメッセージ」(2011年3月16日=写真左)をめぐって、川島氏はこう述べたことがあります。
「後になって、『陛下は、放射線被曝を恐れて、密かに東京を脱出したという噂が流布されていたので、陛下がお元気に皇居におられることを確認出来、安心した』という反応が伝えられたと聞いて仰天した」(「文芸春秋」2011年5月号)
「ビデオメッセージ」にその「噂」を打ち消す意図があったのかどうかは分かりません。また、背景を障子で閉め切ったビデオ映像が天皇は「東京」にいるという証拠になるとも言いきれません。確かなのは、「ビデオメッセージ」で川島氏(天皇側近)は「天皇の東京脱出」という「噂」が打ち消されただろうと考えたことです。
「噂」をめぐる真偽はともかく、「ビデオメッセージ」が東電福島原発放射能汚染との関係で重要な意味を持つのは、次のくだりです。
「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示しいることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」
「取り乱すことなく」「秩序ある対応」「相携え」「いたわり合って」・・・一般論としては美徳に聞こえるこれらの言葉が、この時、天皇から発せられた意味は何でしょうか。
それは、放射能汚染についての国の発表・指示にはおとなしく従って行動せよ、国や自治体、東京電力に対して怒りをぶつけるようなことはあってはならない、ということではないでしょうか。
すなわち、自分が東京にいる(それが事実かどうかは前述の通り不明)ことをビデオで示しながら、福島県民をはじめ「国民」が放射能被曝から身を守るため自主的に避難することを押しとどめる。さらに、国・東電への責任追及を抑える。
「ビデオメッセージ」はその両面の抑止効果を狙った、きわめて重大な天皇の政治的発言と言わねばなりません。
ところで、川島前侍従長は、先の「噂」に「仰天した」発言に続けてこう言っています。
「陛下が、東京の人々を見捨てて、東京から出られるということなど、まったくあり得ないことであり、こうした事態における流言飛語の無責任さに憮然とした」(同)
福島原発の電力を使っている「東京の人々」は見捨てない。では福島原発がある「福島の人々」は見捨ててもいいのか。あまりの「無責任さ」、棄民思想に憮然とします。
次回は大きなカギを握る「ビデオメッセージ」自体についてさらに検証します。
天皇・皇后はあす16日から18日まで福島、宮城を訪れます。
「3・11」以後、二人が最初に「東北3県」へ行ったのは、次の日程でした。
2011・4・27=宮城県 5・6=岩手県 5・11=福島県
その移動手段は、すべて自衛隊機でした(写真左)。
「これまでは、乗用車によるお出ましであったが、東北三県については、いずれも自衛隊のU-4型輸送機によってそれぞれの県の空港まで飛ばれ、そこから自衛隊のヘリコプターによって被災地に入られ、夕刻に現地の空港を発たれ東京に戻られるという御日程である」(川島裕侍従長―当時、「文芸春秋」2011年8月号)
震災のため、他に交通手段がなかった、わけではありません。
「ちょうど東北新幹線の修復工事が完了し、仙台までの運転が再開された時期」でした。しかし、「余震により運転が中断される可能性が高い」(川島氏、同)からだと言います。
4月27日、宮城へ向かう天皇・皇后を乗せた自衛隊輸送機が着陸したのは、仙台空港ではなく、航空自衛隊松島基地でした(写真中)。
仙台空港が使えなかったわけではありません。「津波により大きな被害を被った仙台空港もようやく再開されていた」(川島氏、同)。にもかかわらずなぜ松島基地へ降りたのか。川島氏はその説明はしていません。
自衛隊松島基地で天皇・皇后は村井宮城県知事らと昼の会食をしました。出席者は知事のほか、県議会議長、東松島市長、県警警務部長、そして陸上自衛隊東北方面総監です。
5月6日の岩手、11日の福島もほぼ同様のパターンです。岩手・花巻空港での会食には、陸上自衛隊第9師団長が同席しました(福島空港での会食には自衛隊幹部は同席しなかったようです)。
松島基地では、「女性自衛官3人を急きょ接遇役に仕立てた。教官を呼び、お茶の入れ方などの作法についての訓練を3日間受けさせた。杉山(松島基地司令・杉山政樹―引用者)らは、両陛下の基地来訪を記念する何かを残したかった。・・・考えついたのが箸だ。前年にブルーインパルス50年記念で作った若狭塗りの箸を用意した。・・・両陛下が使った後、記念に保存しようと考えた」(朝日新聞2014年4月26日付)
天皇・皇后を迎えた松島基地の歓喜の姿が見えるようです。
「昼食後、皇后が『これは何ですか』と尋ねた。ブルーインパルスについての説明を聞くと、両陛下は『それはいいですね』と、箸を大切に持ち帰ってしまった」(同)
それから5年。
「防衛省は11日、集団的自衛権の行使を含み、今月施行される安全保障関連法を初めて全面的に反映させる自衛隊最高レベルの作戦計画策定に関し、これまで背広組防衛官僚が中心の内局が担っていた権限の一部を、制服組自衛官が中心の統合幕僚監部に移譲したと発表した」(12日付中国新聞=共同)
さらに、こんな動きも。
「防衛省が自衛隊の最高幹部である統合幕僚長や陸上幕僚長の地位向上策として、任免にあたって天皇による認証(写真右)が必要とされる『認証官』への格上げを検討している」(1月4日付しんぶん「赤旗」)
大日本帝国の「天皇の軍隊」と違い、自衛隊の最高指揮・監督権者は内閣総理大臣です(自衛隊法7条)。しかし、「自衛隊のなかには、内閣総理大臣のために死ぬというのでは隊員の士気があがらないので、ふたたび天皇を忠誠の対象としようとする動きがあり、天皇と自衛隊との結びつきは、特に一九六〇年代以降、深まっている」(横田耕一氏、『憲法と天皇制』)
その「天皇と自衛隊との結びつき」は、「3・11」を契機に、新たな段階に入ったと言えるでしょう。
次回は「福島原発放射能汚染」と天皇の関係をみます。
「3・11」から4年のきのう、政府主催の「追悼式典」が都内で行われました。
例年同様、天皇・皇后出席のもとで行われるこの「国家儀式」を、たんなる「追悼式」として見過ごすことはできません。
「式」は地震発生の午後2時46分の直前に開会。参加者全員が起立して天皇・皇后を迎えることから始まりました。
そして、「君が代」斉唱です。震災被災者を「追悼」するのに、なぜ“天皇の御代”を賛美する「国歌」を歌わねばならないのでしょうか。
まもなく地震発生時刻にあわせて「黙祷」。これは式典だけではありません。政府はすでに全国の官公庁、学校、企業などに対し、同時に「黙祷」することを求める閣議決定(2月24日)を行っています。
安倍首相が「式辞」で強調したのは、「未曾有の国難」「強靭な国づくり」でした。
そして天皇の「お言葉」。「4年間、被災地においては人々がお互いの絆を大切にし、幾多の困難を乗り越え、復興に向けてきた。・・・これからも国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思う」
ちょうど同じころ、会場の近くで、この「追悼式典」と全国一斉の「黙祷」に反対するデモが行われたことを知る人は多くないでしょう。マスメディアは無視したからです。
22の団体が賛同団体になったデモのスローガンは、「天皇出席の震災追悼式典・『全国一斉黙祷』反対! 原発推進・国家責任回避のセレモニーを許さない! 3・11を反原発と責任追及の日に!」
その「呼びかけ」文にこうあります。
「例年、『国家斉唱』に始まるこの式典の中心は、午後2時46分に天皇とともに行う一斉黙祷です。・・・天皇のもとでの一斉黙祷を強いるのは、政府と被害者がともに『国難』を乗り越え、核・原子力立国の復興を誓い合う場を演出し、国家・企業と被害者との対立をかき消すことになるのです。・・・天皇のもとでの『国民こぞっての追悼』により、被害者の憤怒を押さえ込み、被ばくや被害を甘んじて受け入れ共に原発推進に挺身せよと強制してきます」
「原発事故は明白な国家犯罪です。政府が行うべきは国家・責任企業による謝罪と完全な賠償、事故収束―全原発・関連施設の閉鎖です」
安倍首相は前日の10日記者会見し、今年で「集中復興期間」が終了することから、夏までに新たな「支援の枠組み」を決めると発表しました。それは、被災者と地元自治体にさらに大きな負担・犠牲を強いるものになるとみられています。
こうした政府(国家権力)の意向・政策と、天皇の下における「追悼式典」「一斉黙祷」は、けっして無関係ではありません。
被災者がもっとも危惧しているのが、「政府支援」のいっそうの後退であることは、NHKの調査でも明らかになっています(写真右)。
そんな中で、「国難」だから「絆を大切に」「国民みなが心をひとつにして」「困難を乗り越え」よというのは、被害者・国民の「憤怒を押さえ込み」、政府が押し付ける犠牲を「甘んじて受け入れる」ことを強要することにほかなりません。
これこそ、今日の日本社会における「天皇の政治利用」でなくてなんでしょうか。
「『3・11』を、いのちを奪われたすべての人々の憤りをうけとめ、原発事故の被害者、被ばくによる健康被害にさらされる住民や労働者と固くつながり、原発事故の国・独占資本の責任を徹底追及する日にしましょう」
「3・11デモ」のこの「呼びかけ」に心から賛同します。
この政府主催「追悼式典」に、沖縄のたいへんな状況をよそに、翁長雄志知事が2泊3日の「出張」で出席したことを付記します。