アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

昭和天皇を引き継いで繰り返される憲法違反の「内奏」

2016年08月30日 | 天皇制と憲法

    

 象徴天皇制の是非を考えるうえで、天皇が憲法に規定がないにもかかわらず「象徴的行為として」(8月8日の「ビデオメッセージ」)おこなっている、いわゆる「公的行為」の実態を明らかにする必要があります。
 
 今月5日の新聞の「首相の動静」欄に次の記述がありました。
 「午前10時9分、皇居。内奏」

 「公的行為」の中でとりわけ見過ごせないのは、天皇への「内奏」です。これは父・裕仁天皇(昭和天皇)を引き継ぐもので、天皇の政治関与、あるいは政権による天皇の政治利用につながるもので、現憲法下では到底容認できるものではありません。

 「内奏」とは、「上奏の前に、内閣などから人事・外交・議会関係などの重要案件を申し上げること」(後藤致人愛知学院大教授『内奏ー天皇と政治の近現代』中公新書)です。そして「上奏」(「近衛上奏」など)とは、「天皇大権に対応する形で国家法の枠組みのなかに正式に位置づけられたもの」(同)です。
 つまり「内奏」と「上奏」はセットで明治憲法の天皇大権を支える制度でした。したがって国民主権の新憲法のもとでは当然両方廃止されるべきでした。ところがー。

 「戦後、象徴天皇制になって上奏は消滅するが内奏は残る。昭和天皇が在位し続けたため、天皇がこの内奏という政治的慣習にこだわったことが大きかった。内奏は戦前以来、天皇の政治行為の重要な要素を構成しており、戦後象徴天皇制においても内奏が残ったことは、長期にわたる保守政権下、昭和天皇の政治力を残存させることになる」(後藤氏、前掲書)

 「内奏」は政府から天皇に報告するだけではありません。その際、天皇からの発言(宮内庁は御下問といいます)があるのがふつうです。そのやりとりは当然秘密にされますが、かつてそれが明るみに出て大問題になったことがあります。防衛庁長官(当時)の内奏にあたり昭和天皇が「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない」などと露骨な政治発言を行ったのです(いわゆる「増原防衛庁長官の内奏漏えい事件」1973年5月26日)。

 問題は、昭和天皇がこだわったこの悪しき「政治的慣習」が、明仁天皇にも引き継がれていることです。

 宮内庁HPの「天皇の日程」をくれば、「内奏」が出てきます。しかし公表されない「内奏」もあるといわれており、実態はベールの中です。
 その宮内庁発表分だけを拾っても、第2次安倍内閣発足以来、2013年=5回、14年=5回、15年=6回、そして今年は8月上旬までですでに6回、「内閣総理大臣」による「内奏」が行われています。回数は徐々に増えています。また、安倍内閣以前の民主党政権時代は、2010 年=2回、11年=2回、12年=3回で、「内奏」は自民党政権下で2~3倍に増えていることが分かります。ここにも「内奏」の政治性が表れているといえるでしょう。

 なぜ明仁天皇は昭和天皇の「内奏」を引き継いだのでしょうか。昭和天皇が皇太子・明仁に直接「帝王教育」を施し、明仁氏は父・昭和天皇をモデルに「天皇像」をつくりあげてきたからです(写真右は昭和天皇と皇太子時代の明仁氏)

 「天皇のあり方については、(昭和天皇にー引用者)お接しした時に感じたことが大きな指針になっていると思います」(1989年8月4日、即位後の記者会見)

 「私は、昭和天皇のお気持ちを引き継ぎ、国と社会の要請、国民の期待に応え、国民と心を共にするよう努めつつ、天皇の務めを果たしていきたいと考えています」(1998年12月18日、誕生日の記者会見)

 とくに「内奏」については、「昭和天皇は、内奏の一部を皇太子明仁に見せることにより、戦後政治における天皇と内閣・行政機関の有り様を教えようとしていた」(後藤氏、前掲書)のです。

 「知事の奏上(昭和天皇に対する内奏ー引用者)に毎年陪席しているわけですが…(昭和天皇が)よく知事にお聞きになっていらっしゃるのを、非常に印象深く感じたことがあります」(1978年12月21日、皇太子時代、45歳の誕生日の会見)

 明仁天皇が「内奏」の際に政府(首相)とどういうやりとりをしているかは不明です。しかし、「『内奏』の慣行は、過去の上奏等を彷彿させ、天皇がいまなお統治の中枢にあるかのような印象を生み出している」(横田耕一九州大名誉教授『憲法と天皇制』岩波新書)ことは明らかです。

 「国民主権」(憲法第1条)、「天皇の国政関与禁止」(第4条)に照らして、憲法違反の「内奏」は即刻やめさせなければなりません。


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相模原殺傷事件の「匿名報道」を考える

2016年08月29日 | 人権・民主主義

                  

 27日で1カ月がたった相模原障がい者施設殺傷事件は、亡くなった19人の被害者の名前が明らかにされていません。いわゆる「匿名報道」です。

 メディアはこれを「異常事態」(26日付中国新聞=共同)とし、「プライバシー保護を求める遺族の意向を反映させた措置だが『障害者を特別扱いするのは、容疑者と同じ発想の差別ではないか』との批判もある」(同)としています。

 この問題をどう考えればいいでしょうか。

 匿名は「事件で深く傷ついた遺族の希望であり、その遺族が障害者に対する社会の偏見を強く感じているからだ」(同前)と報じられています。
 一方、NPO法人日本障害者協会は、「声明」(8月5日)の中で、「報道で犠牲者の氏名を伏せていることは気になります。この国で事件や事故で死亡した場合、氏名の公表は通例です。…今のような状況では一人ひとりの死を悼みにくいのではないでしょうか」と指摘しています。同会の藤井克徳代表は、「死後も差別が続いていると思わざるを得ない。日本の障害者問題の縮図を示している」(同前)と厳しく批判しています。

 沖縄タイムスも社説で、「(氏名を公表しないー引用者)神奈川県警は事件で深く傷ついた遺族の要望とするが、そう望む背後に障がい者への偏見があることを理解すべきだ」(29日付)としています。

 大前提として、警察に被害者の氏名を公表するかしないか判断する権利・権限はありません。それは国家権力による情報操作であり許されるものではありません。

 その上で、「遺族の匿名希望」をどう考えればいいでしょうか。
 遺族が匿名を希望する真意がどこにあるのかは明らかにされていませんが、実名の公表によってあらためて「社会」から「偏見」や「差別」を受けることへの危惧があることは確かでしょう。その点で、藤井代表の指摘は「日本社会」に対する重い警鐘です。

 しかし、遺族の真意がどこにあるかにかかわらず、「匿名報道」が持つ意味はそれだけではないことを強調しなければなりません。
 今回の事件に限らず、したがって「障がい者問題」という背景の有無に限かかわらず、事件(犯罪)報道は匿名を原則とすべきだという有力な意見があるからです。

 日弁連は1976年の『人権と報道』の中でいちはやく、「犯罪報道は、原則として、犯罪事実の報道にとどめるべきであると考える。…氏名を公表することについては、その合理性を肯定することはできない」として「実名報道」に反対する考えを示しました。

 さらに1984年には、浅野健一氏(当時共同通信記者、のちに同志社大教授)が『犯罪報道の犯罪』で「実名報道」の問題点を多角的に指摘し、被疑者および被害者に対するの原則「匿名報道」を主張して大きな波紋を広げました。

 これに対しメディアは、「正確で客観的な取材、検証、報道で国民の知る権利に応えるため、被害者の発表は実名でなければならない」(日本新聞協会・日本民間放送連盟の「共同声明」2005年12月)と、一貫して「実名報道」主義をとっています。冒頭引用した共同通信の記事や沖縄タイムスの社説もこの立場から匿名を批判する姿勢で書かれています。

 しかし、「表現の自由・知る権利」や「警察のチェック」という「実名報道」主義の主要な理由については、「匿名報道」を主張する立場から次のような反論があります。

 「そもそも主権者にとって、真に『表現の自由/知る権利』の対象として『表現し知り得なければならない情報』とは何なのだろうか。…『何を表現すべき自由なのか』の本質的な議論がないまま、個人特定情報を暴く〝自由”が横行しているのが現実ではないだろうか。しかも本人のみならず、家族・親族等の尊厳・名誉までをも傷つけ続けているのが実態だろう。この問題は…『憲法の究極的な価値原理たる<個人の尊厳>は如何にして守られるべきか』という根本問題に他ならない」(長峯信彦愛知大教授・憲法学、『憲法から考える 実名犯罪報道』2013年現代人文社)

 これは被疑者・被告人に対してだけでなく、被害者に対しても同様だというのが「匿名報道」主義の主張です。

 山口正紀氏(ジャーナリスト・元読売新聞記者)は、「報道による人権侵害、とりわけ実名報道によるプライバシー侵害の被害は被疑者・被告人だけでなく、事故や犯罪被害者にも及び、深刻な打撃を与えている」として、「東電OL殺人事件」(1997年)や「桶川事件」(1999年)などの実例を挙げ、こう指摘します。

 「果たして『被害者の名前掲載を決める権利』はメディアにあるだろうか。…もし氏名が『人が個人として尊重される基礎となる情報』(実名報道主義をとる朝日新聞社の「取材と報道」指針ー引用者)なら、その情報をコントロールする権利は本人・家族にあるはずだ。氏名を報道されたくない場合もある。その意思を確かめず、新聞が勝手に『実名から出発』するのは、報道される人を『個人として尊重』してないからではないか」(前掲『憲法から考える 実名犯罪報道』)

 「実名」か「匿名」か。その論点をここですべてあげることはできません。しかし少なくとも言えることは、相模原事件の「匿名報道」を、「障がい者問題」の視点からのみとらえることはできない、いいえ、それは逆に「障がい者」を特別視する誤りではないか、ということです。
 「障がい者」にかかわらず、被疑者・被害者の「実名報道」が果たして正しいのかどうか、問い直さねばなりません。「報道関係者、メディア学研究者は市民とともに、『人権と報道』をどう改革すべきか議論しなければならない」(浅野健一氏、前掲『憲法から考える 実名犯罪報道』)のです。

 そのことが、「今回の事件を、すべての人びとが大切にされるインクルーシブな社会(わけ隔てのない社会)をつくるための新たなきっかけにする」(日本障害者協議会の「声明」)ことにもつながるのではないでしょうか。


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翁長知事はなぜ「高江の機動隊」を引き揚げさせないのか

2016年08月27日 | 沖縄・翁長知事

    

 高江ではヘリパッド建設を強行する安倍政権に対し住民・市民の文字通り体を張った阻止行動が連日繰り広げられています。一方、県外から動員されたかつてない規模の機動隊の排除も激しさを増しています。

 26日には沖縄の市民団体「基地の県内移設に反対する県民会議」が県庁を訪れ、「ヘリパッド建設に関して、翁長知事に反対表明するよう訴え」るとともに、「現地での立ち入り調査を含め、毅然とした態度で取り組んでほしい」(27日付琉球新報)と要請しました。しかし県は担当課長が木で鼻をくくった対応をしただけでした。

 「毅然とした態度」どころか、翁長氏には高江の緊迫した事態を収拾する責任と、その権限があります。
 翁長氏がヘリパッド建設を容認していることは繰り返し指摘してきましたが、それだけでなく、翁長氏は高江に県外から派遣されている機動隊を「本土」へ帰らせることができるにもかかわらず、その責任を放棄し、高江の事態を放置しているのです。

 翁長氏は25日の定例記者会見(これがなんと1年3カ月ぶりの「定例会見」)で、「500人とも800人ともいわれる機動隊の数は過剰な警備であることは間違いない」(26日付沖縄タイムス)と述べました。これが「知事、政府の姿勢批判」(同)と報じられました。

 しかし翁長氏は「数」が「過剰」だと言っているだけで、機動隊の警備自体を批判しているわけではありません。そしてさらに重大なのは次の点です。

 「県外の機動隊員が、翁長知事が任命権を持つ県公安委員会の要請で派遣されている点について、『その意味では大変忸怩たるものがある』と述べた」(26日付琉球新報)

 「忸怩たるもの(はずかしい思い)」ですまされては困ります。ここにこそ知事としての翁長氏の権限と責任があるのですから。

 県外からの機動隊派遣と県知事の関係については、「辺野古」の時に触れました(2015年11月10日のブログ参照 http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20151110)。要点をあらためて示します。

 警察法第60条1項は、「都道府県公安委員会は、警察庁又は他の都道府県警察に対して援助の要求をすることができる」としています。県外からの機動隊の導入はこの条項に基づいて行われています。
 さらに同条3項は、「派遣された警察庁又は都道府県警察の警察官は、援助の要求をした都道府県公安委員会の管理する都道府県警察の管轄区域内において、当該都道府県公安委員会の管理の下に、職権を行うことができる」としています。

 「高江」でも「辺野古」でも、県外からの警察官(機動隊)導入は、沖縄県公安委員会の要求で行われているものであり、その行動(職権)もあくまでも県公安委員会の「管理下」にあるということです。

 では、県公安委員会と県知事の関係はどうでしょうか。
 
 同じく警察法第38条1項は、「都道府県知事の所管の下に、都道府県公安委員会を置く」とし、同第39条は、都道府県公安委員(5人)は、「都道府県知事が都道府県の議会の同意を得て、任命する」としています。さらに同41条は、知事に公安委員の罷免権があることも明記しています。

 以上のことから明確なのは、翁長知事は県公安委員会に対し、他県の警察官派遣要求を撤回させることができるということです。もしも公安委員会が知事の指示に従わない場合は罷免すればいいのです。
 知事は公安委員会を直接指示できない、という説もありますが、その趣旨は「公正中立な警察行政を実現するため」(原野翹氏『警察法入門』有斐閣)であり、この場合に該当しないことは明らかです。

 翁長氏は公安委員会を通じて、県外の警察官(機動隊)を「本土」に返すことができるにもかかわらず、その権限を行使せず、安倍政権による県民弾圧を放置しているのです。

 ここで沖縄タイムス、琉球新報についても一言言わざるをえません。
 
 沖縄タイムスは26日の社説で、県公安委員会に対し、機動隊派遣要請の理由を県民に説明し、撤退させよ、と要求しながら、なぜ翁長氏の責任については一言も触れていないのでしょうか。触れないどころか、先の「過剰警備」発言だけを取り上げて翁長氏を肯定的に評価しているのはなぜでしょうか。

 琉球新報も、前記のように公安委員会に対する「知事の任命権」について触れながら、その権限を行使しようとしない翁長氏を批判せず、「評価」に終始するのはなぜでしょうか。

 「定例会見」が1年3カ月も開かれないという異常事態を、これまで両紙がまったく問題にしてこなかったことも含め、両紙が貴重な沖縄のジャーナリズムとして、翁長知事に対する正当なチェック機能を果たしているのか、あらためて問われていると言わざるをえません。


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「極秘メモ」が語る加害企業救済の手口と「水俣の教訓」

2016年08月25日 | 公害・原発・環境問題

    

 23日夜のNHK「クローズアップ現代プラス」は、「スクープ!水俣病60年 極秘メモが明かす真相 加害企業はなぜ救われたか」でした。

 1956年に水俣病が「公式確認」されて今年で60年。いまだに2万人余の患者が「認定」されずに放置されたまま、国は認定を打ち切ろうとしています。一方、加害企業のチッソ(2011年に事業子会社「JNC」を設立し、チッソは持ち株会社に)は今でも年間100億円の利益を上げているといいます。

 番組が取り上げた「極秘メモ」とは、チッソの久我正一副社長(当時)の「メモ」で、1978年当時、政府が内閣官房副長官名でチッソ(久我氏)に宛てた指示の内容が記されています。

 水俣病の歴史は、国による患者切り捨てと、加害企業・チッソ救済の歴史ですが、その画期となったのが、1978年のチッソに対する「公的資金」(税金)投入決定と、同時に行われた「認定基準」の見直し(従来は症状が1つでもあれば水俣病と認定していましたが、以後、複数の症状がある場合に限定)でした。「認定基準」見直しの結果、申請者に対する認定者の割合は51・0%から4・9%に激減しました。
 
 「久我メモ」はその時のもの。政府の指示はこう書かれています。
 「財政支援は一私企業救済では大義名分がない。地元をもっと騒がせよ。これまでも県、市からの陳情はあるようだが、この程度では駄目だ。坂田先生(熊本選出の坂田道太元文相ー引用者)をかついでもっと派手に地元を騒がせよ」
 同時に、患者への補償は「ザルに水を注ぐようなもの」として政府が認定を厳しくする意向が示されたとしています。
 「久我メモ」に名前があった藤井裕久参院議員は、「メモ」の内容を認めました。

 国が一私企業を救済するには大義名分が必要だから、国会議員を使って地元をもっと騒がせて陳情させよと加害企業に指示し、同時に患者には認定基準の見直しというムチをふるうー「久我メモ」が明らかにしたのはこうした国の手口です。

 「国による加害企業の救済」といえば、福島原発事故の加害企業・東京電力の救済です。安倍政権は東電の負担でおこなうべき除染にさらに多額の税金を投入しようとしています。
 国が大企業・国策企業を救済し、被害者に犠牲を押し付けるという構図は、水俣も福島も同じです。

 東電が原発の国策会社であるように、チッソもたんなる水俣病の加害企業ではありません。旧財閥系の化学企業として戦前は植民地・朝鮮半島にも進出。昭和天皇が戦前と戦後2度も訪問するという国策会社です。社長・会長・相談役を歴任(1964~73年)した江頭豊氏は皇太子の妻・雅子氏の母方の祖父もあります。

 水俣病患者に生涯寄り添った原田正純医師(2012年没)は、「(水俣病やその他の公害病の)認定制度は救済切り捨ての『負の装置』として作用してくることが多」いと指摘する一方、困難な中で政府・加害企業とのたたかいを続けている患者たちにふれてこう述べています。

 「希望をもてない現実、絶望的と思えるような現場に行ってみると、今は少数ではあるが、文字通りいのちを賭けて問題に取り組んでいる人たちが必ずいる。このような人たちいる限り、人類は最悪の事態は避けられるのではないか。それはあの水俣の絶望的な中から、わずかな人間が立ち上がることによって、状況が大きく変わった経験を持つからである。水俣の教訓を学ぶことで将来への希望を繋ぎたい」(『いのちの旅』岩波現代文庫)

 水俣病はけっして過去のことではありません。国の手口、たたかう患者たちの姿をはじめ、私たちが学ばねばならない「水俣の教訓」は尽きません。


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「軍事費過去最大5兆1685億円」と情報操作

2016年08月23日 | 戦争・安倍政権

    

 「防衛省 最大5兆1685億円 概算要求 新型迎撃ミサイル配備へ
 
 共同通信のこの記事が載ったのは、リオ五輪で女子レスリングが金メダルを3個取った記事が1面で大きく報じられた今月19日でした(中国新聞、琉球新報など)。「防衛費」の記事は中の面で2~3段扱い。見過ごしかねません。
 しかし、本来これは1面トップに匹敵する重大なニュースではないでしょうか。

 日本の軍事費(「防衛予算」)は今年度初めて5兆円を突破しましたが、防衛省は来年度さらに2・3%アップさせ過去最大の5兆1685億円を要求するというのです。
 重大なのは、額だけではありません。主な内容を挙げてみます。

★垂直離着陸輸送機オスプレイ4機=393億円
★最新鋭ステルス戦闘機F35(写真右=米ロッキード社製)を6機=946億円
★宮古島、奄美大島に「南西警備部隊」配備=746億円
★地対空誘導弾パトリオット(PAC3)(写真中)の改修=1050億円
★新たな海上配備型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」取得費用=147億円

 オスプレイもF35も、日米軍事同盟を強化し、軍事一体化をさらに進めるためであり、アメリカの兵器産業を潤すものです。米軍のF35Bは16機が来年岩国基地に配備され、沖縄にも飛来する計画です。

 この軍事費がどれほど異常なことか。例えば、低賃金で苦闘している全国の保育士さんの給料を月額1万円上げるのに必要な費用は約550億円といわれています。F35の4機分にもなりません。兵器購入の軍事費と、保育・介護の福祉や教育と、どちらに国民の税金を使うべきか、普通に考えれば答えは明白でしょう。

 ところがその普通の感覚が、自民党政権(その背景に日米兵器産業)の情報操作によってマヒされられています。「中国・北朝鮮脅威」論です。

 例えば今回の「防衛省概算要求」の記事が出た前日、18日付の新聞(中国新聞)は同じく共同配信で「北朝鮮『核燃料を再処理』 兵器増産可能に」の記事を1面トップで大きく報じました(写真左)。中国の「尖閣諸島周辺で度重なる領海、排他的経済水域侵入」の「ニュース」は毎日のようにテレビから流されています。
 「軍事費5兆1685億円」は、こうした「中国・北朝鮮脅威」論の中で、その異常さが打ち消されているのではないでしょうか。

 北朝鮮の「ミサイル発射」は大々的に報じられますが、「朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習」(22日~2週間)が行われていることはベタ記事にしかなっていません。「北朝鮮は、5回目の核実験を行うか否かは『全面的に米国の態度にかかっている』(李容浩外相)と主張して同演習の中止を強く要求」(22日付共同配信)しています。

 保育も介護も医療も年金も教育も、「財源がない」の口実で切り下げられ、さらに消費税が上げられようとしています。「財源」はあります。軍事費を削減すればいいのです。それが平和への道でもあります。
 この当たり前の判断をマヒさせる「中国・北朝鮮脅威」論の情報操作。その実態を冷静に見極めなければなりません。
 


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Nスぺが触れなかった「沖縄軍事基地化」の天皇責任

2016年08月22日 | 沖縄と天皇

    

 20日夜放送されたNHKスペシャル「沖縄空白の1年~〝基地の島”はこうして生まれた」は、沖縄戦直後のアメリカ軍や連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥(写真中)の占領政策を描きました。
 それを象徴するのが、マッカーサーの「アメリカ軍による沖縄の占領に日本人は反対しない。なぜなら沖縄人は日本人ではないのだから」(番組では説明はありませんでしたが、1947年6月27日のアメリカ人記者との会見での発言)という言葉で、番組はそこで終わりました。

 マッカーサーの沖縄差別政策は事実ですが、番組には決定的な欠陥がありました。それは、「〝基地の島”はこうして生まれた」の核心的回答、すなわち沖縄を軍事基地化するうえで果たした日本、とりわけ天皇裕仁(昭和天皇)の責任をまったく捨象したことです。

 そもそも沖縄戦自体、戦争終結を提言した「近衛上奏」(1945年2月14日)に対し天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と終戦を引き延ばし、「国体=天皇制」維持のための時間かせぎに沖縄を「捨て石」にしたものでした。

 そして戦後、初の帝国議会選挙(45年12月)で、沖縄県民は選挙権をはく奪され、新憲法の議論、採択から完全に排除されました。 

 天皇裕仁はマッカーサーとの第1回会談(1945年9月27日、写真右)以降、自らの戦争責任が東京裁判で追及されるのを回避し、同時に新憲法に「天皇制」を残すことに腐心しました。

 先のマッカーサーの「アメリカ軍の占領に日本人は反対しない」発言の約1カ月前(47年5月6日)にも、天皇裕仁はマッカーサーと会っていました。

 「彼(天皇ー引用者)は…安全保障の問題に強い関心を示した。元外交官の松井明によれば、天皇が最高司令官に『米国が日本を去ったら、誰が日本を守るのか』と尋ねたところ、マッカーサーは日本の国家的独立をあっさり無視して、われわれが『カリフォルニア州を守るごとく日本を守る』と答え、国際連合の理想を強調したという。…彼はすでに…日本は沖縄をアメリカの広大で恒久的な軍事基地にすることで守られると考えていたのである」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇(下)』講談社学術文庫)

 マッカーサーの「日本人は反対しない。沖縄人は日本人ではないから」発言が、この時の天皇裕仁との会談(天皇の発言)と深くかかわっていたことは間違いないでしょう。
 それを証明する事実が、その3カ月後に露呈します。天皇裕仁の「沖縄メッセージ」(1947年9月20日付)です。天皇は宮内庁の寺崎英成、GHQのシーボルトを通じてマッカーサーと米国務長官に次のような意向を伝えたのです。

 「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』47年9月19日の項)

 これがやがて「サンフランシスコ講和条約第3条」(1951年9月調印)による沖縄の軍事基地恒久化へつながったことは改めて言うまでもありません。

 「1945-1946」はけっして沖縄にとって「空白の1年」ではありませんでした。そこにはアメリカの軍事占領政策とともに、それと呼応した天皇裕仁と日本政府・議会の沖縄差別・植民地政策が連綿と続いていたのです。

 天皇明仁の「生前退位」問題で、天皇制美化が強まっているいま、「国体=天皇制護持」のために沖縄をアメリカに売り渡して軍事基地化した天皇裕仁の歴史的責任(天皇明仁はそのことについて一切口をつぐんでいます)を忘れるわけにはいきません。


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尋問で明らかになった翁長知事の安倍政権への屈服姿勢

2016年08月20日 | 沖縄・翁長・辺野古

      

 「辺野古埋立承認取り消し」をめぐり国が沖縄県を提訴した「違法確認訴訟」は19日結審し、来月16日に判決が出ることになりました。
 この日は翁長雄志知事に対する本人尋問が行われました。尋問やその後の記者会見であらためて明らかになったのは、翁長氏の政府(安倍政権)に対する卑屈な屈服姿勢でした。

 「本人尋問で翁長知事は、新基地建設問題を解決するため国と協議する重要性を強調。…和解後の国との協議について『本質的な議論はなかった』と指摘」(20日付琉球新報)しました。そして、「約1時間40分に及ぶ尋問を終えると笑みをこぼし『裁判所に協議の重要性を伝えることができた』と落ち着いた表情を浮かべた」(20日付沖縄タイムス)といいます。
 裁判所に対して、国との協議の「重要性」とその不十分さを訴えたことで笑みをこぼすほどの満足感を得たようです。

 おかしな話です。協議が不十分だと裁判所に訴えて何が解決するでしょうか。訴えるべきは協議相手の国(安倍政権)ではないでしょうか。不十分だというなら、なぜその場で国に抗議し、「本質的な議論」をしよう提起しなかったのか。なぜ言うべき時に、言うべき相手に、言うべきことを言わなかったのか。

 翁長氏が実際にやったことは、まるで逆の政府への迎合でした。
 例えば7月21日の政府・沖縄県協議会。菅官房長官は記者会見で、「和解条項の趣旨に照らし、あす(7月22日)地方自治法に基づき(沖縄県を)提訴すると伝えた。…(翁長)知事からは『異存はない』との発言があった」(7月22日付琉球新報)と明らかにしました。
 
 この時のようすを19日の尋問で翁長氏自身がこう述べています。

 「15分という時間、集中協議の中でとても話し合える時間ではない。もっと時間下さいという話したら、精いっぱいだから、15分で勘弁してくださいと。その中で発言の順序決まって、話の内容も決まった。異論もあったが、政府が提訴しますよというのはもともと聞いていたから、事実確認レベルで『はい』と言った」(20日付琉球新報)

 政府の言うままになって、「はい」と言ったと認めています。
 こうした翁長氏の姿勢に対し、19日の尋問後の記者会見で、「県側のアプローチが足りなかったのでは」という当然の質問が出ました。
 これに対し翁長氏は、「それを言われたら。あなたは国家権力を知らない」と質問した記者に対して気色ばみ、こう言いました。

 「あのとき(政府・沖縄県協議会ー引用者)は信頼関係も大切だから、基地の問題は言うなと言われているとはあそこ(協議会後のぶらさがり会見ー引用者)では言えなかった。これを言ったらまたどういう波及効果が出てくるのか。だから国と県の大きさの違いというのを踏まえながらの話でご理解をいただきたい。言いたい放題言えるなら、もう少しましなもの(協議ー引用者)になっているのではないか」(20日付琉球新報)

 これは驚くべき発言です。
 ①政府・沖縄県協議会で政府から「基地の問題は言うなと言われてい」た②その「信頼関係」を大切にして記者会見では言わなかった(政府の指示通りにして情報を隠ぺいした)③もし指示に従わなかった場合の「波及効果」を心配した(報復を恐れた)④「国と県の大きさの違い」を踏まえる必要があるーというのです。

 なんという卑屈な屈服でしょうか。卑屈なだけではありません。「国と県の大きさの違いというものを踏まえ」なければならないとは、「国と地方自治体は対等」とする改正地方自治法の基本精神に反すると言わねばなりません。

 これが「国家権力」を知っている、根っからの「保守」である翁長氏の実体です。こうした知事のもとで、辺野古、高江など沖縄に新基地を造らせないために、安倍強権政権と正面からたたかうことができるでしょうか。


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沖縄戦・対馬丸慰霊祭をめぐる気になる記事

2016年08月18日 | 沖縄と戦争

    

 今月22日は、1944年沖縄の学童疎開船・対馬丸が鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、1484人(うち15歳以下の子どもたちが783人)が犠牲になって72年目です。

 毎年この日には対馬丸記念館(那覇市内)近くの小桜の塔(写真左)前で、「対馬丸慰霊祭」(対馬丸記念会主催)が行われます。18日付の琉球新報に、今年の慰霊祭に関する記事が載りましたが、その内容が気になります。

 記事は「主張ばかりでは衝突、犠牲は子どもに」の見出しで、今年初めて慰霊祭で児童の作文が朗読されることになったとして、小学6年生H君の作文の要旨が紹介されています。「けんかしても得したことなんて一度もない…国と国の戦争も同じだと思う。どちらか一方が自分の主張ばかりしていると、いつか衝突が起こってしまう。そうなったとき一番犠牲になるのは僕たちと同じ子どもだ」

 気になるのは、この作文の基調が対馬丸記念館の「理念」と酷似していることです。
 対馬丸記念館に入るとすぐ正面に、「いま『対馬丸』を語ること」と題した文章が壁いっぱいに掲示されています。これが記念館の「理念」です。そこにはこう書かれています。

 「…戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます。悲しみの大きさを『希望』にかえる努力をしないと憎しみが報復の連鎖をよびます。いま、『対馬丸』を語ること、それはなんでしょうか?…この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること。これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された私たちへの『課題』ではないでしょうか」

 これは、戦争を起こした相手(国)への「憎しみ」は持たず、「主張ばかり」しないで仲良くしましょう、ということでしょう。ここには戦争の原因を追及し、加害と被害を厳密に峻別しようという姿勢はありません。したがって沖縄戦を引き起こした天皇制大日本帝国の侵略・植民地主義を追及する姿勢もありません。それは犠牲ばかりを強調する館内の展示にも反映しています(写真中)。

 作文はH君の素直な思いでしょうが、H君は記念館と関係の深い「つしま丸児童合唱団」のリーダーで「練習のため対馬丸記念館に毎週通う」(18日付琉球新報)うちに、壁に大書きされた記念館の「理念」の影響を受けたとしても不思議はありません。

 対馬丸記念館は、遺族たちが対馬丸の引き揚げを切望したにもかかわらず、それを拒否した日本政府がその「代償」として2004年に造ったものです。運営は全額国庫補助でまかなわれています。記念館の「理念」はこうした設立の経緯・現状とけっして無関係ではないでしょう。

 天皇・皇后は2014年6月27日、「念願だった」対馬丸記念館を訪れました(写真右)。しかしすぐ近くにある「海鳴りの像」には行きませんでした。像の遺族から要望書が宮内庁に送られていたにもかかわらず。「海鳴りの像」は同じく沖縄戦で犠牲になった民間船の乗船者たち(25隻、約2000人)を悼む像です。対馬丸の犠牲者遺族には「国家補償」がありますが、民間船の犠牲者にはありません。

 対馬丸の犠牲は、天皇制国家による強制疎開(沖縄の口減らし)がもたらしたものです。しかし対馬丸記念館には、そうした犠牲の原因、天皇制国家の戦争責任をあいまいにし、犠牲者・遺族を「国家」に包摂する、いわば〝対馬丸犠牲者の靖国化”を図る側面があります。

 今年の慰霊祭から初めておこなわれる「子どもの作文朗読」が、そうした記念館の「理念」に子どもたちをも取り込むものにならないか、危惧せずにはいられません。


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「相模原殺傷事件」と「介護殺人」のあいだ

2016年08月16日 | 介護・認知症

    

 相模原殺傷事件(7月26日)から20日がたちました。前代未聞の事件にもかかわらず、その実態、背景、社会的意味はほとんど明らかになっていません。連日の「リオ五輪」報道で事件そのものが忘れ去られようとしているかのようです。

 映画監督の森達也氏はこう述べています。
 「何よりも僕は、容疑者が使った『安楽死』という言葉に戦慄する。おそらく本気だ。単純な優生思想ではない。もちろん差別やヘイトとも違う。この言葉の背景に、不十分な社会保障や障害者施設の劣悪な労働環境があるならば、それは決して『世迷いごと』『言い逃れ』などの語彙で看過されるべき事態ではない」(10日付中国新聞=共同)
 すべてに賛同するわけではありませんが、私も「安楽死」という言葉は気になりました。もちろん、容疑者が行ったことは「安楽死」とはまったく無縁、というより対極ですが。

 作家の辺見庸氏は、「誰が、誰を、なぜ殺したのかーこんな肝心なことが正直よくわからない」としてこう続けます。
 「惨劇からほの見えてくるのは、人には①『生きるに値する存在』②『生きるに値しない存在』ーの2種類があると容疑者の青年が大胆に分類したらしいことだ。この二分法じたいを『狂気』と断じるむきがあるけれども、だとしたら、人類は『狂気』の道から有史以来脱したことがないことになりかねない」(11日付琉球新報)

 15日のテレビニュースで、容疑者が再逮捕されたという報道がありました。その少しあとで、次のようなニュースが流れました(記憶から)。
 「50代の男が80代の母親の頭をラジオで殴った。母親は介護が必要。男は、母親と一緒に暮らしたくなかった、と言っている」
 いわゆる「介護殺人」未遂です。私にはこの二つの事件がけっして無関係とは思えませんでした。

 私たちは相模原事件の容疑者は自分とはまったく別世界の特殊な人間だと思いがちです。しかし、相模原事件と介護殺人事件のあいだに、どれだけの距離があるでしょうか。
 介護している家族(多くの場合親)にどんなに愛情を持っていても、毎日の介護の精神的・身体的つらさから、「楽に死なせてやりたい」(「安楽死」)、「これほど認知症が進行しても生きる意味があるのだろうか」(「生きるに値しない存在」)などという〝悪魔の声”が耳元でささやくことがないとは言えません。いいえ、多くの人がその〝声”を聞くのではないでしょうか。

 〝悪魔の声”を実際に行動に移すのとそうでないのとは、もちろん雲泥の差があります。しかしその心の動きには、雲と泥ほどの差はないでしょう。そして確かなことは、「家族介護」(可能性としての「介護殺人」)と無関係だと言い切れる人はいないということです。

 この背景には、まちがいなく森氏の言う「不十分な社会保障」があります。政府は社会保障予算を抑制し、公的施設(介護も障がい者も)を整備せず、負担を「家族」に押し付けています。たとえば介護保険制度の見直しで、福祉用具のレンタル費(現在1割負担)を再来年度から要介護2以下は全額負担にしようとしています。そうなれば、「家族介護」の負担はますます重くなり、それが悲劇につながる恐れが強まるのは目に見えています(私の母も要介護2です)。

 辺見氏はこうも言っています。
 「ひょっとしたらナチズムやニッポン軍国主義の『根』(「生きるに値する存在」と「生きるに値しない存在」を識別・選別する思想ー引用者)が、往時とはすっかりよそおいをかえて、いま息を吹き返してはいないか」(同前)

 強まる日米軍事同盟の下、一方で軍事費は5兆円を超え、一方で福祉予算は切り詰められ、「社会的弱者」と家族が経済的・精神的に追い詰められていく。相模原事件は私たちに「ニッポン軍国主義の『根』」の復活・強化を暗示しているのではないでしょうか。

 


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「天皇ビデオメッセージ」⑤「象徴天皇制」の抜本的見直しを

2016年08月15日 | 天皇制と憲法

      

 私たちは何を、どのように考えるべきでしょうか。
 「ビデオメッセージ」の翌日の新聞に載った識者のコメントの中から、注目したものを2つ紹介します。

 1つは、西村裕一北海道大准教授・憲法学の次の指摘です。

 「今後この問題は国会などで議論されることになるでしょうが、そこでは、天皇の『お気持ち』を持ち出すことは厳に排除されなければなりません。それは、天皇の影響力を国政に及ぼさないためであると同時に、天皇の『お気持ち』が切り札となることによって、議論がショートカットされるのを許さないためでもあります。
 生前退位を認めるのか。認めるとすればどんな条件をつけるのか。制度設計の議論にあたり、世論も含めた政治プロセスの中から天皇の『お気持ち』を切り離し、国民が自律的・理性的に判断をする。それによって国民主権原理が貫徹されることになるでしょう」(9日付朝日新聞)

 「象徴天皇制」はあくまでも憲法にもとづく国の制度であり、そのあり方を議論し判断する際、天皇明仁の個人的「気持ち」に基づいたり、逆に天皇への個人的感情を介入させるのは誤りだということです。

 共同通信の世論調査(10日付)によると、「生前退位をできるようにした方がよい」が86・6%にのぼっていますが、その理由の67・5%は「天皇の意向を尊重すべきだから」です。まさに「天皇の意向」で天皇制の根幹にかかわる問題を判断しようとする憂慮すべき現状があり、西村氏の指摘は重要です。

 もう1つは、吉田裕一橋大教授・歴史学の指摘です。

 「忘れてならないのは、『皇室に関心がない』という国民もいる事実だ。それを踏まえないと現実からかけ離れた議論になる」(9日付毎日新聞)

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)。これが「象徴天皇制」の基本原則です。しかし吉田氏が指摘するように、「皇室に関心がない」国民がいるのは事実であり、手元にデータはありませんが、日常生活感覚からその数は決して少なくないと思われます。
 そうである以上、「日本国民の総意に基づく」という「象徴天皇制」の土台そのものを問い直す必要があるのではないでしょうか。

 「ビデオメッセージ」をめぐり、「生前退位」や「皇室典範改正」の是非が中心課題のようにいわれていますが、それはいわば天皇制の枝葉です。それよりも幹の部分すなわち「象徴天皇制」の是非自体を抜本的に検討する必要があるのではないでしょうか。

 今日は天皇裕仁(写真左)が「玉音放送」を流して71年目ですが、そもそも「象徴天皇制」は、「天皇の詔勅一つで数百万の日本軍がたいした抵抗もせずにあっさりと武装解除した」ことに注目した米国政府とマッカーサー司令部が、「天皇制は支持しないが利用する」という占領方針に基づいて、「天皇を含む統治機構を温存したうえで、間接統治をおこなう道を選択した」(中村政則氏『象徴天皇制への道』岩波新書)結果の産物です。

 そしてこの71年間、「天皇制が議論の的にさえならないまま、重要視されてしまっている。まさに『慣性の天皇制』です」(奥平康弘氏『未完の憲法』潮出版)という状況ができ上がってしまいました。

 「象徴天皇制」は「主権在民」に反しないのか、「生身の人間」として天皇の「人権」が保障されない制度が許されるのか、「政治利用」と無縁な「天皇制」などありえるのか、そもそも差別社会を固定化する世襲制の身分制度である「(象徴)天皇制」が今日のそしてこれからの社会に存在していいのか。

 いまこそ「理性的判断」によって「慣性の天皇制」から脱却すべきときではないでしょうか。

 ※「ビデオメッセージ」に関する検討は一応今回でひと区切りとしますが、「(象徴)天皇制」に関しては引き続き考察していきます。


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