アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

天皇「退位・即位儀式」7つの憲法違反

2019年04月29日 | 天皇・天皇制

     

 あす4月30日に明仁天皇の退位儀式、翌5月1日に徳仁新天皇の即位儀式が行われます。メディアはテレビも新聞も特集を組み、天皇賛美一色に染まります。

 明日の「退位礼正殿の儀」(午後5時~5時10分)、明後日の「剣璽等承継の儀」(午前10時30分~40分)、「即位後朝見の儀」(同午前11時10分~20分)―いずれも「国事行為」―は明白な憲法違反です。どこがどうして違憲なのか、改めて整理します。

     そもそも「生前退位」は憲法の想定外です。皇位継承について憲法第2は、「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めています。その皇室典範は第4条で、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」としています。明仁天皇が自ら意思表示し、安倍首相が実現した「生前退位」自体が憲法・皇室典範違反です。

     「退位礼正殿の儀」の主な目的・内容は、明仁天皇が保有している「三種の神器」(「剣」と「璽(勾玉)」。「鏡」は動かさない)を返還することであり、翌日の「剣璽等承継の儀」はそれを徳仁新天皇に渡す儀式です。
 これは明らかな宗教(皇室神道)儀式であり、それを国事行為として行うことは、憲法第20条の政教分離違反です。

 ③    「退位礼正殿の儀」は、「内閣総理大臣が御前に参進し、国民代表の辞を述べ」、続いて「天皇のおことば」(政府発表の「細目」)という手順です。「国民代表」が天皇を奉祝し、天皇が「国民代表」に言葉を下すという形式で、憲法前文、第1条の「国民主権」違反です。

     「即位後朝見の儀」もまさに、首相が「国民代表」として祝辞を述べ、天皇が「おことば」を下すためのもので、この儀式自体が憲法前文・第1条違反です。
 そもそも「朝見」という言葉は、「臣民」が天皇を拝謁するという意味で、天皇主権の大日本帝国憲法の思想をそのまま残すものです。
 前回(明仁即位)は首相(海部首相)が天皇より低い位置から天皇を見上げる(天皇が見下す)形で行われ、のちに批判が出ました。今回の徳仁天皇と安倍首相の位置関係が注目されます。

     いずれの儀式にも、首相、衆参議長、最高裁長官の「三権の長」、閣僚、地方自治体の代表らが参列します(参列させます)。これは「国会は、国権の最高機関」と規定している憲法第41条に違反し、天皇を「国家」の頂点に置くものです。

     「退位礼正殿の儀」「剣璽等承継の儀」による「三種の神器」の受け渡し(移動)は、「三種の神器」が天皇の証明だとする「践祚」(皇位継承)の思想に基づくものです。これは政教分離の原則に反するだけでなく、「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とする憲法第1条の「象徴天皇制」の原則に違反しています。

 ⑦    「剣璽等承継の儀」に女性皇族は参列できません(女性皇族排除)。これは明らかな女性差別であり、多くの批判がありましたが、安倍政権・宮内庁は押し切りました。
 それは皇位継承を「男系の男子」(皇室典範第1条)に限定し女性を皇位継承から排除していることに根源があります。憲法第11条の「基本的人権の尊重」、第14条の「法の下の平等」の明白な蹂躙です。 

 こうした明々白々な違憲の儀式が、天皇を先頭に、「三権の長」、地方自治体の長を巻き込んで、国費(市民の税金)を使って「国の行事」として公然と行われ、オールメディアがそれを賛美し、「市民」が同調する。まさに異様・異常な光景と言わねばなりません。
 これが天皇制国家・日本の姿です。私たちは「主権者」として、また人権の尊重を希求する人間として、絶対に容認することはできません。

 明日のブログは明後日に回します。


日曜日記48・「10連休」と格差社会・6年前の「4・28」・なぜ「ロ朝」なのか

2019年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「10連休」と格差社会

 きのう(27日)から異例の「10連休」が始まった。「報道特集」(TBS)で、パート労働の女性が怒っていた。「私たちのような(時給で働いている)非正規の者が10日も休めば生活していかれない。10連休を決めた国は正規労働者のことしか考えていない。国は私たちの生活を補償してくれるのか」

  まったく同感だ。コンビニの同僚(同じアルバイト)も世間の月給取り(正規社員)を羨ましがっていた。NHKはじめメディアは連休といえば成田空港か新幹線ホームの「旅行を楽しむ家族」を映すのが定番(馬鹿らしいほど判で押したような)だが、その多くは正規労働者の家族だろう。時給800~900円で労働力を切り売りしている非正規労働の実態を、「国」や大手メディアは知っているのか。

  安倍政権は「10連休は天皇即位の恩恵」とでも言いたかったのだろうが、時事通信の世論調査でも、「10連休」を評価する人36・5%に対し、評価しない人が41・0%だ。安倍の思惑は完全に裏目に出ている。

 「皇位継承」が生んだ異例(異常)な「10連休」は、はしなくも、日本の格差社会の実態と、庶民の生活など眼中にない安倍政権の本性をあぶりだすことになった。

☆6年前の「4・28」

  きょう4月28日は、67年前にサンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効した日だ。政府は「主権回復の日」と喧伝するが、沖縄にとっては日本から切り離されアメリカの統治下に置かれた「屈辱の日」であることは周知のこと。

 6年前のきょう、沖縄はよく晴れて暑かった。宜野湾海浜公園では「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が開催された。当時沖縄にいた私も、抗議を示す「緑色のもの」を身に着けて参加した。

 その県民大会が抗議の対象にした安倍政権主催の政府式典に、天皇・皇后が出席した。式典終了間際には安倍をはじめ全員が「天皇陛下、万歳」を唱えた。

 日米軍事同盟であるサ条約・安保条約発効の記念式典に天皇・皇后を担ぎ出して祝う。天皇の政治利用を絵に描いたような光景だった。

 それから6年。徳仁が天皇になって「初の国賓」として5月末にトランプが来日し、徳仁と会談する。「揺るがない日米同盟」(安倍首相)を誇示するためだ。

 明仁から徳仁へ代わっても、天皇の政治利用、日米同盟と一体不可分の天皇制、という本質は何も変わらない。

☆なぜ「朝ロ」でなく「ロ朝」なのか

  25日に行われた朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の金正恩委員長とロシアのプーチン大統領の会談。これを日本のメディアは1つの例外もなく(「しんぶん赤旗」も含め)、「ロ朝会談」と報じた。なぜ「ロ朝」なのか。なぜ「朝ロ」ではないのか。

 日本がかかわっている場合は日本が先にくる(「日米」「日朝」など)。これはまあいいだろう。では日本がかかわっていない時はどうか。おそらく日本に近しい国が前、というのがメディアの基準だろう。アメリカがかかわっている場合は必ず米が先にくる(「米朝」「米中」など)のは、日米同盟のためだろう。

 では今回、「ロ朝」としたのはなぜなのか。ロシアの方が朝鮮より”近い“とでもいうのか。そんなバカな。歴史的にも地理的にも朝鮮の方が近いことは言うまでもない。

 にもかかわらず「ロ朝」をはじめ必ず朝鮮を後にするのは、朝鮮に対する蔑視・差別の反映ではないのか。

  私は「朝ロ会談」と書く。朝鮮とアメリカの会談も「米朝会談」ではなく「朝米会談」と書いた。今後もそう書く。朝鮮に対する偏見・差別は許せない、日米軍事同盟は認めない、という意味を込めて。

 


象徴天皇制と民主主義―「平成」が深めた矛盾と課題

2019年04月27日 | 天皇・天皇制

     

 天皇の代替わりを目前に、メディア・巷間は異常な「天皇賛美」にあふれています。あからさまな礼賛ではないだけにタチが悪いものも少なくありません。例えば、保阪正康氏は、「元号のイメージ」と「個人としての天皇の性格」を分けるという奇妙な論法で、「平成の天皇は憲法上の象徴天皇像をつくり上げる役割を誠実に果たしたと言って語り継がれるだろう」(23日付中国新聞=共同配信)などと明仁天皇を礼賛しています。とんでもない話です。

 そんな中、明仁天皇(「平成」)が果たした重大な否定的役割と現在の天皇制の問題点、今後の課題を的確に指摘したものとして注目されるのが、渡辺治・一橋大名誉教授の「象徴天皇制と民主主義―憲法との矛盾広がった」と題した論考です(4月19日付中国新聞=共同配信)。以下、その要点を抜粋します(太字は引用者=私)。

 今の天皇の行動は現政権への批判に違いないと忖度し、積極的に肩入れする言論人や憲法学者も少なくない。しかし、ここには、象徴天皇制と民主主義という根本的な問題が含まれている。

 日本国憲法が天皇を象徴にしたのは、政治の全権力を天皇が握った明治憲法下で、植民地支配、侵略戦争が繰り返されたのを反省してのことだ。

 だが、憲法の中に天皇と国民主権が同居したことは大きな矛盾であった。保守政権は天皇の権威を政治の安定に利用しようと、憲法の認めていない行為に天皇を引っ張り出した。平成の時代になると、天皇側からの政治的行為も増大し、矛盾はますます大きくなった。

 平成の時代に高進した天皇制と民主主義の矛盾は二つある。第一は、国民の民主的選出によらない天皇の政治的言動が、政治に大きな影響を与えることである。天皇の「お言葉」や「お出まし」は違憲の疑いが強いが、既成事実となって次の天皇に引き継がれ、保守政権は大いに活用するだろう。

 第二の、より大きな問題は、天皇という権威に依存することで、国民が主権者としての責任と自覚をあいまいにし、問題解決を回避し続けることだ。戦争責任の問題、戦争しない国をつくる課題、原発や沖縄の基地問題は、国民自身が解決すべきである。

 今後の天皇制はどうあるべきか。憲法の目指す象徴天皇制に近づけることが、一つ目の課題だ。天皇の公的活動は厳格に国事行為に制限する方向で見直すこと。「皇室外交」などと称する公的外国訪問はやめるべきだ。どうしても行きたい所があれば、市民つまり私人として行けばよい。宗教儀式を「公的行為」として行うなど、憲法の人権規定に抵触する「伝統」は直ちに見直し民主社会の中に天皇制を埋め込むべきだ。

 二つ目の課題は、戦争責任などの問題について、天皇の「旅」や「お言葉」でお茶を濁すのではなく、国民が主権者として正面から取り組むこと、そうした政治をつくることである。

 それでも天皇と民主主義の矛盾は残るが、それを解消する道は、こうした営みの先にしかない。

 以上の渡辺氏の指摘はたいへん重要です。
 ただ、2点付言します。1つは、天皇の「慰霊の旅」や「沖縄訪問」「被災地訪問」などは、「お茶を濁す」以上に危険な役割を果たしてきました。それは政権の反国民的政策の隠ぺいであると同時に、植民地支配・侵略戦争責任の棚上げであり、今日における「皇民化政策」ともいえるものです。正面から厳しく批判する必要があります。

 もう1つは、これがより根本的な問題ですが、「天皇と民主主義の矛盾」、それは現行憲法の矛盾ともいえますが、それを「解消する道」は、上記「二つの課題」の「先にしかない」という点です。それはけっして段階論ではないはずです(渡辺氏の趣旨も)。
 「二つの課題」に取り組みながら、主権在民・民主主義とは根本的に相いれない天皇制(象徴天皇制)は廃止する、その方向への議論と運動を同時並行的にすすめる。それが必要なのではないでしょうか。


明仁天皇の政治介入のルーツ・裕仁とジョージ五世

2019年04月25日 | 天皇・天皇制

     

 明仁天皇は23日、「退位に伴う一連の儀式」の一環として、昭和天皇(裕仁)の武蔵野陵を訪れ、「退位の報告」を行いました(写真左)。
 明仁と裕仁は、ただ親子というだけでなく、「天皇の活動の在り方」において、きわめて深い関係にあります。明仁は裕仁の「天皇像」を今日的に引き継いできたのです。

 明仁天皇は65歳の誕生日会見(1998年12月18日)で、こう述べていました。

 「天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です。私は、昭和天皇のお気持ちを引き継ぎ、国と社会の要請、国民の期待にこたえ、国民と心を共にするよう努めつつ、天皇の務めを果たしていきたいと考えています。…昭和天皇のことは、いつも深く念頭に置き、私も、このような時には『昭和天皇はどう考えていらっしゃるだろうか』というようなことを考えながら、天皇の務めを果たしております」(宮内庁HPより)

 その点で、以前「明仁天皇が影響を受けた4人の人物」として、バイニング夫人(家庭教師)、小泉信三(宮内庁教育掛)、チャーチル(元英国首相)、裕仁天皇を挙げました(2018年12月25日のブログ)が、これにもう1人加える必要があるでしょう。この人物は先に挙げた4人とも密接な関係にあります。それは、元英国王「ジョージ五世」(1865~1936、1910~1936在位、写真右)です。

 裕仁は皇太子時代(1921年3月)、半年間欧州を訪問しました。その中で最も長く滞在したのがイギリスで、最も影響を受けたのがジョージ五世でした。

 「時あたかもヨーロッパでは、第一次世界大戦の終結と革命(1917年ロシア革命―引用者)に伴い、長い歴史と伝統を誇っていた君主政治が次々に崩壊していた。皇太子のヨーロッパ訪問は、大衆社会との適合を図ることで、大戦後になお生き残ろうとするイギリスの君主政治のあり方を実施に学ぶ機会となるはずであった。つまりこの訪欧は、危機に瀕した近代天皇制を立て直すという、隠された、しかし最も重要な意図が込められていたのである」(原武史著『昭和天皇』岩波新書2008年)

 ジョージ五世とは、「内閣に対する『良き助言者』という立場を貫き、近代史上希にみる、成功せる立憲君主としての名声を不動のものとした」(『英国王室史事典』大修館書店)とされている人物です。つまり政府に直言し積極的に政治に介入した「君主」です。

 「裕仁皇太子は、ジョージ五世と会ったことで、『お濠の内側』で行われていた従来の宮中祭祀とは別に、『お濠の外側』で行われるべき『大規模な儀式』に対する関心を膨らませていったのではないだろうか」(原武史、前掲書)

 バイニング夫人が「イギリス王室」を理想とし、小泉信三が福沢諭吉の「帝室論」とともに『ジョージ五世伝』を明仁教育のテキストに使って精読したのは有名な話です。

 明仁天皇の退位を前に、筒井清忠・帝京大教授は明仁と裕仁、そしてジョージ五世の関係に改めて注目しています。

 「君主は象徴であると同時に、政治に介入する『警告する権利』もあるという立憲君主論…それを学んで実際に介入した国王ジョージ5世、そして皇太子としての訪欧中、5世を通して、それを学んだ昭和天皇…昭和天皇はこの『警告する権利』を度々発動した。…陛下(明仁―引用者)は皇太子時代…小泉信三氏からアドバイスを受け、5世の伝記などをテキストに君主制について学んだので、やはり『警告する権利』ということを習得されている」(4月16日付中国新聞=共同インタビュー)

 さらに、次の指摘は注目されます。
 「昭和天皇には戦争責任の問題が最後までつきまとった。そこで、陛下はその問題にどう対処するかを考え、新たな『警告する権利』をあからさまにならない形で発動することにより、昭和天皇の『警告する権利』の発動により残された課題をリスク覚悟で克服されようとしたのではないか」(同)

 これを分かりやすく言えば、明仁は「あからさまでない形」で政治に介入することによって、父・裕仁の戦争責任の打ち消しを図ってきた、ということではないでしょうか。

 「あからさま」であろうとなかろうと、天皇が政治に介入することは現行憲法上絶対に許されることではありません。
 しかも、2回の「ビデオメッセージ」(2011年3月、2016年8月)に典型的に示されたように、相当に「あからさま」な形で政治的発言を行い、政治に介入してきたのが、(特に晩年の)明仁天皇(および美智子皇后)の特徴ではなかったでしょうか。


沖縄・屋良朝博氏の危険な「解決策」

2019年04月23日 | 沖縄と日米安保

     

 21日の衆院沖縄3区補選で当選した屋良朝博氏(「オール沖縄」陣営)は記者会見で、「普天間問題の具体的な解決策は?」と聞かれ、「海兵隊がどのような状況にあるかを踏まえ解決策を出していく」(22日付琉球新報)、「具体的な解決策を早急に作る」(22日付沖縄タイムス)と述べました。

 屋良氏の「具体的な解決策」とはどのようなものか、近く明らかにされるようですが、実はすでに5年前、屋良氏はある論考でその「解決策」なるものを示しています。
 新外交イニシアティブ(猿田佐世事務局長)編の『虚像の抑止力』(旬報社、2014年)に収められている「海兵隊沖縄駐留と安全保障神話―沖縄基地問題の解決に向けて」です。屋良氏が「フリーラーター」として書いている分には1つの考え方ですみますが、いまや衆院議員となり、しかも「オール沖縄」陣営から国会議員になった以上、読み飛ばすわけにはいきません。

 改めて読み直してみると、それは「沖縄基地問題の解決」とはほど遠いばかりか、逆に多くの新たな問題を発生させるきわめて危険なものです(以下、引用はすべて同論考より。太字は引用者)。

 屋良氏の「解決策」の基本的特徴は、「知恵を出せば海兵隊も沖縄も得をするウィンウィンの解決はある」(39㌻)、すなわち海兵隊の利益に配慮していることです。屋良氏は米海兵隊の日本・アジアにおける存在を否定するどころか、海兵隊の「役割」を次のようなたとえで積極的に評価しています。

 「警察官が地域をパトロールすることで犯罪は抑止されている。地域の治安を維持すれば、結果としてみんな枕を高くしていられる。アジアの中で米海兵隊がその役割を果たしている」(51㌻)

 その基本スタンスから海兵隊の運用・任務を”分析“したうえで、屋良氏は結論的に「三点の具体的な提案」を行っています。

  「こうしたファクトを踏まえた本稿の提案は①沖縄から撤退する海兵隊に対して(日本が負担している―引用者)施設整備費を海外でも適用する、②高速輸送船を提供し、海兵隊の輸送力向上を支援する、③日米ジョイントMEU(海兵遠征隊―引用者)で日本もアジア安保ネットワークに貢献することの三点だ。これにより沖縄基地がなくても海兵隊は従来の運用を継続できる」(75㌻)

 そして、この「提案」の「最大の意義」を屋良氏はこう強調します。
 「海兵隊の沖縄撤退による抜本的な解決を目指すことの最大の意義は、日米同盟を今日的なあり方にオーバーホールすることにある。その中で日米ジョイントMEUによってアジア安保ネットワークの基盤を提供できるようにする」(75㌻)

 以上が屋良氏の唱える「具体的な解決策」なるものの柱です。
 端的に言えば、海兵隊を沖縄以外の地域に移す代わりに、日本が施設整備費を負担し続け、新たに高速輸送船も提供する。また金を出すだけでなく、日本(自衛隊)が米海兵隊と一体となって行動し、「アジア安保」に貢献する、ということです。すなわち、日本の米軍事費肩代わりの拡大、自衛隊と米軍の一体化の深化、日米軍事同盟のアジアへの拡大に他なりません。

 これは小沢一郎自由党党首(写真中)の年来の主張と通底するもので、屋良氏が自由党から出馬したことにも合点がいきます。

 注意しなければならないのは、これを一親米主義者の日米軍事同盟拡大論と片づけることはできないことです。
 それは、屋良氏が同じ自由党の玉城デニー知事の後継者として当選し、玉城氏も選挙で全面的に屋良氏を応援した経緯からも、屋良氏の上記の「解決策」が玉城知事の「対案」となり、安倍政権との「対話」の中で表明される可能性(危険性)があるからです。

 朝日新聞は3月27日付の朝刊1面で、「沖縄県、辺野古代案検討へ」の見出しでこう報じています。
 「玉城デニー知事は、新年度から辺野古移設に代わる案の検討を始める。県政課題に関する諮問会議の中で、政府OBら専門家に協議してもらう。…玉城知事が4月に立ち上げる諮問会議は『万国津梁会議』。…県幹部によると、協議内容は米海兵隊の運用や移転先などを想定。議論を進める中で、辺野古移設の代替案を検討する考えだ」

 「沖縄基地問題」の真の解決とは、普天間基地の即時無条件返還、沖縄からの軍事基地(米軍・自衛隊)一掃、そして「本土」や韓国はじめアジア諸国と連帯して、諸悪の根源である日米軍事同盟(安保条約)の廃棄へ向かうことです。

 それとは似ても似つかないどころか逆行する「解決策」なるものが、「沖縄県の対案」として提案されようとしています。この事態を、玉城氏や屋良氏を支援し当選させた「オール沖縄」陣営は拱手傍観するのでしょうか。


「4・24教育闘争」から71年、“私たちは問われている”

2019年04月22日 | 朝鮮と日本

     

 「『あんまりだ!』と絶叫した保護者。『絶対に諦めないから』と叫びながら、両脇を同胞に抱えられて退廷するオモニ(お母さん)。傍聴席でへたりこんだ教師もいれば、思わず『人殺し』と叫んだ者…法廷を出た途端に泣き崩れた原告、裁判所の歩道で互いの肩に顔を埋めて泣いていた生徒たち…」

  朝鮮学校を無償化制度から排除している安倍政権の差別政策を訴えた訴訟(全国4カ所)の最後の地裁判決となった福岡地裁判決(3月14日)。他の判決同様、政権に迎合したまったく不当・不誠実な判決でした。その時のもようを、ルポライターの中村一成氏が描写した記述です(朝鮮新報社発行月刊誌「イオ」5月号。写真左・中は朝鮮新報より)。

  朝鮮学校に対するに現在の日本政府・日本人の差別と、それに対する在日朝鮮人のたたかいの起点は、71年前の「4・24阪神教育闘争」だといわれています。

  日本の植民地支配によって弾圧されてきた民族の歴史・誇りを取り戻すべく、戦後、在日朝鮮の人々は自主的に朝鮮学校(国語教習所)を各地で立ち上げました。これに対し日本政府は支援するどころか逆に弾圧を図り、「1・24通達」(1948年)で「閉鎖」を命じました。

  在日の人々の怒りは爆発し、各地で反対闘争が起こりました。1948年4月24日、米占領軍は神戸で「非常事態宣言」を発令。大阪府庁前で行われた反対集会に対しては、日本の官憲が実弾を発砲し、16歳の金太一少年が射殺されました。弾圧を指令し発砲を許可したのはアメリカ占領軍でした(写真右は「イオ」4月号より)。

  「朝鮮学校閉鎖を命じた『1・24通牒』は、朝鮮語による自主的な教育を認めないという日本政府のあからさまな弾圧であり、戦前に続く植民地主義の継続を意味した。通牒に反対する4・24教育闘争には、100万3000人が参加し、『民族教育=子どもたちの未来』を守る精神と連帯を生んだ」(前掲「イオ」5月号)

  私たち日本人が「4・24教育闘争」を記憶にとどめなければならないのは、ただ差別・弾圧の責任があるからだけではありません。それが朝鮮戦争、そして今日の朝鮮半島の分断と密接に結びついているからです。

  「1948年は、緊迫する状況が続いた。南朝鮮での単独選挙に反対する『4・3済州島人民蜂起』、そして呼応するように日本での民族教育に対し、非常事態宣言まで出して弾圧した『4・24阪神教育闘争』、分断固定化への『5・10南朝鮮単独選挙』の強行、南北分断が顕在化した『8・15大韓民国(韓国)発足』『9・9朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)発足』、さらに1949年には、日本で下山事件・三鷹事件・松川事件が起こる。
 各々の事象は偶発的・個別的に起きたのではなく、巧みに連関しあい、その延長線上に1950年6月勃発の朝鮮戦争が存在するのである」(飯田光徳・日本コリア協会大阪理事長「阪神教育闘争と今日」、部落問題研究所発行月刊誌「人権と部落問題」2019年2月号所収)

  在日朝鮮人に対する差別・弾圧、「4・24教育闘争」、朝鮮戦争はすべて、「冷戦下」におけるアメリカの東アジア戦略、それと従属的に一体化した日本政府の反共・反人民政策の一環です。それが今日の朝鮮半島情勢、在日朝鮮人差別、日米軍事同盟(安保条約)体制へつながっていることを、私たち日本人は銘記する必要があります。

  「私、私たちは問われているのだ。先人から、歴史から、そして私たち自身の人生から。日々惹起する出来事を前に、『恥じぬ選択』を重ねること。その積み重ねで私たちは、過去を変えられる。もちろん起きたことは変えられない。変えられるのはその意味付けだ。…常に暴力の標的となったチマチョゴリ制服姿の生徒の恐怖も…官憲に射殺された少年の苦しみも…これら痛みの記憶に応答し、『生きるに値する世界』を希求しながら闘い続けること。そのとき、痛みに満ちたかつての出来事の一つひとつが、そんな新たな世界を切り拓く道へと繋がる」(中村一成氏、前掲誌)

  在日の人々に向けられたのであろうこの言葉は、私たち日本人こそが胸に刻まなければならないのではないでしょうか。


日曜日記47・天皇の車に乗れなかった皇后・『82年生まれ、キム・ジヨン』と日本社会

2019年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

☆明仁天皇の車に乗れなかった美智子皇后

  18日伊勢神宮を参拝した明仁天皇、美智子皇后の映像をテレビで見ていて、おや?と思った。ふたりは別々の車で外宮、内宮へ向かい、別々に参拝した。あれほど”おしどり夫婦“ぶりをアピールしている二人が、なぜ?

  答えはすぐ思いついた。今回の参拝は天照大神に「退位報告」をするためのものだからだ。皇后も含め、女性皇族は「皇位継承」から排除されている。女系天皇が認められていないだけでなく、新天皇の即位の儀式(「剣璽等承継の儀」)に臨席できない。今回初めて行われる「退位に関する儀式」からも女性皇族は排除されている、ということだろう。

  あるいは、「退位報告」に限らす、伊勢神宮を参拝するときは天皇と皇后は別に行動することになっているのかもしれない。だとすれば、それは伊勢神宮に祀られているのが女神の天照だからだろう。あるいは、「三種の神器」に女性皇族は同席してはならない、ということになっているのかもしれない。今回、明仁の車には皇后ではなく「剣」と「璽(勾玉」)が同乗していた。そうだとすれば、これも、天照との関係だろう。

  その辺はさらに究明する必要があるが、明らかなことは、天皇制は、「皇位継承」とその儀式を中心に、女性蔑視・差別に貫かれているということだ。今回の伊勢神宮参拝の光景はそのことをあらためて示したといえる。

 ☆『82年生まれ、キム・ジヨン』と日本社会

  『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳、筑摩書房2018年)を読んだ。韓国における女性差別の実態を、1人の女性の誕生から(あるいはその母、祖母の時代から)今に至るまでの人生をたどる形でノンフィクション的に描いたものだが、これはまるで日本社会の「鏡(ミラー)」だ、と思いながら読んだ。

 日本社会にも女性蔑視・差別が蔓延している。日本人には無意識のうちにそれが染みつている。自分も例外ではない。例えば、小さい時から母に「男の子は台所に入るんじゃない」と言われて育った。それが、結婚後の家事分担の絶対的不平等につながったと言えなくはない。

 男が自分の差別性を自覚するためには、差別されている女性の声を傾聴しなければならない。この本は男こそ、日本の男こそ読むべき本だ。

 ところで、韓国と日本には共通点がある。男尊女卑の儒教の影響を強くうけていること、高度に発達した資本主義社会であることなどだ。
 同時に、相違点(それぞれの特色)もある。日本には(今のところ)ないが韓国にはあるもの、それが徴兵制度だ。この兵役制度(軍隊経験)が女性蔑視・差別に影響しないわけがない。
 逆に、韓国にはないが日本にあるものがある。それが今日まで続いている天皇制だ。女性蔑視に貫かれている天皇制が日本社会の女性差別を根底から支えている。

 軍隊(日本には徴兵制はないが自衛隊という世界有数の軍隊がある)も天皇制も、女性差別を一掃するためにも、この社会から無くしていかねばならない。


天皇はなぜ「剣・璽」を伊勢神宮に持参したのか

2019年04月20日 | 天皇・天皇制

     

 明仁天皇は17日~19日、美智子皇后とともに、「退位に伴う儀式の一環として」(宮内庁)、伊勢神宮を参拝し、皇祖神である天照大神に「退位」を報告しました。

 これは言うまでもなく宗教(皇室神道)儀式です。それを「退位」という法律(特例法)に基づく政治的行為の一環として行うことは、政教分離の原則(憲法第20条)に反するもので、明白な憲法違反です。

 大手メディアはその違憲性を指摘・追及するどころか、天皇・皇后賛美一色でした。これは天皇・政府の違憲行為にメディアが積極的に加担したものと言わねばなりません。

  見過ごせないのは、天皇の伊勢神宮参拝が、たんなる宗教儀式ではなく、極めて重大な政治的意味を含んでいることです。

  天皇は伊勢神宮参拝に「三種の神器」のうちの「剣」(クサナギノツルギ=写真中)と「璽(勾玉)」(ヤサカニノマガタマ=写真右)を宮中から持ち出して携行しました。宮中(賢所)にはもう1の「神器」である「鏡」(ヤタノカガミ)が安置されています。宮中の「剣」と「鏡」は形代(模造品)で、”本物“は、「剣」が熱田神宮、「鏡」は伊勢神宮に置かれています。「三種の神器」はいずれも天照大神から与えられたものとされています。

  明治以降、天皇は行幸の際、「神器」を携行するようになりました。それが天皇であることの証明だったからです。ただし、「鏡」は動かさないことになっていたので、携行するのは「剣」と「璽」でした。これを「剣璽動座」といいます。

 敗戦後、裕仁天皇は「国体(天皇制)護持」のため、全国を巡幸しましたが、「剣璽動座」は行われませんでした。それを神社本庁などの要求を受け、1974年11月の伊勢神宮参拝から復活させました。明仁天皇即位後は、「剣璽動座」は伊勢神宮参拝に限られ、今回が4回目でした。

 天皇が「剣・璽」を携行するのは前述の通り、天照大神からの「皇祖皇宗」に連なる天皇であることを誇示するためですが、なぜ伊勢神宮だけに携行するのでしょうか。もちろん、伊勢神宮が天照大神を祀っている皇室神道の中心神社だからですが、それにはさらに意味があります。

 明治の東京遷都の際、明治政府内には伊勢神宮の「鏡」を東京の皇居に移すべきだという意見があり、太政大臣に対し「伊勢神廟に安置し奉る処の神鏡を宮中に移し奉り、三種の神器合一して、天照大神の神勅に基く可き事」とする建議が行われました(小倉慈司・山口輝臣著『天皇と宗教』講談社学術文庫)。

 伊勢神宮の「鏡」を移すことは断念されましたが(その代わりに模造品を安置)、ここには「三種の神器合一」の必要性が強調されています。そしてそれは、「天照大神の神勅」に基づくためだというわけです。

 「天照大神の神勅」とは、「日本書紀」によれば、アマテラスが孫のニニギに与えたもので、その中には次の言葉が入っていました。
「宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」(皇室が天と地のように無限に栄えますように―引用者)

 ここで、ピントくる言葉があります。「天壌無窮」です。
 「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
 「教育勅語」(1890年)の最後の有名な一節です。

 「皇室の運命が永遠に続くように守らなればならないという最後の文言です。これは『日本書紀』にある神話で、天照大神が天皇の祖先となる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上の支配者として高天原から天下りさせるときに発した天壌無窮の神勅を根拠とします」(教育史学会編『教育勅語の何が問題か』岩波ブックレット)

 ここにおいて「教育勅語」と「天照大神」、そして「三種の神器」が1本の糸でつながります。

 「教育勅語にも出てくる『天壌無窮の皇運』は、けっして空疎なイデオロギーではなく、三種の神器という、天皇家に代々伝えられたとする実体を通して、『証明』されているのである」(原武史・明治学院大助教授=当時、村上重良著『日本史の中の天皇』講談社学術文庫の解説)

 明仁天皇が伊勢神宮に「剣・璽」を持参したのは、伊勢神宮に安置されている本物の「鏡」との「合一」を行うためであり、それによって「天壌無窮の皇運」を謳った「天照大神の神勅」に従うためです。その点において明仁天皇の行為は「教育勅語」の思想につながっていると言っても過言ではないでしょう。


セクハラ(性暴力)・パワハラと「平和・民主運動(組織)」

2019年04月18日 | 民主主義・人権

      

 写真誌「DAYS JAPAN」の発行人だった広河隆一氏の性暴力事件について、「週刊金曜日」が最新(4月12日)号で<広河隆一氏による性暴力・パワハラと『DAYS JAPAN』最終号を考える>という特集を組んでいます。

 その中で渡部睦美氏(編集部)が、「扱われなかったパワハラと劣悪な労働環境という問題」と題する論考で、「DAYS JAPAN」最終号(以下、最終号)がパワハラ問題に触れていないことについて、こう指摘しています。

 「『パワハラがベースにあったからこそ、被害者は長きにわたり黙らされてきた面もある。パワハラに触れないことは、性暴力の問題を矮小化することだ』など、(株)デイズジャパンの元スタッフたちからは批判の声が聞こえてくる」「今回の問題は性暴力の問題だけに留まらない。反権力の視点を謳ってきた同誌なのだから、自身の会社で見過ごされ擁護されてきた権力の行使の問題、それによるハラスメントの蔓延や劣悪な労働環境について、事実を明らかにし、会社の責任もつまびらかにして、しっかり問うていく必要がある」

  ここにはセクハラ(性暴力)とパワハラの密接な関係が指摘されています。広河氏の性暴力の加害性の無自覚(否定)とパワハラの隠ぺいは表裏一体です。

  それは広河氏・デイズジャパンだけの問題でしょうか?

  最終号は第2部で「性暴力を考える」として識者・関係者の論考・インタビューを掲載しています。これについて乗松聡子氏(ピース・フィロソフィ・センター代表)は、「広河氏の事件の検証にもなっていない検証委の記事とセットで…全体的に個別責任を拡散し、広河氏や株式会社デイズジャパンの責任逃れに加担した結果となったのではないか」(「金曜日」特集号)と指摘しています。

 この指摘は重要です。同時に、それを踏まえた上で、個々の論考には考えるべき問題提起が含まれていることも事実でしょう。

 その1つが、「何もできなかった私の償いとなればと思い執筆した」という白石草氏(OurPlanet- TV代表)の論考です。

 白石氏は、「真にオルタナティブ(大手メディアに代わる市民メディア―引用者)であるならば、組織のあり方こそ、マスメディアを反面教師にすべきだ」として、社会評論家・マイケル・アルバートが掲げる「オルタナティブメディア」の条件として、「意思決定には、組織で働くすべての人が参加すべきであり、可能な限り民主的に行い、権力者が決定するものは避けるべきだ」など5項目を紹介しています。これはけっして「オルタナティブメディア」だけの問題ではないでしょう。

 また最終号第2部には、広河事件とは直接関係のない性暴力被害の実例が12編掲載されています。これにも「証言者にここまでの心理的負担を負わせてまで、必要な特集だったのだろうか」(乗松氏、同前)という問題があります。同時に、その性暴力の複数が「平和・民主運動(団体)」の中で行われたものであることは注目されます。

 「平和・民主運動(団体・政党)」の中でのパワハラは私自身、経験してきたことです。それが原因で退職を余儀なくされた友人(女性)もいます。しかし、「ここは“闘う”組織だ」という建前(口実)で、その問題が正面から問われることはなかった(ない)のではないでしょうか。

 これらの組織において、パワハラと表裏一体のセクハラ(性暴力)はどのような実態になっているのでしょうか。

 広河事件は、「広河氏の被害者たちの『声なき声』こそ隠さず拾い集めた上で『検証』を行い、加害者の責任追及をすること」(乗松氏、同前)が本質的問題です。
 同時に、「この問題を、広河氏ひとりの問題とは感じていない。理想を掲げて『闘う』人間が、身近なコミュニティにおいて、どれほどの振る舞いをしているか」(白石氏、同前)という視点も重要です。

 広河事件の真相究明・加害責任の追及を、個別責任を拡散させることなく行うことと並行して、「平和・民主運動(団体・政党)」の個人・組織の実態にメスを入れ、長年のウミを出すことが求められているのではないでしょうか。


「聖火リレー」「被災地」「自衛隊」そして「天皇」

2019年04月16日 | 天皇制と安倍政権

     

 安倍首相は14日福島県を訪れ、来年3月に福島で行われる東京五輪聖火リレーについて、「福島の皆さんと共に復興五輪の開幕と、復興が進む福島の姿を世界に発信したい」(15日付共同配信)と述べ、聖火リレー出発に立ち会う意向を示しました(写真左)。

 進まない(進ませていない)震災復興を聖火リレーで隠ぺいし、逆に「東京五輪」と「被災地」を結び付けて国家と政権をアピールしようというものですが、この聖火リレーにはさらに重大な真相があります。

 それは、聖火リレーの事実上の出発点が、航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)になることです。ギリシャで採火された聖火が空路日本に到着するのが自衛隊松島基地です。
 松島基地に到着した「聖火」は宮城、岩手、福島の順で東北被災3県を回り、3月26日に福島で改めて「出発式」が行われます。

 「聖火」が日本に到着するのがなぜ自衛隊松島基地なのか。なぜ民間の仙台空港ではないのか。

 それを決めた東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長(元首相)はこう述べています。
 「(自衛隊松島基地は)相当津波にやられたが、不屈の精神を示す象徴的な場所。救援物資の輸送など国際的にも有効に使われ、一番理想的」(2018年7月31日付産経新聞) 

 自衛隊の軍隊としての本質を隠ぺいし、「市民権」を得るために「災害出動」が利用されているのは周知の事実ですが、聖火リレーの事実上のスタートを自衛隊基地にすることによって、「東京五輪」「災害(東日本大震災)」そして「自衛隊」を結び付けようという思惑です。

 それだけではありません。自衛隊松島基地にはもう1つ、特別な意味があります。
 明仁天皇・美智子皇后が「3・11」以後、東北被災地訪問で最初に自衛隊機を使い、降り立ったのが松島基地なのです(2011年4月27日)。天皇の自衛隊基地利用はこれが史上初めてでした。

  当時の模様を朝日新聞はこう報じています。
 「航空自衛隊松島基地司令の杉山政樹が両陛下の宮城県訪問を聞いたのは、訪問の1週間ぐらい前だった。基地訪問は初めて。どうお迎えしたものか。…基地来訪を記念する何かを残したかった。…考えついたのが箸(昼食で使う-引用者)だ。前年にブルーインパルス50年記念で作った若狭塗の箸を用意した。…ブルーインパルスについての説明を聞くと、両陛下は『それはいいですね』と、箸を大切に持ち帰ってしまった」(2014年4月26日付朝日新聞「プロメテウスの罠」)

 以後、天皇は被災地訪問に頻繁に自衛隊機を使うようになりました(写真右は熊本の被災地訪問)。

 安倍政権が東京五輪を徳仁新天皇の国際的なお披露目の舞台にしようとしていることも言うまでもありません。

 もともと「聖火リレー」は、1936年の第11回ベルリン大会でナチスドイツのヒトラーが政治的宣伝のために始めたものです。
 それが84年後の2020年、安倍政権によって、「東京五輪」「被災地」「自衛隊」にさらに「天皇」の4者を結び付ける国家戦略の象徴的な舞台になろうとしていることに留意する必要があります。