アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

翁長氏は沖縄の自衛隊配備強化に明確な態度表明を

2014年09月30日 | 沖縄

PhotoPhoto_2 沖縄県知事選で「保革相乗り」の翁長雄志那覇市長を擁立する人たちの「旗印」は、「建白書」(2013年1月28日)です。
 確かに「建白書」は当時の沖縄の総意を示した画期的なものです。

 しかし、それがきわめて限定的なものであることもまた事実です。
 「建白書」の具体的な要求は、①オスプレイの配備撤回と嘉手納への新たな配備計画の撤回②「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」の2点です。
 当時の情勢から、また最大公約数の追求から、この2点に絞られたことは妥当です。その実行が切望されることも言うまでもありません。

 しかし、「建白書」のこうした性格から、知事選を「建白書」実行の1点だけでたたうことが不可能なことも明白です。
 だからこそ、翁長氏と県政野党5会派は、「沖縄県知事選挙にのぞむ基本姿勢および組織協定」(2014年9月13日)を結んだのです。これが現時点での翁長氏の「選挙政策」です。

 ところが、この「基本姿勢」には重大な欠陥が少なくありません。安倍政権の「集団的自衛権容認」に対する見解が示されていないことは先に書きましたが、もう1つ、どうしても触れなければならない問題があります。
 それは、沖縄で安倍・自民党が強行しようとしている自衛隊配備強化についてです。「基本姿勢」はこの問題にまったく触れていません。自衛隊のじの字もありません。
 翁長氏は「出馬会見」(9月13日、写真右)でも自衛隊問題にはまったく触れなかったほか、その後の辺野古集会などでも一切言及していません。

 自衛隊配備強化の中でも特に切迫しているのが、与那国における陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備計画です。
 今日(30日)の沖縄タイムスによれば、島を二分しているこの問題で、11月にも住民投票が実現する可能性が大きくなりました。

 知事候補として、この問題に対する自身の態度を明確にすることは避けて通れません。

 「那覇空港の軍事力強化、宮古島の自衛隊強化、与那国への自衛隊基地建設がまったなしで、進められている。・・・沖縄の島々を『東アジアの友好、平和』の地域とするために、自衛隊配備計画に反対する声を広げていこう」(沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める百人委員会「沖縄・宮古・与那国への自衛隊配備強化と日米の軍事一体化に反対する声明」2013年4月27日)

 近く発表される「選挙政策」で、翁長氏が自衛隊配備強化について、明確な態度表明を行うことを期待します。


沖縄の知識人はなぜ知事選で沈黙するのか

2014年09月27日 | 沖縄

100920 沖縄県知事選は、かつてない様相を呈しています。
 公約を破って辺野古埋め立てを「承認」した仲井真弘多知事に対し、「保革相乗り」で立候補する翁長雄志那覇市長が、新基地建設反対県民の強い要望である「承認撤回」をいまだ言明しない中、喜納昌吉氏も名乗りを上げるなど、混迷を深めています。

 こうした中で不思議なのは、これまで重要な局面局面で「声明」を出すなど沖縄の世論をリードしてきた県内の民主的知識人が、県知事選に関してはいまだ何も公式に発言せず、沈黙を守っていることです。

 たとえば、昨年4月27日に結成された「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」(共同代表:安里英子、石原昌家、上里賢一、高良沙哉、高良鉄美、比屋根照夫、宮城=内海恵美子の各氏)です。(写真左は設立総会。右は今年9月20日の辺野古集会)

 その「設立趣意書」は、「高江のヘリ(オスプレイ)パットの建設、辺野古の新基地建設、先島への自衛隊配備など、基地の重圧から解放されるどころか、住民の負担はますます重くなっている」と沖縄の現状を告発したうえで、こう宣言しました。

 「私たちは、沖縄の平和創造、沖縄の住民が被っている不平等、不公正の是正、憲法で保障されている基本的人権と尊厳の回復を追求し・・・東アジアの平和創造をどのように実現すべきか、あらゆる分野の人たちの英知を結集し、総点検と政策提言を行うことを主たる目的に、ここに有志による百人委員会の結成を宣言する」

 今回の知事選は、まさに「沖縄の住民が被っている不平等、不公正の是正、憲法で保障されている基本的人権と尊厳の回復」にとっての正念場です。

 知事選で問われるべきは何なのか。辺野古新基地建設阻止において今必要なことは何なのか。「反基地・平和・革新」の人びとがその願いを託そうとしている翁長氏に何を求めるべきなのか。県民はいかなる選択をすべきなのか。
 「100人委員会」は、知事選をめぐるこうした重要課題について、いまこそ県民に指針を与える見解、「政策提言」を示すべきではないでしょうか。

 先日亡くなられた宇沢弘文さん(東大名誉教授)は、沖縄や米軍基地についても積極的に発言されました。次の言葉をかみしめ、沖縄の知識人の奮起を期待したいと思います。

 「歴代の自民党政権の指導的な立場にあった政治家たちの果たした役割を明らかにし、その社会的責任を徹底的に追及することが、いま日本の置かれている悲惨な、望みのない状況を超克するためにもっとも肝要なことである。
 その上で、日本国民すべてが力を合わせて、沖縄の米軍基地を始め、日本国内に存在する米軍基地の全面的返還を求めて、大きな国民的運動の展開をはかるべきではないだろうか」(『日本の進路』2010年4月号)


米シリア空爆―翁長氏は集団的自衛権反対の公約を

2014年09月25日 | 沖縄

PhotoPhoto_2 24日、過激派組織「イスラム国」がフランス人を殺害する映像が流れました。身の毛のよだつ画面ですが、この惨状を私たちは遠い彼方のよそ事と安閑視できるでしょうか。

 「イスラム国」が仏人を殺害したのは、仏がアメリカのシリア空爆に同調しているためです。同組織はオーストラリアも名指しで攻撃対象にしています。

 そして安倍首相は同日、まさにその仏、豪両首脳と会談し、「イスラム国の脅威に対抗する連携」を約束したのです。

 一方、オバマ米大統領は同日の国連演説で、「米国は幅広い有志国連合と共にイスラム国の壊滅を目指す」と拳を振り上げました。
 オバマ大統領が期待する「有志国連合」に日本が含まれていることは明白です。安倍首相は率先してその呼びかけに応えようとしています。

 米のシリア空爆は国連の安保理決議を踏まえたものではなく、国連憲章上も許されません。1つの例外を除いては。その例外こそ、「個別的または集団的自衛権の行使」です。

 ここに「集団的自衛権」の魔力があります。アメリカは「集団的自衛権行使」によって、国連安保理決議のないシリア空爆を正当化し、さらにそれによって世界の同盟国に「有志連合」を求めているのです。

 そして安倍政権はまさにその「集団的自衛権行使」を閣議決定で容認してしまったのです。
 日本が集団的自衛権によって、アメリカのアラブ・中東戦略・戦争に組み込まれる危機が現実になろうとしています。
 これまで日本は憲法9条によって、国際紛争への直接的関与をかろうじて防いできました。その憲法9条を、安倍政権が骨抜きにしようとしていることにより、日本はかつてない危機に瀕していると言えます。

 翻って沖縄です。
 集団的自衛権行使によって日本がアメリカの戦争に巻き込まれれば、沖縄が最前線基地にされることは衆目の一致するところです。
 だからこそ、沖縄から「集団的自衛権行使反対」の声を高めていくことが喫緊の重要課題なのです。

 そんな中で行われる県知事選。もしも安倍政権べったりの仲井真知事が再選されることになれば、集団的自衛権の旗を振る安倍政権の暴走にさらに拍車がかかるのは明らかです。この点からも仲井真再選は阻止しなければなりません。

 一方、「保革相乗り」の翁長雄志那覇市長はどうでしょうか。
 翁長氏は集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、「拙速だ」と手続きの不備を指摘しています。しかしそれに「反対」とは言っていません。「拙速だ」というのは、「もっとうまくやれ」という意味に取れます。

 その疑念を裏打ちするのが、翁長氏が県内5党・会派と交わした「沖縄県知事選にのぞむ基本姿勢および組織協定」(9月13日)です。
 「基本姿勢」は集団的自衛権について一言も触れていないのです。「解釈改憲に反対し、特定秘密保護法の廃止を求めます」とまで言いながら、なぜ集団的自衛権には触れないのでしょうか。

 「基本姿勢」では「憲法9条を守」るとも言っています。であるなら、9条を骨抜きにする現在の最重大問題である集団的自衛権行使容認に明確に反対すべきです。

 近く発表される翁長氏の選挙公約では、「集団的自衛権行使反対。安倍政権の閣議決定撤回を求める」と明記されるのかどうか。「辺野古埋め立て承認撤回」とともに注目されます。


翁長氏はなぜ辺野古「承認撤回」を言明しないのか

2014年09月23日 | 沖縄

920920_2 5500人が辺野古の浜を埋めた「止めよう新基地建設!9・20県民大行動」。仲井真弘多知事の公約違反、安倍政権の暴力的強行に抗議し、なんとしても辺野古の海は守る、新基地は造らせないという熱気が、琉球新報の動画を見ていても伝わってきました。

 知事選挙に立候補を表明している翁長雄志那覇市長(写真左)もあいさつしました。翁長氏に対する集会参加者の期待の大きさが改めて示されました。

 だからこそ、翁長氏のあいさつには、大きな疑問を抱かざるをえませんでした。
 これほど「新基地建設阻止」を切望する大勢の集会参加者を前にしてもなお、翁長氏はついにこの日も、仲井真知事が行った埋め立て承認を「撤回する」とは言わなかったのです。

 翁長氏は「埋め立てを絶対に阻止しよう」と言いながら、「今度の知事選挙は仲井真知事の承認に対する県民の初めての意思の判断と、公約破棄に対する判断です。しっかりと結果を出そうではありませんか」と述べるにとどまりました。

 13日の「出馬表明会見」でも、新基地阻止の「具体的方策」を繰り返し質問されたのもかかわらず明言をさけ、ついに質問者に矛先を向ける態度を示しましたが、この日も具体策は口にしませんでした。

 辺野古新基地阻止は、すでに抽象的スローガンや決意表明の段階ではありません。具体的方策こそが焦点です。
 そしてその具体的方策とは、仲井真知事が行った公約違反の埋め立て承認を、「撤回」する以外にありません。そのことは、例えば今月5日に那覇市内で行われた弁護士らによるシンポジウムでも改めてはっきり確認されています。

 仲井真知事の承認を撤回できるのは、新しい知事だけです。翁長氏が「断固阻止」というなら、なぜ「新知事として承認を撤回する」と集会参加者の前で約束できないのでしょうか。

 集会参加者はその言明を待ち望んでいたのではないでしょうか。支持組織の1つである日本共産党の赤嶺政賢党県委員長(衆院議員)が、翁長氏に先立つあいさつで、「承認撤回のために翁長知事の誕生を」と述べたことにもそれは表れていました。
 
 翁長氏は知事選が仲井真知事の公約違反の承認に対する「初めての意思の判断」だといいますが、そうでしょうか。承認後の県紙による世論調査では8割以上の県民が公約違反の承認を批判し、新基地建設に反対しています。稲嶺市長再選をかちとった名護市長選、先日の名護市議選をみても県民の意思はすでに明白ではないでしょうか。

 翁長氏は13日の「会見」で、「(保革は)腹八分、腹六分」でつながっているとし、そのまとまりを崩したくないと明確な答弁を避けました。「承認撤回」を言明することが「保革のまとまり」を崩すことになるというのなら、「保守」が「撤回」に難色を示していることになります。そうであるなら、今も「根っからの保守」を自認する翁長氏は今後どうするつもりなのでしょうか。

 「新基地建設絶対阻止」というなら、「承認撤回」を言明できない理由はないはずです。

 近く発表する「選挙政策」で、翁長氏は「承認撤回」をはっきり公約に明記すべきです。


スコットランド住民投票と沖縄と天皇制

2014年09月20日 | 天皇・天皇制

PhotoTenoubanzai イギリスからの独立が争われた注目のスコットランド住民投票は、「NO」が過半数を占めて終わりました。
 この住民投票から、われわれ日本人も多くのことを学ぶ必要があります。

 なぜなら、少なくない人々が「独立」望み、運動している地域が、日本にもあるからです。
 言うまでもなく、それは沖縄です。そしてまた言うまでもなく、沖縄の「独立」は、ウチナーンチュ(沖縄人)だけの問題ではなく、すべての日本人が考えねばならない問題です。

 沖縄県紙はいずれも20日付の社説で、「スコットランドの経験を受けて、沖縄も独立論議が高まりそうだ」(沖縄タイムス)、「沖縄もこの経験に深く学び、自己決定権確立につなげたい」(琉球新報)とタイムリーに主張しています。

 スコットランドの住民投票は、少なくとも次の諸点で注目されます。
 ①歴史的発端は覇権国による武力併合であり、現在高失業率など経済的に圧迫され、さらに核兵器の存在が問われるなど、沖縄との類似点は少なくない。
 ②投票権を16歳に引き下げて若者の参加を促し、高校生らがこれに応えて活発な議論を展開したことは、若者の政治・社会参加の貴重な経験として学ぶべきことが多い。
 ③「独立」の可否を決める手段として、「住民投票」の民主性・現実性が示された。

 これらについては別の機会にあらためて考えたいと思います。ここでは、沖縄県紙も含め、日本のメディアがほとんど注目していない重大問題について書きます。

 それは、スコットランドの住民投票に際し、イギリスのエリザベス女王が、「(独立は)慎重に考えてほしい」と述べ、「独立派」にクギを刺したことです(18日のNHKニュース=写真左)。

 異例中の異例発言です。政治に介入しないはずのイギリス王室(女王)による、あからさまな政治発言だったからです。今回の結果に、女王のこの発言はどれくらい影響を及ぼしたのでしょうか。

 ここに図らずも、イギリス王室の、いや王制一般の役割が浮き彫りになったのではないでしょうか。

 私はすぐに日本の天皇制を思い浮かべました。天皇は「国政に関する権能を有しない」(憲法4条)にもかかわらず、「国家存亡の時」には、「国家体制」維持のために権力者に最大限利用される。それが「象徴天皇制」というものではないでしょうか。

 それは荒唐無稽、牽強付会、イギリスの王制と日本の天皇制は違う、という人もいるでしょう。
 ところが、現に同じようなことが、去年日本でもあったのです。沖縄で。

 昨年4月28日、サンフランシスコ「講和」条約発効から61年目のこの日を、安倍政権は「主権回復の日」と称し、東京で式典を挙行しました。これに対し沖縄では、同日を「屈辱の日」とし、抗議集会が開かれました。なぜなら、サ条約によって、日本本土は「主権回復」したかもしれませんが(それも虚構です)、沖縄は明白に本土から切り離され、引き続きアメリカの統治下・軍事植民地に置かれたからです。

 重大なのは、安倍政権が強行したこの式典に、天皇・皇后が出席し、安倍首相以下参列者一同が「天皇陛下、万歳」を三唱して式典を締めくくったことです(写真右)。

 これは何を意味するでしょうか。
 天皇・皇后は、沖縄の軍事植民地化の継続が決められた日を祝ったのです。安倍政権の政治的な狙いに加担したのです。
 
 片やスコットランドの独立に反対し、片や沖縄の植民地化継続を「祝う」。なんという対照でしょうか。

 イギリスの世論調査では、56%の市民が女王のこの発言に対し「言うべきではなかった」と答えています(「言ってもよい」は36%)。イギリスの「民主主義」の片りんを見る思いです。

 翻って、「主権回復式典」への天皇・皇后の出席に、「すべきでなかった」と答える日本人は、いったいどれだけいるでしょうか。
 ここに、日本の社会の重大な問題が横たわっていると思うのです。


「日米安保」を棚上げした沖縄知事選でいいのか

2014年09月18日 | 沖縄

Photo_2Photo_3 今月13日に行われた翁長雄志氏(那覇市長)の県知事選出馬「会見」(写真右は琉球新報HPから)の内容には、多くの問題が含まれていました。

 その中でも特に重要なのは、記者から「日米安保条約の必要性、それに基づく沖縄の米軍基地の是非」について問われた翁長氏が、次のように答えたことです。

 「日米安保条約、日米同盟は、保守の立場から理解している。しっかりやなねばならない。しかし、日本の安全保障は日本全体で考えるべきだ。こういう(沖縄に基地が集中している)理不尽なやり方では米軍基地は安定した状態におけず、日米同盟は砂上の楼閣だ」

 日米安保体制を是認する翁長氏にとって、「辺野古新基地建設反対」は、日米安保条約・軍事同盟を安定的に推進するためなのです。
 これは別に目新しい言明ではありません。翁長氏の持論です。それがこの日の「出馬会見」でも改めて言明され、日米安保の問題についてかつて自民党県連幹事長まで務めた翁長氏の考えはまったく変わっていないことが浮き彫りになりました。

 そんは翁長氏を、「反基地」「革新」の人々は、ほんとうに自分たちの知事候補にしてよいのでしょうか。

 4年前、前回の知事選が行わる5カ月前の2010年6月30日。宮本憲一、西谷修、小森陽一の各氏ら本土18人と沖縄20人、計38人の学者・知識人が「呼びかけ人」となり、「米海兵隊は撤収を」と題する「普天間基地問題についての声明」が発表されました。

 「声明」は、その年の5月、「最低でも県外」と言明していた鳩山由紀夫元首相がそれを覆し、沖縄を訪れて「県内移設」を表明。6月には菅首相(当時)が「辺野古移転」という「日米合意の踏襲」を表明するという重大な情勢の下で発表されました。
 しかし本土のメディアはほとんどこれを無視したため、その存在自体を知らない本土の人間は少なくありません。

 「声明」はこう言っています。
 「沖縄は、いまや“オール沖縄”で『県内移設』反対を明確にしたのである」「そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、『基地用地』探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。むしろ冷戦時代の思考法である『抑止力』とか『敵』とか『同盟』といった発想そのものを疑い、その呪縛から逃れることが必要なのではないか」

 そしてこう結んでいます。
 「私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのでなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない。日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、いまこそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである」

 まさに、県内外・日本の英知を結集して県民と国民に訴えた渾身の「声明」です。
 ここで指摘されていることはけっして過去の問題ではありません。それどころか、安倍政権によって「集団的自衛権行使容認」の閣議決定が強行されたいま、その指摘はいっそう切実さを増しているのではないでしょうか。

 ところがこのままでいけば、今回の知事選では日米安保体制の是非は棚上げされてしまうのです。そして、「反基地」「革新」勢力は、「日米安保の推進」を言明する人物を、みずからの手で県知事にしようとしているのです。
 それでよいのでしょうか。

 「声明」の呼びかけ人となった沖縄の学者・知識人は次のみなさんです。(敬称略、五十音順)
 新崎盛暉、大城立裕、大田昌秀、我部政明、桜井国俊、島袋純、新城郁夫、高里鈴代、高良鉄美、高良勉、照屋寛之、富川盛武、仲里効、仲地博、比屋根照夫、三木健、宮里昭也、宮里政玄、山城紀子、由井晶子

 「呼びかけ人」のみなさんにお聞きします。
 みなさんが呼びかけられた4年前の「声明」は、今に通じる、いいえそれどころかますますその価値を増しているのではないでしょうか。
 「日米安保体制の是非が問われない沖縄県知事選」という前代未聞の事態を、このまま黙過してよいのでしょうか。


沖縄県知事選「翁長出馬会見」の驚愕

2014年09月15日 | 沖縄

PhotoPhoto_3 11月の沖縄県知事選挙に「保革相乗り」で立候補する翁長雄志那覇市長の「出馬表明記者会見」が13日、那覇市民会館でありました。

 そのもようを琉球新報HPの動画で見て、ショックを受けました。(写真右は琉球新報の動画から。左は4年前仲井真知事=右の選対本部長を務めた時の翁長氏)

 出馬表明にあたって翁長氏が明らかにした基本姿勢には、重大な問題が数多く含まれていました。これについては、次回述べます。
 ここでは、13日の「記者会見」のあり方、その模様の異常さについて書きます。

 まったく異例・異様な「記者会見」でした。
 それは、写真のように壇上に後援者がひしめき、会場いっぱいの千数百人の支持者が入った大きなホールで行われました。記者たちの席は舞台下、会場の最前列です。

 異例なのは会場の規模や配置だけではありません。場内は翁長氏の一言一句に対し、熱狂的な支持者による拍手と声援、指笛に終始包まれました。
 それは、記者会見を支持者らが傍聴したというより、支持者の決起集会に記者たちがはめ込まれた、と言った方がいい光景でした。

 こうした雰囲気の中で翁長氏にとって不都合な質問をするのは、勇気のいることです。しかし記者たちは粘り強く質問しました。
 とくに、翁長氏が「辺野古の新基地は絶対造らせない」といいながら、その具体的な方法を言おうとしないことに対し、各社の記者から繰り返し質問が出たのは当然です。なぜなら、埋め立て承認の撤回ないし取消を行うのかどうかが、「辺野古新基地反対」の眼目であり、新知事に最も求められることだからです。

 しかし翁長氏は、「保革相乗り」を盾に、頑として言明を避けました。この翁長氏の対応は、私には想定内のことでした。
 私が唖然としたのは、こうした記者の質問に対し、あろうことか会場の支持者から、「そうだ」「そんなことはない」「いつまで同じ質問をするんだ」などのヤジと拍手・指笛が飛びかったことです。

 そしてそのヤジは、ある記者の質問でピークに達しました。記者は「辺野古反対といいながら、結局政府に押し切られた、という形にならないか」と聞いたのです。実に的を射た質問です。
 ところがこれに対し質問の途中から大きな怒声のヤジが何度も飛ばされ、翁長氏はそれに乗じるように、「普通の人がそういう質問をすると大変失礼なことになる」と、暗に記者を罵倒したのです。

 この光景に背筋が寒くなる思いがしました。これは翁長氏と会場の支持者が一体になった記者への圧力であり、質問封じではないのか。
 痛いところを突かれた質問を、こうして翁長氏と会場が一体になって封じ込めるなど、民主主義社会では絶対にあってはならないことです。

 そもそもこういう異例・異様な「記者会見」にしたこと自体に疑問を禁じえませんが、その懸念がはっきり表れた光景でした。

 会場にはいわゆる「革新」といわれる政党やその支持者、「反基地」でたたかっている人たちが多数いたはずです。その人たちはこの光景をどう受け止めたのでしょうか。
 熱狂的空気の中で、「翁長擁立」で「がんばろう」と拳をあげた人たちは、この異様な「記者会見」に何も感じなかったのでしょうか。

 もしもそうだとするなら、私は沖縄の「民主主義」に大きな疑問を抱かざるを得ません。

 今後随時、沖縄県知事選について書いていきます。本土のみなさんが、自分の問題として一緒に考えていっていただければうれしいです。


「昭和天皇巡幸」と「平成天皇被災地訪問」

2014年09月13日 | 天皇・天皇制

PhotoPhoto_2 広島県の湯崎知事は11日、皇居を訪れ、天皇に土石流災害の状況を報告しました。
 天皇・皇后は11月に広島の被災地を訪れる意向だと言われています。

 一方、10日公表された「昭和天皇実録」では、戦後天皇裕仁が「人間天皇」を印象付けるため、全国を回った巡幸が大きく取り上げられ美化されています(写真左。右は東日本大震災の被災地を訪れた平成天皇・皇后)。

 昭和天皇は1947年12月5日、広島へ1回目の巡幸を行いました。広島県議会は天皇に「感謝決議」をあげ、楠瀬知事(当時)は天皇の質問に答え、「原爆の影響についての人体の健康は、全く心配がなく、ただ植物が学問的に言えば多少影響を残している程度で、決して御心配はいりません」とさえ述べています(『ヒロシマ・25年』)。政府と天皇の思惑通りです。

 しかし、「天皇巡幸」の本質を見抜いた被爆者もいました。被爆詩人の栗原貞子はこう記しています。

 「やさしい人間天皇の演出によって、現人神天皇のイメージを消し、侵略加害の原点から、平和と愛の象徴となり、国民も戦争責任を問うより『戦争でともに苦労されたおいたわしい方』と同情し、政府支配層は再び天皇を国民の精神的支柱にしようとして世論操作を行ない、マスコミはそれにしたがったのであった」(『問われるヒロシマ』)

 「昭和天皇の巡幸」と「平成天皇・皇后の被災地訪問」は、もちろん同列に論じられるものではありません。
 しかし、それをまったく別物と断じ、後者を手放しで評価・賛美することも賛成できません。

 平成天皇・皇后に対する無条件の賛美は、広く「民主的」な人々の中にも見られます。例えば、「昭和天皇実録」についての社説で、沖縄県紙ですらこう述べています。
 「天皇陛下は2012年12月、79歳の誕生日に合わせて記者会見し『日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないか』と述べた。昭和天皇が果たせなかったことを天皇ご夫妻で意識的に引き受けているのは明らかである」(沖縄タイムス9月10日付)
 ここに見られるのは、昭和天皇の美化であるとともに、平成天皇に対する絶大な好意と期待です。

 しかし、現在の「象徴天皇制」、したがって平成天皇・皇后の言動と、昭和天皇の戦争・戦後責任は、切り離して考えることができません。なぜなら「象徴天皇制」の誕生自体が、昭和天皇の戦争責任棚上げの産物に他ならず、戦後の昭和天皇の言動は「象徴天皇制」の定着化そのものだったからです。
 そして平成天皇もまた、連続した「天皇制」の中にあり、その宗教性・思想性・政治性から逃れることはできないからです。

 昭和天皇の戦争・戦後責任を明らかにすることは、たんなる「歴史の清算」ではなく、「象徴天皇制」の実態と本質を検討することは、これからの日本の進路、日本で生活する者の生き方を考える上で欠かせない今日的な重要課題です。

 前回(11日)の「日記」で、昭和天皇の「原爆投下はやむを得ない」発言(1975・10・31)をアメリカでの記者会見と書きましたが、アメリカから帰国後の日本記者クラブでの会見の誤りでした。訂正しておわびします。


「昭和天皇実録」はなぜ「沖縄メッセージ」を認めたのか

2014年09月11日 | 天皇・天皇制

PhotoPhoto_2 宮内庁は8日、「昭和天皇実録」を公開しました。
 その記述は、「『(昭和天皇に)戦争責任はなかった』という結論を導き出そうという恣意的な引用ではないかという疑念も生まれかね(ない)」(共同通信)といわれるほど、「天皇美化」に貫かれたものです。

 この官制「実録」による「天皇美化」に、大手・地方を問わず、メディアがこぞって加担していることに、いまさらながら日本の根深い病巣を見る思いです。

 例えば、広島・長崎への原爆投下について、「『原爆の日』には外出を控え、追悼の念を深めていく様子もうかがえる」(中国新聞9日付)などと、天皇裕仁がいかにも「平和主義者」であったかのように描いています。
 しかし彼は、アメリカでの記者会見で、自らの責任には一切ほうかむりしたまま、「原爆投下はやむを得ない」(1975・10・31)と言ってのけた人物なのです。

 こうした虚飾まみれの「実録」の中で、唯一注目されるのは、沖縄についてのいわゆる「天皇メッセージ」(1947・9・19)の存在を、政府・宮内庁が認めたことです。

 「天皇メッセージ」は、天皇裕仁が御用掛・寺崎英成を通じ、連合国総司令部に「米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」し、「その占領は米国の利益となり、また日本を保護することになる」(「実録」)との考えを伝えたものです。

 これがその後のサンフランシスコ「平和」条約、日米安保条約につながり、今日の沖縄の軍事植民地状態をもたらす元凶となりました。新憲法で政治に関与できなくなったはずの「象徴天皇」が、これ以上ないというほどの政治的役割を進んで果たしたという点でも、戦後史上きわめて重大な出来事です。

 宮内庁は、「確認できなかった」としてその内容については直接的には認めていませんが、従来政府が「天皇メッセージを裏付ける資料は見つからなかった」としていたことからみれば、間接的ながら「実録」でその存在と内容を明らかにしたことは画期的です。

 しかし、ここで疑問がわきます。一面的な記述で「天皇美化」に努めている「実録」が、なぜ「沖縄メッセージ」の存在を認めたのでしょうか。

 思うにそれは、「沖縄メッセージ」に対する評価が、まったく違うからではないでしょうか。

 沖縄の側から見れば、「天皇メッセージ」はサ体制・日米安保・沖縄軍事植民地化の元凶であり、天皇裕仁の重大な歴史的汚点です。
 しかし、沖縄の犠牲の上に成り立っている日米安保を肯定する立場から見れば、それは「日本の安全」をもたらしたものであり、天皇裕仁の「英断」と見えるのではないでしょうか。

 そして今、安倍内閣がメディアの「天皇美化」の大合唱の中で「沖縄メッセージ」の存在を明らかにしたことは、沖縄の民意を無視し、沖縄にさらに犠牲押し付けて強行しようとしている辺野古への新基地建設と無関係ではないのではないでしょうか。

 「天皇の戦争・戦後責任」さらに「象徴天皇制」をどう見るか。それは沖縄の戦争・戦後史を、本土(本土に住む人間)がどう見るかということと、密接不可分に結びついている。改めてそう痛感します。

 <見過ごせないニュース>

 障がい者が迫害される社会は・・・

 埼玉県の全盲の女子生徒がJR川越駅構内で、点字ブロック上を歩いていたところ、白杖に接触した人物に脚を蹴られ、全治3週間のけがをしていたことが9日明らかになりました。

 少し前には盲導犬が通行人から刺されたという事件もありました。

 相次ぐこうした事件を、「歩きスマホ」や「思いやりに欠ける心」の問題と片づけていいでしょうか。

 私は不気味な世相の流れを感じます。
 戦争で一番犠牲になるのは、障がい者など「社会的弱者」であり、それに無感覚になるのが、戦争をする社会だからです。

 「社会的弱者」に対する「一般市民」の迫害に、戦争への足音を感じてなりません。


オキナワ・フクシマ・ヒロシマ・・・「日記」500回に思う

2014年09月09日 | 沖縄

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Photo_2 「私の沖縄日記」は沖縄時代から通算して、今日で500回目になります。
 ひとつの区切りとして、今、一番念頭にあることを書きます。

 それは「私自身の加害責任」という問題です。

 沖縄はいま、安倍政権による辺野古新基地建設の動きが重大な局面を迎えています。11月16日には最大の政治戦である県知事選があります。

 政府と仲井真県政による暴挙に反対して連日繰り広げられている辺野古・キャンプシュワブゲート前での抗議行動(写真左は8・23県民大集会)。その中で、「沖縄のことはウチナーンチュ(沖縄人)で決める」という言葉を聞きます。
 自主・自立・自己決定の立場からは当然の声です。しかし同時に、私はこの言葉に一瞬たじろいでしまうのも正直なところなのです。

 ヤマトンチュ(本土の人間)である私は、沖縄の現在と未来に、どうかかわることができるのか。かかわっていくべきなのか。一貫した自問です。

 「日米安保条約がある限り、沖縄の基地は本土に引き取るべきだ」という沖縄の声に、どう向き合うべきなのか。これも一貫した課題です。

 これらの問題に私はまだ明確な解答を見いだせていません。ただ、糸口はつかみかけたような気がします。
 それは、「過去・現在の沖縄の構造的差別に対する私自身の責任、加害責任をどう考えるのか」ということです。

 沖縄差別の元凶はもちろん日米の国家権力です。しかし、だからといって、「市民」である私に加害者としての責任がないとは言えません。
 「市民」が追うべき「加害責任」とは何なのか。
 オキナワに対する自分の加害責任とどう向き合うべきなのか。

 凝視しなければならない「私の加害責任」は、けっしてオキナワだけではありません。

 もうすぐ3年半になる東日本大震災・東電福島原発事故。この大事件から我々が考えねばならなかったことは、原発立地地域の人々に放射能のリスクを負わせ続け、それ以外の「市民」は安穏な生活を送ってきたという、この国の構造的差別であったはずです。

 その構造的差別も、沖縄と同じく、元凶は国家権力です。しかしだからといって、原発立地地域の人々に犠牲を押し付けてきた「一市民」の責任が不問に付されていいはずがありません。

 「3・11」は我々にその「加害責任」への自覚・反省を促したはずです。しかし、多くの日本人は、私も含め、それに向き合わないまま、再び「安穏な生活」に浸っているのではないでしょうか。

 もう一つ。広島に来て改めて自分の「加害責任」を突き付けられた問題があります。戦時中、日本軍によって行われた大久野島での毒ガス製造です(写真右は毒ガス資料館内)。
 国際法違反の毒ガス兵器は戦時中実際に中国などで使用され、戦後の今も、遺棄された毒ガスのため中国の人たちらを苦しめ続けています。

 私の父は十代後半に工員として大久野島の毒ガス製造に従事しました。そして後遺症の慢性気管支炎を患った末、肺がんのため4年前に他界しました。
 父も毒ガスの犠牲者であったことは確かです。しかし同時に、その製造に携わった者として、加害者の一員であったことも否定できません。

 息子である私は、父の「加害責任」から目をそらすことはできません。
 父は貧困のために毒ガス工場に通わざるをえなかった「一工員」であり、私はその息子にすぎません。しかしだからといって、この「加害責任」から逃れることはできないのです。

 オキナワ、フクシマ、そしてヒロシマ。私が向き合わねばならない3つの地域は、いずれも私に問い掛けています。「おまえは自分の加害責任にどう向き合うのか」と。

 沖縄にいない者が「私の沖縄日記」と題してブログを書くことが許されるのか、自問し続けています。
 ただ、「沖縄」は「福島」や「広島」にも通じるものであり、いずれも私に「加害責任」の取り方、そして残りの人生の生き方を問い続けている。そう考えて、「日記」を続けることにします。