アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

今光る沖縄・故川満信一氏の憲法草案

2024年07月19日 | 沖縄・メディア・文化・思想
  

 詩人で思想家の川満信一氏(元沖縄タイムス社取締役、写真)が6月29日亡くなられました。享年92。

 川満氏の論稿で最も印象的なのは、「新沖縄文学」(1981年6月号)に発表された「琉球共和社会憲法私(試)案」です(写真右=沖縄タイムスより、以下、憲法草案)。「共和国憲法」ではなく「共和社会憲法」です。起草されたのは43年前、「本土復帰」から9年目の1981年5月15日。その前文はこううたっています(太字は私)。

<九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。だが、米軍はその廃墟にまたしても巨大な軍事基地をつくった。われわれは非武装の抵抗を続け、そして、ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦、非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と、それを遵守する国民に連帯を求め、最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く、淡雪となって消えた。われわれはもう、ホトホトに愛想がつきた。好戦国日本よ、好戦的日本国民と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。>

 川満氏の憲法草案は全56条。
 第1条(基本理念)「われわれ琉球共和社会人民は、歴史的反省と悲願のうえにたって、人類発生史以来の権力集中機能による一切の悪業の根絶を止揚し、ここに国家を廃絶することを高らかに宣言する」

 第10条(自治体の設置)「自治体は直接民主主義の徹底を目的とし、衆議に支障をきたさない規模で設ける」

 第13条(不戦)「共和社会のセンター領域内に対し、武力その他の手段をもって侵略行為がなされた場合でも、武力をもって対抗し、解決をはかってはならない。象徴旗(注・「国旗」に代わるものとして第12条に規定されており、「ひめゆり学徒」の歴史的教訓に学んだ白一色に白ゆり一輪のデザイン)をかかげて、敵意のないことを誇示したうえ、解決の方法は臨機応変に総意を結集して決めるものとする」

 川満氏の憲法草案に注目した上野千鶴子氏はこう書いています。

「これだけの激烈な言葉を、私たちは沖縄の人たちから、1981年にすでに投げつけられているのです。その後も少しの反省もなく、わたしたち日本人は沖縄の人たちをずっと踏みにじってきました。オスプレイ配備と基地の辺野古移転はその象徴です」

「「ラディカル」という言葉はこのためにあるような見事な憲法だと思います。ここでいう「ラディカル」という言葉は、急進的という意味ではなく根源的という意味です」(『上野千鶴子の選憲論』集英社新書2014年)

 絶えない米軍による性暴力、それを通知さえしない日本政府。沖縄の軍事植民地としての実態が改めて浮き彫りになっている今、そして、戦争・紛争が絶えず、NATOはじめ軍事同盟・覇権主義が世界を覆い、日本が日米安保条約の下で対米従属の軍拡をいっそう強め、沖縄が新たな戦場にされようとしている今こそ、川満氏の憲法草案から学ぶべきものはきわめて多いと考えます。

 余談ですが、2013年6月、那覇市内で川満さんの憲法草案を学ぶ学習会がありました。川満さん自身も出席されていたので、休憩時間に「琉球独立学会」が進めている「独立」についてどう思うか質問しました。川満さんは温和な表情で、「国民国家を解体して社会をリフォームするのでなければ、漂流するだけ」と言われました。
 11年後の今、川満さんが言われた「国民国家の解体」という言葉が改めて胸に迫ります。

川満氏の「琉球共和社会憲法私(試)案」は上野千鶴子氏の前掲書に全文転載されています。

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沖縄・生え抜き書店の閉店で危ぶまれること

2024年06月01日 | 沖縄・メディア・文化・思想
   

 先日久しぶりに沖縄へ行った際、時間を見つけて県庁前の商業施設パレットくもじ7偕にあるリブロ・リウボウブックセンター(リブロBC)(写真左)に寄りました。立地の良さもあり、那覇に住んでいたときはよく行きました。沖縄県内で百貨店にある唯一の書店です。
 そのリブロBCが昨日(5月31日)で閉店になりました。

 沖縄県内の出版事情に詳しい新城和博氏(ボーダーインク編集者)によれば、リブロBCの前身は、米統治下の1950年に沖縄の教職員会が中心となって設立した文教図書。教科書、教材、文具、スポーツ用品の供給から始まり、次第に一般書籍も販売するようになりました。1991年にパレットくもじ(写真中は1階の入口)内の百貨店リウボウに移りました。

 リブロBCの最大の特徴は沖縄県産本を数多く集めた「沖縄・郷土本コーナー」です。沖縄の出版社の多くは、自分たちで書店に直接配本するか、地元の流通会社を通じて配本しています。新城氏はこれを「文化の地産地消」と言います。そして「沖縄・郷土本コーナー」の存在は、「本屋のおける御嶽(うたき)」だと。

 1980~90年代には、国際通りにも「本を探してはしごするほど」(新城氏)書店があったといいます。

 リブロBCの閉店に対し、新城氏はこう述べています。

「「沖縄・郷土本コーナー」を大切にしてくれた沖縄の書店は、本を媒介して人々の生活を支え、その文化・歴史をつなぎ続けてくれた。
 どんな書店にも思い出があり、無くなるのは寂しい。それでも今回のリブロBC店閉店の知らせは、やはり重く受け止めてしまう。
 文教図書からリブロがつないだ沖縄の書店の歴史の流れは、このまま終わるのだろうか。それとも街角のざわめきのなかに新しい書店が返り咲くことはあるのだろうか」(新城和博氏「沖縄書店の変遷 “文化の拠点”はいま」、琉球新報5月3日・7日付より)

 書店の減少はもちろん沖縄だけの問題ではありません。

 業界団体によると、2013年度に全国で約1万5600店あった書店は、10年間で約4600店減少。「書店ゼロ」の市町村は全国で28%にのぼり、沖縄、長野、奈良の3県は市町村の5割以上が「書店ゼロ」です(5月19日付京都新聞)。

 沖縄の「県本・郷土本コーナー」は他の都道府県と比べて、質・量ともに格段に充実しています。それは沖縄の苦難の歴史(琉球国に対する日本の侵略、沖縄戦、敗戦後の米国統治など)、現在の米軍基地集中、自衛隊ミサイル基地化など軍事植民地化、構造的差別とけっして無関係ではないでしょう。

 沖縄の書店の「県本・郷土本コーナー」はそうした歴史と現実を告発し、その事実・知識を県内外に発信する場であり、書籍・出版を通じてたたかう人々の活動の場なのです。

 新城氏が懸念するように、リブロBCの閉店がそうした沖縄の出版・書店文化の衰退に拍車をかけるとすれば、それは沖縄にとってきわめて残念であるだけでなく、「本土」の日本人にとっても非常に大きな損失となるでしょう。

 書店文化を守り発展させる英知と政策が求められています。
 

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『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』が射貫くメディアの責任

2024年05月01日 | 沖縄・メディア・文化・思想
   

 素晴らしい本が出版されました。『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社、4月28日発行)。川満彰氏(沖縄国際大・沖縄大大学院非常勤講師)と林博史氏(関東学院大教授)の共著です。

 沖縄戦時の県知事・島田叡と県警察部長・荒井退造(写真中)が、映画「生きろ」(2021年、佐古忠彦監督=TBS)や映画「島守の塔」(2022年、五十嵐匠監督)などで美化されていることの誤りと危険性については当ブログでも再三取り上げてきましたが(2022年9月3日付など)、この本はその決定版といえます。

 この問題を早くから指摘してきた川満氏と、沖縄戦研究第一人者の林氏の徹底論及と豊富な資料は圧巻です。ここでは特に同書(担当林氏)が痛烈に批判しているメディアの責任に注目します。

 「島守の塔」の製作委員会には沖縄タイムス、琉球新報はじめ沖縄のメディアが軒並み名を連ねています。林氏は「沖縄のメディアの責任」の項目でこう指摘しています。

「沖縄の県民、住民の立場にたって沖縄戦を調べ、聞き取り、報道してきたのがこうした沖縄のテレビ、ラジオではなかったのか。沖縄戦について何十年にもわたって積み上げてきた住民の視点からの報道をかなぐり捨て、侵略戦争を推進した内務官僚たち(島田、荒井-私)を賛美する映画を後押しするようになったのか。

 沖縄のメディアが住民の立場に立とうとする意思がまだ少しでも残っているのであれば、自分たち自身で映画の内容を一つ一つ事実に照らして点検し、この映画の何が間違っているのか、事実でない捏造がなされているのはどこか、何を隠しているのか、何を見えなくしているのか、新聞であれば記者たち自身の責任で総点検した総括記事を出すべきだろう」

 この本の出版が沖縄タイムスであことは意外でした。それについても林氏はこう指摘します。

「沖縄タイムス社を批判するような本書の出版を沖縄タイムス社が引き受けていただいたことには敬意を表しているが、外部者に書かせるだけでなく、社として責任を持って、いま述べたような総括記事を出すべきだろう。それが最低限のジャーナリズムとしての責任であろう。このことは映画を支援したすべての沖縄のメディアに言えることである」

 もちろん、問われているのは沖縄のメディアだけではありあません。

 島田の出身地の神戸新聞や、荒井の出身地の下野新聞も「島守の塔」の製作委員会に加わり、賛美する記事を書いてきています。林氏はこう指摘します。

「神戸新聞や下野新聞など島田と荒井の出身県の新聞が、沖縄戦を含めて戦争の問題を真摯に考えることを放棄し、ただただ「郷土の誉れ」として持ち上げ、虚像の「郷土愛」を「創作」している。ジャーナリズムの良心はどこに行ってしまったのだろうか」

 TBSの「生きろ」取材班は、『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』(ポプラ新書、2014年)で、内務大臣・安倍源基が島田に送った称賛の言葉「官吏の亀鑑」(亀鑑=模範)を使って島田を賛美しています。林氏はこう指摘します。

「島田や荒井のような「天皇の官吏」にとっては天皇のために殉じること、県民すべてを天皇のために殉じるように指導することこそが内務官僚として立派な人物であった。…「官吏の亀鑑」という言葉を島田賛美に使うTBS報道局のスタッフたちは戦中のウソで塗り固めたマスコミとどこが違うのだろうか」

 同書はもちろんメディア批判だけではありません。島田・荒井(内務・警察官僚)美化の危険性、とりわけ今日の戦争国家化との関係、さらに、そもそも「本土」の日本人が沖縄戦・沖縄にどう向き合うべきかという根源的問題に多くの示唆を与えてくれます。

 「島田・荒井賛美」はきわめて今日的な重要問題です。ぜひ、一読をお薦めします。(沖縄タイムス出版部に電話で注文できます。送料込み1650円。℡ 098-860-3591)

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沖縄「平良孝七写真展」問題が「本土」に突き付けたもの

2023年01月21日 | 沖縄・メディア・文化・思想
   

 「写真家・平良孝七」。「本土」でその名を知る人は少ないかもしれません。今回の那覇市での「復帰50年・平良孝七展」(2022年11月3日 ~1月15日、主催=沖縄県立博物館・美術館、以下美術館)問題があるまで私は知りませんでした。

 写真展を主催した美術館のサイトにはこうあります(写真左)。
「平良孝七(1939-1994)は、沖縄県大宜味村生まれの写真家です。1970年、「復帰」に揺れる沖縄を写した『写真集沖縄 百万県民の苦悩と抵抗』を発表。1976年、島々で生活する人々とその風景を撮影した写真集『パイヌカジ』で第2回木村伊兵衛写真賞を受賞します。その後も平良は沖縄に根ざす生活者の「記録」を様々なテーマで撮り続けました」

 写真展に合わせたのか、NHK・ETV特集が7日「沖縄の“眼”になった男」として平良孝七を取り上げました。それによると、平良は沖縄初の公選知事である屋良朝苗氏のもとで「革新県政」の広報担当としても活動しました(写真中が平良孝七=同番組から)。

 その「復帰50年・平良孝七展」で問題が起こりました。概略は以下の通りです。

 展示第1部は、「復帰運動」の中心となった「沖縄革新共闘」が作成した平良の写真集をそのままコピーしたものだった。その中で、個人が特定される写真に「売春婦」「混血児」という「説明」がつけられた。

 これに対し、平良の妻・芳子さんや「平良孝七展の修正を求める会」(写真家や歴史家)が、人権侵害と指摘し、問題のパネルの撤去を要求。美術館側はこれに応じなかった。そのため芳子さんらは今月5日、玉城デニー知事に撤去を求める要請書を提出。美術館は終了間近の7日になってようやく問題のパネルを撤去した―。

 県立美術館の認識・対応の誤りは明らかです。写真展は終わりましたが、問題は解決されたとは言えず、引き続き注視していきたいと思います。

 ここで考えたいのは、この問題は「本土」の私たちとは関係のない、たんなる美術館の不手際という問題なのか、ということです。

 琉球新報は「平良孝七展から考える」という識者による論評を連載しました。その中で、東京工芸大准教授・キュレーターの小原真史氏がこう書いています。

「パネル展示をめぐって問題となっている点は本土であれば、何事もなく見過ごされた可能性が高い。その意味で今回の平良展をめぐる一連の問題には、身につまされる部分が多々あった」(14日付琉球新報)

 これはどういう意味でしょうか。
 小原氏の言葉を理解する手掛かりになった投稿がありました。那覇市在住の與那嶺貞子さん(66)が、「平良孝七展を通し」と題してこう述べています。

「問題となっている「売春婦」「混血児」の写真は…全ての琉球の女性たちの歴史に翻弄された悲哀の姿と重なる。同時代を生きた女性たちの歴史の痛み、号泣が胸に迫ってくる。歴史の証人である社会的弱者の女性や時代の鏡である子どもたちのまなざしは、この状況を生み落とした琉球と日本の歴史、社会への告発と責任を問うことに他ならない」
「私は、この写真展から亡国の民への残酷・残忍さと悲哀さを学び、人間の尊厳と誇りを回復するために万国津梁の精神で琉球民族の独立の重要さを再認識させられた」(15日付沖縄タイムス「論壇」)

 「売春婦」「混血児」の表示パネルが問題になったのは、たんに人権侵害だからだけではなかった。そこには、日本が琉球を武力で併合(1879年)した沖縄(琉球)の「亡国」の歴史があり、「売春婦」「混血児」の言葉で表象された女性や子どもたちはその歴史の生き証人として、「本土」の日本人を告発しているのです。
 だから與那嶺さんは、平良孝七の写真展から「万国津梁の精神」による「琉球民族の独立の重要さ」を再認識したのではないでしょうか。

 小原氏が「本土であれば、何事もなく見過ごされた可能性が高い」と思ったのは、「本土」の日本人には、「歴史の証人」である女性たち、子どもたちの「まなざし」の意味が分からないと直感したからでしょう。今回の写真展問題を「本土」メディアが取り上げない(その意味が認識できない)のは、小原氏の直感が的を射ていることを示しているのではないでしょうか。

 私たち「本土」の日本人は、「沖縄の“眼”」から、女性や子どもたちの「まなざし」から、琉球を武力で併合し今も差別し続けている日本(人)の加害の責任を学び続けなければなりません。


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首相会見で露呈したメディアの沖縄無視

2021年12月23日 | 沖縄・メディア・文化・思想

    
 沖縄の米軍キャンプ・ハンセンの新型コロナ感染者は、21日現在207人にのぼり、玉城デニー知事は同日、日米両政府に、「米本国からの軍人・軍属の移動停止、基地外への外出禁止」を要請しました(写真中)。沖縄・米軍基地の大規模クラスター(集団感染)はますます深刻な問題になっています。

 しかし、こうした沖縄の窮状・訴えが、岸田政権はもちろん、日本のメディアの眼中にはまったくないことが、同じ21日夜の首相記者会見(写真左)で露呈しました。

 会見では冒頭、岸田首相が約20分発言したのに続き、14人の記者が質問しました(大手メディア7人、地方紙(沖縄以外)4人、外国メディア2人、フリーランス1人=江川紹子氏)。
 岸田氏はもちろん、14人の記者の中で、沖縄・米軍基地のクラスター問題に触れた記者は1人もいませんでした。

 ここには、沖縄、基地問題に対する日本(「本土」)メディアの欠陥が象徴的に表れています。

 第1に、米軍基地を沖縄に集中させ、犠牲を押しつけておきながら、その被害の実態には目を向けようとしない、沖縄に対する「構造的差別」が表れていることです。それは、辺野古新基地建設強行に対する無関心・軽視と同根です。

 第2に、米軍基地がコロナ感染対策の大きな障害になっていることを追及する視点が皆無だということです。それは市民の命と健康を顧みない米軍を容認・免罪していることに他なりません。
 このメディアの「米軍基地タブー」は、沖縄に限らず、「本土」の米軍基地にも対しても同じです。

 第3に、以上の2つの問題の根底には、日本のメディアの日米安保条約(軍事同盟)支持・擁護の基本姿勢があることです。

 玉城知事の要請に対し、米軍は、「移動停止に関しては「日米安保条約の義務履行を妨げずにどのように対処できるか考えたい」と回答した」(22日付沖縄タイムス)と報じられています。
 言い換えれば、日米安保条約に基づいて活動しているのだから、移動停止の要請には応じられない、ということです。これは米軍基地がコロナ対策の抜け穴になっている元凶が日米安保条約であることを米軍自ら吐露したことにほかなりません。

 しかし、日本のメディアはその根源にまったく目を向けようとしていません。

 重要なのは、こうしたメディアの弱点・欠陥は、メディアの問題にとどまらず、そのまま日本の「世論」、「市民」に反映していることです。メディアが「沖縄差別」「米軍基地タブー」「日米安保条約支持」の「世論」を作り出しているのです。

 


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沖縄戦75年・危険な島田知事、荒井警察部長の美化

2020年01月25日 | 沖縄・メディア・文化・思想

  
 23日付の琉球新報、沖縄タイムスは、沖縄戦当時の島田叡(あきら)県知事(写真中)、荒井退造警察部長を描いた映画「島守の塔」(五十嵐匠監督)の「製作を応援する会沖縄」が22日結成されたと大きく報じました(沖縄タイムスは1面、写真左)。

 結成式で五十嵐監督は「島田さん、荒井さんの偉人伝を作るつもりは全くない」(23日付琉球新報)と述べていますが、「極限状態の沖縄戦で、人間は他人を思うことができるのかということがテーマだ」(同)としており、島田知事や荒井部長が美化させるのは必至でしょう。琉球新報も島田知事を「沖縄戦当時、食糧確保や疎開に尽力したとされる」と好意的に紹介しています。

 かつて島田知事と荒井部長を描いたテレビドラマが放送されたこともあり(2013年8月TBS系)、両氏を「偉人」とする見方は「本土」でも少なくありません。

 しかし、これは事実に反した評価・美化であり、「本土」の帝国日本政府が任命した知事、県警部長(中央官僚)が沖縄戦で果たした歴史的役割に対する評価を誤らせるものです。

 『沖縄戦を知る事典』(吉浜忍・林博史・吉川由紀編、吉川弘文館2019年、この項P70~73林博史氏執筆)から抜粋します。

< 内務省は「軍の司令官らと協調してやってくれる知事」として島田叡を選んだ(当時の警保局長の証言)。沖縄県民を犠牲にしようとする軍に対して県民を守ろうとするのではなく、軍の要求にこたえる知事として選ばれたのである。

 知事のきわめて重大な行為の一つが、鉄血勤皇隊への学徒の動員である。第32軍司令官、沖縄連隊区司令官(徴兵業務を担当)、沖縄県知事の三者による覚書がある。14歳から17歳までの学徒の名簿を作成して、県知事を通じて軍に提出し、その名簿を基に軍が学徒を鉄血勤皇隊に軍人として防衛召集し、戦闘に参加させることが取り決められていた。県知事は本来兵士に召集される義務のない学徒を軍に提供した。いくつかの史料からこれは島田知事によるものと考えられる

 45年4月27日、市町村長会議が県庁壕で開催された。この会議で(島田は―引用者)米軍が住民まで皆殺しにすると恐怖を煽り、住民にも一人残らず竹やりなどを持って戦うように指示していた。>

 以前(2013年)、琉球大学で行われたシンポジウムで、郷土史研究家の川満彰氏(名護市教育委員会)が、島田知事についてこう述べたことがあります。
 「陸軍中野学校出身者の離島残置謀者(離島に残って諜報活動を行う日本兵)に(偽装のための)教員免許を公布したのは島田叡だ。その戦争責任はどうするのか」(2013年10月25日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20131025

 島田叡と荒井退造は「本土」政府・大本営に忠実に従って沖縄戦を遂行する官僚として送り込まれ、事実その通り行動したのです。その島田、荒井を評価・美化することは、誤りであるだけでなくきわめて危険な意味を持ちます。

「今日、有事(戦時)法制を考えるとき、地域の戦争体制を作るのは自衛隊というより警察を含めた行政機関である。沖縄の戦時体制を作った行政・警察を美化することはこの問題から人々の目をそらせることになりかねない」(林博史氏、前掲『沖縄戦を知る事典』)

 沖縄戦から75年。事実を正確に掘り起こし、教訓を導くことが改めて重要になっているいま、島田、荒井を美化することはまさにそれに逆行するものと言わねばなりません。

 さらに重大なのは、この「映画『島守の塔』製作を応援する会沖縄」の「呼びかけ人」47人に、琉球新報、沖縄タイムス、琉球放送、沖縄テレビ、琉球朝日放送など、沖縄メディアの代表が揃って名を連ねていることです。沖縄メディアの見識が問われます。その責任はきわめて重いと言わざるをえません。


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「辺野古阻止」で問われる琉球新報、沖縄タイムスの姿勢

2017年12月12日 | 沖縄・メディア・文化・思想

     

 辺野古埋立の石材運搬に本部港を使用することが11日、許可されました。直接許可したのは本部町ですが、実質は港の所有権を持つ沖縄県・翁長雄志知事の許可です。

 翁長知事は4日前の7日にも、中城湾港の使用を許可したばかりです。これで奥港(国頭村)の使用許可(9月上旬)に続いて「埋立石材運搬の港使用許可」3連発です。

 奥港の許可以来、翁長氏に対し「公約違反」との批判が強まり、住民団体などから「使用許可撤回」要求が相次いで提出されている中での「使用許可」強行です。「公約違反」だけでなく翁長氏の「県民・住民無視」は顕著です。

 翁長氏にもともと進んで辺野古新基地を阻止する意思がないことは、知事就任以来、再三指摘してきました。その地金が表れてきているわけです。

 そんな翁長氏に「あらゆる知事権限」を行使させ、新基地阻止に向かわせるのは、世論の力以外にありません。その点で重要な役割を担っているのが、琉球新報と沖縄タイムスです。

 ところが、県内で絶大な影響力をもつこの県紙2紙の姿勢が、このところ目に見えて後退してきています。

 例えば、「本部港の使用許可」の報道(12日付、写真左、中)は、新報が1面3段と社会面に関連記事。タイムスも1面3段で2面と社会面に関連記事。いずれも1面トップではまく、社説もなく、この件での翁長氏に対する取材もありません。

 「中城湾港の使用許可」報道(8日付)の後退ぶりはさらに顕著で、新報はかろうじて1面3段、2面に関連記事があるものの、タイムスにいたっては3面3段記事のみ。いくら「保育園への落下」というニュースがあったにせよ、この扱いはひどすぎます。両紙とも社説で取り上げていないのはもちろん、これまでなら節目節目に行っていた翁長氏への取材と「一問一答」はまったく影を潜めています。

 それだけではありません。新基地阻止の切り札である「埋立承認撤回」について、タイムスは半年前の社説では、「埋め立てを強行し、新基地を建設することは、行政の公平・公正性からいっても、環境影響評価のあり方からしても、看過できない重大な問題をはらんでいる。それだけでも埋め立て承認を撤回する理由になる」(5月28日付沖縄タイムス社説)と主張してていたにもかかわらず、今では、「焦る民意…今すぐ撤回すべきだとの市民の主張には、基地建設阻止への論理的な主張が見えない」(10日付沖縄タイムス解説記事)と、撤回を求める市民に批判の矛先を向ける始末です。
 「承認撤回」の主張を前面に出さなくなったのは、新報も同様です。

 こうしたタイムス、新報の姿勢の後退(変質)(特にタイムスに顕著)の背景に何があるのかはわかりません。
 しかし、言うまでもなく、辺野古新基地阻止のたたかいは終わったわけではありません。今がまさに正念場です。

 この重要な局面で、翁長氏の「公約違反」や「承認撤回」の有効性を客観的に明らかにし、翁長氏に「公約」実行を迫ること、そして辺野古の現場で連日たたかっている人たちをはじめ、新基地阻止を求める県民・市民に寄り添い、その目線で報道すること。
 それが今求められているジャーナリズムの使命ではないでしょうか。

 <お知らせ>

 『「象徴天皇制」を考える その過去、現在、未来』(B6判、187ページ)と題した本を自費出版しました。
 これまで当ブログに書いてきた「天皇(制)」の関するものをまとめたものです(今年10月までの分)。「天皇タブー」が蔓延する中、そしてこれから「退位・即位」に向けて「天皇キャンペーン」がさらに大々的に繰り広げられることが予想される現状に、一石を投じたいとの思いです。

 ご希望の方に1冊1000円(郵送料込み)でおわけします。郵便振り込みでお申し込みください。
 口座番号 01350-8-106405
 口座名称 鬼原悟

 今後とも、当ブログをよろしくお願いいたします。


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琉球新報は「黙秘権行使」に対する攻撃を釈明せよ

2017年12月07日 | 沖縄・メディア・文化・思想

     

 「米軍属女性殺人初公判 罪と正面から向き合え」と題した琉球新報の社説(11月17日付)に対し、沖縄弁護士会(照屋兼一会長)が11月22日、「再検討するなど、適切な措置を講じること」を求める「会長談話」を発表しました。

 これに対し新報は同23日の紙面で、「主張に問題ない」とする玉城常邦論説委員長のコメントを発表。さらに12月6日付の「読者と新聞委員会」(主宰・富田詢一社長)の座談会記事で、「論説として問題ない」「極刑と誤認の恐れも」「黙秘権否定してない」「主張に色あってもいい」とする出席者の発言とともに、「認めた罪については当然、話すべきだ」とする玉城論説委員長の発言を再び掲載しました。

 琉球新報は社説に「問題ない」という姿勢を一貫して崩していません。4人の座談会出席の発言によってそれが「証明」されたかのような印象を残したまま、この問題は収束されようとしています。

 しかし、この問題は人権・民主主義にとってけっして看過できません。さらに、沖縄の「歴史」や「基地問題」への取り組みにとっても、このままでは禍根を残すことになりかねません。問題の本質はどこにあるのか、改めて検証します。

 沖縄弁護士会が新報の社説に対して指摘していることは、大別、次の2点です。

① 「被告人が法廷で黙秘権を行使したことについて、『被告の権利とはいえ、黙秘権行使は許し難い』『被告の順法精神と人権意識の欠如の延長線上に、黙秘権の行使があるのではないか』などと厳しく批判した」

② 「裁判所あるいは裁判員に対し、『裁判員は被告の殺意の有無を的確に判断してほしい』『遺族が納得する判決を期待したい』と投げかけるものであった」

 ①②をまとめて「談話」はこう指摘します。
 「上記事件は誠に痛ましい事件であり、被害者関係者のみならず一般市民が厳しい感情を持つことはむしろ当然である。
 しかしながら、新聞社が社の意見として、第1審係争中の段階で、被告人が憲法及び刑事訴訟法上認められた正当な権利である黙秘権を行使したこと自体を上記のように厳しく論難し、そればかりか、証拠関係に基づかずに、裁判所・裁判員に対して一定の方向性をもった判決を期待する旨表明することは、刑事被告人の黙秘権及び公平な裁判を受ける権利を軽視し、また、これから評議・判決に臨む裁判員に対して影響を及ぼすことも懸念されるところである」

 これに対し上記座談会では、「遺族が死刑判決を望んでいると、死刑判決を下してほしいと主張していると受け取られかねない」(照屋寛之沖縄国際大教授)との意見があり、玉城論説委員長も、「死刑を求めているようにも読めるのは反省点だ」と述べています。

 これは弁護士会が指摘する②の問題を、新報としても事実上認めたものといえるでしょう。新報は「誤りだった」とはっきり認めるべきです。

 問題は、①の「黙秘権の行使」です。
 玉城論説委員長は「被告の黙秘権行使は否定しないが」(11月21日付コメント)、「黙秘権の重要性は認識している」(座談会)といずれも前置きしたうえで、「全てを話すべきだとの主張に問題はない」(コメント)、「認めた罪については当然、話すべきだ」と繰り返しています。

 黙秘権は憲法、刑事訴訟法に明記されている権利であり(11月23日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20171123)、「否定しない」(できない)のは当然です。問題は、その黙秘権を被告人が行使したことに対し、新報が「全てを話すべきだ」「当然、話すべきだ」と非難していることです。黙秘権の「重要性は認識している」と言いながら、その行使を否定・攻撃するのは、きわめて陰湿・作為的と言わざるをえません。

 さらに新報は、「一新聞社の論説としてやっているのだから…とやかく言う必要はない」(湧川昌秀沖縄県社会福祉協議会会長)などの座談会における「一般市民」の意見を前面に出すことによって、自社の「正当性」を印象付けようとしています。「一新聞社の論説」だから何を言ってもいいというものではない、いいえ、新聞社の論説だからこそ、何を言ってもいいというものではないことは、論証の必要もないほど自明でしょう。

 座談会で照屋寛之氏は、「沖縄の置かれた歴史的背景を考えると『絶対に許せない』ということでここまで書いたと思う。法の世界だけで考えるか歴史を考えるか、平行線になるかもしれない」としながら、「弁護士会が談話を出すということは気になる」と新報に与する意見を述べています。

 しかし、「法の世界」と「歴史」は「平行線」で競合・対立するものでしょうか。
 キーワードは「人権」だと思います。
 「黙秘権」が憲法・刑事訴訟法に明記されるようになったのにも「歴史」があります(11月23日のブログ参照)。それは端的に言えば、国家権力からの人民の権利=人権擁護の歴史でした。
 一方、薩摩による「琉球侵攻」以来の琉球(沖縄)の歴史、そして今日の「構造的差別」による「沖縄の基地問題」も、結局、うちなーんちゅの人権が日本とアメリカによって踏みにじられてきた、そして今も踏みにじられている「歴史」ではないでしょうか。

 「人権」を土台に考えるなら、「法の世界」と「沖縄の歴史」は決して「平行線」ではないのではないでしょうか。

 その視点から考えると、琉球新報が社説で「黙秘権の行使」(「黙秘権」そのものではないとして)を「許し難い」と攻撃したことはけっして容認できるものではありあません。

 琉球新報社は、「座談会」でこの問題にフタをすることなく、社説で「黙秘権の行使」を否定・攻撃したことに対し、明確な釈明を行うべきです。


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「沖縄慰霊の日」・欺瞞に満ちた本土メディア

2017年06月24日 | 沖縄・メディア・文化・思想

     

 「6・23沖縄慰霊の日」の式典で、安倍首相は沖縄への「米軍基地の集中による大きな負担」は「到底是認できるものではない」などと言いました。沖縄の民意を踏みにじって辺野古新基地建設を強行している張本人が、よくも言ったものです。その厚顔無恥にはあらためて怒りが湧いてきますが、ここでは「6・23」をめぐる本土メディアの論説・論調の問題を考えます。

 23、24両日、「沖縄」の社説を掲載した全国紙は朝日、毎日、読売、産経の4紙でした。自民党・安倍政権の広報紙として辺野古新基地建設を鼓舞する読売、産経は、あえて取り上げません。
 問題は、沖縄に寄り添っているかのような姿勢を見せているメディアの欺瞞性です。

 「朝日」の社説(23日付)は、「遺骨」問題に特化させ、最後に「沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えて行くための土台となる」としながら、現在進行形の「重い負担」である辺野古新基地には一言も触れていません。

 「毎日」の社説(23日付)は、「過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ」としながら、「政府が『反基地』の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう」と、政府に下駄を預ける一般論で終わっています。

 中国新聞の社説(23日付)は、辺野古や「土人」発言などの問題点を指摘したうえで、「政府は…丁寧に対話を重ねるべきだ。私たち国民も、『痛み』を共有する努力を忘れてはならない」といいます。「痛みの共有」とはどういうことでしょうか。

 NHKは23日夜の「ニュースウオッチ9」で、キャスターが「現地レポート」を踏まえ、「(沖縄と本土の)壁は高くなっている」とし、「私たちが沖縄を分かろうとすることが大切」とコメントしました。沖縄の何を「分かろう」というのでしょうか。

 報道ステーション(23日、写真右)は、「沖縄ヘイト」をとりあげ、「沖縄と本土には新たな溝ができている」とし、ゲストコメンテーターは「人(沖縄の人)のために行動することをやってみたい」などと述べました。「人のため」という発想は根本的に間違っていませんか?

 こうした論説・コメントには重要な共通点があります。「県民感情を直視する」「『痛み』を共有する」など聞こえのいい言葉を並べながら、目下の現実的な基地負担とりわけ辺野古新基地建設をどう考えるのか、どうするのかについては、具体的な主張が何もないことです。

 「6・23」にあたって、本土メディアは少なくとも次の2点を明確にすべきです。
 ①沖縄の基地負担が過重だというなら、辺野古新基地建設(普天間基地の県内移設)反対を明言すること。
 ②したがって普天間基地は、「無条件返還(どこにも移設しない)」か「県外(本土)移設」かしかなく、どちらを支持するのか明確にすること。

 しかし、沖縄に寄り添うようなポーズを示す本土メディアは、この2点を明確にしません。なぜでしょうか。報道ステーションのキャスターのコメントがそれを示唆しています。
 「沖縄の犠牲の上に、(本土は)安全保障の恩恵を受けている

 こう思っている(善意の)日本人は少なくないでしょう。これは言い換えれば、「日本の安全保障は日米安保体制によって守られており、それは沖縄の犠牲の上に成り立ち、本土はその恩恵を受けている」ということです。明確な日米安保条約(体制)肯定論です。

 日米安保肯定論の自体の問題は別途考えるとして、ここで言いたいのは、日米安保体制を肯定したうえで、沖縄の過重な基地負担に「反対」するなら、結論は「県外移設」しかないということです。ところが本土メディアは頑として「県外移設賛成」とは言いません。本土の多くの「国民」(読者=顧客)が反対だからです。本土メディアは、読者を失いたくないために、論理的必然の「県外移設」に背を向け、結果、抽象的な美辞麗句を並べた欺瞞・偽善に終始しているのです。
 それが、沖縄にとって、また日本にとって、どんなに犯罪的なことか、メディアは自覚すべきです。

 なお、私は日米安保体制反対・安保条約廃棄の立場から、「県外移設」ではなく「無条件撤去」を主張します。


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「辺野古判決」社説、総崩れ!

2016年09月20日 | 沖縄・メディア・文化・思想

    

  16日の「辺野古判決」(福岡高裁那覇支部、多見谷寿郎裁判長)に対する11紙の社説を読みました(沖縄タイムス、琉球新報、朝日、毎日、読売、日経、中国、北海道、信濃毎日、神戸、京都。いずれも17日付。産経、東京新聞はこの問題での社説なし)。
 そこには、「辺野古問題」にとどまらず、米軍基地、「沖縄」に対する「本土」・日本人の考え方・姿勢が象徴的に表れています。

 各紙の社説は(沖縄県紙も含め)、まさに総崩れ状態です。肝心な問題がまったく触れられていないからです。それは2つあります。

 第1に、日米安保条約(日米軍事同盟)です。

 前回のブログで述べたように、今回の不当判決の核心は、憲法より日米安保条約を上に置いたことです。民意(国民主権)・基本的人権の蹂躙、地方自治圧殺もすべてそこに根源があります。今回の判決に限らず、「基地・沖縄問題」すべての元凶がそこにあります。
 日米安保をどう考えるのか。それを抜きに「判決」の論評はできないはずです。

 ところが、11紙の中で日米安保(条約・体制)に触れた社説はたった1紙しかありませんでした。その他は(タイムス、新報も含め)、「日米安保」という言葉さえ出て来ません。これは驚くべきことです。

 1紙とは京都新聞で、こう述べています。「日米安保を享受しながら、沖縄に基地を押しつけている現状に目を向けなければならない」(後述するようにこれも問題のある記述です)。

 日本のメディアが、すべて日米安保=軍事同盟を肯定し擁護していることは周知の事実です。しかし、それを固定化させることは許されません。具体的な事実(局面)で、日米安保を問い直すことはメディアの責任ではないでしょうか。今回の「辺野古判決」はまさにその必要がある局面です。

 にもかかわらず「日米安保」に一言も触れない。こうしたメディア状況が「日米安保条約支持=80%」という「世論」を作り出していると言っても過言ではありません。その責任は、沖縄県紙も含め、きわめて大きいと言わねばなりません。

 日米安保に触れないことは、2つ目の問題と密接に関係しています。

 それは、各紙は、全面賛美の「読売」を除いて、すべて「判決」を批判するものの、ではどうすべきか、解決の道は何なのかについては、(県紙を除いて)どの新聞も口をつぐんでいることです。

 「本土紙」の論調は、「それでも対話しかない」(「朝日」)、「解決には対話しかない」(「毎日」)、「協議で解決策見いだせ」(「中国」)など、判を押したように「対話・協議」を主張し、それが「解決」への道であるかのように言います。

 しかし、これほど無責任で偽善的な主張はありません。「対話・協議」といえば誰からも否定・批判はされない。「県民の気持ちを踏みにじる」(「毎日」)と「判決」を批判すれば沖縄に寄り添っているかのように聞こえる。しかしそれだけではなんの解決にもなりません。
 「対話・協議」してどうしようというのか。結局、普天間基地はどうするのか。それを示さなければ社説ではありません。
 
 「『辺野古に基地を建設する以外にない』と(判決がー引用者)言い切ったことに、大きな疑問を感じる」(「朝日」)と言う。では基地は辺野古以外、つまり「本土」に移せと言うのかと思えばそれも言わない。「本土へ移せ」と言えば「本土」の読者の反発を招くからです。あるいはそもそもそうすべきだとは考えていない。
 唯一「日米安保」に触れた京都新聞も、「沖縄に基地を押し付けている現状」を指摘しながら、ではどうするのかは言わない。

 こうしたメディアの無責任・偽善の根源は、日米安保=軍事同盟体制を肯定していることにあります。

 日米安保を肯定するから「普天間基地は無条件で撤去せよ」とは言えない。しかし沖縄に米軍基地が集中している「不正義」は公然と是認できない。かといって「基地は本土へ」とは言えない(言わない)。その逃げ道が「対話・協議」です。
 「政府が直視すべきは、県民の理解がなければ辺野古移設は困難だし、基地の安定的な運用は望み得ないという現実だ」(「朝日」)とは、「対話」は「辺野古移設・米軍基地の安定的な運用」のためという本音を示すものです。

 日米安保を肯定するなら、したがって「基地の無条件撤去」を主張しないなら、そして沖縄への基地集中を是認しないなら、「基地は本土へ」と言うべきでしょう。そこをあいまいにしたまま「対話・協議」でお茶を濁して逃げるのは、日米安保の犠牲を沖縄に押し付けて「自分とは関係ない」と思っている(思おうとしている)「本土」(日本人)の差別性、植民性を象徴的に示すものです。

 しかし、「基地を本土へ」移しても根本的解決にならないことは明白です。本質的な解決のためには、日米安保条約を廃棄して日米安保=軍事同盟体制を打破し、日本から米軍基地を一掃する以外にありません。
 その世論を大きく広げていくことが私たちの歴史的責任ではないでしょうか。


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