終バスが行ったあとの渋谷バス停で、座って体を休める路上生活をしていた大林三佐子さん(当時64)が、近所の男に殴打され死亡(2020年11月6日)して、半年になります。
1日夜のNHK「事件の涙」はこれを追跡取材しました。ネット上ではいまも大林さんを悼む書き込みが絶えず、その多くは女性だといいます。「いつ自分が同じようになってもおかしくない」「彼女は私だ」
大林さんは広島市生まれ。小さい時から人と接するのが好きで、広島にいるときは劇団に所属していたこともある(写真右)。27歳で結婚して東京へ。しかし1年で離婚。理由は夫の暴力。コンピュータ関係の会社に勤めたが、30歳で退職。数年ごとに転職を繰り返した。
10年ほど前から、短期契約のスーパーなどの試食販売員で食いつないだ。日給約8000円。給料が出るとすぐにコンビニで電気代やガス代を払っていた、と親しかった同僚は言う。
毎年クリスマスには郷里の母親と首都圏に住むただ一人の弟にカードを送った。かわいいイラストを手書きして。そのカードが4年前から届かなくなった。同時期、大林さんはアパートから出た。家賃が払えなくなった。キャリーケースを持ち歩く生活になった。
「試食販売で自分で生活を立て直そうとしていた。けれど、頑張っても頑張っても、はい出せなかった。アパートを借りることもできなかった」(元同僚)
その試食販売の仕事も、コロナ禍でなくなった。
大林さんの死は、何を問いかけているのでしょうか。番組で紹介された関係者の言葉を手掛かりに考えたいと思います。
姉が路上生活をしていたことは事件後初めて知ったという弟―「なぜ助けを求めてくれなかったのか」
路上生活者を支援しているNPO代表―「路上生活者は助けを求めにくい。とくに女性は人に声をかけにくい。怖いから」
事件前からバス停で大林さんを見かけていたという近所の男性―「どうすることもできなかった。ちょっとした優しさが何になるかわからなかったし」
実父からの性暴力で家を出てホームレスになり、SNSで知り合った男性の家を転々として暮らしていた21歳のK さん。大林さんが亡くなったベンチに花を供え―「(路上生活者にとって周りは)別世界なんです。私はこの世界にはいない…。自己責任と言われる社会。その人(大林さんのような人)を見つけることができない社会なんです」(K さんは去年夏からSNSで見つけた支援団体の援助でアパートに入居)
番組ナレーション―「事件後、小さな変化が起きています。路上生活を支援する若者が増えているのです」
結婚から死に至るまで、大林さんの人生はこの社会の女性差別に貫かれていました。コロナ禍がそれを助長しました。
「なぜ助けを求めなかった」。残念な思いからつい言ってしまいそうな言葉ですが、それはベクトルが逆でしょう。「夜道は危険。痴漢に注意」の標語同様、被害と加害が逆転しているのではないでしょうか。
「ちょっとした優しさが何になる」。たとえ何もできなくても、「大丈夫ですか?」と声をかけるだけで、大林さんの孤立感はいくらかでも和らいだのではないでしょうか。
考えたいのは、「ちょっとした優しさ」をどこへ向けるかです。
大林さんの姿を見かけていた人の中で、行政(区役所)に知らせた人はいたのでしょうか。「路上で困っている人がいます。支援を」と。警察は巡回で大林さんを見かけていたはずです。知っていながら見て見ぬふりをしていたのではないでしょうか。
問うべきは行政・政治の責任です。市民の「ちょっとした優しさ」は行政・政治への突き上げに向かうべきです。路上生活を支援する若者が増えているのは素晴らしいことです。が、その気づき、「優しさ」は政治・行政へ向けられてこそ生かされるのではないでしょうか。
「自助」「共助」の危うさ。「自助」と「共助」は紙一重です。問われるべきは「公助」です。いいえ、「公助」という言葉自体、トリックです。公(政治・行政)が市民の命・生活を守るのは援助ではなく責務です。「公助」ではなく「公責」と言うべきです。
首相が就任後初の所信表明演説で「私が目指す社会像は、自助・共助・公助」(2020年10月26日、菅義偉首相)と、「公助」よりも「自助・共助」を前面に出してはばからない日本。大林さんの死が問いかけているのはそんなこの国のあり方です。
相模原事件(2016年7月26日)の植松聡被告(30)に、「死刑判決」が言い渡されました(16日横浜地裁・青沼潔裁判長)。犯行の動機、事件の背景については未解明な点が多く、軽々に論評することはできませんが、限られた情報でも意見を述べることは必要だと考え、以下、限定的な感想を述べます。
「日本社会の基底に、相模原の事件は太いくいを打ち込むような出来事でした。なぜなら、この時代と社会に静かに組み込まれ、巧妙に隠されてきた優生思想が表出したからです」。作家の辺見庸氏はこう指摘し、その意味で「(植松被告は)『社会的産物』であり、事件は『一人格の問題』ではない」(13日付沖縄タイムス=共同配信)とみます。
雨宮処凛氏(作家・社会運動家)は、「自己責任」論がまん延する中、「多くの人が『自分の苦しみの原因』がどこにあるのかわからないまま、『敵』を欲しがり、叩きたがる」、そんな日本社会でこの事件は起きたとし、「私自身の『内なる植松』との対話」の必要性を主張します(編著『この国の不寛容の果てに』2019年大月書店)。
注目されるのは、植松被告が強い影響を受けた人物が、アメリカのトランプ大統領だったことです。
獄中の被告と何度も面会したジャーナリストの神戸金史氏は、雨宮氏との対談でこう述べています。
「影響を受けたのはトランプ大統領だと言っていましたね。彼はすごい、と。…タブーとかポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)を恐れず、みんなが内心思っている本音を言うことで社会を変えようとしている、と。自分もそれをやったのだと言っていました」(前掲書)
植松被告はトランプ氏への「憧れ」を口にするようになり、「金髪にし、黒いスーツや赤いネクタイを身に着けた」(17日付沖縄タイムス=共同)といいます。そして公判でも、「国境に壁をつくるとのトランプ氏の発言に影響を受けたと説明し、こう発言した。『もう言っていいんだと思った。真実を。意思疎通できない方を安楽死させるべきだと』」(同)
植松被告が「この時代と社会に巧妙に隠されてきた優生思想を表出」させた、言い換えれば露骨な差別思想を公言し行動に移した、その有力な引き金になったのがトランプ大統領の言動だったことは間違いないでしょう。
「重度障害者を殺害すれば不幸が減る。障害者に使われていた金がほかに使えるようになって世界平和につながる」という被告の主張は、荒唐無稽に聞こえますが、実はトランプ氏の経済第一主義、差別主義と通底するものです。植松被告が「社会的産物」なら、その「社会」をつくっている代表的人物がトランプ氏だと言えるでしょう。
そして、植松被告は言及していませんが、日本でそうした「社会」をつくっている人物の筆頭が、トランプ氏との親密ぶりを誇示する安倍晋三首相であることは明らかです。朝鮮・韓国や中国への偏見・差別をむきだしにし、福祉を切り捨てて貧富の格差を拡大する安倍氏の思想、新自由主義政策が、この「社会」をつくってきました。
だからこそ、植松被告にはもっと語ってもらわねばなりません。犯行動機、事件の背景を植松被告とともに徹底的に解明しなければなりません。
しかし、植松被告は死刑になろうとしています。国家によって抹殺され、事件の背景はうやむやにされようとしています。一方、トランプ氏や安倍氏は引き続き国家の最高権力者として、この「社会」に君臨し続けます。市民が人を殺傷すれば犯罪として処罰されるが、国家が犯す大量殺人(戦争など)は放任され、ときに賞賛さえされる。そんな不条理な構図がここにもあるのではないでしょうか。
「死刑」は国家による殺人であると同時に、国家の暗部を隠蔽するものです。それは私たちが「内なる植松」を凝視し、「社会」を変えていくことを阻みます。だからこそ「死刑制度」は廃止しなければなりません。
8日に初公判が行われた相模原殺傷事件。被告の特異な言動に目が向けられがちですが、重要なポイントが抜け落ちているように思われます。それは、被告が施設の職員であったことです。
障害者施設の現場は直接知りませんが、介護施設の現場は、母のグループホームで身近に接しています。短時間、その一端に触れるだけですが、それでも介護の現場がいかに過酷な場所であるかは分かります。
施設職員にとって入所者は血のつながっていない他人です。その下の世話・処理(たいへんな状況が多い)、夜中のケア、さらに入所者の“わがまま”、ときに“暴言”。実の親子でも我慢できず、思わずきつい言葉を返したり、手を出したりしかねません。それでも限界にきて施設に預ける。それを引き取って24時間ケアしてくれるのが施設の職員です。ほんとうに頭が下がります。まさに聖職といえるのではないでしょうか。
そんな尊い仕事をしている施設職員に対し、日本社会は、私たちは、正当な敬意を払っているでしょうか。職員は妥当な待遇を受けているでしょうか。逆に社会の片隅に追いやられているのではないでしょうか。なによりも、他の職種にくらべきわめて劣悪な賃金のもとに置かれていることが、施設職員がこの社会でどう見られているかを示しています。
介護施設職員が置かれている低待遇(必要な敬意が払われていないことを含め)は、要介護者・高齢者がこの社会でどう見られているかの反映にほかなりません。
介護施設と障害者施設は同一ではないとしても、この点では共通しているのではないでしょうか。こうした劣悪な実態が、「生きていても役に立たない」という差別意識を増幅させたとしても不思議ではありません。
もちろん、それが事件の原因だと言っているのではありません。被告の言動・犯罪行為は決して許されるものではありません。劣悪な環境の中でも、多くの(ほとんどの)職員は献身的に働いています。しかし、そのストレスはたいへんなものでしょう。そのストレスは弱い部分から噴出します。時に報じられる「施設における虐待」はその氷山の一角でしょう。
「人を差別してはいけない」。それを否定する人はまずいないでしょう。しかし、差別は意識だけで生まれるものではありません。障害者、あるいは要介護・高齢者、その家族、施設職員が置かれている劣悪な生活・労働実態は、それ自体が差別であり、差別意識を再生産するものです。そこにメスを入れなければなりません。
具体的には、自民党政府の低福祉政策を転換し、福祉施設に働く職員の給与を全従業員の平均水準かそれ以上に直ちに引き上げることです。5兆円を超えている軍事費を削減して福祉施設の増設、職員の待遇改善に振り向けるべきです。
個人・社会の差別意識の克服は、それを生みだしている政治・政策の転換でこそ、その相乗作用でこそ可能なのではないでしょうか。
28日熊本地裁で下されたハンセン病家族訴訟の原告勝訴判決は、最近の司法のいっそうの反動化(国家権力迎合)の中で、画期的といえるものです。安倍政権は判決に服し、控訴すべきではありません。
同時に、家族の「人生被害」に対する国の賠償責任を認めた今回の判決を、私たちはただ「良かった」ですませることはできません。なぜなら、裁判で被告になったのは「国」でしたが、家族に「人生被害」を与えた、いや今も与え続けているのは「国」(政府)だけではないからです。「日本の社会」、それを構成している私たち「日本人」もまたその責任が問われているからです。
裁判で「勝訴」の判決が下りただけではハンセン病患者・元患者・家族に対する差別はなくなりません。それを示す苦い歴史的事実があります。
18年前、元患者らが初めて国の責任を追及した「らい予防法違憲国家賠償訴訟」は、今回と同じ熊本地裁で「原告全面勝訴」の画期的な判決を勝ち取りました(2001年5月11日)。小泉政権(当時)は控訴を断念し、判決は確定しました。これでハンセン病に対する誤解は解け差別はなくなると期待されました。
ところがそれから2年後の2003年、熊本県主催の催しのため同県が県内の国立療養所菊池恵楓園の元患者と付き添い22人の宿泊を黒川温泉ホテルに予約(9月)したところ、宿泊が元患者らであることを知ったホテル側が直前になって宿泊を拒否(11月)する事件が起こったのです(いわゆる「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」事件)。
問題はホテル側だけではありませんでした。ホテル側の記者会見が報道されたところ、その責任を問うのではなく逆に元患者や県を批判する「世論」が沸き起こったのです。
この事件に大きな衝撃を受けた同訴訟弁護団の徳田靖之弁護士(写真右)は、のちに事件を振り返ってこう述べています。
「自分はハンセン病について知ろうとしてきたのか、知った時どうしようとしたのか、ハンセン病問題にどうかかわろうとしてきたのか、自分は差別の加害者ではなかったのかと、自分に問いかけてほしい」(2019年5月12日放送Eテレ「こころの時代」)
徳田弁護士は今回の家族訴訟でも弁護団の共同代表を務めています。判決を前に、徳田さんは今回の裁判について、「国に責任を認めさせることが訴訟の第1の意義だ」とし、続けてこう述べていました。
「第2の意義は、家族を差別し、地域から追い出した社会の責任を明らかにすること。私たち一人一人が加害者だということを明らかにしなければ差別はなくならない」(6月27日付沖縄タイムス)
今回の裁判・判決を私たちは「第三者」としてとらえることは許されません。自分自身の問題として自らに問わねばなりません。
「自分はハンセン病について、その差別の歴史と現実について、どれだけ知っているのか、知ろうとしてきたのか。自分は差別してこなかったか、差別を黙認してこなかったか。自分は加害者ではないのか」