アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記138・「汚職」と政治変革・「CDM」(市民不服従運動)

2021年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

☆汚職追及で政治は変わらない

 菅首相長男の“親の七光り”接待、首相の“親バカ”丸出しの擁護・言い逃れ、総務省幹部連中の平目の忖度、行政の歪曲・私物化…まともに論評する気にもならないこの堕落・腐敗。

 もちろん徹底的に追及しなければならない。が、こんな汚職・不祥事をいくら追及しても日本の政治・社会は変わらない。

 どれだけ汚職・疑獄・スキャンダルが繰り返されてきたことだろう。1953年生まれの私がリアルタイムで見て来ただけでも、ロッキード疑獄、ダグラス・グラマン疑獄、リクルート事件、撚糸工連事件…近くはモリ・カケ・サクラ…枚挙にいとまがない。女性問題で指を立てて首相をやめた者もいた。

 その都度、野党もメディアも大騒ぎしたが、それで政治が変わったか?少しは良くなったか? 否である。
 自民党とはかくもどうしようもない連中の集まりだ。しかし、その腐敗した政党が世論調査の支持率では圧倒的な支持を集め、一時期を除いて政権の座に座り続けている。「日本国民」の多くはそんな自民党を支持しているのだ。

 なぜだろうか。政策が問われていないからだ。自民党政治の根幹である日米安保体制(軍事同盟)、大企業奉仕の経済政策、格差を広げる新自由主義という根幹が追及されていないからだ。政策的に自民と大差ない野党にもメディアにも、その根幹を追及する意思も能力もない。

 結果、日本には永年にわたって(少なくとも1960年安保闘争以降)政策論議がない。「日本国民」は永い思考停止状態に陥っている。「汚職追及」は有権者を鍛えない。むしろ思考停止を促進させる。
 ここを変えない限り、日本は変わらない。

☆「CDM」(市民不服従運動)の驚き

 ミャンマーで繰り広げられている市民運動で、「CDM」という言葉を初めて知った。Civil Disobedience Movement の略で「市民不服従運動」と訳されている。
 軍主導政権を機能停止に追い込んでいる労働者の職場放棄だ。始まりは医療従事者だそうだ。銀行も、公務員も続いた。中央政府機関の中には半数以上が職務放棄した部署があるという。
 電力・エネルギー省の女性職員が言っていた。「公務員は国民のために働く存在です。私は国民が選んだ政府のもとで仕事がしたい」。どこかの国の「公務員」とは天と地の差がある。

 昔で言えばゼネストだろう。大きな違いは一般市民が労働者・公務員と一緒にたたかっていること、SNS・インターネットが重要なツールとなって運動が広がっていることだ。

 私の勉強不足はあるが、日本では「CDM」という言葉自体、なじみが薄いのではないだろうか。「Me too」「BLM」も海外からの波で日本でも知られるようになった。日本がいかに市民運動の後進国であるかをあらためて痛感する。

 日本の労働運動、市民運動の永年の停滞の中、SNS時代の新たな運動として、CDMに注目したい。その理論、問題点、課題をもっと学びたい。労働・市民運動後進国から抜け出す手掛かりのために。

 

 

 


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「別姓反対」の陰に「日本会議議連」菅・森・小池・橋本・丸川・・・

2021年02月27日 | 天皇制と政治・社会

    

 丸川珠代五輪・男女共同参画担当相が「選択的夫婦別姓制度の導入に反対する自民党国会議員有志」の文書(1月30日付)に名を連ねていたことが問題になっていますが、この背景には右翼改憲組織・日本会議(1997年5月30日発足、写真左)と行動を共にする「日本会議議連」の存在があります。

 日本会議は、「皇室を敬愛するさまざまな国民運動…を全国で取り組んでまいります」(「日本会議がめざすもの」―HPより)という皇国史観に基づく改憲運動団体です。
 「選択的夫婦別姓反対」も日本会議の主要テーマの1つで、これまでチラシ(写真右)を作製し、「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民大会」(2010年3月20日、東京ビッグサイト)を開催するなどしてきました。

 そして、「日本会議の設立に呼応して…国民運動とあい提携する恒常的な議員懇談会」(「日本会議の活動方針」)として、日本会議発足の前日(97年5月29日)に超党派の国会議員で結成されたのが、「日本会議国会議員懇談会」(「日本会議議連」写真中、日本会議HPより)です。

 その発起人に1人が、森喜朗元首相(五輪組織委前会長)。特別顧問は安倍晋三前首相、麻生太郎副首相。会長は平沼赳夫氏で、副会長に名を連ねているのが、菅義偉首相、小池百合子都知事ら。加藤勝信官房長官は副幹事長(2014年4月現在、俵義文著『日本会議の全貌』花伝社2016年より)

 今回地方議員に圧力をかけた「選択的夫婦別姓制度の導入に反対する自民党国会議員有志」には丸川氏のほか、衛藤晨一、高市早苗、山谷えり子の各閣僚経験者が含まれていますが(26日付共同配信)、衛藤氏は同議連の幹事長、高市氏は副会長、山谷氏は政策審議室長と、いずれも役員を務めています(同前)。この3人は、上記の「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民大会」にも出席していました。

 「日本会議議連」のメンバーは、281人にのぼっていますが、丸川珠代氏もその1人です。そして、辞任した森氏に代わって五輪組織委会長となった橋本聖子氏も同議連のメンバーです。

 前記「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民大会」は民主党政権時代に行われたものですが、民主党政権の閣僚でありながらこの大会に出席した人物がいました。亀井静香氏です。
 亀井氏は先日放送されたETV特集「夫婦別姓“結婚”できないふたりの取材日記」(22日)の中で、選択的夫婦別姓に強硬に反対し、その理由として、「日本は天皇の国だ。国民はみんな天皇の子だ」とまくし立てていました。森喜朗氏とまったく同じ「神の国」発言です。

 この言葉に象徴されるように、夫婦別姓反対は、天皇制を頂点とする日本の家族制度護持と一体不可分です。それは日本会議が、「近年は、夫婦別姓を導入する民法改正案や男らしさや女らしさを否定する男女共同参画条例が各県で制定され、子供や家庭を巡る環境がますます悪化しています」(「日本会議の活動方針」)と嘆いていることからも明らかです。

 夫婦同姓を法律で決めているのは日本だけで、選択的夫婦別姓は当然の権利・あり方です。それに反対する“理論的根拠”は天皇制とその下での家族制度です。そして反対の先頭に立っているのが日本会議・日本会議議連であり、菅政権と東京五輪に関わる主な人物がことごとく同議連のメンバー・役員であることは、けっして偶然ではありません。

 


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コロナ禍「自助・共助」強調する天皇会見の害

2021年02月25日 | 天皇制と政治・社会

    
 「天皇誕生日」の23日、徳仁天皇の記者会見(2月19日実施)の内容が宮内庁HPで公表されました。A4判8ページにわたる長文で、コロナ禍に関する発言が多いのが特徴ですが、見過ごすことができない問題が含まれています。

「国民の皆さんが痛みを分かち合い協力し合いながら、コロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしております」
「この苦難に直面して我が国の国民の忍耐力や強靭さに感銘を受けるとともに…」
一人一人が自分にできる感染防止対策を根気強く続けることで「明日は好い日になる」と私も信じ、そうなることを願わずにはおられません」

 まだありますが、繰り返し述べていることは、「国民」の「協力」であり「忍耐」であり「根気」です。

 想起されるのは、菅義偉首相が就任後初めて行った所信表明演説(2020年10月26日、写真右)です。菅首相は「私が目指す社会像は「自助・共助・公助」そして「絆」です」と述べました。徳仁天皇の誕生日会見は、コロナ禍における「国民」の「自助・共助」を繰り返し強調したものに他なりません。

 コロナ禍で決定的に不足しているのは、医療体制の抜本的強化、庶民の生活・営業の補償をはじめとする政府・自治体の対策・施策であることは周知の事実です。菅氏が「自助・共助・公助」と並べ「公助」すなわち政治・行政の責任を最後にしたことが批判を浴びましたが、徳仁天皇は最後どころか「公助」については一言もふれず、ただ「自助・共助」をひたすら強調しただけでした。これが政権の政治責任を棚上げし、「国民」に自己責任・自助努力を強要する弊害をもたらすことは明らかです。

 では天皇は「公助」についてもふれるべきだったか、政府に対策の強化を求めるべきだったかといえば、けっしてそうではありません。
 天皇が政権の政策・施策について発言することは明白な政治関与であり、憲法に違反することは明らかです。それは発言内容のいかんにかかわりません。徳仁天皇が「公助」に触れなかったのは、憲法上当然のことです。

 ここに、「象徴天皇制」の根本的問題があります。

 「象徴天皇」としてはコロナ禍に対して黙っていることはできないでしょう。しかし言うとすれば今回の会見のように「自助・共助」を強調するしかありません。それは結果として「公助」を棚上げし政権を擁護することにならざるを得ないのです。

 それはコロナ禍だけの問題ではありません。10年前の東日本大震災直後の「天皇ビデオメッセージ」や相次ぐ災害時における天皇・皇后の「被災地訪問」は、「国民」を慰撫し「自助・共助」を求め、政権(国家権力)への批判を緩和・抑制する役割を果たしてきました。それが、会見やオンラインによってコロナ禍でも繰り返されているのです。

 ここに示されていることは、「象徴天皇制」とは結局、政権(国家権力)を擁護するものであり、政権による政治利用が不可避な制度だということです。私的行為以外に天皇に許されている「すべての行為には、内閣の助言と承認を必要」(憲法第3条)とすると決められているのですから、天皇が政治利用されるのは宿命です。
 このような天皇制は、市民の権利行使、政治の民主的変革にとって弊害以外の何物でもありません。


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「天皇誕生日」と在日朝鮮人差別

2021年02月23日 | 天皇制と政治・社会

    

 2月23日は「天皇誕生日」という「祝日」となっています。そもそも「祝祭日」制度は明治藩閥政府が絶対主義的天皇制の普及をはかるためにつくりだしたものですが、中でも「天皇誕生日」の起源である「天長節」(明治天皇の誕生日、11月3日)は特別な意味を持っていました。

 「1868年8月26日、天皇誕生日に天皇が群臣と祝宴を開き庶民も祝うようにとの天長節の布告が出された。天長節は、明治天皇統治の正統性を欧米に知らせる即位式(8月27日)、一世一元制の採用(9月8日)と連動していた。近世まで天皇誕生日の習慣はなかったし、宮中と社会が祝祭日を同時に祝う近代のあり方の嚆矢となる」(『岩波 天皇・皇室辞典』吉田裕・原武史編集)

 明治維新から今日まで一貫して天皇制の維持・強化という政治目的に貫かれている日本の「祝祭日」制度。その中でも「天皇誕生日」が出発点だったわけです。

 「天皇誕生日」は当然天皇の代替わりごとに日にちが変わります。1926年から1988年までは「4月29日」がそうでした。天皇裕仁の誕生日だったからです。「昭和」の日本人はこの日を大型連休の中の1日として楽しんだわけです。

 ところが、在日朝鮮人の人たちにとって、この日はたいへんな恐怖の日であったことを、最近読んだ本で知りました。その本は、『朝鮮学校物語』(「朝鮮学校物語」日本語版編集委員会、花伝社2015年)です。在日3世の女性(1968年生)の手記が収録されており、その中に次のような記述があります。

「埼玉朝鮮初中学校に入学したのは、祖国が解放されてちょうど30年という節目の年(1975年―引用者)だった。…制服を着て電車とバスを乗り継ぎ朝鮮学校に通うようになると、いやな思いをすることがあった。学校の近くで、低速でついてくる右翼の宣伝カーのスピーカーで「朝鮮人死ね!」「朝鮮に帰れ!」と大音響で怒鳴られるというのは、日常茶飯事だった。
 地域の「番長」を決めるとかいう理由で、なぜか4月29日は「チョン狩り」の日となっていた。「チョン」は朝鮮人の蔑称だ。当時の朝鮮学校は、日本の祝日は通常の登校日だった。「チョン狩り」の日は、担当の刑事と先生の指導のもとで集団登下校が行われた

 天皇裕仁の誕生日は“朝鮮人狩り”の日とされ、朝鮮学校に通う児童・生徒に対する暴力行為が横行していたのです。そのため集団登下校を余儀なくされた。天皇裕仁の誕生日と在日朝鮮人に対するヘイトクライムの関連性はきわめて重大です。

 私は不明にもこの事実を初めて知りました。そして身震いする恐怖と恥辱を感じました。おそらく埼玉だけの話ではないでしょう。「4・29」におけるヘイトクライムは、いつから始まりいつまで行われたのでしょうか。もしかして今日も続いているのでしょうか?!

 日本人の多くは「祝祭日」の意味・国家権力の政治的意図も知らず、ただ休日としてエンジョイしているだけでしょう。しかし、戦前・戦後一貫して差別・抑圧されている在日の人々にとってはそうではありません。国家権力の意図はこうした醜悪な形で表象しているのです。

 その「4月29日」は、その後「みどりの日」となり、「昭和の日」と名前を変え、今も日本社会の「祝祭日」として温存・継承されています。この事実・意味を私たちは直視しなければなりません。


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柳美里さんが語る『JR上野公園口』と天皇制

2021年02月22日 | 天皇制とメディア

    
 柳美里さんが昨年11月全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した『JR上野駅公園口』は、天皇制が主要なテーマですが、日本の報道やインタビューではそのことがほとんど触れられていませんでした(昨年12月3日、同12日のブログ参照)。
 それはなぜなのかも含め、柳さん自身が『JR上野駅公園口』と天皇制の関係について詳しく述べているインタビューに接しました。

 月刊「イオ」(朝鮮新報社発行)の最新(3月)号で、「明日へつなげる3・11の記憶 東日本大震災から10年」の特集の中で、「3・11」以後南相馬に移住し書店を経営している柳さんのインタビューが4ページにわたって掲載されています(写真左、中)。
 その中から、『JR上野駅公園口』について述べている部分を紹介(要約抜粋)します。

< ―どのような経緯でこの物語を構想したのでしょうか?
 そもそもの始まりは上野公園の「山狩り」の取材です。公園の周辺にある博物館や美術館を皇室の人々が訪れる時に、ホームレスを目に触れさせないようにかれらのコヤ(住居)を撤去することを「特別清掃」(山狩り)と言うのですが、その一日のことに限っても一つの小説になるのではないかと考えました。

 ―出版時(2014年―引用者)と今回の受賞で、作品の受け止められ方に違いはありましたか?
 現在のコロナ禍でも国が人を捨てるという実態が見えてきています。そういう状況と自分を重ね合わせながら読まれているのではないでしょうか。何となく「国は民を守ってくれる」と信じている人が多いですが、両者の利益が相反する時、人は容赦なく切り捨てられます

 ―作品では主人公と家族の生年や名前が天皇の「影」のような形で設定されているのが印象的です。
 天皇にかかわることは作品の核になる重要なポイントです。日本のメディアはホームレスや震災の問題については聞きますが、天皇については触れない。海外メディアは必ず触れる。そこが大きな違いでした
 本作は山手線シリーズの5作目です。山手線は東京の環状線で、その中心に皇居がありますが、そこはブラックボックスになっていて一般の人は覗けない。その円から周辺に広がるように人びとの暮らしがあります。でもそこから弾き飛ばされて中心に向かう絶望という構造を考えつきました。本シリーズの大きなテーマは天皇制と福島の原発事故。両方とも中心があれば必ず周辺があり、そこに追いやられる人びとがいます

 ―受賞会見では「これまでも一貫して居場所のない人たちのために書いてきた」と言っていましたが、それはご自身の在日朝鮮人としての経験からでしょうか。
 それはあります。今回の受賞を「日本人女性作家の海外での躍進」と報じるメディアがありました。日本記者クラブでの会見でも「日本人女性作家の…」と言われたので、「いや、日本人ではありません」と説明しました。「そんなにいやなら帰れ」とSNSでバッシングされました。帰れと言われても帰る場所がないという状況が在日韓国・朝鮮人にはあります。日本と朝鮮半島をつなぐ橋だと言われれば聞こえはいいですが、両者の関係が悪くなると真っ先に落とされるのが橋です。自分はそんな橋の上に立っている。会見で話した「居場所のなさ」「寄る辺なさ」というのはずっと思っていることです。>

 国家の「中心」としての天皇。「周辺」としてのホームレス、東北、原発被災地、在日韓国・朝鮮人。
 そして、自分は「周辺」ではないと思って(思いたくて)、「中心」の側に身を寄せ、「中心」を支えているけれど、国家の利益に反するとみなされれば容赦なく切り捨てられる。それがいわゆる「一般市民」ではないでしょうか。
 この「絶望的な構造」を打ち破らねばなりません。


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日曜日記137・TBS報道特集と性暴力事件・ムクウェゲ医師の「母の教育」

2021年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

☆TBS報道特集と性暴力事件

 20日のTBS報道特集は「家庭内性虐待」を取り上げた。重要な報道だった。
 だが、報道特集の性暴力事件特集を見るにつけ、どうしても黙過できない問題がある。それは、伊藤詩織さんがTBSワシントン支局長だった山口敬之記者から受けた性暴力事件(2015年4月)だ。

 東京地裁は2019年12月18日、山口被告に損害賠償を命じる判決を下した。その3日後、12月21日の報道特集で、キャスターの金平茂紀氏は番組冒頭、判決を「画期的な出来事」としたうえでこう言った。
「今日は残念ながらできないが、いつの日か(この問題を)取り上げたい」

 それから1年2カ月。報道特集はいまだにこの問題を「取り上げ」ていない。つまり、自己検証していないのだ。金平氏は事件当時(2015年)TBSの執行役員で山口記者の上司でもあったはずだ。

 森喜朗の女性蔑視・差別発言は、東京五輪組織委だけでなく、自民党をはじめとする国家権力に巣くう連中だけでもなく、日本社会のジェンダー差別の実態をあぶり出し、問題提起した。メディアももちろん例外ではない。むしろメディアの女性蔑視・差別は他の分野よりも酷い。山口事件はそうしたメディア界の闇とけっして無関係ではない。

 TBS ・金平氏は、何よりもまず、山口事件とメディア界のジェンダー差別を自己検証し、報道特集で取り上げるべきではないのか。

☆ムクウェゲ医師の「母の教育」

 NHK・Eテレ「こころの時代・沈黙は共犯 闘う医師」(14日、初放送は2019年12月)。コンゴの婦人科医でノーベル平和賞受賞者、デニ・ムクウェゲさんのインタビューは、傾聴に値した。

 身の危険をかえりみず、性暴力被害の女性たちに医療的にも政治的にも手を差し伸べ続けているムクウェゲさん。来日した際の講演で、性暴力を許しているのは「沈黙」と「タブー視」だとし、日本のジェンダー指数の低さをあげ、その根源は「女性差別によって世の中を家父長制で動くようにしているからだ」と指摘。「日本でも男女平等を進める運動を起こしてほしい」と力説した。まるで今日の森暴言問題を予知していたかのようだった。

 興味深かったのは、そうしたムクウェゲさんの思想・人間性はどうやって培われたのか、ということだ。道傳愛子解説委員の質問に答えてムクウェゲさんはこう言った。

「今日の私があるのは母のおかげだ。母の手で育てられて幸運だった。母は私を男の子として育てなかった。姉妹と同じように育てた。その時は「なぜ?」と思ったが、今、妻や娘と生活していると、母の教育の意味がよく分かる」

 「男の子として育てなかった」その「母の教育」が、まさに今のムクウェゲさんを形成しているのだと心底合点がいった。

 翻って、自分の子ども時代を思う。家でも学校でも、「男の子」として育てられた。母の愛に感謝はたえないが、そうした「教育」の末に今の自分があることを否定することはできない。

 


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戦時性奴隷(「慰安婦」)被害者が存命のうちに

2021年02月20日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 帝国日本による戦時性奴隷(「慰安婦」)の被害者、李容洙(イ・ヨンス)さん(92)が16日、ソウルで記者会見し、この問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託し国際法に基づいて裁くことを、日韓両政府に要求しました(写真左・中、17日付ハンギョレ新聞電子版より)。私たちはこの問題を対岸視することは許されません。

 会見には100人を超える記者が集まり、韓国では大きく報じられました。しかし、日本の放送メディアはこれを無視し、新聞は小さなベタ記事でした。この落差自体が、問題の本質を示しています。

 元「慰安婦」の被害者が日本政府に損害賠償を求めて提訴した裁判では、先月8日にソウル中央地裁が日本政府に被害者1人当たり1億㌆(約950万円)の賠償を命じる判決を下しました(写真右)。しかし日本政府は、裁判に出廷すらせず、ほうかむりしています。被害者たちの事実認定・謝罪、その証としての賠償要求に対し、日本政府は一貫して、日韓請求権協定(1965年)や日韓「慰安婦」合意(2015年)を盾に拒否し続けています。

 こうした状況に対し、李さんはICJの判断を求めたもので、被害者がICJへの付託を主張したのは初めて(19日付ハンギョレ新聞)です。ICJに付託されるには日韓両政府の同意が必要ですが、いまのところ両政府とも同意の姿勢は示しておらず、今後の展開は予断を許しません。

 ここで目を向けたいのは、李さんの思いです。
 記者会見のもようはこう報じられています。

「李さんは「日本が過ちを悟って反省するよう、国際司法裁の判断を受けてほしい」と訴えた。「お金がほしいのではない。完全な(事実の)認定と謝罪を受けなければならない」とも強調。問題が解決しなければ、他界した元慰安婦らに申し開きできないと話した」(17日付共同電)

「私は今まで、可能なあらゆることをしてきました。…でも日本はまだ無法にふるまっています。韓国司法の判断を無視して、控訴すらせずに意地を張っています」「もう時間がない」「(すでに亡くなった)被害者たちのもとに行って話せるように文在寅大統領と韓国政府が国際法による判決を受けてほしい、というのが私の最後の願い」(17日付ハンギョレ新聞電子版)

 韓国政府に登録されている戦時性奴隷(「慰安婦」)被害者は240人(まさに氷山の一角)ですが、12日に最高齢(99歳)だったチョン・ボクさんが亡くなられ、生存者は15人だけになっています。

 李さんの記者会見はこうした中で行われたもので、その言葉には亡くなられた被害者らに対する哀惜の念と、自らの存命中にどうしても決着をつけたい、その良い報告を亡くなった被害者らのもとに行ったときに伝えたい、という切迫した文字通り人生最後の願いが溢れています。私たちは、この李さんの思いに正面から向き合う必要があります。

 日本人(警察など)に強制的に連行され、あるいは騙されて、日本軍の性奴隷にされ、心身共にズタズタにされ、解放(日本の敗戦)後も貧困や差別で塗炭の苦しみを強いられ続けた被害者たちが、勇気を振り絞って声を上げた。日本政府に事実の認定と謝罪、再発防止という最低限の要求をした。にもかかわらず日本政府は被害者に向き合おうともせず、政治・外交手段を弄してきた。そんな中で、被害者たちは次々に亡くなられた。この事実を私たちは直視しなければなりません。

 被害者への謝罪・名誉回復は、被害者が存命中でなければできません。亡くなられた被害者に謝罪は届きません。日本政府の長年にわたる理不尽な態度は、被害者が全員亡くなるのを待っているとしか思えません。それは被害者に対する二重の加害行為ではないでしょうか。

 残されている時間はほんとうに長くありません。被害者が存命のうちに、被害者の要求に正面から向き合うこと。それは日本政府のみならず、加害国の「国民」である、私たち日本人全員の責任ではないでしょうか。


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<番外>就任会見で鮮明になった橋本聖子新会長の不適格性

2021年02月19日 | 五輪と政治・社会・メディア

    
 東京オリ・パラ組織委員会の新会長になった橋本聖子氏は、18日午後6時から約40分間会見し、10人の記者の質問に答えました。この就任会見で鮮明になったことは、橋本氏が会長としてきわめて不適格であり、組織委の建て直しなど論外だということです。

 第1に、橋本氏は、「(喜朗)先生は政治の師であり、たいへん特別な存在だ」と二度繰り返しました。
 そもそも橋本氏を政界に引き入れたのは森喜朗氏であり、森氏は橋本氏を「娘みたいなもの」といい、橋本氏は森氏を「父親のよう」と公言してはばからない仲です。こうした森氏とのまさに「たいへん特別な」関係を、自らの言葉で強調したのです。

 第2に、新会長として森氏との今後の関係について橋本氏は、森氏の「長年の実績」を挙げたうえで、「アドバイスをいただく局面はある」と断言しました。

 第3に、「森発言(3日)の何が問題と考えるか」という記者の質問に、橋本氏は、「なぜこのようなことになったのか反省し、検証しなければならない」と述べるだけで、森発言の女性蔑視・差別性を自らの言葉(認識)で明らかにすることをしませんでした(できませんでした)。

 以上の3点から明らかなことは、橋本新会長の下で森氏の影響力は厳然と残るということです。橋本新体制は「森院政」にほかなりません。橋本氏は森氏の傀儡と言っても過言ではなでしょう。新会長選定に至る不透明さからも、「橋本新会長」の決定は事前に水面下で森氏の内諾を得ていたことは間違いないでしょう。

 そもそも橋本氏は五輪担当相として、森氏の差別発言が発覚した時点で、森氏に辞任を求めなければなりませんでした。しかし橋本氏は頑として「辞任」を要求することはしませんでした。それは森氏との「特別な」師弟関係にもよりますが、橋本氏自身が森発言の本質を理解していないからでもあるでしょう。

 森氏も橋本氏も、そして菅義偉首相、小池百合子都知事、安倍晋三前首相も含め、かれらは「東京五輪」を政治的に利用しようとしてきた(しようとしている)“東京五輪ムラ”の住人たちです。その仲間内のたらい回しで、組織委が、東京五輪の政治的本質が、いささかも変わるものでないことはあまりにも明白です。

 繰り返しますが、安倍政権の政治的思惑で誘致され、仲間内の密室の談合が繰り返され、市民にはウソをつき続けてきた「東京五輪」など、あってはならない、開催されるべきではないのです。橋本会見はそのことを改めて鮮明にしたといえるでしょう。

 付言すれば、橋本氏も菅氏も小池氏も、森発言が世論の批判にさらされてから突然「透明性」「多様性」などと口にするようになりました。もし森氏が無防備にその本質を露呈しなければ(3日の発言がなかったら)、あのまま森体制で東京五輪を強行しようとしたのです。世論の批判でそれができなくなったから、自らの責任は棚上げして、急に美辞麗句を口にするようになっただけです。厚顔無恥の極みと言わねばなりません。

 それはメディアも同じです。組織委が森・安倍体制に支配され、ジェンダー差別にまみれた組織であった(ある)ことは重々分かっていたはずです。しかし、それを自ら問題にし追及しようとはしませんでした。森発言が市民の批判をあびて急に批判的論調になったのです。上記の連中とどれほどの違いがあるでしょうか。東京五輪のスポンサーでもあるメディア各社もまた、“東京五輪ムラ”の住人だということです。


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NHK大河の朝鮮侵略・植民地主義者美化の系譜

2021年02月18日 | 朝鮮・韓国差別とメディア

    
 今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一が朝鮮侵略・植民地支配の先頭に立った人物だったことは先に書きましたが(16日のブログ参照)、NHK大河ドラマ(以下、大河)が朝鮮侵略者・植民地主義者を主人公(モデル)などにして美化するのは今回だけではありません。

 大河は「青天…」が、第1回の「花の生涯」(1963年)から60作目になります。その中から、朝鮮侵略者・植民地主義者を主人公あるいは主人公に近い人物として登場させた作品をピックアップすると、以下のようになります(年代さかのぼり。作品名の次は主人公またはそれに近い関連人物)。

第60作 「青天を衝け」 渋沢栄一(主人公)
第59作 「麒麟が来る」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第57作 「西郷どん」 西郷隆盛(主人公)
第54作 「花燃ゆ」 吉田松陰・伊藤博文(主人公周辺)
第52作 「八重の桜」 吉田松陰・西郷隆盛・伊藤博文(主人公周辺)
第50作 「江~姫たちの戦国~」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第49作 「龍馬伝」 坂本竜馬(主人公)
第45作 「功名が辻」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第43作 「新選組!」 坂本竜馬(主人公周辺)
第41作 「利家とまつ」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第35作 「秀吉」 豊臣秀吉(主人公)
第30作 「信長」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第28作 「翔ぶが如く」 西郷隆盛(主人公)
第23作 「春の波濤」 福沢諭吉・伊藤博文(主人公周辺)
第21作 「徳川家康」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第19作 「おんな太閤記」 豊臣秀吉(準主人公)
第16作 「黄金の日日」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第15作 「花神」 吉田松陰・伊藤博文(主人公周辺)
第11作 「国盗り物語」 豊臣秀吉(主人公周辺)
第6作 「竜馬がゆく」 坂本竜馬(主人公)
第5作 「三姉妹」 西郷隆盛(主人公周辺)
第3作 「太閤記」 豊臣秀吉(主人公)
  (西郷隆盛は「征韓論」、坂本竜馬は「竹島開拓」構想など=備仲臣道著『坂本龍馬と朝鮮』かもがわ出版2010年参照)

 以上、全60作中22作品(37%)が朝鮮侵略者・植民地主義者が主人公であったりその周辺の人物であったりした作品です。
 なかでも突出しているのが豊臣秀吉で、11作品(全作品の18%)に登場しています(主役・準主役3、周辺8)。

 秀吉は、1592年~1598年にかけて朝鮮半島を侵略しました。日本では「文禄・慶長の役」として教科書にたんなる事実として記述されていますが、被害を受けた朝鮮半島では「壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭寇」と呼ばれる歴史的侵略として記録・記憶されています。
 「豊臣秀吉の朝鮮侵略は、後々まで日本人の思想に大きな影響をもたらした」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)もので、秀吉こそ朝鮮半島侵略に先鞭をつけた歴史的犯罪人と言わねばなりません。

 その秀吉をはじめ上記の通り朝鮮侵略・植民地支配の中心的人物が大河ドラマで56年間(「太閤記」~「青天を衝け」)にわたって美化され続けていることは、NHKの重大な社会的責任を示すものです(中には必ずしも美化とは言えないものもありますが、歴史的重要人物として描いていることは変わらず、朝鮮侵略の素顔を隠ぺいしていることは共通しています)。
 同時にそれは、朝鮮侵略・植民地支配の歴史的責任に対する日本人の無知・無関心・思考停止を永年にわたって助長してきたと言わざるをえません。

20日(土)午後1時、NHKEテレ「こころの時代」(「沈黙は共犯 闘う医師」)で、コンゴの婦人科医でノーベル平和賞受賞者、デニ・ムクウェゲさんのインタビュー番組の再放送があります(2019年12月22日の再放送)。日本人(特に男性)はぜひとお薦めします。


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NHK(大河)がふれない渋沢栄一の素顔

2021年02月16日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    
 14日から始まったNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公(モデル)は渋沢栄一(1840~1931)です。「新しい時代を切り開いた」「日本経済の父」などと番宣を繰り返してきましたが、NHKがけっして触れない(描かない)渋沢の素顔があります。それは、彼が朝鮮半島侵略・植民地支配の先頭に立った人物だったことです。

 「そもそも渋沢は1876年の日朝修好条規の締結前後という早い段階から第一国立銀行(1873年に渋沢が創設―引用者)の朝鮮侵出に強い意欲をもっていた。1878年に釜山支店が開設され、元山、仁川と次々に出張所が設けられていった。…その行動は日本の朝鮮半島への経済侵出の大きな足がかりとなり、植民地化を導くものであった
 その動機は第一国立銀行の…業績の低迷を補う経営的な目的と、渋沢自身がもともと強く持っていた「三韓征伐神話」や「日鮮同祖論」といった対朝鮮意識に由来するものであった。…独立した国家としての主権を無視した(渋沢の)主張は大いに批判されるべきものである」(島田昌和文京学院大教授『渋沢栄一』岩波新書2011年)

 渋沢は第一国立銀行を朝鮮半島に侵出させただけではありません。なんとそこで紙幣を発行し自らその肖像画におさまったのです。

 「栄一の行ったことに同情できない点もある。それは1905年(正確には1902年―引用者)に第一銀行券を韓国で発行した件である。しかも、本人の肖像入りの銀行券である。この発行は、国内における第一銀行の経営不振を朝鮮で補う意味もあった(が)…日本が朝鮮を植民地化するための第一歩に加担したとの理解ができる。彼が植民地主義者であったとみなせる一つの証拠である。現に…1910年には韓国併合の時代を迎えるのである」(橘木俊詔元京都大教授『渋沢栄一』平凡社新書2020年)

 紙幣の発行が植民地支配の重要な手段であったことは言うまでもありません。渋沢は1902年に発行された(旧券)、一円券、五円券、十円券、そして1904年に発行され直した(新券)各紙幣、合計6種類の朝鮮紙幣のすべての肖像画になりました。韓国ではそれが渋沢の植民地主義・支配を端的に示すものとして、ソウルの韓国金融史博物館に見本が展示されています(写真中)。 

 その渋沢が、今度は日本政府・安倍晋三政権によって、2024年から日本の最高額紙幣1万円札の肖像になることが決まっています(写真右)。韓国メディアがこれを批判的に報じたのは当然です。

 「聯合ニュースは、当時紙幣を発行した第一銀行頭取を務めた渋沢栄一を『韓半島で経済侵奪した象徴的人物』などと伝えた。…聯合ニュースは日本が軍事的圧力を背景に紙幣の流通を図ったと指摘し『植民地支配の被害国への配慮が欠けているとの批判が予想される』と主張した」(2019年4月10日付日経新聞)。

 NHKが今年の大河の主人公を渋沢にしたのは、この安倍政権の決定が背景にあることは言うまでもありません。現在の1万円札の顔・福沢諭吉も、朝鮮侵略・植民地主義者として朝鮮半島ではきびしく批判されています。渋沢は福沢が創刊した「時事新報」に頻繁に寄稿しており、福沢と親交が厚かったと思われます。

 福沢から渋沢へ。この植民地主義者の“1万円札リレー”は、日本(政府)がいかに植民地支配責任に対して無反省か、無反省どころかその再生産を図ろうとしているかを象徴的に示すものです。韓国の批判をみるまでもなく、日本人自身が自らの恥・罪と自覚しなければなりません。
 その渋沢を、NHKは看板番組の主人公にして、1年間美化し続けるのです。

 ※渋沢は朝鮮侵略・植民地支配の最大責任者である伊藤博文とも親交があり、共同歩調をとりました。また、渋沢は多くの日本企業の創設・経営に携わりましたが、その中の多くは朝鮮半島へ侵出した企業でした(2019年4月11日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190411
 さらに、紙幣と並んで植民地支配の根幹となった鉄道建設・経営の中心にもなりました(19年10月3日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20191003)

 


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