帝国日本軍の命令で捕虜収容所の任務につき、敗戦後「BC級戦犯」に問われた人々。多くが釈放の嘆願書を出した中で、自ら刑に服する「BC級戦犯」がいたことを、「クローズアップ現代+」(8日)が報じました。
番組が調べた「BC級戦犯」370人のうち20人がそうだったといいます。主な理由は、東京裁判への批判や、700人以上の捕虜を虐殺した「サンパウロ事件」(1945年2月24日)など自らの罪への自責の念でした。
こうした事実を初めて知り、戦争責任というものを改めて考えさせられました。
同時に、たいへん注目される事実がありました。
敗戦直後、3カ月で1500万筆の署名が集まったという「戦犯釈放要求」の署名運動(写真左)。「市民運動」とされていましたが、実は裏で糸を引いていたのは、政府・厚生省だった、というのです。
戦犯(容疑)の釈放には、「冷戦」に対するGHQと日本政府の政治的思惑が絡んでいました。その端的な表れが、「A級戦犯容疑者」の釈放です。
「岸信介元商工大臣…などA級戦犯容疑者は、1948年12月24日に、早々と釈放されていた。A級戦犯7人の絞首刑が執行された翌日である。…これらの政治家には、侵略戦争を指導した責任があるはずだが、なぜか、戦犯の釈放は、戦争指導者から行われている。抗命権のない日本の軍隊で、命令の実行者として戦犯に問われた人々(BC級戦犯―引用者)が、こうした釈放のあり方に激しい憤怒覚えたのも、けだし当然であろう。その上、レッド・パージが始まり、警察予備隊(自衛隊の前身―引用者)が発足すると、戦争指導者、協力者への追放解除が次々と発表された」(内海愛子著『朝鮮人BC級戦犯の記録』岩波現代文庫2015年)
釈放された岸信介は、9年後の1957年2月、なんと首相に就任。以後、立川基地拡張(砂川事件、57年6月)、教員勤務評定(同9月)、米・英と原子力協定(58年6月)警職法改悪(同11月)、三池争議(59年8月)、対米貿易自由化(同11月)、そして、新安保条約単独強行採決(60年5月19日)と、在任わずか3年5カ月で、戦後の悪政を次々強行したのです。
日本国憲法を敵視し、改憲を目指したのも岸の特徴でした。自身、こう書いています。
「占領初期の基本方針は…日本人の精神構造の変革、つまり日本国民の骨抜き、モラルの破壊に主眼があったことは間違いあるまい。…その集大成が、今の日本国憲法である」(『岸信介回顧録』、中村政則著『戦後史』岩波新書2005年より)
「こうした見解の持ち主(東条内閣の商工大臣)が実は、巣鴨プリズンから釈放されたあと、わずか9年にして日本権力のトップ(首相)にのし上がったのである。ナチズムを生んだドイツでは、戦後に旧ナチの幹部が政界上層部に復帰することは決して起こりえないことであった」(中村政則一橋大名誉教授、前掲書)
A級戦犯容疑者・岸信介が強行した日米安保条約(軍事同盟)の強化(写真中)、目指した日本国憲法改悪は、その孫・安倍晋三に受け継がれ、実行されようとしています。
天皇裕仁を頂点とする侵略戦争・植民地支配の責任をあいまいにし、さらに岸を筆頭にした「戦犯政治」を容認してきた到達点がここにあります。「日本の戦後」はまだ終わっていません。
「本年は、明治維新から、150年の節目の年です」
安倍晋三首相の「年頭所感」はこの言葉から始まりました。中身は「アベノミクス」礼賛、「一億総活躍」のスローガンなど、目新しいものはありません。
しかし、気になることがあります。わずか1200字余の「所感」の中で、「日本人」という言葉が5回も使われているのです。そのほかに「国民」が4回、「国難」が2回、そして「新たな国創り」が3回です。
安倍氏の「国創り」の念頭には「日本人」しかなく、約50万人にのぼる在日朝鮮・韓国人をはじめとする日本在住の外国人、さらに東アジア諸国はじめ外国との友好・協力の視点は皆無です。
経済産業省は昨年3月、「世界が驚くニッポン!」という冊子を発行して「ニッポン礼賛」をふりまき、それこそ世界を驚かせました。安倍氏の「年頭所感」がその延長線上にあることは明白です。
見過ごせないのは、その「ニッポン礼賛」・偏狭ナショナリズムが、「明治維新150年」の「明治礼賛」と結合していることです。
「安倍年頭所感」は、「明治維新」は「国難とも呼ぶべき危機を克服するため」だった、「今また日本は…国難とも呼ぶべき危機に直面」している、「すべては私たち日本人の志と熱意にかかっている」、「150年前の先人たちと同じように…行動を起こすことができるかどうかにかかっている」という筋立てです。
こうした「明治礼賛」は安倍氏だけでなくメディアにも蔓延していると昨日のブログで書きましたが、もう1つ、典型的な例をあげます。
東京新聞の社説(1日付)は、「明治150年と民主主義」と題し、「明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか」とし、「主役は伊藤博文。初代内閣総理大臣、枢密院議長として明治憲法起草…足軽出身…民衆の知恵も力も知っていた」と、伊藤を〝庶民宰相”、「民主主義」の実現者であったかのように美化しています。
とんでもない歴史の隠ぺい・改ざんです。伊藤には(東京新聞が触れない)重大な経歴があります。「初代韓国統監」(1906年就任)です。
絶対主義天皇制の明治政府は1904年、朝鮮半島侵略のため出兵し、日露戦争の結果、朝鮮支配をねらって朝鮮政府に条約を突きつけました(第二次日韓協約)。その条約の中心が「統監府」の設置でした。
「日本が準備した保護条約案の内容は、朝鮮の外交権を日本が奪取して欧米との直接接触をたち、従来の内政干渉を確認するとともに、『顧問』等を統括する日本の機関として『統監府』を新設し、その長である『統監』は朝鮮皇帝への『拝謁権(皇帝に直接会って要求をつきつける権利)』をもつというものであった。この保護国・間接統治体制は…実質的には植民地支配とかわりがない」(梶村秀樹著『朝鮮史』講談社現代新書)
武力(軍隊)を背景に、朝鮮侵略・植民地支配の先頭に立ったのが伊藤でした。
「この条約交渉の特命全権大使は、元老伊藤博文が自らかってでた。…伊藤は、駐屯日本軍に王宮を包囲させたうえで、直接朝鮮政府の閣議の席にのりこみ、大臣ひとりひとりに脅迫的に賛否を答えさせ、自分でかってに賛成多数と決めて、その状態のまま属官に『国璽(国の正式の印章)』を取ってこさせ、その晩のうちに『調印』させてしまった。…このような『調印』の経緯のため、『保護条約』は国際法上無効であり、したがって、それを根拠として進められた一九四五年までの植民地統治は、全期間を通じて不法占拠状態とみなすべきだという立論が可能になるのである」(前掲『朝鮮史』)
朝鮮を侵略する思想と政策は明治維新当時からありました。「征韓論」です(その急先鋒が西郷隆盛であり、NHKの今年の大河ドラマの主人公がその西郷です=写真右)。
「明治のはじめから『征韓論』という朝鮮侵略をめざす主張が日本にはあり、実際に朝鮮を征服するための政策が日本政府の手で一貫して実行されつづけました。朝鮮を『開国』させるきっかけをつくった江華島事件(1875年)からはじまり、日清戦争、日露戦争をへて、ついに日本は、朝鮮を滅ぼして、丸ごと自分の国の領土に組み入れてしまったのです。…日本は朝鮮の犠牲の上で強国の仲間入りをしたということができるのです。…『満州事変』から敗戦までずるずると長びいた戦争は、実は日本の朝鮮支配の問題と根っこのところで分かちがたく結びついていたのです。…日本の近現代史を筋道だてて理解するには、日本の朝鮮侵略の問題を抜きにしては考えられないのではないか、私はそう考えています」(中塚明著『日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)
安倍晋三氏と伊藤博文の共通点は少なくありません。同じ山口県の出身であり、吉田松陰の信奉者です。そして安倍氏はいま、アメリカとともに、朝鮮に対する敵視・圧力を強めています。
伊藤博文が先導した朝鮮侵略、朝鮮を犠牲にした「日本の大国化」という暗黒の歴史を、安倍氏に繰り返させてはなりません。
3日夜に放送されたETV特集「関東大震災と朝鮮人ー悲劇はなぜ起きたのか」は、93年前の過去のこととして忘れ去られよう(忘れさせよう)としている歴史を掘り起こした貴重な番組でした。
当時の法務省資料には、231人の朝鮮人が「自警団」などによって殺害されたという記録があります。この数字は刑事事件として立件されたものだけで、文字通り氷山の一角です。
日本政府はこの資料に基づき、2009年の中央防災会議報告書で、朝鮮人、および巻き添えになった中国人、日本人(主に地方出身者)の虐殺(報告書では「殺傷事件」)を初めて公式に認めました。
その中で、虐殺の直接の原因になった「流言飛語」の実態を示しました。注目された点を挙げます。
〇流言飛語の約8割は朝鮮人に関するもので、「3000人の朝鮮人と交戦中」などのデマが流された。
〇自警団は「ぱぴぷぺぽ」と言わせたり、「歴代天皇の名前を言え」と詰問し、日本人でないと勝手に判断した者を惨殺した。(言語や皇民教育による識別・差別)
〇「唯一の情報源」である新聞がデマ記事で恐怖心をあおった。(写真右など)
〇「流言飛語」の背景には、朝鮮併合(1910年)、「3・1独立運動」(1919年)があり、「朝鮮人は怖い」という印象がばらまかれた。
〇政府(内務省警保局)は震災前から、各地の自警団に「不逞鮮人」を取り締まるよう通達を出していた。
〇警視庁は9月3日に震災時の噂は虚報だと知り、「大部分の朝鮮人は善良」とする通達を出したが、虐殺は9月6日まで続いた。
〇殺された遺体は朝鮮人と分からないようにするため、焼いて骨を砕いて田んぼにまかれた。
〇藤野裕子東京女子大准教授の調査によると、自警団員として朝鮮人を殺害した日本人には、土木工夫、井戸掘り、日雇いなど収入の不安定な者が多かった。
以上のことから確認できるのは、①虐殺の直接の原因となった「流言飛語」は、けっして突発的に起こったものではなく、朝鮮人に対する日常的な差別政策が、内務省から末端の自警団に対する指示として貫徹されていた②その背景に朝鮮に対する植民地政策があった③植民地政策の結果日本に流入した朝鮮人と日本の不安定労働者との間で日頃から軋轢がつくられていたーなどです。
こうした歴史は、現代の私たちに何を教えているでしょうか。
特定の人びと(マイノリティ)に対する誹謗中傷・差別はネットやヘイトスピーチなどによって今日、日常的に流布している大きな問題です。
同時に重大なのは、国家権力とメディアによる今日的な「流言飛語」の存在です。
「ミサイル」や「領海侵犯」はじめ、北朝鮮や中国をめぐる報道ははたして公正でしょうか。日本政府(その背後のアメリカ政府)の見方・言い分をそのまま流すメディアの「報道」を唯一絶対と信じ込まされていないでしょうか。一方的な見方で「脅威」をあおるのは「流言飛語」ではないのでしょうか。93年前の「流言飛語」の背景が朝鮮に対する植民地主義なら、今日の「流言飛語」のそれは中国・北朝鮮を敵視するアメリカのアジア戦略と日米軍事同盟ではないでしょうか。
正確な情報と冷静な判断。なによりも国家権力とメディアに操作されない自主的自立的な思考。それこそが、苦い歴史の教訓からくみ取らねばならないものだと思います。