アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

在日朝鮮人差別助長する広島高裁の不当判決

2020年10月17日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 16日午後3時5分、広島高裁前に怒りと悲しみの声が響きました。
 高校無償化制度から朝鮮学校を排除している差別行政に対し、広島朝鮮学園と卒業生・保護者109人が原告となって日本国政府を訴えている裁判の控訴審判決。広島高裁(三木昌之裁判長)は1審判決をそのまま踏襲し原告の控訴を棄却する不当判決を行いました。

 原告は直ちに上告する意向を表明。今後は最高裁で争われます。高校無償化から朝鮮学校を排除している問題は、東京、愛知、大阪、広島、福岡で裁判が行われてきましたが、東京、愛知、大坂ではすでに最高裁で原告敗訴が確定し、残るは広島と福岡。広島に続いて福岡の控訴審判決は今月30日に行われます。

 高校無償化制度からの朝鮮学校排除は、朝鮮学校も当然無償化の対象になる根拠の文科省令(規定ハ)を削除し、同時に、本来指定判断の基準ではないもの(規定13条)を下村博文文科相(当時)が乱用して朝鮮学校だけを排除するという、安倍政権による二重の作為・法令蹂躙によって行われています。

 弁護団(足立修一団長)はこの点を最も強調し、国の違法性について司法の公正な判断を求めてきました。しかしこの日の判決は、1審同様、いずれの作為についても判断も回避し、ただ政府に追随しただけでした。

 重要なのは、この訴訟・判決は朝鮮学校(だけ)の問題ではなく、日本の根源的な姿をあぶり出しているということです。

 第1に、法令に基づく公正な判断を回避し、公安調査庁の調査や偏向報道をもとに、行政(政府)に追随する判決を下したことは、裁判所の自殺行為であり、この国の司法の腐敗・堕落、三権分立の形骸化を象徴的に示しています。

 第2に、「朝鮮学校だけを公的助成制度から排除することは、民族教育の権利を否定するばかりでなく、在日朝鮮人は差別されてもしかるべき存在であり、ひいては国の意に沿わないものは差別をしてもよいという、悪しき風潮を国が煽ることにほかならない」(広島朝鮮初中高級学校保護者会・原告保護者「声明」)からです。

 第3に、「日本政府には在日朝鮮人の民族教育権を保障し、諸条件を整える責任があり、植民地支配の結果として日本で生活している在日朝鮮人の民族教育に対して歴史的経緯を踏まえ植民地支配被害者の原状回復の問題として対応すべき」(広島無償化裁判を支援する会「声明」)であるにもかかわらず、それを一貫して放棄している。これは日本の植民地支配責任を問う問題です。

 広島では先に、NHK広島が「ひろしまタイムライン」のツイートで在日朝鮮人差別を煽りました。それに続くこの日の高裁差別判決。広島県、広島市が国に追随して朝鮮学校への補助金を停止している問題も含め、広島の「平和教育・運動」とは何なのか、何だったのかが改めて厳しく問われます。

 もちろん、政府、司法だけの責任ではありません。

 「国や地方行政そして司法による朝鮮学校いじめは、ウリハッキョ(わたしたちの学校―引用者)を直撃しています。園児や生徒数は激減し、ウリハッキョから日本の学校へやむなく転出する子どもたちが明らかに増え、74年の歴史を誇る朝鮮学校を存続させることができるか、不安な状態が続いています。
 こんなことを、どれだけの日本国民がご存知でしょうか、そしてこんなことが許されていいのでしょうか?」(保護者会「声明」)

 問われているのは、私たち日本人一人ひとりです。


「NHK広島」シンポが問いかけた2つの問題

2020年10月06日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

   
 4日広島市内で行われたシンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」(主催・実行委、写真左)には、ディスタンスに配慮した定員を超える70人、さらにオンラインによって50人、計約120人が参加し、この問題への関心の高さを示しました。私はオンライン参加しました。

 多くのことが提起されましたが、その中からとくに印象に残った2つの問題を考えます。

 1つは、日本における在日朝鮮人・韓国人差別の“日常性”です。

 李周鎬(リ チュホ)さん(NPO法人・共生フォーラムひろしま理事長、写真中)は、NHK広島のツイート(HP転載)の「何が差別か」として、2つの意味を挙げました。一つは「日本人に対しては在日朝鮮人への偏見を助長したこと」。もう一つは、「在日朝鮮人に対しては「同化」をさらに強いることになった」ことです。

 「「同化」をさらに強いる」とはどういうことでしょうか。

 「日本で、朝鮮名で生きている朝鮮人がどれほどいるだろうか。ほとんどは通名(日本語名)だ。朝鮮人であることを隠さなければ日本では生きていけない。私自身が30代半ばまで日本人のふりをしてきた。これが「同化」だ」
 「100年以上にわたる差別・偏見・理不尽が、今も続いている。NHKだけの問題ではない。日本は75年たっても何も変わっていない」(李さん)

 李さんは、「相手とひざを突き合わせて話し合ってこそ差別を減らすことができる」と考える共生フォーラムとしてNHKに再三面会・対話を申し入れましたが、同局は拒み続けています。

 尹李 英愛(ゆんり よんえ)さん(フリーライター・通訳・翻訳、写真右の左)は、5歳のころに名前をめぐって病院で受けた差別、朝鮮学校時代に、「不審船問題」「拉致事件」「ロケット発射」などがメディアで取り上げられるたびに圧力・脅迫を受けて来た経過、朝鮮学校を高校無償化から排除してきた安倍政権の7年間を振りかえり、日本・広島では「空気を吸うように差別を感じる」と訴えました。

 権鉉基(こん ひょんぎ)さん(広島高校無償化裁判を支援する会)は、政府の朝鮮学校無償化排除の中で広島市も2013年に朝鮮学校への補助金をカットしたことなどを挙げ、「朝鮮人は無色透明化されてきている」「広島から朝鮮人の語りが消え去る日」が来るのではないかと危機感を募らせました。

 こうした在日朝鮮人のみなさんの痛み、「空気」のように差別が日常化している日本の現実を、わたしたち日本人はどれほど知っているでしょうか、自覚しているでしょうか。

 2つめの問題は、今回のNHKの差別が広島で起きたことの必然性です。

 「平和都市・広島」でこんなことが起こるなんて、と思う人がいるかもしれませんが、実は「広島だからこそ起きた」と言えるのです。

 権さんは「広島における同和教育、平和教育の後退」を指摘しました。尹李さんは「広島における加害の視点の欠如」を挙げ、「平和を維持するために有効なのは「被害」ではなく「加害」の伝承」だと強調しました。

 乗松聡子さん(ジャーナリスト、写真右の右)は、過去73回の「8・6」式典における「広島市長宣言」を調べ、朝鮮人被爆に触れたのは5回、そのうち植民地支配に触れて謝罪の意を示したのは2回(いずれも平岡敬市長)にすぎないこと、原爆資料館でも日本の植民地支配責任にはほとんど触れられていないことなどを挙げ、「こうした状況はNHK広島と共通している。根源は日本人の歴史認識における加害性の欠如」だと指摘しました。

 広島の「平和運動」とは何だったのか。広島を「平和都市」と称してきた日本人の被爆・戦争・平和観とは何なのか。「被爆・平和を継承する」として行われたNHK広島の企画で在日差別が表面化した今回の問題は、そのことを私たち日本人に問いかけているのではないでしょうか。

 乗松さんらは5日午前、NHK広島放送局を訪れ、あらためて差別ツイート・HPに抗議し、直ちに削除するよう文書で要求しました。


NHK広島・差別ツイートのHP転載がもつ意味

2020年10月05日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 NHK広島放送局が「1945ひろしまタイムライン」なる企画で在日朝鮮人・韓国人に対するヘイトスピーチをツイートした問題(8月25日、26日、9月12日、22日のブログ参照)が、新たな段階に入りました。
 同局は、市民らの批判、差別ツイート削減要求をあざ笑うかのように、「注釈」を付けて差別ツイートをそのまま、「読みやすい」(同局)ホームページに転載(2日)したのです(写真左)。

 同局が付記した「注釈」は以下の通りです。
<当時の日本には、多くの朝鮮半島出身者が暮らしていました。1910年の韓国併合によって日本による統治が始まった後、働き口を求めて日本本土に移住する人々やその家族などが増えました。日中戦争が長引いて労働力不足が深刻化した際に、軍需工場や炭鉱などに動員された人々もいました。>(太字は引用者)

 折しも4日、広島市内で「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」と題したシンポジウムが開催されました(写真中)。この中で、この問題を一貫して追及しているジャーナリストの乗松聡子氏が、HP転載についてこう発言しました。

 「最初のツイートと今回のHPアップは、全く意味が異なる。最初のツイートは無知や歴史の不認識があった。しかし今回は、世論の批判を受けた上で、確信犯的に差別ツイートを再掲載した。差別ツイートを削除しないで放置している状態から、積極的に発信した状態に踏み込んだ。『再発防止』と言いながら自ら『再発』を行った。批判にはまったく耳を傾ける気はないと宣言しているに等しい」

 乗松氏は「注釈」についてもこう指摘しました。

「『統治』と言いながら植民地支配と言わない。これは植民地支配を否定するものだ。さらに、在日朝鮮人・韓国人に対する差別についても触れていない。肝心なことに触れないで、ただ『朝鮮人がいた』という注釈は、意味がないどころか差別の二次加害と言える」

 その通りです。「注釈」は上記太字の言葉を並べることによって、日本の植民地支配、侵略戦争、朝鮮半島の土地強奪、強制動員・強制労働という日本の加害性を完全に隠ぺいしています。そして、ここでも(8月24日の「謝罪文」同様)、「差別」という言葉を頑として排除しています。まさに確信犯です。

 同時に注意したいのは、この「注釈」によって差別ツイートに対する批判をかわせるとNHKが考えていることの重大な意味です。
 この「注釈」は、「徴用工問題」についての安倍政権の言い分とほとんど変わりません。これを読んで、「おかしい。差別の上塗りだ」と思う日本人が果たしてどのくらいいるでしょうか。ほとんどの日本人はそのまま受け入れて納得するのではないでしょうか。だからNHKはこの「注釈」で日本の世論、メディアは収まると考えたのです。
 ここに、今回のNHK広島問題の本質が表われているのではないでしょうか。

 4日のシンポジウムでは乗松氏のほかに、在日朝鮮人の3氏からきわめて重要な発言が相次ぎました。それについては明日書きます。


差別を差別と認めない―「福山市」と「NHK広島」は同根

2020年09月22日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 福山市在住の在日朝鮮人女性が風しん検査受診時に差別を受けた問題(8月11日、9月3日のブログ参照)。その後の経過が、ジャーナリストの乗松聡子氏のブログ(http://peacephilosophy.blogspot.com/。9月11日付)に掲載されています。

 それによると、受診時(7月25日)に差別発言・対応を行った医師は、2回目の「謝罪文」(9月2日付)を福山市の担当課を通じて被害者Yさんに渡しました。
 その内容は、「深く反省している」「認識の甘さ」「発言の重大さ」「傷つけ苦しめた」などという言葉を並べ、「どうぞご容赦下さいますようお願い申し上げます」と結んでいます。

 これに対しYさんは、今回も医師が「頑として差別をしたことを認めていない」ことを指摘。にもかかわらず医師が「謝罪」を繰り返したり「ご容赦下さい」などと言うのは、「私を責めているようにさえ感じる。率直に言うと、加害者の被害者化ではないか」と苦しい胸の内を明かしています。

 Yさんの怒り、悲嘆は当然です。本質問題を回避し続ける医師の釈明、そしてそれを通過させた福山市担当課は、Yさんに対する差別を上塗りし、二重三重の被害を与えてしまったと言わねばなりません。

 問題の本質は、差別を差別とはっきり認めることです。しかし、医師および福山市の「謝罪」にはそれが一貫してありません。自分が言ったこと行ったことが在日朝鮮人に対する差別であるという認識がありません。

 それは医師の今回の「謝罪文」が、「気持ちに沿っていなかった」「気持ちに寄り添った診療を行う」という言葉を繰り返しているところに端的に表れています。問題は「気持ちに沿って」いたかどうかではありません。人権と尊厳を蹂躙した差別の問題です。その自覚・認識のない「謝罪」は謝罪ではありえず、再発防止も不可能です。

 ここで想起されるのが、NHK広島の差別ツイート問題です(8月25日、26日、9月12日のブログ参照)。両者には数々の共通点があります。

 第1に、本人は「差別したつもり(意識)はまったくなかった」といいながら差別発言・差別対応を行ったこと。
 第2に、そのことを被害者や支援者らから指摘されても頑として「差別」であったと認めないこと。
 第3に、したがって差別に対する償いを拒否していること(福山市の場合は本質問題の認識に立った謝罪の拒否、NHK広島の場合は被害者への謝罪すらない上に問題ツイートの削除を拒否)。
 そして第4に、差別の被害者がともに在日コリアンであることです。

 「福山市」と「NHK広島」の問題はまさに同根です。

 そしてこうした共通性は、福山市やNHK広島だけのことではなく、日本人ならだれでも当事者=加害者になる可能性がある問題ではないでしょうか。

 日本人は朝鮮半島を植民地支配(1910年~45年)したときから、いいえ、豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592~98年)から、朝鮮人を蔑視し攻撃してきました。その差別の歴史をいまだに清算していません。歴史の事実を教育さえされていません。結果、今日の日本で在日コリアンに対する政治的社会的差別は再生産されています。

 こうした日本に生まれ育った私たち日本人は、差別に対し、とりわけ在日コリアンに対する差別に対し、あまりにも無知で鈍感です(朝鮮差別・侵略主義者の福沢諭吉を最高額紙幣の肖像としてあがめ続けている一事をとっても明白)。そのことを自覚しなければなりません。

 その上に立って、差別発言・行為を行ってしまった場合は、被害者の指摘・批判から学び、本質的な謝罪を行い、それを自らの差別性・差別体質を変える契機・教訓にしなければなりません。

 今回の「福山市」と「NHK広島」の問題は、日本人にとって死活的に重要なそのことを、改めて私たちに突き付けているのではないでしょうか。

 


ヘイトスピーチを「公益目的」と追認した大阪高裁の不当判決

2020年09月15日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 日本の司法にとって社会にとって、きわめて重大な不当判決が、14日大阪高裁(長井秀典裁判長)でありました(写真左)。
 明らかなウソで朝鮮学校・在日コリアンの人権を踏みにじったヘイトスピーチを「公益目的」とした1審判決(2019年11月29日、京都地裁)を維持したのです。

 発端は「在特会」らによる京都朝鮮学校襲撃事件(2009年12月)。主犯格の元在特会京都支部長・西村斉被告は侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪で有罪判決(2011年4月)を受け、刑が確定しました。

 ところが西村は性懲りもなく、出所間もない2017年4月23日、再び京都朝鮮第1初級学校(移転して跡地)を訪れ、近くの公園で拡声器を用い、「ここに日本人を拉致した朝鮮学校があった」「その朝鮮学校の校長は国際指名手配されている」などとヘイトスピーチを繰り返し、ネットで拡散しました(写真中)。

 これに対し京都朝鮮学園側弁護団が告訴し、京都地検が名誉棄損罪で在宅起訴。2019年11月29日、京都地裁(柴山智裁判長)は名誉棄損で有罪判決を下しました。ところが判決は、西村のヘイトスピーチを「拉致問題の事実関係を明らかにする公益目的があった」などとし、懲役1年6月の求刑に対し罰金(50万円)という軽微な刑にとどめたのです。

 弁護団は「ヘイトスピーチに公益目的があると断言した最悪の判決」「差別を司法が許してしまっている現状が、現場でのヘイトスピーチを助長している」と厳しく批判。検察に控訴を求めましたが見送られ、西村被告が有罪判決を不服としてたことで控訴審となりました。その判決が昨日(9月14日)の大阪高裁判決です。

 高裁判決は西村被告の控訴を棄却しました。しかし、一審判決がヘイトスピーチを「公益目的」としたことについては判断を示さず、結果として不当な地裁判決を維持・追認してしまったのです。

 控訴審初公判(今年7月13日。即日結審)後に行われた報告集会で、弁護団の具良鈺弁護士はこう述べました。

 「私が小さい頃も差別事件があったし、私自身も経験した。当時は“こそこそ”という印象だったが、今はもう堂々と組織を作り、人を動員して差別をしている。しかも裁判所という判断権者の前でそれを垂れ流しても許されてしまう社会になってしまった。
 非常に日本社会に対する危機感を持ったし、在日コリアンとして日本社会で生きていくことに絶望を感じた。私たちの子どもの世代は、そのような社会で生きていかなければならない

 在日コリアンであり子どもという、2重の弱者性を持つ存在への差別は、これまでも日本社会における差別の最先端だった。在日コリアンの子どもたちに向かった攻撃は、次に在日コリアン全体、次第に他の外国人や障害のある人、性的マイノリティなど、どんどん波及する恐れを持っている。この事件を扱う裁判は、それを防ぐことができるかどうかの分岐点だと思う」(月刊「イオ」ニュース、9月11日。写真右も)

 大阪高裁は「それを防ぐこと」ができませんでした。
 ヘイトスピーチを「公益目的」とした最悪の京都地裁判決を踏襲した最悪の大阪高裁判決。日本の司法の自殺行為と言わねばなりません。

 もちろん、これは被害を受けている在日コリアンだけの問題ではありません。差別を差別として断罪することができない日本。それどころか「公益目的」として黙認する日本。このような日本の司法、社会を絶対に許してはなりません。これは私たち日本人一人ひとりの問題です。


NHK(広島)・差別ツイッター問題の本質は何か

2020年09月12日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 NHK(広島放送局、写真左)が「ひろしまタイムライン」というツイッター企画(写真右)で在日コリアン(朝鮮人・韓国人)への差別を助長した問題(8月25日、26日のブログ参照)で、朝日新聞(9月6日付)が原作者・新井俊一郎氏への取材とNHKの釈明を掲載しました(写真中)。

 朝日の取材に対しNHK(広島)は、「時代背景の説明などの注釈をつけずに発信したことは、配慮が不十分だったと考えています。今後、必要に応じて注釈をつけるなど、対応することにしております」と回答しています。

 新井氏は、「私は激怒しました。日記の偽造だと」「(投稿内容を)責任を持って慎重にチェックし、出す出さないの判断をするのは、NHKの責任のはず」と述べています。

 朝日の記事は、「NHKとの間で企画内容についての認識に食い違いがあった」「若い世代に戦争体験を届けようという試みだが、難しさも浮き彫りになった」と強調。主見出しは「SNS 戦争伝える難しさ」となっています。

 NHKの釈明はもちろん、新井氏の発言、朝日の記事とも、この問題の本質から外れていると言わざるをえません。

 今回の問題の本質は在日コリアンに対するヘイトスピーチ、差別です。

 新井氏の手記(『激動の昭和史を生きて』)の内容が記憶違いや誇張ではないとしても、目に見えた現象を歴史的背景の説明なしに表現することは、在日コリアンに対する嫌悪・偏見を強め差別を助長することになります。番組作成経過がどうであろうと、MHKという「公共放送」が差別を助長する発信を行ったことは否定できません。

 NHKはまず、これが差別問題であることをはっきり認識する必要があります。NHKにはその認識が当初から今日に至るまでまったくありません。

 差別問題である以上、まず行わなければならないのは、差別を受けた被害者、今回の場合在日コリアンとその関係者に謝罪することです。しかし、NHKは一貫してその謝罪を行っていません。
 前述の朝日記事における「回答」は、基本的に8月24日に同局HPに掲載された“謝罪文”と同じ内容です。そこで「謝罪」している相手は新井氏と番組作成に関係した人たちであり、当の被害者に対する謝罪は一言もありません。ここにNHKの根本的な誤り・過ちがあります。

 それはNHKだけではありません。新井氏はNHKに対して「激怒した」と言っていますが、肝心の在日の人たちに対する謝罪の言葉はありません。
 この問題を当初から追及している乗松聡子氏のブログには、新井氏の「手記」が紹介されていますが、そこには「第三国人」という差別用語が見られます(乗松氏のブログ参照http://peacephilosophy.blogspot.com/2020/09/nhk.html)。「手記」が書かれたのは2009年です。新井氏がその時点で明白な差別用語を活字にしたこと、そしてそれが今回の原作になったことの責任は免れません。

 朝日新聞の記事が強調しているのは、「SNSの難しさ」です。識者コメント(津田大介氏)もその立場から行われています。今回の件を差別問題ととらえる視点が薄弱だと言わざるをえません。そうでなければ、在日関係者か歴史学者などコリア半島植民地政策・在日差別についての的確なコメントも掲載したのではないでしょうか。

 NHKのこの企画には平和を願う高校生たちが参加しています。高校生たちの平和伝承の意欲を大切にするためにも、朝鮮半島植民地支配の歴史・日本の加害責任、在日差別に対する認識を明確にしなければなりません。そして、過ちを犯した際の対処は厳格に行うことが不可欠です。

 NHKは被害者である在日の人々に謝罪するとともに、問題のツイートを直ちに削除しなければなりません。


映画「マルモイ―ことばあつめ」と現代日本

2020年09月08日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 韓国映画「マルモイ」(2019年制作、オム・ユナ監督・脚本)を観ました。マルモイとは「ことばあつめ」。「辞書」という意味もあるそうです。テロップでは「史実にもとづいたフィクション」とされており、人名や団体名は架空のものですが、基本的にノンフィクションと言っていい作品だと思います(写真はチラシ・パンフレットから)。

 1940年代、日本帝国の植民地支配真っただ中の京城(現ソウル)。日本(朝鮮総督府)は「皇民化政策」として、名前を日本名に変えさせる(「創氏改名」1939年)とともに、4度にわたる朝鮮教育令によって朝鮮語(韓国語)の使用を禁じ、違反した者に激しい弾圧を加えました。

 それに対し、学者や教師ら有志が、日本の警察・憲兵の目を逃れ、全国(半島)の言葉・方言を集めて朝鮮語の辞書をつくろうとします。「マルモイ」はこの辞書作成の秘密作戦の名称でもあったそうです。「言葉は民族の生命」「言葉のあるところ人が集まり、人が集まるところの志が生まれ、志あるところ独立がある」。それが合言葉でした。日本はこれに過酷な弾圧を加えました。これが、1942年の「朝鮮語学会事件」です。

 「(1931年の満州事変で)大陸侵略への新たな一歩を踏み出した日本は、朝鮮半島を強固な「後方基地」「兵站基地」に変えながら…「内鮮一体」「一視同仁」を声高に叫び…朝鮮民族の「皇国臣民化」政策、すなわち民族抹殺政策を本格的に展開した」
 「「併合」(1910年)初期から朝鮮人民に日本語教育を強化し、日本語を「国語」と呼ばせ母国語を「朝鮮語」として教える政策は、ここにきてその「朝鮮語」すら事実上禁止するにいたった(「新朝鮮教育令」公布・1938)。…1942年に起きた「朝鮮語学会事件」(朝鮮語の辞書を作ろうとした29名の朝鮮人を治安維持法違反で逮捕、11名を2年から6年にわたる懲役刑に処した)は、朝鮮人の民族意識を抹殺するうえで、言葉と文字の抹殺にどれほど重きをおいていたかをうかがわせよう」(『加害と被害の論理―朝鮮と日本そして在日朝鮮人』金昌宣著、朝鮮青年社1992年)

 映画のテロップでは、この事件によって「2名が拷問死」したとありました。
 苦労の末に集めた方言集・原稿は弾圧下で奇跡的に生き延び、日本の敗戦=半島の解放(1945年)をへて、朝鮮語の辞書は13年かけて完成しました。

 映画は辞書作りをタテ糸に、同志愛、家族愛をヨコ糸に展開します。「1人の10歩より、10人の1歩」という言葉を、辞書作成者たちは何度も口にします。映画はたんに歴史的事実を描いただけでなく、「多くのごく普通の人々が歴史を作り上げる」(映画のチラシ)という歴史観に基づいて、市井の人々の魂とたたかいを描いた映画でもあります。

 映画のパンフレットに 韓国在住映画ライターの成川彩さんの映画評が載っています。成川さんは、「「マルモイ」を見ながら、思い浮かぶのは、詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)だ」(尹東柱については2月15日のブログ参照)とし、こう述べています。

 「朝鮮語を守り抜こうとした尹東柱や、朝鮮語学会のメンバーたちは、非暴力の独立運動を闘った人たちと言えるだろう。奪った側(日本―引用者)が、奪われた側を想像するのは容易ではない。「マルモイ」を見ることは日本の人たちにとって、その貴重な機会になると思う

 植民地支配当時の「朝鮮語禁止」「創氏改名」ははたして過去のことでしょうか。
 在日朝鮮人・韓国人が本名を自由に名乗れない、名乗ると差別の対象になる。何の罪もない朝鮮学校の生徒たちが無償化制度から排除される。それを多くの日本人は見て見ぬふりをする。それが現代日本の現実です。

 「数多くの犠牲のうえで母国語存続のための「マルモイ」は達成された。しかしこんにちの日本政府による朝鮮学校差別政策は、本質において言語抹殺であり、現在も続く民族抹殺政策の最たる表れだ」(7月30日付朝鮮新報)。この指摘を私たち日本人は真摯に受け止める必要があります。

 「奪った側」(加害者)が「奪われた側」(被害者)の苦難を想像するのは、たしかに容易ではありません。だからこそ、「奪った側」「奪っている側」の私たちは、歴史を学び直し、いまに生かさねばなりません、この映画は日本人こそ観るべき映画です。


高校無償化裁判(愛知)の最高裁不当決定は許せない

2020年09月07日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

   
 高校無償化制度から朝鮮学校が排除されている問題での全国5カ所(東京、大阪、愛知、広島、九州)の訴訟のうち、愛知の訴訟について、最高裁は9月2日、原告(愛知朝高生・卒業生10人)の上告を棄却し、原告敗訴が確定しました。
 すでに東京、大阪では敗訴が確定しており(2019年8月27日)、残る訴訟は広島と九州になりました(写真中は2019年3月14日の福岡地裁前)。

 最高裁の上告棄却は、朝鮮学校生徒を差別して基本的人権・教育権をはく奪している重大な憲法違反に対し、その判断を避け、上告受理を拒否して政府(安倍政権)に迎合したもので、絶対に容認することはできません。

 弁護団は4日、抗議声明を発表し、次のように指摘しました。

 「最高裁の決定は、政府の政治的立場に呼応するように、朝鮮高校の教育内容を問題視する下級審判決の是非を問うことをせず、少数者の思想信条における差別を受けない権利、民族教育を受ける権利を踏みにじるもので(あり)…少数者の人権の最後の砦としての司法の役割を放棄するものです」

 「また、学校で生徒、教員、保護者により自主的に行われている教育活動の中身を行政が恣意的に評価し、生徒に不利益を与える(ことに対して)、最高裁が自ら正当な法解釈を行わなかったことは、今後同様の教育への公権力の介入を招くおそれがあり、この点でも最高裁は大きな過ちを犯しています」

 私たちはこの裁判の意味を常に自分自身に問い続けなければなりません。

 「幼保無償化から朝鮮幼稚園を排除し、大学生への(コロナ禍の―引用者)緊急給付金対象からも朝鮮大学生を排除し…日本政府は民族教育の入口から出口まで差別を続けている。見落としてはいけないのは、そこで学ぶ子どもたち一人ひとりがいるということだ」(九州弁護団・金敏寛弁護士。月刊「イオ」9月号)

 「無償化から排除されたことで、経済的な被害ももちろんある。しかし私にとっては、自身のルーツを知る学びの場を認めてもらえず、朝鮮人として生きることを否定されたというショックが大きな心の傷となっている」(広島朝鮮初中高級学校卒業生。同誌8月号)

 「問題の根底にあるのは、戦前から続く朝鮮人に対する植民地思想、排外主義。訴訟はあくまでもたたかいの一つの手段にすぎない」(大阪弁護団・任真赫弁護士。同誌9月号)

 日本人支援者の立場から、大村和子さん(大阪・城北ハッキョを支える会代表)はこう言います。
 「朝鮮学校に向けられた敵視の背景には歴史への無反省がある。朝鮮学校は日本社会のあり方を写す鏡」(同)

 重大な2日の最高裁決定に対し、日本のメディアは無視か極めて小さな扱いでした。「自民総裁選」に狂奔し多くの紙面を割く一方で。ここに、問題の重要性と日本(日本人)の意識との巨大な犯罪的乖離があります。私たち日本人は、この大きな溝を埋めていかねばなりません。

 残る2つの無償化裁判。広島高裁判決が10月16日、福岡高裁判決が10月30日に言い渡されます。


福山市・在日朝鮮人差別問題、問われる「再発防止」

2020年09月03日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 福山市在住の在日朝鮮人女性(Yさん)が、市の風しん抗体検診(無料)を受診した際に、医師から受けた差別の問題(8月11日のブログ参照)。その後の経過が、乗松聡子さんのブログ(8月25日付)に掲載されています(http://peacephilosophy.blogspot.com/

 それによると、医師は文書で「謝罪」したものの、真の謝罪とはほど遠く、Yさんは医師の「謝罪文」および市の担当部局の対応によって再度傷つけられる被害を受けました。それでもYさんは、「私が市に求めているのは再発防止の一点」だとして、勇気をもって告発を続けています。

 福山市民の1人でもある私は、1日午後、市の担当部局(人権・生涯学習)を訪れ、市の対応をただしました。
 担当課長は、「あくまでもYさんに寄り添い、Yさんの納得のいく決着へ向けてやっていく」と述べました。

 その上に立って、私が確認したかったのは次の2点です。

 第1に、枝広直幹福山市長はこの件を知っているのか、知っているならどのような指示を出しているのか。
 答えは、「市長は知っている。対応を副市長に指示している」ということでした。

 副市長にどのような具体的指示をしているのかは分かりませんが、市長が経過を知った上で対応を指示していることは確認できました。今後、市がYさんにどのような対応をするか、どのような対策をとるのかは、枝広市長の直接的責任ということになります。

 第2に、Yさんが最も強調している「再発防止」です。

 担当課長も「再発防止が重要」との点は同意。ではそのために具体的に何をしようと考えているのか。
 答えは、「受診の際の用紙記入の仕方を徹底する」というもの。新たなマニュアルの作成については、「考えていない」とのことでした。市の考えている「再発防止」とは、受診受付の際の事務手続きの徹底にすぎないということです。

 この問題の本質は在日朝鮮人・外国人に対する差別です。その点についての「再発防止」策は考えていないのか聞きましたが、答えは、「これまでも職員には定期的に研修を行っている」というものにとどまりました。

 これはたんなる事務手続きの不注意やミスの問題ではありません。受診当日の対応はもちろん、その後の「謝罪文」やその間のやりとりを含め、当の医師は言うまでもなく、市の対応にも、在日外国人、とりわけ在日朝鮮人に対する差別についての著しい無理解があります。「再発防止」はなによりもその点に対する対策でなければなりません。市は「再発防止」とは何かを考え直さねばなりません。

 Yさんと医師・市との折衝は継続中です。
 Yさんは経過(一部)を公にすることに「悩んだ」末、「人権侵害が起きた時、市のような公共機関がいかに対応したかという情報には公共の利益がある」と考え、「率直に書くことにした」と述べています。

 その通りです。これはYさんだけの問題ではありません。また、福山市だけの問題でもありません。私たちが生活している地域・社会に、在日コリアン・外国人に対する差別は厳然とあります。それから目をそらすことは許されません。
 福山市民として、日本人として、引き続きこの問題を注視していこうと思います。

 


いま「9・1朝鮮人大虐殺」の歴史から学ぶ特別の意味

2020年09月01日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 9月1日は97年前(1923年)に関東大震災が起こった日であると同時に、震災禍の流言飛語によって多くの在日コリアン(朝鮮人、韓国人)が虐殺された日です。日本政府はその調査さえしようとしておらず、実態はいまだに不明な点が多いですが、被害者は数千人にのぼるとみられています(1923年12月5日付の大韓民国臨時政府機関紙「独立新聞」は「6661人」と報道)。

 私たちは「9・1大虐殺」の歴史を風化させてはならないだけでなく、今日的問題と受け止める必要があります。その意味は今年、何重にもおよんでいます。

 第1に、「追悼式典」に対する小池百合子東京都知事の新たな妨害の動きです。

 9月1日には「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」(実行委主催)が1973年から毎年東京都墨田区の横網町公園で行われ、歴代都知事も追悼文を寄せてきました(写真左)。ところが小池知事は就任翌年(2017年)から追悼文を拒否。
 それだけでなく昨年末から今年にかけて、会場使用の「誓約書」なるものを要求し、追悼式典に圧力をかけました。その背景には2017年から追悼式典と同時同場所で行われるようになった右翼排外主義団体(「そよ風」)の策動があります(5月25日のブログ参照)。

 実行委はじめ世論の強い抗議で、都は「誓約書」の提出要求を撤回しました(7月)。しかし、都の担当者は「誓約書は取り下げたのではなく、今回に限り求めないこととした」とうそぶいています(8月5日付朝鮮新報)。小池都知事による妨害策動はまったく予断を許しません。

 第2に、NHK(広島)による在日コリアンへのヘイト・差別です。

 NHK広島放送局は「1945ひろしまタイムライン」なる企画で、8月20日、敗戦直後の光景をSNSで伝えるとして、在日コリアンに対する差別を助長するツイートを発信しました。
 広範な批判・抗議を受け、「謝罪文」を出しましたが、まったく謝罪になっておらず、問題のツイートはいまだに削除されていません(8月25、26日のブログ参照)。

 敗戦直後の混乱という設定で描かれた「朝鮮人の暴力」が、「9・1大虐殺」を生んだ流言飛語と共通性をもっていることは明らかです。この問題は絶対に軽視できません。

 第3に、コロナ禍における「9・1」の教訓です。

 コロナ感染の不安の中で、「自粛警察」「帰省警察」なるものが発生しました。言葉自体が「9・1」の「自警団」(写真中)と相似しています。
 不安や恐怖は弱者への差別・攻撃に転化する危険性があります。その背景には、国家権力による情報不開示・操作とメディアの偏向報道があります。

 コロナ禍の今日、そして感染症との共存が不可避なこれからの社会では、「9・1」から改めて教訓をくみとる必要があります。

 第4に、「ブラック・ライブズ・マター」の世界的な運動の中の「9・1」だということです。

 この運動の先駆者の1人、オパール・トメティさんは、黒人差別はたんなる「こころ」の問題ではなく、制度的・構造的なものだとしたうえで、「私たちがBLMの運動を通じて変えたいのは、法律、政策と文化です」と強調しています(8月22日のNHK・ETV特集)。

 日本でもBLMに連帯する運動が起こっていますが、同時に私たちは、日本に根深く存在し続けている民族差別に目を向ける必要があります。それは在日コリアン、中国人はじめアジアの人々、琉球、アイヌに対する差別です。

 これらの差別は、トメティさんが言う通り、制度的・構造的・政策的なものです。在日コリアンに対する制度的差別の典型が、高校・幼児教育の無償化制度からの朝鮮学校の排除です。

 世界のBLM運動に連帯し、わたしたちはこの日本で、在日コリアンはじめあらゆる民族への差別を根絶しなければなりません。差別を制度的・政策的・構造的になくさなければなりません。
 その決意を、97年目の「9・1」にあらためて確認し合いたいものです。