
「(自民)党内では保守派を中心に、安倍氏による2015年の首相談話で「謝罪外交」に区切りが付いているとの考えが根強い。安倍氏に近かった西村康稔元経済産業相も「安倍元首相がまとめたもの以上の談話は不要。無用な混乱を招く」と訴える」(4日付京都新聞=共同)
「安倍談話」とは何だったか。
最大の特徴は、「村山富市首相談話」(1995年8月15日)が「わが国は…植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。…痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」としたのを翻し、「植民地支配」「侵略」に一切ふれず、アジア諸国への「お詫び」の言葉も一掃したことです。
そうして、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」と、戦争の加害責任にほうかむりをし続ける姿勢を明確にしました。この姿勢は同年12月の「日本軍慰安婦」(戦時性奴隷)についての「日韓合意」(写真)にも引き継がれました。
「安倍談話では、朝鮮侵略と植民地支配が言及されず、過去責任の反省と謝罪が完全に抜けてしまった。これを契機に、日本政府は過去責任を認めることさえも公然と拒否し始めたばかりか、朝鮮民主主義人民共和国への「制裁」措置の一環として、「高校無償化」制度、「幼保無償化」制度などで、朝鮮学校の排除が進められた。こうした「上」からの排除が、民間のヘイトも助長することになった」(康成銀<カン・ソンウン>朝鮮大学校朝鮮問題研究センター研究顧問「新たに植民地支配と継続する植民地主義の責任を問う」、「人権と生活」2025年夏号所収)
「安倍談話」を日本政府の「終戦談話」として固定化することは、日本が侵略戦争・植民地支配の加害責任に背を向け続けることを宣言することにほかならず、絶対に容認することはできません。
「村山談話」も、日米関係の評価はじめ、決して完全なものではありません。侵略戦争・植民地支配の反省に言及したのも「中国、韓国などアジア諸国が国際社会で存在感を増したことで、政府も関係安定化を考え、立場を表明せざるを得なくなったためだ。国内で議論を積み重ねた結果ではなかった」(吉田裕・一橋大名誉教授、14日付京都新聞=共同)という背景がありました。
吉田裕氏は強調します。
「(アジア・太平洋)戦争の原因を検証し、総括しないままでは戦後は終わらない。…日本が受けた被害と、他国への加害の関係はまだ十分に解明されていない。被害と加害は二項対立ではなく、入り組んで重層的になっている。…体験者から聞ける時代が終わろうとしている今、継承と検証を急ぐ必要がある」(同上)
日本に必要なのは、「首相談話」ではなく、市民一人ひとりがアジア・太平洋(15年)戦争の歴史に向き合い、過去責任とりわけ加害の歴史を検証し、対話・討論を積み重ね、今・今後に生かすことです。