ノーベル文学賞の受賞が決まった韓国のハン・ガン氏は、『少年が来る』(2016)で「光州事件」(1980)、『別れを告げない』(2021年)では「済州島4・3事件」(1948)という、国家・軍隊による人民への暴力をテーマにしてきました。
ハン氏作品の翻訳も多い翻訳家の斎藤真理子氏はハン氏の受賞に対しこうコメントしています。
「世界でジェノサイドが止まらない現在において、ハン・ガンさんの文章が読まれる意味を(ノーベル文学賞の)選考委員の人たちが勘案した結果ではないか」(11日付京都新聞=共同)
今年5月、ハン氏は朝日新聞のインタビューで、「ガザ・ウクライナなど、多くの人々の命が奪われ、分断や格差も深刻なこの世界で、文学や作家にできることは何だと考えますか」との質問に、こう答えています。
<「このように真っ暗な状況の中で希望を見いだすのは、ほとんど不可能と思えるほどきつい想像力を必要とします。しかし人間は生きている限り、想像しないわけにはいきません。希望と文学には共有する点があります。文学ですることもまた、粘り強く想像することです」
――歴史と向き合うことにも、希望を見つけるヒントはあるでしょうか。
「『別れを告げない』の中で、主人公の一人は木工の作業中に指を切断する事故に遭い、縫った傷口を3分ごとに針で刺し血を流す施術を受けます。苦痛と神経の電流と生命が、すべてつながっているのです。歴史的事件と向き合うことは、そんなつながりを持とうとすることかもしれません」
「歴史的な事件を扱うことは、過去について語る方法を探し出し、現在について語るということです。歴史を見つめて問うことは、人間の本性について問うことでもある。記憶を抱きしめ、生命に向けて進む人間の姿と能力に、私はいつもひかれます」>(5月28日付朝日新聞デジタル)
「歴史・歴史的事件」に対するこうした姿勢はハン氏だけのものではありません。
ハン氏をはじめ現代韓国文学をけん引する作家たちについて、斎藤真理子氏はこう論じています。
「韓国の小説の多くが、歴史が負った傷をさまざまな視覚から描いている。または個人の傷に潜む歴史の影を暴いている。それだけ満身創痍の歴史だったともいえるし、韓国の文学者たちがそれを描くことを大事にしているからでもある。そして何より、歴史を見つめるのは現在と未来のためだという感覚を多くの作家が共有している。それは…次世代への責任感の表れでもあるだろう」(『韓国文学の中心にあるもの』イースト・プレス2022年)
もとより私に日本文学を批評する能力はありませんが、ハン氏はじめ韓国の文学者たちのこのような「歴史・歴史的事件」に対する視点・姿勢を持っている日本の作家がどれほどいるでしょうか。
「歴史・歴史的事件」に正面から向き合わないのは、もちろん作家だけの問題ではありません。政府・政治家はじめ、市民を含む日本人全体の致命的な欠陥です。
ハン・ガン氏はじめ韓国文学から日本人が読み取るべきは、この致命的欠陥との対照ではないでしょうか。それは「次世代への責任感」の相違でもあるでしょう。