絶滅の危機に瀕している琉球諸語(しまくとぅば)の復興・継承を図ろうと、連絡協議会が30日設立されました。同日夜、那覇市民会館(中ホール)で設立総会と記念講演(宮良信詳琉大名誉教授)、シンポジウムが行われました。ほぼ満席の約250人の参加者からは、いつものシンポにはない熱気が感じられました。ほとんどがうちなーぐち(沖縄語)で進行したため、私には諸発言の細部は分かりませんでしたが、日本語の資料と、うちなーぐちの端ばしから集会の概要はつかめました(「しまくとぅば」と「うちなーぐち」は違います。その違いには重要な意味がありますが、それについてはまたの機会に。しまくとぅばは琉球諸語、うちなーぐちは沖縄本島の沖縄語という意味で使います)。
なぜ今しまくとぅばの復興なのか。宮良氏の次の言葉が参加者の思いを代表していました。「現在、琉球諸語、地域文化、価値観などの独自性が、少数派に属するからという理由で軽視されて、強い勢力をもつ日本語、日本文化、日本的な価値観にだんだん呑み込まれつつある。そのような、ふがいない危機的現状を阻止するために『しまくとぅば』の復興が待たれる。『しまくとぅば』を失うことは、我々にとって自らのアイデンティティを失うことになる」
シンポでは3人の青年が自らの体験・生活から、しまくとぅば復興の必要性を語りました。その中で、嘉数道彦さん(34歳・国立劇場おきなわ芸術監督=写真右の左端)が、「単にしまくとぅばが大切だから覚えなければならないというのでは、方言札(かつて沖縄同化政策の中で学校でしまくとぅばを使うと罰として首から下げさせられた札)の反対の”ヤマト札”になってしまう。しまくとぅばが残っている沖縄の芸能を大切にすることから始めたい」と述べたのが印象的でした。
分からないうちなーぐちが飛び交う中に身を置きながら、私は、これは「沖縄独立運動」の一環なのだと痛感しました。そして、沖縄に来て以来一貫してしまくとぅば(うちなーぐち)には関心を持ってきましたが、この会にはヤマトンチュである私は軽々に参加すべきではないと思いました(入口で入会を受け付けていましたが)。
しかし、嘉数さんの「苦しみもがいてきたウチナーンチュの心とは何か、文化とは何かを考えることから踏み出そう」という再度の発言で、心が動きました。協議会の規約が会員資格を「しまくとぅばの復興と継承をめざし賛同するすべての個人及び団体」としている(「琉球独立学会」が琉球人に限定したのとは違い)ことにも好感が持てました。
集会終了後、私は入会しました。良かったのか今も確信はありません。ただ、安易な好奇心からではないし、そうであってはならないと肝に銘じています。
<今日の注目記事>(31日付琉球新報1面トップ)
☆<オスプレイ着陸失敗 「最も重大な事故」 機体大破 海軍「クラスA」認定>
「米ネバダ州で現地時間26日(日本時間27日)に米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイが着陸に失敗した事故で、米海軍安全センターは29日までに事故の規模を最も重大な『クラスA』に分類し、機体は大破したと評価していることが琉球新報の調べで分かった。26日の事故について、事故機が所属する海兵隊ミラマー基地は『ハードランディング(激しい衝撃を伴う着陸)』だったと説明しているが、乗員の避難後に機体が炎上し、大破するほど衝撃が大きかったことが今回の評価でも裏付けられ、事故が墜落だった可能性が一層高まった」