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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「ノーベル平和賞」授賞式・演説の違和感

2024年12月12日 | 市民運動
   

 被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に対するノーベル平和賞の授賞式が10日行われ、NHKなどは午後9時から生中継しました。代表委員の田中熙巳氏の演説は切々としたものでした。

 しかし、メディアの過剰な賛美報道の中、授賞式のもよう、田中氏の演説には違和感も禁じ得ませんでした。

 授賞の決定に際し、平和運動の歴史に詳しい広島文学資料保存の会の池田正彦氏は、「「井戸を掘った」先人たち―「被団協」ノーベル平和賞受賞に寄せて―」と題した寄稿(藤原書店発行「機」2024年11月号、写真右)でこう指摘しています(抜粋、太字は私)。

<ノーベル平和賞決定のニュースが飛び込んできた。つづいて被団協の各氏のコメントがテレビの画面に流れ、良かったなあ、と思いつつ、同時に、あれれ!?と感じた。
 というのは、現在の日本被団協結成(1956年8月10日―私)に先立つ1952年8月10日に、日本最初の被爆者組織「原爆被害者の会」が誕生しているのだが、不思議なことに、被団協の前史である「原爆被害者の会」のことに触れる人が誰もいなかったからだ。

 自身も被爆者だった川手健さんが事務局長を務めたのが「原爆被害者の会」である。幹事会メンバーとして峠三吉、世話人には大田洋子・布施辰治・赤松俊子(丸木俊)らが参加している

 言論統制にあった占領下、原爆投下糾弾・朝鮮戦争反対の旗を掲げ果敢に闘った先人たちの歴史を消すことはできない。>

<平和運動は常に分裂の危機を孕み、第9回原水禁世界大会(1963年)基調報告で、森瀧市郎さんは懸命に「統一と団結」を訴えたが、結局、「原水協」と「原水禁」に分裂した。

 現在、広島にはまったく同じ名前の「被団協」が2つある。(分裂の後遺症が今でも続いている―池田氏)。そんな中で「ノーベル平和賞」だけが一人歩きしている。「統一」に蓋をしたまま―。>

 池田氏が指摘するこうした問題点は田中氏の演説でも触れられませんでした。

 そのほか、特に見過ごせない問題を2点あげます(10月13日のブログで書いた「加害性に触れない」問題、「ロシアによる核の威嚇」に触れる一方でアメリカの核実験やクラスター爆弾使用などには触れなかった問題、日本政府が禁止条約会議にオブザーバー参加すらしないことに触れなかった問題などは省きます)。

 第1に、田中氏は「日本で被爆して母国に帰った韓国被爆者」について触れました。これは重要なことです(10月18日のブログ参照)。しかし、「日本で被爆して母国に帰った」のは韓国被爆者だけではありません。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の被爆者も同じです。同じ日本植民地支配の被害者です。
 「韓国被爆者」だけでなく「北朝鮮被爆者」にも当然触れるべきです。あるいは両国の被爆者を含む「朝鮮半島被爆者」と言うべきです。

 第2に、授賞式で賞状、メダルを受けたのは田中氏と箕牧智之氏、田中重光氏の3氏でした。どうして女性が1人もいないのでしょうか。
 女性の被爆者・被団協関係者もオスロに駆け付けています。壇上に上がるのが3人と決められていたのなら、少なくとも1人は女性にすべきでしょう。
 壇上を男性が占有した光景は、たんに授賞式だけの問題ではなく、被団協の運動全体が「男性主導」になっているのではないか、という懸念を抱かせるものでした。


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戦争法強行1カ月ーテロ標的の脅威をなぜ報じないのか

2015年10月20日 | 市民運動

   

 19日で戦争法案強行から1カ月。その前日の18日、安倍首相は米原子力空母(ロナルド・レーガン)に現職首相として初めて乗船(安倍氏の強い要求で)し、日米安保=軍事同盟のいっそうの強化・緊密化をアピールしました(写真左)。

 これに対し、シールズなど戦争法の廃止を求める市民の声・運動は、もちろん衰えることはありません。

 しかし、国民全体の世論状況は、楽観できるものではありません。10月の安倍内閣の支持率は、共同通信調査(9日付)で、支持44・8%(9月38・9%)、不支持41・2%(同50・2%)。朝日新聞調査(20日付)でも、支持41%(同35%)、不支持率40%(同45%)と、いずれも「支持率の回復」を示しています。自民党の谷垣幹事長は、「国民の関心が安全保障から経済に移ったのではないか」(9日付共同配信)などとうそぶきました。

 戦争法、原発稼働、TPP、マイナンバーなどどれをとっても安倍政権が民意に反していることは世論調査の結果でも明らかです。にもかかわらず、「支持率が回復」しているのはなぜか。
 原因の1つは、この間のメディアの戦争法(安保法制)報道の在り方にあるのではないでしょうか。

 今月3日、バングラディシュ北部で、同国在住の星邦男さんが殺害されました。
 同日、「イスラム国」(IS)のバングラディシュ支部を名乗るグループが犯行声明を公表。「声明は、日本が米軍主導の対IS有志連合の一員だと指摘」(5日付毎日新聞)したうえで、「『十字軍(有志国)連合への攻撃は今後も続ける。イスラム教徒の土地に彼らの居場所はない』とさらなる攻撃を予告した」(同)のです。

 この重大ニュースを、各紙は1面や総合面でなく、社会面で、しかもベタ~3段の小さな扱いでしか報じませんでした。「内容の真偽が不明」だと言うかもしれません。しかし「犯行声明」だけではありません。「『イスラム国』はこのほど発行した機関誌で、米国が主導する中東での軍事作戦に加わる『連合国』の一員として日本を名指しした」(5日付共同通信)のです。

 「イスラム国」は日本を「有志連合」の一員と名指しし、攻撃対象にすると公言しているのです。この背景に、集団的自衛権の名のもとにアメリカの戦争に加担する戦争法の強行があることは言うまでもありません。

 後藤健二さんと湯川遥菜さんが「イスラム国」によって殺害されたのは、今年1月末のことでした。
 「イスラム国」が後藤さん、湯川さんを拘束したのは、安倍政権が集団的自衛権行使を閣議決定(2014年7月1日)した後でした。安倍首相は脅迫が届いていることを承知のうえで、中東を訪問し、アメリカ主導の「有志連合」に「2億ドル」の支援を行なうと表明したのです。それを受けて「イスラム国」はビデオ声明を流しました。
 「日本国民に告ぐ。おまえたちの政府はイスラム国と戦うのに2億㌦支払うという愚かな決定をした。・・・このナイフがおまえたちの悪夢となるだろう」(1月20日)
 安倍政権は日米同盟を優先し、後藤、湯川両氏は殺害されました。

 この時はまだ、「日本は有志連合の一員ではない」と言い逃れる余地がありました。しかし、戦争法が施行されれば、その言い分はもう通用しません。名実ともに日本はアメリカ主導の「有志連合」の一員となるのです。そして、「イスラム国」の機関誌が公言しているように、日本(日本人)は正真正銘、「イスラム国」の標的となります。
 テロは中東で起こるとは限りません。あの「9・11」(2001年)の惨劇が東京で起こらない保証がどこにあるでしょうか。

 戦争法を制定・施行するとは、そういうテロの脅威に身をさらすということです。日米軍事同盟のもとで日本をその危機に立たせているのが安倍政権です。
 こうした戦争法の危険、安倍政権の実像をメディアはどれだけ伝えているでしょうか。

 戦争法強行成立から1カ月。「イスラム国」ビデオ声明から9カ月。テロを助長し平和に逆行する戦争法は絶対に廃止しなければなりません。


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「シールズ」は大学の中でも新たな活動を

2015年10月03日 | 市民運動

   

 「シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)」の国会前の集会やデモは、戦争法案反対運動をけん引し、その活動はこれから戦争法廃棄へ向けてさらに発展しようとしています。

 「この力がいまの日本に新しい風を吹き込んでいる。シールズに呼応するように全国各地で若者が声を上げ始め、大学や市民の間にも自前の意思表示が広がってきた。これもシールズの活動が一元的な組織化を目ざすものではなく、一人一人の自主性の連鎖から成り立っているからだ」(西谷修氏、8月19日付沖縄タイムス)という評価に賛成です。

 しかし、シールズをはじめ今回の反対運動を、「空前の規模で広がった国民の運動」とか「戦後かつてない新しい国民運動」などと最大限賛美することには賛同できません。
 たとえば、岸内閣の安保改定に対する反対運動(60年安保闘争)では、政党、労働組合、平和・市民団体など134団体が結集した「安保改定阻止国民会議」が結成され、「国会には連日のように10万~30万のデモの波が押しかけ、『安保反対』『岸を倒せ』のシュプレヒコールがこだました」(中村政則著『戦後史』)のです。

 もちろん、当時とは労働運動状況はじめさまざまな違いがあり、単純に比較することはできません。ただ、シールズなど学生・若者の活動が、量的にも質的にもいっそう発展することを願って、1つ希望したいことがあります。
 それは、国会前集会や街頭デモとあわせ、それぞれの大学・学園も中でも新たな活動(学習会、集会など)を展開して欲しいということです。

 私が大学に入学した1973年は、すでに60年代学生運動は下火になっていましたが、それでもまだ「筑波大学法案」など政治課題への取り組みがありました。私たちはまず各クラスで討論会を行うことに努め、それをクラスの代表が持ち寄りました。学生自治会活動です。各大学の自治会は都道府県単位で連合会がありました。いまはこうした自治会活動はあるのでしょうか。

 当時の活動には大きな弱点がありました。一部の活動家たちだけの、しかも大学の中だけの運動になりがちだったことです。しかしいい面もありました。クラスを単位に大学内で「政治」を語り、政府の不当な政策に反対する世論を学内から広げようという視点があったことです。

 シールズなどの若者たちが、「従来の運動と違い、既存の組織や思想にとらわれず、自由な発想と連携を重視」(西谷氏、同前)し、学内にとどまらず積極的に街頭に出ていることは素晴らしいことです。しかしその半面、もしも大学の中がおろそかになっているとすれば、それはけっして褒められたことではないでしょう。「従来の運動」からもいいところは学び、それを新しい感覚で発展させてほしいのです。

 その点で思い出すのは、沖縄大学の学生たちの運動です。
 2013年1月、沖縄は官民共同で、オスプレイ配備・普天間基地の県内移設反対の「建白書」を持って東京行動を繰り広げました。それに参加した「沖縄大学学生有志」は、上京の前にまず学内で学生たちに「メッセージカード」を書いてもらい、それを貼りつけた大型のボードを持って東京行動に加わったのです(写真右が有志学生たちとメッセージボード。学生たちの報告冊子「ビレッジ」より)。学生の1人はこう振り返っています。

 「『これからどうすればいいのか?』『どうしたら止められるのか?』を模索している中、『日米両政府に沖大生の想いを届ける』ことを提案。・・・沖大祭から本格的にメッセージ集めを開始。気がつけばメッセージは270枚にもなっていた。多くの人がメッセージを書いてくれたうれしさと同時にみんなの想いを届けないといけないというプレッシャーも感じた。集まったメッセージボードや要請文の制作など、『色々な人たちの気持ちを背負っている』と思いながら作業してきた」(4年生、「ビレッジ」より)

 全国各地の大学、さらに高校で、学習会や討論会、集会が網の目のように行われ、「無関心」に働きかけ、「自由な発想と連携」が広がる。国家権力はそれを最も恐れているのではないでしょうか。

 ※「シールズ」が学内で実際にどのような活動を行っているかを知らずに書きました。すでに学内での活動が実践されていれば、お詫びします。そして、うれしく思います。

 


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