


19日で戦争法案強行から1カ月。その前日の18日、安倍首相は米原子力空母(ロナルド・レーガン)に現職首相として初めて乗船(安倍氏の強い要求で)し、日米安保=軍事同盟のいっそうの強化・緊密化をアピールしました(写真左)。
これに対し、シールズなど戦争法の廃止を求める市民の声・運動は、もちろん衰えることはありません。
しかし、国民全体の世論状況は、楽観できるものではありません。10月の安倍内閣の支持率は、共同通信調査(9日付)で、支持44・8%(9月38・9%)、不支持41・2%(同50・2%)。朝日新聞調査(20日付)でも、支持41%(同35%)、不支持率40%(同45%)と、いずれも「支持率の回復」を示しています。自民党の谷垣幹事長は、「国民の関心が安全保障から経済に移ったのではないか」(9日付共同配信)などとうそぶきました。
戦争法、原発稼働、TPP、マイナンバーなどどれをとっても安倍政権が民意に反していることは世論調査の結果でも明らかです。にもかかわらず、「支持率が回復」しているのはなぜか。
原因の1つは、この間のメディアの戦争法(安保法制)報道の在り方にあるのではないでしょうか。
今月3日、バングラディシュ北部で、同国在住の星邦男さんが殺害されました。
同日、「イスラム国」(IS)のバングラディシュ支部を名乗るグループが犯行声明を公表。「声明は、日本が米軍主導の対IS有志連合の一員だと指摘」(5日付毎日新聞)したうえで、「『十字軍(有志国)連合への攻撃は今後も続ける。イスラム教徒の土地に彼らの居場所はない』とさらなる攻撃を予告した」(同)のです。
この重大ニュースを、各紙は1面や総合面でなく、社会面で、しかもベタ~3段の小さな扱いでしか報じませんでした。「内容の真偽が不明」だと言うかもしれません。しかし「犯行声明」だけではありません。「『イスラム国』はこのほど発行した機関誌で、米国が主導する中東での軍事作戦に加わる『連合国』の一員として日本を名指しした」(5日付共同通信)のです。
「イスラム国」は日本を「有志連合」の一員と名指しし、攻撃対象にすると公言しているのです。この背景に、集団的自衛権の名のもとにアメリカの戦争に加担する戦争法の強行があることは言うまでもありません。
後藤健二さんと湯川遥菜さんが「イスラム国」によって殺害されたのは、今年1月末のことでした。
「イスラム国」が後藤さん、湯川さんを拘束したのは、安倍政権が集団的自衛権行使を閣議決定(2014年7月1日)した後でした。安倍首相は脅迫が届いていることを承知のうえで、中東を訪問し、アメリカ主導の「有志連合」に「2億ドル」の支援を行なうと表明したのです。それを受けて「イスラム国」はビデオ声明を流しました。
「日本国民に告ぐ。おまえたちの政府はイスラム国と戦うのに2億㌦支払うという愚かな決定をした。・・・このナイフがおまえたちの悪夢となるだろう」(1月20日)
安倍政権は日米同盟を優先し、後藤、湯川両氏は殺害されました。
この時はまだ、「日本は有志連合の一員ではない」と言い逃れる余地がありました。しかし、戦争法が施行されれば、その言い分はもう通用しません。名実ともに日本はアメリカ主導の「有志連合」の一員となるのです。そして、「イスラム国」の機関誌が公言しているように、日本(日本人)は正真正銘、「イスラム国」の標的となります。
テロは中東で起こるとは限りません。あの「9・11」(2001年)の惨劇が東京で起こらない保証がどこにあるでしょうか。
戦争法を制定・施行するとは、そういうテロの脅威に身をさらすということです。日米軍事同盟のもとで日本をその危機に立たせているのが安倍政権です。
こうした戦争法の危険、安倍政権の実像をメディアはどれだけ伝えているでしょうか。
戦争法強行成立から1カ月。「イスラム国」ビデオ声明から9カ月。テロを助長し平和に逆行する戦争法は絶対に廃止しなければなりません。
「シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)」の国会前の集会やデモは、戦争法案反対運動をけん引し、その活動はこれから戦争法廃棄へ向けてさらに発展しようとしています。
「この力がいまの日本に新しい風を吹き込んでいる。シールズに呼応するように全国各地で若者が声を上げ始め、大学や市民の間にも自前の意思表示が広がってきた。これもシールズの活動が一元的な組織化を目ざすものではなく、一人一人の自主性の連鎖から成り立っているからだ」(西谷修氏、8月19日付沖縄タイムス)という評価に賛成です。
しかし、シールズをはじめ今回の反対運動を、「空前の規模で広がった国民の運動」とか「戦後かつてない新しい国民運動」などと最大限賛美することには賛同できません。
たとえば、岸内閣の安保改定に対する反対運動(60年安保闘争)では、政党、労働組合、平和・市民団体など134団体が結集した「安保改定阻止国民会議」が結成され、「国会には連日のように10万~30万のデモの波が押しかけ、『安保反対』『岸を倒せ』のシュプレヒコールがこだました」(中村政則著『戦後史』)のです。
もちろん、当時とは労働運動状況はじめさまざまな違いがあり、単純に比較することはできません。ただ、シールズなど学生・若者の活動が、量的にも質的にもいっそう発展することを願って、1つ希望したいことがあります。
それは、国会前集会や街頭デモとあわせ、それぞれの大学・学園も中でも新たな活動(学習会、集会など)を展開して欲しいということです。
私が大学に入学した1973年は、すでに60年代学生運動は下火になっていましたが、それでもまだ「筑波大学法案」など政治課題への取り組みがありました。私たちはまず各クラスで討論会を行うことに努め、それをクラスの代表が持ち寄りました。学生自治会活動です。各大学の自治会は都道府県単位で連合会がありました。いまはこうした自治会活動はあるのでしょうか。
当時の活動には大きな弱点がありました。一部の活動家たちだけの、しかも大学の中だけの運動になりがちだったことです。しかしいい面もありました。クラスを単位に大学内で「政治」を語り、政府の不当な政策に反対する世論を学内から広げようという視点があったことです。
シールズなどの若者たちが、「従来の運動と違い、既存の組織や思想にとらわれず、自由な発想と連携を重視」(西谷氏、同前)し、学内にとどまらず積極的に街頭に出ていることは素晴らしいことです。しかしその半面、もしも大学の中がおろそかになっているとすれば、それはけっして褒められたことではないでしょう。「従来の運動」からもいいところは学び、それを新しい感覚で発展させてほしいのです。
その点で思い出すのは、沖縄大学の学生たちの運動です。
2013年1月、沖縄は官民共同で、オスプレイ配備・普天間基地の県内移設反対の「建白書」を持って東京行動を繰り広げました。それに参加した「沖縄大学学生有志」は、上京の前にまず学内で学生たちに「メッセージカード」を書いてもらい、それを貼りつけた大型のボードを持って東京行動に加わったのです(写真右が有志学生たちとメッセージボード。学生たちの報告冊子「ビレッジ」より)。学生の1人はこう振り返っています。
「『これからどうすればいいのか?』『どうしたら止められるのか?』を模索している中、『日米両政府に沖大生の想いを届ける』ことを提案。・・・沖大祭から本格的にメッセージ集めを開始。気がつけばメッセージは270枚にもなっていた。多くの人がメッセージを書いてくれたうれしさと同時にみんなの想いを届けないといけないというプレッシャーも感じた。集まったメッセージボードや要請文の制作など、『色々な人たちの気持ちを背負っている』と思いながら作業してきた」(4年生、「ビレッジ」より)
全国各地の大学、さらに高校で、学習会や討論会、集会が網の目のように行われ、「無関心」に働きかけ、「自由な発想と連携」が広がる。国家権力はそれを最も恐れているのではないでしょうか。
※「シールズ」が学内で実際にどのような活動を行っているかを知らずに書きました。すでに学内での活動が実践されていれば、お詫びします。そして、うれしく思います。