「2020東京五輪」へ向けて安倍政権とメディアはますます扇動を強めていますが、日本人は「東京五輪」に浮かれる前に、過去に日本がオリンピックで何をしたのか、忘れてはならない(知らねばならない)歴史があります。
高校無償化や補助金から排除されている朝鮮学校差別に反対する「朝鮮学校を支援する全国ネットワーク」は、「東京五輪」をきっかけに差別の実態を世界に発信し解消をめざすため、国際オリンピック委員会(IOC)委員全員に要請文を送付しました(6月7日付)。
その第1項は、「差別されたベルリン五輪の金メダリスト・孫基禎(ソン・ギジョン)氏」です。
「日本は1910年に朝鮮を併合し植民地としました。1936年のベルリン・オリンピックで、朝鮮人の孫基禎(1912-2002)というマラソン選手が『日本人』として優勝の栄誉を手にしました(1936年8月9日―引用者)。孫氏は朝鮮・ソウルに凱旋しましたが、日本の官憲は、朝鮮独立運動が勢いづくことを恐れて、孫氏の身柄を抑え、歓迎行事や祝賀会を一切禁じました。
孫氏は、その後、スポーツ指導者になろうと日本留学を志しますが、1937年にやっと明治大学が受け入れてくれるまで、受け入れてくれる大学が見つかりませんでした。しかも、日本政府は『ふたたび陸上をやらないこと』などを条件としたため、長い歴史のある『箱根大学駅伝競走』には出場できませんでした。
…2002年11月15日にお亡くなりになり、ソウルで行われた葬儀には、世界からゆかりの人がはせ参じましたが、日本オリンピック委員会はじめ、日本の体育・スポーツ界からは、誰一人参加せず、供花も弔電もなかったといいます」
孫選手の優勝をめぐる問題はそれだけではありません。忘れてならないのは「日の丸抹消事件」です。
表彰式に臨んだ孫選手のユニフォームの胸には「日の丸」が描かれていました。ところが、そのニュースを報じた朝鮮の「東亜日報」(1936年8月25日付夕刊)の写真からは「日の丸」が消されていたのです。孫選手の優勝を植民地政策(「内鮮融和」)に利用しようとした日本政府(朝鮮総督府)に対する民族的抵抗でした。(写真左はゴールする孫選手、写真中は「日の丸」を消した東亜日報。ともに山本典人著『日の丸抹消事件を授業する』岩波ブックレット1994年より)
孫選手の優勝に対し、朝鮮総督の南次郎は、「一死をもつて軍国に酬ゆる武人の気魄と同じに評価されるべきもの」(1936年8月11日付「東京朝日新聞」。金誠著『近代日本・朝鮮とスポーツ』塙書房より)という「談話」を発表し、体制内化した日本の新聞も、「日章旗の掲揚が、半島選手の健闘によつてなされたことは、意義深い」(同「東京朝日新聞」。同)と論評したのです。
「東亜日報」が「日の丸」を消したのは、こうした日本に抵抗し、孫選手が朝鮮人であることをアピールするためでした。しかしそれは当然朝鮮総督府の逆鱗に触れ、「東亜日報」は無期限発行停止処分を受けました。
「日の丸」「君が代」に屈辱・怒りをおぼえたのはもちろん「東亜日報」だけではありませんでした。当の孫選手自身、後年、インタビューに答えてこう語っています。
「わたしが優勝の歓喜に酔いしれたまさにそのときでした。空に日章旗があがり、君が代が鳴り響いたのです。驚天動地の心境でした。わたしはそれまで、優勝すると日章旗が掲揚されるとは夢にも思っていなかったのです…。亡国のくやしさとみじめさ、悲しさと怒りが胸底に深く沈下し、涙がとめどなく頬を伝わりました」「日本の人びとには、あれは優勝の栄冠に輝いた感激の涙だといいました。しかし、そうではなかったのです。心の中では、憤怒の叫びをあげていたのです。『俺は日本人じゃない。韓国人なんだ』と」(前掲、山本典人著。孫氏のインタビューは1989年)
孫選手の屈辱と怒り、「日の丸抹消事件」の歴史は、植民地支配のためにはオリンピックの優勝も最大限利用するという日本政府の苛酷さ、理不尽さと、それに抵抗する朝鮮民族の誇りを示しています。
これは遠い過去の話だと言い切れるでしょうか。
植民地支配を根源とする元「徴用工」(強制動員)、元「慰安婦」(日本軍性奴隷)に対する歴史的責任をとろうともせず、朝鮮学校に対する差別をやめようともしない安倍政権が、国威発揚・政権浮揚・天皇制誇示のために「2020年東京五輪」に猛進し、メディアがそれを後押ししている姿は、今日における植民地支配問題とオリンピックの関係を示していると言えるのではないでしょうか。