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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「五輪抜きで語れない「日の丸」の歩み」と天皇制

2024年08月13日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 パリ五輪で優勝した日本人選手が「日の丸」をまとって会場を回る光景はきわめて「政治的」だと書きましたが(昨日のブログ)、その意味をさらに考えます。

 「五輪抜きで語れぬ日の丸の歩み」。こんな見出しの記事が朝日新聞デジタル(10日付)に掲載されました(以下抜粋)。

<パリ五輪では、毎日のように日の丸が画面に映る。かつて軍国主義の象徴とも捉えられ、政治問題にもなった旗。その戦後の歩みは、五輪と切っても切れない関係にある。

 グラフィックデザイナーの永井一正さん(95)(注・72年の札幌五輪で「日の丸」をデザインしたエンブレムが採用された)は、「この五輪(1964年の東京五輪)が日の丸の転機になった」と振り返る。

 大会が始まると、各国の旗と並んで振られる日の丸の様子がテレビ中継され、企業広告にも日の丸を使ったデザインがあふれた。

 大阪大空襲で実家を焼かれ、戦後の窮乏を乗り越えてデザイナーとなった永井さんは、日の丸が「新しい日本を象徴するものになった」と感じたという。>

 同記事によれば、1950年の朝日新聞世論調査では、73%が日の丸を「持っている」と答えながら、「祝日」に旗を「出さない」が43%。その理由は、「世間から軍国主義者のように思われる」「息子が抑留から解放されるまでは見るのも嫌」などでした。
 東京五輪直前の64年2月の政府世論調査でも、「日の丸の旗で何を思い浮かべるか」との問いに、22%が「戦争」と答えていました。

 それが、<74年の政府の調査では、日の丸は日本の国旗にふさわしいかとの問いに、84.1%が「思う」と回答。「思わない」は8.9%にとどまった。世論の変化に合わせ、政府は学校現場への統制を強める。89年には学習指導要領を改訂し、式典での日の丸掲揚を「指導するもの」と明記。「教育現場への強制」だと大きな議論となり、掲揚の是非などをめぐって広島県立高校の校長が自殺する事件も起きた。国は「法的根拠を明確化する」として、99年に「国旗・国歌法」を制定した>(同朝日新聞デジタル)

 記事では触れていないいくつかの点を付け加えます。

 まず、敗戦以前の「五輪と日の丸」の関係で忘れてならないのは、1936年のベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎(ソン・ギジョン)選手の「日の丸抹消事件」です。「日の丸」と五輪が植民地支配の強化に利用された典型的な事件です(7月26日のブログ参照)。

 敗戦後の「日の丸」の転機となった64年東京五輪の翌65年1月、中教審は「期待される人間像」を発表し、「国家」が求める「人間像」を教育現場に持ち込みました。

 その2年後の67年2月11日、初めて「建国記念の日」を制定し、戦前の「紀元節」を復活させました。

 こうした動きが、後の学習指導要領の改定、「国旗・国歌法」制定の布石になったのです。

 「日の丸」の転機は、同時に表彰式で流れる「君が代」の転機でもありました。

 64年10月10日の開会式(写真中)には、天皇裕仁が名誉総裁として出席し、戦争責任にほおかむりしたまま国際社会への“復活”を果たしました。

 その開会式には古関裕而(1909~1989)が作曲した「オリンピックマーチ」が流されました。古関はこの曲にある「隠し味」を入れたと自ら述べています。
「曲の最後に君が代の後半のメロディーを入れた」(「サンデー毎日」1964年11月1日号、刑部芳則著『古関裕而』中公新書2019年より)
 開会式に出席していた天皇裕仁へ“エール”を送ったのです。

 それから57年後の2021年東京五輪(写真右)が、即位から1年半の天皇徳仁の国際的お披露目の場となったことは記憶に新しいところです。

 「日の丸」はもとより、敗戦後の天皇制復活=象徴天皇制自体が、「五輪抜きでは語れない」のです。

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選手に対する誹謗中傷と五輪の国家主義

2024年08月07日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 メディアがパリ五輪の「メダルラッシュ」を報道する一方、日本オリンピック委員会(JOC)は1日、出場選手らに対する誹謗中傷の投稿がSNS上で相次いでいる問題で、「侮辱や脅迫などの行き過ぎた内容に対しては、警察への通報や法的措置も検討する」とした声明を出しました。

「声明では、選手や指導者が「心ない誹謗中傷、批判などに心を痛めるとともに不安や恐怖を感じることもある」とし、「誹謗中傷などを拡散することなく、SNSなどでの投稿に際しては、マナーを守っていただきますよう改めてお願い申し上げます」と訴えた」(2日付朝日新聞デジタル)

 選手らに対する誹謗中傷が許されないことは言うまでもありません。この問題に限らず、SNSにおける誹謗中傷・個人攻撃は根絶する必要があります。

 同時に考える必要があるのは、五輪選手に対する攻撃は、他のSNSにおけるそれにはない特殊な原因があるということです。

 「なぜファンは怒り、攻撃してしまうのか」。ソウル五輪銅メダリストでスポーツ心理学者の田中ウルヴェ京さんは、朝日新聞のインタビューでこう述べています。

「観戦にのめり込み当事者意識を強く持つほど、応援する選手が負けたことなどについて我がことのようにとらえ、怒りを覚える人はいます。
 そこにゆがんだ正義感が加わることで、相手選手などを攻撃することが正しい、と考えてしまう。客観的に見れば選手とは何も関係がないただの視聴者で、中傷するほどの情報も持たないはずなのに、です」(5日付朝日新聞デジタル)

 「当事者意識」「ゆがんだ正義感」「客観的に見れば選手とは何も関係がないただの視聴者なのに」―その通りです。ではそうした感情を抱くのは一部の特殊な人間だけでしょうか。

 柔道の団体戦で負けた阿部一二三選手は、直後のインタビューで、「日本のみなさんに、すみません」と謝りました(4日)。斉藤立選手も「ほんとうに顔向けできないです」と涙を流しました。レスリングの初戦で敗退した須崎優衣選手も「申し訳ない」と何度も繰り返しました(6日)。

 選手の重圧は相当なものです。それは選手たちが、「日本」を代表し「日本」を背負ってたたかわされているからではないでしょうか。

 「日本を代表してたたかっている」という構図がつくられているから、「客観的に見れば選手とは何も関係がないただの視聴者」が「観戦にのめりこみ」「当事者意識」や「ゆがんだ正義感」を持つ者がうまれるのではないでしょうか。

 金メダルのたびにメディアが行う(演出する)「街頭インタビュー」で、「日本人としてうれしい」と語る「市民」も、「当事者意識」を持たされている点では同じでしょう。

 五輪は「国家」を代表したたたかい、「国家」の威信を示す場である。それが「五輪の国家主義」です。五輪をそういう場にしたのは、世界の国家権力であり、IOCであり、「声明」を出したJOC自身です。

 こうした「国家主義」の行き着く先が戦争(戦争国家)であることは言うまでもありません。SNSで選手を誹謗中傷する者たちと、戦時中に「隣組」で他人の行動を監視し「正義感」から「非国民」とののしった「市民たち」がオーバーラップして見えます。

 メディアの責任も見過ごすことはできません。連日「国別の獲得メダル数」を大々的に報じて「国家主義」を煽っているのはマスメディアです(写真左はNHK)。

 選手らに対する誹謗中傷からくみとるべき最大の教訓は、「五輪の国家主義」を一掃することだと考えます。それが選手を守ることになり、同時に、選手も市民もスポーツを楽しむという本来の在り方に近づく道ではないでしょうか。

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「日本選手」とは?「国籍」で分類する五輪の国家主義

2024年07月26日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 田中美南(女子サッカー)、笹生優花(ゴルフ)、張本智和(卓球)、大坂なおみ(テニス)―この4選手の共通点な何でしょうか?
 答えは、パリ五輪の「日本選手団」の中で親(一方あるいは両方)が外国人(外国籍)の選手です。

 パリ五輪の「日本選手団」は404 人ですが、そのうち、上記の4人を含め、親が外国人(外国籍)の選手は、私の集計では31人(7・7%)にのぼります(名前や出生地からの判断なので実際はもっと多いかもしれません)。

 親が外国人(外国籍)ということは本人も外国籍であったけれど、五輪へ向けて日本国籍を取得した選手も少なくありません。笹生優花選手(写真中)は前回の東京五輪には母の国であるフィリピンの代表として出場し、21年に日本国籍を取得しました。

 「日本選手」とは「日本国籍を持つ選手」のことです。「日本選手」として五輪に出場するためには日本国籍が必要なのです。それは、五輪憲章が「出場する競技者は、参加申請を行うNOC(各国の五輪協会)の国の国民でなければならない」(規則41「競技者の国籍」)と規定しているからです。

 しかし、五輪は本来「国家」のものではなく「個人」のものだという建前です。五輪憲章の「オリンピズムの根本原則」は、「スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人は…いかなる種類の差別も受けることなく、スポーツをすることへのアクセスが保証されなければならない」とうたっています。

 競技者を「国籍」で分類することは「オリンピズムの根本原則」にも反しており、国家が五輪を「国威発揚・国力誇示」に利用する国家主義の根幹です。

 この点で、日本人が忘れてならないのが、孫基禎(ソン・ギジョン)選手の「日の丸抹消事件」(1936年)です。

 ヒトラーがナチスドイツの「国力誇示」に最大限利用した第11回ベルリン五輪(1936年)。日本は植民地支配していた朝鮮から孫選手をマラソンに出場させました。孫選手は見事優勝しましたが、表彰式では「日の丸」が揚げられ、「君が代」が流されました。その模様を報じた「東亜日報」は表彰台の孫選手の写真から胸の「日の丸」を消して朝鮮民族としての抗議の意思を示しました(写真右)。
 孫選手は後に、「「日の丸」が上がり「君が代」が演奏されることがわかっていたら、私はベルリンオリンピックで走らなかっただろう」と語っています(自伝『私の祖国、私のマラソン』1983年)。

 ベルリン五輪はヒトラーだけでなく、天皇裕仁を頂点とする帝国日本が国威発揚と植民地支配強化に最大限政治利用した場でもあったのです。(2019・7・30、20・3・5のブログ参照)

 オリンピックを続けるなら、少なくとも国家主義を一掃すべきです。アスリートを「国籍」で分類することなく、したがって表彰式での「国旗掲揚」「国歌演奏」も廃止し、あくまでも個人と団体が競い合う場にしなければなりません。


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体操・宮田選手辞退の根源は五輪の国家主義

2024年07月22日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 体操の宮田笙子選手(19)(写真中=朝日新聞デジタルより)が「飲酒・喫煙」でパリ五輪の出場を辞退しました。これは宮田選手の「不祥事」の問題ではなく、アスリートを不当に抑圧しているオリンピックの国家主義に根本的な問題があります。

 2つの問題を考えたいと思います。

 1つは、宮田選手はなぜ「飲酒・喫煙」したのかです。

 宮田選手は「規則の重みをすごく理解していて、自分の行為に対して真摯に向き合う姿勢が印象的だった」(19日記者会見した日本体操協会の西村賢二専務理事)といいます。「規則違反」を百も承知でなぜ行ったのか。

 「設定された目標に対して、数々のプレッシャーがあり、そのような行為に及んでしまった」と宮田選手は述べていると西村氏は言います。藤田直志協会会長も会見で、「日本代表選手はプレッシャーに日々さらされている」と述べました。

 宮田選手の辞退について、常見陽平・千葉商科大准教授(働き方評論家)は、「そもそも男女問わず、アスリートが飲酒、喫煙しないという点が大間違いである。ストレス、恐怖心、プレッシャーと向き合うため、あるいは純粋に味が好きなど様々な理由から、飲酒や喫煙をするアスリートは日本代表クラスでも存在する」とコメントしています(19日付朝日新聞デジタル)。

 「飲酒・喫煙」の背景に「日本代表選手」としての「数々のプレッシャー」があることを注視しなければなりません。

 もう1つは、日本体操協会の過剰な「行動規範」です。

 日本体操協会は「代表選手に対し、20歳以上であっても代表活動中の飲酒を禁じ、喫煙も原則的に禁止とする行動規範を策定」(21日付朝日新聞デジタル)しています。
 20歳以上の飲酒・喫煙は法律で認められているにもかかわらず、それを「行動規範」で禁止するのは個人の権利の侵害ではないでしょうか。まして上記のように、ストレスフルなアスリートに対してです。

 おそらくこの種の権利侵害はほかにもあるでしょう。また体操協会だけでなく各種のスポーツ団体・協会において同様の「行動規範」(規制)はあるでしょう。そうした協会の権利侵害は高校野球など学校の部活における過剰な規制・規律と無関係ではないでしょう。

 体操協会はなぜこのような過剰な「行動規範」を設けているのか。「日本代表選手」として好成績をあげるため、あるいは「日本代表」としての道徳的規範を示すためでしょう。そこにあるのは、オリンピックは「日本」を代表して出場するのであり、メダルを獲ることが「日本」の名誉だという五輪の国家主義にほかなりません。

 宮田選手の「辞退」について京都新聞運動部長の万代憲司氏はこう論評しています。

「日本代表という「十字架」は背負った者でしか分からない。1964年の東京大会マラソン代表・円谷幸吉さんを自死させてしまった事実を、今こそ思い起こしたい」(20日付京都新聞)

 円谷幸吉氏(写真右)は自衛隊体育学校の1期生で、自衛隊の方針として東京五輪に出場しました。

 そもそも「スポーツ」の語源は、「日常の義務から離れ憂さを晴らす行為」だといわれます。「非日常の没頭空間を作ることで、苦しみから解放され憂さを晴らすためにスポーツが行われるようになったのではないか」(為末大氏・元五輪陸上選手「なぜ人類はスポーツを求めるのか」、季刊誌「世界思想」2024年春号・特集スポーツ所収)。

 このスポーツの原点に立ち返り、市民のためのスポーツ普及を図るべきです。
 それとは対極にあるスポーツの政治利用、国家主義にまみれたオリンピックは廃止すべきです。

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映画「東京2020オリンピック」の歴史的汚点

2022年06月29日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 国際オリンピック委員会(IOC)が河瀨直美監督に制作を依頼した記録映画「東京2020オリンピック」(SIDE:A、SIDE:Bの2部構成)が公開されています。

 もとよりIOCの「公認」記録映画ですからバイアスがかかっていることは承知でしたが、予想以上でした。あれほど問題が噴出し、世論を二分した「東京五輪」の「記録映画」であれば、なんらかの問題提起があるのでは、という思いもむなしく、とりわけ「SIDE:B」には怒りを禁じ得ませんでした。

 「SIDE:A」は「アスリート中心」とされ、河瀨監督は「女性アスリートが大きな比重を占めている」(カンヌでのインタビュー、5月26日の朝日新聞デジタル)と述べています。たしかに、カナダと日本のバスケットボール「ママアスリート」の対比が軸になっており、「ジェンダー問題」を意識していることはうかがえます。しかし、その掘り下げはきわめて中途半端・不十分です。

 より問題なのは、「SIDE:B」です。
 「B」では「延期」や「反対」はじめ開催に至る経過・問題点を描いているとされています。河瀨監督は、「大切だったのはこのオリンピックに反対していた人たちのこと」「中立で描く」(同インタビュー)と述べています。しかし、実際の映画は、この言葉とはほど遠いものです。

 冒頭から一貫して中心に描かれているのは、IOCのバッハ会長であり、女性蔑視で辞任した森喜朗組織委会長です。この2人が“主人公”です(河瀨監督の手法としてアップが多用されていますが、バッハ氏や森氏の顔のアップを何度も見せつけられるだけでも苦痛)。

 開催に反対した人たちがかろうじて画面に出てくるのは、開始から45分(3分の1)ほどたってから。しかも、抗議の声をまるで妨害の雑音であるかのように扱っています。バッハ、森両氏はじめ組織委関係者のインタビューが多用されているのに対し、反対派の意見をまともに聞いているのは演出家の宮本亜門氏だけ。それも1分ほどの短いものです。

 「大切だったのは反対していた人たち」という言葉はどこから出てくるのでしょうか。

 「コロナ」の医療現場はでてきますが、河瀨氏が「東京五輪反対」の理由が「コロナ」(だけ)だと思っているとすれば、認識不足も甚だしいと言わざるをえません。
 なお、その「コロナ」についてのコメントで、東北大の押谷仁氏を再三登場させたのも問題です。押谷氏は「コロナ」の初動段階で、「広範なPCR検査は医療崩壊を招く」と主張してミスリードした張本人だからです。

 こうして「SIDE:B」はこの映画の評価を決定的にするきわめて政治的な内容になっています。
 ただ、私のこの映画の評価はすでに「A」で、しかもその冒頭の1分で決まったと言っても過言ではありません。

 それは、冒頭の静寂の中、いきなり聞かされたのが、「君が代」の斉唱だったからです。
 これはアイロニー(皮肉)なのか、とも思いましたが、そうではありませんでした。「B」の最後は天皇が出席した開会式で締めくくられています。この映画はいわば、「天皇」で始まって「天皇」で終わっているのです。

 「東京五輪」強行がなぜ問題だったのか。根源は、「五輪」の商業主義とともに、その「国家主義」にあります。安倍・菅政権が「コロナ」禍の中、感染拡大の危険と庶民の困窮を歯牙にもかけず、莫大な税金を使って開催を強行した根底にも、国家主義の高揚を政権浮揚に結びつけようとする政治的思惑がありました。国家主義と天皇制が表裏一体であることは言うまでもありません。

 「五輪」・スポーツの国家主義からの脱却。それこそが「東京2020」が問いかけた根本問題でした。

 河瀨監督の映画にはその問題意識がまったく欠落しています。それどころか逆に、天皇制・国家主義を助長するものになっています。ここにこの映画の本質・歴史的汚点があると言わねばなりません。


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国籍・国家主義に翻弄される五輪選手たち

2022年02月22日 | 五輪と国家・政治・社会

     
 北京五輪(20日閉幕)フィギュアスケート団体のアイスダンスで健闘した日本の小松原尊・美里ペア(写真左=朝日新聞デジタルより)。夫の尊氏は2年前に日本「帰化」しました。五輪に出場するためです。
「世界選手権など国際スケート連盟主催の大会であれば、国籍が(ペアの男女で)異なっても出場できるが、五輪は2人の国籍が同じでないと出られない」(17日の朝日新聞デジタル)からです。

 この“国籍の壁”のため、有力な選手が五輪に出場できないケースがあるといいます。「4年に1度の最高峰の大会のはず。なのに、世界選手権で上位の選手が出られないこともある。より多くの選手にチャンスがあった方が五輪は素晴らしい大会になると思う」(小松原美里選手)。2人は、「五輪には国籍を変えなくても出られるルールがあっていいのでは」と考えています(同朝日新聞デジタル)。

 五輪の“国籍の壁”に翻弄されているのはアイススケートの選手だけではありません。

「アイスホッケー男子中国代表チームは「傭兵軍団」だといっても過言ではない。代表チーム所属の25人の選手中19人が米国、カナダ、ロシア出身の選手だ」「即席の戦力強化を試みる国が帰化する選手を募集することも頻繁にある」(17日付ハンギョレ新聞電子版)

 スケートに限らず、五輪以外の世界選手権では国籍に関係なくチーム編成が認められています。東京五輪の前に行われたラグビーW杯(2019年10月)でも国籍混交チームが結成されて話題になりました。

 にもかかわらず、五輪が選手の国籍にこだわっているのは、五輪で国威発揚・誇示を図ろうとする国家の政治利用、国家主義に他なりません。

 典型的な五輪の政治利用として歴史に刻印されているのはナチス・ドイツによるベルリン五輪(1936年)です。その大会のマラソンで優勝したのは、帝国日本が植民地支配していた朝鮮のソン・ギジョン(孫基禎)選手でした。

 日本政府はソン選手の優勝を「国威発揚」「内鮮融和」に最大限利用しました。一方、当のソン選手は、表彰台で侵略・植民地支配の象徴である「日の丸」を見、「君が代」を聞かねばなりませんでした。

 ソン選手の母国である朝鮮では、優勝を報じた「東亜日報」(1936年8月25日付夕刊)がソン選手の優勝写真から胸の「日の丸」を消して日本に抗議の意思を示しました(いわゆる「日の丸末梢事件」、写真右)。(2019年7月30日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190730

 ベルリン五輪から3カ月後の1936年11月25日、日本はナチス・ドイツと「日独防共協定」を結び、翌37年の中国侵略へと突き進んでいきました。

 さらに日本は、ベルリン大会の次の1940年の大会を東京で開催することを目論み、ヒトラーの賛同を得ていったんは決まりましたが、戦争の激化で流れました。帝国日本がこの年に「東京五輪」を誘致したのは、「神武天皇即位」から数えて2600年の節目(「皇紀2600年」)にあたるとして、天皇制の強化を図ろうとしたからです。

 ベルリン五輪から「幻の東京五輪」に至るこの五輪の歴史を、私たちは忘れてはなりません。

 国を超えて健闘をたたえ合う選手たちの姿は感動的です(写真中はスノーボードの岩淵麗楽選手をたたえるカナダ選手=朝日新聞デジタル)。それはスポーツには「国籍」も「国家」も関係ない、必要ないことを示していると言えるでしょう。

 商業主義、メダル至上主義など、五輪には問題が山積していますが、五輪を続けるのであれば、何よりもその国家主義、国家による政治利用を撤廃しなければなりません。選手の“国籍の壁”を取り払うことはその第一歩になるのではないでしょうか。


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NHK字幕捏造問題と五輪記録映画の政治性

2022年01月18日 | 五輪と国家・政治・社会

     

 NHKが東京オリ・パラ公式記録映画を製作している河瀨直美監督(写真左)を追ったドキュメント(昨年12月BS1放送)で、ある男性が報酬をもらって五輪反対デモに参加した、という事実確認のない字幕を流したことが問題になっています。

 これは「チェック体制の不備」などという技術的な問題ではありません。NHKは安倍晋三・菅義偉両政権が世論の反対を押し切って東京五輪を強行したことを一貫して後押ししてきました。そのNHKの「五輪反対デモ」への偏見が表れたものと言わねばなりません。

 こうしたNHKの体質は徹底的に追及しなければなりません。同時に、ここで考えたいのは、「五輪公式記録映画」がもつ政治性についてです。

 そもそも近代オリンピックは、「五輪憲章」に反して、開催国の思惑に利用されるきわめて政治性の強いイベントです。それは開催時だけでなく、その後の公式記録映画にも貫かれます。

 公式記録映画の政治性が最も色濃く表れたのは、ナチス・ドイツのヒトラーが国威発揚・世界制覇を狙って開催したベルリン大会(1936年)の公式記録映画、「オリンピア」です。第1部「民族の祭典」と第2部「美の祭典」の2部構成で、監督はヒトラーが直々指名した女性監督レニ・リーフェンシュタールです(写真中は「民族の祭典」の開会式場面=ユーチューブより)。

 「民族の祭典」は世界的に高い評価を受けましたが、ナチス・ドイツのポーランド侵攻による第2次世界大戦勃発(1939年)で欧州各国では上映が中止されました。しかし日本では1940年8月に公開され、爆発的な人気を呼びました。

日本における『民族の祭典』の上映開始は、世界的にみてまさに異例の事態だったのであり、日本とドイツが運命共同体的な深い絆によって結ばれていることを内外にさし示すものであった」(坂上康博著『スポーツと政治』山川出版社2001年)

 その「民族の祭典」には、リメイク、すなわち後から修正した捏造部分(棒高跳びの場面)がありました。作家の沢木耕太郎氏は、その事実を確認するため、1996年、ミュンヘンにレニ監督を訪ねました。レニ監督は、「あなたの言うとおり、棒高跳びは試合後に撮り直しました」と認めました(沢木耕太郎著『オリンピア  ナチスの森で』集英社文庫2007年)

 前回の東京五輪(1964年)の公式記録映画は、黒澤明監督に依頼しましたが、辞退されたため、市川崑氏の監督になりました(写真右=JOCのサイトより)。日本政府がレニ監督の「民族の祭典」の再現を狙ったことは想像に難くありません。しかし、市川監督はレニ監督と違い、政府(国家権力)の言いなりにはなりませんでした。

 そのことに試写会で不満をぶつけたのが、当時の自民党の重鎮・河野一郎五輪担当相でした(河野一郎は河野太郎元防衛相の祖父)。河野一郎は試写会のあと、記者団にこう言いました。

「あの映画には、いちばん大事な、日本の金メダル獲得バンザーイ、日の丸が揚がってバンザーイというシーンが、ちゃんと出てこないではないか。どうでもいい外人選手の汗やら筋肉のアップばかりで、肝心の日本の選手の活躍ぶりがすっかりおろそかになっている。じつにがっかりさせられた」(山口文憲編『やってよかった東京五輪 オリンピック熱1964』新潮文庫2020年)

 河瀨直美監督ははたしてどんな「公式記録映画」を作るのでしょうか。政府・組織委員会の意図に唯々諾々と従う国策映画なのか。それとも五輪反対の声・運動も公正な視点で取り上げる文字通りの「記録映画」なのか。河瀨監督の評価のみならず、日本の映画界にとってもきわめて重要な問題です。


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「北京五輪・外交ボイコット」を主張する前に

2021年12月18日 | 五輪と国家・政治・社会

    
 バイデン大統領が対中国戦略から北京五輪の「外交ボイコット」を決め、同盟各国がそれに追随し、岸田政権も閣僚級の派遣を取りやめる方向といわれています。 

 市民運動や少数民族に対する抑圧・弾圧が許されないことは言うまでもありません。
 しかし、そのことと北京五輪の「外交ボイコット」は別です。「五輪の外交ボイコット」には別の問題があります。

 バイデン大統領の「外交ボイコット」決定後、いち早くそれに同調し、岸田文雄政権に圧力をかけたのは、安倍晋三元首相です。
 14日には3つの超党派国会議員連盟が岸田首相に会い、「外交ボイコット」を要求しましたが、その議連の代表は、自民党の高市早苗政調会長、下村博文前政調会長、古屋圭司政調会長代行で、いずれも安倍氏にきわめて近い極右の連中です。いわば安倍氏の別動隊といえます。

 およそ「人権擁護」とは無縁の安倍氏らが「外交ボイコット」を強く要求しているのは、中国敵視の政治的思惑によるもので、それ自身「五輪の政治利用」にほかなりません。

 「外交ボイコット」を云々する前に、考えねばならないことがあります。
 それは、そもそも五輪の開会式・閉会式に閣僚など「国の代表」を送る(IOCが招待する)こと自体が五輪の政治利用だということです。

 「オリンピックの根本原則」(7項目)は、「政治的中立」「いかなる差別」の禁止などを明記していますが、その主語はすべて「スポーツ団体」であり、「国」ではありません。五輪の「根本原則」に「国」の記述はありません。言うまでもなく五輪の主催者はIOCであり、「開催国」ではありません。

 本来、五輪は「国」とは距離をとり、その影響を受けるべきではなく、国家は五輪に干渉すべきではないのです。

 しかし、開催地の国家権力は五輪を最大限政治利用してきました。その典型は、ナチス・ヒトラーが牛耳ったベルリン大会(1936年)でした。
 その後も、商業主義に堕したIOCと各国政権の共謀で、五輪の政治利用は常態化してきました。

 今回の東京五輪はどうだったでしょうか。

 2020年3月24日、東京五輪の「1年延期」が決定されました。それを決めたのは、JOCではなく、IOCのバッハ会長と直接電話会談した安倍晋三首相(当時)でした(写真中)。

 延期を決定した場に居たのは、安倍氏のほか、小池百合子都知事、森喜朗組織委会長(当時)ら政治家だけで、山下泰裕JOC会長はじめアスリートは1人もいませんでした(写真右)。まさに五輪が政治・政権に乗っ取られていることを示す象徴的な光景です。

「バッハ会長と安倍首相の電話会談で東京五輪の延期が決まったが、その席に残念ながらスポーツ関係者はいなかった。…あの時(日本がアメリカに追随して1980年のモスクワ五輪をボイコットした時―引用者)、涙を流した山下氏は今、JOC会長として、アスリートへ説明する側の立場になっていることは皮肉な巡り合わせだ。自分が出席できなかった会議で出された決定をアスリートたちにどのように説明するつもりだったのだろうか。
 政治に支配される五輪の構図は今も変わっていない」(山口香筑波大教授・JOC理事「スポーツ、五輪は、どう変わるか」、村上陽一郎編『コロナ後の世界を生きる』岩波新書2020年所収)

 「外交ボイコット」の是非を云々する前に、五輪を外交の舞台にしてきた国家による五輪の政治利用・政治支配そのものを問い直すことこそ必要なのではないでしょうか。


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パラリンピックの陰で、後退する障がい者政策

2021年09月06日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 東京パラリンピックが5日終わりました。選手たちの感動的な姿の一方、東京五輪・パラリンピックの期間中、コロナ禍は拡大しました。そして閉会式でも、「日の丸」「君が代」「皇族」「自衛隊」が四位一体で強調され、国家主義が煽られました。

 障がい者が生きやすい社会の実現という視点から見ても、パラリンピックというイベントの陰で、本来充実すべき政策が置き去りにされ、後退している実態が、大会期間中の報道でも浮き彫りになりました。

 1つは障がい者雇用です。厚生労働省の集計では、2020年度にハローワークを通じて就職した障がい者の延べ人数は、前年度から大きく減少し、8万9840人にとどまりました。減少はリーマン・ショック時の08年度以来です。

 その主な理由は、菅政権が推奨する「リモートワーク」によって、配送物の仕分けや清掃など、出社が前提となる障がい者が大量に解雇され、再就職が困難になったことです(8月27日付中国新聞)。

 菅政権と経団連など財界団体は、「リモートワーク」が感染防止の決め手であるかのように推進していますが、それによってふるい落とされる障がい者のことは念頭にあるのでしょうか。

 障がい者雇用が減少した一方、逆に増加したものがあります。障がい児がいる家庭に支給される「特別児童扶養手当」の申請却下です。

 「特別児童扶養手当」(受給者約24万人)は、申請に対し各自治体の判断医が審査しますが、厚労省の統計によると、「障害が基準より軽い」などといって却下される件数が09年度は1410件であったのが、19年度には3950件と、10年間で2・8倍に増加しました。

 申請却下とは別に、受給更新の審査で打ち切られるケースも増加傾向にあり、16年度には09年度の2倍近い3880件にのぼりました(8月30日付中国新聞)。

 NPO法人広島自閉症協会の小野塚剛理事長は、パラリンピックのアスリートたちの姿が「大きな感動を与えていることは間違いない」としながら、「ただ、障害のある家族がいる者として、さめた気持ちも同居している。一過性となりがちな特別の場での感動を、持続力ある理解や関心につなげられるのかという疑問だ」とし、こう述べています。

「「♯We The 15」に注目したい。…これは7人に1人は何らかの障害があることを示している。…差別的言動をした人はそろって「理解不足」「不勉強」と説明する。だが、本質は「無関心」にある。障害のある隣人に気付かないのである。見えていないのである。…どれだけの人が、困難に直面している人がすぐ隣にいることに気付けるか」(9月2日付中国新聞)

 政府(国家)は一過性のスポーツイベントで、障がい者政策の貧困を隠ぺいし、逆に国家主義の高揚、政権維持に政治利用しようとします。
 それを許しているのは、政府になびくメディアと、市民の「無関心」です。

 必要なのは、一過性のイベントの「感動」ではなく、障がい者を差別し、戦争や紛争で障がい者を生み出す国家に対する関心・批判を持続させることではないでしょうか。


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パラリンピックと戦争・兵士

2021年09月02日 | 五輪と国家・政治・社会

    

 パラリンピックでの障がいをもったアスリートたちの健闘は感動的です。が、それはパラリンピックの表側。パラリンピックには別の側面もあります。それは戦争との切っても切れない関係性です。

 そもそも、パラリンピック誕生のきっかけは戦争です。

 世界中で戦争が勃発していた1900年代前半、ロンドンの病院で脊髄を損傷した兵士の治療にあたっていたルードウィッヒ・グッドマン医師は、身体や心に傷を負った軍人の治療にスポーツを取り入れました。
 そして1948年のロンドン五輪開催に合わせ、病院内で「車いす患者によるアーチェリー大会」を行いました(写真左)。これがのちのパラリンピックの始まりです(「東京オリパラ組織委」HPより)。

 戦争で負傷した兵士の治療・リハビリ。それがパラリンピックの原点だったのです。

 重要なのは、パラリンピックと戦争の関係は過去の話ではないことです。

 今回出場が危ぶまれたアフガニスタンの陸上男子ホサイン・ラスリー選手(写真中の左)は、左前腕を失っていますが、それは8年前に地雷の被害に遭ったためです。

 前回、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックのとき、NHKクローズアップ現代+は、「戦場の悪夢と金メダル・兵士たちのパラリンピック」と題した番組を放送しました(2016年9月12日)。以下はその概要です。

 < パラリンピックに出場しているアメリカ選手の10人に1人は、元兵士、すなわち戦場で負傷し障がい者になった負傷兵たちである。

 例えば水泳のスナイダー選手(50m自由形で金メダル、写真右)は、戦場で間近に地雷が爆発し、全盲に。失意のスナイダー氏を救い、新たな生きる意欲を与えたのが水泳だった。彼は体中にタトゥがある。それには戦場に散った戦友たちの悔しい思いが込められている。

 アメリカだけではない。欧州、中東、アフリカの13か国の選手団に戦傷した元兵士が含まれている。

 アメリカは国家を挙げて、「負傷兵をリオ・パラリンピックへ」という運動を展開した。全米で「負傷兵のスポーツ大会」を開催し、その中から選手を育成した。

 その狙いは、「回復した兵士の姿を見せて負傷兵を奮い立たせる」(スポーツプラグラム責任者)ことである。

 さらにアメリカはパラリンピックへ向け、50億円を投じて負傷兵用のリハビリ病院を建設。その結果、「重症を負いながらも現役復帰を望む兵士が増えている」(リハビリ病棟の施設長)。負傷兵の約2割が「任務復帰」した。>

 スポーツで負傷兵の治療・リハビリを図るだけでなく、負傷兵を奮い立たせ、現役兵士への復帰を図り、再び戦場へ送り込む。それがパラリンピックにかけるアメリカの国策だというのです。

 これは5年前の報道ですが、アメリカのこうした国策が前回で終わったとは考えられません。

 そのアメリカ(米軍)と、日米軍事同盟(安保体制)によってますます従属的一体化を強めている日本(自衛隊)。「負傷兵を奮い立たせる」アメリカのパラリンピック戦略が、日本にも該当する日が来ないとは言い切れません。





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