アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「9・1朝鮮人大虐殺」の実態が不明なのはなぜか

2021年08月31日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    

 98年前の1923年9月1日、関東大震災のどさくさの中、日本政府(内務省)や新聞各紙の流言飛語(デマ)によって、多くの朝鮮人が「自警団」(写真左)などによって虐殺されました(写真右は毎年東京・墨田区で行われる「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」のもよう)。

 いったいどのくらいの人が犠牲になったのでしょうか。その詳細な実態は、いまだに明らかになっていません

 内閣府の中央防災会議の文書は「殺傷事件による犠牲者の数は掴めないが、震災による死者数の一~数パーセント」としており、それで計算すると「千~数千人」ということになります((西崎雅夫著『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』ちくま文庫2018年)。

「不十分な調査でも、6600余人の朝鮮人の死亡が確認されている」(中塚明著『これだけは知っていきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)とも言われていますが、詳細は不明です。

 西崎雅夫氏(前掲書)によれば、同じく震災時に虐殺された中国人については、詳細な調査が行われ、「中国人被害者総数は758名、うち死者は667名」という記録があります。中国人犠牲者の調査が行われたのは、一命をとりとめた被害者の一人が上海に帰国し、すぐに調査委員会を立ち上げたからです。

「だが朝鮮人は、植民地であったため、生き延びて帰国(朝鮮半島へ―引用者)した人々に発言の自由はなかった。帰国して虐殺事件を伝えた何人もの人が「治安維持令」違反で逮捕・起訴されたという記録が残っている
 こうして虐殺された人々の遺族や知人が沈黙を強いられたため、真相は闇に葬られた。遺族は今日に至るまで、肉親の消息を知ることができずにいる」(西崎氏、前掲書)

 それだけではありません。犠牲者遺族のもとには遺骨も返されていません。

「犠牲者の遺骨の行方すらわからないのは、日本政府の事件隠蔽方針のためだった。朝鮮総督府警務局が1923年12月に作成した極秘文書の中に、殺された朝鮮人の遺骨をどう「処置」すべきかの政府方針が5項目にわたって書かれている。その最後の項目には「五、起訴セラレタル事件ニシテ鮮人ニ被害アルモノハ速ニ其ノ遺骨ヲ不明ノ程度ニ始末スルコト」とある(国会図書館憲政資料室・斎藤実―当時の朝鮮総督―文書より)。虐殺犠牲者の遺族にとって、あまりにも無残な政府方針ではないか」(西崎氏、前掲書)

 虐殺直後の朝鮮総督府(写真中)の状況についてはこんな記述もあります。

 当時ソウルにいた浅川巧(1891~1931、植林、民芸紹介などで生涯朝鮮のために尽力した日本人)の日記によれば、浅川は総督府の上司に呼ばれ、こう命令されました。

「今回の東京での災害について朝鮮人の或者のとった態度(「放火」のデマー引用者)は同情の余地絶対に無い。かりそめにも同情するが如き様子があってはならん。彼等朝鮮人の反省を促すためにきびしく責めなくてはならん」

 流言飛語をもとの被害者を加害者に仕立てるものです。

 浅川は「これには同意できない」と日記にきっぱり書いています。(高崎宗司著『朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯』草風館、2002年より)

 「9・1朝鮮人大虐殺」の犠牲者数はじめ詳細がいまだに不明で、遺骨も返されていないのは、虐殺の加害の事実を隠ぺいする日本政府の一貫した方針と、自由な発言を許さない朝鮮総督府(天皇直属)による過酷な植民地支配という、日本の二重の歴史的罪の結果です。

 その罪は今も償われていません。今からでも「9・1朝鮮人大虐殺」の実態を調査し明らかにする歴史的責任が、日本にはあります。

 


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群馬・朝鮮人追悼碑を不許可とした東京高裁の不当判決

2021年08月30日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に「記憶 反省 そして友好」と日本語とハングルで刻まれた碑があります(写真左・中)。市民団体が市民の寄付で建てたものです(2004年4月24日除幕式)。ところが群馬県は設置許可の期限が切れたとし、市民団体の許可更新要求を認めず、設置を不許可としました(2014年7月22日)。

 市民団体は県の不当性を訴え、前橋地裁に提訴しました(2014年11月)。一審地裁判決(2018年2月14日)は、不十分ながら、群馬県の更新不許可を「違法」と断じました。

 これに対し、県が東京高裁に控訴していた判決が今月26日あり、高橋譲裁判長は「県の不許可処分は適法」と、市民団体の逆転敗訴を言い渡しました。

 判決は、「建立時に県と団体が話し合い、碑の文面から「強制連行」の文言を削除した経緯を踏まえ「強制連行という用語を使えば政治的行事と見なされることは、団体も認識していた」と指摘。こうした発言が繰り返された結果、碑は中立的な存在でなくなったとし「更新不許可とした群馬県知事の判断には理由がある」と結論付けた」(27日付東京新聞)のです。

 この経過・判決にはいくつもの重要な問題が含まれています。

 第1に、県は毎年碑の前で行われる追悼式で参加者が行った発言、例えば「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」(2005年の追悼式)などの発言が「政治的」だとして設置更新を不許可としたのです。これは明白な憲法(第21条「表現に自由と集会・結社の自由」)違反です。

 県は「強制連行」の用語を使わないことが設置の条件だとし、追悼式で「強制連行」の言葉が出たのはそれに反するとして不許可とし、高裁はそれを追認しました。
 しかし、設置の条件は碑文に「強制連行」の言葉を使わないことであり(これ自体不当・不法な「条件」ですが)、碑の前で行われた集会での発言まで問題視するのは明らかに不当です。

 第2に、県が削除を求めた「強制連行」は、安倍晋三前首相や菅義偉現首相ら歴史修正主義者が目の敵にしている言葉です。しかし、植民地支配下にあった朝鮮半島からの多くの「徴用工」が強制的に日本に連れてこられた、来ざるをえない状況に置かれたことは歴史的事実です(写真右は韓国の被害者たち)。
 その事実を打ち消そうとするのは、日本の植民地支配責任を隠ぺいする歴史修正主義への迎合にほかなりません。

 第3に、高裁判決が「碑は中立的な存在でなくなった」と言っていることです。歴史的事実を刻んだり、発言することが「政治的」で「中立的でない」というなら、そもそも「中立的」な碑や集会などありえません。

 高裁判決は「中立」の名で、公共の場所・施設における政治的な発言・集会を禁じるものです。これは各地の「表現の不自由展」に自治体が公共施設を貸さない口実にしている言い分と同じで、絶対に容認できません。

 第4に、上記の新聞記事などには書かれていませんが、群馬県が不許可にした背景には日本会議系の右翼ヘイト団体の圧力があったことです。県に不許可を働きかけた団体の1つは「そよ風」です。この団体は東京で毎年行われている「9・1朝鮮人大虐殺」の犠牲者追悼集会を妨害している団体です。

 群馬県議会は「そよ風」などが求める不許可請願を採択しました(2014年6月)。当時50人の県議のうち20人以上は日本会議地方議員連盟に所属していたといいます(下山順・弁護団事務局長の調査)。

 日本会議など右翼ヘイト団体が妨害し、それを口実に自治体が言論・集会の自由を抑える。それが日本の「民主主義」の実態であり、この件もその典型です。その点でもこれはけっして群馬県だけの問題ではありません。

 市民団体は当然上告の意向です。政府・自治体、司法が一体となった言論・集会の自由の圧殺、侵略戦争・植民地支配の加害責任を隠ぺいする歴史修正主義を許さない声を上げ続ける必要があります。


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日曜日記163・ワクチン帝国主義・「国境なき医師団」

2021年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

☆ワクチン帝国主義
 「もうワクチンうった?」。それが挨拶代わりになっているこのごろだ。英オックスフォード大などの集計では、世界のワクチン接種回数は8月24日の集計で累計50億回に達したという。国別では、中国がトップで約19億6千万回、次いでインド、アメリカ、ブラジルと続き、日本は約1億1800万回。

 ところが、「死亡率の高いアフリカでは大陸全体でも1億回に達していない」(25日付共同)。アフリカ56カ国すべての接種回数が日本1国分にも達していないのだ。日本の接種完了率は40%を超えているといわれているが、アフリカは平均2%だという。

 歴然とした格差だ。WHOのテドロス事務局長は「ワクチン格差は人類の恥だ」と指摘している。

 にもかかわらずアメリカはじめ「先進」諸国は、3回目の接種を始めるという。格差を解消しようともせず。経済力・政治力・軍事力の差によって、「先進」諸国がワクチンを独占する。一方で「途上国」は健康と命の危機にさらされる。

 これは現代における帝国主義の表れではないか。

 そして日本人である私は、2回目の接種が終わって胸をなでおろし、3回目はいつごろになるのだろうかと懸念する。アフリカや貧国の人たちの苦境がどれだけ脳裏にあるだろうか。

☆「国境なき医師団」―「一番怖いのは?」
 「国境なき医師団」(MSF)のオンライン講座が26日夜あった。看護師の吉田文さんが現在活動している南スーダンの現状を報告した。アフリカの中で「最も新しい独立国」(2010年独立)であり、最貧国の1つだ。

 人口の約3分の1の380万人が避難民という。コロナ対策以前に、子どもに各種の予防接種ができない。コレラも蔓延。ヘビにかまれてもすぐに治療できず落命する。近くに医療施設がない。生活環境は劣悪を極める。にもかかわらず政府支出に占める医療関連予算の割合は2%にすぎない。聞きしに勝る状況だ。

 政情不安定な中、医療施設・団体に対する攻撃が強まっているという。MSFに対しても武力攻撃が行われ、吉田さん自身も命の危険にさらされたことがあるという。
 そんな中で、文字通り命がけで献身的活動を続けている吉田さんたちMSFの皆さんにはほんとうに頭が下がる。もちろん、これは南スーダンだけではない。

 吉田さんは講演の最後にこう言った。

「戦争、紛争、感染症などいろいろあるけれど、一番怖いのは、無関心です。日本は世界のことがほとんど報道されていない。知らないことが多すぎます。世界で起こっていることにもっと関心をもってください」

 胸に突き刺さる言葉だった。


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韓米合同軍事演習と日本

2021年08月28日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

   

 米軍と韓国軍の合同軍事演習が16日から26日まで行われました(事前演習は10~13日)。日本では大きく報じられることもなく、関心をもつ人も多くないと思われますが、実は日本・日本人にとってもたいへん重要な問題です。

 アメリカによる韓米合同軍事演習の強行は、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との合意に反する露骨な挑発行為です。

 アメリカのソン・キム北朝鮮担当特別代表は23日、韓国を訪れ、記者会見で「防御のための訓練だ。米国は北朝鮮に敵対的な意図を持っていない」と述べました(24日付共同、写真中の左)。これは相手に銃口を向けながら握手を求めるに等しい、侵略者の言い分です。

 一方、朝鮮は1日、キム・ヨジョン(金与正)副部長の10日の談話で、「わが国を力で圧殺しようとする米国の対朝鮮敵視政策の最も集中的な表現」(11日付ハンギョレ新聞電子版)だと批判しました。

 朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長とアメリカのトランプ大統領(当時)は2018年6月12日、シンガポールで初めて会談し、「共同声明」を発表しました(写真右)。その際、トランプ氏は記者会見でこう述べました。

北朝鮮と対話継続中は米韓合同軍事演習を中止する。米韓演習は挑発的だ」(2018年6月13日付共同)

 韓米合同軍事演習がこの大統領の言明に反していることは明白です。朝鮮の批判は当然です。

 問題は日本です。

 岸信夫防衛相は、「米韓の共同演習は朝鮮半島の平和と安定に資するためのものと考えている」(10日の記者会見)と、米国の言い分そのままに合同演習に賛意を示しました。

 日本のメディアも、「北朝鮮は…演習に反発して対抗措置を警告していたが、期間中に目立った対応を取らなかった」(27日付共同)など、相変わらず朝鮮敵視を煽る報道に終始しています。

 こうした日本の政府、メディアの姿勢は、根本的に間違っています。

 第1に、アメリカの対朝鮮敵視政策の根源は朝鮮戦争(1950年6月25日勃発)です。その朝鮮戦争は、休戦協定(1953年7月27日)が結ばれているだけで、まだ終結していません。朝鮮戦争の元凶は日本の植民地支配であり、また日本は朝鮮戦争自体にもアメリカに様々な形で加担しました。さらに、「朝鮮戦争特需」で今日の日本経済の土台がつくられました。日本は朝鮮戦争、朝鮮半島の分断に直接責任があるのです。これは「知らない」ではすまされない歴史の事実です。

 第2に、韓米合同演習は韓米軍事同盟にもとづくものですが、それはアメリカを鎹(かすがい)として日米軍事同盟(安保体制)と結びついています。韓米合同演習は日米韓軍事一体化体制の一環といえます。

 朝鮮のキム・ヨジョン副部長は10日の談話でこう言っています。

「米軍が南朝鮮に駐屯している限り、朝鮮半島情勢を周期的に悪化させる禍根は絶対に除去されないだろう。…朝鮮半島に平和を宿らせようと思うなら、米国が南朝鮮に展開している侵略武力と戦争装備をまず撤去すべきだ」(11日付ハンギョレ新聞電子版)

 その通りです。朝鮮半島の平和のためには半島から米軍を撤退させる必要があります。それは、日米安保条約を廃棄して在日米軍を日本から一掃する課題と密接に関連しています。その責任があるのは、私たち日本人です。

 


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パラ・オリ選手団のユニフォーム統一は何を意味するか

2021年08月26日 | 「日の丸」「君が代」「天皇制」

    

 24日夜行われた東京パラリンピックの開会式。選手団の最後に入場した日本選手団には、これまでのパラリンピックにない変化がありました。
 それは、「赤と白のユニフォーム、今回初めてオリンピックと統一した」(中継のNHKアナウンサー)ことです。

 写真左が今回のパラ選手団のユニフォーム。写真中は東京五輪開会式における日本選手団。まさしく統一(同一化)されています。ちなみに、5年前のリオデジャネイロ・パラリンピックにおける日本選手団のユニフォームは写真右で、下はグレーです。リオ五輪の日本選手団のユニフォームは上が赤、下が白で、今回と反対ですが、「赤と白」は同じです。

 これまで五輪選手団のユニフォームは「赤と白」で一貫していたのに対し、パラ選手団のそれは必ずしも「赤と白」ではなかったものを、今回初めて五輪に合わせてパラ選手団も「赤と白」のユニフォームにした、というわけです。

 パラ開会式では、「個性」「多様性」が強調されました。ユニフォームの統一はそれに反します。この一事をもってしても、日本政府・組織委が口にする「多様性」がいかにまやかしかが分かります。ではなぜ、あえて統一したのでしょうか。

 組織委員会の説明は報道されていませんが、その意図は、ユニフォームの「赤と白」が何を意味しているかを想起すれば明らかでしょう。

赤と白のユニフォームのコンセプトは、“日本をまとう”です」(7月23日五輪開会式のNHK中継アナウンサー)
「赤と白のユニフォーム」は「日の丸」を表しているのです。

 「日の丸」は「君が代」とともに国家主義の象徴であり、侵略戦争・植民地支配・天皇制の象徴です。その「日の丸」を、五輪選手だけでなく、パラアスリートたちにも身に着けさせる。それが今回の「統一」の意図であることは明白です。パラリンピックをいっそうナショナリズムに取り込むものであり、けっして軽視できません。

 東京五輪では開会式から競技会場、閉会式まで、「日の丸」「君が代」「自衛隊」が強調されました。パラリンピックでもそれが継続されています。

 オリ・パラの選手や視聴者の中で「日の丸」「君が代」「自衛隊」を意識する人は多くないかもしれません。しかし、両大会を通じて、無意識のうちに「日の丸」「君が代」「自衛隊」に対する親和性が醸成されていきます。それが問題であり、そこに国家権力の狙いがあります。

 「日の丸」「君が代」「自衛隊」に対する親和性は、日本の侵略戦争・植民地支配の加害責任の忘却、天皇制への同化、そして新たな戦争体制の醸成につながることを銘記する必要があります。


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NHK「在日差別ツイート」の核心を見逃した広島弁護士会

2021年08月24日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 NHK広島のツイート企画「1945ひろしまタイムライン」(2020年)が、在日コリアンに対する差別を助長した問題(2020年8月25日、26日、9月12日、10月5日のブログ参照)で、在日本朝鮮人総連合会広島県本部は「投稿は在日朝鮮人らに恐怖と精神的苦痛を与える」として広島弁護士会に人権救済を申し立てていましたが(2020年10月23日)、同弁護士会(池上忍会長)が今月18日、ツイートの差別性を認定し、NHK広島に「要望書」を提出しました。

 弁護士会がNHKの差別性を認定した意味は小さくありません。NHKの責任が改めて問われます。
 しかし、その「要望書」は、この問題の重要な核心を捨象したきわめて不十分なものと言わざるをえません。

 「ひろしまタイムライン」は、敗戦直後のもようをツイートで描写するという企画。この中で、当時13歳の少年の「日記」をもとにしたとして、「朝鮮人だ!戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」などとツイートしました。

 広島弁護士会の「要望書」は、このツイートによって「在日朝鮮人を誹謗中傷する内容のツイート等が多数発信された」事実を確認。日本国憲法、ヘイトスピーチ解消法、人種差別撤廃条約、自由権規約に照らし、「本件投稿は、放送事業者の対応として極めて不適切といえ、結果として在日朝鮮人に対する不当な差別的言動を誘発、助長したものと認められる」とし、「今後、SNS等を含むいかなる媒体においても、その発信により差別助長の効果が生じることのないよう発信方法等に十分配慮するよう要望する」としています(広島弁護士会HP=写真右より)。

 問題発覚後、NHKの前田晃伸会長は、「リスクチェックが甘かった」と言いながら差別性を認めようとしませんでした(2020年9月10日の会見)。これがNHK広島だけの問題でないことは明らかです。

 広島弁護士会の「要望書」は、朝鮮総連の申し立てから10カ月後にやっと出されました。このこと自体、迅速さが求められる人権救済において、問題と言わざるをえません。

 「要望書」は、NHK広島には「差別をことさら助長する意図」はなく、「投稿それ自体によって、朝鮮半島出身者の人格権が直接侵害されたとまでは認定しがたい」とし、結果責任だけを問題にしています。

 しかし今回のツイートは、たんに当時の「日記」をもとにしたものではなく、発信者・新井俊一郎氏との協議の上で、NHKが「創作」したものです(2020年9月6日付朝日新聞)。「投稿それ自体によって、朝鮮半島出身者の人格権が直接侵害された」ことは明らかです。
 この事実を免罪しているため、「要望書」は「発信方法等に十分配慮するよう要望する」というきわめて不十分なものにとどまっています。

 申し立てを行った朝鮮総連が要求したのは、①差別発言を含むすべての投稿の削除②在日朝鮮人及び朝鮮半島をルーツとする人への謝罪③差別投稿の経緯の説明および再発防止のための社内教育や監視体制の強化―の3点をNHKに勧告することです。

 この3点が重要なのは、朝鮮総連の要求だからではなく、それが差別・人権侵害に対する救済・再発防止の基本だからです。

 しかしNHKは、今回の問題についての市民(団体)の抗議に対して、一貫して被害者への「謝罪」と「削除」を拒否してきました。ここにNHKの無反省・確信犯性が典型的に示されています。

 「要望書」が、不十分ながらも「結果として在日朝鮮人に対する不当な差別的言動を誘発、助長したものと認められる」と認定した以上、当然、「謝罪」と「削除」(アーカイブからの)を要求(勧告)すべきです。それを欠落させたことは、弁護士会としての重大な欠陥と言わざるをえません。

 


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日本社会が問われている「DaiGoヘイト」

2021年08月23日 | ヘイトスピーチ・ヘイトクライム

    

 「メンタリスト」(意味不明!)のDaiGoなる人物は、見たこともなければ、名前を聞いたこともありませんでした。その彼がとんでもない差別発言を行ったことはニュースで知りましたが、まともに批判する気にもなりませんでした。

 しかし、それはやっぱりよくない、きっちり批判しなければならないと思い直しました。そう気づかせてくれたのは、稲葉剛氏(生活困窮者支援「つくろい東京ファンド」代表理事、写真中)のインタビュー記事(17日朝日新聞デジタル)でした。

 DaiGo氏は8月7日公開の動画でこう言ったといいます。「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めているんじゃない。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい。生活保護の人が生きていても僕は別に得をしないけど、猫は生きていれば得なんで」「自分にとって必要のない命は、僕にとっては軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい」…(写真左、同朝日新聞デジタルより)。

 典型的かつ古典的な「優生思想」であり、生活保護攻撃です。きわめて悪質なヘイトスピーチであることは明白です。彼は「著名なテレビタレント」で「ユーチューブのチャンネル登録者数は250万人に及ぶインフルエンサー」なのだそうです。稲葉氏は、「若い世代への悪影響は計り知れない」と警鐘を鳴らしています。

 稲葉氏は、「インフルエンサーの芸能人だけでなく、国会議員や大学教員など、社会に大きな影響力を持つ人が人の命の価値を否定するような発言をした場合『一発アウト』、その職を続けるべきではないと私は考えています。そういう対応を社会が積み重ねていかない限り、また同じような差別や先導が繰り返され、いつか暴力が誘発され、社会が壊される事態になってしまう」と述べています。まったく同感です。

 続けて稲葉氏はこう述べています。

「ただ、本当に重要なのは、DaiGo氏が今後どうするかということよりも、こうした問題に社会がどう向き合うか、だと思います

 稲葉氏ら生活困窮者支援をおこなっている4団体は、この問題で「緊急声明」(8月14日)を出しました。そこで5項目の要求をあげ、5番目にこう主張しています。

私たち市民は、今回のDaiGo氏の発言を含め、今後ともこのような発言は許されないことを共に確認し、これを許さない姿勢を示し続けること

 稲葉氏や「緊急声明」が最も強調しているのは、DaiGo氏個人の問題ではなく、そのヘイトスピーチ・差別発言を受け止める社会の問題、それを絶対許さないという日本社会の姿勢です。

 差別を傍観することは差別に加担するに等しい。それは自明のことと頭では分かっているつもりでしたが、「批判する気にもならない」と黙っていることは、結局、差別を傍観していることになると思い直しました。

 差別の現場に立ち合ったときの「アクティブ・バイスタンダー(Active Bystander)」の役割について考えましたが(8月8日のブログ)、それは至近距離での立ち合いだけでなく、社会の一員として、日本の中で、あるいは世界で起こったヘイトスピーチ・差別に対してどういう姿勢をとるかの問題であることを、あらためて胸に刻みたいと思います。


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日曜日記162・NHK「バリバラ2.4時間TV生放送」異聞

2021年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

  22日午前0時から2時20分まで、Eテレで「バリバラ2・4時間TV生放送 誰ひとりとり残されないSDGs」があった。レギュラー番組「バリバラ」(バリアフリー・バラエティ)のスペシャル版だ(写真)。

 この日取り上げた問題は、障がい者差別、アイヌ民族差別、入管行政(「不法」滞在外国人差別)の3テーマ。どれも深刻で重要な問題だ。ここではそれらの問題は書ききれないので、2つの違った視点から感想を述べたい。

 1つは、ゲストに大阪市立木川南小学校の久保敬校長が出演したことだ(写真右)。

 「障がい者差別問題」のコーナーで、レギュラーコメンテーターの玉木幸則氏(脳性まひ、写真左の左)が小学校で1日担任になり、子どもたちと遊び、語り合う企画があった。その小学校が木川南小で、久保校長が校門で玉木氏を出迎えるところから実践が始まった。

 久保敬校長といえば、「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」と題した「大阪市教育行政への提言」(5月17日)を松井一郎市長に提出し、松井氏の反発をかった校長だ。

 久保校長の提言は、「子どもたちの未来に明るい光を見いだしたい」との切なる願いから、大阪市の教育行政を「子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題」として考え、提言した素晴らしいものだ。松井氏はそれに怒り、不当にも久保校長を「文書訓告」処分にした(8月20日)。

 その久保校長が、「バリバラ」で元気な姿を見せた。バリバラの企画に賛同して子どもたちに「障がい者問題」を考える貴重な機会をつくった。なるほど、この校長なら、と思った。松井市長との経過を知っていたであろうバリバラのスタッフにも拍手を送りたい。

 もう1つは、素晴らしいこの番組(特別版)が、なぜ真夜中の放送なのか、ということだ。

 貴重な番組だったが、この時間にいったい何人の人が見ただろう。これはもちろん番組スタッフの問題ではなく、こういう番組編成をしたNHK上層部の責任だ。

 折からの「パラリンピック放送」との違いを思わずにはいられない。もうすぐNHKはレギュラー番組もすっ飛ばして「パラ五輪放送」に終始する。「障がい者スポーツの意義」を口にしながら、同じく「障がい者」の権利をメーンテーマとする「バリバラ」のこの冷遇はいったいどういうことだ。

 ともあれ、「バリバラ」は、NHKにいくつかある貴重な番組の1つだ。これからも学ばせていただきたい。レギュラー番組は毎週木曜夜8時~8時半、Eテレで放送されている。


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「韓国併合」と日本の社会

2021年08月21日 | 日本人の社会認識・歴史認識

    

 8月22日は、111年前の1910年、明治天皇制政府が朝鮮半島を名実ともに植民地化する「韓国併合条約」の調印を武力支配の下で強行した日です(公布は同8月29日)。

 同条約は「明治維新」直後からの朝鮮半島侵略・植民地化の総仕上げで、そこに至るまでに日本政府は様々な無法・暴挙を行ってきました。主なものを挙げてみます。

1875・9 江華島事件(軍艦「雲揚」による一方的攻撃)
1876・2 日朝修好条規調印(治外法権など不平等条約)
1894・7 甲午(カボ)政変(日本軍による王宮占拠)
 同・8 日清戦争(朝鮮半島の支配めぐり清に宣戦布告)
1895・4 日清講和条約(下関条約)調印
 同・10 乙未(ウルミ)事変(公使・三浦梧楼を首謀とする閔妃=明成皇后暗殺)
1904・2 日露戦争(朝鮮半島支配をめぐりロシアに宣戦布告)
     日韓議定書調印(系統的内政干渉の法的裏付け)
1905・9 日露講和条約(ポーツマス条約)調印
 同・11 乙巳(ウルサあるいはイッシ)保護条約(第2次日韓協約)(伊藤博文による暴力的保護国化)
 同・12 統監府設置。伊藤が初代統監=「武断統治」
1910・8 「韓国併合条約」(「大韓帝国を地上から消滅させ、形式上も完全な植民地にしてしまった」梶村秀樹氏『朝鮮史』講談社現代新書1977年)

 こうした明治政府の暴挙を後押ししたのが、日本の社会(新聞、「識者」、市民)だったことを銘記する必要があります。

 閔妃暗殺の首謀者・三浦梧楼は広島で裁判にかけられましたが「無罪」放免(後に枢密顧問官)。監獄から出てきた三浦は、「沿道到る処、多人数群して、万歳万歳の声を浴びせ掛け(られた)」(暗殺事件被告の一人の手記=海野福寿著『韓国併合』岩波新書1995年より)といいます。

「この間(「日韓併合」に至る過程で)、日本国民の大多数は、支配者のおごりにすっかり染まってしまい、日本が世界の一等国になったといって旗行列し、国を失って悲しみに沈む朝鮮人を、あからさまに侮蔑する状態であった」(梶村秀樹氏前掲書)

「併合直後の1910年8~10月の『東京朝日』『大阪朝日』『東京日日』『読売』『万潮報』の有力新聞社説と総合誌『太陽』『中央公論』『日本及日本人』掲載の論説を分析した姜東鎮氏の研究によると、すべての社説・論説が日本の韓国併合を美化し、こじつけの論理で正当化しているという」(海野福寿氏前掲書)

「自由主義者・植民政策学者として令名高く、現在(注・当時)の五千円札の肖像にもなっている新渡戸稲造でさえ例外ではなかった。1910年9月13日…校長演説でつぎのように述べた…「忘れることの出来ないのは朝鮮併合の事である。之は実に文字通り千載一遇である」」(海野福寿氏前掲書)

 こうした日本社会の状況は、けっして過去の話ではありません。

 朝鮮侵略・植民地化の主犯・伊藤博文、朝鮮を蔑視し侵略を鼓舞した福沢諭吉、上記の新渡戸稲造はいずれも日本紙幣の顔となりました。そして、伊藤と組んで経済的に朝鮮植民地化をリードした渋沢栄一(写真左)が、福沢に代わって1万円札の顔になることが決まり、渋沢を美化する大河ドラマが公共放送(NHK)の看板番組になり、渋沢本が書店にあふれている。これは日本の社会が111年前と本質的に変わっていないことを象徴的に示しているのではないでしょうか。


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菅首相・小池都知事に賛辞送った天皇徳仁

2021年08月19日 | 天皇制と政治・社会

    

 菅義偉首相は9日の長崎での記者会見で、開催を強行した東京五輪について、「無事終えることができた」「素晴らしい大会になった」と自画自賛しました。

 また、小池百合子都知事は13日の記者会見で、東京五輪が「感染拡大の抑止につながった」と強弁。その前日(12日)に、都のモニタリング会議で国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏が、「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まり応援する姿が見られた」と指摘したのに対し、「印象論でおっしゃっている。こちらは人数がどうだったか確認している」(13日付朝日新聞デジタル)と“反論”しました。

 大曲氏は都のコロナ対策専門家会議の中心メンバーです。その発言を都知事が会見で否定するのですから、都のコロナ対策が迷走するのも無理はありません。専門家の指摘を「印象論」と一蹴するのは、小池氏の強権体質をはっきり示すものです。

 この小池発言には都の幹部からも、「都合のいいことだけ専門家の意見を聴いて、それ以外は切り捨てる姿はリーダーとしての見識が問われる。五輪効果によって人出が減ったとする発言も、市民感覚から乖離している」(16日付朝日新聞デジタル)との声が出ています。当然でしょう。

 菅氏や小池氏が今後も、東京五輪とコロナ感染拡大の関係を否定し、逆に「東京五輪成功」論を振りまいて責任逃れを図るのは必至です。とくに菅氏は、きたる総選挙でそれを前面に出してくるでしょう。
 東京五輪の評価は重要な政治的争点になっているのです。

 そんな中、注目されたのが天皇徳仁の意向表明です。

「宮内庁は12日、天皇陛下が新型コロナウイルス禍での東京五輪の開催に尽力した関係者に対し、敬意を表し、その労をねぎらう気持ちを持たれていると明らかにした」(13日付中国新聞など=共同)

 たんに「労をねぎらう」のではなく「敬意を表」する。これは明らかに菅首相や小池都知事に対する賛辞です。評価が分かれ政治的争点になっている東京五輪開催について、天皇が政権を評価する意向を示したのは、天皇の政治的発言と言わざるをえず、きわめて重大です。

 徳仁天皇は五輪開会前、自分が「名誉総裁」になっている大会が「感染拡大につながらないか懸念している」との意向を西村泰彦宮内庁長官を通じて示していました(6月24日)。結果は「懸念」通り、東京五輪は感染拡大を助長しました。
 にもかかわらず、大会が終われば菅氏や小池氏に賛辞を送る。まったくご都合主義と言わざるをえません。

 今回の天皇の菅氏や小池氏に対する賛辞は、天皇が結局、政権・国家権力と一体であり、政権に都合のいいように政治利用されるものだという「象徴天皇制」の本質を露呈したものといえるでしょう。

 そしてさらに問題なのは、こうした天皇の言動に対し、日本のメディア(いわゆる「民主的メディア・識者」を含め)はけっして批判しないということです。「菊(天皇・皇室)タブー」が日本社会全体を覆っていることです。
 天皇(制)を批判しない「菊タブー」は、結局、政権・国家権力への追随につながることを銘記する必要があります。

 


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