昨年12月に発生していながら今年6月の報道まで日本政府から沖縄県に連絡さえなかった米空軍兵(嘉手納基地所属)による少女誘拐暴行事件。第2回公判が23日那覇地裁であり、被害者少女が渾身の証言をしました。
絶えることのない沖縄米軍による性暴力事件。問題の根源は何なのか。2人の識者のインタビューであらためて考えます。
1人は一橋大学客員研究員の平井和子さん(女性史・ジェンダー史)です(以下抜粋)。
<いま沖縄で起きている問題は、日米合作による加害行為だと思います。日本政府は住民を守ることよりも、日米軍事同盟を優先し、性暴力加害に加担しているのではないでしょうか。
2006年、全国女性史研究の集いで、占領期の軍隊と性暴力について報告した時のことです。終了後、沖縄から参加されていた女性が手をあげて「本土の女性はいいですね。歴史として語れるから。沖縄では今でも日常風景です」と感想を述べられた。今もその言葉が胸に突き刺さっています。沖縄では歴史になっていない。今回の問題を通じ、今も沖縄は米国の「占領下」にあるのだと感じました。
軍事組織は性暴力と切っても切れない存在です。
なぜ沖縄では女性への性暴力が相次ぎ、そうした状況が放置されているのか。今も日本の「安全保障」が女性の犠牲の上に成り立っているのだとすれば、何のための安全保障なのでしょうか。それをいま日本人全員が突きつけられているのだと思います。>(23日付朝日新聞デジタル)
もう1人は、琉球大学教授の阿部小涼さん(社会運動論・国際社会学)です(以下抜粋)。
<今回の事態を受けて国際人権法研究者の阿部藹(あい)さんがいち早く類比したのが、「フェミサイド」の事例でした。殺害の動機に女性性への嫌悪があることを言い当てたこの概念は、ラテンアメリカの女性たちの抗議運動のなかで精緻化されたものです。レイシズム(人種差別)と植民地主義とが重層化したグローバルサウス(新興国・途上国)で、もっとも弱い立場におかれた先住人民女性の身に起こる出来事として受けとめ、戦いとってきた概念なのです。
日米合作の軍事植民地主義の発露は、2016年の米軍ヘリパッド建設で反対する沖縄の住民を制圧するため全国から警察を大量動員した前例がすでにあります。このとき大阪府警の機動隊員が住民に向けて発した「土人」という暴言とともに想起しなければなりません。米兵による性犯罪を放置するのも、このような日本政府の行為の延長線上にある、入植者による先住人民への抑圧そのものです。繰り返される性暴力はそうした状況下で起きる「フェミサイド」の形態だと受けとめています。
性暴力として極限化されるミソジニー(女性性への嫌悪)が軍事技術として作戦に用いられることは、戦時性暴力の用語で国際的に了解されています。それが戦場ではなくむしろ平時に浸潤する軍事主義の問題であるとの踏み込んだ理解は、沖縄の女性運動が国際社会に対して明らかにしてきたことです。
外務省がどんなにふたをしようとも、グローバルサウスの女性たちに連帯する沖縄は、軍隊が主催する「フォーラム」や住民との意見交換会の演出ではなく、在日米軍の撤去・軍事主義の廃絶を求めています。>(23日付朝日新聞デジタル)
沖縄では「占領期の軍隊と性暴力」が「平時に浸潤」している、沖縄は今も「占領下」なのです。その根源は、「住民を守ることよりも日米軍事同盟を優先し性暴力加害に加担」している「日米合作の軍事植民地主義」です。
「在日米軍の撤去・軍事主義の廃絶」でこの「日米合作の軍事植民地主義」を打ち破らなければなりません。そのためには日米軍事同盟=安保条約の廃棄が絶対不可欠です。(写真左は24日付琉球新報、写真中・右は8月10日の沖縄県民集会)