菅義偉首相が日本学術会議の推薦した会員候補6人を任命しなかった問題は、たんなる「学問・表現の自由侵害」あるいは「学術会議への介入」ではありません。それは「介入」というより抜本的変質を狙った「攻撃」であり、日米軍事同盟(安保条約)によって安倍政権がすすめてきた対米従属の軍備強化・軍事国家化路線の一環です。
今回の問題の出発点は、5年前の戦争法(安保関連法)といえるでしょう。任命が拒否された6人は、戦争法、あるいは関連の「機密保護法」「共謀罪」への反対を表明してきた学者たちばかりです。
2012年12月政権に返り咲いた安倍晋三氏は、翌13年12月「機密保護法」、14年4月「防衛装備移転(武器輸出)3原則」閣議決定、同7月「集団的自衛権容認」閣議決定と軍事国家路線を突き進み、15年9月戦争法へ行きつきました。
これと並行して、安倍政権は学問・研究の軍事化を図ってきました。
2013年12月「国家安全保障戦略」を閣議決定し、「安全保障分野における産官学の結集」を強調。2015年10月防衛整備庁を設置し、その管轄下に軍事関連の研究助成制度を開始しました。
安倍政権の学術会議攻撃が表面化したのは、防衛整備庁設置の翌年、2016年でした。
「70歳の定年を迎える会員の補充を決める際に、選考段階で名前が挙がっていた2人に官邸側が難色を示した」(4日付共同配信)のです。「このころの学術会議は、軍事研究につながるとの懸念が強かった防衛省の研究助成制度をめぐり活発な議論を行っていた真っ最中」(同)だったからです。
東京大学が戦後タブーとしてきた軍事研究の「一部解禁」を決めた(2015年1月)こともあり、学術会議は激しい議論の末、「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年3月24日、写真左)を発表しました。それはこういう内容でした。
「日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。
近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。
しかるに、軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。(中略)
むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である(後略)」(改行は引用者)
安倍軍事国家路線に対する明確な批判・対峙です。学者・研究者の良心、責任感が軍事研究を拒否し、日本学術会議の変質・形骸化を食い止めたといえるでしょう。
安倍政権が日本学術会議法第7条第2項の「総理大臣の任命」を形式的任命から実質的任命に勝手に政府見解を変えたのは、この声明が出された翌年、2018年11月のことです。
かつて、滝沢幸辰京大教授弾圧事件(滝川事件、1933年3月)、美濃部達吉東大教授の「天皇機関説」批判(1935年)が、本格的中国侵略(1937年)の予兆であったように、今回の安倍・菅政権による日本学術会議攻撃は、日本が日米軍事同盟(安保条約)によって本格的な軍事国家に突き進んでいく象徴的事件です。絶対に阻止しなければなりません。