アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

広島サミットを「ロシア集中攻撃」の場にしてはならない

2023年02月28日 | 国家と戦争
   

 ロシアのウクライナ侵攻から1年の24日、岸田文雄首相は記者会見で、G 7広島サミットについて、「ロシアの侵略を止めるため、G7の結束を確認する重要な機会」だと述べました。サミットにはウクライナのゼレンスキー大統領もオンラインで「招待」される可能性があります。

 G7 広島サミットが、「西側」諸国によるロシアに対する集中攻撃の場になることは必至です。メディアもそれと一体化します。
 「それは戦争を止めることにならない」、「(そうなるなら)広島でやってほしくない」という声が、広島の識者から上がっています。

 元広島市長でジャーナリストの平岡敬氏(95)は、20日の広島ローカルニュースのインタビューでこう述べました(写真左)。

「広島での会議がウクライナ支援一色になってロシアを非難する、戦争を続けるために結束しよう、というのであれば広島でやってほしくない。広島でやるべきじゃない。一方の味方をして相手を非難するというのは戦争を決して止めることにはならないからだ。…平和への道を結束してみんなで探ってもらいたい」

 ロシアの軍事侵攻が許されないことは言うまでもありません。いかなる理由があろうと、軍事行動は否定します。しかし、一方的にロシアだけの責任を追及することではウクライナ危機・戦争の実相には迫れません。武器供与をエスカレートさせて「徹底抗戦」を煽ることは、戦争を長期化させるだけです。

 見過ごせない重大問題は、このG’7広島サミットに、高校生はじめ青少年が巻き込まれていることです(11日のブログ参照)。

 高校生たちが広島サミットに興味を持ち関わろうとしているのは、「核兵器廃絶」を広島から発信したいという純粋な気持ちでしょう。その思いは尊重されるべきです。

 しかし、G7 サミットの正体・本質はアメリカ主導の軍事同盟国家群であり、広島サミットは「核抑止力」論の強調はもちろん、ロシア非難、日本の大軍拡アピールの舞台です。高校生らの願いとはまったく逆行する政治的思惑の場です。

 その政治戦略舞台に高校生ら青少年をはじめとする市民を巻き込み、自分たちの陣営の一員であるかのように政治利用することは、絶対に許されません。

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「2・24」各紙「社説」にみるメディアの致命的欠陥

2023年02月27日 | 国家と戦争
   

 ロシアのウクライナ侵攻から1年の24日、日本の新聞は共通してこの問題を社説で取り上げました。そこには多少の違いはあるものの共通する致命的な欠陥がありました(取り上げるのは「朝日」「毎日」「東京」「琉球新報」「沖縄タイムス」)。

 ロシアの軍事侵攻の不法・不当性を批判し、撤退を要求していることは共通しており、それ自体は妥当です。しかし、早期停戦を正面から主張しているものはほとんどありません。

 「朝日」は「「法の支配」で国連加盟国が結集」すること、「毎日」(23日付)は、「国際社会は協調し対露外交圧力を強めるべきだ」とし、「東京」は「西側は和平交渉につなげるための外交努力も忘れてはならない」(「も」とは軍事支援を肯定した上で)など、いずれも「外交努力」を挙げていますが、その特徴はウクライナ・米欧側に立っていることです。
そんな中で目を引いたのは琉球新報です。

「ウクライナ政府にとって侵略された国土の一部を取り戻すことが譲れない目標であることは十分に理解できる。だが、ロシアとの戦争を継続するための各国の軍事支援は、終わりの見えない戦争をさらに長引かせてしまう。…一刻も早く戦闘を止めるための努力と協調こそが国際社会に求められる」

 国際社会はどこへ向かうべきか。「毎日」は「日米欧は中印に対し、(対露)制裁に加わるよう説得を重ねる必要がある」、「東京」は「(中国がロシアへの)武器供与に踏み出せば…国際社会の危機が高まる。…中国はその危険性をわきまえてほしい」と、完全に米欧側の代弁です。
 注目されたのは「朝日」です。

もはや特定の大国に紛争解決や平和維持を委ねる時代ではない。政治体制も統治理念も様々な国からなる国際社会が、全体として責任を持つ集団安全保障を模索すべきだ。ただし、バイデン大統領が説く「民主主義対専制主義」といった対立軸では、かえって世界の分断を深める恐れがある」

 「集団的安全保障を模索すべきだ」という主張は正当です。ただし、その問題を考える上で最も重要な点に「朝日」は触れていません。「朝日」以外のすべての新聞にも共通する最大の欠陥です。

 それは、国際協調・平和のカギを握る「集団的安全保障」に反するのが「集団的自衛権」の考えであり、それを具体化したのが軍事同盟体制だということです。
 そして、世界大戦の教訓から「集団的安全保障」の機運が高まりかけたとき、それを踏みにじったのがアメリカが覇権主義に基づいて主導したNATO(北大西洋条約機構)だということです。そして、そのNATOの「東方拡大戦略」こそが、ウクライナ戦争の底流だということです(16日のブログ参照)。
 そのアメリカ覇権主義による軍事同盟体制の東アジア版が、日米安保条約にほかなりません。

 5紙の社説で、アメリカの軍事同盟体制、NATOの東方拡大戦略に触れたものは1紙もありません。それどころか、「NATO」の文字すらまったく見られません。これは驚くべきことで、きわめて象徴的な共通点といえます。

 ここに米欧側に立ってロシアを一方的に非難するメディアの偏向がはっきり表れています。軍事同盟体制への批判的視点をもたない限り、ウクライナ戦争の「早期停戦」は見えてきません。

 

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日曜日記238・残りの人生をどう生きるか―京都への移住

2023年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 あす2月27日から京都へ移ります。

 母の介護のために福山に来て9年になりました。母が昨年他界し、これから残りの人生をどう生きるか考えた結果です。

 京都には学生時代に6年間住み、愛着がありますが、それだけではありません。京都で勉強し直したいと思うことが2つあります。

 1つは、朝鮮半島に対する侵略・植民地支配、在日朝鮮人に対する差別の加害の歴史と責任です。

 学生時代に部落問題研究会で部落差別の問題を学びましたが、在日差別は密接に関係しています。学び直しです。放火事件が起こったウトロ(宇治市)も京都にあります。

 もう1つは、宗教です。宗教は本来、「平和と人権」を守るはずですが、現実はそうなっていません。むしろ逆です。仏教などが帝国日本の侵略戦争に協力・加担した負の歴史もあります。統一教会問題で「宗教」へのマイナスイメージが助長されています。

 宗教は本来そういうものではないはずです。宗教の在り方、とりわけ宗教多元主義の可能性を探求したいと思います。

 宗教を学びたい理由がもう1つあります。それは自分の死の恐怖を克服することです。一昨年9月手術した大腸がんはいつ再発するかわかりません。

 この歳で住み慣れた地を離れ、友人たちと別れることには逡巡があります。引っ越しも苦痛です。しかし、ウクライナ戦争をはじめとする内外情勢の中で自分は何をすべきか、とりわけ残りの時間がそう長くないなら、それをどこで、何をして使うか―それを考えた末の選択です。

 もちろん、天皇制問題、沖縄に対する差別問題はこれからも考え続ける重要課題です。「国家」から脱却する社会づくりも新たな課題です。

 今より少しでもいい世の中にするための道筋を考え続けたい。自分を鼓舞しているのはその思いだけです。

転居によるネット環境の変化で、もしかして数日、ブログをいつも通り更新できないかもしれません。その場合はお許しください。今後ともよろしくお願いいたします。

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「想像してみて下さい」―日本の醜悪な二重基準

2023年02月25日 | 国家と戦争
   

 23日のブログで、ウクライナ戦争に顕著に表れた米欧諸国・日本の「二重基準」について考えました。日本(政府・「国民」)の二重基準についてさらに考えたいと思います。

 林芳正外相は23日(日本時間24日)、ニューヨークの国連本部で行われた総会の緊急特別会合で演説し、「ロシアの即時かつ無条件撤退」を要求、ウクライナ提出の決議案への賛成を呼び掛けました。この中で林外相はこう述べました。

想像してみて下さい。もし、ある安保理常任理事会があなたの祖国に侵略を開始し、あなたの領土を奪取した後で平和を呼びかけてきたとしたら。…ウクライナの人々の悲惨な状況を思うと、胸が張り裂けそうになる。日本は国際社会の仲間たちと共にウクライナへの支援を継続していく」(24日付朝日新聞デジタル)(写真左)

 自らを「侵略」とたたかう「正義」の側に置く演説を、「想像してみて下さい」と切り出したのです。
 その林外相は、何をやっているのか。

 懸案の朝鮮半島・強制動員(「徴用工」)被害者への謝罪・賠償問題。韓国の最高裁(大法院)も被害者たち原告の訴えを認め、三菱重工、日本製鉄の加害企業に対し賠償を命じる判決を下しました(2018年10月)。

 しかし、この司法判断に目もくれず、「日韓請求権協定(1965年)で解決済み」の一点張りで被害者の訴えを足蹴にしているのが日本政府です。
 そしていま、韓国の財団が「寄付金」で肩代わりする案で広島サミットまでに“決着”させようと韓国・尹政権と協議を重ねている張本人が、林氏です。

 強制動員の被害者が一貫して求めているのは、日本政府が不法性を認めて謝罪・賠償することです。被害者たちは高齢化し、訴訟のなかで他界した人も少なくありません。原告の1人、梁錦徳さん(91)は今月16日に、日本政府・三菱重工に対しこう訴えました。

「日本からの謝罪。謝罪を受けることさえできれば、という思い一つでこれまで耐え、生きてきた」(16日付朝日新聞デジタル、写真右)

 それは戦時性奴隷(「慰安婦」)問題でも全く同じです。
 人としての尊厳を回復するため、謝罪・賠償を求めている被害者の痛切な訴えを無視し続けてきた日本政府は、韓国・朴槿恵政権(当時)と、政府の責任を棚上げした「日韓合意」(2015年12月)を結びました。その当事者は岸田文雄現首相(当時外相)です。

 強制動員問題、戦時性奴隷問題に対するこうした政府の非情・無責任な姿勢・基本方針は、安倍晋三政権で確立され、今日に至っています。元凶は安倍政権です。

 「想像してみて下さい」―確かに、戦争の被害者の思い、実態を「想像」することは重要です。しかし、日本政府がまず「想像」すべきは、強制動員、戦時性奴隷被害者の当時から今日まで続く筆舌に尽くせない苦悩、塗炭の苦しみではないでしょうか。

 しかもそれは他人事ではありません。日本は加害の当事者なのです。
 自らの侵略戦争・植民地支配の責任にはほうかむりし、「ウクライナの人々」を「想像してみて下さい」というのは、まったくの偽善であり、加害責任を隠ぺいした「正義」の偽装にほかなりません。

 ここに日本(政府とそれを支持する日本「国民」)の二重基準が鮮明に表れています。それはウクライナ戦争の重要な側面ではないでしょうか。



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ウクライナ戦争と「国際社会の二重基準」

2023年02月23日 | 国家と戦争
   

 ロシアのウクライナ侵攻の当初、ポーランドはじめ欧州各国が避難民を受け入れるなか、「国境付近での人種差別が相次いで指摘」(2022年3月13日付朝日新聞デジタル)される事態が起こりました。

 ウクライナ政府は「人種や国籍による差別はないと否定」し「「ロシアの偽情報」と断じ」(4月3日付沖縄タイムス)ました。

 しかし、アフリカ連合(AU)は昨年2月末、「全ての国に対し、国際法を尊重し、人種にかかわらず戦争から逃れる全ての人々に対する共感と支援を求める」とする「声明」を発表しました(同朝日新聞デジタル)。

 ウクライナ戦争ははじめから、「西側」諸国による差別・二重基準と不可分でした。日本(人)も加害の側として無関係ではありません。
 それはどういう意味をもっているのか。ウクライナ戦争の性格、そして早期停戦の方途を考えるうえできわめて重要な問題です。

 この点で、「「人権の彼岸」から世界を観る―二重基準に抗して」と題した岡真理・京都大学教授(現代アラブ文学・パレスチナ問題)(写真右)の論稿(「世界」3月号)が注目されます。以下、抜粋します

< この1年、ロシアの侵略に対する非難とウクライナの人々に対する共感がメディアに溢れた。かたや中東のメディアに溢れるのは、欧米諸国の二重基準に対する批判だ。…平和を唱えながらこの二重基準の問題を等閑視することは、平和よりもむしろその破壊を援(たす)けるものである

 肌の色や宗教、言語を理由に人間の扱いを変え、その差別を理に適うとすることがレイシズムであり、自分たちと同族という理由で人を優遇するのは部族主義だ。難民の受け入れにおける欧州諸国の二重基準は欧州の部族主義であり、このレイシズムこそ、未だ植民地主義の時代と変わらない西洋世界の地金であることを、ウクライナ危機はいつにも増して露わにした

 「イラク戦争」(2003年3月開始)の実際は、米国によるイラク侵略である。その後のイラクに内戦をもたらし、社会を破壊した侵略を、日本は支持し、その一翼を担った。憲法前文が謳うことの真逆である。だが、憲法の理念を踏みにじり、自国が加害者として責任を負うイラクに対して、私たちはどれだけ関心を寄せてきただろうか

 普遍的人権ゆえに平和を訴えるなら、日本や日本人が深く関わるイラクや、ウクライナ以上に長期にわたり破壊的な状況に置かれたシリアにもウクライナと同じ関心が寄せられて不思議ではないが、そうではないのはなぜか。この関心の落差は、平和や普遍的人権を唱えながら私たちが実践している二重基準にほかならない

 だが、米国主導の戦争を是とするという点からすれば、その基準はつねに一貫している。企業メディアによる報道もそれに沿ってなされている

 ウクライナ危機が掻き立てた平和への関心と、イラクに対する関心の相対的な低さは、米主導の戦争に関して政府が国民に期待する態度を反映している「イラク戦争」を米国によるイラク侵略と見なす普遍的人権の視座を国民が広く共有することを政府は望んでいない。NHKを筆頭に企業メディアの報道の大半はこうした政府方針に従うものだ

 ロシアの侵略を非難し、侵略の犠牲者であるウクライナの人々の苦難に共感することは、人間として自然な感情のようにも思えるが、普遍的人権や平和の大切さとは関係なく、米国が是とするものを是とし、自らも戦争のできる国づくりを目指す政府の意図に沿うものでもある。だからこそ私たちは、この二重基準を批判し、人間の平等を貫徹させなければならない

 ロシアのウクライナ侵略を上回るほどの破壊と殺戮が、ガザの日常、定例行事なのだ。国際法に照らしてロシアのウクライナ侵攻が非難されるなら、イスラエルも同様に非難されなければならない。そうならないのは、(イスラエルを支援するアメリカ主導の―私)「国際社会」の二重基準のせいである

 パレスチナ人にとって国際法とは自らの普遍的人権を実現するための唯一の武器だが、欧米諸国にとってそれは、「敵」を非難するときは振りかざし、自己の利益のためには踏みにじる、ご都合主義の道具に過ぎない。そこで唱えられる「平和の大切さ」や「普遍的人権」など、まったくのおためごかしということになる。企業メディアによるパレスチナやガザの報道も、基本はそのラインでなされている。パレスチナの平和が実現しないのは、「戦争」のせいではなく、「国際社会」のこの二重基準のゆえにほかならない

 ロシアの侵略は非難されなければならない。だが、平和の真の敵はプーチンではない。普遍的人権や国際法の「普遍性」を切り崩す、国際社会の二重基準こそ、私たち世界市民が戦わねばならない敵である。>

 「普遍的人権」における「国際社会の二重基準」がなぜ横行しているのか。それは「米国主導の戦争を是とする」一貫した「基準」があるからだ―この指摘はきわめて重要です。

 アメリカ、日本はじめ「西側」諸国に、そして「二重基準」を実践している私たち日本人に、「法の支配」を口にする資格があるでしょうか(写真左は地震で甚大な被害が出たシリア難民居住地域)。

 アメリカ主導の「国際社会の二重基準」と戦うこと。それこそが私たちの責任であり、ウクライナ戦争の早期停戦につながるのではないでしょうか。


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朝鮮(北朝鮮)はなぜミサイル実験を行うのか(下)根源は朝鮮戦争

2023年02月21日 | 日米軍事同盟と朝鮮・韓国
   

 朝鮮が米韓合同軍事演習に対抗してミサイル実験・核開発を行わざるをえない状況に置かれていることは、日本とけっして無関係ではありません。というより、日本はそのことに深いかかわりと責任があります。

 なぜなら、朝鮮のミサイル実験・核開発の根源は、朝鮮戦争(1950年6月25日~53年7月27日休戦協定調印)だからです。

 朝鮮戦争は、同じ民族が殺し合い、「休戦」後も分断されるという史上まれにみる悲惨な戦争です。それはそもそも、日本の朝鮮半島侵略・植民地支配がなければ起こりませんでした。日本の植民地支配の後、アメリカ・ソ連両核大国の覇権主義によって引き起こされたのが朝鮮戦争です。

「朝鮮戦争はそれ以前の5年間ずっと続けられた闘争の行き着いた当然の帰結に過ぎない。一言でいえば、1945年8月は、一度も途切れたことのない一貫した事件の連鎖をもって、1950年6月につながっている」(孫崎享・元外務省情報局長『朝鮮戦争の正体』祥伝社2020年)

 アメリカは「国連軍」の看板でこの戦争を戦いました。「国連」を隠れミノにするのはアメリカの常套手段です。総司令官はマッカーサー元帥。マッカーサーは劣勢の中で、核兵器を「26発」使うことを米政府に要請しました。
 NHK「映像の世紀」(今月13日)は「朝鮮戦争 そして核がばらまかれた」と題し、マッカーサーが本国政府に核兵器使用を要請した極秘文書の映像を流しました(写真中)。

 朝鮮戦争で核兵器を使用しようとしたのはマッカーサーだけではありませんでした。

 トルーマン大統領(当時)は、「1950年11月30日、朝鮮戦争で原爆使用辞せずと発言」(孫崎氏、前掲書)しました。
 
 さらに、トルーマンのあとのアイゼンハワー大統領も核兵器を使おうとしました。

「1953年3月から5月の間に、アイゼンハワー大統領をふくむアメリカの当局者たちは核兵器に訴えて戦争をエスカレートさせようと考えた。…通常兵器よりも「ドルに換算してより安価な」原子爆弾の使用に賛成していた。…アイゼンハワーが朝鮮ばかりでなく中国にたいしても原爆の使用を考えていたことは注目してよい」(ガバン・マコーマック・オーストラリア国立大学教授『侵略の舞台裏 朝鮮戦争の真実』シアレヒム社発行・影書房発売1990年)

 アメリカは朝鮮戦争での核兵器使用は断念したものの、「休戦」後には韓国に核兵器を持ち込んでいます。

 重大なのは、日本は朝鮮戦争のきっかけをつくった張本人であるだけでなく、核兵器を使おうとした米軍の兵站・後方基地となったことです。

 前記「映像の世紀」は、「休戦協定調印」翌日の1953年7月28日にキム・イルソン(金日成)がおこなった演説の映像を流しました。ここで彼は、「われわれはアメリカ帝国主義者の企てを粉砕した」と述べるとともに、「米国の空軍基地が日本にあり、日本が米軍の兵器廠、後方基地であったことをよく知っている」「停戦協定の締結は砲火の停止を意味するものではない」と語っています(写真右)。

 現在の朝鮮のミサイル実験・核開発が、朝鮮戦争に端を発するアメリカの核戦略にあることは明らかです。朝鮮戦争はキム・イルソンが言った通り、まだ終わっていないのです。米軍主導の「国連軍」の後方司令部は今も横田基地に置かれています。

 朝鮮戦争と日本の関係はそれだけではありません。朝鮮半島で戦っている米軍の穴埋めに、アメリカは日本に警察予備隊の創設を迫り、吉田茂政権は、国会にもはからず、一片の「警察予備隊令」(1950年8月10日)で再軍備しました。それが今日の自衛隊です。

 朝鮮戦争の特需はトヨタ、日産など主要大企業を育て、日本の「高度経済成長」の基礎をつくり、今日の日本経済につながっています。

 孫崎氏は前掲書でこう強調しています。

日本という国がどういう国か、そして今日の国際社会がどういうものか、それを理解するために、朝鮮戦争とは何だったのか、朝鮮戦争は何をもたらしたのかを、今改めて問う意義がある

 それはまた、「軍拡(安保)3文書」を撤回させ、東アジアの平和実現を進める上でも不可欠の課題です。
 朝鮮戦争はまだ終わっていないのです。

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朝鮮(北朝鮮)はなぜミサイル実験を行うのか(上)挑発者は誰?

2023年02月20日 | 日米軍事同盟と朝鮮・韓国
   

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が18日、ICBM級のミサイル1発を日本海に発射する実験を行いました。岸田文雄首相は「国際社会全体への挑発」だと述べました。日米韓3カ国の外相は訪れていたベルリンで急きょ会談し、朝鮮を非難しました(写真中)。

 朝鮮はなぜミサイルを打つのでしょうか。

 それは米韓の合同軍事演習に対抗するためです。今回も、米韓は今月22日の図上演習に続いて来月中旬から11日間、「2023フリーダムシールド(自由の盾)」と称する合同軍事演習を行うと発表しました。「両国は演習期間中に師団級の合同上陸訓練と20余りの韓米連合野外機動訓練を実施する計画」(18日付ハンギョレ新聞日本語電子版)です。

 さらに今回は、これに米国による国連安全保障理事会(安保理)非公開会議の開催が重なりました。安保理非公開会議は16日午後、「不拡散と北朝鮮」をテーマに行われました。安保理は1月30日にも「北朝鮮の核・ミサイル問題」をめぐって非公開会議を行なったばかりです。

 これに対し朝鮮は17日、「安保理を不法非道な対朝鮮敵視政策の実行機構に転落させようとする米国の策動が、もはや容認できないレベルに達している」とする外務省談話を発表しました(同ハンギョレ新聞)。

 さらに談話は、米韓合同軍事演習についてこう指摘しています。

「米国と南朝鮮が今年中に20回余りの各種合同軍事演習を計画し、その規模と範囲を過去最大規模の野外機動戦術訓練の水準で展開しようとするのは、朝鮮半島と地域情勢が再び緊張激化の渦に陥ることを予告している」「現実は米国と南朝鮮こそ朝鮮半島と地域の平和と安定を意図的に破壊する主犯であることを明確に示している」(同ハンギョレ新聞)

 アメリカはシンガポールで行われた初の朝米首脳会談(2018年6月12日)で、「米韓演習は挑発的、中止により多額の費用を節約できる」(会談後のトランプ大統領=当時の記者会見、2018年6月13日付共同配信)として、合同演習の中止を言明しました。「米韓演習は挑発的」とまで言って。

 ところがアメリカは、この言明をそれこそ一方的に反故にして、合同軍事演習を再開しました。その後の朝鮮のミサイル発射実験はすべてその対抗措置です。

 18日夜のNHKニュースで、朝鮮のミサイル実験についてコメントした元海上自衛隊海将の伊藤俊幸氏は、「やられたらやりかえす。まるで子どものケンカだ」と揶揄しました。しかし、語るに落ちるで、まさに朝鮮は「やられた」から「やりかえす」のです。はじめに「やった」のはアメリカの方です。

 「挑発」しているのはどちらなのか。事実経過に照らせば明白です。

 ところがアメリカは19日、朝鮮のミサイル発射への「対抗」だとして、朝鮮が強く警戒するB1爆撃機を使って韓国と合同訓練を、さらに日本の自衛隊とも合同訓練を行いました(写真右)。自分で挑発しておいて、相手がやり返したらそれを口実にさらにやり返す。これがアメリカのマッチポンプ手法です。

 アメリカに追随する日本政府は一貫して「北朝鮮の挑発」と事実を偽っていますが、それと符丁を合わせて日本のメディアも「北朝鮮の挑発」と言い続けています。
 この事実に反する報道(偏向報道)は朝鮮に対する誹謗中傷であり、政府の朝鮮敵視政策への加担であり、在日朝鮮人への差別を助長するきわめて犯罪的な役割を果たしていることを、メディア関係者、そして受け手である市民は銘記すべきです。

 さらに、日本市民は朝鮮がミサイル実験・核開発を余儀なくされている根本的理由(根源)に目を向ける必要があります。(あすに続く)

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日曜日記237・三菱重工に向ける“2つの視線”

2023年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
  

 17日、国産ロケットH3の打ち上げが失敗した。前日の16日から日本のメディアは繰り返し報道し、現地(種子島)には多くのファンが詰め掛けた。H3 はJAXA(宇宙航空研究開発機構)と三菱重工が共同開発した。

 三菱重工は7日には国産ジェット機開発からの撤退を発表した。「累計で1兆円規模の巨費を注ぎ込んだ事業」(8日付共同配信)だった。それだけの税金を三菱重工は無駄遣いしたのだ。

 しかし、三菱重工には「追い風」が吹いている。

「三菱重工は防衛産業に吹く予算大幅増額の追い風に乗り、次期戦闘機の開発に軸足を移す」(同共同配信)

 三菱重工は今でも防衛省と年間4591憶円(2021年度)もの契約を結んでいる日本最大の兵器産業だ。この額がさらにハネ上がる。のみならず、岸田政権はさらに「防衛産業への支援強化」を公言している。

 兵器製造だけではない。原発も三菱重工の主要事業の1つだ。岸田政権の「原発政策転換」によって、同社は「新型原子炉の開発を加速」(同共同配信)させるという。

 兵器と原発。三菱重工は自民党の悪政の2本柱を担い、政府・自民党の大きな支援を得ているまさに「国策企業」にほかならない。

 だが、日本社会はそれを「死の商人」として批判するのではなく、「日本を代表する企業」として賛美する。
 余談だが、NHKの朝ドラ「舞いあがれ」で、主人公母娘の町工場を助ける「日本最大手の航空機メーカー」が登場した。その名は「菱崎重工」。それほど三菱重工のイメージアップを図りたいか。

 安倍晋三元首相は三菱ととりわけ深い関係だった。安倍の実兄は三菱商事に入社以来、一貫して同社の幹部だった。

 こうして日本ではわがもの顔の三菱重工だが、対馬海峡を渡れば評価は一変する。

 日本がH3 打ち上げで沸いていた(と報じられた)16日、ソウルでは1人の老人が外国メディア向けに記者会見した。梁錦徳さん(91)だ。日本の植民地支配で強制動員された。韓国の最高裁が2018年秋、強制労働させた日本企業に賠償を命じた訴訟の原告の1人だ。
 賠償を命じられた企業は、新日鉄住金(現・日本製鉄)と三菱重工だ。

 日韓両政府が三菱重工など加害企業や日本政府の責任を棚上げしたまま、新たな団体をつくって賠償を肩代わりするやり方で逃げようとしているのに対し、梁さんはこう訴えた。

「望むことは日本からの謝罪。謝罪を受けることさえできれば、という思い一つでこれまで耐え、生きてきた」(16日付朝日新聞デジタル)

 梁さんが持つプラカードには、「三菱 謝罪・賠償!」と書かれている(写真右の中央)。

 三菱重工は「死の商人」であるだけでなく、植民地支配の「戦犯企業」でもある。

 三菱重工に注がれる視線は、日本と韓国であまりにも対照的だ。

 三菱重工に対する日本政府の支援・優遇、日本社会の甘い評価は、侵略戦争・植民地支配の加害の歴史に目を向けようとしないこの国の有様を象徴している。

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「はだしのゲン」の「平和教材」からの削除は何を意味するか

2023年02月18日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 広島市(松井一実市長)の教育委員会が、市立の小学3年向けの「平和教材」(「ひろしま平和ノート」)に10年前から掲載されている漫画「はだしのゲン」(作・中沢啓治)を削除する(差し替える)ことを決めました(16日付中国新聞)。

 ゲンが家計を助けるため路上で浪曲をうたったり、栄養不足で身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだ場面などが引用されています。

 それに対し、教材の改訂を検討した大学教授や学校長の会議で、「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」などの意見が出て、「市教委も同調」(16日付中国新聞)しました。

 また、朝日新聞デジタル(16日付)によれば、高校1年用教材でも、中沢啓治氏の体験談と漫画のコマが使われていましたが、体験談と漫画の概要紹介だけにすることにしました。市教委は、「被爆の実相に迫りにくいと判断した」(同朝日新聞デジタル)としています。

 この決定について、三牧聖子・同志社大大学院准教授はこう指摘します。

「作者の中沢さんは「原爆の残酷な場面を見て「怖い」「気持ちが悪い」「二度と見たくない」と言って泣く子が日本中に増えてくれたら本当によい事だと私は願っている」と語っている。…できるだけ刺激の少ないもの、無害なものを教材として選んでいては、中沢さんが作品を通じて伝えようとした戦争や原爆の本当の悲惨さは伝わらないかもしれない。

 日本で教材から消えていく一方で、「はだしのゲン」は世界に広まり、共感を生み続けている。これまでに世界で24の言語に翻訳され、その多くが、そのメッセージに感動した人々によるボランティアの翻訳であった。…広島市教育委がいうように「被爆の実相に迫りにくい」ものであったとしたら、「はだしのゲン」がイデオロギーや国境を超えてここまで世界に広まることはあっただろうか

 そしてこう強調します。

戦争と核の恐れが消えない今の世界で改めてその価値を確認されている「はだしのゲン」の継承について、今後も検討を続けてもらいたい」(16日付朝日新聞デジタル)

 広島・松井市政は「平和都市」などの美名とは裏腹に、「8・6」の平和公園周辺でのデモ・集会規制や、市民の声を無視した市立図書館移転など反民主的姿勢が目立ちますが、今回の決定もその一環です。

 「ゲン」の「平和教材」からの削除が、岸田政権による「軍拡(安保)3文書」の閣議決定(12月16日)直後、そして「G7 広島サミット」の直前に決定・発表されたことには象徴的な意味があると思います。

 「ゲン」の素晴らしさは三牧准教授が指摘する通りですが、加えて、「ゲン」には他の「被爆・平和文学」にはない特筆すべき特徴があります。
 それは、在日朝鮮人差別(民族差別)と、天皇制を鋭く告発していることです。(2016年5月5日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160505)(写真右は広島カープの新井貴浩選手=現監督と中沢さんの親交を報じた新聞記事)。

 「反核・平和」の課題は、在日などへの差別一掃、主権在民に反する天皇制廃止と密接に結びついていることを、「はだしのゲン」は平易な漫画であらゆる階層に分かりやすく訴えている、世界に希なきわめて優れた文学です。

 だからこそ「ゲン」は、「象徴天皇制」の下で差別を温存し核・軍拡を推し進めようとする勢力から目の敵にされているのです。
 今回の「平和教材」からの削除の底流には、そうした右派・反動勢力の策動と日本の戦争国家化への急傾斜があると言わざるをえません。

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いま改めて「ウクライナ危機の発端」を考える

2023年02月16日 | 国家と戦争
   

 ロシアのウクライナ侵攻(2月24日)から1年。1日も早い停戦が切望されます。そのためにも、改めてこの戦争の原点・背景に目を向ける必要があります。

 手掛かりとして、5日付中国新聞(共同配信)に掲載された渡辺啓貴・東京外大名誉教授(国際関係論)の論稿が注目されます。

 渡辺氏は、「ウクライナ侵攻を契機に」岸田政権が「防衛費の大幅増を閣議決定した」ことについて、「危機感の扇動がファシズムや軍事大国化に至った経験は、日本軍部の台頭を含めた歴史の教訓だ。今こそグルーバルな視野から「外交による平和」の道について冷静に考えていくべき時ではないか」として、「集団安全保障体制」の重要性を強調します。

集団安全保障体制は、今から約100年前に国際連盟が発足した時の人類の発明だ。戦争や対立を回避するための平和的手段と国際体制を意味した。敵対関係を前提とした、攻撃に対する集団防衛体制、つまり「軍事同盟」とは異なった新しい概念であった。

 冷戦終結後の欧州は、欧州安保協力機構(OSCE)を中心に出発した。ロシアなど旧東側諸国を含む非軍事的協力体制の構築が焦点であった。しかし1990年代後半以降、東欧諸国の北大西洋条約機構(NATO)加盟問題、つまり東西対立の再燃に焦点は移る。ウクライナ危機も同国のNATO加盟を巡る議論が発端だった。

 冷戦後の欧州の安保体制が当初の企図とは違った方向にねじれていった結末が、今回のウクライナ危機だった。東欧へのNATO拡大が始まった頃から、私たち米欧関係研究者の間では、急速な拡大がもたらす危険性について議論がされていた。>

 アメリカを盟主とする米欧諸国の軍事同盟であるNATOの「東欧への拡大」が「今回のウクライナ危機の発端」であり、その「危険性」は研究者の間では「1990年代後半」から議論されていた、というのです。

 渡辺氏はウクライナ戦争の今後の方向性についてもこう指摘します。

<ウクライナ戦争の今後の展開は不透明だが、改めて冷戦終結の出発点に返った発想も必要であろう。このまま突き進めば「力の対決」はエスカレートする。仮にウクライナへの軍事的なてこ入れが成功し、ロシアのプーチン体制が崩壊に至った場合でも、世界に及ぼす影響は甚大だ。

 どういった結末を迎えるにせよ、和平交渉の段階はくる。できるだけ早いうちに「力による解決」ではなく、「外交による平和」への道、対話の模索を始めたい。>

 NATOは14日から国防相会議を開催し、ストルテンベルグ事務総長はウクライナへの軍事支援をいっそう強化すると表明しました(写真中)。
 それに先立つ会合にはウクライナの国防相も出席。アメリカのオースティン国防長官が軍事支援強化を約束しました(写真右)。

 NATOのこうしたウクライナ軍事支援が、その東方拡大戦略の延長線上にあることは明白です。それは戦争を長期化・泥沼化させ、ウクライナ、ロシア双方(ともに東欧)の犠牲者を拡大することにほかなりません。

 渡辺氏が指摘するように、「軍事同盟とは違った概念」である「集団安全保障体制」という「冷戦終結の出発点」に立ち返ることが、いま切実に求められています。


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