翁長氏が「民主的人びと」に高く評価されている背景には、今日の歴史的な政治状況があるるように思えます。
キーワードは、「保革の対立を超える」です。翁長氏の支持母体である「オール沖縄」がそれを象徴していますが、「保革の対立を超える」とはどういうことでしょうか?
従来、「保守」と「革新」を分ける理念・政策上の重要な相違点は、「天皇制」「日米安保」「憲法」の3点だと言われてきました。このうち、現在の沖縄に直接関係するのは、言うまでもなく「日米安保」です。
「日米安保条約堅持・強化」が「保守」の重要な理念・政策です。安倍政権が強行した戦争法ももちろんその一環です。
これに対し、「革新」を標榜する日本共産党は、少なくとも公式には「日米安保条約廃棄」の旗を降ろしていません。
したがって「保革にお対立を超える」という場合、「日米安保条約」に対するこの理念・政策の対立を「超える」ということになります。
共産党は現在、安保条約をめぐる意見の相違を共闘の障害にはしていません。その場合、不一致点は保留するのが共闘の原則です。
つまり、「保革の対立を超える」とは、日米安保条約に関してそれを支持するとも反対するとも明言せず、態度を「保留」するということです。それが「オール沖縄」の一致点であり、「オール沖縄」を支持母体とする翁長知事も当然それに基づいた県政を行うべきでした。
しかし、実際はどうだったでしょうか。
翁長氏は「知事就任会見」(2014年12月10日)で早くも、「わたしは日米安保体制にはたいへん理解をもっているわけです」(同12月12日付沖縄タイムス)と言明しました。以来、ことあるごとに「日米安保体制支持」を表明してきました。
たとえば、注目を集めた辺野古訴訟(代執行訴訟)の第1回口頭弁論の意見陳述(2015年12月2日)でも、翁長氏はこう述べました。
「日米同盟の維持についてですが…私は日米安保体制を十二分に理解しているからこそ、そういう理不尽なこと(「沖縄県民の圧倒的な民意に反して辺野古に新基地を建設すること」)をして日米安保体制を壊してはならないと考えております。日米安保を品格のある、誇りあるものにつくりあげ、そしてアジアの中で尊敬される日本、アメリカにならなければ、アジア・太平洋地域の安定と発展のため主導的な役割を果たすことはできないと考えております」(同12月2日付琉球新報「翁長知事陳述書全文」より)
日米同盟が世界に冠たる軍事同盟でることは言うまでもありません。「品格・誇りのある」軍事同盟などというものは私には理解不能ですが、この陳述には翁長氏の日米安保に対する基本的な思想・理念が表れているのではないでしょうか。そして、これこそが「保守」のイデオロギーにほかなりません。
翁長氏は、自身の政治信条が「日米安保支持」であることを表明し続けただけではありませんでした。
今年3月13日、訪問先のアメリカでのシンポジウムで翁長氏は、「(アメリカと日本・沖縄が)日米安保体制の強い絆で結ばれるのはいい」(3月15日付沖縄タイムス)、「沖縄県は日米安保条約の必要性を理解する立場だ。全ての基地に反対しているのではない」(3月16日付琉球新報)と述べ、「沖縄県」として日米安保条約を支持して全基地に反対しているのではない言明しました。
また翁長氏は、在沖米軍トップ・ニコルソン四軍調整官との会談(2017年11月20日、写真右)では、「日米が世界の人権と民主主義を守ろうというのが日米安保条約だ」(2017年11月21日付沖縄タイムス「会談要旨」)とまで述べて日米安保条約を絶賛しました。
こうした翁長氏の一連の言明が、日米安保についての不一致点を保留する共闘の原則から逸脱していることは明白です。
翁長氏は知事就任以来一貫して、「日米安保」という重要な柱において、けっして「保革の対立を超え」てはいませんでした。自らの「保守」の立場・イデオロギーを明確に表明し続けてきたのです。これは「翁長県政」を評価するときに絶対に見過ごすことができない点です。
同時に強調しなければならないのは、こうした翁長氏の共闘原則違反に対し、「革新」の日本共産党が一言の抗議・批判もせず、逆に翁長氏を支持・賛美し続けてきたことです。
共産党の志位和夫委員長はかつてこう述べたことがあります。
「沖縄の基地問題が今日までなお解決しない根本、沖縄県民ぐるみ反対している『辺野古移設』をかくも強引にすすめようとする根本に、マッカーサー・ダレス以来の『望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる』ことがアメリカの『権利』なのだという、『全土基地方式』という屈辱的な従属構造があることを、私は、告発したいと思うのであります。
今日のこの日を、日本全土を従属の鎖にしばりつけた日米安保条約をこれ以上続けていいのかということを、全国民が真剣に考える日にしようではありませんか。そして、安保条約第一〇条では、国民の相違によって安保条約廃棄を通告すれば、安保条約は一年後にはなくなると書いてあります。米軍には荷物をまとめてアメリカに帰ってもらう。沖縄からも日本からも帰ってもらう。そういう安保条約廃棄の国民的多数派をつくっていこうではありませんか」(2013年4月28日「安保条約廃棄・真の主権回復を求める国民集会」で。志位氏著『戦争か平和か』新日本出版社より)
安保条約に対してこう述べた志位氏(共産党)が、安保条約を「世界の人権と民主主義を守ろう」とするものだと言う翁長氏をどうして支持できるのか、「みじんも揺らぐことのない不屈の信念と、烈々たる気概」(志位氏の弔電。11日付「赤旗」)を持った政治家とまで絶賛できるのか、理解に苦しみます。
共闘の上に立って知事になった翁長氏が共闘の一致点で行動しなければならないのとは違い、「オール沖縄」の構成員である団体・政党・個人は独自に政策を宣伝することができるし、するべきです。
「辺野古新基地の建設に反対するという一致点で声をあげつつも、普天間基地の撤去を含めた基地問題の解決のためには、日米安保への批判を独自に強めていくことが不可欠である」(渡辺治一橋大名誉教授、「世界」2015年6月号)
共産党は「翁長県政」の3年半の間、安保条約廃棄へ向けた独自の宣伝・運動をどれだけやってきたのでしょうか。
「保革の対立を超える」という「オール沖縄」の共闘は結局、「日米安保」に対する批判を封印し、結果、「日米安保体制」を容認することになったのではないでしょうか。
そして翁長氏は、そうした「革新」を横目に、日米安保を礼賛する自らの「保守」のイデオロギーを繰り返し表明してきたのです。
そんな翁長氏が、「民主的人びと」から絶賛されているのは、日本の政治から日米安保体制の是非を問う根本問題が後景に追いやられ、結果、日米安保体制が維持・強化されている歴史的現実の反映ではないでしょうか。
それは「基地のない沖縄」を願う沖縄県民の意思に反するとともに、朝鮮半島・東アジアの新たな情勢の下で、いまこそ日米安保条約を廃棄して軍事同盟を解消すべき歴史的使命にも逆行しているのではないでしょうか。