アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「翁長氏が後継指名」という異常

2018年08月20日 | 沖縄・翁長知事

     

「翁長知事、後継2氏指名 知事選 音声で呉屋、玉城氏」(琉球新報)
「呉屋・玉城氏を後継指名 知事選 翁長知事が生前録音」(沖縄タイムス)

 19日の沖縄県紙はいずれも、亡くなった翁長雄志氏が「後継指名」をおこなっていたとする記事を1面トップで大きく報じました。記事の内容はほぼ同じ。情報源も同じと推察されます。呉屋氏とは呉屋守将金秀グループ会長、玉城氏は玉城デニー自由党幹事長。 

 さらに両紙とも、県政与党側(「オール沖縄」陣営)の知事選候補は「呉屋・玉城氏から選出か」(沖縄タイムス)と、翁長氏の「後継指名」通りに候補者が決まる可能性が大きいとしています。

 開いた口がふさがりません。沖縄県知事選は自民党の派閥ボス選びではありません。しかも翁長氏は言うまでもなく、「オール沖縄」陣営の「政策・組織協定」によって当選した知事です。それを派閥のボスのように亡くなる直前に「後継指名」するとは、知事のポストを私物化するものにほかなりません。

 しかも、人選をすすめていた「調整会議」(写真右)が、これまでの選考を白紙にしてそれを受け入れ、また「オール沖縄会議」などからもなんの異論も出ず、翁長氏の「指名」で候補者が決まろうとしている。選挙共闘の民主的原則・手続きのあからさまな蹂躙と言わねばなりません。

 「後継指名の録音」が表面化した経緯も極めて不明瞭です。 

 「音声は膵臓がんで死去する数日前に病院で録音されたもの」(19日付沖縄タイムス)といいます。しかし「関係者」がそれを県紙にリークしたのが死去から10日たった18日。なぜ10日間も秘匿していたのでしょうか。陣営が候補者選びを急ピッチで進めていたのは周知の事実。にもかかわらず「遺言」を10日間も隠していた理由は何でしょうか。

 しかもこれは公式の発表ではありません。琉球新報、沖縄タイムスとも情報源は「関係者」「複数の関係者」というきわめてあいまいなものです。なぜ匿名にする必要があるのでしょうか。
 「音声は17日に新里米吉県議会議長が遺族から受け取った」(19日付沖縄タイムス)といいます。新里氏は受け取った時になぜみずから記者会見して公表しなかったのでしょうか。

  17日は県政与党が候補者選考を行っている「調整会議」が、「選考委員会を開き、各団体から推薦する候補者を募ったばかりだった。(新里米吉氏らが)推薦された候補者への意向確認を進めていた。そのさなか、音源の存在が明らかになった」(19日付琉球新報)。このタイミングはどういう意味を持つのでしょうか。

 17日の「調整会議」では、呉屋氏、謝花喜一郎副知事、赤嶺昇県議が推薦されましたが、「呉屋氏、謝花氏には意志確認があった一方、赤嶺氏には打診がないという。赤嶺氏を推した会派おきなわなどからは選考の在り方に不満が漏れて」(19日付沖縄タイムス)いたと、「調整会議」の民主性に疑問が出ていた矢先でした。

 もともと共闘で当選した知事に「後継指名」などありえません。その上に、こうした不明瞭さ。にもかかわらずその「指名」に沿って候補者が決まろうとしている。それに対して「オール沖縄」陣営から何の疑問・批判も出ていない。何重にも問題が重なっています。

  知事選候補者は翁長氏の「後継指名」を度外視して選考されるべきです。そして、選挙共闘で肝心なのはなによりも「共通の政策」(政策協定)です。「オール沖縄」陣営は「共通政策」づくりを急ぎ、その実行にふさわしい人物を候補者に擁立するという共闘の原則に立ち返るべきです。

 


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「翁長県政」を検証する(下)「保革を超える」とは?

2018年08月18日 | 沖縄・翁長知事

     

 翁長氏が「民主的人びと」に高く評価されている背景には、今日の歴史的な政治状況があるるように思えます。
 キーワードは、「保革の対立を超える」です。翁長氏の支持母体である「オール沖縄」がそれを象徴していますが、「保革の対立を超える」とはどういうことでしょうか?

  従来、「保守」と「革新」を分ける理念・政策上の重要な相違点は、「天皇制」「日米安保」「憲法」の3点だと言われてきました。このうち、現在の沖縄に直接関係するのは、言うまでもなく「日米安保」です。

 「日米安保条約堅持・強化」が「保守」の重要な理念・政策です。安倍政権が強行した戦争法ももちろんその一環です。
 これに対し、「革新」を標榜する日本共産党は、少なくとも公式には「日米安保条約廃棄」の旗を降ろしていません。
 
 したがって「保革にお対立を超える」という場合、「日米安保条約」に対するこの理念・政策の対立を「超える」ということになります。
 共産党は現在、安保条約をめぐる意見の相違を共闘の障害にはしていません。その場合、不一致点は保留するのが共闘の原則です。
 つまり、「保革の対立を超える」とは、日米安保条約に関してそれを支持するとも反対するとも明言せず、態度を「保留」するということです。それが「オール沖縄」の一致点であり、「オール沖縄」を支持母体とする翁長知事も当然それに基づいた県政を行うべきでした。

 しかし、実際はどうだったでしょうか。 

 翁長氏は「知事就任会見」(2014年12月10日)で早くも、「わたしは日米安保体制にはたいへん理解をもっているわけです」(同12月12日付沖縄タイムス)と言明しました。以来、ことあるごとに「日米安保体制支持」を表明してきました。

 たとえば、注目を集めた辺野古訴訟(代執行訴訟)の1回口頭弁論の意見陳述(2015年12月2日)でも、翁長氏はこう述べました。

 「日米同盟の維持についてですが…私は日米安保体制を十二分に理解しているからこそ、そういう理不尽なこと(「沖縄県民の圧倒的な民意に反して辺野古に新基地を建設すること」)をして日米安保体制を壊してはならないと考えております。日米安保を品格のある、誇りあるものにつくりあげ、そしてアジアの中で尊敬される日本、アメリカにならなければ、アジア・太平洋地域の安定と発展のため主導的な役割を果たすことはできないと考えております」(同12月2日付琉球新報「翁長知事陳述書全文」より)

 日米同盟が世界に冠たる軍事同盟でることは言うまでもありません。「品格・誇りのある」軍事同盟などというものは私には理解不能ですが、この陳述には翁長氏の日米安保に対する基本的な思想・理念が表れているのではないでしょうか。そして、これこそが「保守」のイデオロギーにほかなりません。

 翁長氏は、自身の政治信条が「日米安保支持」であることを表明し続けただけではありませんでした。

 今年3月13日、訪問先のアメリカでのシンポジウムで翁長氏は、「(アメリカと日本・沖縄が)日米安保体制の強い絆で結ばれるのはいい」(3月15日付沖縄タイムス)、「沖縄県は日米安保条約の必要性を理解する立場だ。全ての基地に反対しているのではない」(3月16日付琉球新報)と述べ、「沖縄県」として日米安保条約を支持して全基地に反対しているのではない言明しました。

  また翁長氏は、在沖米軍トップ・ニコルソン四軍調整官との会談(2017年11月20日、写真右)では、「日米が世界の人権と民主主義を守ろうというのが日米安保条約だ」(2017年11月21日付沖縄タイムス「会談要旨」)とまで述べて日米安保条約を絶賛しました。

 こうした翁長氏の一連の言明が、日米安保についての不一致点を保留する共闘の原則から逸脱していることは明白です。
 翁長氏は知事就任以来一貫して、「日米安保」という重要な柱において、けっして「保革の対立を超え」てはいませんでした。自らの「保守」の立場・イデオロギーを明確に表明し続けてきたのです。これは「翁長県政」を評価するときに絶対に見過ごすことができない点です。

 同時に強調しなければならないのは、こうした翁長氏の共闘原則違反に対し、「革新」の日本共産党が一言の抗議・批判もせず、逆に翁長氏を支持・賛美し続けてきたことです。

 共産党の志位和夫委員長はかつてこう述べたことがあります。
 「沖縄の基地問題が今日までなお解決しない根本、沖縄県民ぐるみ反対している『辺野古移設』をかくも強引にすすめようとする根本に、マッカーサー・ダレス以来の『望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる』ことがアメリカの『権利』なのだという、『全土基地方式』という屈辱的な従属構造があることを、私は、告発したいと思うのであります。
 今日のこの日を、日本全土を従属の鎖にしばりつけた日米安保条約をこれ以上続けていいのかということを、全国民が真剣に考える日にしようではありませんか。そして、安保条約第一〇条では、国民の相違によって安保条約廃棄を通告すれば、安保条約は一年後にはなくなると書いてあります。米軍には荷物をまとめてアメリカに帰ってもらう。沖縄からも日本からも帰ってもらう。そういう安保条約廃棄の国民的多数派をつくっていこうではありませんか」(2013年4月28日「安保条約廃棄・真の主権回復を求める国民集会」で。志位氏著『戦争か平和か』新日本出版社より)

 安保条約に対してこう述べた志位氏(共産党)が、安保条約を「世界の人権と民主主義を守ろう」とするものだと言う翁長氏をどうして支持できるのか、「みじんも揺らぐことのない不屈の信念と、烈々たる気概」(志位氏の弔電。11日付「赤旗」)を持った政治家とまで絶賛できるのか、理解に苦しみます。

  共闘の上に立って知事になった翁長氏が共闘の一致点で行動しなければならないのとは違い、「オール沖縄」の構成員である団体・政党・個人は独自に政策を宣伝することができるし、するべきです。

 「辺野古新基地の建設に反対するという一致点で声をあげつつも、普天間基地の撤去を含めた基地問題の解決のためには、日米安保への批判を独自に強めていくことが不可欠である」(渡辺治一橋大名誉教授、「世界」2015年6月号)

 共産党は「翁長県政」の3年半の間、安保条約廃棄へ向けた独自の宣伝・運動をどれだけやってきたのでしょうか。

 「保革の対立を超える」という「オール沖縄」の共闘は結局、「日米安保」に対する批判を封印し、結果、「日米安保体制」を容認することになったのではないでしょうか。

 そして翁長氏は、そうした「革新」を横目に、日米安保を礼賛する自らの「保守」のイデオロギーを繰り返し表明してきたのです。

 そんな翁長氏が、「民主的人びと」から絶賛されているのは、日本の政治から日米安保体制の是非を問う根本問題が後景に追いやられ、結果、日米安保体制が維持・強化されている歴史的現実の反映ではないでしょうか。

 それは「基地のない沖縄」を願う沖縄県民の意思に反するとともに、朝鮮半島・東アジアの新たな情勢の下で、いまこそ日米安保条約を廃棄して軍事同盟を解消すべき歴史的使命にも逆行しているのではないでしょうか。


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あえて翁長知事の”無責任な最期“を問う

2018年08月09日 | 沖縄・翁長知事

     

 沖縄県の翁長雄志知事が8日夕、すい臓がんの転移によって死去しました。日本には“死者に鞭打つ”ことを避ける傾向がありますが、政治家としての評価は別です。「知事・翁長」の突然の死の意味を考えるとき、それはいかにも”無責任な最期“だと言わざるをえません。
 その意味は2つあります。

 第1に、結局「辺野古埋立承認撤回」の公約が実行されなかったことです。

 これまで「撤回」を棚上げしてきたことによって埋立工事は護岸工事から土砂投入の直前にまで至りました。
 やっと「撤回へ向けた手続き」に入ると表明したのが先月27日。しかもその「撤回表明」は問題の多いものでした(7月30日、31日、8月1日のブログ参照)。

 翁長氏の死去により、少なくとも次の知事が決まるまで工事は中断すべきですが、そんな道理が通用しないのが安倍政権です。予定通り土砂投入を強行する可能性は小さくありません。
 そんな安倍政権が相手だからこそ、最大の知事権限である「撤回」を早期に実行すべきだったのです。それが選挙公約でした。
 それを実行しないまま終わった責任は免れません。

 第2に、「知事選不出馬」を早期に表明しなかったことです。

 翁長氏がすい臓がんの手術を受けたのは4月21日。それまでも体調不良の自覚はあったはずです。にもかかわらず翁長氏はついに11月の知事選について「出馬しない」とは言いませんでした。というより、最期まで出馬に意欲をもっている様子をみせました。

 翁長氏の「出馬表明」を期待していた「オール沖縄」・県政与党は、そんな翁長氏のそぶりから、翁長氏は出馬するだろうという前提(思い込み)で今日まできました。
 そのため、翁長氏に代わる候補者の選定はおろか、「共通政策」=「政策協定」の議論すら行っていません。

 一方、県政奪還に執念を燃やす安倍・自民党は、現職の宜野湾市長・佐喜真淳氏を知事選候補に回し(7月30日正式に出馬表明)、候補者を一本化して態勢を整えました。

 翁長氏の死去によって50日以内に知事選が行われます。「オール沖縄」陣営は突然梯子を外された形で、ゼロから知事選に向かわねばなりません。

 翁長氏が政界引退を意味する「知事選不出馬」を言い出せなかったのは政治家の心情でしょうが、知事のイスは個人の私有物ではありません。4年前の選挙で支持してくれた県民のことを思えば、少なくともがんであることが分かった時点で、「不出馬」を表明し、後進に道を譲るべきでした。最期まで進退を表明しなかったのは、知事として到底責任ある態度とは言えません。

 しかし同時に強調しなければならないのは、以上の2点の問題は、いずれも翁長氏だけに責任があるのではないということです。すなわち、知事選で翁長氏を擁立し、その後も支持し続けた「オール沖縄」陣営・県政与党(日本共産党、社民党など)の責任もきわめて大きいと言わねばなりません。

 翁長氏の独断専行を許し、「撤回」棚上げを黙認してきたのも、「翁長だのみ」に終始して知事選の準備を怠ってきたのも、「オール沖縄」・県政与党の責任です(これについては後日詳述します)。

 50日後の突然の知事選は予断を許しませんが、はっきりしているのは、沖縄の「反基地・平和・民主」勢力は早急に知事選へ向けた態勢をつくらねばならないということです。
 その際、ぜひとも銘記すべきは、選挙における共闘、候補者擁立は、あくまでも「共通政策」=「政策協定」が前提だということです。「政策協定」なき「共闘」は野合です。

 その「政策協定」は、「埋立承認即時撤回」の明記はもちろん、「すべての米軍基地撤去」「自衛隊配備強化反対」など、「反基地・平和・民主」勢力にふさわしい「共通政策」でなければなりません。

 「本土」の私たちはそうした沖縄の「反基地・平和・民主」勢力と連帯し、日米軍事同盟=日米安保条約のない日本の実現へ向けて、ともにたたかわねばなりません。


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翁長知事で「基地なき島」が実現できるのか

2018年06月25日 | 沖縄・翁長知事

     

  6月23日の沖縄「慰霊の日」にあたり、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は23日、「『基地のない平和な島』実現を」と題する「主張」(社説)を掲げました。まさに時宜に適したタイトルです。ところが、その内容に唖然としました。なぜなら、それはこう結ばれていたからです。「11月の県知事選で翁長県政を守り、発展させることが何より必要です」

  「基地のない島」を実現するためには知事選で「翁長県政を守り発展させることが何より必要」だというのです。これはたいへんな錯誤と言わねばなりません。「翁長県政」と「基地のない島」はとうてい結びつかない、いや、相反するものだからです。

  翁長氏が「基地のない島」すなわち沖縄からの「全ての基地撤去」を口にしたことは一度もありません。それどころか、翁長氏は確信的な「基地必要」論者です。

 それは23日の「追悼式典」における「平和宣言」にも表れていました。「平和宣言」で翁長氏はこう述べました。

 「辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではない。『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は…これからもみじんも揺らぐことはない」

 「沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものである。国民の皆さまには、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について、真摯に考えていただきたい」(24日付沖縄タイムスより)

  これは翁長氏の持論で、目新しいものではありません。この発言(考え)が意味するのは何でしょうか。

 第1に、辺野古に新基地を造るのは反対(額面通りだとして)としながら、岩国と並んで極東最大級の米軍の拠点基地で事故も頻発している嘉手納基地をはじめ、他の米軍基地の縮小・撤去にはまったく触れていません。
 第2に、米軍基地は「日本の安全保障」のためなのだから、その負担は「国民全体」がすべきもの。それが「日米安全保障体制」の在り方だ、ということです。

 つまり翁長氏は、日米安保体制=軍事同盟は必要だという前提に立って、その負担の公平化を主張しているのです。これでは沖縄が「基地のない島」にならないばかりか、基地負担・被害が分散することになります。

 この根底には、翁長氏の「日米安保体制礼賛」があります。それは永年自民党幹部として政界に身を置いてきた翁長氏の偽らざる信念です。

 例えば翁長氏は、今年になっても「沖縄県は日米安保条約の必要性を理解する立場だ」(3月16日付琉球新報)、「(アメリカと日本・沖縄が)日米安保体制の強い絆で結ばれるのはいい」(3月15日付沖縄タイムス)と公言しています。
 昨年11月20日の在沖米軍トップ・ニコルソン四軍調整官との会談では、「日米が世界の人権と民主主義を守ろうというのが日米安保条約だ」(2017年11月21日付沖縄タイムス)と日米安保条約に最大級の賛辞を送りました。

 小野寺防衛相は23日、「追悼式典」出席に乗じて沖縄県内の自衛隊3施設を視察し、「諸君らなくして我が国を守ることはできない」(24日付琉球新報)と自衛隊を鼓舞しました。「県民感情を逆なで」(石原昌家沖縄国際大名誉教授、同琉球新報)するのも甚だしいものですが、自衛隊という軍隊に対する翁長氏の姿勢は、さらにいっそう政権よりです。

 安倍政権が強行しようとしている石垣、宮古など八重山諸島や沖縄本島への自衛隊配備強化に対し、翁長氏は一貫して反対せず容認しています。それどころか、県知事として沖縄の陸上自衛隊(第15旅団)に「感謝状」を贈ったことさえあります(2016年10月21日)。

 このような日米安保・自衛隊礼賛者である翁長氏の県政を「守り発展させる」ことが、どうして「基地のない平和な島」の実現に結びつくのでしょうか。

 大きな錯誤は「赤旗」(共産党)だけではありません。

 24日付琉球新報も「基地なき島の実現誓おう」と題する「社説」を掲げましたが、翁長氏の「平和宣言」を賛美し、「慰霊の日に誓いたい。…いつか、基地のない平和な島にすることを」と結んでいます。「いつか」とは?翁長氏を支持する限り「いつか」と言わざるを得ないのかもしれませんが、「基地なき島の実現」は「いつか」ではなく今現在の喫緊の課題ではないのでしょうか。

 沖縄タイムスの「社説」(24日付)に至っては、「基地は国民全体で負担すべき」という翁長氏の「平和宣言」を引き、「翁長知事の指摘を、私たちもまた全国に向かって投げ掛けたい」と結んで翁長氏と一体化しています。「基地のない島」=基地撤去には一言も触れていません。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)と韓国の歴史的な会談・板門店宣言、さらに「朝米会談」直後の「沖縄慰霊の日」。まさに「基地のない沖縄」を決意し合う好機でした。
 にもかかわらず、安倍首相の厚顔無恥な「あいさつ」は論外として、「基地撤去」に触れない翁長知事の「平和宣言」、それを手放しで賛美する「赤旗」「琉球新報」「沖縄タイムス」。きわめて深刻な状況だと言わねばなりません。

 

 


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訪米で「オール沖縄」を逸脱した翁長知事

2017年02月07日 | 沖縄・翁長知事

     

 「翁長雄志知事は辺野古新基地建設に反対する民意を伝えるために訪米したが、米国へ行く前に埋め立て承認を撤回するべきだったと思う。埋め立てを止めるために県が何をするのか決意が見えず、インパクトに欠けた。…翁長知事ははっきりした政策や方針を打ち出す必要がある」(星野英一琉大教授、7日付沖縄タイムス)

 翁長氏の「訪米」の大きな欠陥は、再三述べてきたように(1月30日のブログ参照)、「埋立承認の撤回」を行わずに行ったことです。翁長氏は今からでも直ちに撤回しなければなりません。

 同時に、翁長氏の訪米中の言動にはさらに重大な問題があったことを見逃すわけにいきません。それは、自身の支持基盤である「オール沖縄」の一致点を大きく逸脱する言動を繰り返して米政府・議員をミスリードしたことです。

 翁長氏は国務省のヤング日本部長、国防省のヴォスティ日本部長代行と面会(3日)し、ヤング氏らに「辺野古が唯一の解決策」と繰り返しくぎを刺されました。それに対し翁長氏はなんと言ったか。

 「自由と平等と人権と民主主義を守るために日米安保体制があるにもかかわらず、県民へのこのようなやり方が世界に発信されれば大きなダメージがあるのでは、とも面会で伝えた」(訪米日程終了会見。5日付沖縄タイムス)

 「『辺野古が唯一の解決策』という考え方に固執すると、今後の日米安保体制に大きな禍根を残すと改めて伝えた」(同。5日付琉球新報)

 「会談で翁長知事は、マティス国防長官と安倍晋三首相との会談で辺野古移設推進を確認されたことを挙げ「日米安保体制を維持するためには、県民の理解がなければ大変、難しい」と述べ、県民が反対する辺野古移設を強行すれば、日米安保や在沖米軍基地の安定運用に影響があることを強調した」(5日付琉球新報)

  翁長氏は日米安保体制(安保条約による軍事同盟)を「自由と平等と人権と民主主義を守るため」と最大限賛美したうえで、辺野古新基地に反対するのは「日米安保や在沖米軍基地の安定運用」のためだと言ったのです。

 たしかにこれは翁長氏の持論であり本音です。しかし、けっして「オール沖縄」の一致点ではありません。「オール沖縄」陣営には日米安保体制に反対する個人・団体・政党は少なくないはずです。

 たとえば、知事選の際に翁長氏と日本共産党など県内5党・会派の間で結ばれた「基本姿勢および組織協定」(2014年9月13日)は、「憲法9条を守り、県民のくらしの中に憲法を生かします」という一項目があります。憲法9条と日米安保条約(軍事同盟)が相反することは自明で、「基本姿勢」はむしろ日米安保ではなく憲法の方を重視するとしたものです。
 「辺野古新基地反対」が「日米安保のため」という翁長氏の発言が、「オール沖縄」の一致点から大きく逸脱、いや反していることは明白です。

 逸脱はまだあります。
 翁長氏は1日、ワシントンで共和、民主両党の下院議員と会談しましたが、そこで何と言ったか。
 「会談で翁長知事は…『民意を大切にしないと日米安保体制は大変、不安定になる。(移設先は)沖縄ではなく、いろいろな形で考えてほしい』と述べ、辺野古以外を移設先とするよう求めた」(3日付琉球新報)

 いわゆる「県外移設」です。これも翁長氏の持論です。しかし、けっして「オール沖縄」の一致点ではありません。普天間基地に関する「オール沖縄」の一致点は、「建白書」(2013年1月28日)に明記されている通り、「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」です。

 「県外移設」と「県内移設の断念」はまったく違い、「建白書」は注意深く「県外移設」とはしていません。なぜなら、「県外」であっても基地をたらい回しする「移設」には反対、という個人・団体・政党が「オール沖縄」陣営に含まれているからです。

 翁長氏がいち「政治家」として訪米したのなら、持論を展開するのは自由です。しかし翁長氏は知事として、「オール沖縄」を基盤に当選した知事として、アメリカに「辺野古新基地反対」の「民意」を伝えるために訪米したのです。自由勝手に持論を吹聴することが許されないことは明白です。

 翁長氏は、「日米安保体制」と「県外移設」のダブルで「オール沖縄」の一致点を逸脱し、米政府・議員らに誤ったサインを送ったのです。その責任はきわめて重大です。
 
 「オール沖縄」陣営の「革新派」の人たちは、こうした翁長氏の暴走を黙って見過ごすつもりでしょうか。「辺野古新基地反対」は「日米安保体制のため」と対外的に公言されて平気なのでしょうか。

 翁長氏が「オール沖縄」の知事としてふさわしくないことは明白です。というより、「オール沖縄」に意味のある実態はありません。もともと「建白書」や翁長氏と結んだ「基本姿勢」には「高江」も「自衛隊配備」もなかったのです。

 普天間基地の無条件閉鎖・撤去、高江ヘリパッド反対、先島諸島・本島への自衛隊配備・強化反対、嘉手納基地を含むすべての米軍基地撤去、戦争法・日米軍事同盟反対…そうした点で一致できる「革新派」は、一日も早く翁長氏と決別すべきです。決別して翁長氏に「直ちに埋立承認を撤回せよ」と迫るべきです。
 そして、来年秋の県知事選に向けて、新たな一歩を踏み出すべきです。 


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「翁長訪米」は百害あって一利なし

2017年01月30日 | 沖縄・翁長知事

    

 翁長知事の訪米はてっきり延期か中止だろうと思っていましたが、予定通り行われる(30日~2月5日)のは驚きです。
 これまでの2回の訪米もパフォーマンスでしたが、今回はそれ以上に無意味、というよりマイナスだけが大きい愚行と言わねばなりません。

 そもそもトランプ政権をめぐる今の情勢から、トランプ氏は言うまでもなく政権の主要なメンバーには会うことすら困難とみられています。現に出発直前になってもだれに会えるのか明らかになっていません。

 米軍準機関紙「星条旗」は翁長訪米について、「大統領は2月上旬の安倍晋三首相との会談で2国間の関係について協議する予定を立てており、『(翁長知事の)トランプ関係者との面談は実現しそうもない』と予想」(28日付沖縄タイムス)しています。当然でしょう。

 それどころか同紙は、「『トランプ氏の政策顧問はロイター通信に対し、対中国抑止政策として、日本とオーストラリアにおける米軍の駐留拡大案を検討していると語った』などと解説」(同)しています。万一「トランプ関係者」と会うことができたとしても、「辺野古新基地断念」どころか逆に「米軍駐留の拡大」を表明されるのがオチです。

 今回の「翁長訪米」が大きなマイナスなのは、なによりも「辺野古新基地阻止」のたたかいにとってです。

 28日に沖縄大学でシンポジウム「沖縄はどうすべきかー安倍政権の対沖縄政策に対抗するために」が開かれましたが、ここでも「翁長雄志知事に対し、辺野古埋め立て承認を撤回し立場を明確にして30日からの訪米に臨むべきだとの声が上がった」(29日付琉球新報)といいます。

 パネラーの1人乗松聡子さん(「ジャパンフォーカス」エディター)は、「撤回せずに行ったら、工事再開を許した(承認取消を自ら取り消したー引用者)ことに礼を言われるだけだ」として「すぐさま承認を撤回すべきだ」(同)と強調しました。まったくその通りです。

 訪米するなら少なくともその前に埋立承認を撤回せよ、というのは市民の以前からの声です。

 沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんは、「1番必要なことは埋め立て承認の撤回だ」とし、「訪米前に撤回し、断固とした反対の意思を示してほしい」と強調。「わんから市民の会」の赤嶺和伸共同代表も、「知事の〝次の一手”が見えないことに『やきもきしている』」とし、「知事は訪米を前に、辺野古を訪れ、説明すべきだ」(20日付沖縄タイムス)と話していました。

 翁長氏はこうした市民、識者の声・指摘を無視し、「承認撤回」には目もくれないでアメリカへ行くのです。

 さらに、翁長氏の「腹心」であった安慶田光男前副知事の「口利き・人事介入」問題があります。

 安慶田氏が一貫して「疑惑」を否定したまま辞任し、当時の諸見里明教育長が文書で安慶田氏を告発、安慶田氏が諸見里氏を「名誉毀損」で告訴するというまさに泥沼状態です。安慶田氏とは二人三脚、任命権者でもある翁長氏の責任はきわめて重大で、一日も早く真相を究明して県民に示すことが知事としての最低限の責務です。

 ところが翁長氏は一貫して自ら真相究明にあたろうとしていません。そして今回の訪米で、少なくとも帰国する2月5日まで翁長氏はこの問題から逃げることになるのです。

 「前副知事調査、知事は厳正にー一県民から言わせていただければ、知事は泣いて馬謖を斬る心をもって調査等に臨むことだ。国には声高であっても身内に甘いのでは話にならない」。30日の沖縄タイムス投書欄に載った県民(那覇市、47歳牧師)の声です。
 翁長氏はこうした県民の控えめな要求にさえ背を向けたままアメリカへ行くのです。

 公費の無駄遣い。時間の浪費(この間も埋立工事は進行)。パフォーマンス。「承認撤回」の棚上げ。「口利き・介入」問題の真相究明ストップ…まさに百害あって一利なしの「翁長訪米」です。


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翁長知事に問われているのは「任命責任」だけではない

2017年01月26日 | 沖縄・翁長知事

     

 沖縄の安慶田光男前副知事は26日、教員採用や教育庁人事で「口利き・介入」があったとする「文書」を公表(24日)した諸見里明前教育長を名誉棄損で告訴し、同時に損害賠償請求の訴訟を起こしました。(写真右)

 事態はいっそう混迷を深めており、第三者機関や県議会による真相究明が急がれています。

 「疑惑」の真相究明はこれからだとしても、いまの時点で確実なことは、翁長雄志知事の責任がきわめて重大だということです。
 問われているのは翁長氏の「任命責任」だけではありません。

 平敷昭人教育長が24日の記者会見で公表した諸見里前教育長の「文書」、および平敷氏らの記者会見や一連の報道から、重要な事実経過を抜き出してみます。

 18日 沖縄タイムスが「疑惑」報道。安慶田氏は一貫して否定。
 20日 定例会見で翁長氏、安慶田氏、平敷氏ともに「疑惑」を否定。
 21日 諸見里氏が教育庁に「事実を伝えたい」と申し出る。
 同日夕 安慶田氏が弁護士を通じて翁長氏に辞意を伝える。
 22日午後 與那覇教育指導統括監が諸見里氏の「文書」を受け取る。
 同日夕 同統括監が翁長氏に「文書」について「一報」を入れる。
 23日朝 同統括監が知事室へ行くも「別案件があって午前中なかなか進まず」(與那覇氏)。
 同日午後 翁長氏と安慶田氏が記者会見(別々)で「辞任」を表明。「疑惑」は引き続き否定
 同日午後3時ごろ 記者会見後、與那覇統括監が翁長氏に「諸見里文書」の中身を報告。
 24日午前 平敷氏が会見で「諸見里文書」を公表。「安慶田氏からの働きかけがあったと認めざるをえない」と断定。
 同日午後 翁長氏が会見。「諸見里文書」の存在を認めるも、なおも「疑念」だと安慶田氏をかばう。

 以上の経過でとりわけ重要なのは、①翁長氏は22日夕には「諸見里文書」の存在を知っていた(一報を受けていた)②にもかかわらずすぐにそれを確認しようとしなかった③それどころか翌朝統括監が知事室に報告に行っても「別案件」で「何回も中断に遭い説明できなかった」(平敷氏)。つまり翁長氏は「別案件」を優先して「文書」の説明を聞こうとしなかった④翁長氏はそのまま「安慶田氏辞任」の記者会見を行い、「疑惑」を否定する安慶田氏をかばった。

 これはきわめて奇異です。当時の教育長が「事実を伝えたい」とする「文書」が県庁に届いていると報告を受ければ、なにはさておいてもすぐに見ようとするのが当たり前でしょう。ところが翁長氏は23日の記者会見が終わるまで丸1日、「文書」を確認しようとしなかったのです。
 まさかこの問題より重要な「別案件」があるわけではないでしょう。翁長氏は明らかに23日の記者会見が終わるまで意図的に「諸見里文書」を見ようとしなかった、と考えざるをえません。

 24日の記者会見で記者から「(「文書」の)存在を知っていて全否定する会見をしている。行政の態度として不誠実では」(25日付琉球新報)との質問が平敷氏に対してなされましたが、「不誠実」ですまされる問題ではありません。翁長氏は意図的に重大事実(「諸見里文書」の存在)を隠ぺいし(会見でウソを言ったに等しい)、安慶田氏をかばい続けたのです。

 任命責任(安慶田氏の副知事任命だけでなく、20日の会見で疑惑を否定するずさんな調査報告を行った平敷氏を教育長に任命したのも翁長氏)とともに、いやそれ以上に、記者会見で意図的に重大な事実を隠ぺいした翁長氏の責任は、進退にかかわる問題だと言わねばなりません。
  


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