アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

安倍首相はなぜ無謀な「全国一斉休校」に走ったのか

2020年02月29日 | 安倍政権

    

 安倍首相が27日突然ぶち上げた「全国小中高一斉休校」の「要請」(事実上の強要)は、児童・生徒、父母、教育現場、医療・自治体関係者に衝撃と不安を広げています。
 コンビニの同僚パート主婦(小5の母)は、「学童保育の方が感染の不安が大きい。一人で家に置いておくしかない」と頭を抱えていました。

 武藤芳照東大名誉教授(身体教育学)は、「政府による全ての小中高校や特別支援学校への臨時休校の要請は聞いたことがなく、学校教育の歴史の中で大きな前例となるだろう」とその異常さを指摘するとともに、「突然の表明は学校現場を混乱させるだけでなく、社会の閉塞感を加速させることも懸念される。抑制ばかりを求めるのではなく、その先の展望も示し、人々が前向きになれるよう丁寧な説明に努めることが今求められる政治の役割ではなのか」(28日付沖縄タイムス)と話しています。

 また、「休校は感染拡大防止に一定の効果がある」とする森田公一長崎大熱帯医学研究所所長(ウイルス学)も、「首相が感染の広がっている地域だけでなく、全国に要請したことには驚いた」(同沖縄タイムス)と、安倍首相の異常さにあきれています。

 安倍首相はなぜ、こうした異常・無謀な方針を、突然打ち出したのでしょうか。

 安倍氏がもともと理性的な判断力に乏しいうえ、コロナウイルス対策で「後手に回った」「クルーズ船対策を誤った」などの批判が広がっていることに感情的に反発したこともあるでしょう。しかし、それだけではないでしょう。

 数日前から、IOC(国際オリンピック委員会)の元副会長で最古参委員のディック・バウンド氏が、感染防止が最優先されるとして、東京五輪開催の可否判断は「引き延ばしても3カ月」と5月下旬に延期・中止を含めて判断すべきだと述べたと報じられました。

 安倍政権はこれを、「個人的な意見だ」(橋本聖子五輪担当相、26日の衆院予算委員会)として無視しようとしました。

 ところが、27日の時事通信は、東京五輪の準備状況を監督するIOCのジョン・コーツ調整委員長もオーストラリア紙に、「大会を予定通り開催するかどうかの判断まで期間は約3カ月との認識を示し」、バウンド委員の意見に「反対しない」と述べたと報じました(28日付東京新聞)。

 コロナウイルス対策に関する安倍政権の無知・無能は国際的に批判を浴びており、IOC内でも東京五輪開催への不安・疑問が広がっていることが否定できなくなりました。

 こうした状況に対し、安倍氏が「強力なリーダーシップ」を示そうとして無分別にぶち上げたのが「全国一斉休校」ではないでしょうか。

 当初、クルーズ船の感染者数を「国内感染者」にカウントしなかったり、船内対策を軽視して感染を広げた不手際。そして今回の「全国一斉休校」。対応は場当たり的で大きくぶれているようですが、一貫していることがあります。それは、安倍首相がウイルス感染対策、市民の生活や生命よりも東京五輪を優先しようとしていることです。 

 安倍氏にとって東京五輪は、①国威発揚②政権浮揚③天皇制強化④自衛隊誇示⑤開催後の解散・総選挙⑥その先の政権延命―という政治的思惑のるつぼです。その党利党略・私利私欲のためにどんなことがあっても東京五輪を強行しようとする。それがコロナウイルス対策での安倍政権迷走の背景ではないでしょうか。


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韓国漫画『草・日本軍「慰安婦」のリビングヒストリー』が問うもの<下>

2020年02月28日 | 戦争・「慰安婦」

    
 キム・ジェンドリ・グムスク著『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(都築寿美枝翻訳、ころから刊)の巻末には、3人の識者の解説が掲載されています。要点を抜粋します。

☆原正人氏(バンド・デジネ翻訳家)(バンド・デジネはフランス語圏のマンガ)

 「慰安婦」をテーマにした作品ではあるが、決して日本の戦争責任の追及に汲々とした作品ではない。本書の狙いは、むしろ現代の若い韓国人女性マンガ家の目を通して、李玉善(イ・オクソン)というひとりの人間の過酷な人生を描き、不当とも言える厳しい運命を生き抜いた彼女の強さを称えることにこそある。

 本書に登場する草木は、時に主人公を脅かし、時に慰める。主人公のしたたかさを体現したかと思えば、旧日本軍が残した建物跡にはびこって人間たちの驕りを超然とあざ笑い、一方でやがて訪れる春への希望にもなりうる。
 こうした多義的な草木を重ねることで、作者は、本人でさえ否定してしまいがちな「慰安婦」の逆境においてもたくましく大らかで美しい、それこそ草木を思わせるそのあり方をことほいでいるのだろうか。

☆吉見義明氏(歴史学者)

 日本軍が戦地で軍慰安所を開設した最初の事例は1932年の上海だった。戦地の地元の女性が「慰安婦」にされるケースと、日本・朝鮮・台湾から連れて行かれるケースがあるが、日本から移送する場合は、現に性売(売春)をしており、満21歳以上である者という制限を日本政府は課していたが、朝鮮・台湾から移送する場合はそのような制限はしなかった。

 人身売買や誘拐や略取により女性を海外に連れて行き、使役することは、日本・朝鮮・台湾で施行されていた刑法第226条に違反する重大な犯罪だった。軍慰安所は、軍がつくり、監督・統制していた施設で、軍自体が主犯だったということになる。

 今日では、日本軍「慰安婦」問題は、紛争時の女性に対する性暴力、植民地支配、貧しい女性にたいする性売の強制という3つの問題が重なった重大な人権侵害と認識されるようになっているが、この3つの問題を考え、克服するうえでも、玉善さんのリビング・ヒストリーはとても重要だと思う。

☆梁澄子(ヤン・チンジャ)さん(一般社団法人希望のたね基金代表理事)

 李玉善ハルモニが暮らすナヌムの家からソウルの日本大使館までは車で2時間ほどかかる。なぜハルモニは、これほど強い意志を持って、片道2時間をかけて水曜デモに出掛けてくるのか。伝えたいことがあるからなのだと思う。次世代へのメッセージを残そうとしている。

 ハルモニは、日本軍「慰安婦」問題は日本の子どもたちにとって「自分の国の歴史だ」と言い、その歴史を「学校できちんと教えないから子どもたちが歴史を知らない」「可哀想だ」と言った。歴史を知らない子どもたちが可哀想―。だから日本に行った時、全国各地で講演をしたのだと言う。

 次世代を生きる人々に同じようなことが起きてはならない。そのためにはまず知らなければならない。李玉善ハルモニに限らず、名乗り出て闘って来た日本軍「慰安婦」サバイバーたちの多くが訴えて来たことだ。知ることが再発防止に繋がる。そう信じるからこそ、自らの辛い過去を繰り返し語って来たのである。

 事実を知ること、とりわけ被害者が経験した事実と抱えて来た思いを知ることは、この問題に関する思考を深め、立ち位置を定める上で、最も基本的な営みになるだろう。
 日本軍「慰安婦」問題がもっぱら政治問題、外交問題としてのみ語られる現在の日本の環境で、事実を知り被害者たちの思いを受け止めていれば、様々な言説に揺らぐことなく人権擁護の立場に立ち続けることができると思うからだ。

 今、90歳を越えたハルモニが、身を削るようにして必死に残そうとしているメッセージを、本書が伝えてくれている。
 学ぶことに飢えていたハルモニが、学べる場はあっても学ぶ機会を奪われて来た日本の若者に向けて送るメッセージ。深く受け止めなければならないと思う。


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韓国漫画『草・日本軍「慰安婦」のリビングヒストリー』が問うもの<上>

2020年02月27日 | 戦争・「慰安婦」

    
 日本帝国軍の性奴隷(「慰安婦」)となった韓国女性の生涯を描いた韓国漫画『草 日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』の日本語版が、今月14日出版されました。それを記念し、作者のキム・ジェンドリ・グムスクさんと「出会う会」が24日、福山市内で行われました。東京、大阪、広島に続くもの。翻訳者の都築寿美枝さん(元教師・福山市在住)の通訳で、作品に込めた思いを1時間半にわたって語りました(写真中の左がキムさん、右が都築さん)。

 『草』(ころから刊、488㌻、定価3000円+税)は2017年に韓国で出版され、すでにフランス語、英語、イタリア語に翻訳されて高い評価を受け、各種の賞を受賞しています。まもなくスペイン語、ポルトガル語、アラビア語にも翻訳される予定です。

 しかし、キムさんは「日本で出版されることは全く想像できなかった」と言います。それが実現したのは、教員時代に日本軍性奴隷の問題を扱い、退職後「自分に何ができるだろうか」と考えて韓国に向かった都築さんの決意と尽力によるところが大です。資金は昨年3月からクラウドファンディングを開始し、目標の145万円が短期間に集まりました。

 こうした経過にキムさんは、「日本の民主主義と日本の未来はこのように志を持っている市民がいるからこそ暗くはないと思った。未来の日韓関係に、またこのような市民の良心と行動に希望をかけてみよう。芸術こそ、その希望の大切な種であり、力だと思う」(同書あとがき)と記しています。

 『草』は、現在「ナヌムの家」に暮らす李玉善(イ・オクソン)ハルモニの人生をモノクロの漫画で描いたものです。
 オクソンさんは1927年釜山生まれ。貧しい家庭の長女として朝から夜中まで働かされました。14歳の時「学校に通える」と騙されて飲み屋に売られました。1942年、トラックの荷台に投げ込まれて中国の延吉(イエンチー)の日本軍飛行場につれていかれ、3年間性奴隷にされ、子どもがうめない体に。連行されて55年後に故郷・釜山に戻りますが、両親はすでに亡く、兄妹からは歓迎されませんでした―。

 『草』を一読し、キムさんの話を聴いて思った、この作品の特に優れた点を3点挙げます。

 第1に、オクソンさんが売られ、性奴隷にされるまでの経過が丁寧に描かれていることです。それは帝国日本の植民地政策によって朝鮮半島の人々が極度の貧困に貶められ、学校にも行けず、それが人身売買、性奴隷の誘因・背景になったことです。日本軍性奴隷と日帝植民地支配はまさに表裏一体であることが鮮明に描かれています。

 第2に、「一番悩んだのは、暴力と苦痛を漫画でどう描くかだった」というキムさんがとった手法は、それを直接描くのではなく、象徴的な絵(例えば「慰安所」の部屋に並ぶ日本兵の軍靴=写真右)で間接的に、さらに黒と白の陰影で描くこと(隠喩)でした(「草」は「踏まれても立ち上がる」オクソンさんらサバイバーの象徴)。
 「想像してほしいのです。人間が偉大なのは、想像力をもっていることです」というキムさん。「芸術こそ希望の種」という言葉もそれに通じるのではないでしょうか。読む者の想像力が試されます。

 第3に、『草』には「ナヌムの家」を訪ね続けてオクソンさんから話を聴き、その足跡を自らたどる旅をするキムさん自身が登場します。キムさんとオクソンさんの会話・交流が、この作品のもう1つの主題といっても過言ではないでしょう。
 そこには、オクソンさんの話を過去の、自分とはかけ離れた話とは受け止めない、日本軍性奴隷問題に、オクソンさんの人生に主体的にかかわっていこうとするキムさんの姿勢が表れています。作家・芸術家としての、解放後(戦後)に生まれた者としての、そして女性としての、そんなキムさんの人生への向き合い方が、胸に迫ってきました。 

 巻末には、原正人、吉見義明、梁澄子3氏の優れた解説があります。<下>でそれを紹介します。(<下>は明日掲載。土曜日は別の「一言」を書きます)

 


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沖縄基地「引き取り」論・高橋哲哉氏と目取真俊氏

2020年02月25日 | 日米安保・沖縄

    

 辺野古新基地建設の県民投票1年にあたり、沖縄タイムスが「本土よ」と題するインタビュー連載を行っています。その中で、いずれも辺野古新基地に反対し活発な活動を行っている高橋哲哉氏(東大大学院教授)と目取真俊氏(作家)が、沖縄の米軍基地を「本土」に引き取るべきだとする「基地引き取り」論をめぐって対照的な主張を行っています(17日付と18日付)。

 「引き取り」論の先駆者といえる高橋氏は、「構造的差別がある以上、差別する側がそれをやめなければいけない」と主張。沖縄の米軍基地の存在は、「本土」による「構造的差別」の表れだから「差別する側」=「本土」が基地を引き取るべきだ、という同論の神髄です。

 「本土」の各地で行われている「引き取る」運動について高橋氏は、「大阪の会が15年に立ち上がってから、全国10カ所程度に広がったことは当初の想定を超えていた。…個人の自発的な意思に基づいて市民が集まっていることに希望を感じている」とし、これは「引き取るまでは決意できない、という人たちにもオープンな運動だ」と述べています。この点は、従来の同氏の主張にくらべて柔軟性を感じます。

 これに対し目取真氏は、「基地を引き取るという人は、どの基地をどこにいつまでに引き取るのか。具体的に示すべきだ」とし、「(差別している本土に持っていけ、というのは―引用者)心情としては分かるが、辺野古の現実とはかけ離れている」「もちろんヤマトゥには基地を沖縄に押し付けている責任がある。だから、自腹を切って現場に足を運び、ゲート前に座り込み、船やカヌーで海に出てほしい」なすべきことはまず現場に集まって工事を止めることだ。千人集まれば止まる」と主張します。実際に連日辺野古の現場でカヌーに乗ってたたかっている同氏らしい現場重視です。

 「引き取り」論について、私はその思想には反対ではありませんが、それを運動化することには賛成できません。しかし、目取真氏が「引き取り」論を「自分のやましさを解消するための虚構だ」「引き取り論はむしろ(新基地反対運動の―引用者)足を引っ張っている」と批判していることには同意できません。私が知る限り、「引き取り」論を主張し運動している人たちは極めて真摯です。「引き取り」論・運動が現場のたたかいと矛盾するとも思えません。

 目取真氏のインタビューで最も疑問なのは、同氏が日米安保条約について一言も触れていないことです。高橋氏は「私は安保反対、基地反対という戦後護憲派の中で育ってきた」と婉曲ながらいちおう「安保反対」と言っています(もっと明確に主張すべきですが)。しかし、目取真氏の話に「日米安保」の言葉はまったくありません。

 今回だけではありません。目取真氏は琉球新報に連載コラム(「季刊 目取真俊」)を持っていますが、その1月23日付で、「敗戦から75年の今年、基地問題を原点から考えたい。…米国の顔色をうかがい、代わりの施設を差し出さなければ物事は進まない、という思考自体が、日米両政府の掌の上で踊らされているものだ」と重要な指摘をしています。
 ところが、ここまで主張しながら、その日米関係(軍事同盟)の根拠(元凶)である日米安保条約についてはまったく触れていないのです。

 目取真氏は沖縄タイムスのインタビューで、「植民地主義を言うなら、日本が一番被害を与えているのは朝鮮半島だ。基地を日本のどこに移そうが、殺される側から見れば脅威は変わらない。ヤマトゥと沖縄の二極構造で考えるのはおかしい」と言います。同感です。そうであれば、朝鮮半島に脅威を与えている在日米軍基地の根拠である日米安保条約にはっきり反対し廃棄を主張すべきではないでしょうか。

 「引き取り」論・運動と現場重視の運動は矛盾するものではないでしょう。ただし、いずれもその根底に「日米安保条約反対・廃棄」をはっきり据えるべきです。なぜなら、日米安保条約こそが基地問題(米軍・自衛隊)の元凶だからです。


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徳仁天皇初の「誕生日会見」で露呈したこと

2020年02月24日 | 天皇・天皇制

       
 23日の誕生日に際して徳仁天皇が行った初めての「天皇誕生日会見」(21日実施)は、A4判にして8枚半(宮内庁のHP発表をコピー)にもおよぶ長いものでした。これまでの発言と比べ特筆すべきことはないように思えましたが、注意深く読むと、徳仁天皇、というより天皇制の本音・本質が露呈した場面がありました。

 徳仁天皇は会見で、「国民に寄り添う」という言葉を4回口にしました。ほかに「被災者に寄り添う」が1回、「(国民に)心を寄せる」が3回。明仁前天皇を賛美し継承するという脈絡で連発したものですが、天皇(天皇制支持勢力)がいかにこの言葉を前面に出そうとしているかが改めて分かります。

 では、天皇が「国民に寄り添う」「心を寄せる」とはどういうことでしょうか?

自衛隊のヘリで、入念に準備された「被災地」へ行き、選ばれた「被災者」に会うことが「寄り添う」ことになるのでしょうか。美辞麗句が躍る一方、天皇がどういう意味でその言葉使っているのかは不明です。

 ところが、問わず語りにその意味が露見した場面がありました。記者が、「社会の片隅に暮らす人々」として、外国人労働者、在日外国人、外国にルーツを持つ日本人、障害者、LGBTなどを例にあげ、「陛下はこのような人々にどう寄り添い、光を当てていきたいとお考え」かと聞いたのに対し、徳仁天皇はこう答えました。

 「本当にこの世界にはいろいろな方がおられ、そういった多様性に対して、私たちは寛容の心を持って受け入れていかなければいけないと常に思ってきました。私も引き続きそのような方々に対する理解も深めていきたいと思っております」

 「社会の片隅に暮らす人々」とは記者の差別的表現ですが、それをマイノリティと言い換えると、徳仁天皇はそうしたマイノリティを、「寛容の心を持って受け入れていかねばならない」と言ったのです。

 ここには明らかに上下関係があります。「寛容」には「人の過失をとがめない」(国語辞典)という意味があります。徳仁天皇の発言には、マイノリティを何か問題がある人間と見下し、受け入れてやるという上から目線があります。けっして平等ではありません。「生産性がない」発言と紙一重です。しかも徳仁天皇は「私たちは…」とその目線・立ち位置を「国民」にも要求したのです。

 ここには天皇(制)の本質が表れているのではないでしょうか。天皇制は明白な身分制度です。現行憲法の下でも皇位継承を世襲にすることなどによって、身分制度としての天皇制が継続されています。
 徳仁天皇がいくら「国民に寄り添う」「心を寄せる」を連発しても、それはこの身分制度の頂点に立つ者が、「国民」という下じもの者に対して情けをかける、慈悲の心を持つということにほかなりません。「寛容の心を持って受け入れる」という言葉はその本音を思わず吐露したものではないでしょうか。

 平等であるべき人間社会に差別を持ち込み、固定化させる身分制度は廃止しなければなりません。それが人間の歴史の進歩です。したがって身分制度である天皇制は直ちに廃止しなければなりません。徳仁天皇初の「誕生日会見」はその思いを改めて強く抱かせるものでした。


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日曜日記89・河野防衛相の記者操作・台風に元号名・面会自粛

2020年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

☆河野防衛相の記者操作

 22日付の琉球新報によれば、河野太郎防衛相は21日の会見で、沖縄タイムスの記者のツイッターをブロックしている問題で、「誹謗中傷する方とやりとりするのは時間の無駄だ。礼儀のない人をブロックするのは何の問題もない」と開き直った。驚くべきことだ。

 河野は「批判的なユーザーに自身の投稿を見せない『ブロック』を多用することで知られている」(琉球新報)という。常習犯だ。

 特定の新聞・記者を「誹謗中傷」よばわりして排除しようとするのは、自民党の常とう手段だが、到底許されることではない。大臣のツイッターが公的なものであることは言うまでもない。その情報を特定の記者に発信しないのは大臣としての職務放棄でもある。河野太郎は即刻大臣をやめるべきだ。

 重要なのは、特定の記者をフレームアップすることは、他の記者全体を操作することになるということだ。河野番の記者(防衛省担当)にとって大臣のツイッターは業務上の情報源の1つだ。それがブロックされることは仕事に差し障る。だから河野に「誹謗中傷」「礼儀がない」と思われないようにしようとする。そこに自己規制、体制追随が生まれる。それが河野(メディアを攻撃する安倍・自民党)の狙いだ。

 これはブロックされた沖縄タイムスの記者だけの問題ではない。記者・メディア全体の問題だ。防衛省記者クラブは公式に河野に抗議しなければならない。

☆台風に元号名

 19日、安倍政権(気象庁)は昨年9月の台風15号と10月の19号に名前を付けた。台風に名前を付けるのは1977年の沖永良部島台風(台風9号)以来、43年ぶりだという。

 付けた名前が、「令和元年房総半島台風」「令和元年東日本台風」。43年ぶりの命名が元号の強調だ。施政方針演説(1月20日)で、「令和の新しい時代」を何度も繰り返して改憲にむすびつけた安倍らしい姑息さだ。

 こうして政府(国家権力)は天皇制を日常生活に忍び込ませようとする。そういえば、「神武景気」「岩戸(天の岩戸)景気」という言葉もあった。台風の名前が生活に浸透することはないだろうが、記録として残される(教科書にも載る可能性)ことは軽視できない。国家による元号・天皇制の日常化策動は1つひとつ批判していく必要がある。

☆母の面会を自粛

 新型コロナウイルス感染はいよいよ他人事でなくなってきた。広島県から感染者が出るのも時間の問題だろう。
 母のグループホームからはまだ「面会禁止」は出ていないが、こちらから自粛することにした。毎日面会に行っていたが、今週から週2回にする。

 コンビニのアルバイトは感染リスクが高い。不特定多数の客の中にはレジ前でマスクをせずに咳やくしゃみをする客もいる。症状が出てからでは遅い。グループホーム(老人介護施設)にウイルスを持ち込んだら大変なことになる。

 本当は面会をゼロにすべきだろうが、この状況がいつまで続くかわからない。数カ月続けば、その間に母にどんな変化が生まれるかわからない。だが、そんなことは言っていられないことになるかもしれない。もう少し様子をみよう。


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感染コントロール不能・それでも東京五輪を強行するのか

2020年02月22日 | 五輪とメディア・政治...

  

 新型コロナウイルス感染は各地に拡大しています。感染経路が特定できない「市中感染」の様相です。各地の催しが中止され、施設が休館を余儀なくされています。
 そんな中、言うまでもなく最大のイベントである東京オリ・パラについて、安倍政権が延期・中止に向けた議論さえ行わずこのまま強行しようとしていることはきわめて異常・重大です。

 加藤勝信厚労相は20日、各地のイベント主催者に「開催の必要性の再検討」、すなわち中止の検討を要請しました。ところがその会見の中で、「今夏の東京五輪・パラリンピックについては『国内の感染状況を見ながら適切なメッセージを発信したい』と述べた」(21日付琉球新報=共同配信)にすぎませんでした。イベント再検討の要請についても、「明確な基準を示さなかった理由について『一概に言えないことがあってこういう表現にした』と説明」(同)しました。
 東京五輪中止に議論が及ぶのを避けようとしたことは明白です。

 ウイルスの感染防止より東京五輪を優先するこうした日本政府・安倍政権の姿勢について、外国のメディア・識者からは厳しい批判が出ています。

 「(クルーズ船を巡り)船内で乗客乗員を待機させた日本政府の対応に各国から厳しい批判が寄せられている。…外国メディアは、安倍政権が東京五輪への影響を恐れるあまり、方策を間違えたとの見方を伝えた」「台湾の専門家は『感染コントロールの基本的認識すらないようだ』とし、感染者が相次ぐ事態を『人災』と断定した」「韓国の京郷新聞は…クルーズ船の感染者数を国内の集計に含めないことについて、『安倍晋三首相の最大の関心事は、東京五輪が影響を受けないよう日本国内の感染者数を抑制することにある』と指弾した」(21日付琉球新報=共同配信)

 ロイター通信は20日、「安倍首相にとって栄誉あるものになるはずだったオリンピック・イヤーは汚された」とし、東京五輪への影響は必至という見方を伝えました。

 日本の専門家からも、五輪開催についての懸念が表明されています。

 医師の高橋央氏は、「大勢が一堂に集まるのだから、平和の祭典が感染の大舞台になる可能性がある」と警鐘を鳴らしました(16日放送「バンキシャ」=日テレ)。
 岡田晴恵白鴎大教授(元国立感染症研究所研究員)も、「(東京五輪への影響は)見通せない」(17日放送「Nスタ」=YBS)と懸念を示しました。

 こうした指摘がある一方、日本のメディアによる東京五輪への影響報道、安倍政権の五輪最優先姿勢への批判は、外国メディアにくらべきわめて微弱と言わざるをえません。それは、スポーツ新聞を抱える主要全国紙が東京五輪の協賛団体となっていることと無関係ではないでしょう。日本のメディアの見識がここでも問われています。

 安倍政権が新型ウイルスの感染防止に失敗したことは明白です。アメリカCDC(疾病対策センタ)の指摘や、クルーズ船に調査に入った岩田健太郎教授(神戸大)の報告でもそれは明らかです(岩田氏はその後解任)。まさに「感染コントロールの基本認識すらない」政権と言わざるをえません。そのような政権に感染が拡大している中でオリンピック・パラリンピックを行う資格などありません。

 もともと東京五輪は、安倍氏が福島東電原発の汚染水を「アンダー・コントロール」と国際的な大ウソをついて誘致したものです。それがいま新型ウイルスをアンダー・コントロールできずに開催困難になっていることはきわめて皮肉・象徴的と言わざるをえません。

 安倍政権は政治的思惑を捨て東京五輪をきっぱり断念すべきです。その決定を早く行うべきです。それがアスリートやボランティアのためでもあります。

 


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新型肺炎対策で朝鮮窮地・今こそ経済制裁解除を

2020年02月20日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

   
 新型肺炎は「市中感染」の様相を呈する新たな段階に入りました。世界有数の医療体制をもちながら、安倍政権の対策の不備が感染の不安を広げています。一方、厳しい経済・医療状況の下、国を挙げて懸命に新型肺炎の危険とたたかっている国があります。隣国・朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)です。

 「北朝鮮 存亡かけ鎖国 経済制裁下 脆弱な医療体制」。6日付沖縄タイムス(共同配信)はこうした見出しでこう報じています。
 「中国での新型コロナウイルス拡大を受け、医療体制の脆弱な北朝鮮が鎖国状態に入った。制裁による経済苦が一層深まる恐れがあるが、「国家存亡にかかわる問題」(朝鮮労働党機関紙、労働新聞)への対応を優先した」

 中国人観光客は朝鮮の貴重な外貨収入源ですが、感染予防を優先して朝鮮は1月下旬からその受け入れを停止しています。貿易も9割以上が中国との関係ですが、それも制限しています。 

 「朝鮮では1月24日、国家の緊急措置に基づき、新型コロナウイルス感染症の危険がなくなるまで、衛生防疫システムを国家非常防疫システムに転換し、中央と地方に非常防疫指揮部を設置、防疫活動を統一的に実施している。…現在、ウイルスの発生地域はもちろん国境地帯への出張、旅行を極力制限し、入国者との接触も完全に遮断するほか、国際列車・国際航路の運行と観光事業を中断しており、一連の措置は国家非常防疫システムが解除されるまで継続されるとしている」(17日付朝鮮新報デジタル版。写真右は治療の研究を行っている朝鮮の医療機関=同紙より)

 こうした対策によって、朝鮮では感染者は出ていないといいます。朝鮮指導部は、「経済苦が一層深まる恐れがある」ことを覚悟で「国家存亡にかかわる問題」として取り組んでいるのです。こうした状況が長引けば、経済的困窮がさらに深刻になるのは必至です。

 私たち日本人は朝鮮のこの窮状を座視していて良いのでしょうか。

 そもそも朝鮮に対する「経済制裁」は、核超大国・アメリカとその同盟諸国が、朝鮮を経済的に追い詰めるために行っている不当な政治的圧力です。安倍政権は「拉致問題」を口実に他国を上回る「独自制裁」まで行っています。

 朝鮮に対する経済制裁は一刻も早くやめるべきです。朝鮮が国家存亡をかけて新型肺炎の危険とたたかっている今こそ、制裁解除の時機(とき)です。

 安倍首相は施政方針演説(1月20日)で、「東日本大震災では、163の国と地域から支援が寄せられた。…今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したい」と述べました。その「163の国」の中に朝鮮が入っていることを安倍氏は知っているのでしょうか。

 東日本大震災だけではありません。阪神淡路大震災(1995年)の時も日本は朝鮮から支援を受けました。朝鮮学校は両震災で被災者の避難所となりました。西日本豪雨災害のときも朝鮮学校の生徒たちはボランティアで被災地に入りました。

 私たち日本人は朝鮮半島の人々に対して植民地支配の歴史的責任があります。その加害責任をいまだに謝罪すらしていません。それどころか逆に、日本政府は朝鮮を敵視し、日本社会は在日朝鮮人に対して新たな差別さえ続けています。にもかかわらず、朝鮮政府、在日の人々は日本が窮地に陥っているときは援助の手を差し延べてくれているのです。

 朝鮮が窮地のときは私たちが支援するのはあまりにも当然ではないでしょうか。まして私たちには加害責任があるのです。「(北)朝鮮に対する経済制裁の解除を」の声を今こそ上げるべきです。
 朝鮮の窮状に対する傍観・無関心は安倍政権の朝鮮敵視に加担するのと同じではないでしょうか。


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広がる「軍事と民生のボーダレス化」―筑波大が軍事研究の危険

2020年02月18日 | 自衛隊・軍隊

  

 新型肺炎に関連して安倍政権がことさら自衛隊を動かし、その存在を示そうとしているように、自衛隊の影は社会のさまざまな分野に広がろうとしています。大学の学問・研究分野もその1つです。

 国立大学協会(国大協)の会長校でもある筑波大学(永田恭介学長)が、従来の基本方針を百八十度転換して軍事研究に着手しようとしており、学内外から批判の声が上がっています。国大協の会長校であることの影響も含め、これは筑波大だけの問題ではありません。

 日本科学者会議茨城支部筑波大分会・安保法制に反対する筑波大有志の会などは今月13日、「筑波大学の防衛装備庁助成研究への応募・採択に抗議し、その中止を求めます」との声明を発表しました。

 それによると、同大は2019年12月、防衛装備庁の「令和元年度・安全保障技術研究推進制度」に応募し、採択されました(5年間で最大20億円予算)。
 同大は、2018年12月13日、「本学におけるあらゆる研究活動は、人道に反しないことを原則とし、学問の自由及び学術研究の健全な発展を図るため、研究者の自主性・自律性が尊重され、かつ研究の公開性が担保されるものでなければならない」としたうえで、「これらに反していることから、本学は軍事研究を行わない」と明記した「軍事研究に関する基本方針」を決定しています。それからわずか1年で、この方針を投げ捨てたわけです。

 筑波大が応募し採択された「安全保障技術研究推進制度」について、防衛装備庁はこう説明しています。
 「近年の技術革新の急速な進展は、防衛技術と民生技術のボーダレス化をもたらしており、防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術、いわゆるデュアル・ユース技術を積極的に活用することが重要になっている」(同庁HP)
 キーワードは「防衛技術と民生技術のボーダレス化」です。

 日本学術会議はこの点に一貫して警鐘を鳴らしてきました。たとえば、2017年3月24日の「軍事的安全保障研究に関する声明」では、「近年、再び学術と軍事が接近しつつある中…軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にある」と強調しています。

 「軍事」と「民生」の「ボーダレス化」「接近」は技術・研究分野に限りません。災害救助・復旧分野でのそれは大災害のたびに可視化させられています。今回の新型肺炎では防疫・医療の分野でそれを見せつけています。自民党政権はこの「ボーダレス化」を利用して(口実にして)、軍事(自衛隊)の民生への侵出・支配を図ろうとしています。その策動は今後ますます強まるでしょう。

 これにどう対抗すればいいか。いま筑波大学で有志らがたたかっているように、機敏な批判・反撃が重要であることは言うまでもありません。同時に根本的には、膨張・侵出する「軍事」分野そのものをなくすること、すなわち、憲法の前文・9条に忠実に従い、自衛隊という軍隊を解散することではないでしょうか。


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「五輪と旭日旗」と江川紹子氏の“良識”

2020年02月17日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

  
 8日付の中国新聞「識者評論」に、「五輪と旭日旗」と題したジャーナリスト・江川紹子氏の論稿が掲載されました(共同配信)。江川氏といえば、オウル真理教などの取材・執筆で一目置かれているだけに、今回の論稿は見過ごせません。要点を抜粋します(文章はそのまま。太字は引用者)。

< オリンピック・パラリンピックを控えて気がかりなことがある。会場への旭日旗の持ち込みを巡る問題だ。
 旭日旗をナチス・ドイツのハーゲンクロイツ旗と同一視する韓国の主張には、私は共感できない。旭日デザインは古くから民衆に親しまれた
 旭日デザインを見るたびにいちいち撤回を求める韓国に、へきえきする気持ちも分かる
 ただ、負の歴史をまったく顧みないような日本側の対応もどうか。
 旧陸海軍の軍旗として使われた旭日デザインを軍国主義の象徴と受け止めるのは、韓国人ばかりではない。たとえば中国台湾でも。
 戦後75年になる今でも、アジアでは被害の記憶が語り継がれていることは、忘れてはならないと思う。
 五輪会場には、アジアの国々から選手や応援の人々がやってくる。彼らの前で旭日旗を振り回す事態が、『おもてなし』の心にかなうのか。日本人の良識が問われていると思う。>

 問題点は少なくとも3点あります。

 第1に、旭日旗の歴史的意味に対する軽視・無視です。

 旭日旗は日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)はじめ、明治帝国日本のアジア侵略・植民地支配の旗印になってきました(写真右)。しかし、江川氏の論稿はそれについてまったく触れていません。「負の歴史」という言葉はありますが、それが何を意味するのかは書かれていません。
 その一方で、ナチスの旗との同一視に「共感できない」というのですから、侵略戦争・植民地支配の歴史の無視といわれても仕方がないでしょう。

 第2に、旭日旗の今日的意味に対する無理解です。

 江川氏は「旭日旗デザイン」を「旧陸海軍の軍旗として使われた」としていますが、旭日旗を「軍旗」にしているのは「旧陸海軍」だけではありません。現在の海上自衛隊、陸上自衛隊の「隊旗」も旭日旗です。その点も韓国の批判のポイントです。その海上自衛隊はまさに現在、旭日旗を掲げて中東地域に出動(海外派兵)しています。それがイランはじめ中東諸国に脅威を与えていることは明白です。
 しかし江川氏はこうした今日の自衛隊旭日旗の意味・役割については一言も触れていません。

 旭日旗にはこうした歴史的・今日的な重大な意味があるからこそ、韓国内から次のような批判が上がっているのです。

 「1870年に日本陸軍が最初に使った旭日旗は、日本が太平洋戦争を起こしてアジア各国を侵略する際に全面に掲げた旗だ。それ自体が日本軍国主義の好戦性を象徴している。韓国や中国など周辺国が旭日旗掲揚に反発するのもこのような理由からだ。それでも海上自衛隊は16本の光の筋が描かれた旭日旗を、陸上自衛隊は8本の筋の旭日旗を使ってきた。『侵略国家』『戦犯国家』という事実を否定する処置だ。(中略)国際社会は旭日旗に固執する自衛隊と平和憲法改正を公言した安倍晋三総理を見つめて、日本の軍国主義復活を憂慮している。日本が真に平和を望むならば、自ら旭日旗を降ろすべきである」(2018年10月2日付ハンギョレ新聞社説)

 江川氏はこうした指摘・批判をどう受け止めるのでしょうか。

 第3の、そして最も重要な問題は、江川氏の論稿には日本人自身の視点、日本の侵略戦争・植民地支配に対する日本人の加害責任の自覚が完全に欠落していることです。
 旭日旗に対する批判を「韓国、中国、台湾」などアジア諸国の問題にしています。旭日旗の不使用を「おもてなし」ととらえるとんでもない認識・主張がそれを端的に示しています。

 東京五輪(あくまでも開催する場合)の会場に旭日旗を持ち込んでならないのは、アジア各国が反対するからだけではありません。五輪憲章が「政治的プロパガンダ」を禁じているからでもありません。最も重要なのは、日本・日本人が侵略戦争・植民地支配の加害責任を自覚し、その誤りを繰り返さない決意を示すためです。そのために象徴であった(ある)旭日旗を持ち込んではならないのです。
 これは日本・日本人自身の問題です。その自覚に立って旭日旗に反対すること、それこそが「日本人の良識」ではないでしょうか。


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