アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「今年の漢字・言葉」ー「北」と「ミー・トゥー」の落差

2017年12月30日 | 差別・人権

     

 「今年の漢字」に選ばれた(投票多数)のは「北」でした。「九州北部豪雨」「大谷翔平選手の北海道日本ハム」などいろいろ要素があるようですが、「ミサイルなど北朝鮮の挑発・脅威」が主な理由だといわれています。

 一方、アメリカの「タイム」誌は、「今年の人」に沈黙を破って性被害を告発した女性たちを挙げました(写真中)。彼女たちに続いて、勇気をもって告発する人々の間で「Me Too」(私も)が合言葉になりました。

  「北朝鮮の脅威」を主な理由とする「北」と「ミー・トゥー」。日本とアメリカの「今年の漢字・言葉」は、きわめて対照的です。その意味するものには雲泥の差があると言わねばなりません。

 「ミー・トゥー」は、権力・権威をかさに着たセクハラ・性犯罪の加害者を被害者が勇気をもって告発するもので、「社会的強者」(権力・権威)に対する「弱者」の抵抗・自己主張・自立という意味があるでしょう。

  一方、「北」はどうでしょうか。

 「北朝鮮の挑発・ミサイル」といいますが、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)はアメリカに対し、朝鮮戦争の「休戦協定」を「平和協定」にするための対話・交渉を一貫して要求しています。しかしアメリカはこれを拒否し続け、一方で朝鮮が中止を求めている米韓軍事合同演習を繰り返し、日本もそれに加わるようになりました。挑発しているのはどちらでしょうか。

 アメリカや日本政府は、朝鮮に対して一方的に「核の放棄」を迫っていますが、アメリカも日本も核兵器禁止条約に背を向け続ける一方、イスラエルやインドの核兵器保有は容認しています(ストックホルム国際平和研究所の推計では、核兵器保有数は朝鮮が10~20に対し、イスラエル80、インド120~130、アメリカは6800)。これは明らかにダブルスタンダードではありませんか。

 安倍政権や日本のメディアは「北朝鮮のミサイルが日本を通過」と喧伝し、「Jアラート」で騒ぎ立てました。しかし、ミサイルが通過した宇宙空間に領空は存在しません。「日本を通過」は明らかなデマ宣伝ではなかったでしょうか。

 そもそも朝鮮半島の緊張状態を作り出している元凶は、戦前・戦中の日本の植民地支配と戦後のアメリカの東アジア戦略ではないでしょうか。

  「北朝鮮問題の根源は、1953年7月に結ばれた(朝鮮戦争―引用者)休戦協定を、米韓が破ってきたことにある。休戦協定では3カ月後に朝鮮半島から他国の軍隊は全て引き揚げると約束して署名したのに、アメリカと韓国は同時に(2カ月後に)米韓相互防衛条約(米韓軍事同盟)を締結して、「米軍は韓国に(無期限に)駐留する」という、完全に相反する条約にも署名した。…日本人には見たくない事実だろうが、これは客観的事実なので、直視するしかない」(遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長、7月10日付「ニューズウィーク日本版」)

  こうした事実・経過をみれば、「北朝鮮の挑発・脅威」が米日両政府によって戦略的に作り出されたものであることは明白です。
 その狙いは、アメリカ製兵器の売り込みと、日本の大軍拡です。5兆1900億円にのぼる史上最大の来年度軍事予算、さらに1基1000億円の「イージス・アショア」の2基購入契約を見れば明らかです。

  こうした狙いをもつ米日両政府の「北朝鮮の挑発・脅威」論に無批判に乗せられ、思考停止し朝鮮に「憎悪」を抱く。その表れが、「今年の漢字『北』」ではないでしょうか。

  強調しなければならないのは、「北朝鮮の挑発・脅威」論に乗せられて朝鮮に「憎悪」を抱くことは、たんに米日政府の思うつぼであるばかりか、「日本国民」の人間性を蝕んでいるということです。

  たとえば朝鮮に対する相次ぐ「制裁」。それが朝鮮市民の生活を圧迫し、健康・生命を脅かしていることは言うまでもありません。市民にとっては「無差別空爆」に匹敵すると言えるでしょう。
 ところが安倍首相は、石油を止める「追加制裁」は冬に向かう時期だからいっそう効果的だと言い放ちました。以前、谷本正憲石川県知事が「兵糧攻めで北朝鮮国民を餓死させねばならない」と暴言を吐いて問題になりましたが(6月21日)、安倍氏と谷本氏の間にどれほどの違いがあるでしょうか。
 しかし、そんな首相発言にも批判の声1つ上がらず、逆に「制裁の徹底」を求め続ける日本のメディアと「市民」。

 また、秋田県などに漂着する朝鮮の漁船。そこに遺体があっても、それを悼むどころか、まるで邪悪なものを見るような視線を向ける「日本国民」。それをあおる安倍政権(政府作製のポスターはその典型)。

  他人の苦境、生命の危機・喪失に対するこうした無関心・冷淡さが、人間性の衰退でなくてなんでしょうか。

 まして朝鮮は、日本が72年前まで植民地支配して苦しめ、戦後も差別・抑圧してきた国です。日本には、私たち日本人にはその加害責任があるのです。

 朝鮮は「3・11」に際し、けっして豊かではない経済状態の中から、いち早く60万㌦(日本赤十字社に10万㌦など)の義捐金を日本に寄せてくれました。その恩を仇(あだ)で返すようなことをしていいのでしょうか。

  政府の戦略的キャンペーンと大手メディアの偏向報道に乗せられ、「北朝鮮の脅威」を主な理由にして「北」を「今年の漢字」にするような思考停止から、脱却しようではありませんか。

 そして来年は、権力・権威、とりわけ国家権力に対して泣き寝入りせず、長いものにも巻かれず、自立的思考で、言うべきことを言う。そんな「ミー・トゥー」の年にしようではありませんか。

 ☆ 今年の「アリの一言」は今日で終わります。1年間ご愛読ありがとうございました。
 来年は1月1日から始めます(基本的に月、火、木、土)。小さな小さな「一言」が巨大な権力の「堤」にわずかでも「穴」を開けることをめざして。


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「裏合意」で不当性が強まった「日韓慰安婦合意」

2017年12月28日 | 日本人の社会認識・歴史認識

     

 日本軍による戦時性奴隷(「慰安婦」)をめぐる「日韓合意」(2015年12月28日)についての韓国の検証結果が27日発表されました。
 この中で見過ごすことができないのは、「合意には非公開部分が存在する」(検証チームによる「報告書要旨」28日付共同配信)ことが暴露されたことです。両国の「国民」には秘密の「非公開合意」すなわち”裏合意”があったというのです。

 しかも、日本(日本国民)にとってとりわけ重大なのは、「こうした方式(非公開ー引用者)は日本の希望により高官協議で決定された」(「報告書の要旨」)ということです。

 日本政府=安倍政権が裏合意で要求したのは、次の3点です。

 「検証チームの報告書によると…記者会見で発表した合意内容のほかに『非公開の合意』があった。日本政府は韓国政府に対し、ソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する少女像を建てた『韓国挺身隊問題対策協議会』(挺対協)など支援団体の説得▷第三国での慰安婦関連の像や碑の設置を支援しない▷今後『性奴隷』という表現を使わないーーの3点を要求。韓国側が消極的ながらもおおむね応じた」(28日付朝日新聞)

 そもそも「国民」には秘密の裏合意を申し出ること自体、主権者を無視した安倍政権の強権的姿勢を示すものです。
 しかもその内容が重大です。
 挺対協など「支援団体の説得」も、「像や碑の設置を支援しない」も、「「性奴隷」という表現を使わない」も、いずれも戦時性奴隷という「慰安婦」の実態を隠ぺいするだけでなく、言論・表現の自由、集会・結社の自由を侵害するものです。しかもそれを他国に事実上強要するのですから、内政干渉と言わねばなりません。二重三重に言語道断です。

 裏合意で名指しされた挺対協の尹美香・共同代表が27日、韓国外務省庁舎前で記者会見し、「裏合意が判明し、しかも私たちの行動を制限するものだった」(28日付共同配信)と怒り、「政府は即刻合意を破棄し、日本からの10億円を返還すべきだ」(同)と訴えたのは当然でしょう。

 「日韓合意」はもともと、当事者の被害女性や支援団体の意見をまったく聞かないうえ、日本の法的犯罪性、加害責任、賠償責任に背を向けたきわめて不当なものです。
 しかも、「合意は、日米韓軍事同盟を強化するために日本の戦争犯罪に免罪符を与える措置」(「日韓日本軍『慰安婦』合意無効化と正義の解決のための全国行動」記者会見文ー2016年12月27日)という政治的意味を持っています。

 これに加えて今回明らかになった裏合意。「日韓合意」の不当性は明々白々であり、直ちに廃棄されなければなりません。

 日本のメディアは今回の「報告書」について、「前政権批判」「ガス抜き」などと韓国内部の問題と報じていますが、こうした日本の報道がこの問題に対する「日本国民」の無関心・無責任を助長しているのは明らかです。
 これは韓国(だけ)の問題ではありません。日本が、「日本国民」が問われている問題です。
  


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「撤回」回避に口実与える「県民投票・知事選同日」案<下>

2017年12月26日 | 沖縄・翁長・辺野古

     

 「県民投票・知事選同日案」がなぜ愚策であり、日米両政府を喜ばせる行為なのか。

 ① 県民投票は「撤回」に「不可欠」ではない。

 翁長与党は「県民投票の結果を承認撤回の根拠としたい考え」(24日付琉球新報)といいます。県民投票推進の急先鋒、新垣勉弁護士は22日の「オール沖縄」陣営の学習会でこう述べています。
 「県民投票で辺野古新基地建設に対する民意を明確にしないと知事は撤回できない」(24日付琉球新報)。
 「撤回」には県民投票が不可欠だという主張です。

 しかし新垣氏は、今年春に県民投票が取りざたされた際には、「裁判で裁判官の心を動かすためには県民投票は極めて効果的である」としながら、「県民投票は『撤回』を行うための不可欠の前提ではない」(3月22日付沖縄タイムス)と明言していました。
 いったいいつから、なぜ、「効果的」が「不可欠」に変わったのでしょうか。

 新垣氏の3月の指摘を振り返るまでもなく、「埋立承認撤回」は知事に与えられている固有の権限であり、「撤回」に県民投票が「不可欠」だというのは全くの誤りです。
 それは新垣氏ら5人の専門家がまとめて翁長氏に提出していた「意見書」(2015年5月1日)でも明りょうです。

 ② いまさら「民意」を問う必要がどこにあるのか。

  県民投票推進論は、「選挙の争点の一つとしての『辺野古』ではなく、賛否に特化した県民投票の結果を『民意』として撤回の理由にするねらい」(23日付沖縄タイムス)だといいます。

 知事選をはじめとする一連の選挙結果では、辺野古新基地に対する「民意」は明らかではない、というわけですが(新垣氏らも同様の主張)、これもこれまでの主張をひっくり返すものです。
 例えば、翁長氏自身、「代執行訴訟」における「陳述書」でこう述べていました。

 「昨年の名護市長選挙、特に県知事選挙、衆議院選挙、争点は1つでした。前知事が埋立承認承認をしたことに対する審判を問うたのです私と前知事の政策面での違いは埋立承認以外には大きなものはありません。ですからあの埋立承認の審判が今度の選挙の大きな争点であり、その意味で10万票の差で私が当選したことは、沖縄県民の辺野古新基地建設反対という明確な意思が示されたものであります」(2015年12月2日付琉球新報)

 辺野古新基地反対の「民意」は明確です。この期に及んで、膨大な時間・費用・労力を使って、県民投票で「民意」を問い直す必要がどこにあるのでしょうか。

 ③ 致命的な「埋め立て工事」の進行=裁判で絶対的に不利に

 「県民投票・知事選同日案」の決定的な、そして本質的な欠陥は、そのかん(来年11月まで)辺野古の埋め立て工事・新基地建設が安倍政権によって着々と進められることです。

 安倍政権は、今週にも「埋め立て区域南側のK4護岸に新たに着手…N5、K4、K1、K2、K3で囲む西側区域の護岸完成を優先し、早ければ来夏に同区域に土砂を投入する本格的な埋め立てに進みたい考え」(22日付琉球新報、写真左の地図も)です。

 工事が進行すればするほど「撤回」後の訴訟で不利になることは自明であり、それに異論を唱える人はいないでしょう。新垣氏も指摘する「埋立承認が撤回されることにより国が被る不利益」(3月22日付沖縄タイムス)がそれだけ大きくなるからです。
 だから新垣氏自身、「『撤回』は工事の進行状況を見極めながらの決断となる。それゆえに状況次第では、県民投票前に『撤回』を決断しなければならない状況も起き得る」(同)と述べ、工事が進行する前に「撤回」すべきだと主張していました。

 新垣氏のこの主張から9カ月。工事は護岸工事、石材投入まで進み(翁長氏の奥港などの使用許可も手伝って)、来夏には土砂を投入する段階まできているのです。
 にもかかわらず、来年11月に県民投票を行いその結果によって「撤回」しようとは、いったいどういうことでしょうか。
 新垣氏は「工事が進む前に翁長雄志知事が撤回するには明確な民意を示す県民投票のプロセスがどうしても必要だ」(24日付琉球新報)と言っていますが、今は工事が進んでいないとでも言うのでしょうか。さらに来年11月まで工事は止まっているとでも考えているのでしょうか。

 ④ 問題の原点=「撤回」は翁長氏の選挙公約である。

 「埋立承認撤回」問題は、その原点を改めて確認する必要があります。
 その原点は、「撤回」が翁長氏の知事選公約だということです。
 そして、辺野古の事態が刻々重大になっているにもかかわらず、翁長氏はこれまで3年間公約の実行を回避し続け、さらに来年の知事選まで(つまり4年間の任期まるごと)公約を棚上げしようとしているこです。

 先に引用した「陳述書」で翁長氏自身が認めていた通り、3年前の知事選はまさに「辺野古新基地」が唯一の争点でした。そして翁長氏は「承認撤回」を公約して当選したのです。

 「オール沖縄」陣営は知事選で翁長氏を擁立するにあたり、翁長氏との間で5項目の「政策協定(基本姿勢)」を結びました(写真右)。その「前文」にはこう明記されています。

 「新しい知事は埋め立て承認を撤回します」(2014年4月6日の「政策協定(基本姿勢)」、写真中は14年4月7日付琉球新報)

 その「政策協定」(公約)が、3年たった今も実行されていない。これが問題の根本です。

 県民投票推進派は、「裁判官の心を動かすには…」「裁判官が否定できないほどの『明確な民意』を…」(新垣氏、3月22日付沖縄タイムス)など、裁判対策を強調しますが、国家権力べったりの裁判官(「取消訴訟」で証明)や最高裁の顔色をうかがっていては安倍政権と正面からたたかうことはできません(裁判対策をいうなら、工事の進行こそ最悪の”裁判対策”であることを重ねて強調します)。

 主権者・市民のたたかいは、王道を進むべきです。
 それは、最大の主権行使である選挙における公約を実行させることです。
 そして、辺野古に新たな米軍基地を造ることが、憲法の人権、地方自治を蹂躙し、市民の生命と安全をさらに脅かし、沖縄・日本・東アジアの平和に逆行するという根本問題を問うことです。

 その王道に立って、沖縄の市民と「本土」の市民が共同し、主権者の声で日米両政府を追い詰めていくことです。それ以外に安倍政権を屈服させる道はないのではないでしょうか。


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「撤回」回避に口実与える「県民投票・知事選同日」案<上>

2017年12月25日 | 沖縄・翁長・辺野古

     

 23日の沖縄タイムスは1面トップで「県民投票 知事選と同日案 来年11月 県政与党 新基地問う」と題した記事を掲載しました(写真左)。琉球新報は翌24日付1面トップでこれを後追いしました。

 「名護市辺野古の新基地建設を巡り、県議会与党(日本共産党、社民党、社大党など翁長知事与党―引用者)が新基地の賛否を問う県民投票を来年11月に想定される知事選と同日に実施する案を検討していることが22日、分かった。与党幹部はすでに同様の考えを翁長雄志知事ら県三役に伝えている」(22日付沖縄タイムス)

 驚き、あきれ、県政与党(「オール沖縄」諸党)はここまで堕ちたか、と思わざるをえません。なぜなら、「県民投票・知事選同日案」とは、頑迷に「埋立承認の撤回」を回避している翁長知事に、少なくとも来年11月まで「撤回」を棚上げし続ける口実を与え、窮地の翁長氏に救いの手を差し伸べるもの以外のなにものでもないからです。それは辺野古新基地を阻止するたたかいにとっても致命傷になるでしょう。その理由を述べます。

 第1に、「同日案」が突然浮上した政治的意図です。

 県民投票案自体は今に始まったことではありません。今年に入ってからでは、翁長氏の支援団体である「オール沖縄会議」が、「県民投票へ始動」(4月7日付沖縄タイムス)と報じられました。しかし、この案は辺野古の現場でたたかっている人たちはじめ多くの人々の反対に遭って頓挫しました。

 「今年3月、知事を支える『オール沖縄会議』内で県民投票の実施に向け、具体的な検討に入った。しかし、知事の支持者の間でも県民投票の必要性や意義が共有されていなかったことに加え、保守系の市町村長から協力が得られるかも見通せず、機運は高まらなかった」(22日付沖縄タイムス)
 
 以後、同「会議」はじめ「オール沖縄」陣営からは(ごく一部の「学者」を除き)、県民投票の話は出ていません。
 例えば、「オール沖縄会議」が主催して4万5000人が集まったという「8・12県民大会」でも、大会宣言や特別決議はもちろん、壇上スピーチの誰からも「県民投票」については一言も触れられていません。
 そんな大会の中で、翁長氏は「撤回」を「私の責任で決断する」(8月13日付琉球新報)と言明したのです。(写真中)

 それがなぜ、いま急浮上したのでしょうか。しかも知事選と同日実施という案で。
 タイムス、新報の記事では、県政与党からその理由はまったく語られていません。

 このかんの経過を振り返ってみましょう。

 翁長氏は「8・12県民大会」での言明にもかかわらず、そしてその後も強まるばかりの、一日も早い撤回を求める多くの市民・団体の要求にもかかわらず、いまに至るも撤回を棚上げし続けています。

 その一方で翁長氏は、沖縄防衛局が埋立用石材を船で運ぶための、奥港(9月上旬)、中城港(12月7日)、本部港(12月11日)の使用を相次いで許可しました。

 翁長氏の公約違反、県民・市民への裏切りは否定しようがなくなりました。

 辺野古で反対運動の先頭に立ってきた山城博治氏からも、「これまで知事を正面から批判したことはないが、今回の件(奥港使用許可―引用者)を受け、覚悟を決めて翁長県政と向き合う必要が出てくる」(11月11日付琉球新報)との声が出るようになりました。

 さらに、「オール沖縄」陣営で大きな影響力をもつ県民共闘会議共同代表の山内徳信元参院議員(社民党)も、「今年いっぱいに(埋立承認を)撤回しないと、あっという間に護岸ができ、埋め立てされると元に戻せなくなり、裁判をしても訴えの利益がなくなる」(11月29日付琉球新報)と今年中の撤回を強く求め、「できなければもっと大勢で知事室前に座り込む」(同)と、翁長氏に対しいわば最後通牒を突きつけました。

 「「公約違反」高まる反発」(11月29日付沖縄タイムス)の中、まさに「奥港許可で県政窮地」(11月29日付琉球新報)に陥ったのです。それでも「撤回」しない翁長氏。

 知事就任以来最大のピンチともいえるこの状況から、翁長氏を救おうというのが、「県民投票・知事選同日案」です。なぜなら、「撤回に不可欠」(県幹部、22日付沖縄タイムス)とする県民投票を来年11月に設定すれば、それまで「撤回」から逃げ続けても正当化でき、支持者から反発は出ないだろう、という思惑です。

 そうではないと言うなら、4月に頓挫した県民投票案がなぜいま急浮上したのか、なぜ知事選と同日なのか、県政与党、「オール沖縄」陣営は明確に説明すべきでしょう。

 第2に、「県民投票・知事選同日案」自体、愚策中の愚策、日米両政府を喜ばす利敵行為にほかならないということです

 それはなぜか。「同日案」推進者の言い分に照らしながら、明日詳述します。


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天皇誕生日会見ー「退位」でなく「譲位」の重大な意味

2017年12月23日 | 天皇制と憲法

       

 明仁天皇は23日の誕生日を前に、20日宮内記者会と会見し、こう述べました(写真左)。

 「この度、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々が各々立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています」(宮内庁HPより)

 明仁天皇は「退位」とは言わず「譲位」と言いました。昨年8月8日の「ビデオメッセージ」(写真右)以降、「生前退位」が問題になっていますが、天皇の口から「譲位」という言葉が出たのはおそらくこれが初めてです。

 「退位」と「譲位」。どちらも同じように思えますが、天皇やその信奉者にとっては重大な問題です。

 6月9日に成立した特例法の正式名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」。政府やメディアもいまのところ「退位」という言葉を使っています。
 しかし右翼・天皇信奉者の間からは「ビデオメッセージ」の時から「生前退位」という言葉に異議が出されていました。
 たとえば櫻井よしこ氏は、「広く使われている『生前退位』という言葉には違和感がある。…譲位という言葉を使うべきではないか」(2016年8月9日付産経新聞)とはっきり述べていました。

 櫻井氏と同じく「生前退位」という言葉に強い拒否反応を示したのが、美智子皇后です。
 皇后は昨年の自身の誕生日(10月20日)にあたっての文書でこう述べていました。
 「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」(宮内庁HPより)
 皇后は今年の誕生日にあたっての文書では、「陛下の御譲位については…」と明確に「譲位」という言葉を使っています。

 彼女らがなぜ「退位」を嫌い「譲位」と言うのか。その真意はさすがに自分の口からは語られていません(語れないでしょう)。手元の辞書では、「退位」とは「帝王のくらいをしりぞくこと」、「譲位」とは「君主が位をゆずること」です。「退位」が動作を客観的に表現するのに対し、「譲位」には「皇位継承」を主体的に行うというニュアンスが強まります。

 この「主体性」こそが問題です。それは、今回の天皇の会見の中心ともいえる次の言葉とも密接に関係しています。

 「残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います」(同)

 明仁天皇には自分が主体的に皇位を「次の時代へ継承」するのだという意思が明確にあります。「ビデオメッセージ」もその典型的な表れでした。だから「退位」ではなく「譲位」なのです。

 しかし重要なのは、「皇位継承」に関して天皇が主体性を発揮することを、日本国憲法は許していないということです。

 憲法第1条は、「象徴」としての天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」とし、第2条で「皇位は、世襲」であり、「国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」としています。そして第4条で、天皇は「国政に関する権能を有しない」と念押ししています。天皇が主体性を発揮する余地はどこにもありません。法改正を必要とする「生前退位」というきわめて政治的な問題に天皇が主体的にかかわることは憲法上許されません。
 
 「ビデオメッセージ」は「明らかに政治的な発言」(吉田裕一橋大教授、『平成の天皇制とは何か』岩波書店)であり、憲法違反が濃厚です。その「ビデオメッセージ」の意味を「譲位」という言葉で改めて明確にしたのが、今回の「誕生日会見」と言えるでしょう。

 「被災地や地方への訪問といった公的行為はかつてないほど増え、昨年のビデオメッセージは、これを象徴天皇の中核に位置付けた。この『お言葉』を受けて法律が制定され退位が実現する。天皇が権力を発動し、政府や国会が天皇の意のままに動いたように見えてしまう。憲法4条で『国政に関する権能を有しない』としているのに、実際には主権者の国民が天皇に従う格好になっている。…こうした天皇の在り方に称賛ばかり集まり、誰も異議を唱えなくなっている現状に気持ちの悪さを感じる」(原武史放送大教授、9日付中国新聞=共同配信)

 「天皇タブー」の中、「主権在民」にとってきわめて深刻で危険な状況がしたしたと進行しています。


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安倍政権で急増、米兵器購入・FMSの闇

2017年12月21日 | 日米安保体制と平和・民主主義

     

 安倍政権は19日の閣議で、地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を2基アメリカから購入することを決めました。

 「防衛計画の大綱」や「中期防(2014年~18年)にはないものを、話が持ち上がって(今年3月30日の自民党安全保障調査会=座長・小野寺五典現防衛相の提言)わずか9カ月で導入決定という異常な経過です。自衛隊幹部が「官邸から『とにかく早く』と圧力が増していた」(20日付中国新聞=共同配信)と内幕を明かしています。

 異常さは経過だけではありません。なんといっても価格です。1基1000億円。2基で2000億円。2000億円といえば、年収300万円の福祉・保育職員6万6000人分の年間給与に匹敵する巨大なムダ遣いです。

 ところが、この「1基1000億円」も暫定的なもの、というよりさらに増えることが必至の少なめな見積もりにすぎません。

 「防衛省は…『イージス・アショア』について、取得費が1基当たり1千億弱と説明した。レーダーなど装備の性能によりさらに高額となる可能性も指摘」(13日付中国新聞=共同配信)
 「政府が当初示した費用は膨らみ、最終的な額は不透明だ」(20日付中国新聞=共同配信)

 現に、政府は11月29日の参院予算委員会では「一般的な見積もり」として「1基800億円」と答弁していました。それが20日余で「1基1000億円」に跳ね上がったのです。

 おかしくないですか?「最終的な額は不透明」、どれだけ膨らむか分からないものを、購入することだけは急いで決める。こんな買い物があるでしょうか。まして、税金を2000億円も使う買い物です。

 これにはカラクリがあります。FMS(Foreign Military Sales)というシステムです。
 日本政府は「有償軍事援助」と訳し、日本のメディアはそれをそのまま使っていますが、この訳自体が不当です。本来「対外兵器売り込み」と訳すべきでしょう。つまり、米兵器産業になりかわってアメリカ政府が外国に兵器を売り込む制度です。

 FMSの最大の問題は、購入する兵器の価格も納期も米政府の言いなりで、しかも前払いだということです。

 「日本が米国から最新鋭の武器や装備品を買うときは、米政府の有償軍事援助(FMS)に基づく。価格や納期は、米国の提示する条件を受け入れなければならない。要は彼の国の『言い値』」(久江雅彦共同通信編集委員、12日付中国新聞=共同配信)

 信じられない制度です。さすがに防衛省自身、これは改善しなければならないという提言を出していたことがあります。

 2008年1月、防衛省(装備政策課)は「FMSの一層の改善」と題した19㌻にわたる文書を発表しました。その中で、「FMSの課題」として、「納入・生産の促進」「価格の適正性の確保」の2点をあげ、こう指摘しています(防衛省HPより、写真中)。

 「出荷予定時期から1年以上納入が遅延しているケースの未納入額の合計は約272億円(平成18年度末現在)…未納入額、未精算額の縮小を図る必要がある

 「FMSの見積書や引合書(FMSにおいて契約書に相当するもので、米国防省が作成)に、価格内訳が明確に示されていない場合が多く、一層の価格内訳の開示が課題

 防衛省自身が強調していたこうした「FMSの課題」は、9年たっても何ひとつ改善されていません。

 にもかかわらず、重大なのは、FMSによる米政府からの兵器購入が安倍政権になって急増していることです。
 
 「安倍政権が予算編成する前の2012年度に1372億円だったFMS購入は、18年度(概算要求)には4804億円へと上昇している」(20日付中国新聞=共同)
 「FMSによる購入額は08~12年度の計約3647億円から、安倍政権が予算編成した13~17年度にはF35など高額な買い物で計約1兆6244億円へ跳ね上がった。米国からの購入を増やすほど米軍と自衛隊の一体化は加速する」(久江氏、前出) 

 安倍政権で実に4・5倍に跳ね上がったわけです。「イージス・アショア」の購入によってこの数字はさらに大きくなります。

 FMSは兵器購入における露骨な対米従属にほかなりません。安倍政権におけるその急増は、「北朝鮮脅威」論などトランプ大統領と「百パーセント一致」と公言してはばからない安倍氏の対米追随、さらに戦争法(安保法制)による米軍と自衛隊の一体化、集団的自衛権行使と密接にリンクしています。


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樋口陽一氏の「天皇賛美」に異議あり<下>

2017年12月19日 | 天皇制と憲法

     

 昨日に続き、東京新聞の連載記事(12月3日付)に掲載された憲法学者・樋口陽一氏(写真左)の天皇賛美を検証します。

 ③    天皇は「憲法順守」しているか。

  天皇がしばしば「憲法順守」を口にすることに対し、樋口氏は「自由や民主主義を大切にし、戦争を起こさないように、という集約的なメッセージ」だと絶賛しています。

  しかし、「憲法順守」の言葉とは裏腹に、数々の憲法無視・蹂躙を行っているのは明仁天皇自身です。

 例えば、「退位」の発端になった「ビデオメッセージ」(2016・8・8)自体、明白な政治発言・行為です(憲法第4条違反)。
 また、天皇が「象徴としての行為」と誇示してやまず、メディアもNHKを先頭に賛美し続けている「被災地訪問」も、憲法の「国事行為」を逸脱しています。

  「(「象徴としての行為」について)日本国憲法が象徴天皇に求める厳格な制限を全く逸脱した、民主的統制を免れた行為」であり「公的行為としては一切やめるべきだ。被災地に行きたいなら一市民として自由に行けばよい」(渡辺治・一橋大名誉教授、12月8日付朝日新聞)

  ④  「明君」待望論は「主権在民」に反しないか。

  かつて憲法学者の宮沢俊義が「天皇の政治的行為」を防ぐために「天皇は『ロボット』的存在」であるべきだと主張したことに対し、樋口氏は、「政府による天皇の政治利用を防ぐという意味で、今は逆にロボットにさせないことが必要だ」と述べています。

 その点に関連して「平成とは何か」と問われた樋口氏は、「明君を得て象徴天皇制を安定に向かわせた時代」だと答えています。

  これはこれまで見てきた問題発言の中でも、最も危険な発言と言えるでしょう。なぜなら、安倍政権との対比で、いわゆる「民主陣営」の中にも少なからず「明君」待望論が蔓延していると思われるからです。

 確かに安倍首相による天皇(皇室)の政治利用は目に余ります(例えば写真右は2013・4・28「沖縄屈辱の日」の政府式典で「天皇陛下万歳」を唱えた安倍氏)。
 しかし、だからといって天皇に「ロボット」にならないことを期待するのは、天皇に政治的発言・行為を求めることにほかならず、憲法第4条、さらに「国民主権」の原則に反することは明白です。

  「国民主権」こそは、樋口氏の憲法論の中核のはずです。
 樋口氏はかつて、「国民主権の採用が天皇主権の否定を意味する、という論点に関するかぎり、戦後憲法学は、比較的はやく、ほぼ共通の了解に達していた」と指摘するとともに、「憲法の運用上は、象徴天皇制が、国民主権の徹底を抑止する方向にはたらいてきた」(『講座 憲法学2』日本評論社)と警告していました。

 いま樋口氏が天皇明仁を「ロボット」でない「明君」と評価することは、象徴天皇制が「国民主権の徹底を抑止する」ことにほかならないのではないでしょうか。
 先の「明君」発言に続けて、樋口氏が「本当は明君がいらないのが国民主権の原則だが、明君に頼っているのが現状です」と付け加えているのは、「明君」待望が「国民主権」とは相いれないことを自身百も承知だからではありませんか。

  安倍首相の天皇政治利用をやめさせるのは、主権者・国民(市民)の責務です。樋口氏がその原則をあいまいするほど、「象徴天皇制」は危険な制度と言わざるをえません。

 これから2019年の「退位・即位」へ向け、安倍政権によるさまざまな「天皇・皇室キャンペーン」が行われます。学者・識者とりわけ憲法学者が、科学的な分析・主張によってその責務を果たすことが強く求められています。

 <お知らせ>

 『「象徴天皇制」を考える その過去、現在、未来』(B6判、187ページ)と題した本を自費出版しました。
 これまで当ブログに書いてきた「天皇(制)」の関するものをまとめたものです(今年10月までの分)。「天皇タブー」が蔓延する中、そしてこれから「退位・即位」に向けて「天皇キャンペーン」がさらに大々的に繰り広げられることが予想される現状に、一石を投じたいとの思いです。

 ご希望の方に1冊1000円(郵送料込み)でおわけします。郵便振り込みでお申し込みください。
 口座番号 01350-8-106405
 口座名称 鬼原悟

 


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樋口陽一氏の「天皇賛美」に異議あり<上>

2017年12月18日 | 天皇制と憲法

     

 明仁天皇の退位日を審議した皇室会議(12月1日)の翌々日から、東京新聞は「象徴天皇と平成」と題した連載を開始しました(全5回)。「憲法」「満蒙開拓団」「福島原発事故」「障害者」「子ども」の5つのテーマで、天皇・皇后が徹底的に美化されています。

  それらは、満蒙開拓という棄民政策の元凶である天皇制・天皇の戦争責任には一切触れず、また、深刻な状況が続く福島の放射能汚染、障害者福祉切り捨て政策、世界有数の「子どもの貧困」などの事実・実態は覆い隠すという、きわめて一面的なものです。

  中でも看過できないのは、第1回に1面トップで大々的に登場させた憲法学者・樋口陽一氏の天皇賛美です(写真左)。樋口氏は戦争法強行の際には国会前の抗議集会で参加者を激励するなど、「民主的憲法学者」として知られており、その影響力はけっして小さくありません。
 2回に分けて樋口氏の「天皇賛美」の問題点を検証します。(以下、樋口氏の記事の引用はすべて12月3日付東京新聞より)

 ①    「天皇の中国訪問」―なぜ「反対」から「評価」に変わったのか。

  明仁天皇は1992年10月23日~28日、天皇として初めて中国を訪問し、晩さん会でスピーチしました。これについて樋口氏は、「『昭和天皇がやり残したことを成し遂げた』と評価」しました。

 しかし、天皇や皇族の「皇室外交」は、憲法が規定する「国事行為」にはないもので、「公的行為(象徴としての行為)」の名による天皇の政治利用の最たるものです。

 それはかつて樋口氏自身が強調していたことでした。

 「問題となるのは、象徴天皇制の運用が憲法規範から離れることによって生ずる一連の問題である。外交面での天皇の元首としての運用や、政教分離原則からの逸脱が、その典型である」(『講座 憲法学2主権と国際社会』日本評論社、1994年)

 「天皇の中国訪問」についても、かつて樋口氏は「反対」を表明していました。
 作家・井上ひさし氏との対談で、井上氏が「天皇が国を代表するような”お言葉“を言うのには疑問符が付きます」と皇室外交に疑問を呈したのに対し、樋口氏は、「私は国民主権と象徴天皇といういまの制度を大事にする立場だけれども、天皇の訪中には反対でした」と井上氏に同調していたのです(『「日本国憲法」を読み直す』岩波現代文庫2014年)。

 「皇室外交」「天皇の訪中」への「反対」が、いったいいつから、なぜ「評価」に百八十度変わったのでしょうか。

 ②   「 天皇の沖縄訪問」は「平和の感受性の証左」か。

  東京新聞の連載によれば、明仁天皇が「6月23日(「沖縄慰霊の日」)」を「重要な日」としていることについて、樋口氏は、「現天皇が平和に対する非常に強い感受性を宿していることの証左」(仏紙「フィガロ」今年6月24・25日付)と賛美しています。

  確かに天皇・皇后はたびたび沖縄へ行っています。しかし、何度行っても決して口にしないこと、決して足を運ばない所があります。それは父・天皇裕仁の沖縄に対する加害責任であり、天皇の軍隊(皇軍)が沖縄の住民を死に追いやったことを示す場所です。

 昭和天皇は「国体」(天皇制)維持のため、沖縄戦で沖縄を捨て石にしました。さらに戦後は、「天皇メッセージ」((1947年9月20日)で沖縄をアメリカに売り渡し、「本土防衛」のために沖縄を「米軍基地の島」にしました。再びの「捨て石」であり、沖縄に対する「構造的差別」の根源がここにあります。

 沖縄戦で「天皇の軍隊」は、住民から食糧や家屋を奪っただけでなく、「集団強制死」(「集団自決」)で直接死に追いやりました。久米島などでは皇軍の将校によって住民が虐殺されました。

 明仁天皇はこうした事実について一切ふれず、まして一言の謝罪もありません。久米島にも行ったことがありますが(2012年11月20日)、惨殺された島民の「慰霊碑」(写真右)には見向きもしませんでした。

  これのどこが「平和に対する非常に強い感受性」でしょうか。(明日に続く)

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南京大虐殺と天皇

2017年12月16日 | 戦争・天皇

     

 

 13日は日本帝国軍(皇軍)が国際法を無視し、中国人民を大量虐殺・強姦した末、南京市を陥落させた日から80年目でした。南京市の「南京大虐殺記念館」では「国家追悼式典」が行われました(写真左)。

 日本のメディアは、習近平国家主席があいさつしなかったことを取り上げ、本質から外れた「政局報道」に終始しました。南京大虐殺に対しては、自民党や右翼など、「30万人」という虐殺の数をめぐって歴史的事実の隠ぺいを図ろうとする動きが絶えません。

 一方、中国の識者からは、「大虐殺の有無はもはや論点ではない。(自明の意ー引用者)…中日両国は蛮行の再発防止に何をすべきかとの観点に立ち、南京大虐殺を共同研究するべきだ」(張連紅・南京大虐殺史研究会副会長、11日付琉球新報=共同)との声が出ています。

  南京大虐殺の歴史を追究し、その教訓を導き、「再発防止」に努めなければならないのは、私たち「日本人」であることは言うまでもありません。

 その際、日本ではほとんど問われることのない、南京大虐殺における天皇の責任を直視する必要があります。天皇の「代替わり」に伴って、天皇(制)美化、天皇タブーがますます広がっている今、それはとりわけ重要です。

  皇軍に「南京攻略」を命令したのは、言うまでもなく、大元帥・天皇裕仁でした。

  「一九三七年一二月一日、それまではただ編合が命令されていただけの中支那方面軍にたいし、大本営は戦闘序列を発号し、そのうえで『中支那方面軍ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スベシ』という大陸令をくだした。戦闘序列というのは天皇の令する軍の編成のことであり、大陸令というのは、大本営陸軍部の発する天皇の命令である。この大陸令で、はじめて中国を『敵国』と呼び、首都南京の攻略を正式に命令したのである」(藤原彰著『南京の日本軍 南京大虐殺とその背景』大月書店)

  南京市とその周辺でおびただしい虐殺と強姦の蛮行が皇軍によって行われましたが、裕仁天皇はその事実・経過を詳細に把握していました。そして容認し、鼓舞しました。

  「昭和天皇は皇軍による犯罪行為について沈黙をしていた事実が残る。皇軍が南京を陥落させた瞬間まで、天皇は軍の動静を詳細に追っていたのである。また、事件の前兆があった時期を通じて、あるいは殺戮、強姦のあった全期間に、天皇は不快、憤り、遺憾を公にすることよりは、むしろ、中国に『自省』を促すという国策のもとで、大勝利に向け臣下の将軍や提督を鼓舞していたという否定しがたい事実もある」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇上』講談社学術文庫)

  現地で南京攻略を直接指揮した松井石根大将に対し、国際的非難が轟々と湧き起こり、陸軍の中からさえ批判の声が聞かれるようになりました。そんな中、南京占領を喜び、松井大将に称賛の言葉さえ与えたのが裕仁天皇でした。

  「この日(1937年12月14日―引用者)、昭和天皇より南京占領を喜ぶ『御言葉』が下賜された。 
 陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下御言葉 中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申伝えよ。(『南京戦史資料集Ⅱ』)
 …現地軍の中央命令無視、独断専行による侵略戦争の拡大を、天皇が追認し鼓舞、激励するという構図がここにある」(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)

  国際法上も、人道上も、史上まれにみる蛮行・南京大虐殺の最高最大の責任者が、名実ともに天皇裕仁であったことは、紛れもない歴史的事実です。

  では、その裕仁の長男、明仁天皇はまったく無関係といえるでしょうか。

 明仁天皇は父・裕仁天皇の戦争責任については、一貫して沈黙を貫き、事実上容認しています。南京大虐殺についても例外ではありません。

 明仁天皇・美智子皇后の「慰霊の旅」が、あたかも”平和の天皇”を象徴するかのように賛美されています。しかし、天皇・皇后の「慰霊」は、旧日本兵(「天皇の兵」)が対象で、皇軍が暴挙を働いた場所は避けています。「南京」もそうです。

  また、明仁天皇は「記憶しなければならない日」として、「8・6」(広島被爆)、「8・9」(長崎被爆)、「8・15」(「終戦記念日」)、「6・23」(「沖縄慰霊の日」)の4つをあげています。それもまた”平和天皇の象徴”と美化されています。しかし、この4つもまた、いずれも日本の「被害」を象徴する日です。明仁天皇が「記憶しなければならない日」の中に、日本(皇軍)の「加害」を象徴する日は1つもありません。

 本来、沖縄戦は沖縄の民衆に対する皇軍の加害を特徴としていますが、明仁天皇にその認識はありません。

 明仁天皇がほんとうに歴史に向き合うというなら、「12・13」を「記憶しなければならない日」に加えるべきではないでしょうか。

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相次ぐ米軍事故、今こそ「日米安保条約廃棄」の声を

2017年12月14日 | 沖縄・平和・基地

     

 米軍普天間基地に隣接する普天間第二小学校の運動場に米海兵隊の大型輸送ヘリCH53Eの窓(7・7㌔)が落下しました(13日午前)。60人の児童が体育の授業中でした。死者・重傷者が出なかったのが不思議なくらいです。
 普天間基地の近くでは7日にも緑ヶ丘保育園の屋根に米軍機の付属物が落下したばかりです。

 小学校へ米軍機、といえば宮森小学校事件(1959年6月30日)を想起せざるをえません。嘉手納基地を飛び立った米軍ジェット戦闘機が直後に石川市(現うるま市)の宮森小に墜落。死者17人(児童11人)、重軽傷者210人(児童156人)という大惨事でした。

 米軍基地が存在する限り、いつ同様の事故・惨事が起こるかわかりません。
 怒りという言葉では言い表せない現実です。まさに沖縄に対する「構造的差別」です。

 しかし同時に重要なのは、「沖縄だけが危険な目に遭っている」(翁長雄志知事、14日付沖縄タイムス)わけでは、けっしてないということです。

 たとえば首都圏。
 「米軍機の部品の落下や紛失事故は、関東地方の一都六県で過去五年間で少なくとも計十四件あったことが本紙の集計で分かった。…厚木基地爆音防止期成同盟の石郷岡忠男委員長は『…病院も小学校もある住宅密集地という点で普天間も厚木も同じ。いつこっちで起きてもおかしくない』と話した」(14日付東京新聞)

 また、嘉手納と並ぶ巨大米軍基地を抱える岩国。
 「岩国市の米軍岩国基地周辺でも落下物トラブルは相次いでいる。市に記録が残る1948年以降、広島、山口、愛媛県で確認されたのは47件。うち20件は自衛隊機で、残る27件の多くが米軍機と見られている」(14日付中国新聞)

 もちろん、事故の頻度、規模において沖縄が他県の比ではないことは言うまでもありません。在日米軍基地の70%が沖縄に集中している差別のためです。

 しかし、問題の根源は数(頻度)ではありません。「沖縄だけが危険な目に遭っている」というのは事実として正しくないし、問題の解決につながりません。
 なぜなら、沖縄で相次ぐ米軍の事故・事件の元凶は、米軍に「全土基地方式」を許している日米安保条約(軍事同盟)にあるからです。そして、その日米安保によって生命と安全が脅かされているのは、沖縄だけでなく、日本全国に共通だからです。

 「沖縄だけが…」という翁長氏は、その「怒り」とは裏腹に、要求していることは「安全確認されるまでの間の米軍機の飛行停止」(14日のNHKニュース)にすぎません。「普天間飛行場の即閉鎖」(14日付琉球新報社説)もなければ、「最善の対策は海兵隊撤去」(佐藤学沖縄国際大教授、14日付沖縄タイムス)という発想もありません。

 翁長氏が日米両政府に根本的な要求ができない(しない)のは、翁長氏が、「日米が世界の人権と民主主義を守ろうというのが日米安保条約だ」(11月20日、在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官との会談で。同21日付沖縄タイムス)と公言してはばからない正真正銘の日米安保条約信奉者だからです。

 翁長氏だけではありません。
 日本のメディアは今回の落下事故に対しては一様に批判的ですが、その論調は、「大きな事故が起きれば日米安保体制そのものが大きくゆらぐ。その現実を政府は直視すべきだ」(14日付朝日新聞社説)など、いずれも「日米安保条約肯定」の立場からのものです。

 これでは米軍による事故・事件はなくなりません。減りません。それによって日本に住む市民の生命と安全が危険にさらされている実態は変わりません。
 沖縄で相次いでいる米軍の事故・事件に対する怒りを、いまこそ「日米安保条約廃棄」の声にかえる時です。

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 今後とも、当ブログをよろしくお願いいたします。


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