アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

辺野古「国と県は話し合いを」の落とし穴

2015年03月31日 | 沖縄・辺野古

      

 翁長雄志沖縄県知事の「辺野古作業停止指示」を、林農水相が30日「効力停止」にしたのは、予想通りの茶番劇です。
 あらためて強調したいのは、安倍政権は「民意」「民主主義」「地方自治」などなんとも思っていない強権政権であり、それを相手に辺野古新基地を阻止するには、どのようなたたかいを進めるべきかを考える必要があるということです。

 林農水相の裁定に対し、県幹部は、「県の指示自体が、ないことになった。岩礁破砕許可を取り消すなら、知事の政治判断しかないのではないか」と述べ、「行政的に取り消す根拠がすぐには思いつかないと、次の展開が悩ましいとの表情を浮かべた」(31日付沖縄タイムス)と報じられています。

 繰り返し述べてきたように、行政的手続きの解釈や瑕疵に争点をおくのは政府の土俵です。問うべきは民主主義、地方自治という政治の神髄です。まさしく「知事の政治判断」が求められているのです。しかもそれは、「岩礁破砕許可の取り消し」という抹消の問題ではなく、「埋め立て承認」自体を撤回するという政治判断・決断であり、その実行が緊急に求められているのです。

 しかし翁長氏は30日、「承認取り消し」という「次の一手」への言及をさけ、「政府と話し合いをさせて頂きたい」と述べました(写真中)。
 「とにかく国と県は話し合うべきだ」という声は、翁長氏に限らず、県や本土の政党、マスコミ、街頭の声などから広く聞かれます。
 「話し合い」は大切というのは一般的通念ですが、こと「辺野古新基地建設」に関しては、とにかく国と県が話し合えばいいというものではありません。それは的を外れているだけでなく、きわめて危険な道への入口になりかねません。

 そもそも、何を「話し合え」というのでしょうか。辺野古新基地建設反対、普天間の県内移設反対という県民の民意はすでに何重にも明白です。これ以上県から国に言うべきことがあるでしょうか。一方の安倍政権も、そうした民意は承知の上で強行してきているのです。
 そんな緊張関係の中で、何を「話し合う」のでしょうか。予想されるのは、なんらかの「妥協点」を探ることです。翁長氏が一貫して「政府との話し合い」を切望しているのも、その「妥協点」を見つけるためではないでしょうか。
 
 そんな中で注目されたのが、29日放送のNHK討論です。橋本龍太郎内閣の首相補佐官を務め、普天間基地の辺野古移設を決めた張本人の岡本行夫氏がこう述べました。
 「政府も沖縄県もお互いに説明が不十分だ。翁長知事も意固地にならず話し合うべきだ。例えば、緊急避難的に辺野古(の基地)を使う、それがいつまでなのか、という議論をすすめるべきだ」(写真右)

 「緊急避難」的に、期限をきって辺野古の基地を認めるという「妥協案」です。沖縄問題でいまも政府や沖縄の保守に影響力をもつ岡本氏の「提案」だけに聞き捨てなりません。
 しかし、これはいうまでもなく、辺野古新基地建設を容認させるための、それこそ方便です。

 このほか、さまざまな「妥協案」が出てくる可能性があります。
 しかし、辺野古新基地をめぐっては、「妥協」はありえません。新基地を造るのか、造らせないのか、そのどちらかです。
 安倍政権に「話し合い」で、辺野古新基地、普天間「県内移設」を断念さることは不可能です。

 新基地を阻止するためには、知事の法的権限を行使し、民主主義と平和の本旨に立って政治的に世論を喚起し、安倍政権を追い詰める以外にありません。
 すなわち、「埋め立て承認」自体を直ちに撤回することから、ほんとうのたたかいが始まるのではないでしょうか。

<お知らせ>

 4月から当ブログのタイトルを変えます。すでに沖縄を離れて1年以上経過して、「沖縄日記」は不自然だからです。
 新タイトルは、「アリの一言」とします。巨大な壁も「アリの一穴」で崩れる、とのことわざにならい、強大な権力に言論でささやかな抵抗を試みていきたいという決意を込めました。内容はこれまでのように沖縄や広島を中心にしながら、幅広いテーマ・角度から、人権、民主主義、戦争と平和などについて考えていきたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いいたします。


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沖縄・知事選の「基本姿勢・組織協定」に立ち返ろう

2015年03月28日 | 沖縄・辺野古

      

 沖縄の事態打開のために、いま思い起こすべきものがあります。

 翁長雄志氏は多くの県民の期待と支援によって知事に当選しました。したがって辺野古新基地建設阻止はもちろん、重要な課題については県民の声を聴き、それを政策・施策に反映させる義務と責任があります。
 一方、翁長氏を擁立した日本共産党や社民党など翁長県政与党、そして選挙で翁長氏を支援した団体・個人も、その要求を翁長氏に提示し、県政に反映させる権利と責任があります。
 しかし、選挙後、それが実行されているとはとても言えません。翁長氏は与党や支持者の意見を聴くのではなく、以前から親しい副知事や側近たちとの相談でものごとを決めています(写真右)。与党や県民も、翁長氏の言動を待って、それに一喜一憂しているように思われます。

 この状況を変えていくことが、これからの沖縄にとって、きわめて重要なカギを握っているのではないでしょうか。
 その際、重要な意味を持っているのが、与党会派が知事選で翁長氏擁立を決めたときに(写真左)、翁長氏と取り交わした「基本姿勢と組織協定」(写真中)です。いまこそ、この「基本姿勢と組織協定」に立ち返る必要があります。
 それはどんな内容だったか。全文を転載します。


            沖縄県知事選挙に臨む基本姿勢および組織協定

 社会民主党沖縄県連合、日本共産党沖縄県委員会、沖縄社会大衆党、生活の党沖縄県連、県議会県民ネット会派は2014年11月施行の沖縄県知事選挙に翁長雄志氏を知事候補に擁立してたたかいます。各党、会派と翁長雄志氏は、つぎの基本姿勢と組織協定を遵守します。

 1、基本姿勢

 私たちは、2014年11月の知事選挙に当たり、県民との公約を遵守し民意を大切にする知事を誕生させます。
 建白書等に示されたオール沖縄の意志に反し、県選出自民党国会議員と自民県連が政府自民党の圧力に屈し、方針転換をして県民を裏切りました。さらに、知事の辺野古埋め立て承認は県民の失望と大きな怒りを招いています。新しい知事は埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせません。

 基地に頼らない産業、経済に力を入れ、沖縄の優位性を生かした経済を発展させます。離島振興、鉄軌道導入に取り組み地域振興をはかります。
 沖縄の誇りを取り戻し、明るく、夢と希望の持てる沖縄を実現しよう。

 ・米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設断念を求めます。オスプレイ配備を撤回させ、新たな基地は造らせません。
 ・沖縄の特性をいかし、観光産業、地場産業、農業・漁業及び中小企業の振興をはかります。くらしと経済を壊すTPP(環太平洋連携協定)と消費税増税に反対します。
 ・社会保障制度の拡充をはかり、くらし・福祉の充実を目指します。雇用の安定・安心に向けて、失業率の改善と若者の雇用創出をはかり、賃金格差是正及び非正規雇用の改善をはかります。
 ・憲法9条を守り、県民のくらしの中に憲法を生かします。解釈改憲に反対し、特定秘密保護法の廃止を求めます。県立病院を存続させ、地域医療を充実させます。
 ・子どもが主人公の教育を進め、30人以下学級や少人数学級を推進し、教育環境の整備に全力を尽くします。世界自然遺産登録を目指し、自然環境の保全、回復に力を入れます。

 2、組織協定

 翁長雄志氏は、県政運営にあたって基本姿勢を遵守します。
 県政運営上、政策上重要な問題が生じた場合は、翁長雄志氏と各党、会派は速やかに協議します。

 
2014年9月13日   (太字は引用者) 

 この「基本姿勢」に照らしても、辺野古の事態に対して翁長氏が行なうべきことは、「埋め立て承認撤回」以外にありません。
 さらに、普天間基地は「閉鎖・撤去」し、「県内移設断念」を求めると明記されています。しかし選挙後、翁長氏は「県内移設断念」ではなく、「県外移設」を主張しています。これは決して同じことではありません。その違いは極めて重要です。これについてはあらためて考えます。
 また、建白書の原点であり、「基本姿勢」にも明記されている「オスプレイ配備撤回」も、このところ翁長氏の口から聞こえなくなっていることも気になります。

 今、とりわけ強調したいのは、「組織協定」の実行です。
 県政与党・会派は、けっして翁長氏に無条件で県政を託したわけではありません。重要な問題にあたっては、「速やかに協議」すると明記しているのです。
 翁長氏と県政与党会派は、いまこそ辺野古新基地建設阻止へ向け、「基本姿勢」に照らして「速やかに協議」すべきです。そして、今後も知事と与党会派の協議を定期化し、その議論を県民にオープンにすべきです。さらに、その協議に県民も参加できるようにすべきです。

 沖縄県民は、けっして翁長氏に沖縄の命運を「白紙委任」したわけではないのですから。


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争うべきは、「埋め立て承認」本体の「撤回」の是非

2015年03月26日 | 沖縄・辺野古

         

 翁長雄志沖縄県知事が「移設作業の停止」を指示(23日)したのに対し、政府が「不服申し立て」(24日)を行い、この間も辺野古新基地建設作業を続けていることは、言語道断です。「民意」や「地方自治」など歯牙にもかけない安倍強権政権の本性をあらためて示しています。

 しかし同時に、翁長知事の行動にも、政府に「口実」を与える重大な問題があります。それはたんに不十分なだけでなく、致命的ともなりかねない危険な誤りです。

 それは、翁長氏が政府との「対立点」として、昨年8月に仲井真弘多前知事が行った「岩礁破砕許可」(写真右)を持ち出していることです。政府・防衛局がその「許可」に反しているのかいないのかという解釈論は、政府の土俵に上ることになります。
 「県は昨年8月、ブロック設置は『許可の対象外』と防衛局に説明しており、県の事務方は『経緯を考えれば、国との全面対決は避けたい』と頭を抱える」(24日付中国新聞=共同)
 「(政府の)強気の背景には、訴訟になっても『負けるリスクは100パーセントない』(官邸筋)との判断がある」(25日付同)

 菅官房長官が、「この期に及んで極めて遺憾」「仲井真前知事時代、十分に事前調整した上で工事を始めている。問題はない」(23日の記者会見)と強弁できるのも、争点が仲井真前知事時代の「岩礁破砕許可」の解釈になっているからです。
 その結果、政府(防衛省)が政府(農水相)に「裁定」を求めるという茶番劇が生まれ、「防衛省の訴えと県の停止指示の妥当性について(農水相が)裁決するまでには1カ月以上かかるとみられるが、その間はさらに海上工事が進むことになる」(25日付琉球新報)という重大な事態になっているのです。

 いま必要なのは、原点に立ち返ることです。
 公約も県民の民意も裏切った仲井真前知事が行った「許可」の上に乗って、その解釈を争うこと自体が間違っています。だから政府に「不服申し立て」の口実を与えてしまうのです。
 必要なのは、現在の辺野古の事態を生んでいる根本、新基地建設強行の元凶をひっくり返すことです。即ち、一昨年12月に仲井真氏が行った公約違反の「埋め立て承認」そのものを直ちに撤回することです。
 争うべきは、「岩礁破砕許可」の解釈ではなく、「埋め立て承認の撤回」自体の是非です。

 辺野古への移設を望むアメリカの国防総省筋から、「岩礁破砕に許可は不要と主張する日本政府には明確な根拠があるのだろう。いずれにしても、翁長氏が示唆する工事阻止の切り札にはなりえないし、埋め立て承認の取り消しとは根本的に違うものだ」(25日付沖縄タイムス)という声が出ているのは、彼らが「埋め立て承認」本体の取り消し・撤回の意味を知っているからです。

 また、「県内部には・・・『示された民意がもっと注目されるべきだ』との見方もある。知事選や衆院選など主要選挙で示された辺野古移設反対の民意を政府が受け止めるのがそもそもの筋だ、との考えだ。主戦場が司法の場に移ることで、手続き上の問題に論点がすり替えられるとの警戒感も広がる」(25日付琉球新報)との声や、「ベテランの与党県議は『知事は一歩一歩がゆっくり。承認本体の取り消ししかない』と期待する」(24日付朝日新聞)という声も、水面下では聞かれます。その声を今こそ表面化させる必要があります。
 
 いずれにしても裁判になることは覚悟しなければなりません。裁判は、「岩礁破砕許可」をめぐって争うべきではありません。前知事の「埋め立て承認」を撤回することが是か非かで争うべきです。
 行政上の手続き・解釈論ではなく、たび重なる選挙で示された民意に従うのかどうかという、地方自治、民主主義、憲法の原則に照らした、政治の根本問題として争うべきです。

 さらに、「岩礁破砕許可」をめぐる手続きで争うことは、その土台である仲井真氏の「埋め立て承認」を前提としたものであり、事実上「埋め立て承認」を認めることになってしまいます。それで司法判断が下されると、その内容のいかんにかかわらず、その後にあらためて「埋め立て承認」本体を「取り消し」ないし「撤回」することはつじつまが合わず、事実上不可能になってしまいます。
 「岩礁破砕許可」で争うことは、本体の「埋め立て承認」を容認・固定化してしまうことになるのです。これが致命的になりかねない危険性です。

 今からでも遅くはありません。選挙で示された「民意」こそ、最大の「公益上の利益」だという民主主義の原点に立ち、「埋め立て承認」本体を、直ちに撤回すべきです


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「3・21沖縄県民集会」-3つの疑問

2015年03月23日 | 核兵器廃絶と日米安保

         

 3月21日、名護市瀬嵩の浜辺で行われた「辺野古新基地建設阻止県民集会」を、琉球新報の中継で見ました。
 安倍政権の工事強行に抗議する3900人(主催者発表)の参加者の姿は、新基地建設を許さない県民・市民の強い意思を示しました。その怒りを共有したいとあらためて思いました。

 同時にしかし、参加者の熱い思いが伝わる一方で、いいえ、伝わるからこそ、いくつかの点で疑問を感じずにおれませんでした。

 ①なぜ翁長雄志知事は参加しなかったのか?それをなぜ不問にするのか?

 集会には安慶田光男副知事が翁長知事の代理として登壇しました(写真右)。なぜ翁長氏自身が参加しなかったのでしょうか。安慶田氏は、「本来なら翁長知事が来てあいさつすべきだが、日程の関係上、私がピンチヒッターとなった。ご容赦を」と述べただけでした。

 大事な県民集会に出られない知事の「日程」とは何なのか?琉球新報、沖縄タイムスの「知事の予定」欄で確認しようと思いましたが、いつも載っている「予定」がこの日は載っていません。県が発表しなかったからです。

 翁長氏は理由も明らかにしないまま、県民集会に出なかったのです。なぜなのか?「政治的配慮」が働いたとしか考えられません。だとすれば誰に対する何のための「配慮」なのか?
 集会を主催した、県政与党5会派と市民団体などでつくる「実行委員会」は知事不参加の理由を知っていたのでしょうか?それとも知らないまま不問に付したのでしょうか?実行委員会だけではありません。琉球新報も沖縄タイムスも、知事不参加の理由をなぜ取材して記事にしなかったのでしょうか。

 ②翁長知事に対する「要求」が一切出なかったのはなぜなのか?

 集会では、最後に登壇して感動的な決意表明を行った4人の若者と安慶田氏を除いて、各界各層から9人が登壇しました。しかし、「埋め立て承認」の「取り消し・撤回」を口にした人は1人もいませんでした。
 「承認取り消し・撤回」どころか、翁長知事に対する「要求」自体が一言も出ませんでした。

 これはおかしなことです。なぜなら、例えばこの日も代表者が登壇した「辺野古・大浦湾に新基地をつくらせない二見以北住民の会」はすでに2月16日に、翁長知事に対し「埋め立て承認の早急な撤回表明を求める要請書」を提出しています。翁長氏がそれを一顧だにしていない現状をみれば、当然この日の集会であらためてその要求を突き付けてしかるべきです。
 同会だけではありません。登壇者の中には、これまで新聞紙上などで、翁長氏の「不作為」に批判・怒りの声をあげていた人も複数います。しかし、その人たちも含め、翁長氏に向けた要求・批判の声はまったく聞かれませんでした。

 なぜでしょうか?実行委員会が「翁長批判」に類することは壇上で述べないように抑えたのではないでしょうか。そうでないというなら、なぜ翁長氏への要求が一言も出なかったのでしょうか。

 ③安慶田氏の「近々に最大の決断」発言がなぜ評価されるのか?

 安慶田氏が「知事は近々最大の決意をし、決断すると思う」と述べたことが大きく報じられ、「新基地は造らせない―知事の強い決意」(22日付沖縄タイムス社説)、「翁長県政だからこそ(新基地の)歯止めとなることを再確認」(23日付琉球新報社説)などと手放しで評価されています。
 しかし、安慶田氏のこの発言がそれほどの評価に値するものでしょうか。

 安慶田氏は「知事の最大の決断」が何かは明らかにしませんでしたが、「与党連絡会議の幹部の一人は・・・安慶田氏の念頭には岩礁破砕許可取り消しがあると読み解く」(22日付沖縄タイムス)と言われるように、せいぜい「岩礁破砕許可の取り消し」だとみられます。

 しかし、たとえば琉球新報が「翁長雄志知事は即刻、(岩礁破砕)許可を取り消すべきだ」と社説で求めたのは2月26日のことです。沖縄タイムスも3月14日の社説で、「翁長知事には岩礁破砕許可の取り消し・・・など、早急な対応が求められる。時間の余裕はない」と主張しました。
 安慶田氏のいう「近々」がいつなのかも分かりませんが、仮に今週中だとしても、琉球新報が「即刻」と求めたときからさえ4週間経過しているのです。この間にも、ボーリング調査の再開など安倍政権による工事の既成事実化は進んでいます。
 
 さらに重大なのは、「岩礁破砕許可取り消し」が「最大の決断」だとするなら、肝心要の埋め立て承認本体の「取り消し・撤回」はいったいどうなるのでしょうか。「最大の決断」というなら、埋め立て承認自体の「即時撤回」を表明してしかるべきではないでしょうか。

 以上の3つの疑問(問題点)は、1つの根っこから生まれています。その根源は、翁長氏に対するあまりにも「寛容」な態度です。いいえ、「寛容」というより、事実上の「白紙委任」と言うべきでしょう。

 安慶田氏がこの日最も力を入れたのは、「どうか知事を信じてほしい」という言葉でした。県政与党やこの日の登壇者はまさに翁長氏を「信じて」、表立った批判は抑え、じっと待っているようです。
 しかし、それでいいのでしょうか。かつて「辺野古移設」を推進し、大田革新県政転覆の先頭に立ち、「政府とは90%くらい考え方は一緒だから対立することはない」(9月13日出馬表明記者会見)、「日米安保の重要性は十分理解している」と何度も繰り返し、当選して100日以上たってもいまだに知事の「法的権限」を一切行使していない「根っからの保守」を、どうしてそんなに「信じる」ことができるのでしょうか。

 百歩譲っても、「信じる」としても、「信じる」ことと「白紙委任」は違います。
 市民の声、要求を適宜知事に提示し、県政に反映させる。知事の不適切な言動・態度に対しては批判して正していく。それが県政与党と翁長氏を知事選で当選させた陣営の責任ではないでしょうか。

 ※当「日記」は毎週火曜、木曜、土曜に書きますが、今回は繰り上げて月曜にしました。次回は木曜に書きます。


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今年注目の広島カープと『はだしのゲン』

2015年03月21日 | 核兵器廃絶と日米安保

      

 球春を目前に、20日、広島駅そばのカープ室内練習場前の敷地に、故・中沢啓治さん作『広島カープ誕生物語』の像が完成し、妻のミサヨさん(写真左の右端)も出席して除幕式が行われたと、中国新聞やローカルニュースが報じました。

 『カープ誕生物語』は、原爆で両親を失った主人公の進ら5人の少年を中心に、カープの誕生から初優勝までに重ねて被爆者の生きざまを描いた作品です。
 ミサヨさんはあいさつで、「平和があってこそ野球もできる。被爆後を力強く生きた子どもたちの姿に、平和のありがたさを感じてほしい」と述べました。

 中沢さんが大のカープファンだったことはよく知られています。カープは今年、大リーグの高額オファーを蹴って戻ってきた黒田博樹投手の話題で持ちきりです。戦力アップで優勝もけっして夢ではありません。
 そのカープにもう1人、今年阪神から戻って活躍が期待されている選手がいます。新井貴浩選手です。

 新井選手は実は、中沢さんの代表作『はだしのゲン』の大のファンです。ミサヨさんが、『「はだしのゲン」創作の真実』(大村克巳著)の中でこう語っています。

 <新井貴浩選手っているでしょ。あの人は小学生の頃、放課後遅くまで残って漫画を読んでいたそうなんですよ。それで担任の先生が「新井、何を読んでいるんだ?」って聞いたら、「はい!『はだしのゲン』です」って答えたんですって。それで先生が「そんなにその漫画が好きなのか?」って聞かれて、「『ゲン』を読むと元気が出るんです!」って夢中になって読んでいたみたいです。それで新井選手は今でも苦しい時には『ゲン』を読んで、元気を取り戻すそうです。>

 「新井38歳 全力で前へ 若手しのぐ積極性」と報じられる(写真中、3月15日付中国新聞)新井選手。その中には、いまも「ゲン」が生き続けているのかもしれません。

 『はだしのゲン』について、最近もう1つうれしいニュースがありました。
 第1巻がアラビア語に翻訳されて出版されたのです(写真右)。これで『ゲン』は実に22の言語に翻訳されたことになります。中東ではペルシャ語に次いで2言語目です。

 翻訳したのはエジプト・カイロ大のマーヒル・エルシリビーニー教授。教授は、先に後藤健二さんらが拘束された際に、日本のジャーナリスト団体が出した「命を奪うな」という声明をアラビア語に訳すのに協力した人でもあります。

 同教授は翻訳の意図をこう語っています。「中東が混乱期を迎える中で核兵器が使われてしまうことのないよう、実態を中東の人たちに知ってもらいたい」(中国新聞2月16日付)。教授は第2巻以降も順次翻訳・出版する意向です。
 
 中東に限らず、核兵器使用の危険がなくならないどころか、新たに強まってさえいるいま、『はだしのゲン』があらためて注目されているのです。

 このニュースに接して『ゲン』を読み直しています。中沢さんが「ゲン」を通して言いたかったことは何だったのか。それが22もの言語に翻訳されて世界中で読みつづけられている理由はどこにあるのか。

 『ゲン』はけっしてたんなる「原爆漫画」ではありません。『ゲン』が描いているのは、「戦争」そのもの。戦争の多様な側面であり、その中での人間の姿、生きざまです。いわば「戦争と人間」にほかなりません。
 被爆・敗戦から70年。そして「3・11」から4年のいま、『はだしのゲン』はますます輝きを増しています。
 それは「戦争」と「人間」と、自分の生き方を見つめ直す、日本の宝です。
 


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「辺野古」にかかわる見過ごせない3つの沖縄情勢

2015年03月19日 | 沖縄・辺野古

         

 一両日の沖縄県2紙の報道で、「辺野古新基地」を阻止するうえで見過ごすことができない3つの動きがありました。

 ①「USJ、沖縄進出」(19日付琉球新報、沖縄タイムス)

 USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のグレン・ガンベル社長が18日、沖縄への進出を検討していると述べたことが、好意的に大きく報じられています。共同配信で本土の新聞にも出ています。

 これに対し翁長雄志知事は、「事実であれば、美ら海水族館や首里城に匹敵する魅力的な観光施設になり、沖縄観光の将来にとって大変重要で歓迎すべきこと」(19日付沖縄タイムス)と大きな期待を表明しました。

 米国資本のテーマパークを「首里城に匹敵する」ととらえる感覚にはあきれますが、USJの沖縄進出自体については改めて考えることにします。
 ここで注目しなければならないのは、この「ニュース」なぜ今大きく取り上げられたのかということ。そして菅官房長官の発言です。

 USJが沖縄進出を検討していることはすでに昨年から報道されていることで、今回の報道内容は、それから特段進んだものではありません。では、なぜ今?

 「関係者によると、沖縄進出は当初2月に発表予定だった。昨年11月の県知事選の結果を受けて公表を延期していたとみられる。・・・USJの沖縄展開に詳しい関係者によると、本部町の海洋博公園周辺への展開を先行させる。名護市のネオパークオキナワも引き続き活用する予定だが、同関係者は『名護は現状、(米軍普天間飛行場移設の)辺野古の問題などがあり、政治的に厳しくなった』と解説する。USJ側が政治化を避けた可能性もある」(19日付琉球新報)

 端的に言えば、USJは、名護に展開するためには辺野古の現状、新基地建設反対運動が障害になると考えているということです。

 一方、菅官房長官の18日の記者会見を、琉球新報(19日付)は、「菅官房長官 異例の『支援』発言」の見出しで、こう報じています。
 「(菅官房長官は)『沖縄振興を考えたときに、極めてインパクトのあることだ。政府としては、できる限りの支援をしたい』と述べ、政府としては支援体制を整える意向を示した。官房長官が一企業の経営判断について言及するのは異例。
 菅氏は『私自身も直接(USJ側幹部などと)お会いさせていただいた』などと自身の関与についても言及した

 沖縄タイムス(19日付)によると、「菅氏は『正式に決まれば沖縄県民も歓迎してくれるだろう』と指摘」。まるで「沖縄県民」のためにUSJを誘致してやる、と言わんばかりです。

 14日の当「日記」で、「地代」が「辺野古新基地」の「見返り」として取り引きされる恐れがあるのではと書きましたが、今回の一連の報道で、「USJの沖縄進出」も「取引材料」の1つとなって「辺野古新基地」が強行される危険性も否定できません。
 
 ②「知事、7月ハワイへ 姉妹都市30年」(18日付琉球新報)

 18日付琉球新報によれば、「翁長雄志知事は17日、7月に米国ハワイ州ホノルルで開催される県と州の姉妹都市締結30年の記念式典について、『ぜひ参加し(県系3世の)イゲ州知事と意見交換したい』と参加の意向を示した」。記念式典の関連行事は7月9~12日に行われるとのこと。

 7月とはいったいどういう月でしょうか。「埋め立て承認を即時撤回すべき」という声をあくまでも無視する翁長氏が、「承認取り消しの判断をするため」として設置した「検証委員会(第3者委員会)」がその報告書を提出するのが7月です。
 さらに7月は、「夏までには本格工事に着手する」(中谷防衛相)と公言している安倍政権によって、辺野古が重大な事態に陥っている恐れがあります。
 翁長氏のこれまでの言明によっても、辺野古から一刻も目が離せない、沖縄にとってまさに天王山となるのがこのころです。
 そんな時に「ハワイ」とは・・・。翁長氏の脳裏にいったい「辺野古」は存在しているのでしょうか。

 ③「知事の総括質疑 7年ぶりに行わず 県議会予算特別委」(19日付沖縄タイムス)

 19日付のタイムス、新報によると、沖縄県議会の予算特別委員会は、知事が出席して行われる総括質疑を行わないことを決めました。翁長県政与党である日本共産党、社民党、社大党、県民ネットなどが、「これまでの代表・一般質疑や常任委員会の審議で議論は尽くされている」(琉球新報)と、知事出席の質疑に反対したためです。

 これに対し、「自民は『与党は言論の府としての役割を放棄した。言論封殺だ』と批判。中立会派も『総括質疑を否定するのはおかしい』と苦言を呈した」(19日付沖縄タイムス)といいます。

 この限りでは、自民や中立会派の言う通りです。議会における「徹底審議」は、共産党などが一貫して主張してきたことではなかったでしょうか。「翁長与党」になった途端にその主張とは逆に、野党側の審議要求を拒否するとは、いったいどういうことでしょうか。

 「議論は尽くされている」? とんでもない。「辺野古」の工事強行を一刻も早く止めるために、「知事の権限」をどのように行使させるのか、いま緊急に翁長知事に正さなければならない重大課題ではないのですか。にもかかわらず、県議会の総括質疑に反対するとは・・・。
 「翁長与党」の共産党、社民党、社大党、生活の党の政治姿勢・政治責任を厳しく問わねばなりません。


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敗戦70年。高齢者を泣かせて、なんの「復興」か

2015年03月17日 | 震災と日本の政治・社会

         

 4年目の「3・11」から1週間。あれほど「特集」を組んだテレビや新聞は、さっと潮が引いたようですが、被災者・避難者へ思いをはせる想像力はいつも失ってはならないと自戒しています。

 とりわけ心に留めなければならないのは、被災した高齢者のことだと思います。

 一連の特集報道の中で、「復興」が比較的進んでいる所として、宮城県女川町が紹介されました。その特徴は、30代、40代が中心になって自主的に「復興計画」を立案していることです。スローガンは「還暦以上は口を出すな」だとか。

 それが肯定的に紹介されていましたが、私は首をかしげました。「若者が復興の中心」になることを示すスローガンならいいのですが、「復興の内容が若者中心(未来志向)」になることには、にわかに賛成できません。

 なぜなら、高齢者を置き去りにした「復興」などあり得ないと思うからです。
 被災者・避難者を見捨てる政府・安倍政権の下で、もっとも被害を受けているのは、高齢者ではないでしょうか。それを端的に示しているのが、高齢者の孤立・孤独、そして「孤独死」です。

 宮城、福島、岩手3県の県警によると、東日本大震災の仮設住宅における「孤独死」が、2014年は合計44人で過去最悪。その数は年々増え続けており、今年1月までの累計は146人にのぼっています。

 では仮設住宅から災害公営住宅へ移ると、この実態は好転するかといえば、むしろ逆です。

 災害公営住宅への入居は今年1月末現在、岩手、福島、宮城合わせて4069戸(計画は約3万戸)、8432人がですが、このうち65歳以上の高齢化率は37・2%で、周辺自治体の平均(25・5%)を大きく上回っています。
 さらに65歳以上の独居率は24・3%に達しており、誰にも看取られず死亡する「孤独死」は少なくともすでに5人確認されています。

 この背景には、災害公営住宅がそもそも横のつながりが乏しいうえに、仮設を出たことで「避難生活は終了」とみなされ、生活支援相談員などの福祉サービスが打ち切られて孤立化を深めているという実態があります(写真右の図)。

 高齢者にとっては、仮設に残るも地獄、災害公営住宅へ移るも地獄、なのです。

 こうした実態は東日本大震災だけではありません。20年前の阪神大震災で兵庫県内に建てられた災害公営住宅の高齢化率は50%(昨年11月)を突破し、「孤独死」は累計1000人(仮設を含む)を超えました。

 阪神のこの実態を放置すること、そしてそれを東北で繰り返すことは許されません。

 高齢者を泣かせて、何の「復興」でしょうか。目に見える建設よりも、高齢者を孤立させない、「孤独死」させないことこそ、「復興・復旧」の中心目標にするべきではないでしょうか。大事なものは目に見えない、のです。

 被災者だけではありません。

 現在80~90歳代の親、祖父母世代は、「青春時代」を戦争によって奪われた人たちです。その人たちに人生の終わりまで、孤独で淋しい思いをさせてはなりません。せめて最期は心やすらかに。
 それが「敗戦70年」の、私たちの課題の1つではないでしょうか。


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「辺野古新基地阻止」に「妥協」はありえない

2015年03月14日 | 沖縄・辺野古

       

 安倍政権は12日、辺野古新基地建設へ向けたボーリング調査再開を強行しました。
 これに対し翁長雄志知事は「県民に対して説明がない中で物事を進めており、許せない状況だ」(13日付琉球新報)と述べました。

 さらに中谷防衛相13日、「今のところこちらから会う考えはない」「会ってより対立が深くなるなら意味がない」と述べました。

 この状況に対し、「作業を止めて対話せよ」「(政府は)県との対話による関係修復に乗り出すべきだ」(14日付朝日新聞社説)、「沖縄との対話―首相側から呼びかけを」(14日付毎日新聞社説)などという論調が目立ちます。

 翁長知事は政府との「対話」や「説明」を求め、メディアも「対話」が事態打開のカギだという主張です。

 果たしてそうでしょうか。
 安倍政権との「対話」が何かの意味を持つでしょうか。安倍政権に何の「説明」を求めるというのでしょうか。
 「民意」や「民主主義」が通じる政権ならいざ知らず、安倍政権が「対話」によって辺野古新基地建設を断念するとは到底考えられません。
 
 では安倍政権との「対話」には何の意味もないかといえば、そうではありません。きわめて危険な「意味」があります。それは「妥協点」を探ることです。
 新基地建設はすでに既成事実化しつつあり、今中止しても損害賠償がかさむだけ。基地建設は「苦渋の選択」として目をつぶるが、それに代わるものを沖縄に与えてほしい。
 これが「妥協」のシナリオではないでしょうか。翁長氏が考えているのは、この着地点ではないでしょうか。それならこれまでの翁長氏の「優柔不断」「先延ばし」も合点がいきます。

 知事選前の「9・20県民大行動」。翁長氏はこの時出馬表明後初めて辺野古を訪れ、こう述べました。
 「政府は辺野古を160㌶埋め立てるといいますが、これは国有地になります。軍用地料などの土地代は入りません。100年、基地として使おうが何をしようが国の勝手になるのです」(2014年9月21日付しんぶん「赤旗」)。
 もしも「軍用地料」が入るなら、辺野古新基地にはあえて反対しない。それが翁長氏の本音ではないのか、という疑念が払拭できません。

 しかし、言うまでもなく、このような「妥協」は新基地建設の容認、安倍政権への屈服にほかならず、絶対に許されるものではありません。

 辺野古新基地建設に「妥協」や「条件闘争」はあり得ません。
 新基地を造らせるか、造らせないのかの2つに1つです

 「民意」や「民主主義」の通じない安倍ファッショ政権との「対話」は有害無益です。安倍政権とは闘う以外にありません。

 知事権限を行使して「埋め立て承認」本体を直ちに撤回する。安倍政権が裁判に訴えてくれば、その時こそ、全国の世論を動員して裁判に勝つ
 これ以外に辺野古新基地建設を阻止する方法はありません。


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震災「追悼」になぜ「君が代」なのか

2015年03月12日 | 震災・天皇

         

 「3・11」から4年のきのう、政府主催の「追悼式典」が都内で行われました。
 例年同様、天皇・皇后出席のもとで行われるこの「国家儀式」を、たんなる「追悼式」として見過ごすことはできません。

 「式」は地震発生の午後2時46分の直前に開会。参加者全員が起立して天皇・皇后を迎えることから始まりました。
 そして、「君が代」斉唱です。震災被災者を「追悼」するのに、なぜ“天皇の御代”を賛美する「国歌」を歌わねばならないのでしょうか。
 まもなく地震発生時刻にあわせて「黙祷」。これは式典だけではありません。政府はすでに全国の官公庁、学校、企業などに対し、同時に「黙祷」することを求める閣議決定(2月24日)を行っています。

 安倍首相が「式辞」で強調したのは、「未曾有の国難」「強靭な国づくり」でした。
 そして天皇の「お言葉」。「4年間、被災地においては人々がお互いのを大切にし、幾多の困難を乗り越え、復興に向けてきた。・・・これからも国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思う」

 ちょうど同じころ、会場の近くで、この「追悼式典」と全国一斉の「黙祷」に反対するデモが行われたことを知る人は多くないでしょう。マスメディアは無視したからです。
 22の団体が賛同団体になったデモのスローガンは、「天皇出席の震災追悼式典・『全国一斉黙祷』反対! 原発推進・国家責任回避のセレモニーを許さない! 3・11を反原発と責任追及の日に!」
 その「呼びかけ」文にこうあります。

 「例年、『国家斉唱』に始まるこの式典の中心は、午後2時46分に天皇とともに行う一斉黙祷です。・・・天皇のもとでの一斉黙祷を強いるのは、政府と被害者がともに『国難』を乗り越え、核・原子力立国の復興を誓い合う場を演出し、国家・企業と被害者との対立をかき消すことになるのです。・・・天皇のもとでの『国民こぞっての追悼』により、被害者の憤怒を押さえ込み、被ばくや被害を甘んじて受け入れ共に原発推進に挺身せよと強制してきます」

 「原発事故は明白な国家犯罪です。政府が行うべきは国家・責任企業による謝罪と完全な賠償、事故収束―全原発・関連施設の閉鎖です」
 
 安倍首相は前日の10日記者会見し、今年で「集中復興期間」が終了することから、夏までに新たな「支援の枠組み」を決めると発表しました。それは、被災者と地元自治体にさらに大きな負担・犠牲を強いるものになるとみられています。
 こうした政府(国家権力)の意向・政策と、天皇の下における「追悼式典」「一斉黙祷」は、けっして無関係ではありません。

 被災者がもっとも危惧しているのが、「政府支援」のいっそうの後退であることは、NHKの調査でも明らかになっています(写真右)。
 そんな中で、「国難」だから「絆を大切に」「国民みなが心をひとつにして」「困難を乗り越え」よというのは、被害者・国民の「憤怒を押さえ込み」、政府が押し付ける犠牲を「甘んじて受け入れる」ことを強要することにほかなりません。

 これこそ、今日の日本社会における「天皇の政治利用」でなくてなんでしょうか。

 「『3・11』を、いのちを奪われたすべての人々の憤りをうけとめ、原発事故の被害者、被ばくによる健康被害にさらされる住民や労働者と固くつながり、原発事故の国・独占資本の責任を徹底追及する日にしましょう」
 「3・11デモ」のこの「呼びかけ」に心から賛同します。

 この政府主催「追悼式典」に、沖縄のたいへんな状況をよそに、翁長雄志知事が2泊3日の「出張」で出席したことを付記します。


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空襲ー那覇・東京・福山・・・「民間被害者補償」へ「防空法」の教訓

2015年03月10日 | 国家と戦争

              

 今日3月10日は、東京大空襲から70年です。
 死者約10万人、焼失家屋約27万戸。沖縄戦での一般住民の死者は公式統計で約9万4000人といわれていますから、一夜にしてそれを上回る死者が出たわけです。
 ただし、沖縄戦での住民の死者は、日本軍による壕からの追い出し、食糧強奪、「自決」強要などを含めると、約15万人にのぼるといわれています。

 米軍のB-29による空襲は、もちろん東京だけではなく、54の主要都市におよび、一般市街地への無差別爆撃による死者は50万人以上にのぼりました。
 その口火ともいうべき空襲が、東京より5カ月早い1944年10月10日の那覇空襲(10・10空襲)でした。5波にわたる爆撃で、死傷者は約1500人、那覇市街地の約90%が焦土と化しました。

 広島県で呉とともに空襲に見舞われたのがここ福山です(1945年8月8日)。死者354人、負傷者864人、市街地の約80%が焼失したといいます。
 福山駅そばの人権平和資料館に入ると、空襲から逃げまどう母子像が真っ先に目に飛び込んできます(写真中)

 敗戦70年。沖縄、硫黄島の地上戦だけでなく、また広島、長崎の原爆だけでなく、無差別空襲によって、多くの民間人が犠牲になったことをけっして忘れることはできません。
 同時にいま重要なのは、その空襲の被害は、いまだに終わっていないということです。
 国は軍人軍属に対しては、恩給や年金などで総額50兆円以上を投じながら、「民間戦災者」の被害補償には一貫して顔をそむけているからです。

 こうした国の姿勢に対し、那覇でも、肉親が10・10空襲の犠牲になった野里千恵子さん(「沖縄戦」被害・謝罪と国家賠償訴訟原告団長)たちを中心に、粘り強い裁判闘争が続けられています。

 「戦争被害受忍」論を盾に、民間戦災者への補償を拒み続けている国に対し、国家賠償をかちとるうえで今注目されているのが、戦時中の「防空法」(1937年施行)が果たした役割です。
 大阪空襲訴訟の控訴審で大阪高裁は、「防空法」によって国民が「危険な状況に置かれた」ことを認定しました(2013年)。『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』(2014年)でそれを紹介した水島朝穂早稲田大教授は、こう指摘します。

 「(国は)国民に消火義務を負わせ、隣組の相互監視の中で訓練を繰り返し、『猛火にも立ち向かう』という精神論を強調した。『空襲は怖くない、逃げる必要はない』と徹底し、バケツリレーやはたきのような『火たたき』などの非科学的な方法での消火を強いた。
 そして、足手まといになる老人や幼児ら以外の国民を『戦争協力は国民の義務』と都市部に縛り付け、大きな犠牲を招いた。・・・
 これまで民間の空襲被害者への補償は行われていない。軍人、民間人を問わず補償するドイツと対応が異なっている。国民の命でなく、国家体制を守ろうとした防空法とその運用により、被害は拡大した。このことは空襲被害者への補償の根拠となりうる」(9日付琉球新報)

 先週、都内で空襲の民間被害者への国家補償を求める複数の団体の集会がありました。そこでは沖縄戦犠牲者の補償も合わせて要求していくことが確認されました。
 空襲で片目を失った女性が訴えていました。「一般市民を救済しない国の姿勢を放置すれば、また同じことが起きる」(写真右)

 「守るべきは命か国家体制か、という防空法からの教訓は、特定秘密保護法が施行され、新たな安全保障法制の議論が進む戦後70年の今、再び問われるべきである」(水島氏、前出)

 この言葉は、先の安倍政権による後藤健二さんらの“見殺し”を想起させ、さらに、4年目を迎える「3・11」とも深く結びついて、私たちに突き付けられています。
 「守るべきは命か国家体制か」


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