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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日本ではなぜ天皇制が見直されないのか

2020年09月29日 | 天皇制と政治・社会

    
 タイの反政府運動は、これまでタブーとされてきた王制改革にも向かい、王宮へデモ行進が行われるとともに、「学生らは不敬罪廃止や王室財産の削減など10項目の改革」(21日付共同)を求める請願書を提出しました(写真左)。

 タイだけではありません。ベルギーでは6月9日、元国王レオポルド2世(在位1865~1909年)の像が撤去されました。「米国の白人警官による黒人暴行死事件を受け、欧州でも人種差別への抗議が広がる中、アフリカ中部コンゴを私領地として搾取した元国王の像への攻撃が続発。地元当局が撤去を決めた」(6月11日付共同)のです。

 アメリカの「BLACK LIVES MATTER」(BLM)運動が欧州、アジアに広がり、タブーとされてきた王室・王制への批判、改革要求にまで至っています。

 こうした動きがどうして日本では起こらないのでしょうか。なぜ皇室・天皇制批判・見直しの声が広がらないのでしょうか。

 たしかに、タイの絶対王政と「象徴天皇制」を同列に置くことはできません。「象徴天皇制」の憲法は天皇に政治的権限を与えていません。しかし、皇室にも皇室予算はじめ様々な特権が与えられています。また、神道に基づく皇室行事を国の行事とし公費を支出することによって政教分離の原則が蹂躙されています。憲法の規定にもかかわらず、天皇裕仁、明仁が政治的言動を繰り返してきたことも周知の事実です。

 なによりも、「BLM運動」から日本が学ぶべきなのは、差別と天皇制の関係です。

 明治以降、日本が朝鮮半島を植民地支配し、東アジアを侵略した歴史の頂点に天皇が君臨していたことは言うまでもありません。「皇民化政策」は侵略・植民地支配の柱でした。
 日本・日本人はその歴史をいまだに清算していません。戦前の天皇制と戦後の「象徴天皇制」は連動し、「日の丸・君が代」「元号」は事実上強制され、在日コリアンに対する政治的・社会的差別は再生産されています。

 日本で「BLM運動」に連帯するなら、こうした歴史から学び、歴代天皇の侵略戦争・植民地支配の責任を問い直し、差別構造の頂点にある天皇制を見直し、廃止へ向けた機運が広がってしかるべきでしょう。そんな動きが日本で起こらないのはなぜでしょうか。

 それは「慣性としての天皇制」だからだ、と憲法学者の奥平康弘氏は指摘しています。

 「『天皇制はなんとなく日本の伝統に即している気がするし、日本人は調和を重んじる民族なのだから、(天皇制は)残しておいたほうがいいのではないか』という、まさに『なんとなく』の天皇制肯定が当然の前提になってしまっている。…いわば『慣性としての天皇制』ともいうべきものが、日本には成立している。それは慣性が根拠になっているからこそ、思いのほか強力なんです」(『未完の憲法』潮出版、2014年)

 社会学者の吉見俊哉氏は、「安心・安全の天皇制」だと言います。

 「戦後憲法ができるころにはそういう(共和制)議論があった。でも、今はなくなってしまった。それはタブーだからとか、検閲があるからとかいうことよりは、この国では人々の想像力そのものが、もうそこまで及ばないのだろうという気がします。…積極的に『天皇』に何か幻想をいだいているというよりも…天皇制は存続させるのが『自然』だろうと言う感覚だと思います。『安心・安全』の天皇制ですね。…日本人には、天皇制のない日本というものが、もはや想像することすらできなくなっているのではないでしょうか」(『天皇とアメリカ』集英社新書、2010年)

 「慣性」とは思考停止ということです。自分の頭で考えない。歴史から学ばない。「想像力」の欠如です。そんな「慣性としての天皇制」「安心・安全の天皇制」から脱却しなければならない。世界の「BLM」運動のうねりは、日本人にそのことを問いかけているのではないでしょうか。


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対韓強硬姿勢・加藤勝信官房長官の影の人脈

2020年09月28日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    
 菅義偉首相は韓国・文在寅大統領との電話会談(24日)で、植民地支配下のコリア半島の人々に対する強制動員・強制労働(徴用工)問題について、日本の責任を棚上げし、「韓国の責任」を迫る不当な姿勢に終始しました。まさに「安倍政権の継承」ですが、注目されたのは加藤勝信官房長官の言動です。

 加藤氏は24日の記者会見で、今回の電話会談について、「『韓国側から打診があった』と“暴露”。首相から対話を求めたわけではないことをアピール」(25日付共同配信)したり、日本企業の資産現金化が行われた場合は、「対抗措置に踏み切る可能性を示唆」(同)するなど、韓国に対する強硬姿勢を露わにしました。

 加藤氏のこうした対韓強硬姿勢の背景には、同氏の特別な人脈の影がうかがえます。
 それは加藤氏の義姉(妻の姉)、加藤康子(こうこ)氏です(写真右)。

 加藤康子氏は、「ロッキード灰色高官」として悪名をはせた故・加藤六月自民党代議士の長女。慶応大や米ハーバード大で「産業遺産」を専攻し、卒業後に産業遺産国民会議を設立(2013年)しました。
 そして、安倍政権が強行した「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(長崎・軍艦島など)の「ユネスコ世界文化遺産」登録(2015年7月5日)で主導的役割を果たしました。その関連で安倍政権では内閣官房参与(産業遺産担当)に就任(2015年7月2日~19年7月31日))。現在は内閣府の「産業遺産情報センター」(2020年3月31日開所)の所長に就任しています。

 「明治日本の産業革命遺産」は、日本の侵略戦争、植民地支配、強制動員・強制労働など加害の歴史がまったく示されていないものでした。そのため韓国政府や日韓の市民団体などから批判が集中。ユネスコ世界遺産委員会は登録にあったて「歴史の全貌」を示すよう日本政府に異例の特別勧告を行いました。日本政府はその勧告を受け、インフォメーションセンターの設置を国際公約しました。それが「産業遺産情報センター」です。

 ところが同センターは、軍艦島(長崎)などの「遺産」がある九州ではなく東京に設置されました。それ自体、ユネスコの勧告の趣旨に反していますが、さらに問題なのは展示内容です。
 加藤康子氏は開設にあたって、「当時を知る証言を重視した」と説明しました。しかしその「証言」とは、強制動員された朝鮮半島の人々に対する差別はなかった、仲良くやっていた、とするものに終始したもので、「歴史の全貌」を示すどころか、差別・虐待の事実を否定し、加害責任隠ぺいを上塗りするものにほかなりません。歴史修正主義者・安倍晋三氏の意を体した施設であることは明らかです。

 そのため日韓の64の市民団体は、「産業遺産情報センターの強制労働否定の展示を中止せよ」とする共同声明を発表し、「日本政府は(2015年の)世界遺産登録での国際的約束を守るべきだ」「強制労働の存在を認め、強制労働被害の実態やその証言を展示するよう」日本政府に要求しました(7月14日)。

 こうして安倍晋三氏と一体となり、強制動員・強制労働を否定する「産業遺産」の世界登録を主導し、今も歴史改ざんの情報センター所長としてその先頭に立っているのが加藤康子氏です。
 その加藤康子氏を義姉とする加藤勝信氏が、内閣官房長官として今後この問題でどういう役割を果たしていくのか。その言動は要注意です。


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日曜日記116・NHK「エール」朝から軍歌か・マイクロアグレッション

2020年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

☆NHK「エール」朝から軍歌か

 NHKの朝ドラが古関裕而を主人公にした問題性については5月19日のブログで書いたが、いよいよその実体があらわになってきた。9月25日の「エール」は彼の軍歌の代表作「暁に祈る」(作詞・野村俊夫、歌・伊藤久男、1940年)が完成する話だった。

 帝国陸軍の「戦意高揚を」という要請で作った歌だが、それを「恩師のための歌」と粉飾し、戦争協力責任を薄めようとした。その手法は姑息だが、露骨だったのは15分の番組の中で「暁」を2番まで伊藤久男役に歌わせたことだ。「ああ、あの顔で、あの声で、手柄頼むと…」という軍歌が、朝の食卓に2番まで響いた。昼の再放送を含めれば、朝、昼計4コーラス軍歌が“公共放送”から流れた。「日の丸」をまとって出征する兵士の映像とともに。

 異常だ。千歩譲って古関をモデルにドラマをつくるとしても、軍歌を流す必要はない。しかも2番まで。NHKがその効果を狙ったことは間違いない。
 7年間の安倍政権で年間の軍事費は1兆円以上増え、来年度概算要求は過去最高の5兆4000億円を超える。戦争法(安保法制)強行(2015年)からの5年間で、日本軍(自衛隊)と米軍の一体化は加速している。

 そんな中で、多くの軍歌で侵略戦争に協力し、戦後は自衛隊関係の歌をいくつも作曲している古関を主人公にした連続ドラマをつくり、軍歌を繰り返し流す(NHKは朝ドラ以外でもたびたび古関を取り上げている)。自民党政権と一体となったNHKの制作意図は見過ごすことができない。

☆マイクロアグレッション

 先日のニュースで「マイクロアグレッション」という言葉を初めて知った。「小さな攻撃性」と訳す。黒人差別が横行するアメリカでは以前から言われてきた言葉だという。

 黒人差別は露骨な言動だけで行われるものではない。たとえば「ブラックバイト」「ブラック企業」「色黒」「美白」など、「黒」が劣っていて「白」が優れたものを意味する言葉は少なくない。それがマイクロアグレッションだ。そう指摘する識者の言葉に自分の認識不足を突かれた気がした。

 同時に、これは黒人差別だけではないと思った。日本語は男尊女卑のマイクロアグレッションにあふれている。「男らしくない」「女々(めめ)しい」などなど。

 また女性差別だけでもない。例えば、今はスマホの普及で死語になったが、かつて「バカチョンカメラ」という言葉があった。「バカでもチョンでも撮れるカメラ」という意味だ。これは明らかな差別用語だ。以前、日本を代表する民主的な映画監督の名作の中でこの言葉が使われていたのを聞いて暗い気持ちになったことがある。

 マイクロアグレッションは言葉だけではないだろう。表情や動作にも表れるだろう。そこには面と向かった差別とはちがう打撃・攻撃性がある。無意識なだけ罪が重いともいえる。自分の言葉、動作にマイクロアグレッションはないか。自戒したいと思う。


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コロナ禍で犠牲重なる外国人技能実習生

2020年09月26日 | コロナ禍と政治・社会

    

 コロナ禍による解雇は全国のハローワークが掌握しているだけで6万人を超えました。これだけでも大変な事態ですが、これは氷山の一角にすぎません。中でも雇用の調整弁として真っ先に首を切られているのが、技能実習生として日本に来ているベトナムはじめ東アジアの人々です。

 しかも、突然の不当解雇通告であるにもかかわらず、「自己都合」だとする偽りの文書に無理やり署名させられるケースも発覚しています(13日のNHKニュース、写真中)。「解雇」の場合は別の職場への転職が可能ですが、「自己都合」ではそれもできません。

 「自己都合」を強制されたベトナムの実習生は、「ぼくたち実習生は法律のことなどよくわからない。家族のために働かなければならない。(仕事を)辞めたいわけがない」と悲嘆にくれています(写真左)。専門家は、「外国人労働者は言葉の問題もあって訴えや相談ができない。行政が保護する必要がある」(斉藤善久神戸大准教授、同)と指摘します。

 外国人実習生に対する不当労働行為は「コロナ」以前から常態化しています。

 労基法では1カ月の時間外労働(残業)は上限を原則45時間とし、その際は通常の1・25倍以上の割増賃金を支払うと規定しています。もちろん実習生も例外ではありません。

 しかし実習生は、「法定を大きく超える月100時間以上の残業が常態化し、残業代の大半は最低賃金の半分ほどの時給で計算されている」(8月9日付中国新聞)のが実態です。

 とくにアパレル業界の実情は過酷です。「厚生労働省のよると、18年に実習生を受け入れる繊維・衣服業種で監督指導した計782事業所のうち、割増賃金の支払いに関する違反は約2割の155事業所」(同)に上りました。

 「新型コロナウイルスの感染拡大の影響でアパレル市場の厳しさは一段と増している。実習生にしわ寄せが向き、同様のトラブルがさらに増えるのではないか」(上林千恵子法政大教授、同中国新聞)と危惧されます。

 先の台風10号による宮崎県椎葉村の土砂崩れで、ベトナム人技能実習生2人が犠牲になりました。「学校に通う妹と、幼い弟がいるので、トアンは家族のためにと、日本に働きに行っていました。とてもいい息子でした。今は、とても悲しく、死にたい気持ちです。できるかぎり早く、息子をふるさとに帰国させてください」。亡くなったトアンさん(22)の母親の涙の訴えが胸を突きます(19日NHK=写真右)。

 日本で働く外国人実習生は約41万人。前述の「自己都合」の偽装を強要された青年もそうでしたが、その多くは、故郷の家族のため、苦しい生活の中から巨額の借金をして、遠い日本の地へ働きに来ています。彼らは日本人が避ける「3K(きつい・汚い・危険)」職場で日本の産業を支えています。

 にもかかわらず、労基法違反で酷使され、その上コロナ禍では真っ先に首を切られる。「自己都合」と偽装までされて。しかし日本の政府・行政は彼らを救済するどころか、就労実態、コロナ禍での解雇実態の調査すらしようとしていません。

 外国人実習生に対するこうした日本の所業は、現代における植民地政策といえるのではないでしょうか。私たち日本人が、その実態に目を向けることなく安穏と日常生活を享受することは許されません。


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毒ガス兵器と細菌兵器の二重疑惑「大牟田爆発赤痢事件」の真相

2020年09月24日 | 戦争の被害と加害

    
 83年前、1937年9月25日午後6時ごろと12時ごろ、福岡県大牟田市の三井鉱山三池染料所で大規模な爆発が相次いで起きました。被災者は呼吸困難、下痢、嘔吐などの症状を呈し、712人が死亡しました。その後負傷者の総計は2万5000人以上にのぼりました。

 爆発直後、火災が発生したため地元の消防が工場内に入ろうとしましたが、工場側が「自分たちで消火する」として拒否しました。その時工場の人たちは防毒服を着ていたといいます。

 爆発の2日後、帝国陸軍(憲兵隊)と福岡衛生部が「赤痢禍調査団」を名乗って大牟田入りし、10万錠近い「赤痢予防錠」を市民に配布。同10月19日、内務省は「大牟田の事故は水道水が原因の集団赤痢」と発表しました。

 ところが、当時の大牟田市水道課長・塚本久光氏が戦後、水道氏が原因ではない確かな証拠を示した「塚本メモ」を公表。息子の塚本唯義氏が父の遺志を継ぎ、膨大な資料、証言を集め、真相究明を求めて国会議員にも働きかけました。

 これを受け、参議院では1973年、74年の2回「大牟田市9・25爆発赤痢事件に関する質問主意書」が提出されました。しかし、自民党政府の「答弁書」は当時の内務省発表を踏襲するものでした。

 以上が経過の概略です。では事件の真相はどうだったのでしょうか。在野の研究者・ジャーナリストの北宏一朗氏はかつて講演(2017年9月6日)でこう指摘しました。

 <三池染料は何をつくっていたのでしょうか。この事件が起こったのは盧溝橋事件の2カ月後です。陸軍が大久野島(広島県―引用者)で毒ガスを製造していました。日中全面戦争が広がり、毒ガスの需要が急増した時期です。三池染料は毒ガスの原料となる中間剤を生産し陸軍に納入していたのです。

 陸軍からの注文が増え、大牟田工場でも増産に次ぐ増産をしていました。そんな時に爆発事故が起こりました。毒ガスの爆発でたくさんの人が亡くなったのです。

 この事故を隠ぺいするため、軍、衛生局、三井は「集団赤痢」だと発表し、2日後に「赤痢予防剤」を配布しました。この「予防剤」はどうして手に入れたのでしょうか。

 当時陸軍軍医学校にいた石井四郎(「731部隊」長―引用者)が赤痢のワクチンを作ろうと計画していました。まだ効果が確認されていない「予防剤」を1936年までに24万人分つくっていました。そのうちの10万人分を大牟田市に配布したのです。これを飲んだ人が次々に赤痢に感染し、2万5000人が感染してしまいました。>
(化学兵器被害解決ネットワーク作成「北宏一朗講演集」2020年=写真右より。写真左は敗戦後遺棄された毒ガス=NHKETV特集より。写真中は大久野島毒ガス資料館の展示物)

 毒ガス兵器の原料を作っていた工場の爆発で多くの死亡者が出た。それを隠ぺいするため「赤痢」と偽り、細菌兵器用につくっていた薬剤を市民に配布して人体実験を行い、大量の感染者を出した。毒ガス兵器も細菌兵器も言うまでもなく国際法違反の非人道兵器です(兵器はすべて非人道ですが)。その二重の被害が、「大牟田爆発赤痢事件」の真相だという指摘です。

 この重大な事件はしかし、参院の質問主意書以後、本格的に追及された形跡がありません。事件そのものを知らない人も少なくないでしょう。いまだに隠ぺいされている日本の戦争犯罪、加害の歴史の1つです。絶対にあいまいにすることはできません。

 北氏とは講演会で何度か会ったことがあります。たいへん熱心で信頼のおける方でした。残念ながら昨年6月、がんで亡くなりました。74歳でした。


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差別を差別と認めない―「福山市」と「NHK広島」は同根

2020年09月22日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 福山市在住の在日朝鮮人女性が風しん検査受診時に差別を受けた問題(8月11日、9月3日のブログ参照)。その後の経過が、ジャーナリストの乗松聡子氏のブログ(http://peacephilosophy.blogspot.com/。9月11日付)に掲載されています。

 それによると、受診時(7月25日)に差別発言・対応を行った医師は、2回目の「謝罪文」(9月2日付)を福山市の担当課を通じて被害者Yさんに渡しました。
 その内容は、「深く反省している」「認識の甘さ」「発言の重大さ」「傷つけ苦しめた」などという言葉を並べ、「どうぞご容赦下さいますようお願い申し上げます」と結んでいます。

 これに対しYさんは、今回も医師が「頑として差別をしたことを認めていない」ことを指摘。にもかかわらず医師が「謝罪」を繰り返したり「ご容赦下さい」などと言うのは、「私を責めているようにさえ感じる。率直に言うと、加害者の被害者化ではないか」と苦しい胸の内を明かしています。

 Yさんの怒り、悲嘆は当然です。本質問題を回避し続ける医師の釈明、そしてそれを通過させた福山市担当課は、Yさんに対する差別を上塗りし、二重三重の被害を与えてしまったと言わねばなりません。

 問題の本質は、差別を差別とはっきり認めることです。しかし、医師および福山市の「謝罪」にはそれが一貫してありません。自分が言ったこと行ったことが在日朝鮮人に対する差別であるという認識がありません。

 それは医師の今回の「謝罪文」が、「気持ちに沿っていなかった」「気持ちに寄り添った診療を行う」という言葉を繰り返しているところに端的に表れています。問題は「気持ちに沿って」いたかどうかではありません。人権と尊厳を蹂躙した差別の問題です。その自覚・認識のない「謝罪」は謝罪ではありえず、再発防止も不可能です。

 ここで想起されるのが、NHK広島の差別ツイート問題です(8月25日、26日、9月12日のブログ参照)。両者には数々の共通点があります。

 第1に、本人は「差別したつもり(意識)はまったくなかった」といいながら差別発言・差別対応を行ったこと。
 第2に、そのことを被害者や支援者らから指摘されても頑として「差別」であったと認めないこと。
 第3に、したがって差別に対する償いを拒否していること(福山市の場合は本質問題の認識に立った謝罪の拒否、NHK広島の場合は被害者への謝罪すらない上に問題ツイートの削除を拒否)。
 そして第4に、差別の被害者がともに在日コリアンであることです。

 「福山市」と「NHK広島」の問題はまさに同根です。

 そしてこうした共通性は、福山市やNHK広島だけのことではなく、日本人ならだれでも当事者=加害者になる可能性がある問題ではないでしょうか。

 日本人は朝鮮半島を植民地支配(1910年~45年)したときから、いいえ、豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592~98年)から、朝鮮人を蔑視し攻撃してきました。その差別の歴史をいまだに清算していません。歴史の事実を教育さえされていません。結果、今日の日本で在日コリアンに対する政治的社会的差別は再生産されています。

 こうした日本に生まれ育った私たち日本人は、差別に対し、とりわけ在日コリアンに対する差別に対し、あまりにも無知で鈍感です(朝鮮差別・侵略主義者の福沢諭吉を最高額紙幣の肖像としてあがめ続けている一事をとっても明白)。そのことを自覚しなければなりません。

 その上に立って、差別発言・行為を行ってしまった場合は、被害者の指摘・批判から学び、本質的な謝罪を行い、それを自らの差別性・差別体質を変える契機・教訓にしなければなりません。

 今回の「福山市」と「NHK広島」の問題は、日本人にとって死活的に重要なそのことを、改めて私たちに突き付けているのではないでしょうか。

 


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沖縄元副知事が証言した辺野古めぐる翁長県政の実態

2020年09月21日 | 沖縄と日米安保

    

 菅義偉首相は安倍政権官房長官時代、沖縄の辺野古新基地建設強行の先頭に立ってきました。翁長雄志知事(当時)の腹心副知事としてその菅氏と水面下で交渉を繰り返してきたのが安慶田光男氏です。
 (安慶田氏は2017年1月23日、教員採用口利き疑惑で辞職。写真左・中は菅・翁長会談=2016年10月8日、那覇市内=左から翁長氏、安慶田氏、菅氏。写真右は翁長氏と安慶田氏)

 その安慶田氏が琉球新報のインタビューに答え、菅氏との秘密交渉の内幕の一部を暴露しています(琉球新報9月18日付)。

 そこで明らかにされたことは、①安慶田氏が辺野古新基地を陸上に造る「陸上案」を水面下で菅氏に提示した②翁長知事は事前にその相談を受け反対しなかった③翁長氏と安慶田氏は「表」と「裏」を分担しながら安倍政権と密室交渉を重ねてきた―という事実です。

 翁長氏が新基地建設の「代替案」を検討していたことは当時から一部で報じられていましたが、それが事実であったことが今回当事者自身の証言で明らかになりました。「陸上案」(一部大浦湾の埋め立ても含む)は大規模な埋め立ては行わないものの、新基地を沖縄(辺野古)に造る点で、日米安保条約によって沖縄の米軍最前線基地としての機能を強化することに変わりありません。それを県政側から提案したことはきわめて重大です。

 翁長氏には辺野古新基地に体を張って反対したという通説がりますが、本ブログではそれは事実に反すると繰り返し指摘してきました。安慶田氏の証言はその指摘を裏付けるものです。

 安慶田氏は「陸上案」を菅氏に提案する際、翁長氏に事前に相談したときのもようをこう語っています。

 <安慶田氏によると、菅氏へ個人的に陸上案を打診するに先立ち、当時の翁長知事にその考えを伝えたところ、翁長氏は「今これ(陸上案)を言うと、与党が駄目になるんじゃないか」と懸念していたという。>(18日付琉球新報)

 「与党」とは「オール沖縄」陣営のことです。翁長氏は「陸上案」には反対せず、それを公言すると自身の支持基盤である「オール沖縄」に打撃になることを懸念したのです。

 翁長県政は2016年8月31日の安倍政権との協議(安慶田氏が出席)で、政権が要望していた辺野古(米軍キャンプ・シュワブ内)の陸上工事の再開を容認しました。「国側は安堵の表情を浮かべ、近く工事を再開する意向」(2016年9月1日付沖縄タイムス)と報じられました。この背景には翁長県政の方からの「陸上案」打診があったわけです。

 安慶田氏はまた、安倍政権との秘密交渉における翁長氏との任務分担について、こう語っています。

 「多い時は1週間に1回くらいひそかに(菅氏に―引用者)会った。…きれいごとでは物事は進まない。表向きの話し合いは望ましいが、表では言えないことも腹を割って密室でやることも必要だ。…翁長が政治家だったのはこういうところだ。けんかをするけどおまえ(安慶田氏)はパイプになれよと」(18日付琉球新報)

 翁長氏が表では「けんか」しているように見せながら、裏では安慶田氏が妥協案を交渉する。その役割分担が生々しく語られています。

 翁長県政の実態、辺野古・高江など基地問題で実際に行ったこと、果たした役割は、事実に基づいて正確に検証する必要があります。

 また、「陸上案」は決して過去の話ではありません。安慶田氏は「一部でも埋め立ては反対だったため当時は認められなかったが、今は一部の埋め立てが始まっている。…陸上案の二つの条件はクリアされた」(同琉球新報)と述べ、「陸上案」は現実的になっていると強調しています。
 「翁長県政の継承」を掲げる玉城デニー知事がこれをどう聞くか。予断を許しません。


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日曜日記115・菅政権報道3つの“怪”―短命・支持率・「令和」

2020年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「超短命内閣」に口つぐむ

 NHKはじめメディアは「デジタル庁だ」「行革だ」と、なんとか「菅カラー」を出そうとする報道に躍起になっている。おかしな話だ。なぜなら、菅政権が超短命内閣に終わることは既定の事実だからだ。にもかかわらず、そのことにはそろって口をつぐんでいる。

 現在の衆院議員の任期は来年10月までだ。それまでに必ず総選挙がある。自民党は任期満了選挙ではなく、「コロナ」の状況を見ながら、なるべく早い解散・総選挙を狙っている。
 菅政権はその時点で終わる。長くて1年、場合によれば年内までの寿命だ。自民・公明合わせて過半数を割れば、もちろん政権交代となる。過半数を割らなくても、大敗すれば「菅おろし」もありうる。

 メディアはそれを百も承知だ。知っていながら口をつぐみ、菅政権の持ち上げ報道に終始する。それは結果的に、あるいは意図的に、自民党政権をPRしていることに他ならない。

☆驚きの「高支持率」

 共同通信の世論調査(18日発表)では、菅内閣の支持率は「66・4%」と高水準を示した。新内閣の初の支持率調査はご祝儀相場で高くなるのが通例で、この数字に驚きはない。

 驚いたのは、ポスト安倍の自民党総裁選の最中に行われたJNN(TBS系)の世論調査(7日発表)だ。
 「安倍内閣支持」が前回より27・0㌽上がって62・4%、「不支持」が26・0㌽下がって36・2%。前月までと支持・不支持が完全に逆転した。自民党の支持率も11㌽増えて43・2%。第2次安倍政権発足以来最高だという。数々の疑惑に口をつぐみ政権を放り出して辞めていく首相の支持率がどうして急上昇するのか。常識では考えられない。支持率を上げる要素など1つもない。

 考えられる理由は1つ。メディアが競うように行った総裁選キャンペーンだ。自民党の権力闘争・派閥抗争がさも日本の重要問題であるかのように、連日連夜、菅ら自民党幹部を登場させ、「安倍政治の継承」など言いたい放題言わせた。そのメディアの腐敗しきった報道が安倍・自民党の支持率を急上昇させた。それしか考えられない。

 これは過ぎ去った話ではない。総裁選報道は来る総選挙へ向け自民党の絶好のPRになったからだ。メディアの罪はあまりにも重い。

☆意味不明の「令和にふさわしい総裁」

 出来レースの総裁選ショーで菅が新総裁に決まった日、安倍はこう言った。「令和時代に最もふさわしい自民党の新総裁ではないか」(14日の自民党両院議員総会)
 メディアはその言葉をコメント抜きで報じた。いったいどういう意味なんだ。「令和時代に最もふさわしい」とは?

 意味不明。しかし安倍は計算づくでこの言葉を使ったはずだ。その狙いは、「令和」という言葉を出すことによって天皇を連想させ、それを菅に結び付けて自民新総裁にハクを付けること。すなわちこれは「元号」と天皇の政治利用にほかならない。自民党が「元号」・天皇制に固執する理由はこうした政治利用に価値を見いだしているからだ。

 その意図を知ってか知らずか、メディアは安倍の言葉をそのまま垂れ流す。そして野党も「国民」も、「元号」や天皇関係の言葉が出ると途端におとなしくなる。この国の病巣は根深い。


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日本の恥辱・天皇の「沖縄メッセージ」から73年

2020年09月19日 | 天皇制と日米安保

    

 沖縄の平和・民主勢力は4月28日を「屈辱の日」といいます。1952年のこの日、日米安保条約とともに締結された「サンフランシスコ講和条約」が発効し、沖縄が「本土」から切り離されてアメリカの統治下におかれることになったからです。歴代自民党政府がこの日を「主権回復の日」として式典を行うのと対照的で、沖縄の苦難の歴史を示すものです。

 しかし、敗戦後の歴史で、沖縄にとって真の「屈辱の日」は別にあるのではないでしょうか。それは今日、9月19日です。なぜならこの日は、アメリカの軍事占領、基地被害の元凶であるサ条約・日米安保条約へ軌道を敷いた、天皇裕仁(当時)の「沖縄メッセージ」が発せられた日だからです。(写真左=マッカーサー・裕仁第1回会談―1945・9・27、写真中=「主権回復」式典で明仁天皇に万歳する安倍首相―2014・4・28、写真右=「即位礼」で徳仁天皇に万歳する安倍首相―2019・10・22)

 『昭和天皇実録』(宮内庁、2014年9月公表)の「一九四七年九月一九日付」にはこう記されています。

 「この日午後、寺崎(英成)は対日理事会議長兼連合国最高司令部外国局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官(二十日付覚書)及び米国国務長官(二十二日付書簡)に報告する。

 この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記されている。」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年より)

 上記「長期貸与」の「長期」は、「メッセージ」原文では「二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上」となっていました(豊下氏、前掲書)。

 当時米国内では沖縄の統治方式について意見が分かれていましたが、この裕仁の「メッセージ」によって方針が決まり、それがサ条約第3条「(米国が沖縄の)行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」という規定につながりました。

 裕仁の「メッセージ」は、自らの保身と「本土保護」のため、そして「米国の利益」のために沖縄を生贄にしたものです。

 それは沖縄にとって屈辱的だっただけではありません。日本(日本人)にとっても極めて重大な意味をもっていました。

 「天皇の『沖縄メッセージ』は、憲法の制約から儀礼的役割以外何もできないはずの彼が、秘密で外交・内政上の役割を演じ続けていたことを証明するものだった。…彼も外務省も、平和条約の締結後、なおアメリカ軍が日本の内外に留まることを望んだ。同時に彼は、東京裁判の継続中は、保身のためアメリカを引きつけておく必要も感じていただろう。
 だが何よりも天皇のメッセージは、象徴天皇制と、憲法九条と、アメリカによる沖縄の軍事化との強い関連性を物語っていた」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇 下』講談社学術文庫2005年)

 裕仁の「沖縄メッセージ」が発せられた「9・19」は、沖縄にとって真に「屈辱の日」であるだけでなく、日本(日本人)にとって、対米従属の軍事同盟=日米安保体制と憲法9条、沖縄、そして天皇制の関係を象徴的に示す、今につながる「恥辱の日」にほかなりません。


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隠ぺいされてきた皇軍による「平頂山大虐殺事件」

2020年09月17日 | 天皇制と戦争

   

 89年前の明日1931年9月18日、中国東北部(「満州」)で何が起こったか、知っている人は少なくないかもしれません。帝国陸軍(関東軍)による柳条湖満鉄線爆破事件。日本の中国侵略が本格的に始まる「満州事変」です。

 ではその翌年、88年前の昨日1932年9月16日に、柳条湖爆破事件があった奉天(瀋陽)の東隣・撫順の郊外にある平頂山の麓の村で起こった事件を知っている人は果たして何人いるでしょうか。関東軍による村民皆殺し事件、「平頂山大虐殺事件」です。

 撫順市委員会が調査して1964年に発表した『平頂山大惨案始末』の序文は、事件の概要をこう記しています。

 「日本帝国主義は中国を侵略、中国人民に対して数えきれぬほどの罪をおかした。平頂山虐殺事件はその一つである。
 平頂山は撫順市の南部にあたり…市街地より約四キロ離れた山あいの村である。およそ四〇〇世帯、三千人余りの村民が住んでいた。(中略)

 三〇余年前、日本軍は平頂山村を急襲し、村を焼きはらい、三千余の村民を虐殺した日本軍は目をおおうばかりの凶行を行ったあと、証拠隠滅を画策し、厳しい箝口令によって虐殺の事実が外部に漏れないように万全の対策を講じた。そのために今日にいたるも虐殺の事実を知る者は少ない。(以下略)」
(石上正夫著『平頂山事件 消えた中国の村』青木書店1991年より。写真は平頂山殉難同胞遺骨館と展示されている遺骨=同書より)

 直接蛮行に及んだのは、関東軍奉天独立守備隊撫順隊第二中隊(中隊長・川上精一大尉)、撫順憲兵分遣隊(隊長・小川一郎准尉)ですが、虐殺の翌日から関東軍司令部が率先して事件の隠ぺいを図りました。

 事件は前日(9月15日)に抗日ゲリラによって行われた撫順炭鉱襲撃への報復とされていますが、根源が日本帝国軍による中国東北部侵略にあることは言うまでもありません。抗日ゲリラは日本の侵略への対抗にほかなりません。

 しかも、抗日ゲリラが行動したその日は、日本の「満州国」支配を決定づけた「日満議定書」が調印された当日でした。また、3日後の9月18日が「満州事変」1周年に当たった日であることも見過ごせません。

 1932年9月16日午前11時ごろ、日本軍守備隊二百数十人が4台のトラックで平頂山村に急行。兵士は数メートルおきに銃剣を構え、村民を1人も逃がさない包囲網構築。「記念写真を撮る」と騙して村民全員を山の麓に集めました。「カメラ」と偽っていた機関銃数機をトラックから降ろし、包んでいた白布を取り払って一斉射撃。阿鼻叫喚、血の海。まだ息のある村民は、一人ひとり銃剣で突いて回りました。妊婦のおなかの子までも。家屋はすべて焼き払いました。3000余の遺体はガソリンをかけて燃やそうとしましたが、速く隠ぺいする必要から、遺体を山の麓に集め、山腹を爆破して遺体を埋めました。(生存者=約30人といわれています=の証言。石上氏前掲著より)

 「平頂山大虐殺」は、「旅順大虐殺」(1894年11月)から「南京大虐殺」(1937年12月)へ、そしてその後の東アジア各地における日本軍による一連の虐殺・蛮行の歴史のなかでとらえる必要があります。

 「旅順虐殺事件に対しても、平頂山事件に対しても、「あの時に責任の追及がなされていたならば、この種の行為を続発させることはなかったであろう」と多くの人が過去の歴史を振りかえるが、はたして、天皇の軍隊の性格は、生まれた時のまま変わることなく、それどころかますます大きくなった
 一九三七年に日中戦争が勃発し、暮から翌年にかけて日本軍による南京大虐殺が発生した。一九四一年アジア・太平洋戦争が起き、シンガポール・マレーシア占領後の華僑の大量虐殺泰緬鉄道設置時の強制労働による虐待・死亡、抗日を理由とした民衆や捕虜の虐殺毒ガス兵器・細菌兵器開発のための人体実験等、占領地の統治は残虐を極め、二〇〇〇万人以上といわれる人々を犠牲にして一九四五年の日本帝国主義の終焉まで続いた。
 日本軍の虐殺の歴史に必然性があったとすれば、それは明治維新の「富国強兵」政策の中で誕生した「天皇の軍隊」に求めなければならないだろう」(高尾翠・歴史学者『天皇の軍隊と平頂山事件』新日本出版社2005年)

 こうした日本軍による虐殺の実態は隠ぺいされ、いまだに詳細に明らかにされていません。「天頂山大虐殺」はとくにそうです。そして、事実を明らかにしないだけでなく、それを虚偽・誇張だとして歪曲しようとする論調が横行しています。その先頭に立つ歴史修正主義者が政権を握り、学校教育を支配し、史実をますます日本人から遠ざけてきた。遠ざけている。それが日本の現実であることを直視しなければなりません。


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