関東大震災時における朝鮮人の大量虐殺(ジェノサイド)について、歴代日本政府は実態調査すらしようとせず、歴史修正(改ざん)主義者らは虐殺を否定しています。
そんな中、前田朗・東京造形大名誉教授が問題提起した「摂政裕仁」(当時、後の昭和天皇)の責任問題(「人権と生活」2023年12月号、23年12月7日のブログ参照)にあらためて目を向ける必要があります(写真左は震災後現地を視察した裕仁=左端)。
前田氏は今年3月、明治学院大学で行われたシンポジウムで、「震災朝鮮人虐殺のタブー、摂政裕仁の責任をめぐって」と題して報告しました。その内容を報じた雑誌「イオ」(5月号)から抜粋します(写真右の中央が前田氏)。
<「神奈川方面警備部隊法務部日誌」によると、(1923年)9月21日、侍従武官が宮中から神奈川県の鈴木法務官に面会し、「聖旨ノ伝達」(摂政裕仁の通達)をしたと記載されている。それについて前田さんは、「報告は朝鮮人虐殺のもので、軍の関与、警察の関与を含んでいたのではないか」と仮説を示した。
そして、ジェノサイドに関する「上官の責任の法理」を援用。大日本帝国憲法、さらに戒厳令の下で上官の地位にあったこと、虐殺の事実を知っていたと考えるべき合理的理由があり、また知る理由があったこと、虐殺の事案に関する調査を指示し、処罰を実施させる作為義務があったことから「摂政裕仁の『上官の責任』としての犯罪責任が問われる事態であった」と結論づけた。
最後に前田さんは、摂政裕仁の責任がこれまでタブー視されてきたことについて言及。
日本国憲法を制定した帝国議会の衆議院議員は1945年の選挙で選出されたが、この時、旧植民地出身者の選挙権がはく奪され、沖縄県民の選挙権が停止された。前田さんは、「日本国憲法の天皇制というのは、排外主義に基づいており、歴史修正主義と植民地主義、民族差別の芽を私たちは最初から抱えていたのではないか」と問いかけた。>(「イオ」24年5月号)
同シンポにも出席した鄭栄桓・明治学院大教授(写真右の左端)は、日本の歴史修正主義についてこう指摘します。
「全般的に見て、歴史修正主義にとっては、日中戦争以後の加害の歴史というものが守りたい最大の防衛線であったと言えると思います。では関東大震災時の虐殺否定論にはこれらの歴史修正主義との共通点は無いのかというと、もちろんそんなことはありません。これらの日本の歴史修正主義が共通して守ろうとするのは、「天皇の軍隊」の名誉です」(市民講座「横浜での関東大震災時朝鮮人虐殺」講演23年2月11日冊子)
ウクライナ戦争において、国際司法裁判所(ICJ)はプーチン大統領の国家指導者としての責任を問いました。ジェノサイドや人道に対する犯罪などについて、自分の命令・監督下にある組織が犯罪をおこなった場合、また犯罪が行われたことを知っていながら防止措置をとらなかった場合、指導者の責任が問われます。これが「上官の責任の法理」です。
それに照らせば、「摂政裕仁」に法的責任があったことは明白です。
朝鮮人虐殺では「流言飛語」が問題にされますが、それと並んで、というより流言にお墨付きを与えたという意味ではより根本的に問題だったのは、政府が発した「戒厳令」(9月2日)です。「戒厳令」が虐殺を誘引・拡大したと言って過言ではありません。
この点でも「摂政裕仁」の責任は免れません。
政府が実態調査すらしようとしないのは、そして安倍晋三元首相や小池百合子東京都知事ら歴史修正主義者が朝鮮人虐殺を否定する(認めない)のは、「天皇の軍隊の名誉」を守るため、否、それどころか「摂政裕仁(天皇裕仁)」自身を守るため、と言えるのではないでしょうか。