アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

天皇に「礼を著しく失する」とはどういう意味か?!

2015年08月29日 | 戦争・天皇

    

 中国の国営通信・新華社が25日配信の評論で、先の大戦について天皇明仁の「謝罪」を要求したのに対し、菅官房長官と岸田外相が28日相次いで、「天皇陛下に対する礼を著しく失しており」きわめて遺憾だと、まったく同じコメントを述べました。安倍政権の正式な反応です。

 天皇に対し「礼を著しく失する」とは、いったいどういう意味でしょうか。

 新華社の評論は日本語版サイトには掲載されていないので、共同通信(27日付)の記事で見ます。(写真左はNHKニュースから)

 「新華社が25日、配信した評論は『侵略戦争は(昭和)天皇や政府、軍隊、財閥などが力を合わせた結果であり、彼らは責任を回避できない。天皇は亡くなるまで被害国とその国民に謝罪を表明したことがなく、その皇位継承者は、謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を手に入れなければならない』と主張した」
 また共同電によれば、新華社の評論は、「昭和天皇は中国侵略戦争や太平洋戦争の発動を指揮した『張本人』だった」とも言っています。

 この評論のどこが「礼を著しく失する」のでしょうか。菅氏も岸田氏もその意味を述べておらず(あるいは報じられておらず)、記者たちも突っ込んで聞いていない(らしい)ので、以下、推測します。

 ①=評論の内容が事実と異なるということでしょうか。それならどこが違うのか明確に主張すべきです。しかし、天皇裕仁が戦争開始・遂行の「張本人」であったことは、大日本帝国憲法に照らしても、また彼が日本軍の大元帥であったことからも否定しようがない事実です。生前一言も被害国民に「謝罪」しなかったのも歴史的事実です。

 ②=裕仁天皇の戦争責任を、息子の明仁天皇に「謝罪」せよと要求することが「失礼」だというのでしょうか。そうだとするなら、それはなぜでしょうか。
 明仁天皇は今年8月15日の戦没者追悼式で自ら「さきの大戦への深い反省」を口にしました。これは彼の歴史認識であり、きわめて政治性の強い発言です。しかしその「深い反省」が何を意味するのかは不明でした。侵略された中国の側から、「深い反省」というなら、裕仁天皇の戦争責任を「謝罪」せよという声が上がるのは当然ではないでしょうか。

 おそらく菅氏や岸田氏の「礼を失する」コメントは、①でもあり②でもあり、さらにはその前提として、③=中国が日本の天皇に対して指図がましいことを言うなどとんでもない、「不敬だ」ということではないのでしょうか。まるで天皇は「神聖不可侵」だといわんばかりに。

 ①も②も③も、天皇制の歴史的役割、象徴天皇制の意味を考えるうえで見過ごすことはできません。安倍政権(日本政府)のこうした公式コメントを、主権者である私たち国民が無関心で、拱手傍観していていいでしょうか。

 問題の根源は、先の15年戦争のまさに「張本人」である天皇裕仁の「戦争責任」が、今日に至るまで免罪され続けていることです。
 日本国民は、いまだかつて天皇裕仁の「戦争責任」を自らの手で裁たことがありません。
 そうしながら一方で、天皇明仁を「平和主義者」のように描く論評・風潮が強まっています。

 天皇裕仁の「戦争責任」を批判し、「皇位継承者」としての天皇明仁の責任に言及することは、「礼を失する」どころか、中国に言われるまでもなく、日本の国民自身が自らやらねばならないことではないでしょうか。


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「翁長与党」は思考停止から脱却を

2015年08月27日 | 沖縄・翁長知事

  

 安倍政権と翁長沖縄県知事の「1カ月集中協議」なるものは、24日の3回目(5回予定)を終え、その実態が支持率低下を恐れる安倍政権の時間稼ぎにすぎないことがますます明らかになっています。

 そんな中で目につくのが、「翁長擁護」に終始している「県政与党」(日本共産党、社民党、生活の党、社大党、県民ネット)の思考停止と政治責任です。(写真中は訪米から帰国した翁長氏と県政与党の代表=6月6日付琉球新報)

議事録もない密室の「協議」になぜ異議を唱えないのか

 「集中協議」について、「協議に応じるのであれば、透明性の確保が必要だ」(新崎盛暉沖大名誉教授、12日付沖縄タイムス)というのはおそらくほとんどの県民・国民の声でしょう。ところが安倍政権と翁長氏はその声に背を向け、一貫して非公開の“密室協議”を繰り返しています。

 さらに27日の琉球新報(写真右)によれば、「県と国の双方が現段階で議事録や議事概要を作成していないことが分かった」といいます。「双方とも非公開の協議後に幹部が記者に内容を説明していることを理由に挙げて」(同紙)いますが、そんなことが「理由」にならないことは明白です。前津栄健沖縄国際大教授が「議事録や議事概要を残さなければ検証ができない。・・・今回の対応は国民の知る権利や情報公開法・条例の精神、行政の説明責任に反している」(同紙)と指摘する通りです。

 「翁長与党」の各党・会派は、なぜ沈黙しているのでしょうか。なぜ「協議の公開・議事録の作成」を公式に要求しないのでしょうか。

 「翁長与党」は5月の訪米に関しては詳細な「報告書」を作成しています。渡久地修県議(共産党)は、「歴史的な訪米の記録として後世に残るよう作成した」(27日付沖縄タイムス)と誇示していますが、それならば安倍政権との「歴史的な」協議であるはずの「集中協議」も当然、少なくとも議事録に残すべきではないですか。

参院選の「基本政策」になぜ「高江」「自衛隊」がないのか

 「翁長与党」は来年7月の参院選を「オール沖縄」で臨むとして、21日、6項目の「基本政策」を発表しました。その全文(22日付琉球新報)をみると、「安保法案の廃案(廃止)」「日本国憲法の理念と9条を守(る)」「辺野古新基地建設断念を求める」などは盛り込まれています。
 ところが重要な2つの課題、「高江ヘリパッド建設反対」と「石垣、宮古、与那国などへの自衛隊配備強化反対」がスッポリ抜け落ちているのです。これはいったいどういうわけでしょうか。「翁長与党」の眼中には「高江」も「八重山」もないのでしょうか。日米軍事同盟強化のガイドラインに基づく「島嶼防衛」を口実にした自衛隊配備強化は重視する必要がないとでもいうのでしょうか。

 「高江」も「自衛隊」も、いずれも翁長知事が基本的に容認している問題です。県政与党は翁長氏と見解を異にする重要課題は、国政選挙の参院選政策からも除外したということでしょうか。

 昨年11月の県知事選以来、県政与党は翁長氏の言動を丸のみし、その擁護に徹しています。それはまるで「翁長タブー」の様相です。しかし、いくら与党でも言うべきことは言わねばなりません。そして党の独自政策(例えば共産党における「日米安保廃棄」)は明確に主張しなければなりません。与党だからといって沈黙するのでは、安倍政権に対する自民党と変わるところがありません。
 県政与党が責任を負うべきは、翁長氏ではなく、県民です。県政与党の各党・会派はいまこそ「翁長タブー」を踏み越えて、言うべきことを言わねばなりません。


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映画「野火」と「日本のいちばん長い日」

2015年08月25日 | 映画

    

 「敗戦70年」のこの夏、2つの「戦争映画」が同時期に公開されました。
 塚本晋也監督「野火」(大岡昇平原作)と原田眞人監督「日本のいちばん長い日」(半藤一利原作)です。多くの点で対照的なこの2つの作品で、映画が戦争を描くということ、戦争の歴史を継承することの意味をあらためて考えさせられました。

 「野火」は塚本監督が10年前の戦争体験者からの聞き取りをもとに自主制作したもの。主演を自ら演じたほか、他の出演者もけっして著名なスターではありません。
 一方、「日本の・・・」は大手映画会社の制作・配給で、出演者も役所広司、本木雅弘、松坂桃李など人気スターを並べました。この違いは作品の質に大きく影響しています。

 「野火」は大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、ひたすら逃げ回る敗残兵の恐怖と狂気、米軍による猛烈な攻撃を再現します。これでもかと血が流れ、肉片が飛び散り、人体が破壊されていきます。飢餓の極限に追い込まれた兵士たちの欲望はやがて仲間の人肉へ・・・。目を覆いたくなるような場面の連続で、気分が悪くなりそうです。

 実はそれこそがこの映画の狙いです。塚本監督は、「戦場では人は物になってしまう。そこに絶対に大義はない。ヒロイズムもなければメロドラマさえない」「若い中高生のトラウマになるというか、(戦争に)近づきたくないと本能的に体の中に刻まれてくれれば」(7月28日付琉球新報)と語っています。

 「日本の・・・」は「玉音放送」に至るまでの阿南惟幾陸軍大臣(役所)に焦点をあてながら、主題はあくまでも昭和天皇(本木=写真はNHKから)の「聖断」です。天皇の「慈愛」を示すエピソード(おそらく原田監督の創作)もまじえながら、全編昭和天皇(天皇制)賛美に貫かれています。ラスト近くで鈴木貫太郎首相(山崎努)が「日本のご皇室は絶対に滅びない」と述べ、阿南が「私もそう信じております」と応えるところに、この映画の主張が凝縮されているようでした。
 ポツダム宣言受諾に際して日本が「国体護持」(天皇制維持)にこだわったことはよく描かれていますが、そこに批判的な視点はありません。天皇裕仁が終戦を引き延ばした責任にはまったく触れていません。天皇が拒絶した終戦の上奏(1945年2月)を行った近衛文麿がまったく登場しないのは象徴的です。

 どちらの映画が先の戦争の「真実」に迫っているかは明白です。その違いは何を示しているでしょうか。
 「野火」の舞台は最前線の戦場であり、そこにいるのは末端の兵士(庶民)です。対して「日本の・・・」の舞台は東京・皇居であり、登場人物は文字通り国家権力のトップたち。あまりにも対照的です。「日本の・・・」において昭和天皇、阿南陸相はまさに「ヒーロー」なのです。
 この対照は、戦争の真実がどちらにあるのかをはっきり示しています。人間を破壊する戦争の真実は、戦場にあるのです。東京ではありません。このことは、国会で審議中の戦争法案を考えるうえで、貴重なヒントを与えているのではないでしょうか。

 もう1つ。「日本の・・・」を見て考えさせられたことがあります。
 原田監督は制作の意図をこう語っています。「日本は秘密保護法のころからおかしくなっている。その根っこに何があるのか描いておきたかった」「憲法をいじっていいのか」「歴史に背を向ける若者に、それでいいのかと問いたい」(8月7日NHKラジオ深夜便)。
 きわめて正当な意見です。この限りでは、原田監督も安倍政権に批判的であり、おそらく戦争法案にも反対ではないでしょうか。その監督が、戦争自体は否定しながら、最大の戦争責任者である昭和天皇を手放しで美化し、天皇制の存続を期待する。「戦争責任」の捉え方の難しさ、“草の根天皇制”の根深さをあらためて見る思いです。

 原田監督は「昭和天皇を主役の1人として描ける時代になった」と映画における「天皇タブー」の緩和を歓迎しています。それには同感です。しかし、それだけにどういう視点で「昭和天皇」を描くのかがこれまで以上に問われることになります。歴史の真実と映画の関係が試されます。それを誤れば、間違った「昭和天皇」像が甘美な「ヒロイズム」とともに流布されることになります。「日本の・・・」は皮肉にも、その危険性を示す例になったのではないでしょうか。


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沖縄少年ゲリラ隊(護郷隊)の悲劇を繰り返してはならない

2015年08月22日 | 戦争・安倍政権

      

 71年前のきょう8月22日、沖縄の疎開学童らを乗せた対馬丸が、奄美大島近海で米潜水艦号に撃沈されました。死者1482人、うち学童780人。

 沖縄戦における子どもの犠牲はもちろんこれだけではありません。住民として戦闘に巻き込まれたほか、多くの少年たちが学徒隊(中学生以上。15、16歳は鉄血勤皇隊)として駆り出されました。学徒隊の犠牲者は男子学徒890人、女子学徒187人にのぼります(『沖縄から見える歴史風景』)。

 同じく少年が「兵士」として召集され犠牲になりながら、あまり知られていないのが、「護郷隊」です。
 鉄血勤皇隊召集よりも半年早い1944年10月、本島北部(やんばる)地域の16歳~18歳の少年で組織されました。45年3月まで3次にわたる召集で約1160人が動員され、死者は162人にのぼります。

 護郷隊の特徴は、日本で唯一の「少年ゲリラ隊(遊撃隊)」だったことです。それを組織し指揮したのは、大本営直属のスパイ養成組織・陸軍中野学校出身者(沖縄に42人配属)でした。大本営の命を受けた中野学校出身将校が、やんばるの土地勘を利用してゲリラ隊をつくるために少年たちを駆り出したのです。「中野学校出身者の彼等のために住民が死に追いやられた事実はかくせない」(福地ひろ昭氏『少年護郷隊』)。

 護郷隊の歴史を掘り起こしている川満彰さん(名護市教委市史編さん係、写真右)は、その目的についてこう指摘します。
 「護郷隊結成の目的は、第32軍(沖縄守備隊―引用者)が壊滅した後も遊撃戦を続けることで、本土決戦を遅らせるためである。大本営はそのために少年たちを根こそぎ召集した」(13日付琉球新報)。護郷隊は「沖縄捨て石」作戦のための「少年ゲリラ隊」だったのです。

 その名が示すように護郷隊は、少年たちの郷土愛に付け込み、「郷土防衛ノタメノ皇民皆兵ノ中核」(「第一護郷隊指導計画」)と位置づけ、厳しい訓練と皇民教育が行なわれました。「少年護郷隊にとっては、自分自身の生まれ育った村や山のなかが戦場であり、両親や兄弟姉妹を身近に感じながらの戦闘だった」(屋嘉比収氏『沖縄戦・米軍占領史を学びなおす』)という特異性がありました。

 しかし、少年たちが実際にやらされたことは、「郷土防衛」どころか、米軍の進出を食い止めるためとして自分の家に火をつけるなど、郷土の破壊そのものでした。
 「『故郷は自分の手で護る』と組織された護郷隊だが、結果的に自らの手で故郷も人間も破壊してしまった。それを目の当たりにした少年たちの心には深い傷が残った」(川満氏、同)
 11日のNHKスペシャル「アニメ・ドキュメントあの日、僕らは戦場で」で、護郷隊の経験者たちは、今も残る深い心の傷を告白しました(写真中)。

 「護郷隊の戦争から見えるのは、自分の地域を守ると言いながら、自分で自分の村を壊すのが戦争だ」(川満氏、同)ということです。
 少年たちの純真な家族愛・郷土愛・正義感を逆手にとり、戦争の最前線に立たせる。そして戦後も心に深い傷を残す。これが戦争です。
 少年たちを二度とこのような目に遭わせてはならない。そのためにも、「戦争法案」(安保法制)は絶対に阻止しなければならない。それが、沖縄戦の子どもたちの犠牲を無駄にしないための、私たちの責任ではないでしょうか。


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安倍内閣の支持率はなぜ「回復」したのか

2015年08月20日 | 安倍政権と沖縄

   

 世論調査の安倍内閣支持率に変化が見られます。(カッコは前回)
◎ NHK(8月7~9日実施)・・・    支持 37%(41%)    不支持 46%(43%)
◎ 毎日新聞(8月8、9日実施)・・・  支持 32%(35%)    不支持 49%(51%)
◎ 共同通信(8月14、15日実施)・・・支持 43・2%(37・7%)不支持46・4%(51・6%)
◎ 読売新聞(8月15,16日実施)・・・ 支持 45%(43%)    不支持45%(49%)
 
 NHKと毎日の調査では安倍内閣の支持率は前回よりもさらに低下し(NHKは不支持がさらに上昇)、共同と読売は支持が前回より上昇し、不支持が低下しています。共同と読売を見る限り、安倍内閣の支持率は「回復」しつつあるようにみえます。
 NHK、毎日と、共同、読売で逆の結果になっているのはなぜでしょうか。

  その違いは、調査実施日です。NHK、毎日が8月9日までの調査で、共同、読売は14日以降の調査です。つまり9日~14日の5日間に支持率に変化が生じたと推測できます。この5日間にいったい何があったのでしょうか。
 ①川内原発再稼働(11日)、②沖縄沖米艦船に米軍ヘリ墜落(12日)、③「戦後70年安倍談話発表」(14日)
 ①と②はどうみても支持率にはマイナス要因です。③は共同の調査で44・2%が「評価」(「評価しない」37・0%)という信じがたい結果がでていますからプラス要因になったことは考えられます。しかしそれにしても、③だけで①②のマイナス(他にも側近たちの妄言などマイナス要因は多々あります)をカバーしさらに支持率を上げることができるでしょうか。

 ここで忘れてならないのが、この間にあったもう1つの重要な出来事です。それは、菅官房長官と翁長沖縄県知事の「会談」です(写真中、NHKより)
 安倍政権と翁長氏の間で、「辺野古工事中断」と「埋立承認取消の棚上げ」をバーターし、「1カ月集中協議」することにした、その1回目の会談です。

 支持率がなぜ「回復」したのか、共同も読売も直接言及はしていません。ただ、共同の調査で、「安保関連法案」(戦争法案)の今国会成立についての賛否が、賛成29・2%(前回24・6%)、反対62・4%(同68・2%)で引き続き反対が圧倒的に多いものの、賛成の割合が増え、反対の割合が減っていることが気になります。「安保法案」つまり安倍政権の「安保(戦争)政策」に対する批判が減少していると言えなくもありません。

 翁長氏は12日の会談でも、また18日の第2回協議でも、「安保法案」には一言も触れていません。それどころか、リアルタイムで起こった米軍ヘリ墜落に対しても、「同機種の飛行停止」すら求めていません(県議会は19日に全会一致で決議)。治外法権の根源である日米地位協定の抜本的見直しも求めていません。

 「集中協議」で翁長氏は、沖縄の基地の「歴史」や「抑止力」については論じても、安倍政権の安保(戦争)政策については何一つ正面から批判していないのです。
 そうした中で、沖縄の声を聞く「傾聴演出」(19日付沖縄タイムス)の「集中協議」が粛々と進行していることが、安倍政権への批判を緩め、支持率「回復」に作用していると考えるのは的外れでしょうか。 

 この「集中協議」には、「支持率低迷に手を焼く安倍政権が、辺野古新基地建設では、作業中断、集中協議で『沖縄に向き合う姿勢』を浸透させる狙い」(19日付沖縄タイムス)があります。「沖縄との協議に応じる政府の腹には、常に『国内世論対策』が渦巻いている」(同)のです。
 支持率「回復」の調査結果は、「集中協議」にかけた安倍政権の狙いが的中しつつあることを示していると言えるのではないでしょうか。

 安倍政権を助ける「集中協議」は即刻中止し、翁長氏は「辺野古埋立承認取り消し」の公約を直ちに実行すべきです。


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明仁天皇の「深い反省」とは何か

2015年08月18日 | 戦争・天皇

       

 15日の「全国戦没者追悼式」で明仁天皇が、「さきの大戦に対する深い反省」という文言を初めて挿入したことに対し、新聞は例外なく「天皇陛下『深い反省』」を1面トップの見出しにし、「『深い反省』を世界平和に」(16日付読売新聞社説の見出し)、「『深い反省』胸に刻もう」(同中国新聞社説の見出し」などと礼賛しています。(写真はNHKの中継から。中央写真の手前は安倍首相)

 明仁天皇の「深い反省」とはいったい何でしょうか。何を「反省」しようというのでしょうか。

 天皇自身はその中身については語っていません。読売新聞は「過去を顧みて、その教訓を日本の平和につなげたいという陛下のご心情の表れ」(同社説)だとし、朝日新聞は「皇太子時代から一貫して平和への思いを語ってきた天皇陛下」(1面解説)など、メディアは具体的中身に触れないまま、明仁天皇を「一貫した平和主義者」と描くことで共通しています。見過ごせないのは、安倍首相との対比で、いわゆる「民主・革新」勢力の中にも明仁天皇賛美が浸透しているとみられることです。

 明仁天皇の「平和主義」とはどういうものでしょうか。

 20年前の「戦後50年」を目前にした1974年12月18日、明仁天皇(当時皇太子)は41歳の誕生日を前にした記者会見で、こう述べています。

 「五十年間にはいろいろなことがありましたが、陛下(注:昭和天皇―私)の中に一貫して流れているのは、憲法を守り、平和と国民の幸福を考える姿勢だったと思います。昭和の前半の二十年間はそれが生かされず、多くの人命を失い、日本の歴史でも悲劇的な時期でした。その後は平和を享受しています。・・・ともすれば念頭から離れてしまうが、日本人全体が考えてみるべきだと思います」(保阪正康氏『明仁天皇と裕仁天皇』より)

 今年の「年頭所感」で明仁天皇は、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切」だと述べ、中国への侵略を念頭に置いたものではないかと注目されました。
 しかし、明仁天皇にとっては、「満州事変」は違う意味があるようです

 60歳の誕生日を前にした記者会見(1993年12月20日)で、明仁天皇は昭和天皇を回顧してこう述べています。
 「昭和天皇のことに関しては、いつもさまざまに思い起こしております。・・・昭和の初めの平和を願いつつも、そのような方向に進まなかったことは、非常に深い痛みとして心に残っていることとお察ししております。・・・昭和天皇は、来年は平成六年ですが、昭和六年には柳条湖事件(注:満州事変―私)が起こっています。本当にご苦労が多かったこととお察ししております」(同前)

 こうした一連の発言から分かるのは、明仁天皇が裕仁天皇を「一貫して平和と国民の幸福を願」ってきた平和主義者だと確信していることです。そして、「満州事変に始まる戦争の歴史」とは、そのような昭和天皇の思う「方向に進まなかった」時代、昭和天皇が心に「深い痛み」を残し、「苦労が多かった」時代だと認識していることです。

 こうした歴史観から、いったい何を「反省」するのでしょうか。「さきの大戦」の最大の責任者である天皇裕仁を美化・擁護し、その戦争責任を隠ぺいする天皇が、どうして「平和主義者」と言えるでしょうか。
 
 明仁天皇の「深い反省」の中身は何なのか。「満州事変に始まる戦争の歴史」から何を学んでいるのか。何よりも、父である裕仁天皇の戦争責任についてどう考えているのか。明仁天皇は明確に述べるべきです。

 一方、明仁天皇を「平和主義者」と描きながら、憲法にはない「天皇の公的行為」なるものについて、「内閣の助言と承認を必要としていない。・・・憲法の規定と原則の範囲内であれば、天皇の意志を反映させることが可能」(斉藤利彦氏『明仁天皇と平和主義』朝日新書)として、「天皇の意志」による「公的」行為・行動を肯定し、促進しようとする論調が出ています。
 いくら安倍首相が最悪だからといって、天皇の実質的機能を強めようとすることは、憲法原則に照らしてけっして容認することはできません。

  


 


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問われているのは一人ひとりの「歴史倫理」

2015年08月15日 | 国家と戦争

        

 安倍首相の「戦後70年談話」(14日閣議決定)。「真意が不明」という論評もありますが、私はきわめて明瞭だと思います。「侵略」も「植民地支配」も「おわび」も、安倍氏は何一つ自分の言葉で認めてはいません。次世代の歴史継承に歯止めをかけたいというむき出しの願望も含め、いかにも歴史修正主義者・強権主義者の「談話」です。

 ただ、私ははじめから「安倍談話」にさほど興味はありませんでした。人間は、とくに政治家は、何を言うかではなく、何をするかで真価が問われるからです。安倍氏がどんな談話を出そうが、彼がいま、再び戦争とアメリカに加担した侵略への道を突き進む戦争法案を強行しようとしているのが現実であり、それこそが安倍氏の正体であり、それを阻止することがまさに現下の最大問題だからです。

 70年目の「8・15」にあたって必要なのは、「安倍談話」などではなく、私たち一人ひとりが歴史の教訓からいま何を学ぶべきなのかを自分に問い直す、いわば「自分の70年談話」ではないでしょうか。

 憲法学者の樋口陽一氏は『「日本国憲法」を読み直す』(岩波現代文庫)の中で、「非常に有名な小説家」が、1945年8月15日に「私はだまされていた」という文章を書いたことを取り上げ、その対極として映画作家の伊丹万作(1946年没)が、敗戦直後、「だまされた者の罪」を告発したことを強調しています。伊丹万作は伊丹十三氏の父、大江健三郎氏の義父です。
 伊丹万作の文章の一部を紹介します。

 「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。・・・多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。・・・このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである」

 「だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。・・・だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである」

 「だますものだけで戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。・・・あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」

 「一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけがない。・・・現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである」(1946年8月『映画春秋』創刊号。ちくま文庫『伊丹万作エッセイ集』より)

 現在を見通したような、69年前の警鐘です。

 「だまされた」という弁解とともに、「わかっていたけれど言えなかった」という自己弁護もあるでしょう。長崎大学名誉教授で「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長の高實康稔さんは、戦前戦中「口ごもった人」も「戦争に加担したことになる」として、こう言います。
 「戦後になって、自分はこんな戦争の被害者だ、二度と戦争はだめだ、核兵器はもちろんだめだと言うわけです。それは正しいのですが、その前に、戦争のときに自分はどうしていたのか、そのことをみんな忘れてしまっている、あるいは考えなくてもいいことになっているのではないか。現在の原発再稼働に向けた動きの中にも似たものを感じます。それではだめだと思っています」(「アジェンダ」2015年夏号)

 個人一人ひとりが「歴史に責任を負う」こと。それを高實さんは「歴史倫理」だと言います。
 いま問われているのは、私たち一人ひとりの「歴史倫理」です。


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「米軍ヘリ墜落」は「戦争法案」への警鐘

2015年08月13日 | 沖縄・平和・基地

        

 安倍政権と翁長知事の「1カ月協議」初日の12日に、伊計島沖で米軍ヘリ(MH60)が墜落した事故は、この「協議」の問題点をあらためて示すものになりました(写真はいずれもNHKニュースから)。

 墜落事故が米軍基地の危険性、とりわけ基地が集中している沖縄の危険と差別的状況をあらためて白日の下にさらしたことは言うまでもありません。「本土復帰から43年で46回目の墜落だ。年1回以上も墜落があり、着陸失敗などを含めると43年で540件を超す。こんな地域が他にあるだろうか」(13日付琉球新報社説)。まさに異常です。

 今回の事故に対し、「辺野古への新基地建設が決して問題の解決にならないことをあらためて明らかにした」(13日付沖縄タイムス社説)、「米軍基地の県内移設の不合理は、その意味でも歴然としている」(同琉球新報社説)という指摘はまったくその通りです。

 しかし、今回の墜落事故はそれだけではすみません。なぜなら、過去45回の墜落事故にはない大きな特徴があるからです。それは墜落した米軍ヘリに陸上自衛隊の中央即応集団(神奈川)に所属する自衛隊員が2人同乗していたことです。
 自衛隊がなぜ米軍ヘリに乗っていたのか。何をしていたのか。その経過・実態は今後徹底的に究明されなければなりません。少なくとも言えることは、これは米軍と自衛隊が一体になった軍事訓練だということです。そして今回は墜落事故でたまたまそれが明るみに出たけれど、国民の目の届かないところで、日米安保=軍事同盟にもとづく米軍と自衛隊の一体化は広く深く進行しているということです。

 これはまさに米軍に従属してその戦争に加担する集団的自衛権行使の姿であり、安保法制=戦争法案を先取りした実態だと言わねばなりません。戦争法案が成立すれば米軍と自衛隊の一体化はさらに強まり、基地の危険性が増大するのは必至です。
 今回の事故は、戦争法案の危険性をあらためて示し、警鐘を鳴らしたものです。
 今主張すべきは、沖縄の負担軽減にとどまらず、戦争法案そのものの廃案です。さらには、墜落事故の調査さえ阻む「日米地位協定」の改定、そしてその根源である日米安保条約・軍事同盟の廃棄です。

 ところが、まさにそのタイミングに行われた菅官房長官との会談で、翁長氏は何を言ったか。
 冒頭発言では、「やはり基地のそばに住んでいる人の土地というのは大変なことがある」(13日付琉球新報)と述べただけです。その後の記者会見で会談内容を聞かれたのに対しても翁長氏は、「ある意味日常的にそういうことが行われていることについて、県民は向かい合っている」(同)と、基地周辺で暮らす窮状に触れただけです。

 翁長氏は、政府(菅氏)に対し抗議も要求も一言も口にしていません。「政府はまず同型機の飛行中止を求めてもらいたい。・・・最低限の要求である」(同琉球新報社説)という事故同型ヘリの飛行中止すら求めていません。日米安保はおろか、「地位協定」の改定さえ要求しなかったのです。戦争法案(安保法制)など念頭にもなかったかのようです。
 
 菅氏が沖縄を訪れたまさにその時に起こった今回の墜落事故は、支持率続落の安倍政権にとって、想定外のマイナス要因だったはずです。安倍政権を追撃する好機でした。
 そのときに追及するどころか、「会談の場を設けてもらったことを心から感謝したい」(翁長氏の冒頭発言、13日付琉球新報)と菅氏に謝意を示して密室協議を行う。その意味はあまりにも大きいと言わねばなりません。

 翁長氏はいまだに戦争法案への賛否を明らかにしていません。はっきり「反対」を表明させることが必要です。
 


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韓国・朝鮮人被爆者への差別と加害責任

2015年08月11日 | 核兵器廃絶と日米安保

        

 「被爆70年」の長崎平和式典(9日)は、田上富久市長が「安保法制」に言及して「憲法の平和理念が揺らいでいる」と指摘。さらに被爆者代表の谷口すみてるさんが、感動的な「誓い」の中で「戦争につながる安保法案は許すことができない」と安倍政権を厳しく批判して大きな拍手を受け、広島式典との違いを際立たせました。

 しかし、その長崎式典でも、触れられなかった問題があります。韓国・朝鮮人をはじめとする在外被爆者の問題です。
 安倍首相は一昨年の広島式典で、「日本人は唯一の被爆国民だ」と述べ、市民団体から強い批判を浴びました。これはたいへんな誤りです。
 被爆者は、広島で約42万人(うち爆死者15万9283人)、長崎約27万1500人(同7万3884人)、合計約69万1500人(同23万3167人)とされています。このうち韓国・朝鮮人は、広島約5万人(同約3万人)、長崎約2万人(同約1万人)、合計約7万人(同約4万人)にのぼっているのです。
 被爆者の10・1%、爆死者の17・2%は韓国・朝鮮の人たちだったのです。その爆死率は日本人よりはるかに高かったことが分かります。
 しかし実態はいまだに明らかにされておらず、全面的調査自体が喫緊の課題です。

 韓国・朝鮮人被爆者の多くは、帝国日本の植民地政策によって強制連行された人たち、あるいは貧困のため日本に出稼ぎに来ざるをえなかった人たちです。その劣悪な労働・生活環境が爆死率を高めました。
 韓国・朝鮮人をはじめ在外被爆者の被爆は、何重にもおよぶ差別の結果でした。しかも、その差別は今現在も続いているのです。

 「広島原爆の日」を前にした4~5日、広島市内で「日米戦争責任と安倍談話を問う」をテーマに「平和へのつどい」がありました。その中で、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の市場淳子さんが、「韓国・朝鮮人被爆者と市民運動」と題して講演しました。(写真左。写真中は広島平和公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑。右は長崎平和公園の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑)

 戦後、日本人被爆者には不十分ながら医療・福祉面で援護が行われていく中で、韓国・朝鮮人など在外被爆者はその対象から外され一貫して差別されてきました。厚生省(当時)の差別通達(402号)が廃止されたのはやっと2003年になってからです。それでもなお、今日でも医療費補助の上限などで差別が温存されています。
 市場さんはこうした経緯を詳しく解説し、それでも在外被爆者への支援が少しずつ前進してきたのは韓国・朝鮮人被爆者自身の苦難の活動の結果にほかならないと強調。現在の課題が端的に示されているものとして、今年4月ニューヨークで行われたNPT検討会議での韓国原爆被害者協会代表(沈鎮泰・ハプチョン支部長)の言葉を引用しました。

 「広島・長崎の被爆者の10パーセント以上が韓国人で、2650余名の生存者たちは今なお日本政府の差別を受けており、この差別は廃止されるべきであるアメリカ政府は韓国人被爆者を含む被爆者に対し責任を取るべきであるにもかかわらず、何の謝罪もなく、何の責任も取っていない。アメリカ政府の謝罪を要求する。韓国では原爆被害者支援特別法の制定運動を推進中だが、特別法を制定して真相調査を行い、韓国に平和公園をつくり、慰霊碑も建てたい」

 そして市場さんは、韓国代表の次の言葉を紹介しました。
 「この70年間、原爆被害者はいたが、加害者はいなかった

 韓国・朝鮮人はじめ在外被爆者の被爆と差別。その「加害者」はいったい誰なのか。その責任はどうとるべきなのか。
 「70年間」答えてこなかった、自分とは関係ないふりをしてきたこの問い、私たちは今こそ答えなければなりません。

 


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「普天間・辺野古」は「協議」すべき問題なのか

2015年08月08日 | 沖縄・平和・基地

         

 「集中協議の前哨戦」(8日付琉球新報)といわれた7日の安倍首相と翁長知事の会談で、安倍首相が「毎年3千億円を確保するのは沖縄の皆さまとの約束」と振興予算をちらつかせたのに対し、翁長氏は「辺野古について切り出すことはなかった」(同)。まさに政府と翁長氏の「協議」を象徴するような姿です。

 翁長氏が辺野古埋立承認の撤回・取り消しの棚上げを正式に表明した記者会見(4日)で、見過ごせない質疑応答がありました。
 翁長氏が「解決の糸口が探れる可能性があるのであれば、そのための努力は惜しまない」と述べたことについて、記者が「解決は政府が辺野古への移設を断念することか」と質問。これに対し翁長氏はこう答えたのです。
 「それを含めて議論する。これについては全く今日まで話したことはなく、どうなるか分からないが、県からすると辺野古への建設は不可能だという中から議論をしていきたい」(5日付琉球新報)

 耳を疑う発言です。「辺野古への移設断念」を「全く今日まで話したことはな」いとは!これまでの安倍首相や菅官房長官ら政府側との「会談」で、翁長氏はいったい何を話してきたのでしょうか。すべて非公開ですから真相は闇の中ですが、「辺野古移設断念」について「話したことはない」ことだけはポロリと漏れてきました。

 翁長発言の「不可能」という言葉に注目した人もいます。一貫して市民運動で辺野古新基地に反対している真喜志好一さんは「知事が会見で新基地建設について『阻止する』ではなく『不可能だ』と表現したのは気になった」(5日付琉球新報)と述べています。
 鋭い指摘ですが、翁長氏が「阻止」から「不可能」に転じたのは、実はもっとずっと前からです。例えば菅官房長官との第1回会談(4月5日)で、翁長氏はこう述べました。
 「(辺野古新基地は)建設することはできない、不可能になるだろうなと私は思う」(4月6日付琉球新報)

 いうまでもなく、「あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせない」(「知事選政策<基本的な認識>」)が翁長氏の公約です。しかし、翁長氏は早くから政府に対しては「阻止」ではなく「不可能」という姿勢です。そして「移設断念」を「今日まで全く」迫っていない。これが翁長氏と安倍政権の「密室協議」の実態です。

 ここで原点に戻って確認しなければならないのは、普天間基地撤去・辺野古移設問題は、安倍政権と「協議」すべき問題なのか、「協議」で解決することなのか、ということです。

 政府の意向を代弁する読売新聞は、「政府は沖縄県との協議で、辺野古移設の基本方針を堅持しつつ、積極的に接点を探るべきだ」「不毛な対立を回避する対話の機会を逸してはなるまい」(5日付社説)と、「集中協議」を歓迎しました。「協議」とは「対立を回避」して「接点を探る」もの、言い換えれば妥協点をさぐるものなのです。

 普天間・辺野古問題に妥協の余地があるでしょうか。ありません。普天間基地は無条件撤去。したがってその「移設」を口実にした辺野古新基地は絶対造らせない。これ以外の選択肢はありえません。
 なぜなら、米軍普天間基地は、「私有財産は、之を没収することを得ず」と定めた「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ陸戦法規)第46条に明白に違反して、「銃剣とブルドーザー」で住民から奪い取ったものだからです。

 国際条約に反して強奪した土地は、無条件で返すのが当たり前です。被害者である住民(沖縄)側が妥協する余地も、その必要もまったくありません。政府が「普天間基地の無条件返還・辺野古新基地断念」を飲むしかないのです。そして、安倍政権が「それはありえない」と繰り返している以上、、「話し合い」ではなく、たたかいによって安倍政権にそれを飲ませる以外にありません。

 そのために必要なのが、「承認撤回・取り消し」の知事権限であり、司法の場でのたたかいであり、それを支える全国の世論です。
 にもかかわらず、はじめから自民党政権とのたたかいを回避し、県民・国民の目の届かないところで安倍政権と「協議」し、妥協点を探ろうとしている翁長氏のやり方は、あるべき方向から完全に逸脱・逆行するものと言わざるをえません。

 「知事は取り消しを決断するだけなのに、なぜこの時期に政府と協議する必要があるのか・・・振興と新基地建設は全く別だ。知事には民意を受けた決断を早急にしてほしい」(沖縄平和運動センター・岸本喬事務局次長、8日付琉球新報)
 「工事中断は・・・アリバイ作りだ・・・移設を止めるには司法の場で争うしかない」(辺野古で、金物商経営・西川征夫さん、5日付毎日新聞)
 翁長氏への批判がようやく公然化しはじめました。

 問題は翁長氏が今後「裏切る」かどうかではありません。今現在、公約に反して「承認撤回・取り消し」を棚上げし、窮地の安倍政権を助けていることが重大な問題であり、県民・国民への背信行為なのです。


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