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あしがら農の会通信84号

2009-04-16 06:50:06 | あしがら農の会
あしがら農の会では毎月通信を発行している。先日鈴木編集長に伺うと、600部ぐらい作るそうだ。この通信から、農の会のことを知ってくれる人も多い。それぞれの記事が、並列的に並べられている。統一した考えとかがある訳で無く、一人一人がそれぞれの考えを書いて並べている。それが面白いところだと思う。違いを違いとして認め合えると言う所が、農の会の一番の特徴だろう。4月号の記事に養鶏をやられてきた、Yさんが養鶏業を止めると言う事を書かれていた。私も養鶏業を定年して隠居。と発言してきたことを、少し考えさせられた。「なぜ農を始めたのか。目的は何だったのか。」こう書かれていた。そう言えば、Yさんにはそう質問をされた事もあった。Yさんは企業を定年退職されてから、足柄地域に見えた。当時、塾をやりたいといわれていた。Yさんも書かれているのだが、多くのひとは「農業が好きでかかわっていたい。」こう答える。

私の場合も、こういう暮らしが好きだとしか言いようがない。だから定年だと言うのは、とても誤解されるだろうと思いながら、あえて宣言してきた。それは、より作物を育てること、鶏を飼うことに深く接したい。業をはずすことによって、続けたいことを純粋にやって見たいと思うからだ。一人で全てをやる体制に入って、100日以上が過ぎたわけだ。予定では、8月の60歳の誕生日をけじめにしようと考えていた暮らしが、ある事情が生じて、数え年に早まった。やっぱりこんな暮らしが好きなのだと言う事以外でてこない。いまや、束縛は無い。やらなければいけないとか、仕事だからとか、立場上とか。そういう全てを抜きにした時、毎日何をするかと言う事になる。今までやってきたことと、同じことをやっている。結果云々とか、この先とか、そういうものもほとんど無い。目的というような感じはいよいよない。

好きなことを充分やらせてもらっているのだから、こんなに幸せな幸運なことはない。やることがあるとすれば、農業が好きでやりたいという人の、手助けはしたい。鶏を飼いたいと言う人が居たら、その手助けをしたい。とは思う。自分ひとりでこの幸運を終わらせたら申し訳がない。ちょっと前までは、大半の日本人は農林漁業に暮していた。その幸せ感の中で生きていた。その厳しさというものを忘れている訳ではないが、自給自足の暮らしというものは、一日1時間の労働で、済んでしまうようなものだ。だから、昔の人は暇を持て余していた。さて今日は何をするか、と言うような毎日のはずだ。だから貧困で発展性も乏しい。そうした暮らしは克服されなければならない。そう決め付けるような、否定的なものなのか。もしそうだとすると、私の毎日はその否定されるべき、前近代的な日々と言う事だろう。

通信には地球博物館の苅部さんが、毎回中身の濃い記事を巻頭に書いてくださっている。今回は、モートンイトトンボの事が書かれている。このありふれたイトトンボが絶滅に瀕しているそうだ。ありふれたと言うのは、いくらでも居た記憶しかないからだ。そんなイメージだけで名前も知らなかったが、当たり前のイトトンボのことのようだ。この前まで当たり前だった、農村の暮らしが実は絶滅に瀕していて、「なぜ、農業をやるのか」と問い直すようになったのだと。私こそ、幸せのトンボだなぁー。そう思った。軽部さんによると、このイトトンボが日本の田園に戻る可能性は充分にあるそうだ。ちょっとした田んぼ農家の気遣いで、生息が維持されるそうだ。だから、良い農家の田んぼごと、飛び飛びにイトトンボが生き残ってきたそうだ。♪幸せのトンボよーどこへー。
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