地場・旬・自給

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北朝鮮6カ国会議離脱

2009-04-15 05:42:59 | Peace Cafe
僅かながら、前進していた平和への道が、危うく空中分解をしかかっている。北朝鮮は、核武装計画の推進もミサイル実験も再開すると宣言した。日本およびアメリカの外交戦略は、恫喝だけで状況が変わるとでも考えているような、愚かな道を選んでしまった。報道はミサイル、ミサイルと騒げば良いというような、まるで知性のかけらも無い対応である。一辺倒であることが恐い。様々な考えが並列されてこそ、民主国家である。北朝鮮と同レベルの報道。国連安保理議長声明を鬼の首でもとったように、成果としていた麻生首相、中曽根外務大臣。次の北朝鮮の行動は予測できた、したのであろうか。中国は充分にこの事態を理解していた。北朝鮮が再三主張していたことが起きた。今後北朝鮮が取る行動は、ミサイルの実験。核施設の稼動。核爆弾の実験。大規模軍事訓練。

この結果は中国と言う仲裁役を、北朝鮮非難側に回してしまった、日米の行動の単純さに原因がある。北朝鮮の善悪などどうでもいいことである。北朝鮮を何としても、平和への道を歩ませることが問題。北朝鮮の今の目的は、アメリカとの直接交渉にある。全てがそこへの道であったのは、6カ国協議に加わりながらも、アメリカとの単独交渉をしてきた。日本など眼中にないという姿勢。アメリカと言う核武装国家がテロとの戦いを口実に、北朝鮮を追い詰めてきた。アメリカに届く核爆弾を何時でも発射できる状況を作りたかった。そこで始めて、アメリカと対等に成る。アメリカがまともに相手をする。そう考えてきたに違いない。この間日本政府は、国内向けのパフォーマンスを重視し、ミサイルを強調し、日本への墜落がいかにもあるかのように騒ぎ立て、迎撃ミサイルの臨戦態勢を見世物にする。

力に対し、力で対抗できると考えるのは、幻想である。いまや北朝鮮は、いつでも核ミサイルを日本に打ち込める。それは、北朝鮮に限らず、ロシアも、中国も、アメリカさえ、日本に核ミサイルを撃ち込める状況はかわらない。北朝鮮は核爆弾に対するためには、世界と対等に話せるためには、核爆弾所有しかない、アメリカまで打てるミサイルが必要。思いつめてここまで来た。そうした方針が間違っていること。そんなことで、安全が得られないことはわかる。しかし、武力には武力と考える人間なら、この事態を無理もないと考えるだろう。ならず者国家は北朝鮮だけではない。正義の武力など存在しない。アメリカ、オバマ大統領はこの事態を踏まえ、やっと核武装戦略の転換を示唆した。

日本国憲法9条による平和の道以外ないことが、はっきりと見えてきた。それが北朝鮮のロケット発射の意味する所である。全ての武力を放棄する道を選ぶか、全ての国が核武装して、いつでも打ち合える状況を作るか。どちらが平和への道か、選択する時が来ている。北朝鮮だけ、核武装させないと言う根拠はどこにもない。「テロとの戦い」これはブッシュ政権のとった、間違った戦略である。何かが解決できたどころか、問題はより悪化の道を進んでいる。イラクでは靴を投げた記者が英雄である。フセインと言う独裁者を始末さえすれば、解決する。ビルラディンさえ捕まえれば解決する。こうした考えが間違えであることは、すでに証明されている。平和への道はその国の社会環境が変わらない限り、ないという事。民主的国家になるためには、貧困からの脱却。時間がかかるにしても、互いに武力を放棄し、貧困をなくす道を歩む以外、平和はない。

昨日の自給作業:種蒔きなど1時間 累計時間:12時間
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消費者と言うことば

2009-04-14 05:27:53 | Peace Cafe
消費者と言う言葉は嫌いだ。何とか使わないで済ましたい。使わないで、利用者、とか活用者とか、言い換えるのもそぐわない。いい言葉が見つからないままきている。この言葉は企業によって作られた言葉だと思う。企業が生産する。その生産物を利用する意味を、企業側から見ると在庫生産物を消費する。と言う感じがよく出ている。流れ出て、捌けて行く感じが表現されている。消費とは「きえるようについやすこと。」洋服に流行というものがなくて、100年でも200年でも使えるなら、消費物でなく資産になる。昔の着物は財産だった。女性から女性に伝わってゆく、重要な資産であった。私たちの世代でも、僅かにその感覚が残っていて、おばあさんが和服を購入する意味を、そういう所においていた。すでに使うと言う事はほとんど無くなっていた和服。現在の貴金属ぐらいの感じだろうか。消費者と言う位置づけは、企業の戦略に乗せられたことである。

福田内閣では消費者庁を作ると言っていたが、麻生内閣ではもうそれどころではない不人気で、不景気で、野田消費者行政担当大臣の存在が、いまや支えている感がある。民主党は「消費者権利院」法案をだして、やっと議論がされる準備になった。しかし、消費者と言う枠に国民をはめ込むのは、間違っている。生産者もないし、消費者もない。ここに、厳然とした垣根を作ることが、間違えの始まり。工業製品ならまだしも、農産物も同じに、この消費者と言う思想に巻き込まれたことが、間違えの始まりだった。だから、過剰生産、生産調整、価格操作、高付加価値農産物。こうしたおかしな世界に農業が巻き込まれている。食べ物は消費するようなものではない。生きてゆく基盤をさせえて行く、なくては成らない必需品の筆頭である。工業製品の輸出で国を支えようと言うあまり、食料もまったく同じように扱う誤りに落ち込んでいる。

減反政策の見直し論議がちらほら見えてきたが、この商品経済の枠組みの中でしか論議が出来ないのだったら、解決の方法はない。お米は消費者が消費するものではない。トイレットペーパーや、蛍光灯とは成り立ちが違う。お米は代替が利かない。貧乏人こそ米を食え、と言う状況。こうした消費と言う観念を変えるには、消費者と言う所に、謂わばお客さんに市民を安住させないことだ。売買品から、はずす。商品で無くす。それくらいの覚悟がいる。買いたけりゃ特別に売ってやるぐらいの、物にしなければ駄目だ。在庫が余っていて、処理に困る。置いておく場所代もかさむ、不良在庫。これでは当然、消費物に成り下がる。安いほどいいの世界に入る。学校給食は当然米飯以外禁止。公務員の給与は全て米。海外支援も全て米。道路を作るとか、港湾を作るとか、一切なし。

めちゃめちゃ書いているわけだが、食べ物の世界で「消費者」はまずい。農の会の生産物を食べている人は消費者ではない。消費者のつもりを変えて行って貰わないとならない。お金を払って買っているのは、それが一応のルールだからと言う範囲であって欲しい。本来なら、全員が生産者であるべきなのだ。ただしそうは言っても、「今のところ」作れない人もいる。一日たった一時間の時間が取れない人もいる。農作業が出来ない人も居る。そこで、分業という訳で、農作業を出来る者が今は代行している。しかし、出来るようになったら、いつでも始める覚悟はある。そうあって欲しい。その手助けはいつでもする。してきたし、してゆく。新規就農支援の意味で宅配事業の協力をしているが、農の会が宅配事業をしている訳ではない。小さな動きでは在るが今農の会の実践している理念は、日本の軟着陸地点である。全ての市民が、食糧生産者になる。
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稲・種蒔き

2009-04-13 05:09:49 | 稲作
いよいよ、緊張の種蒔きが始まった。19日まで続く。種蒔きの方法もあれこれ変遷してきたが、今年はセルトレー方式にほぼ固まった。一番の要因は苗採りの負担の軽減にある。以前は、苗代で苗作りをした。ところが、ヒエが稲の苗に混入して、ヒエを田植えしてしまうようなことが増えた。そこで、ヒエが入らないように丁寧な苗採りをしていると、田植えと同じ位の負担になる。しかし、陸苗の良さは捨てがたい所があるし、セルトレー方式ならと転換した。播種の手間と言う点が課題だったが、安藤さんと言う工芸家がすばらしい播種機を作ってくれた。1時間で100枚ぐらい播種できるようになっている。朝から「新永塚」グループ、午後から「梅の里グループ」と播種を行った。毎年の事だが、何やら手順を忘れてしまい。最初のグループはあれこれてんやわんやであった。

今年は舟原の田んぼに、1,2メートル巾で22メートルの長さの代かきをした。家から近いので、水管理が楽だ。畝は7本用意した。ここにセルトレーを並べてゆく。計算では一杯になって終わるはずだが、既に新永塚の長さを間違えてしまった。セルトレーは288穴のものを使う。これが30センチ×60センチとして、2列置けるので15メートルで100枚。288穴で250苗が出来るとして、100箱25000株で2反分となる。中原さんに言われたが、確かにその通りだ。種籾は3粒まきとして、86400粒。1粒のお米の重さは0,025グラムなら2,2キロぐらい。この場合、浸種する量は4,4キロ。失敗しても、もう一度できる量を行う安心分。余分は冷蔵庫で保存。発芽が揃うまでは何が起こるかわからない。1反の田んぼで、1,1キロの種籾。1キロのお米が500キロになる。50枚の288穴のセルトレー。播種の作業時間は二人で半日仕事と見ておけば良い。

水は辛く作る。これも田んぼによって考えが違うが、水は辛めの方がいい苗に成る気がしている。良いというのはがっしりと言う感じ。昨年は朝水遣りと言う感じで、水が行き渡ったところで、水を止めた。これは本当に辛い人から見れば、水のやりすぎといわれそうだ。水遣りはその後の稲の育て方に影響するから、実は軽んじることは出来ないはずだ。保温もとくにいらない。舟原の水温は12度。カバーシートはスズメ除けで必要。パオパオが良いか、ラブシートが良いか。迷う所だ。値段が安いパオパオで昨年はやった。それでいい苗になったから充分だが、3,4年使うと言う事なら、ラブシートだろう。今年は2通りのグループがいるので、どうなるか楽しみだ。どの段階でシートを剥ぐかも重要だが、昨年は最後まで張り続けたグループもあった。それでも大丈夫ではあったが、3葉期までには剥がした方がいいとおもっている。

今年は記録を正確に取りたい。ここにも記載して行きたいが、誰でも利用できる技術にしたい。最も合理化した技術にしたい。もちろん、専業農家向きの技術と言う事でなく、市民的農業技術である。市民が自給的に田んぼを行う場合の最も、合理的な方式を提案して行きたい。こうした活動の価値を行政は理解しない。農水省は少し理解を始めているが、まだまだである。日本で農業の存在する意味は、産業と言う所に限定できない。採算が合わなくても、行ってゆかなくてならない。その為には採算では量りきれない価値を農業に見て行く必要がある。市民が行うには手植えの方がいい。一年に一度の田植えの為に、田植え機を用意するのは馬鹿げている。稲刈りも手刈りかというと、これはバインダーがいい。こう言う事は20年も繰り返して行き着いたところである。もちろん、人が違えばまるで異なる体系にも成る。昨日流れが出来たので、後のグループは相当スムースになるだろう。
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農の会の前進

2009-04-12 05:55:03 | あしがら農の会
農の会には、4つの事業がある。1、田んぼの会 2、お茶の会 3、大豆の会 4、新規就農者支援事業(宅配)
新規就農者への対応で変化があった。「農産物の宅配」は新規就農者の生活を支えなければ成らない。と言う事で始まった事業である。農の会としては新規就農を支援してゆくと言う事が、会の方向にあった。たまたまあったという感じで、むしろ、自分の食べる物を自給すると言う事が、始まりだった。就農した人が作った野菜を販売すると言う事がやらざる得なくなった。細々とはあったのだが、Tさんが岩手から暮れも押し詰まって越してくることになり、何とかせねばと言うような泥縄的な、始まりだったと思う。個人的なつながりを作りながら、玄米卵を販売をしながら、あらゆるイベントに出て宣伝していた。時期は前後するが、加藤さんが宅配を中断していたと言う事もあり、そのグループとも合併した。徐々に軌道に乗って今に至る。

その頃から、自然発生的に出来た仕組みなので、手直し手直しできた。周辺に、農の会とも言えない形でありながら、農の会と関係が無い訳でもない。と言うような曖昧な関係も増えてゆく。そして、昨年に成ると、循環農園さんが、農の会とは分かれて独自に宅配を始めた。ある規模になればそうせざる得ないことが、その時に良く判った。みんなで集荷場に集まるという形式が、手間の点で無理に成ってくる。新規に就農するという人は、独立心が強い。自分の枠で全てを回したくなる人もいる。もう一つに、Tさんのように、出荷の量が少ない場合も、集荷場に出かけてくる自体に、経済的に負担感が生れる。家の周辺でまとめたいと言う事で、独立することもでてきた。そらやさんも、みんなと協力し合う形態は残しながら、独自に宅配を行う形の、独立とになった。さらに、松本さんも将来的にはそのようにせざる得ないと、言う事を話されていた。いずれ新規就農者が生計を立てることは、極めて困難な中での事である。それぞれが、思うままに挑戦してみてもらうことが一番である。

農の会の宅配事業では新規就農者の立ち上がりを協力をする。取っ掛かりは作れるが、生計はそれぞれが模索する。現在、一年を経過した、Yさんと、Oさんがいる。そして、Sさんという新規就農の方が、4月から見えた。そして、代表の中村さんと、ベテランの松本さん。6月までは、そらやさんがホローしてくれる。農の会の役割という部分は、見えてきたのではないだろうか。端境期の野菜不足を補う役割が存在すれば、宅配先の維持を夏野菜の量に合わせて、増加できるだろう。いわば、新規就農サポータシステムのような形を作り出すことか。それは、野菜を生産する人と、宅配を取ってくださる方と両面から形成する必要もあるだろう。つまり、「自給的生産者の新規就農者支援」グループの役割の明確化。新規就農の人を支援する気持ちの強い「サポーター的購入者の形成」。さらに、言えば「加工品を作る人サポーター」も形成する必要があるかも知れない。

新しい展開というより、以前から存在した課題が、だいぶハッキリしてきた。自給的生産者の側から、可能性を考えると、端境期の野菜の出荷。保存できる野菜、ジャガイモとか、タマネギとか、小麦粉、豆類など、を自分の必要量以上に生産、保存して、端境期に出荷する。これならできる。5人サポーターが居て、5種類の野菜を担当すれば、後、3種類自分が出荷できれば、宅配が維持できる。やはり保存庫の整備も重要。誰か、野菜加工面で、参加者がいれば大根が取れすぎた時期に、端境期用に保存すると言うのもある。もう一つの、課題は理解の深い購入者の形成。ベテランになれば、野菜の品質は高くなる。当然初心者の野菜を支えて食べてくれる人が必要である。農の会との関係が多方面で生れ、折角理解が深くなっても、宅配者が独立すると農の会そのものから離れてしまう、側面がある。このあたりの整理が可能か、検討の余地あり。

昨日の自給作業:苗床の準備。3時間 累計時間:11時間
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明星岳登山道開通

2009-04-11 05:32:59 | 地域
4月18日には明星岳登山道開き、記念式が行われる。「奥和留沢見晴らしコース」が一般公募で選ばれた名称。既に40名近い申込者が居るようだ。昨夜は、「美しい久野・里地里山協議会」の式典準備の会合が開かれた。とても、行き届いた万端怠り無い配慮で、さすが行政力を感ずる。式次第も細部まで詰められ、一安心である。現在、農政課で受付もしてくれているが、こうした仕事は地域で行えば大変である。当日雨の場合の連絡法まで、行政担当者はきめ細かく考えてくれていた。当日は、地域の方が太鼓の演奏で盛り上げてくれる。和留沢分校跡地で太鼓が鳴り渡り、テープカットである。素晴しい情景が浮かぶようだ。当日の記念品まで準備がされた。こんなことを書いて人が殺到したら困るが、良い記念になる品物が準備されているのでお楽しみ。いずれにしても、費用のかかることで、会計担当としては、工夫しなければならないところだろう。

登山道基点は、舟原に在る、和留沢入り口のバス停の橋の袂になる。早朝から夜遅くまでバスがあるのだから、箱根登山はとても便がよくなる。ここからは久野川沿いに、ゆるやかな登り道が和留沢の集落まで続く、30分と言う所である。10分ほど登ったあたりに、笹村農鶏園の養鶏場。15分辺りが峯自然園。峯自然園は久野側の清流が、大きな岩の間を白い勢いを増して流れている。夏でも涼しい、久野一番の観光名所である。林の中を上り詰めて、小高い台地に出る和留沢集落である。小田原では唯一の開拓の集落ということで、独特の魅力がある。乳牛を飼われた歴史があり、放牧した草原上の場所が、今はクヌギ林になっている。眺めが広がり、あたりの空気はもう小田原とは違うすがすがしいものになっている。集落を上り詰める形で、登山道は続くのだが、河原に駐車場も設置した。車でピストンで登山するなら、ここに止めて置ける。

ここから本格的な登山道が始まる。水源まで続く道はなだらかではあるが、自然林の中の、気持ちの良い道土の道になる。20分ほど登ると、林道に出て、水源への道と。明星山への道と分かれる。明星山への道は杉の植林地の中をかなり険しくなって続いてゆく。食隣地が終わった辺りに、いぼ岩がある。ここまでやはり20分コース中一番の難所である。難所ではあるが見晴らしが良く。相模湾が小田原の市街越しに広がっている。ヒメシャラや三つ葉ツツジ、アセビ、イヌつげ、などの美しい樹種が岩場を取り囲んでいる。かなりの急斜面を一気に登りきると、もう一度林道を横切る。ここからはジグザグの整備された登山道で、上りきると明星、明神の尾根ルートに出る。この交差地点から眺める箱根駒ケ岳越しの富士の勇壮なこと、格別である。ここから明星までは、もう一息である。なだらかに10分も登れば、明星岳頂上。

ルートはこのまま、宮城野方面に抜けることも出来る。戻って明星岳から、金時山への尾根ルートも良い。明星岳から南足柄の矢刺芝に抜ける道もある。いずれ、箱根外輪山からの下山コースにこのルートを使うと、和留沢入り口からのバスが、遅くまである。30分に一本ある。東京方面への帰り道には土日の箱根の渋滞も避けることが出来て、絶好ではないだろうか。短い2時間あまりの登山道ではあるが、林間コース、見晴らしコース、岩がコースと、川沿いコース、林道歩き、と案外に本格的な山登りを一通り体験できる。子供でも、お年寄りでも無理なく楽しめる登山道だと思う。いぼ岩辺りでは携帯電話も通ずる所がある。コースには充分標識はあるが、杉の植林地では、管理道が交差するのでうっかり入り込まないような注意が要る。

昨日の自給作業:田んぼ苗代あらおこし、1時間 累計時間:8時間
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財政支出15兆円

2009-04-10 05:32:34 | Peace Cafe
2009年度補正予算案の財政支出を約15兆円、事業規模を56兆円超とする方向。さらに国はサラ金地獄に突き進むようだ。返せる当てなどまるで無い、借金をこれ以上していい訳がない。間違った政策である。その場しのぎの、選挙対策も含めた、財政崩壊の道に進んでいる。良く、金融破綻において、日本の轍を踏むな。日本の教訓を元に迅速な対応を取れ、と言うようなことが言われる。世界20カ国で集まり、各国の財政出動が話された。今起きていることは、世界中で言うように100年に一度の、経済の形が変わる時期なのである。早く、経済の形を変えなければならない。日本が1990年代に銀行の不良債権による倒産をおこした。これは、金余りで、個人の投機に火をつけて、銀行が金を無理に貸したことに原因がある。例えば、ゴルフ場の建設に伴うゴルフ会員権である。ゴルフをやらないものが、投機の為だけに、ゴルフ場の会員権を何枚も購入すると言う異常事態。

日本の経済が立ち直ったかに見えたのは、よく言われる量的緩和策や不良債権処理策などによるものではない。世界経済のとくにアメリカのバブルである。中国の経済発展もある。日本自身の経済の基盤が良くなった訳でも何でもない。むしろ日本経済は、実質的には海外依存度を高めた。生産力も海外移転であり、販売先もアメリカ、中国が中心である。いよいよ、日本は実態のない国になって行ったのが、バブル崩壊後の日本経済である。半導体とか、液晶とか、自動車とか、確かに技術力においての日本の生産力の向上はあったが、その根本は外国への依存をさらに深める方向であった。だから、今世界で起きていることを「日本から学べ、財政出動をしろ。」こういう解決はない。確かに、世界中が一気に財政出動すれば、しばらくは良いだろう。半年もすれば大きな揺り戻しが来ることも、当然予測されるだろう。

この半年間の財政出動効果の期間に、大きな方向転換が出来るかが勝負だ。必ずさらに深刻な事態になる。しばらくの猶予期間に生活基盤を作ることしかない。15兆円の借金で一時しのぎをしようという、馬鹿げた政府の経済対策は必ず、一時効果に終わる。巨額な府債務残高の増大。後世代へのツケ。やるならば、エコ経済への転換である。次世代の教育投資である。ここに集中するしかない。アメリカの貿易収支の赤字幅の減少は過去最大という。アメリカへの輸出がいよいよ出来なくなっている。日本経済は輸出依存を転換しなければ成らない。中国の経済発展に期待すると言う方向は、10年位の期間で考えると、リスクが高い。中国には何が起きても不思議でないような、不確定要因が存在する。ロシアの転換を思い起こす。今取るべき方向は、日本の国内の実質的経済力に戻ることである。

日本が回復したかに見えたのは、借金とか、過剰設備のようなものが、受身に引き連れて解決したかに見えただけだ。中国やインドと言う巨大国家が、世界の技術革新に追いついて、それに引っ張られて過剰投資、過剰人員が吸収された。しかし、今の事態は全く新しい状況だろう。今回の15兆円の財政追加処置は、昔のやり方そのものである。ここで取り組むのは将来への、全く新しい展望を持つ必要がある。輸出型経済から抜け出る展望を持つ。具体的には地域政府の樹立。地域ごとの自立性を確保する。中央集権を脱し、自治体が完全な自治権ならびに財政権を持つ地域主権を確立する。その為の長期的展望のある基盤整理に、財政出動をする。教育の地域自給。食糧の地域自給。暮らしの地域自給。大きな破綻の前に、何とか地域に経済を取り戻す以外、日本の展望はない。

昨日の自給作業:あれこれ種蒔き2時間 累計時間:7時間
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衆議院選挙

2009-04-09 06:15:38 | Peace Cafe
徐々に衆議院選挙が近づいている。麻生自民党か、小沢民主党か。選びようがない選挙である。「次善の人」「究極の選択」と言う事になりそうだ。共産党が全選挙区にはでないと言う事で、選択の巾は狭まる。小田原が属する、神奈川県17区は現在、3名が正式に立候補表明している。私のように、露木開成町長の立候補を期待する声は、あちこちにあるらしく、立候補のうわさは届くが、どうなのだろう。もし、立候補となれば協力もしたい。
政治にはお金がかかる。これはよく言われることだが、この意味は実の所「政治家には、」お金がかかる、と言う事。何故インターネットでの選挙運動を禁止しているのだろうか。自分の考えを伝える方法として、ネットほどお金のかからないものはない。むしろ、ネットだけで選挙をしてもらいたいぐらいだ。静かで良い。こんなことを書けば、すぐネット環境が無いものはどうすると言うのだろうな。ともかくネットでの選挙活動を禁止しているのは、憲法違反だ。

現在、西湘地域の衆議院選挙では、3名プラス1名の名が挙がっている。
民主党の神山洋介氏
自民党の牧島かれん氏
元安倍首相の秘書をされていた、井上義行氏
プラス1は露木開成町長である。当人は出馬にどうお考えかは知らないが、3名の方よりよほど考え方は分かっている。それは町長のティータイムというブログ
である。露木町長は国の地方分権審議会の委員でもあり、とても忙しい方である。それにもかかわらず、相当の頻度で明確な考え方を示されている。

正式候補3名が、ホームページでかかれていることを衆議院議員の政策だと本気で考えているとしたら、国民として全く悲しくなる。ここには抽象的な「明るい日本を作ります。」的な、私にはどうでも良いことしか書かれていない。具体的に何をしたいのかがほとんどない。ネットだから、いくら長文でもかまわない。自分の情熱を表現してもらいたい。どこかの業者にお願いして作ったようなホームページで足れりとしている精神が物足りない。まだまだ民主主義には程遠い状況である。ネットでの意見を読み比べると、大体の人間がわかるものだ。政策を知る事が出来る。申し訳ないが、この3人では、麻生氏と小沢氏のどちらを選ぶかという「究極の選択」と同じことである。悲しいが、どの人が、次善の人か。

ネットは実に本当の姿が見えてくる。3人は共に9条改憲派のようだ。そこが私の一番のチェックポイント。護憲派の河野氏の後継であるので、牧島氏にはメールで質問した所、回答を戴いた。――河野議長のすすめられた平和外交を学問としても学ばせて頂きました。戦後の社会において、憲法9条が果たした役割は大きいと思っています。一方で、国家対国家の衝突から9.11以降、対テロの国家戦略を築くべき時代であることも痛感しています。「真の平和とは何か」「如何にして平和を守っていくのか」ということを国民全体で考えていかなければならない時だとも思っております。――
それで、9条をどうするの。そこが質問である。この範囲の意見なら、ホームページに示しておいて欲しい。それすらないという事は、避けたいと言う事と読む。まだ、始まっていないのだから、各候補、その気があるなら、ホームページを作り変えたらどうか。

ネットを何故、選挙で禁止しているか。それは議員の政策が明確に見えるからだ。見えてしまうことを避けたいのだ。何しろ小田原の市議会では、投票の賛否行動が公開されることを、是としない市会議員の方が多いという。旧式な政治状況だ。自分の行動考えが明確に成ることを避けたいという心理。民主主義の最も大切な、志というものが既にない。政治はお金がかかる。確かにそうだろう。政策を持たないで、歓心を買うためにお金をかけている。ブログを議員の義務にして欲しい。言葉で表現できないものが、政治を行うことなど出来ないはずだ。忙しいから出来ないと言い訳する人もいる。自分の意見を伝えることこそ、政治のはずだ。これからの社会を作ってゆくのが、政治家の努めであるなら、ネットを避けたいなど、見当違いもいいところだ。
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南足柄でカラスの大量死

2009-04-08 03:09:30 | Peace Cafe
原因不明…カラス大量死 神奈川・南足柄市4月6日12時9分配信 産経新聞
神奈川県足柄上地域県政総合センター(開成町)に5日、市民から南足柄市壗下(まました)の山林でカラスが大量に死んでいるとの通報があった。原因は不明。センター職員が調査したところ、現場約50メートルの範囲に合計41羽の死体を確認した。外傷はなく、ほとんどきれいな状態だった。鳥インフルエンザの可能性もあり、対応マニュアルに従って保健衛生所で2羽を簡易検査したところ、陰性反応を示した。念のため、国立環境研究所へ採取した検体を運び確認検査を行う。
住民の話によると、現場周辺では餌付けなどはしておらず、普段から元気に100羽程度飛んでいたという。

養鶏業をやっているので、家畜保険所からFAXが入る。上記のものとほぼ同じ内容だが、6日の15時である。多分、元ネタは同じものと見られる。後段は「また、周辺にはカラスが100羽程飛んでいたとのことですが、特段、異常は見られないとのことです。」と成っている。残念なことに、報道機関の現在のレベルを良くあらわしていると思う。まさか、カラスに餌付けをするなどと言う認識はひどすぎる。「外傷が無く、きれいな状態、」と言う家畜保険所の文面に、ほとんどを加えている。何故だろう。それは、神奈川県の発表にしたがっている。記者は取材によって、「餌づけ」を加える気にさせたのか。「普段から元気に飛んでいた。」と言う書き方の報道もある。日経メディカルでは、ナイル熱との関連、毒性の関連にも触れている。一番内容がある。毒性多分、農薬の問題。意図的なもの可能性が強い。農薬問題への想像力があれば、「元気とか、餌付けとか」はでてこない。「我がもの顔にとか、恐いくらいに騒いでいた。」とか言う言葉がふさわしい。

カラスの事はそれでもいい。北朝鮮報道。各社一斉に「ミサイル発射に毅然とした態度をとれ」という類の社説を並べた。ミサイルという確証はどう言う情報源によるのだろう。言葉で伝える仕事である。皮肉にも北朝鮮では日本の報道各社の名前を挙げて、衛星の打ち上げ成功を伝えている。としている。さすがに、この抗議はできないだろう。自ら根拠のない、ミサイル発射を伝えている。この点麻生総理は正確に、ロケットあるいはミサイルと思われる飛翔物体、というような言い方をしている。報道は揚げ足を取られるようなことは書かないほうが良い。国連安保理の会議では意見の一致は出来ない。その程度の予測も出来ないで、ミサイルと騒ぐことは、相手の思う壺。衛星打ち上げまで、非難する難癖をつける国家「アメリカと日本」と言う事になりかねない。人工衛星失敗という発表。北朝鮮では成功報道。日本の報道はミサイルで信頼性を損ねているから、衛星失敗報道も、北朝鮮レベルのプロパガンダになりかねない。

自ら不愉快なことも、正確を期す。そして、カラスの集団死が何を意味するか。その背景にあるものへの想像力。これが不可欠である。カラスの害。報道の現場主義。何百羽のカラスが集団で群れ飛ぶ姿を、その目で見る必要がある。暮している身の回りで起きている現実を、自分の視覚で把握する、認識する。それは、南足柄と、たぶん記者の居る横浜ではカラスも違うということ。北朝鮮と日本は違う。現状を充分に認識する。少なくとも自分の目で、北朝鮮の現状を見てくる。想像力をもっと働かせて、平和に至る道を先ず、想像すること。その上で記事を書く。それが報道の役割ではないか。北朝鮮のミサイルの脅威など、妄想である。金正日の妄想に乗せられている。その恫喝が外交戦略であるなら、いかにも日本に落ちてくるようなイメージを作り上げる。麻生政権が危機を煽ろうと思って行動したのは、末期政権として当然の事である。報道の状況の判断できない、愚かさはひどすぎないか。
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水彩連盟展感想

2009-04-07 05:56:35 | 水彩画
昨日は一日、水彩連盟展を見せていただいた。ともかくゆっくり見せてもらう事にしている。500点とか言う数の水彩画が並んでいるのだから、一点1分としても、当然一日かかる。一緒に水彩画を探求する仲間なのだから、好みとか、良し悪しとは関係なく、その一人ひとりの、来し方行く末を思いながら、じっくりと対面させてもらう。今年は、遺作が6名あった。とくに、石丸裕希さんとは長い付き合いがあったので、とても悲しい気持ちになる。石丸さんとの出会いは、水彩連盟に出して、すぐの事であったから、30年と言う時間だった。長崎県佐世保の方で、武蔵美を出た方だ。とても反骨の人で、水彩連盟でも自分の明確な意志を貫かれていた。「笹村君、俺は嫌われているんだ。」良くこんな言い方で、話が始まった。生涯一人で暮していた。癌になって、ふるさとに戻った。戻るしばらく前に話しをした。笑おうと思うのに、申し訳ないが涙が出た。絵を描く生涯というものの意味を教えてもらった人である。

今年の収穫は、佐藤すみ枝さんの作品だ。「晩秋林間」という100号横の作品。深い心がある。覚悟というものがある。生きる人間の一歩ずつが絵に表れされている。この絵に出合えると言う事だけでも、水彩連盟展の価値はある。こう言う人は、絵が良いとか、完成度が高いとか言うのではなく、絵の前の人間の見ている世界が違うのだと思う。それが徐々に研かれて、ある日出現したのだろう。共に研鑽してきたものとしての大きな喜びが湧いてきた。青柳光枝さんも一段と世界を広げた。この人は前々から評価が高い人である。水彩画の可能性を切り開いている人である。既に世界を構築している人が、さらに高みに上がると言う事は、良しとされたものを、否定して行く事でもある。自分の絵画へのあくなき探究心があればこその事であろう。この姿勢は学ばせていただいた。

小室幸雄さん、「私の幸せな町」この人の作品のバイタリティーはすごいものがあるのだが、今回は抑制されて、それがとてもいい形での充実を見せている。以前の、アクリルを用いていた時の表面性とは、全くの違いである。細心と大胆。当然、世間の目では以前の派手な仕事のほうが、評価が高い可能性はあるが、この方向の先にこそ絵画というものがあると、楽しみに毎年見せていただいている。松永佳江さんも、良い作品を出されていた。いつもこの人の変貌には、驚かされるが、ここで留まるのか、さらに変貌するのか。何故、変貌するのか。何を絵に求めているのか。どうであれ、真剣な画面の緊張感が、絵が技法を越え始めていることを思わせる。その人の真実という所はなかなかわからないものだが、目を洗うような気持ちだった。北野喜代美さん。毎年楽しみにしている絵だ。こうした絵が見れるのも、水彩連盟の精神だろう。水彩絵の具の美しさが、傑出している。ただの色が、色彩に変わる。何かが誕生するような生きた画面。始めて気付いた人では、塚田幸子さん、「礼文の岬」なんともいえない美しさを持っている。茅ヶ崎の人らしい。こうして新しい才能に出会えることも、ありがたいことだ。

それにしても、たくさんの作品が見本市のように飾られていて、とても見ずらい。絵を見て、味わっていただくには、申し訳の無い会場である。描く者の研究の場と言う事で許していただくしかない。それにしても、アクリル画が目立つ。ほとんど油彩画の会と変わらない様相である。これで水彩連盟展か。と言うような驚きであるが、とくに会員にアクリル絵の具を使う人が多い。3分の2はアクリルか、コラージュであろう。受賞作の大半がそうである。その意味では、アクリル画会と言う事になったのかもしれない。確かにアクリル画としては、他では見られないレベルの高さがある。どう考えればいいのかは判らないが、行く末を思うときこのままでいいのかと不安になる。
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北朝鮮のロケット打ち上げ

2009-04-06 05:45:31 | Peace Cafe
北朝鮮のロケットが日本上空を通過して太平洋に落ちたようだ。アメリカのアポロ計画のときもそうだが、事実の確認の方法は無いが、そう言う事らしい。秋田や岩手ではとても不安なことだっただろう。昔は米ソの宇宙競争と言う事で、どちらが先に月まで行けるか。その力を誇示しあっていた。人類の夢だとか言っていたが、世界のリーダー争いをしていたのだろう。北朝鮮は遅れてきただけだ。北朝鮮の時代錯誤なグロテスクな印象は、当時のアメリカやソビエトと同じことだ。日本だって、競争の中で科学者の姿勢はゆがんでいたと思う。何のための科学か。北朝鮮を批判している政府の姿は、いかにも醜い。外交的力量の不足が露呈している。北朝鮮の独裁者に、良いように引き回されているとしか思えない。何故、ロケットの発射が、国連決議違反なのか、私には理解できない。麻生政権はこの機会を捉えて、北朝鮮を危険極まりない、テロ国家であるとの演出をしていたのだろうか。

「戦争反対」戦争は何が何でも反対である。あらゆる意味で反対である。殺すぐらいなら、殺される側に回るほうを望んでいる。しつこいが、戦争は反対である。戦争を避けるためには、この際あらゆる屈辱も、我慢した方が良い。戦争を避けるためには、軍事力ではどうにもならない。例えば、アメリカと、韓国と、日本で連合軍を作り、北朝鮮を占領したとする。大きな犠牲が出るだろう。すごい殺戮となるだろう。そうしたことが避けられない上に、イラクの占領と同じ結果になるだけだろう。朝鮮人の恨みもさらに深くなる。イラクで戦争をして、占領をして、イラクの国民の生活はどうなったのだろう。アフガンはどうか。戦争をしていて、何かが良くなることがあっただろうか。イラクの状況も、アフガンの状況も、たぶん北朝鮮の状況も、同じことだと思う。戦争によって何かが解決するというようなことはない。それは腹の立つ悪役の独裁者は居なくなるだろう。と言って、その国の国民は何においても、変わらない。恨みつらみを深めて、いつか逆襲に転ずる。2000年経ったユダヤ人だって同じだ。

戦争をなくすには、太陽政策が単純に良いかといえば、そうでもないことも金大中政権盧武鉉政権の経過で判る。辛抱だ。とても時間がかかる。100年以上のスパンで考えないことには、解決はない。今後世界は、急速に混乱を深める。食糧危機も深刻化する。今の経済後退も一過性の事ではない。今回の事件で政府の取った、愚にもつかない、多分に総選挙対策のような、無意味な刺激的外交法は、今後リスクを高めていくことになる。どうにもならないことを、くよくよすることはイライラを高めるだけで、社会的フラストレーションが高める。報道という物のレベルの低下も際立っていた。ミサイルだと言う断定報道は、一見北朝鮮の意図を見抜いたつもりであろうが、北朝鮮の外交戦略に乗せられただけである。日本のエキセントリックな対応姿勢が、世界に対し、案外北朝鮮の弱者としての正当性を、宣伝してしまっている。

この機会を利用して、日本の国防システムを強化したいと言う、力が強く働いた。迎撃ミサイルだとか、パトリオットだとか、やりすぎもいいところ。有事法制発動の模擬実験の機会にした。こうして、国民を軍国主義にならそうとしている。いかにもミサイルが落ちてくるかもしれないと言うような、煽動を基にして、国民の意識を変えようとした。報道のお先棒を担いでいる主体性の無い姿を見ると、いざとなれば全く頼りないことが分かる。それどころか、簡単に体制翼賛の大本営によればとなることがわかる。世論という物も、実に頼りないものであることも、見えた。案外の所から、まだまだと思うところから、既に戦争は始まっている。北朝鮮をわざわざ孤立させ、とんでもないことをさせる。それを背景に、軍事国家に変貌させる。有事の前に何を言うかと、言論が抑え込まれる空気が出来る。平和を願う者にとってもいい体験が出来た。天邪鬼でいよう。偏屈でいよう。ものわかりが良くないほうが良い。
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68回水彩連盟展

2009-04-05 06:53:41 | 水彩画
新国立美術館において、水彩連盟展が開かれている。かかわっていると言えような状態でもないのだが、私も出品させてもらっている。公募展に絵を出品すると言う事はどう言う事なのか、判らないままここまで続けてきたような状態である。展覧会を運営してくれている方々から見れば、許しがたい人間であろう。私が運営側に居たら、そう思うに違いない。それでは何故、続けているのだろうか。そんなことを毎年思いながら、がけっぷちで継続している。「そんなことなら止めたらどうだ。」そう言う事も直接言われたこともあるぐらいだ。でも何とか、続けるほうを選択している。言い訳も何もないわけだが、水彩の仲間がそこに居るからとしか思いようがない。あれこれ思いながらも水彩連盟に行くと、良い水彩画に出会うことが出来る。これもあったか、と言うような新しい切り口に出会うことが出来る。水彩画はやはりまだ、結論の出ていない技法だ。

水彩画がとは何か。これは繰り返し考えてきたことだが、今年も色々考えさせられる。全体の雰囲気は、新国立に移り3年目。随分と変わった。意識しないでも、器に適合するものだ。中心となるベテラン会員はほとんど動かないが、努力している、準会員、一般の人は、見違えるほど変化している。変化の方向は二つ出てきているようだ。当然ながら、水彩らしい水彩と。とても水彩とは思えないもの。不思議なことなのだが、「本当に水彩なのですか。」と言う感想を長年褒め言葉と思い込んできた水彩連盟である。そういった感想をする人の方では、「水彩画が見たいと思ってきたのに。」がっかりしているのである。いわゆる水彩風でないことを、誇らしげに考えた時代があった。しかし、この認識は払拭された。現在、アクリル画が主流と成っている。当然水彩画ではなないのだから、水彩風でないのは当然の事である。それも、一つの方向ではあるのだろう。

「描く内容が問題で材料を云々することが、おかしい。」こう言う意見がある。何故、「水彩」連盟と名乗るのだろうか。会の目的に、現代水彩の探求がうたわれている。見に来る方々が、水彩画をみたいというのは間違えではない。アクリル画は会員に多い。見栄えがする。目立つ。新しいそうである。この問題を真剣に取り組む必要が、出てきていないだろうか。水彩連盟主催で、大討論会でも開催したら良い。きちっと考えないまま、状況に押されて、曖昧にアクリル画全盛の時代が定着した。こう言う事は、水彩を考える上で障害になっていないか。展示の仕方でも、この材料の違いを明確にしたらどうなのだろう。出品要綱に材料を明示して、その分類で展示する。そうでもしないと、見ていて混乱してくる。そう、あの会場は見ていただくという。会場になっていない。見せてやっていると言わんばかりの会場である。

今までの、上野の公募展は確かに、見る人は置いてきぼりの会場が多かった。しかし、新国立に移り、見ていただく会場に変わった団体が多い。ゆっくり絵を味わってもらうような会場になってきている。当然の変化である。残念ながら、水彩連盟は上野の時以上に、見ずらい会場になってきている。私も150号という大きなものを出した。昨年は40号にしたら、遺作なのかと言われた。そのとき描きたい物を描くので、仕方が無い所もあるが、もう100号以下にせざる得ない状況かも知れない。中盤全紙程度の絵が見やすく飾られる部屋を作るというのもある。もう一度ゆっくり見て、研究したい。その上で、絵の感想を書きたいと思っている。

昨日の自給作業:堆肥撒き、ヤマイモサトイモの植え付け、1時間。 累計:5時間。
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小田原有機農業モデルタウン

2009-04-04 05:08:56 | あしがら農の会
小田原が有機農業モデルタウンに選定された。何とかなった。間にあった、一安心である。責任の重大さもずんと来る。思えば山北に越してきて20数年、ここに向けて進んできたようなものだった。何としても、やれるだけの事をここでやって見たい。今までやってきたことを、継続すると言う事だと思う。モデルタウンの事業計画にも、何か新しいことを書いた訳ではない。4つの団体が、それぞれに行ってきた事業をどんな連携で行うか。このつながり具合を、有効に進めるのが農の会の役割。さらに一人でやられているかなりの数の人を、一人でやってゆく思想を大切にしながら、ゆるい連携をとること。新しく農業を始めようという人を、受け入れる体制ができる。都市型の有機農業の形が模索されることになる。小田原の景観を生かした形の農業の展開。農協との関係の模索。

有機農業と言う看板を立てながらも、あくまで目的は小田原の農業の活性化である。有機と言う材料が利用できるなら、大いに利用しよう。片浦では、有機のレモン栽培もすでに行われている。一般のレモン栽培では、販路が拡大産地形成は難しい。と言って今までのやり方を簡単には、否定できない。栽培方法にも大きな不安がある。全体で有機と言ってしまえば、みんなの力を集結することはできない。これがJAS法のまずい所。全ては徐々に移行する。新しいことに、取り組むことも大変億劫なことである。そうした中で、有機農業と言う材料がどこまで利用できるかだろう。こうでなければならない、と言う思い込みのようなものは、捨てたほうが良い。目的は全体が変わってゆく道筋の模索である。農業を続けてもらえると言う事が、既に貴いことだ。この時代の状況の中で、農業を継続されている方は、思いの深い、相当の方々である。こうした方々に有機の看板が役立てばいい。

具体的には農協の方々に、見方とまでは言えないが、敵でないことは知ってもらいたい。農協と共に活動を展開しないでは成果が少ない。出来れば農協の活動の中でも利用してもらえれば一番いい。それには、県の技術センターとの協力関係の構築。建前として、有機農業は出来ない、栽培はともかく経営は出来ない、こうした確信の下に、営農指導がなされてきた。それでは慣行農法なら、営農できるのかと言えば、いまや困難は農法がどうあれ、変わらない所にきているだろう。神奈川県は、大規模化が不可能な地域である。農地の集積はしたくても出来ない。国の方針からすれば、国際競争力のある、高品質農産物が唯一の可能性である。営農できる可能性がある所を探るべきだ。有機農産物が、その一つの方法であることは、疑いがない。

稲作苗を技術センターの具体的課題にしてもらいたい。箱苗が有機になれば、あとはほぼ農薬を使わなくても、稲作は可能になっている。草対策もほぼ完成している。箱苗技術はMOA関係では、既に完成しているそうだ。これを技術センターで実証実験をしてもらいたい。少なくとも、これで行う農家を、事例として検証してもらいたい。今からでも時期的には遅くない。是非協同調査をしてもらいたい。農協で有機苗が購入できるようになれば、大きな前進である。そのためにも、この地域で行われている、有機稲作の実態調査のため、今年はそこまで行かないでも農業技術センターのかたに見に来てもらいたい。見ていただけば、専門家なのだから、大体の事は判るはずだ。モデルタウン事業が、壁を取り払うきっかけになればと思う。先ずは一歩。

昨日の自給作業:堆肥振り、タマネギ草取り、2時間。 累計時間:4時間
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農業環境技術研究所

2009-04-03 04:37:50 | 環境関連
農業環境技術研究所は自然環境に調和した、農業技術を研究している。環境憲章を掲げている。「農業環境問題にかかわる研究活動を強力に推進するとともに、環境の保全・改善と持続可能な循環型社会の構築に寄与するため積極的に行動する。」研究の一つにとても興味を持った。「セルロース系バイオマスから固体発酵でバイオエタノール生産」―農業・醸造型発酵法で農村地域の資源循環を可能に―最近の研究として公表された。バイオ燃料は食糧生産としての農業に、質的転換をもたらすのではないかと思ってきたので、この研究には注目させられた。簡単に言えば、稲を丸ごとサイレージする。そしてエタノールを抽出して、残りかすが飼料化できるという研究である。研究の基本は伝統的な発酵技術の応用と言う事だ。先日伺った、小田急エコフードの乳酸発酵による食品廃棄物の飼料化などと同系列で、とても期待できる発酵技術である。

この方法は、酒や漬物などの日本古来の醸造技術と牛の自給型飼料 (サイレージ) の発酵貯蔵技術を応用するものです。セルロースやデンプンを分解する酵素や乳酸菌と酵母の自然な共生関係を利用した農業・醸造型バイオエタノール生産技術と言えます。セルロース系材料からエタノールを生産する際には、「原料の貯蔵方法」、「発酵阻害物質の発生抑制」、「蒸留コスト」、「廃液処理」 といった課題がありますが、収穫後低水分のまま貯蔵するのと同時に酵素や微生物の力で糖化・発酵させる 「固体発酵法」 を用いることにより、これらの課題を解決することができます。飼料イネホールクロップ (穂と茎葉を含んだ植物体全体) を用いた 「固体発酵法」 によって生産したエタノール量は、213 L/t となり、この原料を用いた生産目標値(317 L/t 程度)の約7割の実績を得ることができました。以上が研究概要にある。養鶏場には稲藁を撒く。稲ワラが養鶏場の床下にもぐると、サイレージ状態になる。これを掘り起こすと、鶏たちが寄ってきて、ついばんでいる。藁を直接は食べないが、漬物にすれば食べる。

この研究所がどんな所かは私には分からないが、研究内容と成果を見てみる。研究者は全て尊敬はしているのだが。素人の感想としては、研究内容が多岐にわたっている。もう少し絞る必要は無いのか。その研究一つ一つは、残念ながら浅い。そしてその研究方法は、科学的研究といえる、正確さに欠ける。例えば、遺伝子組み換え菜種のカナダでの野生化については、あっさり無いと結論している。この程度の調査では、途中経過観察がいい所の気がするが。水田での調査も多いが。研究の設定に、曖昧さが残る。例えば、残留カドミュームの研究。つくば市の水田(100m×54m、土壌総Cd濃度0.35mg kg-1)を調査対象としました。灌漑水および排水の量は、三角堰を設置して水位の変動をモニタリングし、水位―流量の回帰式により水量を求めました。灌漑水および排水の採水を水稲栽培期間中の降水の無い日を選び、1回/週の以上の頻度で合計24回行い、試料中の溶存態及び懸濁態Cd濃度を分析しました。降水中Cd量は2003.5-2005.11のつくば市の降水中Cd濃度を測定し計算しました。Cdの下方浸透量は、2002年の土壌溶液試料中(水田の周囲5地点で合計8回採水)のCd濃度と浸透水量から計算しました。肥料中のCd濃度は日本の水田で用いられるリン酸肥料の平均的な値である20mg kg-1P2O5を用いて計算しました。

農業環境ではデーターの採取方法が難しい。これが学問的測定法と思うしかないが、何となく充分とは思えない。70年代の日本の農薬が北極に残留していると言う研究も出ている。生育期間中の露地栽培トマトの全細菌数は約108個/g(生重)で、温室栽培トマトの全細菌数(最大で約106個/g)の約100倍でした。チェルノブイリ原発事故以来最大となる137Cs大気降下量が記録されました。この時に浮遊粒子状物質(SPM)濃度の上昇も観測されており、砂塵の飛来が降下量増大の原因であったと推定されます。この事例では、同時期に大陸の草原域において砂塵の発生が顕著でした。都市ごみの腐熟度テストの研究なども初期に行われている。下水汚泥の農業利用にまで及んでいながら、腐熟度テストをして見てももどうなのか。以上個人的メモ。
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テポドンの迎撃

2009-04-02 05:28:42 | Peace Cafe
北朝鮮のロケット発射予告日が近づいている。日本政府はすっかり北朝鮮の、筋書きに乗せられている。情けない、恥ずかしい。北朝鮮の今回のロケット騒動は、そもそも6カ国会議の行き詰まりにある。原子力施設の査察方法の徹底化が耐えられない北朝鮮。何かを隠しているのか、全てがわかってしまうのが嫌なのか。イラクの独裁者フセインと同じ。国際社会では理解しにくい理由があるのだろう。6カ国会議でその問題で暗礁。交換条件の援助もストップ。中国、ロシアまで、北朝鮮に批判的な、姿勢が見え始めた。そこで、テーブルを蹴るのは、もう飽き飽きするほど見せられたパフォーマンス。オバマ政権が出来る。それでもアメリカの6カ国会議への、核査察強行姿勢に変化がない。きちっとした査察の要求が続く。それをさせないなら、テロ国家指定に戻りかねない。北朝鮮の得意の外交戦略としては、脅し。アメリカ本土まで、原子爆弾を落せる能力がある所を見せなければ成らない。

しかし、どう考えても本当のミサイルの実験をする必要はない。平和利用の衛星を飛ばせば、目的の効果は充分上がる。しかし、アメリカ、日本、韓国の理不尽さも世界に宣伝できれば直のこと良い。まず、いかにもテポドン2号のミサイル実験を思わせる。充分浸透し、騒ぎ始めるのを待つ。そこで衛星打ち上げだと、宣言する。まさにこの筋書き通りにことは進んでいる。麻生政権の方は、北朝鮮を仮想敵国にして、人気と求心力を取り戻そうと利用する。茶番劇の昼夜二部興行。まさか、切り離されたロケットが落ちてくるリスクで、国民が動揺するとは思わなかった。宣伝は恐い。美空イバリが公民館で歌謡ショー。いまや、報道も一斉に、ミサイル攻撃があるかのような、騒ぎをしている。ロケットの切り離し部分が落ちて来る確立は、流れ星が落ちてくる確率に近い。確かに無いとは言えないが、まさに杞憂。

この杞憂を武器に、大騒ぎする政府。報道。世間。なるほど戦争はこういうものかと、確認しておく。事実を冷静に見る事が出来なくなる。あの時代がかった、アナウンサーの声が、人工衛星から流れてくるのが落ちだ。日本も北朝鮮に対する、偵察衛星は打ち上げている。始終監視している。どの程度のレベルかはわからないが、一応は打ち上げている。そうした平和利用とはいえない、衛星すら利用している日本が、あまり北朝鮮を攻め立てることは出来ない。北朝鮮に存在すると言う、3発の核弾頭が恐いなら、日本国内にある可能性の高い、核ミサイルも北朝鮮の脅威になる。他所の脅威はどうでも良い。これが核の傘であろう。「お前は独裁者で、何をやるかわからない。旅客機を落したり、人の国に来て大勢の誘拐もした。日本からの地上天国に戻ったはずの多くの、同胞は天国どころでなかったと、日本に逃げ帰る。こんな国である。何をやるかわからない。」

北朝鮮の経済状態は相当に厳しい。以前農業の実態を調べたが、自給することが不可能なような状態であった。それでありながら、否、それ故に、軍事国家を目指す。その本質をもっと研究すべきだ。今の、アメリカや日本のやり方では、融和は遠のくばかりである。もう少し独裁国家の社会学的な分析が必要。イラクでの失敗を繰り返してはならない。どんなに腹が立とうと、他所の国の事は、限界がある。近所で下駄屋さんをしていた家族は最後の船で北朝鮮に帰った。私より少し年下の兄弟が、朝鮮学校に通っていた。住んでいた家も勝手に住んでいると、周囲から言われていた。世田谷の松蔭神社である。サンダルを買いに行ったら、お父さんは日本語を理解できなかった。お母さんは日本語を良く理解し、とても優しい人だった。それから挨拶するようになったが、帰らざる得なかった気持ちもつくづくわかるが、帰ってどうなっただろうかと思うと、暗澹たる思いになる。

昨日の自給作業:田んぼの鶏糞詰め。2時間。 累計時間:2時間
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農地の下落14年。

2009-04-01 05:31:47 | 地域
農地は下落が続いている。連続14年というから、バブル崩壊後下がり続けている。農業が経営できない産業であり、農家以外が取引できないもの。上がる要因はない。それでも昨年あたりは、「農地は上昇に転ずる。」と言う経済評論家の意見も出ていた。株式会社が購入できるように成るという見込み。外資が新しい投資先を探している。バイオエタノールの生産で農業は新しい展開をする。いずれも見込みが外れ、農地は相変わらず下がり続けている。その実態と言うのは1坪価格がわかりやすい。小田原周辺で、1坪5万円が1万円ぐらいに下がった。と言う事である。地方では5千円ぐらいだったものが、2500円ぐらいになった。大雑把に言えばそんな調子だ。都市近郊はバブル的影響を受けやすいから、乱高下が大きい。農地価格は取り引数が少なく、又表に出ないことも多々あるから、思い込み価格と実態価格は大きな開きがある。調査の仕方で違っている。

農地の価格形成に強く影響するのが、公社の購入とか、公共事業の購入。農業の営農的価値から、農地は幾らぐらいなら、購入価値があるか。たぶん年地代が300坪10アール、15000円から18000円程度から計算する所が実態であろう。つまり、20年分ぐらいの地代が実質営農価値。あとは、いわゆる資産形成部分とで言えばいいか。結論は坪1000円ぐらいなら、購入して営農したほうが良いと成る。それからみれば2500円はまだ高い。しかし、何時返して欲しいと言われるか判らないとか、周辺に気を使うとか、農家としての立場の形成とか、こうした周辺部分の価格もあるから、当然単純ではない。単純でないのは、不動産投資評論家、などの見る金融的価値が加わり、多くの農家もこれに心理的に影響されている。地域で事情も全く異なる。単純に判断は出来ない。

今後の見通しであるが、まだまだ下がる。株式会社の農業進出は失敗する。農業方面から見れば、成功する要因がない。小泉改革が示した、国際競争力のある農業など、どう考えても特殊解であり、一般化しない。現実農地の集積して大型農家を、など言うが、せいぜい大きく集団営農にしてみて、100ヘクタール。規模ではこれでもオオストラリアなど海外には及ばない。だから、結局は大きくして、農家らしい農家に補助金を出す。こうなるのだろうが。補助金で支えられた産業の用地が、値上がりする訳がない。まだ限りなく、坪1000円に近づいてゆく。農地を解放するなら、市民に対してである。きちっと農業をする市民に対して、農地の利用を認めることである。営農的でないから、販売農家でないと、既存農家的思惑は、市民を排除することが、権益を守ることと考えてきたが、これが変わりつつある情勢。市民は販売しないから、価格という物がない。ここが株式会社とも違う。

市民は、買える物なら買うほうが良いと思っている。坪2500円は安い。こう感じる。自分の土地はやはり愛着がある。借地ばかりで農業をしているから、わずかの自分の農地で耕すことは、どこか違う。ただし市民が購入して、大規模農家の集積の阻害になってはならない。市民が買える農地を指定する。当然、農地の利用に限定する。使わなかったり、他目的に使った場合は、没収する。あるいは高額の税を徴収する。一番良いのは市民が利用できる農地を国が購入して、市民に貸し出すこと。それは今のところないだろう。現実には、農家が農業法人が市民の使える農地を提供する事業を企画する。簡単に言えば、摘み取り農園の拡大版。市民農園の新しい形の模索。農地の下落に日本の農業の行く先が、一番良く現れている。政治が何を提案しても。農家は何も信じていない。それが農地の下落。
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