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生成AIの問題とは何か

2024-04-27 04:06:34 | Peace Cafe


 生成AIには問題があるので、世界的なルールを作り、制限を加えなければならない。というようなことが言われている。バイデン米大統領からの指示を受けて助言組織を立ち上げた。米オープンAIのサム・アルトマン最高経営責任者テック企業幹部が、米国土安全保障省がつくる人工知能(AI)の安全利用に関する助言組織に加わることになった。

 安全利用の意味が私にはよく分らない。必ず犯罪にも利用されるに違いない。生成AIは特別に優れた人間の頭脳のようなもので、しかも進化を続けるものだ。優れた人間が人間を滅ぼすものを作ってきたのだ。生成AIだって少しも変わらないだろう。
 多分著作権の問題があるといいたいのが企業の発想だろう。著作権などいらないと考えればいい。例えば将棋のプロが行う一局に著作権が存在するかの裁判があった。存在しないが判決である。AIソフトの対局する将棋など、人間をはるかに超えた名局が無限と言えるほど存在出来る。その一つ一つに著作権など主張しても無駄なことだ。

 将棋の棋譜を誰が公開しても良いという判決だ。当たり前の事だろう。これはあらゆるゲームに言えることだ。ゲームの結果や様子、あるいはその解説、どれも自由に公開してかまわないのは当たり前の事だ。それで将棋のプロが生活できなく成るどころか、将棋はかつて無いほど隆盛である。

 何にでも著作権を持ち出すこと自体がおかしいのだ。こうして将棋はAIより、人間が弱くなり、その結果藤井聡太ブームになり、将棋界は以前よりも隆盛である。その素人が勝手に行う棋譜解説も、奥深い分析の伴う解説がいくらでもある。その解説自体が楽しめるものになっている。

 何故解説が深いかと言えば、AIソフトを用いて分析しているからだ。何故ここで、失着が出たかなど、その先の読みの分析がなければ分らないものだ。この分析を聞きながら、棋譜を見ていると、ただ実戦を見ているのと違う面白さがある。新しいエンターテイメントだと思う。

 いつも思うことだが、憲法裁判所を生成AIで作って貰いたいものだと思う。憲法に従って正しく法律が出来ているか、運用されているかを、AIによって客観的に、論理的に、正確に判断して貰いたい。本来法律解釈のようなものは客観性が重要になるから、AIの得意分野のはずだ。

 憲法が政府の無理矢理の拡大解釈で、ねじ曲げられているのはどう考えて不愉快この上ない。憲法の解釈を、生成AIが行って問題だというのは、あまりに客観的に正しい判断があると、権力者が都合良くごまかしが出来ないと言うことでは無いのだろうか。

 生成AIがもっともらしく間違ったことを主張するので、人間がそれを鵜呑みにしてしまうと言うようなことが言われる。それは人間側の問題で、生成AIの問題とは違うだろう。そんなことが問題とも思えない。別段、生成AIでなくとも、もっともらしい人間が詐欺を働くと言うことがある。

 テレビのコメンテーターが間違ったことをしゃべって、見ている人が騙されることがある。AIを特別視するほどのことでもないだろう。例えば大谷選手が通訳にお金をだまし取られたのではなく、大谷選手が不正賭博をやっていたとコメントした人が多数いた。これはすでに人権侵害だ。公の場で発言した人は犯罪者として告発すべきだ。

 犯罪者がAIを使って、より巧みな犯罪を犯す。これも一義的にはAIとは関係が無い。金儲けする人間が、AIを使って株式投資をする。当たり前の事だろう。自殺する人が、AIを使ってその方法を調べたからと言って、AIの問題ではない。

 大学生が論文をAIを使って、書いてしまうので困る。これも困るのは先生とその大学生で、別段社会にはどうでも良いことだろう。会社で社員が金儲けの方法をAIから教わって、それで良い営業成績を上げれば、それは評価されることになる。

 ネットで生成AIの犯罪事例を見ると以下のものが揚げられていた。
 ①サムスン:社内ソースコードが生成AI経由で外部に流出
 ②香港の多国籍企業:ディープフェイクの同僚に騙され38億円送金
 ③ニューヨークタイムス:記事が学習されたとしてオープンAIを訴訟
 ④米国の作家:著作物を学習されたとしてオープンAIを訴訟
 
 どれも、生成AIを利用した人間の犯罪で、生成AIそのものの犯罪とは言えない。著作が学習されている間はまだいい。その作家は利用した方が面白言うことで、生成AIを利用して、著作物を書くようになるだろう。推理小説など、生成AI作家の方が、素晴らしいものを書く可能性が高い。

 脚本家など、原作をどのように映画化するかなど、明らかにAIの方が旨いに違いない。主演俳優が決まる。見る人の層を想定する。様々な条件を入れて、AIに脚本を書いて貰えば、人間が書くより手際が良いに決まっている。少なくとも、AIを利用して、脚本を作るというようなことは当たり前になる。小説を、セリフで生成する。こういうことだって、AIなら出来るだろう。

 これから世界は生成AIをどのように利用するかである。制限を加えるのは、既得権を守るためだろう。それは後ろ向きな方策に過ぎない。制限をいくらしたところで、既得権を認めない国がそれを打ち破るはずだ。制限をしている国が競争に勝てなくなるだろう。

 先日、朝日新聞の広告で新聞社が蓄積した校正ソフトを売り出したとあった。是非、この校正ソフトで、まず過去の朝日新聞の記事をチェックしてみたらどうだろうか。結果的にフェークニュースだった記事がどれだけあるかが分かるのだろうか。校正は誤字脱字だけではない。

 校正とは文字の使い方などは小さな問題で、記事の真偽こそ校正する必要がある。何故、その時点で間違ってしまったかの検証に使える、校正ソフトが出来るはずだ。それが生成AIの可能性だと思う。生成AIの正しさの追求こそこれからの社会に必要なことになるだろう。

 正しさが一つではないこと。究極的には人間とは何か。と言う思想哲学にも踏み込んで行くことだろう。こういう問題を考える上でも生成AIは、社会を変えて行くはずだ。生成AIを利用して、宗教を装うお告げと言う形で、お布施を稼ぐなど、すでに現われているのかも知れない。

 しかし、藝術としての絵を描くと言うことを考えると、生成AIが出来たからと言って、何の影響も受けないだろう。「私絵画」は自分というものの探究である。自分が何ものであるかを、生涯絵を描くことで、生きて行こうというものだ。これだけはどれほど優秀な生成AIが出来たとしても、役に立つことはない。だから次の時代の絵画芸術は「私絵画」だと主張している。

 結局の所、企業の考え方に問題がある場合や、社会における差別現状など、人間社会の問題点を、生成AIも影響を受け、こうした企業の倫理の欠落の問題や、社会における様々な差別問題を、巧みに助長することになるおそれは高い。すべてはAIと言う機械の問題ではなく、人間の問題である。

 人間がAIを上手く使いこなす以外にない。人間が倫理を失っているが故に、ひどいことが起こるわけだ。AIは人間の問題点を広げて行くだろうと言うことだ。悪いやつが、AIを使って大きな犯罪を犯すと言うことは増えるだろう。それを防ぐには、人間がまともにならなければならないと言うこと一つだ。
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