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斉藤知事が辞職しない理由

2024-09-05 04:19:03 | Peace Cafe


 斉藤知事は辞めない。元官僚というもののすさまじさを感じさせる。正当性を主張して恥じるところがない。子供の頃から、優等生で非を認めるとか、謝るというようなことは無かった人なのだろう。自分が間違うというようなことが、そもそもこの人の考え方に存在しないはずだ。

 問題は今何をするのが、自分にとって最良なのか判断が出来ない。自分の内部にのめりこんでしまい、俯瞰して自己反省ができないのだろう。ここまでくると哀れなことだと思う。しかし、やったことは犯罪行為なのだから、とことん批判しなければならない。

  総務省の官僚としてそういう上下関係の世界を体験し、その暴君的性格を確固としたものにした。そして県知事になり殿様になったのだ。地方に行けば土下座して出迎えるのが当然ぐらいに持ち上げられたのだ。お土産があるのが当たり前。そのように地域の人達が、寄ってたかって作り上げたのだ。

 法的に強制的にひきづり下ろされるまで、自ら辞めるという選択が出来ないのだと思う。それはこの人の性癖にまで、育てられている。何か知事職に留まらなければならない論理的な根拠や、辞めないで頑張ることに意味があるわけではない。、当人にも何が悪いのかが分らないはずである。

 こんな異常性格のような人が知事であったことが怖い。しかし全国の知事はこんな人の方が多いはずだ。国会議員ともなれば、こういうような殿様タイプが普通のはずだ。つまり、政治家先生を、国民が偉い様にしているのだ。その方が得策だと考えて、そういう人間に育て上げているのだ。

 その理由は自分だけは得をしたいからだ。土下座して持ち上げていい気分にさせた方が恩恵があると考えているからだ。要するに拝金主義とはそういうものなのだ。多くの人が見返りを求めて動いている。代議士先生はそういう空気を身にまとっているから、それに合わせておけば楽ということも多々あるだろう。

 みんなから止めろ止めろ、と言われれば言われるほど、「辞めない」と言うこと以外は頭に浮ばない、閉じた脳の状態になるのだ。それはそれでルールがあるのだから仕方がないことだが、兵庫県の損出は大きな物があるはずだ。しかし、これこそ民主主議のコストである。

 こんな人を選挙で投票人がわるい。これほどひどい人を見抜けずに選んでしまった責任をかぶるほか無い。そして、この人を押した、維新の会と自民党は、一緒になって評判を大いに落とせば良いだけのことだ。最近大阪のどこかで維新の市長が落選したというのも、斉藤知事のおかげさまである。悪い事ばかりではない。

 そうなると自民党の裏金議員先生はみんな落とすしかないだろう。総裁など選んだところで、次の総選挙で自民党にだけは投票しないことだ。何人かの代議士を眺める機会はあったが、みんな本当に偉そうにしていた。偉いのかもしれないが、実るほど首を垂れる稲穂かなである。上に立つものほど、腰を低くふるまわなければ、周りは大変になることが分からない。

 選挙で人を選ぶと言うことが、民主主議の義務であり責任である。この時に、お金をくれたとか。就職の世話になったとか。仕事が増えそうだというような、利益誘導で選択していると、結局斉藤知事のようなとんでもない人を選んで、ひどい目に選挙民があうことになる。

 こんな日本の社会の中で、自分が大変なことになることを承知のうえで、斉藤知事のひどさを内部通報した型は立派な人だ。そういう人を、見つけ出して、捕まえて、散々責め立てて、根拠無く停職にした。その結果退職後の校長職という立派な就職先までふいにしてしまった。あまりの理不尽な仕打ちに、絶望して自死されたのだろう。

 内部通報を認めなかったことが、斉藤知事の犯罪行為である。もし、この内部通報がおかしいと思えば、黙って第3ん者委員会にゆだねるべきだった。正しい判断が下されるはずなのだから、一方的に問い詰めるようなことは、全く間違った選択になる。後ろめたいところがあるから行った行為に違いない。

 外部の調査委員会を設けて、そこで判断すれば良いだけのことだ。内部通報に対して、当事者が動いてはいけない事例だろう。鹿児島の警察本部長もそうだったが、自分が告発されて、告発者を見付けて先行して処罰してしまう。と言うのは、明確に違法行為だ。ところがそれが見逃されるのが、日本の社会の問題なのだ。

 何故警察や検察が動かないかである。警察検察の世界も似たり寄ったりで、権力には弱い。犯罪を取り締まるものが、内部通報をもみ消そうとした犯罪行為を犯しているのだ。統一教会と安倍氏の関係など、わかってみれば共犯関係だったことが分かった。その犯罪人を国葬にする自民党である。

 「権力は権力に忖度する。」権力者に弱いものが、権力をふるう人なのだ。政治や行政は建暦者である自覚を持たなければならない。そんな悪い権力を作り上げているのが、その権力の下に暮らす住民なのだ。選挙において、功利的な判断をしてはならないのだ。

 議会制民主主義の社会であることはまだ生きている。選挙で、斎藤知事のような人を選ばないことだ。一度選ぶとどういうことになるか、考える必要がある。斎藤知事の姿を目に焼き付けて、次の選挙で正しい選択をすることだ。

 役所で働く人たちは直接の被害者であるが、兵庫県民全ても被害者である。こんな知事の下で働く人は、つらい職場である。自由な空気はないだろう。出世したい人の見苦しい態度も目に余っただろう。人間性を育てた人は少なかったはずだ。上からの抑圧を受けていれば、よい仕事をしようという気持ちを萎えさせる。

 忖度社会が広がってしまう。すでに広がっているからアベ政権があれほど長く悪政を行ったのだ。その結果日本は衰退化し始めたのだ。上昇機運の社会であれば、権力に対して、へつらわない骨のある人が現れる。くだらない忖度で自分だけが得をしようなどとは思わない。

 ここ30年日本は悪くなった。こうなることは分かっていた。わかっていたが止められず、自分の暮らしに逃げていたことになる。情けない。唾なっていることでこのひどい世の中に加担したのだ。それが斎藤知事に現れたのだ。

 これが日本の上級階層の実像である。様々なところに斎藤知事がいる。たぶん誰もがどこかでひどい目に合った体験があるはずだ。だから権力には近づかないで生きてきた。敬して遠ざけることしかない。しかし、逃げている間にどんどん悪くなって、もう取り返しができないぐらい全体が腐敗してきている。



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