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祖国のために死ね。こんな言葉を聞くとは。

2024-05-06 04:34:24 | Peace Cafe


 「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」 まさか、こんな言葉を聞くとは思わなかった。これが名古屋市長河村氏の記者会見での発言なのだ。軍国の亡霊が時代錯誤に登場したような気がする。こんな言葉をまさか選挙で選ばれた政治家が発言する時代が来るとは思わなかった。

 河村名古屋市長の、発言の角度が古くさいのだ。道徳を国民に要求するなど戦前の言葉だ。こんな言葉を発言する人間が、日本ではまともな選挙で選ばれているのだ。これは全く信じがたいことなのだが、名古屋で起きた事実なのだ。トランプだってこんな、得にもならない馬鹿な発言はしない。

 河村氏が名古屋市長である事は、以前からおかしな事だと思っていた。名古屋市民が良しとして選んだ、名古屋市長の問題だから、あまりとやかく言うのはおかしいとは思っていたが、早急にリコールされるべきだろう。為政者が戦争を美化するなど、あってはならないことだ。


 維新の会との連携も見苦しかったが、今や保守党の一人として発言を始めている。名古屋市民は強く抗議してゆかなければならない事件だ。名古屋市民はリコール運動を始めるべきだ。どうも日本がおかしくなり始めた現れなのだろう。このままでは日本は戦前の世界に戻ることになる。

 祖国のために戦争をして人を殺したり、死ぬ必要はまったく無い。こんなことを発言する時代錯誤の人が登場すると言うことに驚きがある。人を殺したり、コロサレタリすることが、道徳的行為のはずがない。特に権力者がそういう発言をする裏にあるのは、国民を材料あるいは物としてしか見ていないときだ。この人は毒舌漫才師と政治家との違いが分らないのだろう。

 権力から国家のために、人殺しをしろと言われたら、嫌だと言わなければならない。その反抗だけが日本という国のためになる。河村氏の発言は、第2次世界大戦における、日本の加害責任を全く考えていない。日本軍に殺された人はこの発言に耐えがたいものがあるだろう。

 戦争で死んだ人のことを考えるときには、必ず、戦争で日本が殺してしまった人の事を考えなければ成らない。日本で310万人が死んだとすれば、海外では1700万人もの人を殺してしまったのだ。このことを忘れて、死んだ日本人だけを考えることは、視野が狭すぎて、海外から批判されるだろう。

 河村市長の発言は戦争の肯定である。日本は侵略戦争をしたのだ。その反省の基に、平和憲法を制定して、平和国家としてここまで来たのだ。戦争を放棄したからこそ、日本は世界に謝罪し受け入れられたのだ。そうでなければ、世界から排斥されても仕方がないような、侵略戦争をしたのだ。

 河村氏のような暴論が、繰返し亡霊のように出てくる。それが保守党という、キビの悪い政党にあつまったのだろう。河村氏はこうした暴論を支持する層が存在することを意識しての発言をしている。そうした感性だけは鋭い人だ。それが減税党の名前に表れている。

 愛知トリエンナーレ展の従軍慰安婦像の展示拒否の時もそうであったが、河村氏は知性がわずかしか無いような振りをする。浅薄な人間の振りをして、暴論を吐くのが得意なのだ。だから論理的な破綻を気にもしない。要するに毒のある漫才師の振りをしている市長だ。

 論理的に論争をすれば、論破されることが分っているのだ。だから、今回もそうだが、支離滅裂に、訳の分らないことをしゃべりまくって、ごまかしている。しかし、どんな仮面をかぶっても、戦争に誘導する政治家は選択してはならない。民主主義はそうした知性が維持するものだ。

 与那国島の町長の発言も同様である。糸数健一町長は、都内であった憲法改正の発議を求める集会で登壇し、「日本は旧宗主国として台湾に対する責任を放棄してはならない」などと述べた上で、台湾海峡問題を踏まえ新しい憲法には「最低でも自衛隊の明記と緊急事態条項を盛り込む必要がある」と提言した。

 加えて国の交戦権を認めないと規定する憲法9条二項に言及し「できれば『認めない』の部分を『認める』に改める必要があると思う」対中国を念頭に「全国民がいつでも日本国の平和を脅かす国家に対しては一戦を交える覚悟が今、問われているのではないでしょうか」とも述べた。  

 まさか台湾の至近距離にある与那国島の町長が、こんな恐ろしい発言をするとは信じがたいことだ。石垣島の中山市長も同様なのだが、どこかで何かに洗脳されてしまうのではないだろうか。そうした極右勢力が都合良く、操作しているように見えて仕方がない。島で暮らす我々は町長や市長から見捨てられたようなものだ。

 今回の発言はまず論理が矛盾していて、何が言いたいのかが明確には分らないが。「国のために死ねる人間を教育しなければならない。」こういう主張に集約して良いような気がする。明確にして、何としても否定しなければならないような発言である事は、確かでは無いか。

 主たる発言の周辺で、ごまかしのような尾ひれがあれこれ矛盾して発言されてるので、明確に成りにくく、グニャグニャ訳を分らなく言い訳をしている。河村市長は論理的に話さないで、はぐらかしてしまう。しかし、戦没者の慰霊と言いながら、国のために死ねる人間を作らなければならないとしているのは矛盾だ。

 保守党では沖縄を防人の島になれと主張している人が居る。沖縄差別発言である。それを糸数町長、中山市長は卑屈に受け入れている。確かに防人の島になれば、沖縄以外の人は賛成するのかも知れない。名古屋は助かるのかも知れない。アメリカは助かるのかも知れない。沖縄に暮らすものはそれでは困る。責任者である、町長や市長はそのことに気付くべきだ。
  
 何かがいよいよ狂ってきた。アメリカの洗脳部隊が、お金をばらまいているのだろうか。そんなはずはないとは思うが、与那国島、石垣島、名古屋市長とまともな状況とは到底思えない。何かいよいよの時が来ている気がする。平和主義の危機だ。

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