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百年後人口は3千万人まで減少する。

2024-05-07 05:22:35 | Peace Cafe


 日本の人口は確実に減り続けて、100年後には江戸時代のように3千万人成る。江戸時代末期には3,400万人程度であったと推定されている。明治7年(1874年)に3,500万人に達し、明治45年(1912年)には、5,000万人を超えた。 これから、日本列島に健全に暮らせる人口になると考えた方が良い。

 日本は人口が増えすぎたのだ。増えすぎたために様々な問題が起きたと言えることが多い。人口が減少してくれれば、日本人が鎖国して生きて行くとしても可能な人口に成るという事になる。人口減少を危機と受け止める人が多いようだが、むしろこれで何とかなると考えるべき事だ。人類の生物的本能が導いた人口減少である。

 人口がいまの39%まで減少すれば、食糧自給率は100%になる。それが日本列島に人間が平穏に暮らすためには丁度良い人口なのだろう。人口減少を良いこととしてとらえ、人口が減少して困ることは何かと考えれば良いことになる。産めよ増やせよ、は戦時体制の標語だ。

 大半の企業は拡大再生産を目指しているから、消費者が減少して、企業の経営が出来なくなると考えるのだろう。確かにそういうことになるだろう。売り上げが今の39%に成るのだ。しかし企業の経営や存続は、日本列島で暮らして行く人間には、根源から言えばどうでも良いことである。

 資本主義を最善なものと考えるから、その限界を恐れているに過ぎない。資本主義は限界を向かえ、度を過ぎた能力主義の時代になった。その結果国家資本主義が優位になったのだ。社会主義経済の時代になれば、人口に相応しい安定した社会が想定されるはずだ。

 次の時代は能力主義を克服した、平等な社会である。人間の欲望がコントロールされる社会だ。帝国主義時代には国家として競争に勝とうと言うことだった。それが国家資本主義の競争に有利さが、おかしな独裁国家を増長させることになっている。

 人口減少に伴う、不安要素を挙げてみる。社会インフラが維持できなくなる。例えば医療が行き届かなくなる。これもその通りだろうが、これからの時代はIT時代だろう。医療システムも直接病院に行かなくても良いようになるだろう。地域に細かく設置される医療ITで、定期的に検診を受ける。

 そして、IT検査で、問題が見つかれば、医療機関からの指示がある。必要であれば、各県1カ所程度ある病院に行くことになる。人口が少ないのだから、その程度で現状より合理的で、十分な医療体制が可能になるのではなかろうか。医療関係者の人口割合は現状と同じとすれば、何とかなるだろう。

 道路や鉄道、トンネルや橋など劣化が進み、十分に直せない時代が来る。多分そうなるはずだ。今現在第2東名の建設や、リニア新幹線の建設が進んでいる。全くそれどころではないのに、建設企業の圧力で止めることが出来なくなっている。もういらないものを作るような時代ではない。

 新たな建設は止める方向だろう。必要最小限の道路や鉄道に絞り、廃止するものは廃止して行かなければならない。

 教育はどうなるだろうか。寺子屋のようなものと、ITで繋いだ、全世界的なものを上手く共存させることではないだろうか。世界中の教育を選択できるのだから、自分に適した教育を選択できることになるだろう。若い時代に教育があるというより、生涯教育が当たり前になるはずだ。

 自学自習をITで手助けして貰う教育。自給農業をやるものが学ぼうとして、その必要な情報は世界中から学ぶことが出来る。私が考えた発酵利用の自然養鶏も世界中に発信されて、より選りすぐれたものになって行くはずだ。知識や情報が、人類共通の資産になり、著作権のような考えはなくなっているはずだ。

 石垣島での自給農業がなかなか難しい。元気で動ける間に、確立するつもりだ。後6年間ぐらいはあるだろうから、米、大豆、小麦、ジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモ、里芋、サトウキビ、熱帯果樹、必要な野菜。栽培技術を確立して、一日1時間で自給できるようにする。

 国の安全保障はどうなるのだろうか。ロシアや北朝鮮のように、よその国に対して攻撃的な国は、100年後だってあるに違いない。そんな愚かな国が無くなることを祈ってはいるが、人間の愚かさは限りないものだから、次のプーチンも、金正恩も登場してくるだろう。

 それに対抗するためには自由主義と民主主義制度を尊重する国家での連隊以外にはないだろう。大国も小国もなく、暴虐の独裁国家に対抗する国際組織を作る以外にない。国連の安全保障制度が有名無実になっている以上、新たな組織作りに向かう以外にないのだろう。

 人口が減少した世界は、本来であれば暮らしやすい世界が来ると言うことだ。人口減少に応じた、暮らしの縮小も必要である。資本主義の拡大再生産を目標とする世界から、停滞安定社会に目標を変えることだ。人間が安心して生きると言うことは、むしろ変化のない安定社会のはずだ。

 日本がその縮小安定化する社会の見本になれば良いのだ。江戸時代の体験がある。200年前の体験を基に、新しい科学的な知見を取り入れれば、十分豊かに生きていけるはずだ。変化しないことを良しとする社会である。安定社会の中で、人間らしい好きなことを好きなだけして暮らして行けることが目標になる。

 その先例に成るように、石垣島ののぼたん農園で生きて行こうと思う。のぼたん農園も3年目に入り、おおよその形は見えてきた。これから100坪の土地で、一日1時間働けば、人間は生きて行けるという実践を形にして行くつもりだ。誰もがその暮らしの体験を無料で出来る場所の提供である。

 のぼたん農園のある崎枝には、安く泊めてくれる場所もある。是非1人でも多くの人が、体験に来て貰いたいと考えている。小田原にはあしがら農の会がある。ここではもう35年になる、自給体験の場が続いている。小田原にも体験して貰える場がある。

 やはり実際に体験してみなければ、自給する生活の実際の感じが見えないと思う。それがどれほど素晴らしい冒険であり、命がけの暮らしであるか。そして、充実していて、やりがいがあるものか。それは一人一人が自立していて、互いに助け合う共存の暮らしである。

 元気に動ける時間はあと6年だと思う。それまでに何とか完成した形にまで、到達しなければならない。間に合うのかぎりぎりだと思うが、今の調子で6年進むことが出来れば、おおよその形は完成すると思う。人口減少の時代の一つの生き方が示せると思う。

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