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小田原の春の農作業

2024-05-02 04:18:39 | あしがら農の会


 タマネギ畑。表面に撒いたソバカスからそばの芽が出ている。そばは抜かないで、そのままで様子を見ることにした。そばがコーティングされている状態で、そば以外の草は生えていない。この後そばは自然に枯れるだろうと、見ているが、果たしてどうなるだろうか。現在玉ねぎは健全に育っている。


 舟原溜池の麦畑。麦畑は後家の隣と総世寺裏にある。あわせて2反5畝ぐらいある。







 こちらは昨年反収500㎏という新記録を打ち立てた麦畑。家の脇の畑で管理は渡部さんがしている。昨年は採れすぎて倒れたと言うこともあり、大豆を栽培した後に肥料は入れないで、今年は麦を蒔いた。今年も良く出来ている。

 繰返しソバカスを入れてきたので、土が格段に良くなった。大豆との輪作の効果もあるのだろう。功成ればほとんど肥料を入れないでも、収穫まで行ける。種まきだけは一緒にさせて貰った。その後の管理は渡部さんが一人でやってくれている。


 溜池の上の畑の麦は、まだ土壌が十分ではない。しかし大豆との輪作を繰り返している内に、だいぶ良くなってきた。全くの山を開墾した畑だ。今年は普通の麦畑ぐらいにはなった。家の脇の畑に較べると分ゲツが少ない。それでもそれなりに大きな穂がついているから期待はできる。


 ジャガイモ畑。奥に私の畝があるのだが、手前の渡部さんの畝が出来過ぎで盛り上がり、良く見えなくなっている。私のものは男爵で、3キロを植えてある。今回追肥をして、土寄せをした。悪くないと思っている。

 目標は20キロだが、15㎏ぐらいは行けるか、どうだろうか。五倍なら良しとするほか無い。今回は追肥をして、土寄せをした。来月もう一度土寄せするつもりで、軽い土寄せにした。畝の両側はだんだん深い谷になってきた。これがジャガイモには良いと思う。

 渡部さんの畑は高畝方式である。大抵の作物を高畝栽培している。それがまた良く出来るので、農の会で高畝をする人が増えた。基本の肥料はソバカスである。ソバカスを渡部さんはそば向上に毎週引き取りに言ってくれている。田んぼにもそれを撒く。米ぬかの代わりに撒くのだが、米ぬかよりも良いかも知れない。



 溜池のカキツバタ。今回も溜池の草刈りをした。溜池の草刈りは小田原に来たらできるだけすることにしている。早めに刈っておけば、それほど大変ではない。今回上の溜池の畔が壊れていた。次回来た時には直したいと思う。畔から流れ出る水路を作り、中央の排出口は使わないようにしたい。

 この写真では分りにくいが、右側には白いクレソンの花が群生している。五月末にはすべて刈らないとだめだろう。他にも雑草が増えてきているので、片付けたい。その際、株分けもやろうかと思う。そうすれば早く溜め池全体がカキツバタになるだろう。



 

 舟原ため池は放置されて荒れ果てていた。初めて舟原ため池に行ったときにはまだ美しいため池で、水を満々とたたえていた。そしてオシドリの番がいたのだ。あの光景が忘れられず、いつか美しい姿を取り戻したいと考えて、少しづつ整備している。今年はカルガモの親子がいた。

 今年はちょうどカキツバタが咲いているときに、小田原に来ることができた。何時も少しづれていた。上の溜め池の半分くらいまでカキツバタは広がった。もう一息で上の溜池全体が、カキツバタになる。そうなれば、見ごたえが出てくるはずだ。近隣にはないほどのカキツバタ池になる。

 カキツバタは日本古来からの美しさを示している。アヤメやショウブもあるが、やはりカキツバタが本来である。カキツバタは田んぼと繋がっているものだと思っている。だから溜池にカキツバタを植えた。日本に田んぼが出来た時に、カキツバタも溜め池に植えたと思っている。日本人の美意識はそこから培われたのだと思う。

 水源がある。水源の近くには簡素な家がある。そして家の脇には、疎水がある。水が少し下ったあたりに、ため池が作られる。溜池にはカキツバタが植えられる。溜池に一度蓄えられた水は、緩やかに棚田を下ってゆく。そして一面の田んぼが広がり、田んぼの水は川に戻り海まで下ってゆく。

 この姿が、日本の水田の基本形になる。これから中山間地は放棄されて行く事だろう。地域が失われて行く。その時に、自給農業を考える人が居れば、もう一度この形を作れば言い。難しいことではない。シャベルだけでも出来るはずだ。40歳の頃の私なら、出来たことだ。


 これは小田原の家の上にある、自分で作った家。ピンクに咲いているのがシャクナゲ。平塚の県立のフラワーガーデンと言ったとおもうが、植物園で交配して、植木屋さんに配布したものと言うことだ。欠ノ上の小林さんの田んぼに、あったのものだ。

 田んぼにするときに、それを買い取り私の所にマゴノリさんが移植してくれた。実生からのものだと言うが、30年生ぐらいには成るのではないか。随分立派なシャクナゲになった。花はもう終わりだった。小田原に越してからもう20年は経つだろうから、最初に植えた木は随分大きくなった。ビワ、柿、しでコブシ、月桂樹、レモン、あじさい、ミカンのキヨミ、あじさいのおもしろいものは消えた。

 今回の小田原は1週間だった。半分絵を描いて、半分農作業をしたぐらいだろう。それでも、麦畑の草取りも、ジャガイモの追肥土寄せも、タマネギも、お茶摘みまで出来た。摘んだお茶は製茶されて、送って貰えることになっている。そしてため池の作業も何とか出来た。

 こうして小田原を離れて石垣島に来て、5年が経とうとしている。それでも小田原に行けば仲間として受け入れて貰える。今回も数年ぶりに会えた人が何人も居た。今度石垣に来てくれるという人も居た。本当にありがたい、嬉しいことだ。

 溜池の草刈りをして、その後溜池の絵を描いた。自分が作った場所を描く。これは最高の仕事だ。モネが庭を造り描いたという気持ちが良く分る。美しい場所を心を込めて作る。そしてそれを絵にする。のぼたん農園もそうだ。絵を描きながら、もっと良い場所にして行こうと考える。

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