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小田原欠ノ上田んぼの田植え

2023-05-30 04:14:19 | あしがら農の会


 一番奥でボーとしているのが私。みんなは真剣に田植えをしている。



  欠ノ上田んぼの全景である。写真の所が全体である。この写真の右側の方はまだ田んぼにしていなかった状態である。ここにあったみかん畑を片付けて田んぼにした。久野川沿いの3反ほどである。担当名は以前のもので今は変わっている。

 小田原に来てすぐに日曜日28日田植えをさせてもらった。何も田んぼ準備には参加していないので、申し訳ない田植えだった。しかし楽しい田植えだった。石垣島の台風対策などがあったので、田植えにギリギリ間に合っただけでも感謝しなければならない。

 「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明 は無常を書いている。田んぼにくる水は、元の水にあらず。元の水ではないが、同じ水である。石垣島の田んぼの水も、小田原の田んぼの水も水に変わりはない。水の恩恵を思うと、むしろ永遠が染みてくる。 

 今年の欠ノ上田んぼの田植えは60人越えの参加者だった。しかも、参加者がとても真剣に田植えに取り組んでいて、実に気持ちの良い田植えが出来た。かきのうえのメンバーが30人ぐらいだから、半分は体験参加なのだ。その人たちが真剣に作業をしていたことに、何か新しい方向を感じた。

 その体験参加者の多くの方が、有機農業塾の方々である。農の会で続けている活動である。有機農業の技術を学ぶ場を作っている。根守さんが塾長で、渡部さんが活動を支えている。この活動ももう5年以上になるだろう。私がまだ小田原に居たころ始めた。

 明治大学の黒川農場で行われている、市民講座である。そこのやり方を学んで、小田原で取り組んだ。根守さんという適任の方が熱心に活動を続けてきた。自画自賛になるが、他に例を見ないすばらしい活動になっていると思う。ここから新しい何かが必ず生まれるはずだ。

 有機農業を市民が取り組むというのは、自給活動であるのは確かなのだが、志の問題である。志がなければ有機農業をやってみようなどとは思わない。今の地球環境はこのまま進めば崩壊である。誰がどうやって止められるのかもわからない。やれることをやってみるほかない。それが、有機農業である。

 人間一人は有機農業で100坪の土地で毎日1時間働けば、食糧自給が出来る。これが私の身をもって実践してみた結果である。但し、この食糧自給は助け合って、協働で行わなければ実現できない。その共同の仕組みが、あしがら農の会である。石垣島の「のぼたん農園」も同じ試みである。

 1990年に山北で一人で田んぼを始めた。そのころに山北でMOAの人たちと有機農業研究会の活動を始めた。1996年に農の会の原型になる田んぼを谷峨の奥の不老山の山麓で始めた。やっとここまで来たという気がする。しかし、まだまだである。日本全体の流れを見ると、こうした自給活動は埋もれていて、火を消さないための努力が必死に続けられている。

 それは宮沢賢治のイーハトブなのだと思う。向かうべき理想郷であって、現実社会はさらなる拝金主義が覆い始めている。拝金主義的な考え方の人が、こうした自給活動にも加わる。その軋轢が生じる。宮沢賢治は苦しむ事になる。これが現実である。しかし、30年続いたのだ。

 農の会は希望だ。時代の主流にはならないものだろうが、失われてはならないものだと思う。志を心に秘めた若い人が現れている。その若い人はこのひどい時代の中で、私の若い頃よりもつらい挑戦をしているはずだ。何の力にもなれない訳だが、希望の火だけは消すわけにはいかない。

 私が小田原を離れて、もうすぐ5年になる。この間小田原の活動は成長し整ったもののになった。田んぼを見ると良く分かる。これほど整えられ田んぼは初めてである。崩れやすい棚田を良くここまで改善できたと思う。冬の間も畔を直し続けてきた。

 メンバー以外の田植え参加者にはここまで整備する作業のことは見えないだろう。しかし、みんなの力が合わさり、田んぼが出来ている。それは江戸時代も同じだったはずだ。もう私のやれることもないのだが、出来る限り参加させてもらいたいと思う。

 苗がとても良かった。苗箱に入れた燻炭の多い苗土が素晴らしい。5葉期4分げつの苗で田植えしたのは初めてである。苗を触ると固い。燻炭が影響しているのだと思う。こんなにしっかりした苗を作れる技術力は、他にはないのではないだろうか。

 有機農業は慣行農法よりも優れたものだという事が証明されている。有機農業の苗の素晴らしさは、手間暇を惜しまない作業で実践されている。この素晴らしい苗を作るために時間は、拝金主義には捻出できないものになる。最高の苗を作る、惜しまない努力がすごい。

 今年の田植えで画期的だったのは子供田んぼの田植えである。子供だけで植えた田んぼがあるのだ。20人ぐらいの小学生ぐらいの子供たちが、横一列になって、田植えをした。ちょっと涙が出るような眺めだった。現代の奇跡を見るような気持になった。

 昨日も水回りの後上から眺めて、子供田んぼがきちっと植えられている事が分かった。誰かが捕植をしてくれたのだろうか。この子供たちが生きる社会は世知辛いはずだ。どこかにイーハトブがなければならないと改めて思った。

 今年の新しい試みは水回りを交代で行う事になった。昨年の担当者が負担が大きすぎて、続けられないという事になった。今年は希望者が交代で水回りを行う。私もまず1回目の1週間を行う。来た時は必ず行えば、4週ぐらいは引き受けられるかもしれない。

 田んぼの水回りは20週だとすれば、5人が協力すれば、何とかなる。あと4人がいればと思うが今4人はいる。後1人いたら、何とかなる。こうした大勢でやる水管理がどうなるかは未知数だが、何とかなるはずだ。一日だけでもやってくれる人がいて、みんなでやることが出来ればより良い形になるかもしれない。

 農の会の活動に、世間の経済を持ち込まないことだ。「やれる人がやり、必要な人が貰う。」これは欠ノ上田んぼの最初の代表だった岩越さんの言葉だ。この気持ちがなければ、活動の本質に迫れない。たぶん若い人にはその気持ちがあったとしてもできない。本当の厳しい生活を迫られている。

 例年そうなのだが、田植えが終わり翌朝にはもうイネは根付いていた。これは凄いことだ。この停滞のない成長イネこそ、畝取りのイネ作りである。今年は冬の緑肥も良く育っていた。苗も良かった。田んぼの整備も立派にできていた。

 今日梅雨入りしそうである。天候次第ではあるが、立派な秋の実りが今から楽しみである。農の会の実りが、田んぼの実りに反映するように、余り手伝いも出来ないのだが、身体が動く間は何とか協力してゆきたいものだ。

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