中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

松本演説会、安曇野市では女性キャラバン

2007年06月20日 23時57分56秒 | 活動日誌
    (安曇野市  女性キャラバンディで元気よくやりました。)

 午前中は大町市と松川村、午後は安曇野市を街頭で訴えながら移動、夜は松本市で演説会でした。

 大町市では住宅街で演説を聞いてでてきてくれた年配の女性が、「やっぱり共産党でないとだめだってわかりました。応援しますよ」と言ってくださいました。演説したものとしては、何より嬉しい言葉でした。
 
 松川村では、スーパー前に20人近い人が集まってくださって、買い物の人も立ち止まりました。
 「年金のこと、もっと話してくれ」との注文、一言ではしょっていけなかったか。皆さんの猛烈な怒りを感じます。

 安曇野市では女性ディ、延べ10人の「女性キャラバン隊」で、わいわい生き生きと、本当に楽しい行動でした。

 「あんたのアナウンス、よかったよ」「そのパネル、あっち向けて」、宣伝カーの先導も女性「あー。、そっちは行き止まりだってば!」と宣伝カーに乗った女性が叫ぶ。にぎやかでアッピール度は倍加。
 パネルのほかに、黄色いおそろいのバンダナを振ってのアッピールです。扇動者の窓からも「幸せの黄色いハンカチ」が風になびいています。

 女性キャラバン隊への反応はすごかった。車の窓が開いて「頑張れよ!共産党!」と大きな声で叫んでくれた方も何人もいました。
 堀金「道の駅」では、何人もが足を止め、車からも手を振っての応援です。

 女性も青年カエル行動隊に負けていませんよ。

 さて、夜は松本市での演説会、350人の参加で、熱気にあふれました。佐々木陸海元衆議院議員の、わかりやすく、熱っぽい話に皆さん聞き入りました。
 
 共産党中央への個人献金は一年で10億円、地区委員会など地方への募金もあわせれば110億円。政党助成金は、今の共産党の議席数で言えば20億ほど(もちろん、もらっていませんが)。民主党の個人献金は2万7千円だけ、すべて政党助成金と企業献金に頼っている・・・会場は数字にびっくり。



 私も、決意を述べさせていただきました。教育3法強行採決への怒りをこめて。

 演説会後、松本市から佐久市へ移動、ホテルの部屋に落ち着いたのは11時。温泉付きのホテルだったのに、温泉は11時まで! 残念である。

 

 
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長野駅朝だち・「デイズ・ジャパン」で

2007年06月19日 22時50分42秒 | 活動日誌
(携帯いれ  中国留学中のK君の、ベトナム国境近くまでの中国長旅のお土産が届きました。これはね、首にぶら下げてメガネ入れにピッタシ! こういうの、ほしかったのです。中野カラーでわざわざ赤を選んだと。)

 朝、7時半からの長野駅頭での街頭からの訴えは、10人の参加で今日もにぎやかにやりました。のぼりもたくさん立てて、チラシも配って。

 日本の朝って、けだるい感じがします。長野市だけでなく、どこでも通勤電車は居眠りの人が多いし、はつらつと出勤する人なんて、ほとんどないですよね。「今日も仕事か・・・」と思っているのか暗い顔、無表情の人も多い。

 無理もない。「人間らしく」働けている国の労働者の朝はどうなんだろう??

 今朝の長野駅も、そんな感じの人が多かったのですが、でも、「おはようございます。共産党です!」と声をかけて「税金、大変になりましたね」との一言で、「本当にやり切れませんよ」と、そして「頑張ってね」とにこっと握手。

 怖い顔をしていたのでこわごわと声をかけたけど、心は悶々としていて、やっぱり話したいのではないかと思いました。そんな方が何人もいました。

 今日はお休み、つまり学習日でしたから、夕方まで事務所でデスクワーク。政見放送の原稿を音読して手直ししたり、演説会の原稿に手入れなどしました。
 
 松本にいる娘が、高熱でうなっているとのこと。
 その情報を大阪にいる長女がメールで知らせてくれたので、夕方松本に出かけて、買い物や夕飯つくりやらで一日は終わりました。

 看病してくれる彼氏でもいるといいのだが・・・余計なお世話か。明日は松本の演説会、おかんの話もたまには聞いてほしかったが、無理ですね。

 「デイズ・ジャパン」7月号が届く。

 文芸評論家の斉藤美奈子さんの辛口評論に共感。「彼らを自決に追いやる戦中レジュームの亡霊」との表題。松岡農水大臣の「自殺」についてです。
 
 「死をもって償う」思想は、突き詰めれば、1941年に東条英機の名で出された「戦陣訓」に行きあたると言うのです。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の思想です。62年前の日本では、死は最高の責任の取り方でした。

 彼女は、安部首相は「戦後レジュームからの脱却」と言うが、戦中レジュームも完全に克服し切れていない」と、「松岡氏は死をもって罪を償った。彼もまたサムライだった」とのべた石原都知事は「戦中レジュームの最たるもの」と。

 最後が効いている。子どものいじめ自殺に対する伊吹文科大臣のメッセージ

 「弱い立場の友達をいじめるのは恥ずかしいこと。仲間と一緒に友達をいじめるのは卑怯なこと」いじめられる子には「話せば楽になるからね」

 をもじって
 
 「サムライきどりで死ぬのは恥ずかしいこと。説明責任を果たさず死ぬのは卑怯なこと。話せば楽になるからね」

 と斉藤美奈子さんは痛烈に書いていました。死んだ人を前に、公にはなかなかいえないもの。

 
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選挙勝利のための各種会議

2007年06月18日 21時31分11秒 | 活動日誌
(バラ  15日の夜の、長野市朝陽地区の集会で会場を飾ったバラ、司会をしたKさんの庭からです。心使いが伝わってきて、どうしても描かなくっちゃと。)

 選挙勝利のための拡大県委員会総会はじめ、各種会議が開かれ、参加しました。

 各地域の取り組み状況が報告されましたが、そのなかで青年の「カエル発言」がヒットでした。
 
 長野市で始まった「着ぐるみカエル」さん、(前のブログで紹介しましたが)人気者なのであちこちの地域青年「政治をカエルネット」で購入しています。
 
 その姿で、子育て中のお宅の訪問して「ピンポン!」だって!
 訪問されたほうはびっくりですよね。でも、子どもさんが喜んで、そこから対話が弾むのだそうです。
 さすが青年、「教養と世間体」がじゃまするおじさんおばさんにはとってもできない芸当です。


(もう一度登場、カエルさん。7日、飯田市の朝立ちのとき)

 青年はいま、全国横断青年・学生キャンペーンカーで大活躍、「何でも言っちゃおカー」だったかな、赤旗での報道は実に楽しい。
 長野の青年も、弁士をすでに20人近く登録してあるそうで、長野独自のキャンペーン活動で張り切っています。

 カエルの着ぐるみは¥38000なり。身銭を切ったり、カンパを集めたりして買いました。そのエネルギーがすごいね。
 
 青年のがんばりは、そこらじゅうに明るさを振りまいています。たとえがうまく見つからないけど、燎原の火の発火点みたいだなって、思いました。

 そこで、おばさんたちも「負けてはいない」と、女性の会議も行なわれました。

 夕方、某マスコミに対応しました。
 
 用件が済んで、雑談の中で記者いわく「選挙区の自民党のY氏は、集会のときまず、すみませんと謝るところからはじまってますねえ。年金問題、一年以内に解決しますと、安倍さんと同じこといいます。
 ところで社民党のN氏は、護憲、貧困格差と。共産党とまったく同じことを言ってますが、どこが違うのでしょうか」

 護憲の党なら、この参議院選挙で何で改憲派の民主党と選挙協力できるのでしょうか・・・ね。
 長野県では、知事選のときの社民は、改憲派の村井知事を押しました。

 違いは明らかなのではないでしょうか。
 
 
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売木から大町まで長野県縦断

2007年06月17日 23時14分22秒 | 活動日誌
       (売木村での演説は初めて  記念すべき写真です。) 

 きょうは、愛知県境で長野最南端の売木村から、富山県黒部への入り口の大町までの、長野県縦断の旅でした。

 飯田市のホテルを出発して約一時間、曲がりくねった山道を走り売木村に向かいました。

 この村は両脇の村にに挟まれた真ん中に位置しているため、意識的にルートを取らないと、時間との関係で訪問が難しいところなのです。 地図で見たのでは分からないけど、深い谷を越えてゆくものですから。

 念願かなって訪問でき、これで、一番困難な下伊那郡を制覇! 今までの選挙全部通しても、売木村での演説は初めてのことです。それも感動。

 共産党の議員は空白の村です。でも、「今日は仕事を遅らせて待っていたよ」とおばさん、おばあちゃんはシルバーカーを押して出てきてくださり、畑仕事をしながらきいていたかたからは「この村でも暮らしていけるようにしてください。頑張って」との励ましをいただき、10人の方が聞いてくださって、飯田市から往復2時間かけても「きてよかった」と思いました。


(シルバーカーに座ってじっと聞いてくださった方です)

 12時に飯田インターに乗って安曇野市へ移動、いつもながら宣伝カーでの高速移動は、サウナとは言わないけれど、なかなかですねえ。

 安曇野市で4回の街頭宣伝をした後、夜の大町市での演説会に向かいました。

 大町の演説会は130人の参加、かつてない盛り上がりです。弁士は私と石坂県議。激励の応援弁士をしてくださった、生活の実態と党への期待を、ゆっくりテンポでかみ締めるように力強く訴えた地元の方のお話に胸が打たれました。

 演説会を終えて帰るみんさんの明るい笑顔にも、大いに励まされました。

 「私はしっかり頑張ります。体に気をつけて」
 「よかった、元気が出ました。応援します」と、初めて参加したとの方。

 頑張らなくっちゃ! 演説会成功に向けての、支部・後援会のむ皆さんの努力に感謝です。

 
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石井郁子副委員長を向かえ、伊那市、飯田市で演説会

2007年06月16日 22時26分10秒 | 活動日誌
(玉ねぎ 駒ヶ根の党事務所の脇の畑に青々と育っていました。この生命力、どうしても描きたくて、宣伝カー出発前10分で) 

 午前中は伊那市に入り活動、本日の演説会お誘いのため、ハンドマイクで団地に入りました。
 今日は2箇所で演説会、午後3時半から伊那市で、終了後5時半に伊那市を出発して、7時からの飯田市での演説会に移動しました。

 どちらも石井郁子衆議院議員党副委員長と井上さとし参議院議員とご一緒でした。2会場とも、500人前後の参加者で盛り上がりました。

 公務員法案、政治資金規正法案など重要な法案の審議と、年金問題、自衛隊問題などで激動している国会からのお話ですから、国会議員2人の演説は迫力いっぱいでした。 

 「暮らしと平和」を守ることを基本にすえて、石井さんは消えた年金問題の本質を解明「国は責任を」と党の立場、そして「靖国派」は何を考えているかを具体的に話しました。
 井上さんは自衛隊の国民監視が山田洋次監督にまで及んでいること、「それをやっちゃあ、おしめえよ」とジョークをまじえながら、告発した自衛官の勇気と党への信頼に応えて頑張る決意、暗黒時代の再来は許さないとの力強いお話でした。
 
 私も「子どもを守るために開拓精神で2人区で勝ち抜きたい」とお話しました。


(飯田市会場で)

 どちらの会場でも「そのとおり!!」「そうだ!」との野次、時々おきな拍手、「やっぱり共産党でなくっちゃ!」の雰囲気で満ちていました。

 伊那市では2人区の超激戦を勝ち抜いた県会議員の小林伸陽さんもご挨拶、「長野県は、2人区で3人の県議が勝ち抜いた。国政でも勝つ選挙に挑戦しよう」と元気のでるご挨拶でした。私、頑張るぞ!! 希望は作り出すものだからね!!

 演説会終了後、出口でみなさんにお礼のご挨拶と握手、どの方もどの方も、とっても明るく笑顔で「頑張ろうね!」「体に気をつけてね」「よかったよ」と、エールを送ってくれました。

 心も、天気も、暑くて熱い一日でした。

今晩は、飯田市で宿泊です。明日は、長野最南端の売木村へ、安曇野へ移動し、最後は大町で演説会です。

 

 

 
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朝陽地区集会がありました

2007年06月15日 22時56分19秒 | 活動日誌
 (今がシーズンのハチクダケ  あくがないからすぐつかえて便利、いただきもの、おいしかった)

 朝、県委員会に向かう途中、中央病院近くの大きな較差点の少しまえから、スピーカーの音が聞こえてくる。はて、どこかの政党がやっているのかな・・・あれ、のぼりの字が見えてきた・・「中」だ。
 近づいたら「中野さなえ」の旗、夫と病院の後援会の人が街頭から訴えていました。

 あ、そういえば、夫は私より早く家を出て行ったっけ、このためだったのか。勤務前の一仕事ですね。「プップー」と鳴らして通り過ぎました。

 夜、朝陽地区の集会でした。簡単な市政、県政の報告の後、私から「確かな野党、共産党を語る」と言うことで、参議院選挙の政策と決意を述べさせていただきました。
 
 政治資金規制法案が衆議院を通過しました。
 
 自民も、民主も、事務所費の問題にふたをするつもりか。大体、領収書必要の金額が自民5万、民主1万、資金管理団体の規制でも若干の違いがあっても、両党とも、「企業献金はもらう」ことを前提の話だから、根本がだめ。
 小手先の違いを取り上げて、いかにも自民・民主が争ったようにえがくマスコミはいかがなものか。

 やっぱり共産党でなくっちゃ、とお話しました。

 9月の長野市議選でこの地域が地盤の佐藤久美子さんもご挨拶しました。佐藤さんは地元豊野町の学童保育所の実態を話しました。
 
 狭いへやに50人以上もひしめき合って、お弁当の日は、寒くても小雨が降っても、外で食べなければならない子がいること、机はまったく間に合わず、床にはいつくばって勉強していると報告。
 それでも、長野市長鷲沢さんは「学童にはお金は出しません」ときっぱりです。「浅川ダムは作りたいけど」と言うことです。

 県も市も頑張らなくっちゃ、そして大本の国を変えなければ。市、県、国政、いずこも確かな野党は共産党だけと訴えた集会になりました。

 会場の後ろの壁には、私のスケッチの一部、40~50枚あったのかな、一面に展示されていました。「中野さなえの作品展」。
 後援会事務局長のAさんが中心になってセットしてくれたものです。手間がかかっただろうに、ありがとうございます。面はゆかったけど、うれしかったですね。ストレス解消の15分のスケッチも、いつの間にか、スケッチブックは20冊を越えていました。

 明日は、伊那、飯田の2箇所で演説会、井上さとし参議院議員、石井郁子党副委員長がやってきます。私も、ご挨拶します。そして、明日は飯田市で泊まりです。

 
 
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伊那市・駒ヶ根市・飯島町

2007年06月14日 20時40分07秒 | 活動日誌
 
 伊那市のホテルを7時15分出発、7時からの朝食を流し込むようにして食べて朝だちに向かいました。

 交通量の多い交差点に「中野さなえ」の旗が10本も並びました。これだけの旗を立てて宣伝していただくのは初めてのことで、気恥ずかしいくらいでしたね。

 「さあさあ、皆さん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。今日の目玉商品、中野さなえとはこの私・・」と手をたたいてみたりして!

 さすがに目を引きました。たくさんの方が手を振ってくださいました。赤信号のとき、窓が開いている車に向かって「おはようございまーす!」と声をかけると、こちらを向いて会釈してくださったときのうれしかったこと。
 
 通行人のおじさんは「共産党、頑張れ。でも、具体的に頑張れ。オリンピック帳簿問題は、どうした。共産党も投げるのか、命がけでやれ!」と励まされたり、しかられたり・・・説明する暇はなかったので、「はい!」とだけ応えましたが「選挙前の最後の県議会でも、林奉文さんが徹底的に質問したんですよ」と言いたいところだったが、残念。

 女性の方は「名前は知ってました。頑張って下さい」とうれしい握手。若い男性もニコニコして握手してくれました。


(コバンソウ  水をあげれば小判がなるなら楽なんだけど・・・・)

 楽しい朝宣伝の後は、駒ヶ根と飯島町で16日の演説会のお誘いも兼ねて、ご挨拶訪問活動をしました。

 自民党員だったけれど県議選のとき共産党に支持を変え、林奉文さんを応援してくださったとのおじさんは、戦争のとき満州にいたこと、ソ連との国境近くにいて、危うくのところ助かった話をしてくださいました。「悪いこともした」とのつぶやきとしばしの沈黙、それ以上はお聞きしてはいけないと胸に収めましたが、「共産党、応援してるよ」との一言、うれしかったです。

 飯島診療所にお寄りして、デイケアの利用者さんにもご挨拶させていただきました。

 「税金の年金からの天引き、やめてもらいたい。取る前に、何に使っているのか、はっきりさせてもらいたい」と怒り収まらない方。
 怒りは当たり前、法律で脅す「かつ上げ」だとさえ思います。

 「私の弟はインパール作戦で死んだんです」と言うなり涙を浮かべるおばあちゃん。
 「私らにはなんにもできない。よろしくお願いします」

 「しっかり頑張らなくっちゃ」とお話を胸に刻み込みました。

 靖国派が「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」を13日に設立したとのニュース、どこまで狂っているんだろう。写真は事実をそのまま物語っています。

 私は2年前、中国東北部地方の抗日記念館を何箇所も見学しました。むごい写真の数かずに目を覆いたくなりました。
 しかし、パンフレットには、日本軍が行なった侵略の蛮行の事実を学ぶことは「日本と未来永劫に仲良くしてゆくため」との平和への強いメッセージがありました。
 「九条の存在が憎しみを乗り越えてくれた」との感動でした。

 この政治を許しておくことは、日本人の恥。アジアの人々に申し訳が立たない。

 「国会議員の会」は自民党、国民新党、無所属の42人の構成とのこと。
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伊那市で16日の演説会に向けての活動をしました

2007年06月13日 19時58分25秒 | 活動日誌
 (ギシギシ  子どもの頃、しごいてままごとのご飯にして遊びました)

 伊那市へ入りました。16日には、石井郁子党副委員長と井上さとし参議院議員を迎えての演説会が、伊那市で開かれます。
 今日は、演説会の成功をめざし、伊那市で街頭からの訴え、訪問活動をした一日でした。

 各支部の皆さんが、交代で一緒にまわってくださいました。

 老険施設「はびろの里」、宅老所「おらほ」の訪問、また、伊那養護学校をお尋ねし、短時間でしたが校長先生と懇談してきました。
 校長先生は「特別支援教育で枠が広がったのはいいが、予算が問題。寄宿も希望者を全員受け入れるには人員が不足で苦労しています」と、切実なご要望でした。

 「戦争だけはいかん。安部首相は何するか分からん。黙ってたらだめだ。自衛隊のやってることは、戦争のときとおんなじだ」
 「安倍さんは首相として失格だに。今、それを話していたところ、頑張ってね」と、お店の中で演説を聞いてくださったお客さん。
 
 「年金問題、腹が立つ。腹が立って、腹がたって、たまらん」

 「年金、ないのよ」と涙を流される方も。

 どこでも、いらだたしい思いをどこへぶつけたらいいのか!と怒りで一杯でした。

 「税金?天引きだから気にしとらん。えー、2倍?うそだろ。ほんとかよ」
「消費税はとらんと仕方ないさ。どこからお金持ってくるかね・・・えーー大金持ちにはそんなに税金負けとるの!!」
 「お前、知らんの?今問題になってるに」
 
 道路で作業していたおじさんに声をかけたら、政治談議になりました。

 「演説会、行きますよ」「家族全員でいくつもり」など、うれしいお返事もいただけた行動でした。

 夕飯は、地区委員長のはからいで、伊那名物の「ローメン」をいただきました。羊の肉で蒸しそばをいためたものです。お店によって、ぜんぜん味が違うそうで、今日はあっさり系でおいしくいただきました。
 
 地区委員長いわく「ご飯と言うより、これをつまみに一杯やるのが、労働者の楽しみだったんだ」そうです。庶民の味。
 
 伊那出身のかたは、時々、無性にローメンがほしくなるのですって。私が、「ホヤ」を食べたくなるのと一緒かな。
 
 今晩は伊那市のホテルに宿泊、明日は伊那市で朝立をして、駒ヶ根にも行く予定です。
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長野駅朝だち・「戦争はいやだ 平和を守ろう」

2007年06月12日 20時45分25秒 | 活動日誌
(エビネ   白馬でいただいてきたエビネです。目立たず上品でいい花です。) 

 火曜日は定例の長野駅での朝宣伝、余裕をもって6時50分に自宅出発。

 通行人に握手を求めると「暮らしが大変で・・・お願いします」と真剣なまなざし、「期待してるよ」「私は旅行者だが、比例は共産党に入れるから」など、うれしい言葉も返ってきました。

 朝立ち後、急いで家に戻ってデスクワークをはじめました。今日は学習日、新聞を切り抜いてスクラップしたり、資料の整理、そして今日の一番の仕事は、政見放送の原稿を練ることでした。

 日程を見るとゆとりがないので、時間のあるとき早めに準備をしたほうがよさそうと。政見放送は5分30秒内と決まっています。
 
 宅急便を受け取る都合で、午前中は家でやっていましたが、午後は事務所に出かけました。
 政治は生き物と言えども、松岡大臣の死、消えた年金、自衛隊の監視と、こう次々と大問題がおきるのだから、今日書いた原稿では収まらないでしょうが・・?

 昨日の日誌に書きそびれたのですが、諏訪の「戦争はいやだ 平和を守ろう会」の代表である飯田悦司さんをお訪ねしたとき、一冊の本をいただきました。
 「戦争はいやだ 平和を守ろう会」で、先月出版したばかりの「不戦を誓う九十九人の手記」です。



 諏訪、岡谷、下諏訪、茅野、富士見と、諏訪地域の方がペンを取っています。表紙の絵は、南相木村はずれなのでは、と思いました。夫を戦地に送り出した場所、今は「不戦の像」が建っているその場所です。

 飯田さんは、「戦争はいやだ、の一言でみんな気持ちがひとつになれます」とこの本をプレゼントしてくださいました。

 読み始めましたが、大変な貴重な内容です。「美しい国」がどんな国であるか、庶民の言葉で書きつづられています。それも遠くの人ではなく、私のそばで息づいている長野の人の記録です。

 飯田さんの短歌を紹介して、読書に戻ることにします。明日は、また泊まりで伊那地区に入ります。明朝は7時半の出発です。

      
       戦争を語れる人らみな老いぬ
         いま筆とりて書きのこさばや
 
 
 
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諏訪・岡谷・茅野各市、下諏訪町へ

2007年06月11日 22時26分50秒 | 活動日誌
   (諏訪共立病院で「中野さなえを囲む会」 現場の話が聞けました) 

 諏訪のホテル発7時20分。7時半から市会議員団と上諏訪駅で朝立。

 8時、岡谷に向かう。毛利議員と合流して3回の街頭からの訴え、そのうちの1回はSさんのパーキングをお借りしました。Sさんは、前はしっかり自民党支持だった方ですが、自民党に愛想をつかして、また頑張る毛利議員の大ファンになって、今では熱烈、強烈な共産党の応援団です。私も大いに励ましていただきました。 

 再び諏訪市へ移動して、諏訪商工会議所の専務理事堀内さんと懇談、JA信州諏訪を訪問して組合長さんはじめ役員の皆さんにご挨拶、職員の皆さんにもご挨拶させていただきました。
 商工会議所の堀内さんは、今年はドラマ「風林火山」の影響で観光客が多いが、町の発展のためには発想を変えて取り組むことが必要と、ご苦労されている話をしてくださいました。

 昼食後、茅野市へ移動して議員と街頭演説3回、そのあと下諏訪町へ移動して2回の街頭宣伝をしました。
お買い物途中の方が、何人か足を止めてしっかり聞いてくださって「地球温暖化も頼みます」「年金、たのむよ」

 下諏訪では、毛利県議と、やはり大変な激戦だった町議選で3議席得た議員団の金井さん、藤森さんと一緒でした。町の人は暖かかったです。
 
 スーパーの前では、高校生がじっと聞いていました。「九条」の話が印象的だったのか、挨拶に行ったら、私の胸の九条バッチを指差して「これは九条ですね」と興味を持っていました。
 「九条がなくなったら、あなたたちも戦争へ送られないとも限らない。なくさないように頑張るね」「戦争はいやだ」と真剣にうなずいていました。


(高校生とお話)

 夜は諏訪共立病院で、後援会の「中野さなえを囲む会」でした。のべ30人の職員の参加でした。毛利県議、上田地区副委員長と参加。
 
 病院主催の平和学習で頑張っている青年から、九条署名活動で聞いた戦争経験者の話の感想や、新しく設置した窓口相談を担当している社保委員から、後期高齢社の医療制度のことがまったく知られていない状況、また労働組合担当者からは、医師不足、看護婦不足の問題、今までの冬のボーナス分が一年分のボーナスになっているとの切ない話も出されました。

 私も民医連の出身、夫も、娘も2人が民医連病院に勤めていますから、医療現場の状況はよくよくわかります。もうけのためには命もなんとも思わない、冷酷な医療攻撃を許すわけにはいきません。

 深刻な医師不足を「地域別・診療科物の偏在」と言って認めようとしない厚労省、医学部の定員増を認めたものの、前倒しにしか過ぎないことを伝えたら、参加者の皆さんは声を出して驚いていました。

 いやあ、結構ハードな日程だった! でも、諏訪湖畔の並木道を行ったり来たりして、「由布姫」を思いながらなかなかのドライブでしたよ。
 上田地区副院長、アナウンサーで地区の吉沢さんが終日同行してくれました。
 
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