中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

伊那市・駒ヶ根市・飯島町

2007年06月14日 20時40分07秒 | 活動日誌
 
 伊那市のホテルを7時15分出発、7時からの朝食を流し込むようにして食べて朝だちに向かいました。

 交通量の多い交差点に「中野さなえ」の旗が10本も並びました。これだけの旗を立てて宣伝していただくのは初めてのことで、気恥ずかしいくらいでしたね。

 「さあさあ、皆さん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。今日の目玉商品、中野さなえとはこの私・・」と手をたたいてみたりして!

 さすがに目を引きました。たくさんの方が手を振ってくださいました。赤信号のとき、窓が開いている車に向かって「おはようございまーす!」と声をかけると、こちらを向いて会釈してくださったときのうれしかったこと。
 
 通行人のおじさんは「共産党、頑張れ。でも、具体的に頑張れ。オリンピック帳簿問題は、どうした。共産党も投げるのか、命がけでやれ!」と励まされたり、しかられたり・・・説明する暇はなかったので、「はい!」とだけ応えましたが「選挙前の最後の県議会でも、林奉文さんが徹底的に質問したんですよ」と言いたいところだったが、残念。

 女性の方は「名前は知ってました。頑張って下さい」とうれしい握手。若い男性もニコニコして握手してくれました。


(コバンソウ  水をあげれば小判がなるなら楽なんだけど・・・・)

 楽しい朝宣伝の後は、駒ヶ根と飯島町で16日の演説会のお誘いも兼ねて、ご挨拶訪問活動をしました。

 自民党員だったけれど県議選のとき共産党に支持を変え、林奉文さんを応援してくださったとのおじさんは、戦争のとき満州にいたこと、ソ連との国境近くにいて、危うくのところ助かった話をしてくださいました。「悪いこともした」とのつぶやきとしばしの沈黙、それ以上はお聞きしてはいけないと胸に収めましたが、「共産党、応援してるよ」との一言、うれしかったです。

 飯島診療所にお寄りして、デイケアの利用者さんにもご挨拶させていただきました。

 「税金の年金からの天引き、やめてもらいたい。取る前に、何に使っているのか、はっきりさせてもらいたい」と怒り収まらない方。
 怒りは当たり前、法律で脅す「かつ上げ」だとさえ思います。

 「私の弟はインパール作戦で死んだんです」と言うなり涙を浮かべるおばあちゃん。
 「私らにはなんにもできない。よろしくお願いします」

 「しっかり頑張らなくっちゃ」とお話を胸に刻み込みました。

 靖国派が「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」を13日に設立したとのニュース、どこまで狂っているんだろう。写真は事実をそのまま物語っています。

 私は2年前、中国東北部地方の抗日記念館を何箇所も見学しました。むごい写真の数かずに目を覆いたくなりました。
 しかし、パンフレットには、日本軍が行なった侵略の蛮行の事実を学ぶことは「日本と未来永劫に仲良くしてゆくため」との平和への強いメッセージがありました。
 「九条の存在が憎しみを乗り越えてくれた」との感動でした。

 この政治を許しておくことは、日本人の恥。アジアの人々に申し訳が立たない。

 「国会議員の会」は自民党、国民新党、無所属の42人の構成とのこと。
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