あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新緑の石神井公園と牧野記念庭園へ(東京)

2013-04-11 21:21:27 | ウオーキング
 2013年4月10日(水)

 所沢市にある山里探訪会主催、「第7回とことこ漫歩」と呼ぶウオーキングに参加した。

 集合は西武池袋線の石神井公園(しゃくじいこうえん)駅。所沢市内のメンバーを中心
に50人前後集まり、10時5分に駅南口をスタートした。

 まずは駅前に立つ「石神井火車站之碑(かしゃたんのひ)」を見る。大正4(1915)
年に開通した武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)の石神井駅の開設を記念して、同9年に地元
の土地提供者が設立したもの。

 火車站とは中国語で汽車の駅のこと。近くの石神井城、三宝寺池、長命寺などの歴史や
見どころを漢文・漢詩で刻んでいる。


 南東に進んで南田中団地の和田堀公園で、飯野代表の挨拶と今日の案内役のMさんから
コース説明があり、石神井川の山下橋まで行く。下流の両岸はソメイヨシノ並木が続くが、
すでに葉桜となり、近くの八重桜が見頃になっていた。


 少し戻り、和田堀緑道を西に向かう。緑道は、この先の石神井池からの流れを暗渠(あ
んきよ)にした上に設けられたもの。

 石神井池の東北端、ボート乗り場のそばにゆくと、流れが暗渠に落ちていた。

 石神井池の北側を、さらに先に向かう。

 池の北側斜面には広い敷地の民家が続き、八重桜が花開く家、りっぱな松を植え込んだ
家、ハナミズキの咲き出した洋風の家などが続き、池周辺の新緑によく溶け込んでいる。





 東西に長い池の半分以上を進み、中の島の橋を渡って南側緑陰の遊歩道に回る。


 大きく伸びたラクウショウの並ぶ辺りから南側の大地に上がり、練馬区立石神井公園ふ
るさと文化館に入った。


 2010年3月に開館した新しい施設で、館内では練馬区の歴史や伝統文化、自然など
についての展示の観覧や体験が出来、観光情報も発信している。

 常設展示室では、土器などの出土品、練馬大根の資料、石神井川沿いにあった水車の展
示などが目をひいた。


 池畔に戻って石神井池の西端から都道444号・井草通りを横切り、西に続く三宝寺池
(さんぽうじいけ)側に行く。

 三宝寺池は、井の頭池、善福寺池と並び、かつては武蔵野三大湧水と呼ばれたが、周辺
の市街化で湧水が枯渇し、現在はポンプで地下水を汲み上げているという。浮島の中の島
の「三宝寺沼沢植物群落」は国の天然記念物である。


 ヤマブキの群落の横を進んで南側の台地に上がり、武蔵野三十三観音第二番札所の道場
寺(どうじょうじ)に入る。

 応安5(1372)年、石神井城主豊島景村の養子輝時の開基で、豊島氏代々の菩提寺。
武蔵野三十三観音霊場第二番札所である。 


 道路際に「ねりまの名木」になっている高さ25mのクロマツがあり、山門を入るとモ
ミジやケヤキなどの新緑がみずみずしい。


 正面に唐招提寺の金堂を小さくしたような本堂が立ち、左手には三重塔、右に鐘楼と、
いずれも堂々たる建物。西南の角には、享保6(1721)年造立の地蔵尊が立っていた。


 西側に隣接する三宝寺も、緑が豊富で境内も広い。三宝寺は、応永元(1394)年の
創建時は東方約500mにあったが、石神井城落城後に太田道灌が豊島氏の菩提を弔らう
ために、城内だったこの地に移されたという。


 徳川家光が鷹狩りの際に休息したという御成門を入ると、正面の本堂をはじめ、奥の院
の大師堂、千体地蔵を祭る大黒堂、鐘楼堂、根本大塔、平和大観音、宝篋印塔などが立ち
並ぶ。





 本堂西側一帯には四国八十八ヶ所お砂踏霊場も設けられ↑、「ねりまの名木」のサルス
ベリや、花開くシダレザクラ、色鮮やかなモミジの若葉などが眼に入る。


 境内を一巡して、勝海舟家の屋敷門を移設したという長屋門から出た。


 更に西進して長い参道を北に入り、石神井氷川神社へ。応永年間(1394~1428)
に石神井城主豊島氏が、城の守護神として武蔵一宮の大宮氷川神社を分祀したもの。落城
後も村民が崇拝し石神井郷の総鎮守となっている。

 拝殿前の石灯籠のひとつは、元禄12(1699)年に、豊島泰盈(やすみつ)(豊島
氏の末裔)が奉納したものだという。

 北側の三宝寺池畔に下ると、池の西南端近くの弁天島に厳島神社が祭られている。もと
は三宝寺のものだったが、明治の神仏分離令により神社になり、三宝寺池を水源とする石
神井川の恩恵を受けた流域40余村の農民が崇敬したという。



 そばの浮見堂からは池の西部が一望でき、傍らのヤマツツジが見頃になっていた。


 池畔を中の島の先まで進んで、再び南側斜面に上がる。このあたりは東京都史跡の石神
井城跡。石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川流域を中心に平安末期から室町中期ま
で勢力を持っていた豊島氏の居城だった。

 東西、南北とも約350mの主(しゅかく)と外郭からなり、比較的単純な中世城郭と
のこと。主郭や土塁築土から12世紀~16世紀前半の陶磁器が出土しているという。

 池畔に戻って橋を渡り、北側の売店横の広場周辺で1時間余りの昼食時間となる。


 食後の時間があったので、沼沢植物群の中で開花していたミツガシワ↑や、中の島の木
々、対岸の厳島神社、近くの水辺観察園などを回って眺めた。




 13時半に集合して、午後のコースに向かう。三宝寺池の北側遊歩道を北西端まで進み、
北側斜面に上がって姫塚に回る。

 姫塚は、文明9(1477)年に石神井城が落城したとき、城主豊島泰経の後を追って
二女輝姫が三宝寺池に入水したという伝説があり、その供養のために築いたといわれてい
るという。

 三宝寺池を離れ、北側で造園工事中の旧日本銀行グランドの敷地に沿って進む。構内に、
夏の高温が度々報道されていた練馬のアメダス観測基地を江古田から移設した、新しい観
測施設が出来ていた。この夏の練馬の気温は、どう観測されるだろうか…。


 都道8号・富士街道を横断して、パークサイド石神井と呼ぶ中層住宅地を抜け、東京学
芸大学付属大泉小学校などの校門前を回る。南北に走る上石神井通りを横断して、練馬区
立牧野記念庭園に入った。


 わが国の世界的な植物学者・牧野富太郎博士が大正15(1926)年から昭和32年
(1957)に逝去されるまで、30年間居宅だった跡地。植物の研究に没頭され、博士
がこよなく愛した地を広く開放して博士の偉業を末永く伝えるために、昭和33年に開園
したもの。

 面積は約2,222㎡あり、300種以上の草木類が植栽されているという。まず園内を、
花と緑の相談員のUさんから案内して頂く。南西端付近には、夫人の名を命名したスエコ
ザサに囲まれた博士の胸像がある。


 牧野博士が命名した植物は1500種以上あり、ケヤキ、キンモクセイ、ヤマザクラ、
センリョウなどがその一部とか。園内には、ホウチャクソウ、ニリンソウ、シロヤマブキ、
ドウダンツツジ、ヤマブキソウなどが花を見せていた。


 園内を一巡後、学芸員の方から常設展示室と企画展示室、書屋展示室も案内して頂く。


 常設展示室には、博士が研究に用いた道具や日用品、執筆原稿、植物関係の書物や採集
した植物標本などが展示されていた。

 企画展示室では「牧野富太郎の植物標本」と題する資料展を開催中で、採集した植物標
本約30点などを観覧し、最後に、牧野博士が研究、執筆に使用した書斎と書庫を外から
見せてもらった。


 これで今日のコースは終わり、園内で飯野代表の挨拶や今後の催しの周知などがある。
ゴールの西武池袋線大泉学園駅には、15時30分に着いた。

 ちなみに私は、ン10年前の最初の職場が石神井公園駅から近いところで、5年3か月
ほど勤務したのだが、駅前の石神井火車站之碑のことは当時の記憶には無く、牧野記念庭
園も今回初めて訪れた。今日のコースは、東京二十三区内とは思えぬ緑豊富な場所ばかり
だった。

(天気 晴後曇、距離 6.5㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
 14,900)




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