あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

秩父市郊外の江戸巡礼古道をたどる(埼玉)

2013-04-01 18:15:58 | ウオーキング
 2013年3月30日(土)

  一日中曇りかちで気温も低い予報だったが、月末で切れる西武鉄道のフリーカードを
使い、秩父市郊外の江戸巡礼古道をたどるウオーキングに行く。コースは、日本ウオーキ
ング協会設定の「美しい日本の歩きたくなるみち500選」の一つである。

 小雨模様なので傘を差し、秩父鉄道の大野原(おおのはら)駅を10時9分にスタート
した。駅前の通りを西へ、斉戸橋の先で右折して間もなく、大畑町の宗福寺に入る。

 石や灯ろう、植え込みを配した庭は趣があり、大きな下駄が2足、石灯ろうの前に並ぶ。


 カエルの石像が幾つも置かれていて、小さいお堂に「かえる寺」の提灯が下がる。シダ
レザクラが開花していた。

 細い旧道を南西に抜け、秩父観音霊場第19番札所の龍石寺(りゆうせきじ)に行く。
観音堂は大きな一枚岩の岩盤上に建てられている。

 かなり開花したソメイヨシノのほかに、境内には植栽はほとんどない。

 荒川右岸に下り、国道299号の秩父橋のすぐ下流にある、歩行者と自転車専用の旧秩
父橋を渡る。


 昭和6(1931)年の竣工、埼玉県内では初期の大型コンクリート製三連アーチ橋で、
県指定有形文化財になっている。


 橋を渡って階段を下り、橋をくぐって国道の北側へ。国道の少し先から左手の斜面を上
がり、国道際の旧道を進むと、開放的な境内の光正寺があった。

 寺の縁起に「境内に残る青石塔婆(あおいしとうば)は鎌倉後期の延慶3(1310)
年に建てられたもの」と記されていたが、青石塔婆が見つからない。探すのはあきらめ、
近くの秩父札所20番の駐車場のところまで進んだら右への表示があり、民家の間の細道
の奥に立っていた


 秩父札所20番の岩之上堂(いわのうえどう)は、荒川左岸の崖(がけ)上にある。


 方形造りのお堂は、江戸初期に造られたものとか。色彩の残る精巧な木彫や、たくさん
の三社札(さんじゃふだ)などにその歴史が感じられる。


 境内には樹木が多く、ハナモノ、シダレザクラ、コブシ、ヤマブキ、ショカッサイなど
が、色とりどりに花を競って咲いていた。


 荒川左岸段丘上の道を進む。雨で湿った展望の中に、モモや梅が彩りを添える。



 畑のナズナは、水滴をいっぱい付けて立つ。養蚕農家だったらしい、間口の広い民家が
残っていた。

 県道72号に出てすぐ先が、21番札所の観音寺(かんのんじ)。


 道路際に宝暦14(1764)年建立の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立ち、その
前にお地蔵さんが並んでいる。


 県道の南側路傍には、この地の地芝居の役者の座頭、中村十九(とも)十郎の墓が立っ
ていた。

 県道を700m足らずでJAの秩父農産物直売所があり、地元産の野菜や果物、漬物、
農産物の加工品、鉢花などが並んでいた。


 小さいお堂の前のソメイヨシノが見頃の、大日堂前を通過し、斜張橋の秩父公園橋が近
くに見える上寺尾の三差路へ。「二十二番入口」と刻まれた大きな地蔵尊が立っている。



 その前を進み、重厚なかやぶき屋根の山門をくぐると、22番札所の栄福寺。童子堂と
呼ぶ観音堂は、淳和天皇の弟の菩提のために、遍昭僧正が草創したものとか。


 山門の仁王は「童子仁王」と呼び、童子の名にふさわしい愛嬌ある顔だ。


 正午を過ぎ、雨も上がったので、本堂背後の太い丸太を借りて腰を下ろし、昼食をする。


 寺を出てすぐ、巡礼道の標識に従い、草の道を斜めに進んで県道を横断し、家並みの終
わりから小鹿坂(おがさか)巡礼道に入る。


 杉木立の間の山道を上がり、一軒だけの民家のところから少し下って、23番音楽寺
(おんがくじ)の前に出た。


 音楽寺は標高340m前後、小鹿坂峠の直下にあり、眼下に秩父盆地の展望が広がる。


 本堂の上部にあるどっしりした観音堂は、江戸中期の造りという。


 明治17(1884)年の秩父事件の際、総理・田代栄助以下の群衆は、この観音堂前
の鐘を鳴らして秩父町に崩れこんだという。

 寺の名にちなんでヒット曲にあやかろうと、演歌歌手の訪れも多いようで、お堂には何
人ものポスターが貼られていた。


 小鹿坂峠の稜線まで上がると、秩父市街を見下ろす13体のお地蔵さんが並ぶ。そばの
ソメイヨシノは、まだ開花し始めだった。


 南側の秩父ミューズパークの駐車場に出て、まだ咲き残る梅園の梅の横を少し下る。梅
園の駐車場内にある標識に従い、再び巡礼古道の山道に入った。


 芽吹き前の広葉樹林帯の中を下って行くと、アーチ状の砂防ダムの左岸に出た。ダムの
上部の斜面にハクモクレンが咲き競う。


 ダムの下に回り、ところどころの木に付けられた巡礼古道の標識に従い、さらに下る。

 車道に出てY字路を右へ、少し上がったところに、宝暦13(1763)年造立の、大
きな「弁財天」碑が立っていた。再び林間の巡礼古道に入る。


 一時、林が途切れ、南側の市街地の家並みなどが望まれる。谷間まで下って小さい流れ
を渡り、昭和初期までの生活道路だったという念仏坂を上がり、別所集落へ。


 県道73号の西側、集落内の旧道を進んで、24番札所の宝泉寺に裏手から入った。こ
れまでの札所と同様の、方形造りの観音堂は江戸中期の造立という。


 本尊は、室町時代作の聖観世音座像。武州恋ヶ窪の慈悲深い遊女がこの観音を信じて修
行し、毎朝怠らず食を供したとの縁起があり、お堂にその絵の額がある。


 近くに、クロモジが花を見せていた。

 急石段を下った県道際に、「幸庵」という休み処があった。顔を合わせた奥さんから声
をかけられ、お茶と菓子をお接待いただいた。

 県道の少し先から大久保への旧道へ。民家が途切れる辺りからは武甲山が望まれるが、
まだ上部は雲に隠されている。


 谷間を進んで大きな工場の下を回り、車道をくぐると、秩父の銘酒、秩父錦の「酒造り
の森」の看板があり、酒蔵資料館と物産館の建物があった。

 酒蔵資料館では、寛永2(1749)年から始めた酒造りの諸道具や記録などを展示し
ているというが、予定より時間も経過しているので入館は省き、秩父錦やワインなどを試
飲、販売している物産館を少しだけのぞいて出た。


 大久保の集落を少し下ったところに宝林禅院があり、本堂のほかに、比較的新しい秩父
十三仏霊場の普賢堂が出来ていた。


 県道73号に合し、荒川の左岸段丘上を進む。交通量が多いが歩道がなく、段丘から離
れて折(おり)集落に入ったら新しい歩道が出来ていた。折区公会堂の先を右に入る。

 久那小の横を通過して、今日最後の札所、25番久昌寺(きゆうしようじ)の山門をく
ぐる。門前のソメイヨシノが見頃になっている。


 東側の池の堤防から、シダレザクラの咲き出した寺を眺めながら境内に入る。


 境内には、白梅やヤマブキ、水仙なども咲いていた。


 久那小の南から浦山口駅に向かう。正面に浦山ダムの堰堤(えんてい)が望まれるが、
堤の上部は雲に隠れている。


 八幡神社の先から、見ごろに近いソメイヨシの並木が続く。



 荒川の久那橋と浦山川の常盤橋を渡り、不動堂の傍らから湧き出る名水、不動名水での
どを潤す。そばの温度計は7度だった。




 古木のソメイヨシノの花に覆われた、秩父鉄道の浦山口駅に16時43分に着いた。


(天気 雨後曇、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 秩父市、歩数 
 26,800、累積標高差 上り約500m、下り約470m)




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コメント (2)
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