あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

水城公園、さきたま古墳公園やさきたま緑道を巡る(埼玉)

2013-04-20 22:03:14 | カントリーウオーク
 2013年4月14日(日)

 風雨で荒れるとの予報で1週間延ばした、カントリーウオークグループの第202回例
会は好天となった。集合は秩父鉄道の行田市(ぎょうだし)駅。4組に分かれて10時
10分に出発した。

 == 水城公園からさきたま古墳公園へ ==

 駅前から西に少しで蓮花寺へ。モミジの新緑が淡い彩りを見せ、ツツジも見頃である。




 参道を南に出た通りに、全盛期の足袋専門倉庫だった「時田足袋蔵」と呼ぶ昭和初期に
造られた土蔵造りの古い建物が残っていた。


 近くの旧小川忠治郎商店の店舗と主屋(おもや)は国登録有形文化財。昭和4(1929)
年頃の完成で、行田の足袋産業興隆期を象徴する近代化遺産だという。


 店舗には「そば処忠治郎蔵」の看板がある。のぞいたら、「中に入って見て下さい」と
言われたので入る。

 しっかりした造りの落ち着いた建物。2階への階段は垂直に近い急傾斜で暗く、荷物を
持っては上がれそうにない。入口際では開店前のそば造りをしていた。


 その先の建物には「藍染体験工房牧禎舎」の旗が立っていた。中では、NPOぎょうだ
足袋蔵ネットワークの方の指導で、観光に来たらしい3人の女性が布を浸した藍瓶に手を
入れ、藍染めを体験していた。


 藍染めの原料は徳島県から取り寄せているという。そういえば四国遍路の時に、戦時中
禁止されていた藍の栽培を密かに続けて伝統を守った、岩田さんの建物の前を通ったこと
を思い出す。

 突き当たりのT字路の角に、「時田蔵」と呼ぶ、行田では珍しいという袖蔵(そでぐら)
形式の土蔵が残る。

 「代官所跡」碑の角を回った通りには、大正13(1924)年完成の店蔵や大正11年
棟上の木造洋風工場など、足袋商店だった牧野本店の建物があり、工場部分は週末や休日、
「足袋とくらしの博物館」として公開されるようだ。


 可愛らしい仕草のわらべ人形が並ぶ国道125号を、市役所入口交差点まで進む。


 通りの民家のツツジが満開である。



 公園通りに入り、市役所やSL・C5726号を展示する産業文化会館前を通過し、北端
から水城公園(すいじょうこうえん)に入った。



 芝生広場の隅や日本庭園の池のそばの八重桜が満開で、モミジなどの新緑も気持ちよい。
小休止して水分補給をする。




 しのぶ池に沿って南端まで進んで、公園を出た。


 東方に向かう通りにも、足袋原料倉庫だった建物を再活用した「行田窯」と呼ぶ陶芸工房
がある。県道77号・行田蓮田線を越えて、高現寺に入った。


 忍城(おしじよう)佐間口の守将だった正木丹波守利英公が、天正18(1590)年の
石田三成忍城水攻めの際の彼我の戦没者の霊を弔うために建立した寺で、昨年映画になった
和田竜著「のぼうの城」にも記されているという。

 そばの用水沿いを行田中学校のそばまで進む。


 ナノハナの咲く忍川(おしかわ)を渡ると、田んぼの向こうに埼玉古墳群のひとつ、丸墓
山(まるはかやま)古墳が見えてきた。


 水量豊富で護岸修復中の武蔵水路を渡り、ビール麦の穂の伸びたた田んぼと民家の間を進
む。


 枯れアシの残る旧忍川の歩行者用橋を渡って、さきたま古墳公園に入ると古い石仏が並ん
でいた。


 八重桜の花の下を抜けて丸墓山古墳の北側に回り、メタセコイアの下の芝生の昼食地に、
12時10分に着いた。


 食後、東側に見える芝に覆われた前方後円墳の稲荷山古墳に行き、後円部から前方部へと
墳丘上を通り抜ける。


 古墳の全長は120mで、埼玉(さきたま)古墳群の中で最初の5世紀後半頃に造られた
と考えられるという。1968年の発掘で発掘された鉄剣に115文字の銘文が見出され、
ほかの副葬品とともに国宝に指定されている。


 墳丘上に、石を敷いた船形の埋葬施設が展示されていて、ナノハナと八重桜の咲く丸墓山
古墳など周辺の古墳群も望まれる。




 == さきたま緑道から石田堤へ ==


 ミーティングを終えて13時26分に出発する。丸墓山古墳にも北から上がって周辺の展
望を楽しみ、南に下り記念撮影をする。



 石田三成が忍城を水攻めにした、石田堤の名残の桜並木がそばに少し残っていた。東に
向かい、将軍山古墳↑から二子山古墳のそばを回り、県内から移設した二つの民家の一つ、
幸手市の旧遠藤家を見る。





 そばの「埼玉県名発祥の碑」を確認し、前のテントで販売中の行田の特産品などものぞい
てみる。南端にある奥の山古墳の横から、さきたま古墳公園を出た。

 利根川の水を荒川に導水する武蔵水路に回り、水路の左岸沿いのさきたま緑道を南に向か
う。ソメイヨシノは若葉に変わり、ケヤキやモミジなどとともに、やわらかな彩りを見せる。


 国道17号バイパス下を通過し、東家(あずまや)と埴輪(はにわ)の模造品の並ぶ緑陰
で小休止した。



 堤根集落の南で緑道を離れて西へ、忍川の左岸沿いに、石田三成が忍城を水攻めするため
に築いた石田堤が約250m残っている。


 説明板によれば、全長28㎞に及ぶ堤を1週間で作り上げ、利根川と荒川の水を引き入れ
たが、地形的に城や城下町より下忍(しもおし)方面に水が溜まり、ついには堤が決壊して
水攻めは失敗したという。

 市境の忍川を渡って鴻巣市に入る。忍川と上越新幹線との間に石田堤記念公園が設けられ
ていて、休憩舎に石田堤の説明があった。


 田んぼの間を西に向かい、老人ホームの北側から下忍の住宅地を進み、国道17号を横断
する。


 十二支の干支(えと)の像を小さいアーチにした橋の横から、元荒川右岸堤内の緑道へ。


 ソメイヨシノの並木の下を上流に進む。高砂橋まで行けば駅は近い。JR高崎線の吹上
駅に、16時5分に着いた。


(参加 15人、天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 熊谷、歩行地 行田市、
 鴻巣市、歩数 19,700)




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