あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道の春祭り「徳島・勝浦町のビッグひな祭り」

2012-02-10 18:40:48 | 四国遍路あれこれ
 2012年2月10日(金)

 一昨年、2010年2月下旬、3度目の歩き遍路に出かけたとき、5日目の2月23日
(火)から24日(水)にかけて、19番立江寺(たつえじ)から20番鶴林寺(かくり
んじ)への途中、別格霊場3番の慈眼寺(じげんじ)にも回りました。

 そのときに泊まったのが、徳島県勝浦町坂本の「ふれあいの里さかもと」でした。

 ふれあいの里さかもとのある坂本集落は、20番鶴林寺への登り口である勝浦町の役場
などのあるところからさらに、勝浦川の支流である坂本川沿いを4㎞以上進んだ集落です
が、道路沿いの家や商店などで、たくさんのおひな様が飾られていました。

 今年も、「第24回ビッグひな祭り」という催しが2月19日(日)から3月20日
(火・祝)まで開催されるようなので、同じようなひな飾りを見ることが出来ると思われ
ます。そこで、一昨年のひな飾りの一端を紹介することにしましょう。

 坂本川の下流から進んで集落に入り、最初のひな飾りがあったところ。


 以下、付近の民家に並んでいたものを幾つか。






 民家だけでなく、このような倉庫のような建物にも飾ってありました。


 集落の人が描いたもののようです。




 集落の中ほどから振り返る、下流側の家並み。紅梅が見ごろになっていました。


 ふれあいの里さかもとのすぐ上にあった郵便局にも、このような飾りが。


 宿泊したふれあいの里さかもとは、平成11年(1999)に廃校になった旧坂本小学
校の校舎を活用したもの。

 てきぱきと対応して頂いた若い女性スタッフ、きれいな部屋やジャグジー風呂、地元料
理を盛りつけた夕食など、何か所も泊まった遍路宿の中でもトップクラスでした。

 この建物の背後にある体育館でも、たくさんのひな飾りが並んでいました。






 翌2月24日(水)、別格3番慈眼寺に往復してふれあいの里さかもとに戻る途中にも、
たくさん飾られていましたので、以下はそれらの幾つかを。








 途中からの坂本集落下流側の眺め。




 このような飾り付けも。


 花に囲まれたおひな様






 こんな工夫も。


 今年もこのような飾り付けが見られるものと思います。期間中にこの付近をお遍路され
る方は、お立ち寄りになりご覧になってはいかがでしょうか。

 なお、ひな祭りのメイン会場は、下流の勝浦町生名(いくな)にある人形文化交流館で、
ここには高さ8m、100段もの巨大なピラミッド状のひな壇ができるようです。

 私は、この生名を通過せずに勝浦川の対岸(左岸)の県道212号を通ってきたので、
見る機会を逸しました。

 ちなみに、今年の勝浦町のビッグひな祭りについてはこちらのサイトをご参照下さい。



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四国遍路道にあるマンホールデザイン

2012-02-08 17:45:09 | 四国遍路あれこれ
 2月6日(月)で、当ブログも開設以来まる6年を迎えました。この間、多くの方に
ご覧いただき、本当にありがとうございます。これからも基本的には現在のスタイルを
踏襲して、出来るだけ続けたいと考えておりますので、引き続きご覧下さいますよう、
よろしくお願いいたします

=======================================

 歩いての四国遍路で回る道筋の市町村数は、別格霊場や番外霊場を回るかどうかによ
り変わりますが、およそ、徳島県が14~18、高知県が19~20、愛媛県が11~
12、香川県が9~11くらいかと思われます。

 それら市町村のマンホールデザインは、地元の特産や祭り、古事などにちなむものが
多く、歩きながら目をとめると興味がわきます。

 3度目の遍路で撮ったものは以下の17のマンホールだけでしたが、こういうものに
も興味を持って歩けば、長い足取りの疲れも少しは解消されるのではないでしょうか。

 最初は11番藤井寺に近い徳島県の旧川島町、現在の吉野川市です。吉野川の冠水橋
を渡り、旧川島町を通過します。

 気づきませんでしたが川島城というのがあるのでしょうか…。

 次は徳島県から高知県に入って最初の町、東洋町。室戸岬の24番最御崎寺(ほつみ
さきじ)へ向かう道筋です。

 捕鯨の町として知られていますが、いまはどうなのか?

 27番神峰寺(こうのみねじ)から下って安芸市に入ると、「野良時計」と呼ぶ古い
建物をデザインしたものが。


 距離的には1番長い高知県を通過して愛媛県に入り、最初に目についたのが旧宇和町
のもの、現在は西予市(せいよし)で、43番明石寺(めいせきじ)のあるところ。

 国の重要文化財になっている建物のよう。

 43番明石寺から大洲市、内子町などを通過して44番大宝寺への長い道筋の途中で
泊まった、砥部町(旧広田村)のデザイン。

 遍路地図では55-1図にわずかに記されていますが、旅館の場所は地図の外です。

 いまは松山市に合併した旧北条市のものを2つ。53番円明寺(えんみょうじ)の先
から旧北条市内に入ります。


 似たデザインに子規の句が記されています。

 句は「涼しさや 馬も海向く 夏井坂」

 こちらは松山市のデザイン。松山市内では46番浄瑠璃寺から53番円明寺まで8つ
の霊場を回ります。


 松山市の隣、今治市は村上水軍の船でしょうか。

 今治市内は54番延命寺から59番国分寺まで。

 64番前神寺のある西条市を過ぎて、霊場のない新居浜市を通過します。

 頂いたコメントによると、10月の祭り「太鼓台まつり」の太鼓台の飾りをデザイン
したものとか。

 逆に撮ってしまいましたがいまは、四国中央市となった旧伊予三島市のもの。65番
三角寺の近くです。


 菊の花をあしらったらしい香川県善通寺市のもの。72番曼荼羅寺(まんだらじ)か
ら76番金蔵寺(こんぞうじ)までが善通寺市内になります。 


 丸亀城と特産のうちわをデザインした丸亀市。77番道隆寺(どうりゅうじ)から
78番郷照寺(ごうしょうじ)へ向かう間に通過します。


 日本一の産地である錦松をあしらった高松市のもの。市内では80番国分寺から85
番八栗寺(やくりじ)まで回ります。


 高松市の隣、さぬき市となった旧志度町の祭りのデザイン。86番志度寺や平賀源内
の出身地で知られています。


 さぬき市になってからのもの。旧長尾町はかぐや姫の里とか。


 旧長尾町時代のものも残っていました。

 さぬき市には、87番長尾寺と結願寺である88番大窪寺があります。
 


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LLウオーク 古河~谷中湖~城沼~館林(茨城・埼玉・群馬)

2012-02-05 21:45:16 | ウオーキング
 2012年2月4日(土)

 昨年2月11日(金・祝)の雪の日、やまさんなど8人が歩いたLL(Lake to Lake)
ウオーク、私はカントリーウオークの例会のため参加できなかった行程を、まもなく1年
になる土曜日に歩きに出かけた。

 9時45分にJR宇都宮線古河(こが)駅に下車する。この日は厳しい寒さが緩み、穏
やかな快晴のウオーキング日和になった。


 西口を出て、篆刻(てんこく)美術館↑や古河街角(まちかど)美術館などのある中央
町から錦町を抜けて、渡良瀬川の三国橋を渡る。


 広い河川敷の北に、雪をまとった日光連山が連なり、渡りきったあたりからは西に、霞
んではいるが富士山も望まれる。河原の大きな柳はうっすらと淡い彩りで、春の近いこと
を感じさせてくれる。

 国道354号に沿った川の右岸堤防に入るとすぐ、昭和22年(1947)9月のカス
リーン台風決壊口跡の碑と、そのときの被害の模様の説明板が立っていた。


 渡良瀬川を右に分け、ハート型で知られ谷中湖とも呼ぶ渡良瀬第一貯水池が近づく。振
り返ると、古河の高層ビルの左手に筑波山がくっきりと望まれる。


 谷中湖沿いに流れる川が右カーブするあたりからは、正面に赤城山の山並みがうっすら
と見える。


 昨年末から雨が少ないためか、渡良瀬貯水池機場付近に見える谷中湖湖面の水量は、以
前来たときより少ないように思われた。


 国道に栃木市の標識の立つ付近から堤防を下り、いまは加須市となった旧北川辺町の小
野袋集落に入る。入口の三差路に、大きな馬頭尊碑などの石碑が立っていた。

 少し進んだ田んぼのあぜの三差路に、小さい看板が見える。書いた字はかすれて読めな
いが、地図と見比べるとここが3県境。

 左が埼玉県加須市、右が栃木県栃木市、向こうは群馬県板倉町になる。

 東武日光線の踏切を渡り、昔のままの駅舎の柳生駅に立ち寄り、トイレを借りた。

 駅前の柳原稲荷のある五差路を西へ。国道354号を横断して下宿集落を進むと、背の
高いケヤキが並び立つ鷲神社がある。社殿そばの2本のイチョウもなかなか見ごと。境内
には、かやぶき屋根にトタンを被せた薬師堂もある。


 すぐ西側に古い川の堤防跡らしいのが残り、そばの池は凍っている。ここが県境で、埼
玉県から群馬県板倉町に入る。樋ノ口集落最初の墓地の奥、小さい築山の上に、十二社大
権現が祭られていた。


 小さい集落を西に抜けると田園地帯となる。用水路を横切り丸谷集落へ。入口の五差路
際に耕地整理記念碑が立ち、ビニールハウスには、春の花が咲いている。

 谷田川右岸下に、勝軍(しようぐん)地蔵尊や庚申塔など石仏が数基並んでいた。地蔵
は元禄12年(1699)の建立、悪業煩悩の軍に勝つという当時の地蔵信仰の一つだと
いう。



 右岸堤防に上がり、若い桜並木の続く堤防を進む。南側は広大な田園が広がり、流れの
北側一帯は板倉ゴルフ場である。


 取水堰の上流で流れは右と左にカーブする。堤防の下には肘曲(ひじまが)り池があり、
池の水生動植物群は町の天然記念物になっているようだ。

 池の先に、東屋とトイレとキャンプ用の水場の建物があった。12時15分に着き、1
年前のやまさんたち同様、ここで昼食に。穏やかな日和で風も弱く、休んでいても寒さは
感じない。


 堤防に沿って小さいせせらぎが設けられ、堤防の南側にも別の池があった。堤防は池の
先で右と左に大きくカーブし、間もなく対岸のゴルフ場は終わる。

 車道を横断した先にも桜並木が続く。河川敷には葉の落ちた広葉樹が立ち並び、その向
こうに真っ白な雪山が、午前中よりはっきりと見える。男体山も山容が確認できる。


 蛭田橋の右手は「群馬の水郷公園」になっていて、駐車場の隅に板倉町の大きな観光案
内図が立っていた。駐車場の北側には、河川敷に残った池が静かにたたずむ。


 左岸堤防上、水神塔など石仏の立つところで谷田川を離れ、国道354号バイパスを横
切り新田集落に入る。次の骨稽(こつけい)集落の小さい築山に祭られた御嶽神社に、
「開明雷神碑」という、初めて見た石碑が並んでいた。


 国道に合した北側に、豊富な屋敷林に囲まれたりっぱなかやぶきの平屋が見える。14
代続くMさんの家で、やまさんたちは訪ねて家の方に話を聞いたという。


 国道を少し進み、岩田バス停そばの交差点を北に入って本合集落を西に抜ける。次の鳶
替集落に、朱の鳥居の長良神社があった。

 社殿に「大小」の字が大きく書かれ、その前に、室町時代から伝わり1月10日に行う
という珍しい古事、弓取式とその祭礼の引継式のことが記されていた。


 近くの円満寺は開放的な境内。堂内に祭られた木彫千手観音像は、鎌倉末期から南北朝
時代初期の作と考えられ、県の重要文化財に指定されている。


 境内南側には、りっぱな地蔵や石碑が立ち並んでいた。寺の北側あたりから北西の風が
少し強まり、冷えてきた。


 北側の籾谷集落にあった、安照寺にも立ち寄る。いずれも黒瓦屋根の山門、鐘楼、本堂、
阿弥陀堂などがバランスよく配置されている。鐘楼に下がる鐘は、宝暦4年(1754)
の鋳造。仏文様が美術品として素晴らしく戦時中の供出を免れ、終戦直前、国重要美術品
に指定されたという。


 城沼(じょうぬま)からの流れ、楠木承水溝の弁天橋を渡る。東北自動車道をくぐって
町谷集落に並ぶ中層住宅の北を回り、城沼の南東端に出た。対岸に大きなショッピングセ
ンターが見える。


 城沼南岸沿いの朝陽の小道に入り、沼に沿って進む。風が強まったためか、対岸に見え
る赤城山や日光連山などが、はっきりと見えるようになった。


 沼辺には20羽前後の白鳥や、たくさんのカモが羽を休めたり、時々飛び立ったりして
いる。


 昨年5月連休の花盛りのときに訪ねて、観光客で賑わっていた館林の名勝、つつじ園は、
いまは散策の人も少なくひっそりとしている。沼の西南端付近の梅林周辺では、大規模な
公園の改良工事中だった。



 城沼に流れ込む鶴生田川(つるうだがわ)の南岸に沿った遊歩道を更に進み、15時
57分に東武伊勢崎線の館林駅に着く。駅前の温度表示は11℃を示していた。

 (天気 快晴後晴、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 古河、館林、歩行地 茨城
  県古河市、埼玉県羽生市、群馬県板倉町、館林市、歩数 35,000)



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四国遍路道にある地震・津波の痕跡や表示

2012-02-01 17:59:15 | 四国遍路あれこれ
 昨年3月11日の東日本大震災以来、地震や津波についての認識が一層高まったよう
に思います。

 四国の遍路道を歩いていると、地震や津波に関する標識や説明板などが、幾つか目に
つきました。今回はそれらを、1番霊場から88番への遍路道順に紹介します。

 といっても、私の3度目の遍路道では、一昨年(2010年)2~3月の徳島県と高
知県内で撮ったものだけでした。このあたりは、東南海地震が発生した場合に、大きな
被害が想定される地域です。

 22番平等寺から23番薬王寺への道、国道55号経由でなく海沿いの県道25号を
進むと、徳島県美波町(みなみちょう)を通過します。由岐(ゆぎ)から木岐(きき)
へと進み、木岐の家並みの一角、電柱に付いていた昭和南海地震のときの津波高の表示。

 1階のひさしくらいの高さです。


 近くには、津波発生時の避難場所の地図がありました。


 木岐漁港をぐるっと回って西側に行くと、「安政地震津波石灯籠」が立っています。


 そのことを記した説明板。由岐町になっていますが、平成の合併で現在は美波町です。


 室戸岬にある24番最御崎寺(ほつみさきじ)を目指し、県境を越えて徳島県海陽町
から高知県室戸市に入り、最初の家並み、佐喜浜にあった避難場所への標識。


 この日(2010年2月28日)は、前日の午後発生したチリ地震による津波警報が
発せられました。私もこのあたりの前後で、連れ合いなど何人かから携帯電話に、「津
波に注意するように」とのメールをもらい、左手にずっと続く海岸線に異変がないか気
にしながら室戸岬に向かっていたのです。

 17㎞ほど先の三漁港まで来たら、消防団や地元の方々が、海を眺めて警戒していま
した。でもこの頃は、津波到来予想時刻を過ぎていて、幸い被害になるほどの津波は来
ませんでした。 


 標高430mの27番神峰寺(こうのみねじ)から下り、安田町から安芸市に入った
付近の国道55号にある、国道がこの先12.5㎞津波浸水想定区域になるという表示。 


 安芸市の中心街を抜けて、間もなく高知安芸自転車道に入るあたりの標高の表示。こ
ういう表示は、ほかでもあちこちで見ました。


 土佐市の36番青龍寺(しょうりゅうじ)に近い蟹ヶ池(かにがいけ)が最近、注目
されました。

 高知大の岡村教授がこの池にパイプを打ち込み、古い地層の土を採取して調べたとこ
ろ、この池にも大地震による津波が押し寄せたことが分かったようです。

 池のほとりにある、貴重な自然であることを示す説明板 


 このことについては四国産業研究のウェブサイトをご参照下さい。 

 足摺岬の38番金剛福寺から39番延光寺に向かう大月回りの遍路道、国道321号
を進み、土佐清水市街地やあしずり港を過ぎた落窪付近に見られる「化石漣痕(かせき
れんこん)」と呼ぶ、南海道地震により海底から隆起した現象。


 詳細はこの説明板を…。


 これらの標識を見て、海沿いを遍路中に大地震が来たらどうなるのだろう、などと
考えながら歩いたものでした。



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