2012年2月11日(土・祝)
スタート以来19年となった、カントリーウオークグループの第190回例会に参加し
た。集合は東武野田線の八木崎(やぎさき)駅。参加者21人は4組に分かれ10時10
分にスタートする。
北口を出て、Kさんの母校、春日部高校の門前を通過する。校舎には、全国大会出場を
祝した運動部など、たくさんの部の表示が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8b/e27587d421c7fe6debb9072798799dbf.jpg)
近くにある八幡神社の広い境内へ。元弘年間(1331~4)、この地の武将、春日部
氏により鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじよう)したものとか。新編武藏風土記稿にも粕
壁宿の鎮守とされているという
。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/bf/37f264ef05cfe6f1b84b3fb97ced7dce.jpg)
ご神木の大イチョウが天に高く枝を伸ばす。お七夜詣でのご家族が2組、参拝に来てい
た。社殿前には、願いを記した絵馬がたくさん奉納されている。
豊かな鎮守の森の東側、稲荷神社のそばに「浅間山」と呼ぶ樹木に覆われた高さ8m、
周囲200mに及ぶ富士塚がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/be/278bea4fe45533a79ec6b607e05a1b03.jpg)
登ってってみたら東の展望が開け、筑波山が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/db/d0cbc45e1df33a55c0827756c8306461.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fe/89d4bdf23e411d8069015ae2f63bd98d.jpg)
山頂には「不弐大神」と刻まれた石碑が立つ。眺めていたら、足下からズドンと突き上
げられ、すぐにかなりの揺れで地震と分かりビックリ。
北に下って浜川戸一丁目の住宅地を抜け、国道16号を横切り内牧工業団地へ。明治の
工場などが立ち並ぶ広い道路も、休日で車はほとんど通らず安心して歩ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/cc/10c6e94bd299e5055a39913a96952b6a.jpg)
工業団地の西に抜け、流れを暗渠(あんきよ)にした古隅田川緑道に出て北西に向かう。
すぐ先の満蔵寺に、背後の墓地から入ろうとしたが、柵があり入れない。少し先に雑草
地に下る踏み段があったので、降りて乾いた雑草地を横切り、西側を回って満蔵寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/94/841d257574fd19b2ce3787abd427e22c.jpg)
本堂前に、「満蔵寺のお葉付イチョウ」と呼ぶ県の天然記念物の大イチョウが立つ。高
さ27m、根回り10.4mあり、枝が水平に出ること、枝端に葉の群生すること、葉の
くぼみに実を付けるなどの特徴があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/fc/42a42be5f64e4604d707c0e44af0fccf.jpg)
門前の南東には、約千年前に京都東白川に住んでいたという、梅若丸にちなむ謡曲「隅
田川」伝説ゆかりの「梅若塚」があり、その由来が記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3e/83a0b701c7645eff7db3c2f066523d87.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e1/f173ce527c85e07c32f4cb9b967a6cf0.jpg)
大きなケヤキなどの屋敷林に囲まれた農家や、生産野菜を露地販売する農家の前などを
通過する。宮川小の北東の隅に、「はちまんさま」と描かれた小さい社が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/17/7667f4605696bf6d68aace1145c8ba87.jpg)
学校の南には開放的な境内の香取神社があり、大きなケヤキが枯れ枝を高く伸ばす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2c/783258a510de8ea9fd65eca8697a7743.jpg)
豊春中の北側から西に回り、古隅田川緑道に沿って北に少し回り込むと、「やじま橋」
と呼ぶ石橋が堤防沿いに置かれている。
元文2年(1737)に、春日部市南中曽根とさいたま市岩槻区小溝の間を流れる古隅
田川に架けられたものを、1984年3月の河川改修工事の際にここに移設したとのこと。
埼玉県内で最も古い石橋の一つとされているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/40/43b30327717dff5257f7503c57fe318f.jpg)
古墨田堤防に沿って並ぶ新興住宅地の西に回り、桜並木の続く左岸堤防沿いを北に向か
う。堤防がいったん途切れるあたりで堤を離れて田園地帯へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/8a/e960d840dbb3e624f1dcb4032ef084a9.jpg)
暗渠にコンクリートのふたを被せた歩道から、北側の小さい流れに沿ったあぜ道に入り、
岩槻北陵高の南で車道に出て、すぐ先の坂東三十三観音霊場第十二番札所の慈恩寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/b6/a57d000d1172f57d9bba856b0dc1c456.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/45/abaee9b5803b52ec303af57a4c30188f.jpg)
大本堂の前に、天正17年(1589)銘の珍しい南蛮鉄製の灯籠が立つ。境内のロウ
バイが花を見せ、南側には2本の大藤を支える藤棚がある。
西側山門のそばに、かやぶき屋根のこじんまりした民家が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d4/46a4af527030b66e905ae2f60b996241.jpg)
岩槻北陵高の前まで戻り、先ほどの流れの延長上から田んぼのあぜ道を横切り、西遊記
で知られる玄奘三蔵(げんじようさんぞう)法師の霊骨塔である十三重塔の立つ園地に入
った。離れてはいるが、ここも慈恩寺のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/dd/aebc856c279cbfb1f23ecdd9879941fb.jpg)
長く不明だった玄奘三蔵の霊骨が昭和17年(1942)に中国南京で発掘され、日本
に分骨贈与されたものを、この地に昭和25年に塔を建立して奉安したという。
今日の昼食は、この十三重塔を傍らで管理されているHさんが、自作の大きなかまどで
焼いて下さるというピッツァである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/95/806216ea2eb815e6551b054ea37daeab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/88/525ecc88870c31849986e6336984284f.jpg)
これも原さん手作りという「倭杖林」の看板の掛かった古民家風の建物に入り、太い丸
太が赤々と燃える大きないろりを囲み、1枚ずつ焼き上がってくるおいしいピッツァを、
4枚に切り分け順次いただく。各々が途中で買ってきたアルコールも口にして、賑やかに
語り合いながらゆっくりと過ごす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c9/34b3997b1523ca5eff0d1398ff23b299.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a2/12e18a18cd2ee4e3563b85518b5be638.jpg)
食べる合間に外に出て、Hさんがかまどで焼く様子を拝見したり、数々の趣向を凝らし
て建物の造り。やはりHさんがつくられたという、たくさんの教典を背負った玄奘三蔵像
や「元亀」と呼ぶ大きな亀の像、ともちゃん地蔵、今日の担当Aさんの協力で造ったとい
うホタルの飼育池などを見て回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/46/81fd5c2909ea5f64c7446bab86ad0af3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d0/849ba692620752eac7eb1a5b7cd45ff1.jpg)
3時間前後過ごした後、玄奘三蔵の霊骨が十三重塔に奉安されたいきさつを、Hさんか
ら詳しく説明していただく。塔の前でHさんご夫妻と一緒に記念撮影をして厚く御礼申し
上げ、16時近くに出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/c9/8b42c1753adb207ab62217157694ebde.jpg)
開智中と東岩槻小との間の通りを進み、台地に残る樹林の傍らに立つ「花積貝塚」碑の
ところに回る。花積貝塚は、縄文前期から中期にわたる長期に先人が生活したところとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b3/16ebaa819dc516e5ed99bcbf81f9c30e.jpg)
昭和43年(1968)の調査で、住居跡や多数の貝殻のほか、ほ乳類の骨なども発見
されたという。
整然と並ぶ住宅地の真ん中にあるSさんのお宅の前を通過して、ゴールの東岩槻駅には、
16時35分に着いた。
(天気 快晴後晴、参加 21人、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
春日部市、さいたま市岩槻区、歩数 13,300)
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スタート以来19年となった、カントリーウオークグループの第190回例会に参加し
た。集合は東武野田線の八木崎(やぎさき)駅。参加者21人は4組に分かれ10時10
分にスタートする。
北口を出て、Kさんの母校、春日部高校の門前を通過する。校舎には、全国大会出場を
祝した運動部など、たくさんの部の表示が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8b/e27587d421c7fe6debb9072798799dbf.jpg)
近くにある八幡神社の広い境内へ。元弘年間(1331~4)、この地の武将、春日部
氏により鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじよう)したものとか。新編武藏風土記稿にも粕
壁宿の鎮守とされているという
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/02/159882453fd7f3a8b928ac7de81388be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/bf/37f264ef05cfe6f1b84b3fb97ced7dce.jpg)
ご神木の大イチョウが天に高く枝を伸ばす。お七夜詣でのご家族が2組、参拝に来てい
た。社殿前には、願いを記した絵馬がたくさん奉納されている。
豊かな鎮守の森の東側、稲荷神社のそばに「浅間山」と呼ぶ樹木に覆われた高さ8m、
周囲200mに及ぶ富士塚がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/be/278bea4fe45533a79ec6b607e05a1b03.jpg)
登ってってみたら東の展望が開け、筑波山が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/db/d0cbc45e1df33a55c0827756c8306461.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fe/89d4bdf23e411d8069015ae2f63bd98d.jpg)
山頂には「不弐大神」と刻まれた石碑が立つ。眺めていたら、足下からズドンと突き上
げられ、すぐにかなりの揺れで地震と分かりビックリ。
北に下って浜川戸一丁目の住宅地を抜け、国道16号を横切り内牧工業団地へ。明治の
工場などが立ち並ぶ広い道路も、休日で車はほとんど通らず安心して歩ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/cc/10c6e94bd299e5055a39913a96952b6a.jpg)
工業団地の西に抜け、流れを暗渠(あんきよ)にした古隅田川緑道に出て北西に向かう。
すぐ先の満蔵寺に、背後の墓地から入ろうとしたが、柵があり入れない。少し先に雑草
地に下る踏み段があったので、降りて乾いた雑草地を横切り、西側を回って満蔵寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/94/841d257574fd19b2ce3787abd427e22c.jpg)
本堂前に、「満蔵寺のお葉付イチョウ」と呼ぶ県の天然記念物の大イチョウが立つ。高
さ27m、根回り10.4mあり、枝が水平に出ること、枝端に葉の群生すること、葉の
くぼみに実を付けるなどの特徴があるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/fc/42a42be5f64e4604d707c0e44af0fccf.jpg)
門前の南東には、約千年前に京都東白川に住んでいたという、梅若丸にちなむ謡曲「隅
田川」伝説ゆかりの「梅若塚」があり、その由来が記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3e/83a0b701c7645eff7db3c2f066523d87.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/e1/f173ce527c85e07c32f4cb9b967a6cf0.jpg)
大きなケヤキなどの屋敷林に囲まれた農家や、生産野菜を露地販売する農家の前などを
通過する。宮川小の北東の隅に、「はちまんさま」と描かれた小さい社が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/17/7667f4605696bf6d68aace1145c8ba87.jpg)
学校の南には開放的な境内の香取神社があり、大きなケヤキが枯れ枝を高く伸ばす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2c/783258a510de8ea9fd65eca8697a7743.jpg)
豊春中の北側から西に回り、古隅田川緑道に沿って北に少し回り込むと、「やじま橋」
と呼ぶ石橋が堤防沿いに置かれている。
元文2年(1737)に、春日部市南中曽根とさいたま市岩槻区小溝の間を流れる古隅
田川に架けられたものを、1984年3月の河川改修工事の際にここに移設したとのこと。
埼玉県内で最も古い石橋の一つとされているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/40/43b30327717dff5257f7503c57fe318f.jpg)
古墨田堤防に沿って並ぶ新興住宅地の西に回り、桜並木の続く左岸堤防沿いを北に向か
う。堤防がいったん途切れるあたりで堤を離れて田園地帯へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/8a/e960d840dbb3e624f1dcb4032ef084a9.jpg)
暗渠にコンクリートのふたを被せた歩道から、北側の小さい流れに沿ったあぜ道に入り、
岩槻北陵高の南で車道に出て、すぐ先の坂東三十三観音霊場第十二番札所の慈恩寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/b6/a57d000d1172f57d9bba856b0dc1c456.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/45/abaee9b5803b52ec303af57a4c30188f.jpg)
大本堂の前に、天正17年(1589)銘の珍しい南蛮鉄製の灯籠が立つ。境内のロウ
バイが花を見せ、南側には2本の大藤を支える藤棚がある。
西側山門のそばに、かやぶき屋根のこじんまりした民家が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d4/46a4af527030b66e905ae2f60b996241.jpg)
岩槻北陵高の前まで戻り、先ほどの流れの延長上から田んぼのあぜ道を横切り、西遊記
で知られる玄奘三蔵(げんじようさんぞう)法師の霊骨塔である十三重塔の立つ園地に入
った。離れてはいるが、ここも慈恩寺のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/dd/aebc856c279cbfb1f23ecdd9879941fb.jpg)
長く不明だった玄奘三蔵の霊骨が昭和17年(1942)に中国南京で発掘され、日本
に分骨贈与されたものを、この地に昭和25年に塔を建立して奉安したという。
今日の昼食は、この十三重塔を傍らで管理されているHさんが、自作の大きなかまどで
焼いて下さるというピッツァである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/95/806216ea2eb815e6551b054ea37daeab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/88/525ecc88870c31849986e6336984284f.jpg)
これも原さん手作りという「倭杖林」の看板の掛かった古民家風の建物に入り、太い丸
太が赤々と燃える大きないろりを囲み、1枚ずつ焼き上がってくるおいしいピッツァを、
4枚に切り分け順次いただく。各々が途中で買ってきたアルコールも口にして、賑やかに
語り合いながらゆっくりと過ごす。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c9/34b3997b1523ca5eff0d1398ff23b299.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a2/12e18a18cd2ee4e3563b85518b5be638.jpg)
食べる合間に外に出て、Hさんがかまどで焼く様子を拝見したり、数々の趣向を凝らし
て建物の造り。やはりHさんがつくられたという、たくさんの教典を背負った玄奘三蔵像
や「元亀」と呼ぶ大きな亀の像、ともちゃん地蔵、今日の担当Aさんの協力で造ったとい
うホタルの飼育池などを見て回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/46/81fd5c2909ea5f64c7446bab86ad0af3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d0/849ba692620752eac7eb1a5b7cd45ff1.jpg)
3時間前後過ごした後、玄奘三蔵の霊骨が十三重塔に奉安されたいきさつを、Hさんか
ら詳しく説明していただく。塔の前でHさんご夫妻と一緒に記念撮影をして厚く御礼申し
上げ、16時近くに出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/c9/8b42c1753adb207ab62217157694ebde.jpg)
開智中と東岩槻小との間の通りを進み、台地に残る樹林の傍らに立つ「花積貝塚」碑の
ところに回る。花積貝塚は、縄文前期から中期にわたる長期に先人が生活したところとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b3/16ebaa819dc516e5ed99bcbf81f9c30e.jpg)
昭和43年(1968)の調査で、住居跡や多数の貝殻のほか、ほ乳類の骨なども発見
されたという。
整然と並ぶ住宅地の真ん中にあるSさんのお宅の前を通過して、ゴールの東岩槻駅には、
16時35分に着いた。
(天気 快晴後晴、参加 21人、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
春日部市、さいたま市岩槻区、歩数 13,300)
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