2012年2月4日(土)
昨年2月11日(金・祝)の雪の日、やまさんなど8人が歩いたLL(Lake to Lake)
ウオーク、私はカントリーウオークの例会のため参加できなかった行程を、まもなく1年
になる土曜日に歩きに出かけた。
9時45分にJR宇都宮線古河(こが)駅に下車する。この日は厳しい寒さが緩み、穏
やかな快晴のウオーキング日和になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/57/dc970b3b30ff47fbeaf12bc9520eb2e7.jpg)
西口を出て、篆刻(てんこく)美術館↑や古河街角(まちかど)美術館などのある中央
町から錦町を抜けて、渡良瀬川の三国橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/01/cbb8be3496b16f46b03cc9dc246b5ed1.jpg)
広い河川敷の北に、雪をまとった日光連山が連なり、渡りきったあたりからは西に、霞
んではいるが富士山も望まれる。河原の大きな柳はうっすらと淡い彩りで、春の近いこと
を感じさせてくれる。
国道354号に沿った川の右岸堤防に入るとすぐ、昭和22年(1947)9月のカス
リーン台風決壊口跡の碑と、そのときの被害の模様の説明板が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/26e08eb4c9566e33f1a6e50db90608d7.jpg)
渡良瀬川を右に分け、ハート型で知られ谷中湖とも呼ぶ渡良瀬第一貯水池が近づく。振
り返ると、古河の高層ビルの左手に筑波山がくっきりと望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d0/c3438872c5c0aafd790fd14cadffa0a9.jpg)
谷中湖沿いに流れる川が右カーブするあたりからは、正面に赤城山の山並みがうっすら
と見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/1a/1cf3d56ac32f3650fdc6e1b26faf4836.jpg)
昨年末から雨が少ないためか、渡良瀬貯水池機場付近に見える谷中湖湖面の水量は、以
前来たときより少ないように思われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/24/deda969365e9474b174946a5a7240bc6.jpg)
国道に栃木市の標識の立つ付近から堤防を下り、いまは加須市となった旧北川辺町の小
野袋集落に入る。入口の三差路に、大きな馬頭尊碑などの石碑が立っていた。
少し進んだ田んぼのあぜの三差路に、小さい看板が見える。書いた字はかすれて読めな
いが、地図と見比べるとここが3県境。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/da/0dc6686f52a80b75a7943642411ccf77.jpg)
左が埼玉県加須市、右が栃木県栃木市、向こうは群馬県板倉町になる。
東武日光線の踏切を渡り、昔のままの駅舎の柳生駅に立ち寄り、トイレを借りた。
駅前の柳原稲荷のある五差路を西へ。国道354号を横断して下宿集落を進むと、背の
高いケヤキが並び立つ鷲神社がある。社殿そばの2本のイチョウもなかなか見ごと。境内
には、かやぶき屋根にトタンを被せた薬師堂もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/aa/397aa75db88e4bc3ef8612cc80bbeba6.jpg)
すぐ西側に古い川の堤防跡らしいのが残り、そばの池は凍っている。ここが県境で、埼
玉県から群馬県板倉町に入る。樋ノ口集落最初の墓地の奥、小さい築山の上に、十二社大
権現が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e7/0f10c106df040354bab54ee03276dc0c.jpg)
小さい集落を西に抜けると田園地帯となる。用水路を横切り丸谷集落へ。入口の五差路
際に耕地整理記念碑が立ち、ビニールハウスには、春の花が咲いている。
谷田川右岸下に、勝軍(しようぐん)地蔵尊や庚申塔など石仏が数基並んでいた。地蔵
は元禄12年(1699)の建立、悪業煩悩の軍に勝つという当時の地蔵信仰の一つだと
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/15/6e819143293eef56dddc72999470d567.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/34/4ff6c9c6aa666f78b52784005d1436ed.jpg)
右岸堤防に上がり、若い桜並木の続く堤防を進む。南側は広大な田園が広がり、流れの
北側一帯は板倉ゴルフ場である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1f/0c1a8d3bb563410935da810831d2b223.jpg)
取水堰の上流で流れは右と左にカーブする。堤防の下には肘曲(ひじまが)り池があり、
池の水生動植物群は町の天然記念物になっているようだ。
池の先に、東屋とトイレとキャンプ用の水場の建物があった。12時15分に着き、1
年前のやまさんたち同様、ここで昼食に。穏やかな日和で風も弱く、休んでいても寒さは
感じない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/29/eecd41089d4e16922759eadcf1131b57.jpg)
堤防に沿って小さいせせらぎが設けられ、堤防の南側にも別の池があった。堤防は池の
先で右と左に大きくカーブし、間もなく対岸のゴルフ場は終わる。
車道を横断した先にも桜並木が続く。河川敷には葉の落ちた広葉樹が立ち並び、その向
こうに真っ白な雪山が、午前中よりはっきりと見える。男体山も山容が確認できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/9b/2ef0130610c271672e8001c30066ffd0.jpg)
蛭田橋の右手は「群馬の水郷公園」になっていて、駐車場の隅に板倉町の大きな観光案
内図が立っていた。駐車場の北側には、河川敷に残った池が静かにたたずむ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/2f/6c23cb6c0e1ef0aad1396e13136b5222.jpg)
左岸堤防上、水神塔など石仏の立つところで谷田川を離れ、国道354号バイパスを横
切り新田集落に入る。次の骨稽(こつけい)集落の小さい築山に祭られた御嶽神社に、
「開明雷神碑」という、初めて見た石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b3/cfca47a65a2555971e4329e07dc6d71b.jpg)
国道に合した北側に、豊富な屋敷林に囲まれたりっぱなかやぶきの平屋が見える。14
代続くMさんの家で、やまさんたちは訪ねて家の方に話を聞いたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1f/03aaa7f56db6380ca867697ab172144b.jpg)
国道を少し進み、岩田バス停そばの交差点を北に入って本合集落を西に抜ける。次の鳶
替集落に、朱の鳥居の長良神社があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b4/c9ed6b603440d014f33ca75470b4a358.jpg)
社殿に「大小」の字が大きく書かれ、その前に、室町時代から伝わり1月10日に行う
という珍しい古事、弓取式とその祭礼の引継式のことが記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/22/7499e27eecb05d1a589498db1b964edb.jpg)
近くの円満寺は開放的な境内。堂内に祭られた木彫千手観音像は、鎌倉末期から南北朝
時代初期の作と考えられ、県の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/05/95c1d5e5a335f204a0b0fc0459dde115.jpg)
境内南側には、りっぱな地蔵や石碑が立ち並んでいた。寺の北側あたりから北西の風が
少し強まり、冷えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4e/ef170fae3fad34b70d21cc66cffafbc9.jpg)
北側の籾谷集落にあった、安照寺にも立ち寄る。いずれも黒瓦屋根の山門、鐘楼、本堂、
阿弥陀堂などがバランスよく配置されている。鐘楼に下がる鐘は、宝暦4年(1754)
の鋳造。仏文様が美術品として素晴らしく戦時中の供出を免れ、終戦直前、国重要美術品
に指定されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a4/7f009b6fe19042e044e5cd1f9a2f48b3.jpg)
城沼(じょうぬま)からの流れ、楠木承水溝の弁天橋を渡る。東北自動車道をくぐって
町谷集落に並ぶ中層住宅の北を回り、城沼の南東端に出た。対岸に大きなショッピングセ
ンターが見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f5/dd8b4c34f450edc973a1f5852da9fbbb.jpg)
城沼南岸沿いの朝陽の小道に入り、沼に沿って進む。風が強まったためか、対岸に見え
る赤城山や日光連山などが、はっきりと見えるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/47/9eb7ceab4a5d9d6e342351985e116771.jpg)
沼辺には20羽前後の白鳥や、たくさんのカモが羽を休めたり、時々飛び立ったりして
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f3/10a8d79e929dbb48ecbeb5da8491ce4c.jpg)
昨年5月連休の花盛りのときに訪ねて、観光客で賑わっていた館林の名勝、つつじ園は、
いまは散策の人も少なくひっそりとしている。沼の西南端付近の梅林周辺では、大規模な
公園の改良工事中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/07/c038287a104d51b85a5af14a6531f609.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/68/b77c37cd5cad66a0baac7cbea8a47bd8.jpg)
城沼に流れ込む鶴生田川(つるうだがわ)の南岸に沿った遊歩道を更に進み、15時
57分に東武伊勢崎線の館林駅に着く。駅前の温度表示は11℃を示していた。
(天気 快晴後晴、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 古河、館林、歩行地 茨城
県古河市、埼玉県羽生市、群馬県板倉町、館林市、歩数 35,000)
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昨年2月11日(金・祝)の雪の日、やまさんなど8人が歩いたLL(Lake to Lake)
ウオーク、私はカントリーウオークの例会のため参加できなかった行程を、まもなく1年
になる土曜日に歩きに出かけた。
9時45分にJR宇都宮線古河(こが)駅に下車する。この日は厳しい寒さが緩み、穏
やかな快晴のウオーキング日和になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/57/dc970b3b30ff47fbeaf12bc9520eb2e7.jpg)
西口を出て、篆刻(てんこく)美術館↑や古河街角(まちかど)美術館などのある中央
町から錦町を抜けて、渡良瀬川の三国橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/01/cbb8be3496b16f46b03cc9dc246b5ed1.jpg)
広い河川敷の北に、雪をまとった日光連山が連なり、渡りきったあたりからは西に、霞
んではいるが富士山も望まれる。河原の大きな柳はうっすらと淡い彩りで、春の近いこと
を感じさせてくれる。
国道354号に沿った川の右岸堤防に入るとすぐ、昭和22年(1947)9月のカス
リーン台風決壊口跡の碑と、そのときの被害の模様の説明板が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/da/26e08eb4c9566e33f1a6e50db90608d7.jpg)
渡良瀬川を右に分け、ハート型で知られ谷中湖とも呼ぶ渡良瀬第一貯水池が近づく。振
り返ると、古河の高層ビルの左手に筑波山がくっきりと望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d0/c3438872c5c0aafd790fd14cadffa0a9.jpg)
谷中湖沿いに流れる川が右カーブするあたりからは、正面に赤城山の山並みがうっすら
と見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/1a/1cf3d56ac32f3650fdc6e1b26faf4836.jpg)
昨年末から雨が少ないためか、渡良瀬貯水池機場付近に見える谷中湖湖面の水量は、以
前来たときより少ないように思われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/24/deda969365e9474b174946a5a7240bc6.jpg)
国道に栃木市の標識の立つ付近から堤防を下り、いまは加須市となった旧北川辺町の小
野袋集落に入る。入口の三差路に、大きな馬頭尊碑などの石碑が立っていた。
少し進んだ田んぼのあぜの三差路に、小さい看板が見える。書いた字はかすれて読めな
いが、地図と見比べるとここが3県境。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/da/0dc6686f52a80b75a7943642411ccf77.jpg)
左が埼玉県加須市、右が栃木県栃木市、向こうは群馬県板倉町になる。
東武日光線の踏切を渡り、昔のままの駅舎の柳生駅に立ち寄り、トイレを借りた。
駅前の柳原稲荷のある五差路を西へ。国道354号を横断して下宿集落を進むと、背の
高いケヤキが並び立つ鷲神社がある。社殿そばの2本のイチョウもなかなか見ごと。境内
には、かやぶき屋根にトタンを被せた薬師堂もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/aa/397aa75db88e4bc3ef8612cc80bbeba6.jpg)
すぐ西側に古い川の堤防跡らしいのが残り、そばの池は凍っている。ここが県境で、埼
玉県から群馬県板倉町に入る。樋ノ口集落最初の墓地の奥、小さい築山の上に、十二社大
権現が祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/e7/0f10c106df040354bab54ee03276dc0c.jpg)
小さい集落を西に抜けると田園地帯となる。用水路を横切り丸谷集落へ。入口の五差路
際に耕地整理記念碑が立ち、ビニールハウスには、春の花が咲いている。
谷田川右岸下に、勝軍(しようぐん)地蔵尊や庚申塔など石仏が数基並んでいた。地蔵
は元禄12年(1699)の建立、悪業煩悩の軍に勝つという当時の地蔵信仰の一つだと
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/15/6e819143293eef56dddc72999470d567.jpg)
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右岸堤防に上がり、若い桜並木の続く堤防を進む。南側は広大な田園が広がり、流れの
北側一帯は板倉ゴルフ場である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1f/0c1a8d3bb563410935da810831d2b223.jpg)
取水堰の上流で流れは右と左にカーブする。堤防の下には肘曲(ひじまが)り池があり、
池の水生動植物群は町の天然記念物になっているようだ。
池の先に、東屋とトイレとキャンプ用の水場の建物があった。12時15分に着き、1
年前のやまさんたち同様、ここで昼食に。穏やかな日和で風も弱く、休んでいても寒さは
感じない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/29/eecd41089d4e16922759eadcf1131b57.jpg)
堤防に沿って小さいせせらぎが設けられ、堤防の南側にも別の池があった。堤防は池の
先で右と左に大きくカーブし、間もなく対岸のゴルフ場は終わる。
車道を横断した先にも桜並木が続く。河川敷には葉の落ちた広葉樹が立ち並び、その向
こうに真っ白な雪山が、午前中よりはっきりと見える。男体山も山容が確認できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/9b/2ef0130610c271672e8001c30066ffd0.jpg)
蛭田橋の右手は「群馬の水郷公園」になっていて、駐車場の隅に板倉町の大きな観光案
内図が立っていた。駐車場の北側には、河川敷に残った池が静かにたたずむ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/2f/6c23cb6c0e1ef0aad1396e13136b5222.jpg)
左岸堤防上、水神塔など石仏の立つところで谷田川を離れ、国道354号バイパスを横
切り新田集落に入る。次の骨稽(こつけい)集落の小さい築山に祭られた御嶽神社に、
「開明雷神碑」という、初めて見た石碑が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b3/cfca47a65a2555971e4329e07dc6d71b.jpg)
国道に合した北側に、豊富な屋敷林に囲まれたりっぱなかやぶきの平屋が見える。14
代続くMさんの家で、やまさんたちは訪ねて家の方に話を聞いたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1f/03aaa7f56db6380ca867697ab172144b.jpg)
国道を少し進み、岩田バス停そばの交差点を北に入って本合集落を西に抜ける。次の鳶
替集落に、朱の鳥居の長良神社があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b4/c9ed6b603440d014f33ca75470b4a358.jpg)
社殿に「大小」の字が大きく書かれ、その前に、室町時代から伝わり1月10日に行う
という珍しい古事、弓取式とその祭礼の引継式のことが記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/22/7499e27eecb05d1a589498db1b964edb.jpg)
近くの円満寺は開放的な境内。堂内に祭られた木彫千手観音像は、鎌倉末期から南北朝
時代初期の作と考えられ、県の重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/05/95c1d5e5a335f204a0b0fc0459dde115.jpg)
境内南側には、りっぱな地蔵や石碑が立ち並んでいた。寺の北側あたりから北西の風が
少し強まり、冷えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4e/ef170fae3fad34b70d21cc66cffafbc9.jpg)
北側の籾谷集落にあった、安照寺にも立ち寄る。いずれも黒瓦屋根の山門、鐘楼、本堂、
阿弥陀堂などがバランスよく配置されている。鐘楼に下がる鐘は、宝暦4年(1754)
の鋳造。仏文様が美術品として素晴らしく戦時中の供出を免れ、終戦直前、国重要美術品
に指定されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a4/7f009b6fe19042e044e5cd1f9a2f48b3.jpg)
城沼(じょうぬま)からの流れ、楠木承水溝の弁天橋を渡る。東北自動車道をくぐって
町谷集落に並ぶ中層住宅の北を回り、城沼の南東端に出た。対岸に大きなショッピングセ
ンターが見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f5/dd8b4c34f450edc973a1f5852da9fbbb.jpg)
城沼南岸沿いの朝陽の小道に入り、沼に沿って進む。風が強まったためか、対岸に見え
る赤城山や日光連山などが、はっきりと見えるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/47/9eb7ceab4a5d9d6e342351985e116771.jpg)
沼辺には20羽前後の白鳥や、たくさんのカモが羽を休めたり、時々飛び立ったりして
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f3/10a8d79e929dbb48ecbeb5da8491ce4c.jpg)
昨年5月連休の花盛りのときに訪ねて、観光客で賑わっていた館林の名勝、つつじ園は、
いまは散策の人も少なくひっそりとしている。沼の西南端付近の梅林周辺では、大規模な
公園の改良工事中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/07/c038287a104d51b85a5af14a6531f609.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/68/b77c37cd5cad66a0baac7cbea8a47bd8.jpg)
城沼に流れ込む鶴生田川(つるうだがわ)の南岸に沿った遊歩道を更に進み、15時
57分に東武伊勢崎線の館林駅に着く。駅前の温度表示は11℃を示していた。
(天気 快晴後晴、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 古河、館林、歩行地 茨城
県古河市、埼玉県羽生市、群馬県板倉町、館林市、歩数 35,000)
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