あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

LLウオーク 古河~谷中湖~城沼~館林(茨城・埼玉・群馬)

2012-02-05 21:45:16 | ウオーキング
 2012年2月4日(土)

 昨年2月11日(金・祝)の雪の日、やまさんなど8人が歩いたLL(Lake to Lake)
ウオーク、私はカントリーウオークの例会のため参加できなかった行程を、まもなく1年
になる土曜日に歩きに出かけた。

 9時45分にJR宇都宮線古河(こが)駅に下車する。この日は厳しい寒さが緩み、穏
やかな快晴のウオーキング日和になった。


 西口を出て、篆刻(てんこく)美術館↑や古河街角(まちかど)美術館などのある中央
町から錦町を抜けて、渡良瀬川の三国橋を渡る。


 広い河川敷の北に、雪をまとった日光連山が連なり、渡りきったあたりからは西に、霞
んではいるが富士山も望まれる。河原の大きな柳はうっすらと淡い彩りで、春の近いこと
を感じさせてくれる。

 国道354号に沿った川の右岸堤防に入るとすぐ、昭和22年(1947)9月のカス
リーン台風決壊口跡の碑と、そのときの被害の模様の説明板が立っていた。


 渡良瀬川を右に分け、ハート型で知られ谷中湖とも呼ぶ渡良瀬第一貯水池が近づく。振
り返ると、古河の高層ビルの左手に筑波山がくっきりと望まれる。


 谷中湖沿いに流れる川が右カーブするあたりからは、正面に赤城山の山並みがうっすら
と見える。


 昨年末から雨が少ないためか、渡良瀬貯水池機場付近に見える谷中湖湖面の水量は、以
前来たときより少ないように思われた。


 国道に栃木市の標識の立つ付近から堤防を下り、いまは加須市となった旧北川辺町の小
野袋集落に入る。入口の三差路に、大きな馬頭尊碑などの石碑が立っていた。

 少し進んだ田んぼのあぜの三差路に、小さい看板が見える。書いた字はかすれて読めな
いが、地図と見比べるとここが3県境。

 左が埼玉県加須市、右が栃木県栃木市、向こうは群馬県板倉町になる。

 東武日光線の踏切を渡り、昔のままの駅舎の柳生駅に立ち寄り、トイレを借りた。

 駅前の柳原稲荷のある五差路を西へ。国道354号を横断して下宿集落を進むと、背の
高いケヤキが並び立つ鷲神社がある。社殿そばの2本のイチョウもなかなか見ごと。境内
には、かやぶき屋根にトタンを被せた薬師堂もある。


 すぐ西側に古い川の堤防跡らしいのが残り、そばの池は凍っている。ここが県境で、埼
玉県から群馬県板倉町に入る。樋ノ口集落最初の墓地の奥、小さい築山の上に、十二社大
権現が祭られていた。


 小さい集落を西に抜けると田園地帯となる。用水路を横切り丸谷集落へ。入口の五差路
際に耕地整理記念碑が立ち、ビニールハウスには、春の花が咲いている。

 谷田川右岸下に、勝軍(しようぐん)地蔵尊や庚申塔など石仏が数基並んでいた。地蔵
は元禄12年(1699)の建立、悪業煩悩の軍に勝つという当時の地蔵信仰の一つだと
いう。



 右岸堤防に上がり、若い桜並木の続く堤防を進む。南側は広大な田園が広がり、流れの
北側一帯は板倉ゴルフ場である。


 取水堰の上流で流れは右と左にカーブする。堤防の下には肘曲(ひじまが)り池があり、
池の水生動植物群は町の天然記念物になっているようだ。

 池の先に、東屋とトイレとキャンプ用の水場の建物があった。12時15分に着き、1
年前のやまさんたち同様、ここで昼食に。穏やかな日和で風も弱く、休んでいても寒さは
感じない。


 堤防に沿って小さいせせらぎが設けられ、堤防の南側にも別の池があった。堤防は池の
先で右と左に大きくカーブし、間もなく対岸のゴルフ場は終わる。

 車道を横断した先にも桜並木が続く。河川敷には葉の落ちた広葉樹が立ち並び、その向
こうに真っ白な雪山が、午前中よりはっきりと見える。男体山も山容が確認できる。


 蛭田橋の右手は「群馬の水郷公園」になっていて、駐車場の隅に板倉町の大きな観光案
内図が立っていた。駐車場の北側には、河川敷に残った池が静かにたたずむ。


 左岸堤防上、水神塔など石仏の立つところで谷田川を離れ、国道354号バイパスを横
切り新田集落に入る。次の骨稽(こつけい)集落の小さい築山に祭られた御嶽神社に、
「開明雷神碑」という、初めて見た石碑が並んでいた。


 国道に合した北側に、豊富な屋敷林に囲まれたりっぱなかやぶきの平屋が見える。14
代続くMさんの家で、やまさんたちは訪ねて家の方に話を聞いたという。


 国道を少し進み、岩田バス停そばの交差点を北に入って本合集落を西に抜ける。次の鳶
替集落に、朱の鳥居の長良神社があった。

 社殿に「大小」の字が大きく書かれ、その前に、室町時代から伝わり1月10日に行う
という珍しい古事、弓取式とその祭礼の引継式のことが記されていた。


 近くの円満寺は開放的な境内。堂内に祭られた木彫千手観音像は、鎌倉末期から南北朝
時代初期の作と考えられ、県の重要文化財に指定されている。


 境内南側には、りっぱな地蔵や石碑が立ち並んでいた。寺の北側あたりから北西の風が
少し強まり、冷えてきた。


 北側の籾谷集落にあった、安照寺にも立ち寄る。いずれも黒瓦屋根の山門、鐘楼、本堂、
阿弥陀堂などがバランスよく配置されている。鐘楼に下がる鐘は、宝暦4年(1754)
の鋳造。仏文様が美術品として素晴らしく戦時中の供出を免れ、終戦直前、国重要美術品
に指定されたという。


 城沼(じょうぬま)からの流れ、楠木承水溝の弁天橋を渡る。東北自動車道をくぐって
町谷集落に並ぶ中層住宅の北を回り、城沼の南東端に出た。対岸に大きなショッピングセ
ンターが見える。


 城沼南岸沿いの朝陽の小道に入り、沼に沿って進む。風が強まったためか、対岸に見え
る赤城山や日光連山などが、はっきりと見えるようになった。


 沼辺には20羽前後の白鳥や、たくさんのカモが羽を休めたり、時々飛び立ったりして
いる。


 昨年5月連休の花盛りのときに訪ねて、観光客で賑わっていた館林の名勝、つつじ園は、
いまは散策の人も少なくひっそりとしている。沼の西南端付近の梅林周辺では、大規模な
公園の改良工事中だった。



 城沼に流れ込む鶴生田川(つるうだがわ)の南岸に沿った遊歩道を更に進み、15時
57分に東武伊勢崎線の館林駅に着く。駅前の温度表示は11℃を示していた。

 (天気 快晴後晴、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 古河、館林、歩行地 茨城
  県古河市、埼玉県羽生市、群馬県板倉町、館林市、歩数 35,000)



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