あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

笠間の町から友部まで歩く(茨城)

2010-11-03 15:39:11 | ウオーキング
 2010年10月31日(日)
 
 台風14号は昨夜半に通過して、雨は上がったが雲は厚い。朝食前に、宿のそばの
坂東三十三観音霊場第二十四番札所の雨引(あまびき)観音・楽法寺(らくほうじ)に
お参りに行く。

 楽法寺は、中国から来日した法輪独守(ほうりんどくしゆ)居士が、用明天皇の587
年に開創し、延命観音を安置したのが始まり。730年に光明皇后がお産のとき、法華
経を奉納し、無事出産を果たして以来、安産祈願の観音として多くの参詣者が訪れて
いるという。

 宿からは、朱塗りの豪壮な山門の上へ、直接石段で上がれる。山門からの参道が
折り返すところに、幹の太さがひときわ目につくスダジイの大木があり、ご神木のしめ
縄が張られていた。



 上がり終えたところに朱塗りの観音堂↑があり、その左手に多宝塔や本堂がある
が、本堂は再建中で来年6月に完成予定のようだ。

 境内には桜の古木が多く、紅葉の彩りを見せる。クジャクやガチョウが放し飼いに
されていて、えさをねだるガチョウの声が賑やか。

 背後の展望広場に上がる道筋には、たくさんのお地蔵様が並んでいた。展望広場
からは、桜などの広葉樹が伸びていて、あまり遠望は利かず、本堂横の方が、眼下
の家並みや田園の眺めが良い。



 朝食後、記念撮影をして、9時前、宿のマイクロバスでJR水戸線岩瀬駅へ。9時25
分発下り電車に乗り、四つ目の笠間駅に9時43分に着いた。

 今日は、笠間稲荷の門前町として栄え、「関東の小京都」とも呼ばれ、関東最古の
笠間焼きでも知られる笠間の町歩きである。駅前には、ちょうど開催中の、菊まつり
の飾り付けができていた。

 東北にまっすぐに伸びる旧道を進み、国道355号に出る。笠間小の先から旧道を
西へ、高橋町を抜けて笠間稲荷の正面に出た。

 周辺は、まんじゅうや漬け物などの古い造りの店が多く、門前町の様相を見せてい
る。石造りの大鳥居の立つ笠間稲荷の参道両側には、仲見世の土産店が連なる。
その前に菊まつりに出展した、鉢植えの菊がたくさん並んでいた。


 笠間稲荷神社の開基は白雉(はくち)年間(650~54)といわれ、日本三大稲荷の
一つに数えられ、商売繁盛の神として江戸時代から賑わっていたという。


 大きな山門をくぐると、正面にコンクリート造り朱塗りの拝殿が建ち、背後に江戸末期
の建築で国重文の本殿が続いている。拝殿から本殿裏手への境内東側にも、見事な
鉢植えの菊が並び、境内には、笠間焼の露店なども出て、多くの参詣者が訪れていた。



 本殿の裏手に回ると、屋根下の精巧な木彫に目を奪われる。道を隔てた北側の、笠
間稲荷美術館構内に菊人形展会場があり、大河ドラマ「龍馬伝」十三景が展示されて
いるようだが、参観は省略した。

 ちなみに笠間の菊まつりは、11月23日(祝・火)まで開催されている。

 本殿裏手の細道を東に抜けて、公園通りに出る。南側の武藤酒類醸造そばの交差点
を左折すると、すぐ近くに大石邸跡があった。

 赤穂藩浅野氏の国家老(くにがろう)、大石内蔵助良雄(よしたか)の曾祖父良勝(よし
かつ)と、祖父良欽(よしたか)の屋敷跡で、正保2年(1654)に赤穂への国替えする
前の笠間藩主は、浅野家だったという。建物は何も残っていなかった。

 そばに笠間日動美術館があり、その先左手斜面を上がり、坂東三十三観音霊場第二
十三番札所・佐白(さしろ)観音の佐白山観世音寺へ。今朝お参りした雨引観音に比べ
ると、社殿も境内もこぢんまりしている。


 境内の大きなイチョウの下にギンナンが落ちていたので、何人かが拾った。

 来た道をさらに先へ。上り坂が始まるあたりに、「九ちゃんの家」の説明板があり、モ
ミジなどの豊富な木々に囲まれた、平屋の古い木造家屋が残っていた。

 第二次世界大戦の終わり頃、川崎から疎開して来た、九ちゃんこと坂本九さん一家
の住まい。九ちゃんは2歳から6歳までこの地で過ごしたとのこと。現在は無人だが、
「笠間九ちゃん会」の人たちが、大切に管理しているようだ。

 すぐ先、神社下の斜面には、九ちゃんのヒット曲「上を向いて歩こう」の歌碑がある。


 左手斜面上は、ツツジが一面に植えられた佐白つつじ公園。ところどころに、狂い咲
きの花がポツポツと見える。山上の広場には展望台があり、眼下の笠間の町並みや、
360度に広がる緩やかな山並みが一望できる。


 展望台そばの、木のベンチに腰を下ろし、展望を楽しみながら、駅に近いコンビニで
買ってきた弁当などで昼食にした。

 食事を終えた頃、雨が落ちてきた。軽く雨具をつけて出発の準備をする。ここからは、
南東の里道を下ってJR水戸線と常磐線の接続駅、友部まで歩く11人と、笠間市内
を散策して笠間駅から友部へ向かうグループに分かれる。

 友部組は、上がってきた車道の交差点を越えて、反対側の車道に入る。地形図上
に記された大黒石は、すぐ近くの道路左側にどっしりと置かれていた。


 笠間城があった佐白山への入口、大手門跡を過ぎると、林間をかなり下って行く。
下りきったあたりからY字路を左へ、馬廻集落を回り、田んぼの両側を低い山林に挟
まれた、広谷原から沓五郎の静かなたたずまいの集落を抜ける。

 今日は気温が高めで、雨具をつけていると暑い。雨もほぼ上がったので途中で雨具
を脱いだ。

 沓五郎集落から、最短距離となる地形図上の波線の道は通れないと分かり、北山
公園を回ることにする。公園の北東端あたりまで進むと、左に入る遊歩道があった。


 オリエンテーリングのポストも残り、林間を少しで展望塔らしい高い建造物の下に
出た。そばに、公園の施設らしいかなり長い滑り台もある。展望塔の後ろからさらに
先に進んだが、次第に踏み跡が不明瞭になってきた。

 道を探しながら、やぶをかき分けかき分けして右に回り込み、なんとか再び踏み跡
に出ることができた。しかし先頭のYさんのズボンは、何種類かのひっつき虫が一杯
まとわり付いてしまった。


 北山公園の北側にある北山霊園の園路に入り、北山公園の野球場そばに出た。
再び雨模様となったが、長くは続かずに済んだ。

 山間の車道を少しずつ下って宿集落を抜け、原店(はらんたな)から新しく広い道路
をまっすぐ進んで、これも新装間もない、近代的駅舎のJR友部駅に、14時25分に
着いた。

 水戸線で着いたグループと合流し、一部は水戸線小山経由で、多くは14時45分発
の常磐線上り電車で帰途についた。

(天気 曇一時雨、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 笠間、歩行地 笠間市)
コメント (2)
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