2010年11月13日(土)
関東百駅巡礼歩行の第69番に参加する。集合はJR宇都宮線の野木(のぎ)駅。
栃木県再南端の駅だが、駅の開設は昭和38年(1963)で、歴史ある宇都宮線
(東北本線)では新しい駅である。
参加者は、やまさんのほか、久しぶりの栃木県の女性2人と、私を含む埼玉県の
男性2人。駅前で記念撮影をして、11時4分に西口をスタートした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5c/998ddd16b4e5e7d32a9d3d43e3535b69.jpg)
駅に近い交差点際に、しゃれた建物と紅葉が鮮やかな店があった。「ういんどべん」
という名のコーヒー店である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/59/4ddde21a48b48bae9966d7a8f9f2e270.jpg)
新橋小の校門を入ったところに、初代校長の校訓ともいうべき、りっぱな石碑が立
っていた。新興住宅地が終わると古くからの農家が増え、色づいたユズがあちこちで
見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/f3/59599115f9e20ecaf1d1991f1ca6ae6f.jpg)
森に囲まれた高良神社↑を抜けて松原集落へ。屋敷に続く畑に、真っ赤なリンゴが
実っていた。
国道4号の松原交差点の近くに、同行の小山のKさん知り合いの、「小びとの家」と
いう天然酵母パンの店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b1/4d67ab812626b4c74958c32c88159e4c.jpg)
パンには国産の安全な材料を使い、10数時間発酵させて作るという。試食させて
もらうと、よい歯ごたえでおいしかったので、皆さんが購入した。
松原交差点を北に入り、国道に平行する北側の旧道へ。道は国道と違って自然カー
ブしており、こちらが旧日光街道らしい。
思川(おもいがわ)浄水場の先、野木集落の中心地付近に、「のぎ水辺の楽校」の
案内板があり、一帯の湿地周辺を、子供が安全で楽しめる自然体験や学習の場とし
て整備したと記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c3/b76c732e4a47838d5b3937205754c747.jpg)
西側中ほどにベンチがあったので、ここで昼食をする。
すぐ先に「この奥 野木城跡」の看板があるが、面影は見られず、その歴史なども記
されてない。
りっぱな屋敷林が続く農家の裏手を通過、ツカサ工業のところで道路は右側に迂回
している。角に、古い青面金剛像が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/43/5030d115ed4692a1005f707740e120f2.jpg)
畑の隅のモミジが鮮やかな彩りを見せ、その先には、長い参道が続く野木神社が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/65/8531cd3a769887bc2cf423f4fac3bf0a.jpg)
延暦年館(782~806)に、坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中に寄り、
社殿を造り遷座したと伝えられる古社。現在の社殿は、文化3年(1806)に古河城主
・土井利厚が再建したとのこと。明治時代には、乃木大将もたびたび参拝に訪れたと
いう。
拝殿の奥、覆屋で保護された本殿の周囲には、精巧な木彫が随所に施され、一見
の価値がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/79/c156f423f8d41a6b41e8073bce644799.jpg)
町の文化財である境内の大イチョウは、坂上田村麻呂が植えたものと伝えられる古
木である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b0/43895565b6c358eaa207e94063054b2e.jpg)
婦人たちが、乳が出て乳児が健全に育つよう祈願し、米ぬかと白布で作った乳房の
模型が奉納されていた。
拝殿には、子供たちが描いた祈願の絵馬がたくさん並び、5月になると境内に毎年
現れるという、フクロウの写真も飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/fe/9d3b19c0b96515765c5d68bb4617bdf6.jpg)
参道には、樹齢650年以上と推定され、高さ太さとも県内の名木といわれる、町の
文化財であるケヤキの高木が立ち、ほかのケヤキや桜の古木ともども、よい彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/26/0530e1c01dd44dafd2f9e009408b505d.jpg)
参道のすぐ北にあった雷電神社は、渡良瀬川を隔てて西にあった旧谷中村(やなか
むら)から移築したものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/4c/63af89bcb2ebb1a91ac02638b3fbbb93.jpg)
ちなみに旧谷中村一帯は現在、渡良瀬遊水池となっている。
近くの畑で、麦肥橎種機という小型の機械で種をまいている人がいた。一部自分で
工作して作ったものとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b0/f8d2a50c9e3a91eba81bbc0a528f67f1.jpg)
麦の種と肥料が一度に4列まける機械で、麦の種類はタマイズミといい、収穫した麦
は、群馬県館林市にある正田(しようだ)醤油に出荷するという。
野木集落が終わり、広い道を西に進んで、渡良瀬川の左岸段丘上にある、馬術クラ
ブの横に回る。馬術クラブの以前は結婚式場だったという広い構内の中心に、国の重
要文化財の野木町煉瓦窯(れんががま)があり、遠くからも見えた煙突の高さは34m
だという。
明治23年(1890)に建築された旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社の煉瓦窯
で、「ホフマン式輪窯」と呼ばれ、ドイツのフリードリヒ・ホフマンが発明した連続釜の
一種とのこと。
レンガで造られた円形の窯の外周は100mあり、昭和47年(1972)まで赤レンガ
を製造したもの。現在日本にただひとつ残る、貴重な円形のホフマン式輪窯だという。
乗馬クラブの回りは、さくに囲まれ入れない。外からのぞいただけで、渡良瀬川沿い
に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/58/5d38e78eaa8eef8d03e8dd2b8069a11a.jpg)
ゆうようと流れる川沿いを500mほど下流へ進む。放置されて大きく伸びたクワの葉
が、よい彩りを見せる。
野渡集落の北端に上がり、馬術クラブの正門に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6c/352baad4dd7599632ca3aca41bff8b12.jpg)
馬術競技のスタンドがあり、その向こうが煉瓦釜だが、入るには事務所の許可が要
るとのこと。門の近くで眺めて、そばまで行くのは省略した。
南側の熊野神社の参道沿いには、あの煉瓦釜で作ったらしい、くず煉瓦が積まれ
ていた。
満願寺の角を回り、野渡集落の南側へ。すぐ西側に茨城県境が接近している土地
なので、お孫さんと外に出ていた奥様に、県境付近のことなどをうかがう。
茨城県古河(こが)市との県境付近で、渡良瀬川の左岸堤防に上がった。利根川か
ら5㎞の標識があり、堤防をさらに南に向かう。堤外(流れ側)はゴルフ場である。
背の高いケヤキや常緑広葉樹に囲まれた雀神社のそばに、古河を歌った万葉集歌
2首を記した歌碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a2/3a6e456aca98337a17e9de0bc50f48af.jpg)
すぐ近くには、渡良瀬川を汚染した足尾銅山の公害を糾明した、田中正造の新しい
遺徳碑もできている。
堤外に広がるススキが色づく、国道354号の三国橋際まで進み、川を離れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/69/be942d42f7971746c3a7b171507da561.jpg)
古河一小前を通過して本町に入り、15時半近く、古河歴史博物館前で解散となる。
全員博物館に入り、古河の歴史や古河城、古河藩家老として知られる鷹見泉石(た
かみせんせき)のことなどについて、50分ほど観覧する。
レンガ造りで趣ある校門の古河一小(旧校舎?)前や、古い蔵造りの残る通りなど
を抜け、16時36分に、JR宇都宮線でただ一つの茨城県の駅、古河駅に着いた。
(参加 5人、天気 曇一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地
栃木県野木町、茨城県古河市、歩数 19,700)
関東百駅巡礼歩行の第69番に参加する。集合はJR宇都宮線の野木(のぎ)駅。
栃木県再南端の駅だが、駅の開設は昭和38年(1963)で、歴史ある宇都宮線
(東北本線)では新しい駅である。
参加者は、やまさんのほか、久しぶりの栃木県の女性2人と、私を含む埼玉県の
男性2人。駅前で記念撮影をして、11時4分に西口をスタートした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5c/998ddd16b4e5e7d32a9d3d43e3535b69.jpg)
駅に近い交差点際に、しゃれた建物と紅葉が鮮やかな店があった。「ういんどべん」
という名のコーヒー店である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/59/4ddde21a48b48bae9966d7a8f9f2e270.jpg)
新橋小の校門を入ったところに、初代校長の校訓ともいうべき、りっぱな石碑が立
っていた。新興住宅地が終わると古くからの農家が増え、色づいたユズがあちこちで
見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/f3/59599115f9e20ecaf1d1991f1ca6ae6f.jpg)
森に囲まれた高良神社↑を抜けて松原集落へ。屋敷に続く畑に、真っ赤なリンゴが
実っていた。
国道4号の松原交差点の近くに、同行の小山のKさん知り合いの、「小びとの家」と
いう天然酵母パンの店があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b1/4d67ab812626b4c74958c32c88159e4c.jpg)
パンには国産の安全な材料を使い、10数時間発酵させて作るという。試食させて
もらうと、よい歯ごたえでおいしかったので、皆さんが購入した。
松原交差点を北に入り、国道に平行する北側の旧道へ。道は国道と違って自然カー
ブしており、こちらが旧日光街道らしい。
思川(おもいがわ)浄水場の先、野木集落の中心地付近に、「のぎ水辺の楽校」の
案内板があり、一帯の湿地周辺を、子供が安全で楽しめる自然体験や学習の場とし
て整備したと記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c3/b76c732e4a47838d5b3937205754c747.jpg)
西側中ほどにベンチがあったので、ここで昼食をする。
すぐ先に「この奥 野木城跡」の看板があるが、面影は見られず、その歴史なども記
されてない。
りっぱな屋敷林が続く農家の裏手を通過、ツカサ工業のところで道路は右側に迂回
している。角に、古い青面金剛像が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/43/5030d115ed4692a1005f707740e120f2.jpg)
畑の隅のモミジが鮮やかな彩りを見せ、その先には、長い参道が続く野木神社が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/65/8531cd3a769887bc2cf423f4fac3bf0a.jpg)
延暦年館(782~806)に、坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中に寄り、
社殿を造り遷座したと伝えられる古社。現在の社殿は、文化3年(1806)に古河城主
・土井利厚が再建したとのこと。明治時代には、乃木大将もたびたび参拝に訪れたと
いう。
拝殿の奥、覆屋で保護された本殿の周囲には、精巧な木彫が随所に施され、一見
の価値がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/79/c156f423f8d41a6b41e8073bce644799.jpg)
町の文化財である境内の大イチョウは、坂上田村麻呂が植えたものと伝えられる古
木である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b0/43895565b6c358eaa207e94063054b2e.jpg)
婦人たちが、乳が出て乳児が健全に育つよう祈願し、米ぬかと白布で作った乳房の
模型が奉納されていた。
拝殿には、子供たちが描いた祈願の絵馬がたくさん並び、5月になると境内に毎年
現れるという、フクロウの写真も飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/fe/9d3b19c0b96515765c5d68bb4617bdf6.jpg)
参道には、樹齢650年以上と推定され、高さ太さとも県内の名木といわれる、町の
文化財であるケヤキの高木が立ち、ほかのケヤキや桜の古木ともども、よい彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/26/0530e1c01dd44dafd2f9e009408b505d.jpg)
参道のすぐ北にあった雷電神社は、渡良瀬川を隔てて西にあった旧谷中村(やなか
むら)から移築したものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/4c/63af89bcb2ebb1a91ac02638b3fbbb93.jpg)
ちなみに旧谷中村一帯は現在、渡良瀬遊水池となっている。
近くの畑で、麦肥橎種機という小型の機械で種をまいている人がいた。一部自分で
工作して作ったものとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/b0/f8d2a50c9e3a91eba81bbc0a528f67f1.jpg)
麦の種と肥料が一度に4列まける機械で、麦の種類はタマイズミといい、収穫した麦
は、群馬県館林市にある正田(しようだ)醤油に出荷するという。
野木集落が終わり、広い道を西に進んで、渡良瀬川の左岸段丘上にある、馬術クラ
ブの横に回る。馬術クラブの以前は結婚式場だったという広い構内の中心に、国の重
要文化財の野木町煉瓦窯(れんががま)があり、遠くからも見えた煙突の高さは34m
だという。
明治23年(1890)に建築された旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社の煉瓦窯
で、「ホフマン式輪窯」と呼ばれ、ドイツのフリードリヒ・ホフマンが発明した連続釜の
一種とのこと。
レンガで造られた円形の窯の外周は100mあり、昭和47年(1972)まで赤レンガ
を製造したもの。現在日本にただひとつ残る、貴重な円形のホフマン式輪窯だという。
乗馬クラブの回りは、さくに囲まれ入れない。外からのぞいただけで、渡良瀬川沿い
に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/58/5d38e78eaa8eef8d03e8dd2b8069a11a.jpg)
ゆうようと流れる川沿いを500mほど下流へ進む。放置されて大きく伸びたクワの葉
が、よい彩りを見せる。
野渡集落の北端に上がり、馬術クラブの正門に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6c/352baad4dd7599632ca3aca41bff8b12.jpg)
馬術競技のスタンドがあり、その向こうが煉瓦釜だが、入るには事務所の許可が要
るとのこと。門の近くで眺めて、そばまで行くのは省略した。
南側の熊野神社の参道沿いには、あの煉瓦釜で作ったらしい、くず煉瓦が積まれ
ていた。
満願寺の角を回り、野渡集落の南側へ。すぐ西側に茨城県境が接近している土地
なので、お孫さんと外に出ていた奥様に、県境付近のことなどをうかがう。
茨城県古河(こが)市との県境付近で、渡良瀬川の左岸堤防に上がった。利根川か
ら5㎞の標識があり、堤防をさらに南に向かう。堤外(流れ側)はゴルフ場である。
背の高いケヤキや常緑広葉樹に囲まれた雀神社のそばに、古河を歌った万葉集歌
2首を記した歌碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a2/3a6e456aca98337a17e9de0bc50f48af.jpg)
すぐ近くには、渡良瀬川を汚染した足尾銅山の公害を糾明した、田中正造の新しい
遺徳碑もできている。
堤外に広がるススキが色づく、国道354号の三国橋際まで進み、川を離れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/69/be942d42f7971746c3a7b171507da561.jpg)
古河一小前を通過して本町に入り、15時半近く、古河歴史博物館前で解散となる。
全員博物館に入り、古河の歴史や古河城、古河藩家老として知られる鷹見泉石(た
かみせんせき)のことなどについて、50分ほど観覧する。
レンガ造りで趣ある校門の古河一小(旧校舎?)前や、古い蔵造りの残る通りなど
を抜け、16時36分に、JR宇都宮線でただ一つの茨城県の駅、古河駅に着いた。
(参加 5人、天気 曇一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地
栃木県野木町、茨城県古河市、歩数 19,700)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます