あるきメデス

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関東百駅巡礼歩行 JR宇都宮線 野木駅(栃木)

2010-11-21 18:51:01 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年11月13日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第69番に参加する。集合はJR宇都宮線の野木(のぎ)駅。
栃木県再南端の駅だが、駅の開設は昭和38年(1963)で、歴史ある宇都宮線
(東北本線)では新しい駅である。

 参加者は、やまさんのほか、久しぶりの栃木県の女性2人と、私を含む埼玉県の
男性2人。駅前で記念撮影をして、11時4分に西口をスタートした。


 駅に近い交差点際に、しゃれた建物と紅葉が鮮やかな店があった。「ういんどべん」
という名のコーヒー店である。


 新橋小の校門を入ったところに、初代校長の校訓ともいうべき、りっぱな石碑が立
っていた。新興住宅地が終わると古くからの農家が増え、色づいたユズがあちこちで
見られる。


 森に囲まれた高良神社↑を抜けて松原集落へ。屋敷に続く畑に、真っ赤なリンゴが
実っていた。

 国道4号の松原交差点の近くに、同行の小山のKさん知り合いの、「小びとの家」と
いう天然酵母パンの店があった。

 パンには国産の安全な材料を使い、10数時間発酵させて作るという。試食させて
もらうと、よい歯ごたえでおいしかったので、皆さんが購入した。

 松原交差点を北に入り、国道に平行する北側の旧道へ。道は国道と違って自然カー
ブしており、こちらが旧日光街道らしい。

 思川(おもいがわ)浄水場の先、野木集落の中心地付近に、「のぎ水辺の楽校」の
案内板があり、一帯の湿地周辺を、子供が安全で楽しめる自然体験や学習の場とし
て整備したと記されていた。

 西側中ほどにベンチがあったので、ここで昼食をする。

 すぐ先に「この奥 野木城跡」の看板があるが、面影は見られず、その歴史なども記
されてない。

 りっぱな屋敷林が続く農家の裏手を通過、ツカサ工業のところで道路は右側に迂回
している。角に、古い青面金剛像が残っていた。


 畑の隅のモミジが鮮やかな彩りを見せ、その先には、長い参道が続く野木神社が
あった。

 延暦年館(782~806)に、坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中に寄り、
社殿を造り遷座したと伝えられる古社。現在の社殿は、文化3年(1806)に古河城主
・土井利厚が再建したとのこと。明治時代には、乃木大将もたびたび参拝に訪れたと
いう。

 拝殿の奥、覆屋で保護された本殿の周囲には、精巧な木彫が随所に施され、一見
の価値がある。


 町の文化財である境内の大イチョウは、坂上田村麻呂が植えたものと伝えられる古
木である。

 婦人たちが、乳が出て乳児が健全に育つよう祈願し、米ぬかと白布で作った乳房の
模型が奉納されていた。

 拝殿には、子供たちが描いた祈願の絵馬がたくさん並び、5月になると境内に毎年
現れるという、フクロウの写真も飾られていた。


 参道には、樹齢650年以上と推定され、高さ太さとも県内の名木といわれる、町の
文化財であるケヤキの高木が立ち、ほかのケヤキや桜の古木ともども、よい彩り。


 参道のすぐ北にあった雷電神社は、渡良瀬川を隔てて西にあった旧谷中村(やなか
むら)から移築したものという。

 ちなみに旧谷中村一帯は現在、渡良瀬遊水池となっている。

 近くの畑で、麦肥橎種機という小型の機械で種をまいている人がいた。一部自分で
工作して作ったものとのこと。

 麦の種と肥料が一度に4列まける機械で、麦の種類はタマイズミといい、収穫した麦
は、群馬県館林市にある正田(しようだ)醤油に出荷するという。

 野木集落が終わり、広い道を西に進んで、渡良瀬川の左岸段丘上にある、馬術クラ
ブの横に回る。馬術クラブの以前は結婚式場だったという広い構内の中心に、国の重
要文化財の野木町煉瓦窯(れんががま)があり、遠くからも見えた煙突の高さは34m
だという。

 明治23年(1890)に建築された旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社の煉瓦窯
で、「ホフマン式輪窯」と呼ばれ、ドイツのフリードリヒ・ホフマンが発明した連続釜の
一種とのこと。

 レンガで造られた円形の窯の外周は100mあり、昭和47年(1972)まで赤レンガ
を製造したもの。現在日本にただひとつ残る、貴重な円形のホフマン式輪窯だという。

 乗馬クラブの回りは、さくに囲まれ入れない。外からのぞいただけで、渡良瀬川沿い
に下った。


 ゆうようと流れる川沿いを500mほど下流へ進む。放置されて大きく伸びたクワの葉
が、よい彩りを見せる。

 野渡集落の北端に上がり、馬術クラブの正門に回る。

 馬術競技のスタンドがあり、その向こうが煉瓦釜だが、入るには事務所の許可が要
るとのこと。門の近くで眺めて、そばまで行くのは省略した。

 南側の熊野神社の参道沿いには、あの煉瓦釜で作ったらしい、くず煉瓦が積まれ
ていた。

 満願寺の角を回り、野渡集落の南側へ。すぐ西側に茨城県境が接近している土地
なので、お孫さんと外に出ていた奥様に、県境付近のことなどをうかがう。

 茨城県古河(こが)市との県境付近で、渡良瀬川の左岸堤防に上がった。利根川か
ら5㎞の標識があり、堤防をさらに南に向かう。堤外(流れ側)はゴルフ場である。

 背の高いケヤキや常緑広葉樹に囲まれた雀神社のそばに、古河を歌った万葉集歌
2首を記した歌碑が立っていた。


 すぐ近くには、渡良瀬川を汚染した足尾銅山の公害を糾明した、田中正造の新しい
遺徳碑もできている。

 堤外に広がるススキが色づく、国道354号の三国橋際まで進み、川を離れた。


 古河一小前を通過して本町に入り、15時半近く、古河歴史博物館前で解散となる。

 全員博物館に入り、古河の歴史や古河城、古河藩家老として知られる鷹見泉石(た
かみせんせき)のことなどについて、50分ほど観覧する。

 レンガ造りで趣ある校門の古河一小(旧校舎?)前や、古い蔵造りの残る通りなど
を抜け、16時36分に、JR宇都宮線でただ一つの茨城県の駅、古河駅に着いた。

 (参加 5人、天気 曇一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地
  栃木県野木町、茨城県古河市、歩数 19,700)

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